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花のサハリン紀行

3日目 2017716日(日)

コルサコフ、ブッセ湖

 

 七時半のモーニング・コールで目が覚めました。起こされるまで眠っていたなんて、我ながらすごい()。ただの時差ボケでしょう。

 

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 今日は南部のコルサコフとブッセ湖を訪れ、花を見ます。この観光は明日に予定されていたのですが、今日は天気が悪いという天気予報なので、17日の予定と交換したようです。天気予報では最低気温が11℃、最高気温17℃で、雨や雷雨となっています。

 

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 八時からホテルのレストランで朝食です。

 

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 昨日と同じ大型バスで九時にホテルを出発。まだ通勤時間帯だろうが、市内は混んでいません。

 

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 途中までは昨日と同じ道で、そのまま南下します。

 

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 順調に南下して、やがて右手(西)に海が見えてきました(写真下)。アニワ湾です。

 

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 ほぼ一時間ほど走り、コルサコフ市内に入りました。まず目につくのが、写真下のような、ソ連時代に建てられたような一般人の住むアパートです。総じて外壁は補修されていませんから、内側も似たような状況でしょう。バルコニーがおもしろい。建物の外見からすると、住人が勝手に増築したもので、バルコニーの外側はペンキを塗るのは大変はずです。

 

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 中心部は整備されており、人口は3万人というから、中規模の地方都市です。日曜日の午前中のせいか、人の姿は少なく、商店街や繁華街は通りませんでした。

 

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展望台

 コルサコフに着いて最初に寄ったのが、港と街を一望できる展望台です(写真下)。曇り空なのが残念だが、眺めは良い。最初から展望台だったのではなく、灯台が設置された場所だったのでしょう。

 

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 展望台の一番眺めの良い所に車が停まっている(写真下)。手前に駐車場があるのに、何だって、こんな所に停めているのだろう。私は眺望よりも、それが気になり、車に近寄りました。車の中は若いカップルで、私たちが車の周囲をうろうろするものだから、走り去りました。私たちが来る前は誰もいなかったから、若いカップルには海を見ながら、楽しく過ごしていたのでしょう。邪魔してスマン()

 

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 展望台の周囲にはたくさん花が咲いています。

 

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 写真下が日本統治時代のこの展望台と周囲の風景です。

 

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『おほどまり』(樺太観光協会大泊支部、昭和11)より転載

(http://www7b.biglobe.ne.jp/~fullmoon/odomari_kanko.html)

 

 ここは特にコウリンタンポポが群生していてきれいです(写真下)。サハリンでは普通に見られ、昨日も道端にたくさん咲いていました。ところが、原産地は欧州だというから、外来種らしい。しかも、日本にも中部地方以北に上陸し、北海道で広がっているそうです。陽が照っていないので、発色は良くないが、オレンジ色のなかなかきれいな花です。

 

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 タンポポという名前がついていますが、タンポポ属ではなく、ヤナギタンポポ属ですから、外見はかなり違います。

 

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写真上 Hieracium aurantiacum

 

 展望台の裏手は鉄条網が張られ、軍の車両が置いてあります(写真下左)。花が鉄条網を越えてどんどん広がって、埋もれるほど咲いてほしいのですね。

 

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トイレ休憩

 レーニン広場の近くでトイレ休憩です。ここは有料のトイレで、市内を走っている時に他でも見かけました。有料トイレにしては、写真下を見てもわかるように、まるで簡易トイレみたいで、実際、中もあまり御立派ではない。レーニン広場の近くにあるところを見ると、公衆トイレは充実していないようです。私個人は他の国に出かけた時、トイレがどうであるかをとても重視します。特に公衆トイレが充実しているか、また衛生状態などがその国の文化レベルを表しています。

 

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 トイレの横にはプレハブの店が並んでいます。バスで走った範囲では小さな店ばかりで、商店街らしい場所がありませんでした。これだけの街なのだから、大型のスーパーができても十分に採算が取れるような気がします。

 

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 ワシリーさんによれば、トイレの向かいのホテルの前に、日本時代の石碑があるというので見に行きました(写真下)

 

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 ホテルの前の雑草の中に埋もれるように石碑がいくつかおいてあります。「奉献」と刻まれた石や寄進者たちの名前があることから、たぶん神社に置いてあったのを持って来たのでしょう。

 

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 ホテルには白黒の猫がいて、周囲にはツネフネソウなどが咲いています。

 

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写真上 ネコ()

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写真上左 ツリフネソウ(釣舟草)

 

 

天気はいまいち

 バスはコルサコフを出てブッセ湖を目指し、アニワ湾を右手に見ながら海岸に沿って南東方向に進みます。

 

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 アニワ湾の海岸にはキャンプをする人たちの姿が見られます。

 

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 天候がいまいちなので沈んだような風景ですが、これが晴れたら、きっときれいなんでしょうね。

 

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 写真下は日本軍が使用したトーチカです。浜辺の所々に残っています。

 

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 道はやがて海岸から離れ、湿原の中を通過して行きます。

 

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 湿原を通過すると、右手にブッセ湖が見えてきました。湖岸には一面にオオハナウド(たぶん)が咲いています。

 

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 湖岸のキャンプ場近くに停車。ここから先は道はブッセ湖から遠ざかってしまうで、ここで花を見ます。

 

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間宮林蔵が気が付かなったブッセ湖

 下図は、1800年代初頭に樺太を探検した間宮林蔵によるサハリン南部の地図です。緑色で示されたのは彼が実測し、点線は未測量の部分です。間宮が伊能忠敬から測量技術を本格的に学ぶ前の地図だから、不正確な部分もあるが、今の地図と比較しても巨視的にこれだけ正確にとらえたのはすごいとしかいいようがない。

 

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上図 『北夷分界余話』間宮林蔵、文化7(1810)

(国立公文書館デジタルアーカイブより転載加工)

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 下図左の間宮林蔵の地図と右のグーグルの地図と比較すると、間宮の地図には私たちが訪れているブッセ湖がありません。アニワ湾に沿って北からチビサンスコエ湖(ЧибисанскоеChibisanskoe)とヴァヴァイスコエ湖(ВaвайскоеVavayskoe)の二つは載っているのに、その南にあるはずのブッセ湖がない。間宮林蔵の地図はこの部分は点線ですから、彼自身がブッセ湖の手前で測量をやめて、そこから南の半島の部分は観測のみらしいから、不正確になるのは仕方ないとしても、こんな大きな湖が抜けているのは変です。

 

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地図上左 間宮林蔵のブッセ湖近辺の地図

地図上右 同じ場所のグーグルの地図

 

 ここからは私の推測です。間宮林蔵がブッセ湖を描いていない理由は、海だと勘違いしたからではないでしょうか。下の地図の青線は現在の道路です。北側の二つの湖は道路が海と湖の間を走っているので、明瞭に湖だとわかります。ところが、ブッセ湖の手前で道路は北側から海岸を離れ、東側を半周するようになっています。

 二百年前も同じ道があったかはわかりませんが、おそらく似たような場所に道があったのでしょう。北西からアニワ湾の海岸に沿って歩いていけば、道は海岸から離れて湿原を通過し、やがてブッセ湖の岸辺を歩くことになります。すると、まるでアニワ湾の海岸に再度出たみたいに感じたはずです。霧があれば対岸も良くみえず、間宮たちはアニワ湾の海岸に沿って南下しているかのように錯覚してしまうでしょう。ブッセ湖は海水の入る汽水湖ですから、水は塩分があり、アニワ湾の一部と誤解しても不思議ではありません。

 

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 下図左は、間宮林蔵から四十年ほども後の1854年に出た同じ地域の地図です。まず、驚くのが、間宮林蔵の地図に比べてかなり不正確です。時間とともに地図が正確になっていくとは限らないようです。

 この地図では湖がつながっていて、北にあるトゥナイチャ湖まで航路らしい点線まで書いてある。たしかに、南側のチビサンスコエ湖、ヴァヴァイスコエ湖、ブッセ湖は川でつながっています。しかし、グーグルで見る限り、トゥナイチャ湖はつながっていません。たぶん、ここを探検した人が湖から川をさかのぼり、トナイチャ湖まで至ったのを、つながっていたかのように記憶違いしたのでしょう。

 

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上右図 『蝦夷闔境輿地全図』(橋本蘭斎、嘉永7(1854)の一部

(札幌市中央図書館 デジタルライブラリより転載加工)

 

 

ブッセ湖畔の花

 ブッセ湖はチョープロエ・オゼロ(温かい湖)と呼ばれるくらいで、その分、魚介類も豊からしい。湖の中に入って魚貝を採っている人もいます(写真下左)。人の数はまばらです。

 

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 湖畔に沿って歩いていると、若い二人が網を使って何か採っています。採れたのはカニです。でも、小さいから一人分の昼飯にもならない。

 

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 ブッセ湖はアサリ、ツブ、カキ、ホタテなどの貝類の宝庫で、日本人の旅行客がカキを拾い食いしたなんてすごい話があります。ワシリーさんによれば、ここのカキは殻のわりには身が少ないのでロシア人は食べないそうです。

 岸辺は花がたくさん咲いています。

 

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 写真下はオクエゾガラガラという奇妙な名前の植物です。ガラガラとは種がなった時にガラガラと鳴ることから来ました。欧州からシベリアまで広く分布する植物です。

 

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写真上 オクエゾガラガラ

 

 すでにお馴染みのカラフトキンポウゲがここでも花盛りです。

 

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写真上 カラフトキンポウゲ(樺太金鳳花)

 

 なぜか、今回はハマエンドウとセンダイハギが両方一緒に見られることが多い。

 

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写真上 ハマエンドウ(浜豌豆)

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写真上 センダイハギ(千代萩)

 

 写真下は湖畔に群生している背の低い草花で、フルーティな香りがします。小鹿菊というかわいい名前をもらったわりには花としてはそれほど冴えない。

 

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写真上 コシカギク(小鹿菊)

 

 ブッセ湖の毛虫君はお食事中(写真下)。夏が短いから、彼らも忙しい。

 

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 人間も昼食を取ることになりました(写真下)。外は肌寒いので大半のお客さんはバスの中で食べています。私は、もちろん、スカシユリとハマナスが咲いている野原で食べます。時間が惜しいので、立ったままサンドイッチだけを食べて、撮影再開です。

 

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 湖の周囲にはハマナスの群落が花盛りです。

 

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写真上下 ハマナス(浜茄子)

 

 ハマナスは野生のバラとは思えないほどの大きな花を咲かせる。この花の寿命は一日だという解説がありますが、ここのようにたくさん花を咲かせているなら、アサガオのように昨日のしおれた花がたくさん残っていいはずなのに、見かけません。

 日本の北部の他に、朝鮮半島、中国東北部、カムチャツカなどにも分布しています。

 

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 ここでもハマナスと同じように咲いているのがカラフトノイバラです(写真下)。同じバラなので花はとても良く似ている。少しこちらのほうがピンクが薄いので区別がつきます。

 

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写真上下 カラフトノイバラ(樺太野茨)

 

 残念ながら、日本では一部の高山に行かないとこういうピンク色の野生バラはありません。中国も同様で、もっと西のブルガリアでは平地でもピンク色の野生バラがありました。

 

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 エゾスカシユリも同じ所に群落しています。ユリとバラの競演です。

 

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写真上 エゾスカシユリ(蝦夷透百合)

 

 キャンプ場のあるこの地域でこれだけあるのだから、もっと奥の人が立ち入らない地域には群落があるのではないか。

 

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 写真下は茎が黒いことから、オオハナウドではなく、エゾニュウではないかと思われます。 エゾニュウのニュウってどういう漢字なのだろうと探したが、わかりません。アイヌ語が語源で「食料になる」くらいの意味のようです。

 

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 オオハナウド、ヨロイグサ、エゾノシシウド、オオカサモチ、そしてエゾニュウやアマニュウなど、この種のセリの仲間はちょっと見ただけでは区別がつかない。

 

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 写真下も完全に開花すると、白い小さな花を付け、背丈も高いので、大ハナウドなどセリの仲間と勘違いします。日本では中部以北、またカムチャツカや千島列島にも分布します。

 

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写真上 オニシモツケ(鬼下野)

 

 

 

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写真上下 チシマアザミ(千島薊)

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 食事も終えてキャンプ場を後にして、来た道を引き返します(13:19)

 

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手作りサウナ

 ブッセ湖から最初の集落であるオジョルスキーを通過します(写真下)

 

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 道端のソファーでくつろいでいた二人のオバサンにワシリーさんが何か聞いています(写真下左)

 

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 写真下のようなカニを売っている所はないかと質問したようです。昨日と同じイバラガニでしょうか(13:43)1kgあたり300ルーブルですから、約600円です。日本だったら、即完売でしょうけど、ここで食うわけにもいかないから、手が出ません。

 

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 昨日食ったばかりなので、カニへの私の関心はイマイチで、ガチョウや牛のほうがおもしろそう(写真下)

 

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 草に埋もれている汚れた車、積み上げられた廃材、汚れたカーペットと、この集落があまり豊かではないのはわかるが、もう少し小奇麗に住めないものだろうか。金銭的には貧しくても、きれいに片づければ、それだけでも豊かになれる。ここはこれだけの豊かな自然があるのだから、お金などかけなくても、きれいな村が出来上がります。

 

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 写真下左の建物の一階部分が手作りサウナだというので、中を見せてもらいました。入口から入るとストーブが赤々と燃えています(写真下右)。このストーブの奥がサウナで、左側のドアから入っていきます。

 

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 ドアから入ると、そこが脱衣室になっていて、ここだけでも湿気があります。その奥にサウナのドアが見えます(写真下左)。サウナの内部を見ると、木製のベンチと(写真下中)、先ほど入口で見たストーブの後ろが見えます(写真下右)。ストーブには石がたくさん詰め込んでであり、これに水をかけて蒸気を発生させるのでしょう。

 

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 帰り際、添乗員の上田さん(仮名)がサウナを見せてくれたお礼にチップを渡そうとすると、彼らは受け取りませんでした。

 

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花の草原

 エゾスカシユリがたくさん咲いている草原でバスを停めました(14:08)。お花畑が広がっているのに天気が悪いのが惜しい。

 

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 ユリのオレンジに黄色が加わればいいのに、などと話しながらお花畑を進むと、まるでこちらの話を聞いていたかのように黄色いエゾカンゾウが現れました。

 

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写真上 エゾカンゾウ(蝦夷甘草)

 

 さらに進むと、今度はチシマフウロの群落が現れました。

 

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写真上 チシマフウロ(千島風露)

 

 皆さんが引き返す中、私だけが奥のほうに進むと、今度はコウリンタンポポの群落がありました。

 

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写真上 コウリンタンポポ(高輪蒲公英)

 

 ここは特定の花ではなく、様々な花が咲いているので、それらの色が混ざり合っているのがとてもきれいでした。

 

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 花の咲く草原をしばらく行くと、もう一つの集落プリゴロドノエを通過します。

 

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 こちらも寒村と言っては失礼だが、庶民の住宅はあまり立派と言えるような建物はありません。

 

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 下の日本統治時代の地図を見ると、ブッセ湖からコルサコフ(大泊)までのアニワ湾(亜庭湾)に沿って、二十ほどの集落が連続してあったことがわかります。今日では集落はオジョルスキーとプリゴロドノエくらいですから、日本統治時代のほうが人口が多かったということでしょう。

 

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(http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/karafutonanbu.jpg)

 

 

ルピナスの丘

 プリゴロドノエ (При́городное)の近くで停車して、丘の上に残された「日露戦役樺太遠征軍上陸記念碑」の台座(写真下左)と倒れた塔(写真下右)を観ました。日露戦争も後半の1905年、日本軍がこの地に上陸してカラフトを占領してロシアとの終戦交渉を有利に進め、結局、カラフトの南半分を日本領土としました。その上陸記念の碑で、大正15(1926)年に建立されました。途中から折れて(折られて?)しまっています。

 

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 力でやられたから力で押し返すと、また力が返ってくる。その結果の一つが写真上です。今回の旅行の前に、どこかの国の首相様は自分に反対する人たちに向かって「こんな人たち・・」と発言したそうです(201771日、東京都議選)。日本では必ずしも重大なこととは騒がれなかったが、「美しい日本」と旗を振ってみせた彼の品性を表していて、とてもわかりやすい。

 

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写真上 エゾオオヤマハコベ(蝦夷大山繁縷)

 

 「兵どもが夢の跡」や石には興味がないので、私は花を撮っていました。ここで一番良く目立つのがルピナスです(写真下)。外来種で、全島に広がって、道の両側にもしばしばルピナスの群落が見られます。

 

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写真上下 ルピナス

 

 ルピナスはアメリカや地中海などが原産地のようです。ニュージーランドなどでも広がって迷惑がられています。こんなきれいな花がそんなに丈夫ならと私は何度か庭に種を植えてみたのだが、ことごとく失敗()。ルピナスはアルカリ土壌を好みますから、私が植えた所がたぶん酸性土壌だからでしょう。

 

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 ルピナスの次に目立つのが恒例のオオハナウドです。この中にヨロイグサなどもあったようですが、この種のセリの仲間はどれもこれも似たような姿をしていて丁寧に葉でも比較しないと区別がつかず、私は区別つけようという意欲も起きない()

 

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 道は丘の上に続いており、誰かが登った跡があります。上のほうになにかあるのだ。皆さんがワシリーさんの話を聞いているようなので(写真下)、私はもっと上に登ってみることにしました。

 

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 ありました。墓場です(写真下)。写真下のように草が刈り取られ、最近埋葬したような墓もあれば、草や樹木に埋もれている墓もあります。

 

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 眼下の街・プリゴロドノエ (При́городное)の湾に停泊しているのは液化天然ガスを運ぶタンカーです(写真下)。たぶん行き先は日本です。

 

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 港の周囲には液化プラントとタンクが立ち並んでいて(写真下)、プリゴロドノエはサハリン全土から集められた天然ガスを液化して送り出す基地です。

 

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 周囲は原野が広がるだけなのに、このプラントの従業員たちの施設は大変立派です。つまり、サハリンにとって天然ガスはドル箱です。

 

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 サハリンの一番南と北海道の一番北では直線にして50kmほどしかありません。ロシアで事業を拡大していたエクソン・モービルが日本へのパイプラインを2000年代初頭に検討していたが、途中から中国へ輸出されることになり、2006年に頓挫しました。

 あれから十年たち、北方領土に関連して日露で新しい経済関係を作ろうとしているのだから、国策の一つとしてパイプラインを作り、互いの結びつきを強くすることで、平和を保つ手段にも使えるはずです。日本はソ連時代のことがあり、ロシアにエネルギーを依存すれば政治利用されるという恐怖心は私も持っているが()、しかし、こんなに近くにいる人たちと協力しない手はない。

 日本が今ロシアから輸入している天然ガスは全体の8.5%にすぎません。パイプラインで海外から運ぶのは画期的な方法で、量は格段に増え、値段を下げることもできるでしょう。

 

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写真上 ノダイオウ

 

 

レーニンが握っている物

 コルカソフに戻り、トイレ休憩を兼ねてレーニン広場に行きました。

 

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 広場に立つのは今では希少品になったレーニンの銅像です。写真下右では、レーニンが左手に何か握っています。いったいあれは何なのかと、お客さんたちと話題になりました。お客さんから出た諸説の中でもっとも私が感動したのが、ゴキブリを叩くためのスリッパです()。ワシリーさんに聞くと、残念ながら、帽子だそうです。

 

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 動かないレーニンよりも遊ぶ子供たちのほうがおもしろい。

 

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 休日なので、子供たちがたくさん遊んでいます。

 

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 今日訪れた田舎はあまり豊かには見えませんでしたし、コルサコフの街の建物もそれほど立派とはいえません。しかし、子供たちの様子を見るかぎり、貧しさは感じません。

 

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 写真下は市内で見かけた遊具で、ちょっと通りかかっただけでこれだけあります。数が多いだけでなく、カラフルで、遊具が充実して整備されています。私の住んでいる周囲にある公園の遊具のほうがみすぼらしい。

 

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 日本は少子化対策なんてずいぶん前から叫んでいるけど、何十年も前から言われている待機児童の問題が未だに解決のメドもたたず、教育にはすごい費用がかかり、まるで子供を産むなと言っているようにも見えます。いずれもお金で解決できる問題なのに、できない理由だけが並ぶ。

 それでいて防衛研究費は2016年度比でたちまち18倍に増加されたというのだから、やればできるのです。防衛研究費は1.8倍ではなく18倍、つまり1,800%です。教育問題の予算を18倍にしたら、待機児童から奨学金の問題まですべて一年で解決します。国際競争にさらされる時代ですから、教育こそが国の礎であり、将来への投資です。それなのに、教育に予算は出さないで、出て来たのはなんと戦前の教育勅語です。戦前の亡霊のような首相にも驚くが、この内閣を国民の多くが支持していることに、私の傾げた首が元に戻らない。

 

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コルサコフの旧跡巡り

 コルサコフは日本統治時代には大泊(おおどまり)と呼ばれ、その当時の旧跡がいくつか残っています。朝、寄った展望台もその一つで、これからいくつかの旧跡を周ります。

 

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 下の地図は日本統治時代のもので、私たちが寄った所の名前が書き入れてあります。地図の上が北東です。

 

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(『樺太大泊町』より転載加工)

(http://www7b.biglobe.ne.jp/~fullmoon/town.odomari.karafuto.html1)

 

 写真下のちょっと小奇麗な教会(修道院)の前にバスが停まったので、ロシア正教を案内してくれるのかと期待したのですが、そうではなく、訪問先は手前にあった日本領事館の跡です(16:12)。ネットで調べると、日本領事館は第二次世界大戦後に壊されたのではなく、日露戦争で破壊されたようです。

 

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 土台や地下部分が残っており(写真下)、ワシリーさんが建物の配置など詳細に説明してくれるのだが、約一名の客は関心がなく、空き地に咲く花の写真を撮っていました()

 

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ここに生えている花の大半は栽培品のようです。写真下のオオルリソウの仲間は青い色がなかなかきれいです。

 

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 日本はこれから北方四島を含めた極東ロシアとどう付き合うのでしょう。2016年の日露の会談の印象からは、日米安保条約がある限り北方四島が返ってくる可能性はかなり低いでしょう。ロシアがわざわざより近くにアメリカ軍の基地が作られるのを承知で島を返すはずがない。私がロシア側なら絶対にしません()

 政治的な解決よりも、北方四島に日本人が自由に行き来できるなど経済交流を盛んにする道を進むべきです。飛行機で二時間の近場にありながら、日本人のサハリンなどへの心理的な距離は遠い。その証拠に定期便がやっと今年できたばかりです。北方四島などに自由に行き来できるようになれば、旅行会社はこぞってツアーを作るだろうし、それだけでも経済効果は大きく、双方に利益をもたらします。

 

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 見学を終えてバスに乗ると、添乗員の上田さん(仮名)がわざわざバスを降りて敷地の中に戻り、誰かを探しています。まだ戻ってこない人がいるのだ。誰でしょう?・・・どうやら私を探していたらしい()。いつも最後に飛び込むようにバスに乗る私が早目にバスに乗ったので気が付かなかったようです。遺跡は興味がないので、被写体の花が少なければ、私はさっさと引き上げます。

 

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 二カ所目の写真下は旧北海道拓殖銀行大泊支店の建物で、なんと保存状態が良いことか、と思ったら、実は絵です(16:30)。建物は改修中で、外側に網を張り、そこに絵を描いた。なかなかうまいアイデアです。

 

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 古い建物よりも、今の建物や街行く人たちを見ましょう。写真下左の牛クンはミルクやチーズをたくさん供給してくれる。

 

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 旧跡巡りの三カ所目が亜庭神社の跡です(16:45)。あるのは階段と水場だけで、この二つは今でも現役です(写真下)

 

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 この階段は石ではなく、写真下のようにコンクリートなのは予算がなかったのだろうか。

 

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 神社が建っていたのは写真下右で、両手をあげているワシリーさんが立っているあたりで、今は空き地になっています。空き地の左向こうにあるのは海洋学校だそうです(写真下左)

 

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 存在しない神社を想像するよりも、周囲に咲いている草花を見るほうが簡単です()。写真下右のカラフトダイコンソウはチシマダイコンソウとも呼ばれ、中部以北の日本と、千島列島から北米にも分布しています。

 

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写真上左 ツリフネソウ(釣舟草)

写真上右 カラフトダイコンソウ(樺太大根草)

 

 写真下は日本でも良くみられるハナダイコン(オオアラセイトウ)のようです。中国が原産ですから、これも外来種です。

 

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ユジノサハリンスクに戻る

 六時前には曇り空のユジノサハリンスクに戻ってきました。

 

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 人々の帰宅時間のようです。街中は花を飾ろうとする意図があちらこちらで見られます。

 

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 一日中、どんよりとした曇りでしたが、幸い、雨はちょっとだけぱらついた程度で、ほとんど降りませんでした。この日が天気予報でも一番天気の悪い日でしたから、曇り空で済んだのはラッキーです。

 ホテルに到着(17:50)。七時からホテルのレストランで夕食です。

 

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 私は飲まないロシア製のビールは200ルーブル(400480)です。このホテルは日本人客が多いらしく、日本製のビールも同じ値段で売っています。

 

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 天気を心配してわざわざ今日と明日の観光地を交換したのだから、明日は晴れてほしい。

 

 

 

 

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