表紙

 

中国と韓国の奇譚

魅力的な妖怪の物語 2025

 

 前回、『中国伝奇映画』を書いてから十年近くもたってしまいました。私にとってうれしいことに、中国では大量の奇譚(ファンタジー・ドラマ)が作られています。日本語に訳された作品だけでも観きれないほど多く、しかもネット経由の供給で手軽に安く見られるようになっています。

 日本は多くの文化を中国から輸入したにもかかわらず、奇譚(伝奇)の分野は育ちませんでした。怪奇、幽霊、妖怪の話はあっても、奇譚とは違います。日本にももっと奇譚が定着してくれることを期待して、中国と韓国の奇譚で、私の気に入った物語を紹介します。

 使用している写真はBaiduなどネットから適当に切り取ってきたものです。

 

『三世三生十里桃花』 

 中国でテレビ放送される数多くの奇譚、ファンタジー・ドラマの中で、2017年に作られた『永遠の桃花〜三生三世〜』(『三世三生十里桃花』58話、2017年、中国)は総視聴回数500億回という驚異的なヒットを放ちました(写真下)。一人が58話すべてを観たとすれば、500億回÷58話=8.6億人が観たことになります。

 

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 私は大ヒットしたとは知らずに観て、引き込まれました。従来の奇譚の手法をとっているので違和感がなく、テンポが早く、予想外の展開が多い。

 恋愛物語ですから、二人が愛し合って結ばれました、というのでは一話で終わってしまいます。これを58話にどうやって引き延ばすか。どの物語の制作者たちも、二人の間のスレ違いや誤解、恋敵、三角関係を作って、二人の恋愛に水をさし、ヒビを入れて、話を長引かせる。

 問題は話ののばし方です。制作者たちは同じようなパターンで話を展開してしまうから、多くの作品がダラダラと間延びし、水で薄ってしまう。その点、この作品は最初から3つに分けていて、それが「三世三生」という題名に現れているように、生まれ変わりでメリハリを付けています。

 

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写真上 白浅を主演した楊冪

 

 物語は、白浅(司音、素素)と夜華(、墨淵)が、3度生まれ変わってもめぐり逢い、様々な障害を乗り越えて愛を成就するという恋愛物語です。ファンタジーですから、彼らは人間ではなく、白浅は九尾の白狐で、夜華は天界(九重天?)の皇帝の孫です。白浅は14万歳で、夜華は5万歳というから、彼のほうがだいぶん年下らしい。

 白浅を演じる楊冪(杨幂、ヤン・ミー)の演技力はたしかに素晴らしい。三部に分かれたドラマで、それぞれ楊冪は修行時代、恋愛時代、女帝時代と三つの役柄(司音、素素、白浅)を使い分けていました。

 しかし、私がこの物語で一番感動した俳優は、悪役の素錦()を演じた黄夢瑩(黄梦、ファン・モンイン)です。

 

素敵な悪女

 素錦は夜華を熱愛していて、白浅と夜華の恋愛を強烈な熱意をもって邪魔します。恋愛物語では、こういう恋路を邪魔する悪役は絶対に必要ですから、彼女の存在は珍しくありません。しかし、素錦は彼の愛を得るための熱意も知略も並大抵ではなく、恋敵の白浅を排除するために悪辣な策謀をめぐらし、ためらわず実行する悪女です。

 

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写真上下 素錦を演じた黄夢瑩

 

 観客は何という悪い女だと嫌悪するでしょう。しかし、その動機がすべて夜華への強い愛情から来ていることを黄梦が見事に演じているので、私など途中から、報われることのない素錦にだんだん同情してしまいました。

 

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 演じている黄梦は見てのとおりの美人で、彼女が大きな瞳に涙を浮かべて、夜華に愛を告白し、どんな形でも良いから自分を受け入れてくれるように懇願する場面など、この女優は男優に本当に惚れているのではないかと錯覚させるほどの演技力の持ち主です。

 

 

 男なら、こんな美人にあんな告白をされたら、心がまったく動かないはずがない。だが、黄夢瑩の迫真の演技に比べて、夜華を演じた趙又廷のこの場面での演技は下手です。夜華には白浅こそが運命の相手なのだから、ここで拒絶するのは当然だが、その時に彼の目や表情にちょっとでいいから、迷いやためらいが浮かんでいたら、彼は名優になっていたでしょう。しかし、彼は岩のように冷徹な男を演じただけでした。

 何度も賞を取った演技派として知られている趙又廷に向かって「やーい、大根!」と私は言った。

 

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 素錦は悪役ですから、物語の最後には悪事が暴露され、罰を受けて天界から人間界に追放され、愛の苦しみを何度も受ける人生を送っている姿で終わっています。視聴者の多くは悪女の末路に溜飲を下げるかもしれないが、私はこの結末に単細胞と名付けました。子供っぽい勧善懲悪という意味です。

 

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 物語の主題は、生まれ変わってもめぐり逢い、愛を貫くことです。それならば、素錦の愛はどうなのでしょう。悪事は悪事として裁かれるのはいいとしても、彼女の愛は悪事とは別物なのに、物語では一緒にしています。三生三世をつらぬく愛を主題にしながら、一つの物語の中で、素錦のひたむきな愛にはただ罰を加えるだけなのはおかしい。

 

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 『永遠の桃花〜三生三世〜』は良くできた作品だが、愛に生きた素錦の結末にもう一工夫すれば、もっと深味のある物語になったでしょう。空想の世界なのだから、もう一工夫など簡単で、それは夜華と墨淵がいるのだから、無理に片方を消去しないで・・・素人脚本はやめておきます。

 

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輪廻転生

 中国奇譚では輪廻転生が当たり前のこととして、取り扱われています。『永遠の桃花〜三生三世〜』は題名のように、三つの人生から成り立ち、一つ目の人生では主人公の司音(白浅)と墨淵とは師弟関係のまま、墨淵は死んでしまいます。墨淵の霊魂の一部が夜華となって生まれ、記憶や力を失って人間界に落ちていた素素(白浅)と出会い結婚するが、悪役の素錦の妨害で、素素は自殺に追い込まれるのが二つ目の人生です。素素は自殺を試みたことで、自分が白浅であることを思い出したが、夜華の記憶を消したため、二人の恋愛はゼロからやり直しで、これが三つ目の人生です。

 恋愛に輪廻転生を取り入れるやり方がとてもうまい。二人は、小指を結ぶ赤い糸というよりも、赤い鋼鉄のロープで結ばれているので、どう生きようが死のうが、必ずめぐり逢い、愛し合う、という物語です。

 

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 中国奇譚には輪廻転生ばかりか、日本でもお馴染みの三途の川も出てきます。『沈香の夢』(『沉香如屑』59話、2022年、中国)では、主人公の顔淡が相手への想いを断ち切れずに、なんと800年間、三途の川でさまようという場面が出てきます。800年間も薄暗い三途の川にいれば、さぞや瘦せ細って・・・いや、心配いりません。顔淡役の楊紫(、ヤン・ズー)は明るく健康的な美人ですから、さらに800年いても大丈夫そうです(写真下)

 

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悪い悪い妖怪が主役を食った

 中国の奇譚は大量生産されていて、当然、玉石混交で、こちらも期待せずに観ます。その中で驚かされたのが『陰陽法師無心』(『无心法20話、2015年、中国)でした。

 たぶん『陰陽法師無心』は最初の20話で終わる予定だった証拠の一つがこの題名で、という続編があるのにという番号がついていません。わかりやすくするために、ここでは最初の作品を『陰陽法師無心Ⅰ』と名付けます。

 

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 評判が良かったので、予定外に続編が制作されたため、3っの話の脈絡に無理があります。なぜなら、評判になって続編を作ることになったのは、主役ではなく脇役の人気だったからです。この物語の主題は、アマゾンのドラマ解説では次のようになっています。

 

「“陰陽”の力を持った不老不死の青年・無心は、百年の眠りから目覚める。時は中華民国の時代。無心を待っていたのは数奇な運命を辿る女性・月牙との出会いと数々の魔物との戦いだった。不老不死の謎を追いながら、やがて来る月牙との悲しい別れを無心は覚悟する。」

 

 説明からもわかるように、主役の無心と恋人の月牙との恋愛が物語の重要な中心だったのに、主役の二人とも影が薄い。

 この二人の主役を食ってしまったのが、岳綺羅(绮罗)という悪い悪い妖怪です。悪い悪い妖怪が人を食うのは普通としても、なぜ主役まで食ってしまったかは、ドラマを観なくても、写真下の悪い悪い妖怪である岳綺羅を見ればすぐにわかります。

 

 

 

 この可愛らしい女の子が、楽しそうに笑いながら人の生命力を奪って殺してしまう悪い悪い妖怪です。この落差を見事に演じる俳優に観客は釘付けになり、私も釘付けにされました。

 写真上下で、岳綺羅がツギハギだらけの服を着ているように、彼女はホームレスの妖怪です。

 

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 街中で行き場をなくして、わずかばかりの持ち物を抱えてたたずむ岳綺羅(写真上)に近づいてきたのが、若手の将校・張顯宗です(写真下)。物語の舞台は1900年前半の中国で、軍閥が戦いを繰り広げ、彼はまだ若いのに司令部參謀長に大出世した野心家で、愛人をたくさん囲い、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。その自信家の彼が、写真上のみすぼらしい少女を見つけて、高飛車に問い詰める場面が写真下です。

 

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 彼は、ボロ布を身に着けた少女への好奇心と侮蔑的な表情を浮かべています。まさか、これが彼の命取りになるとは予想もせず、不用心に声をかけた。彼は物語の後半で岳綺羅に命を捧げることになります。

 写真下は若手の将校が悪い悪い妖怪に憑りつかれる名場面なので、コマ送りでじっくりとご覧ください。普通の奇譚では恐ろしい姿の妖怪が口を開けて襲いかかる場面が、この物語ではこれです。

 

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 将校に声をかけられた岳綺羅は、恐る恐る顔をあげ、張顯宗のほうに少しずつ顔を向けます。彼は人殺しなど虫を殺すくらいにしか思っていない軍人ですから、何されるかわからず、彼女は怯えています。

 岳綺羅がおずおずと顔を上げて目が合った時の張顯宗の表情が写真下で、先ほどまでの相手を見下した侮蔑的な表情が消えて、鳩が豆鉄砲を食らったようです。銃弾で多くの人を殺した彼は、この時、岳綺羅の視線で心臓を射抜かれて即死でした。

 

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 この出会いでは岳綺羅が去ったので、張顯宗は助かるチャンスはありました。ところが、街中で空腹と行く所がなく座り込んでいる彼女を見つけて、やめておけばいいのに、また声をかけた(写真下)

 

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 当然、また同じコマ送りで、今回はパッチワークの帽子が素敵です(写真下)

 

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 写真下の張顯宗を見てください。二度も心臓を射抜かれ、魂を失い、もぬけの殻です。

 

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 張顯宗がお腹をすかせている岳綺羅に粥をおごると、彼女はガツガツと食べます(写真下)。その様子を見ている張顯宗が岳綺羅に少しずつ惹かれていく自分にためらう様子を、顔の表情で見事に演じていて、張顯宗役の張若昀(若昀)が新人だったと思えないほどです

 

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 岳綺羅を演じたのは陳瑶(陈瑶、チェン・ヤオ)で、張顯宗が岳綺羅に心臓を射抜かれて即死したように、私も陳瑶に心臓を射抜かれて即死でした。張顯宗と同様に、ありふれたこの場面を私も不用心に観ていたからです。

 岳綺羅役の陳瑶も張顯宗役の張若昀も、二人とも新人なのに演技がうまい。この物語が縁なのか、この後も二人はいくつかのドラマで恋人役を演じています。

 

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 岳綺羅に魂を抜かれた張顯宗は彼女を連れて帰り、彼女が妖怪としての本性を現して正体がわかった後も、彼女に夢中になります。私は物語のこのあたりから、張顯宗が鼻持ちならない人殺しではなく、根はいい奴かもしれないと思うようになりました。

 

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 重要な点は、妖怪の呪術や魔力で虜になったのではなく、恋愛感情で岳綺羅の虜になったことです。岳綺羅は意図的に張顯宗に憑りついたのではなく、彼のほうが勝手に彼女に惚れ込んでしまっただけです。

 

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 主役の無心と月牙の恋愛が平凡なのに、脇役の岳綺羅張顯宗の恋愛は複雑で、物語を盛り上げています。岳綺羅は同じ妖怪の無心に好意を持ち、人間にすぎない張顯宗には関心がありませんでした。しかし、後半、命まで捧げようとする張顯宗に、冷酷非情な岳綺羅が彼を助けたり、彼が死ぬと涙を流すなど(写真下)、恋愛物語としてはこちらのほうがはるかに盛り上がります。こんなふうに、脇役の悪い悪い妖怪が主役たちを食ってしまった。

 

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小柄?

 私は画面の岳綺羅を見て、演じている陳瑶(チェン・ヤオ)は小柄な、たぶん155cmくらいの女性だろうと思い込んでいました。ところが、写真下などの場面で違和感を覚えました。隣にいる無心を演じた韓東君(韩东)は身長182cmというから、靴底の高さを考えても、彼女が小柄な女性には見えません。

 

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 ネットで調べると、私の推測は大外れで、陳瑶は身長168cmで、これだけでも驚くのに、体重が45kgだという。物語の舞台が寒い時期で、着込んでいたから勘違いしただけで、実際の彼女は背が高く、やせ型で、顔が小さいモデル体型です(写真下)。悪い悪い妖怪にまた騙された。

 

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 岳綺羅は張顯宗の邸宅でぜいたくな衣食住を与えられれば、モデル体型ですから、彼女のファッションショーが始まります(写真下)。この悪い悪い妖怪は主役ばかりか、制作費も食ったらしい。

 

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 写真下など、良く似合っていて、まるで中国のお人形さんです。

 

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 多くの服装の中で岳綺羅にもっとも良く似合うのが赤い服で、写真下の赤ずきんは彼女のトレードマークになりました。

 

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 私がもう一つ陳瑶(チェン・ヤオ)について間違えた推測は年齢です。物語では岳綺羅の年齢は1516歳だから、陳瑶もこの前後と思ったら、違った。彼女は1994年生まれで、撮影をしたのが公開の一年前の2014年なら、写真下の彼女は20歳だった・・・やはり妖怪なんじゃあるまいか、失礼!

 

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中国は吹替が普通

 ファッションショーは第二作の『陰陽法師無心Ⅱ』(『无心法II2017)でもありました。ここで陳瑶(チェン・ヤオ)は男性役でした(写真下)。驚いたことに、彼女が男性のような声でしゃべっている!?

 

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 もちろん声優による吹替(配音)でした。しかも、中国では俳優が声優を使うのは当たり前だという。実際、『陰陽法師無心Ⅱ』に出演している主な役者のほとんどが声優を使った吹替で、中国ではこれが普通です。

 

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 Youtubeで中国ドラマを日本語で紹介しているタピオカ(タピオカスタイル)氏によれば(写真下)、それは、俳優の出身地によって言葉に訛りがある、棒読みなど台詞が下手、後で声を入れるアフレコは俳優の人件費よりも声優のほうが安い、声の質が役柄に合わない、などの理由で声優を使うというのです。例えば、女帝の役なら低くて威圧的な声の声優に吹き替えてもらう。これなら俳優の仕事の幅を増やし、分業で負担を減らすだけでなく、アニメなどでしか活躍できなかった声優たちが大きな役割を持つのだから、面白い方法です。

 

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 2008年に開催された北京オリンピックの開会式で歌った少女が口パクで、しかも流されたのは代役の少女の録音された歌だったことから、大問題になりました。歌った少女はマイクが切られているとは知らず、自分の声が流れていると信じていたようです。

 この話で不思議に思ったのが、口パクを明らかにしたのは開会式の音楽監督だった点で、まるで犯人が自ら犯罪を告白したようなものです。しかし、中国のドラマでは声優による吹替が当たり前という話を聞いて、妙に納得しました。音楽監督は中国の常識をしただけで、それが世界の非常識であることを知らなかったのでしょう。

 

岳綺羅の続き

 『陰陽法師無心』と言えば岳綺羅というくらいに主役を食ってしまった陳瑶(チェン・ヤオ)は、この作品をきっかけに有名になります。彼女は『陰陽法師無心Ⅱ』(『无心法II2017)にも重要な役で出演し、『陰陽法師無心Ⅲ』(『无心法III2020)では無心の恋人役ですから、ついに主役になりました。三作にすべて出演しているのは主人公の無心を演じた韓東君(韩东)と陳瑶だけです。彼女の出世ぶりを見てもわかるように、三作まで作られたのも、一作目での岳綺羅で人気に火が付いたからでしょう。

 ただし、うまくいきませんでした。

 

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 なぜなら『陰陽法師無心Ⅱ』『陰陽法師無心Ⅲ』は失敗作だったからです。無心と岳綺羅の関係の予想外の発展や、意外な過去が暴かれると期待したのに、ほとんど何もありません。

 では岳綺羅である陳瑶が男性役で出てくることに何の必然性があったのか、最後まで観てもわかりません。では岳綺羅は付け足し程度しか出てこない。場面が1930年代の上海なので、悪役の日本人が出てくるのはしかたないとしても、権力闘争や武力抗争ばかりでファンタジーの要素は薄れ、主人公たちの恋愛は曖昧に消滅してしまい、中途半端な作品でした。

 

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 はⅠよりも昔の唐の時代が舞台で、岳綺羅はほぼ関係ない。無心と陳瑶の演じる女性との恋愛物語に重点が置かれているので、ほどひどくはありません。彼女は双子の弟がいて、陳瑶が一人二役で、また男役も演じています。双子が言い合う場面など、陳瑶の演技力はすごい。ただも陳瑶に男装させることに熱心な制作者たちの意図は意味不明で、意外性を狙ったつもりなら失敗、いや失態です。

 

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 このピント外れな続編は、制作者たちが、がなぜ人気があったかという観客の反応を読み取らず、自分の趣味や好みで作ったからでしょう。

 の舞台となった1930年代の上海は、おしゃれできらびやかで退廃的で、当時の日本人からは魔都と呼ばれ、妖怪たちとの相性は抜群の舞台です岳綺羅の魅力は、天使のような無邪気な外見と、魔物のような邪悪さが混在していることで、陳瑶は見事に演じました。1930年代の上海はこの両者を描くのにちょうど良い舞台なのに、制作者たちが力を入れたのはつまらない武力闘争です。

 私がをもっと面白い話に作り変えてあげましょう。

 

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 上海の大金持ちのお嬢様の岳綺羅は、美人で誰にでも好かれるやさしい性格で、立ち振る舞いの上品な深窓の令嬢として上海社交界の花形であり、良家の男子たちから結婚の申し込みが殺到していた(写真上下)。彼女の家庭は明るく幸せで、母親は我が子をいつも周囲に自慢し、父親は一人娘を溺愛していた。

 召使たちはお嬢様の世話をすることに喜びと誇りを持っているのに、奇妙なことに、召使たちが次々と突然辞めてしまい、しかもその後の行方がわからない。その件の調査で無心は大金持ちの豪邸に呼ばれた。

 また誰一人として気が付いていないが、実はその大金持ちの夫婦にはそもそも子供はいなかったし、養女をもらったこともなかった。では、どうして夫婦は彼女を自分たちの娘だと信じているのだろう?なによりも、この美しく清楚なお嬢様はどこのどちら様?

 

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 一方、無心が上海の裏社会を牛耳る悪党どもを追及していくと、邪悪な霊能力を持った大ボスが彼らを背後で支配していることに気が付いた。ついに無心はその大ボスを探し出したつもりが、逆に「お前を待っていたのに、私を覚えていないのか」と暗闇の中から話しかけられた(写真下)。現れた人物の顔を見て、無心は心臓が止まるほど驚いたが、幸い彼は妖怪で、心臓がない(無心)から止まることもなかった。

 

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 は単独の作品なら失敗作ではないが、岳綺羅の三作目なはずです。過去にどんないきさつがあって、岳綺羅が無心に好意をよせるようになったかなど、岳綺羅を主人公にして物語を新たに作るべきなのに、なんと岳綺羅は登場しません。

 無心は百年ごとに記憶をなくすので、自分がいつから存在しているのか、なぜ死なないのか、わからない。このあたりを岳綺羅との過去世での恋愛をからませて謎解きを展開すれば、観客の興味もひき、3作全体で面白い作品になったでしょう。もはや無心さえも主人公ではないのに、制作者たちは全然わかっていなかったから、では主役が出演しないという見事にピント外れ物語を作ってしまった。

 

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岳綺羅のその後

 『陰陽法師無心』のⅡとⅢの失策は、単にこの物語の失敗に留まりませんでした。陳瑶(チェン・ヤオ)はⅠで岳綺羅として人気に火が付き、ⅡとⅢでさらに人気が上昇するはずだったのに、二段目と三段目のロケットの出来が悪く、失速した。

 中国のネットの「捜狐(SOHU.com)」からの記事を和訳すると、彼女のその後について次のような記事があります。

 

「しかし、陳瑶のキャリアは期待通りには進まなかったようだ。演技力と容姿は多くの女性スターに劣らないものの、世間の期待通りの輝きを放ち続けることはできなかった。その後数年間、陳瑶は出演作が少なく、ほとんどが脇役だった。」(2025-06-15)

 

 以下の作品は陳瑶がほぼ主役でしたが、人気にはつながりませんでした。Youtubeで中国のドラマを紹介しているタピオカ氏によれば、陳瑶は「知名度はあるが、人気はイマイチ」(2024年評)だという。

 

『皇帝と私の秘密』(『櫃中美人』34話、2018年、中国)

『陰陽法師無心Ⅲ』(『无心法III28話、2020年、中国)

『探偵麗女』(『少女大人』32話、2020年、中国)

『マイ・ユニコーン・ガール』(『穿盔甲的少女』24話、2020年、中国)

『指尖少年』(20話、2021年、中国)

 

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『少女大人』の主題歌

 陳瑶(チェン・ヤオ)が主役をつとめたこれらの物語の内、観た範囲でいうなら、彼女はどの役もきちんとこなしているが、『陰陽法師無心』の岳綺羅の衝撃に比べると、イマイチと言われてもしかたないでしょう。

 その中で私の印象に残ったのは『探偵麗女』(『少女大人』2020年、中国)で、原題の少女大人とは「お嬢様」くらいの意味だそうです。

 

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 印象に残ったのは、内容よりも主題歌です。物語の冒頭に流れた「是我非我(崔恕作詞、士郎作曲)で、中国語を知らない私が直訳するなら「これは私なのか、私ではないのか」です。

 陳瑶が演じる主人公の蘇瓷(瓷、写真上下)は、無実の罪で処刑された一族のたった一人の生き残りで、彼女は役所に残された資料を調べて一族の無実を晴らそうと、男性になりすまし(また男装!)、今でいえば検察や警察に相当する役所に勤めていました。

 

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 彼女は、気持ちは完全に男性になって困難な道も軽々と乗りこえてきたのに(我从千山走 步履婀娜)、そこに運命の相手が現れると、心は乱れ、以前のしっかりしていた自分が自分だったのか(多年以前 我是)、今の自分が自分なのか、もうわからなくなった(是我非我)、という揺れ動く心を歌っています。

 

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 歌っているのが崔子格で、非常にうまい(写真下)。陳瑶も主人公の揺れ動く心をうまく演じていて、そこに崔子格の歌唱力が主人公の心の葛藤を何倍にも表現しています。よくまあ、こんなにも曲とぴったり合う歌手を見つけたものだと感心します。彼女でなければ歌えない曲かもしれません。

 

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 崔子格はこの物語でもう一曲、「鏡花水月(花水月、作詞・人崔恕、作曲・人王可)を歌っています。出だしから、ため息をつくような彼女の歌い方は、歌詞の意味がわからなくても、いきなり物語の中に引きずり込まれます。歌は「夜明けまで鏡の前で化粧をする(对镜 到天亮)」という歌詞で始まり、蘇瓷が男性として生きて来たことと恋愛感情との葛藤を描写しています。

 映画などでは音楽が重要な役割をするように、この物語でも彼女の歌が全体を引き締めて緊張感をもたらしています。正直なところ、この物語にこれらの曲と崔子格はもったいない気がします。

 

LUYIFEIの二胡

 主題曲(片尾曲)といえば、『永遠の桃花〜三生三世〜』「涼涼」(作詞・刘畅作詞作曲・旋作曲,編曲・)も良かったので、Youtubeで検索しました。様々な人たちが様々な楽器で演奏する中、二胡で演奏しているLUYIFEI (怡菲)の演奏が私の好みに合いました(写真下)

 

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 二胡(erhu、アルフー)は中国の伝統楽器で、中国のバイオリンと呼ばれ、弦を弓で弾くという点では両者は似ています。音色に哀調があり、中国の古い時代を舞台にした映画によく似合います。ただ、現在の二胡と演奏の仕方が出来上がったのはここ百年くらいのようです。

 

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 LUYIFEIの二胡の演奏が気に入ったのは、彼女が必ずしも中国の伝統的な演奏の仕方をしていないからでしょう。これは若手の演奏家に多く、大御所が弾いた二胡よりも、素人の私には聴きやすい。

 Youtubeでの彼女の動画に韓国語が並んでいるから、彼女は韓国人なのかもしれません。子供の頃からガチガチの伝統的な二胡の演奏を教育されていないので、演奏が聴きやすいのでしょう。

 

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 中国奇譚とは関係なしに、皆さんに二胡による演奏でお勧めが「半山聴雨」(半山听雨、半山聽雨、作曲・蘇一)という曲です。うっそうとした樹木に囲まれた山の中で、木々の葉にシトシトと降る雨の音を聴く、という題名そのままの曲で、二胡による演奏が一番合っているように感じます。作曲者が蘇一()かどうか、はっきりしません。彼の作曲なら、まだ若い音楽家ですから、最近の曲です。

 LUYIFEIによるこの曲の演奏は探せませんでした。感情を込めた演奏を得意とする彼女がこの静かな曲をどう表現するか、ぜひ聴いてみたい。

 

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物語に現れた現実の中国社会

 中国奇譚には、人が空を飛び、九尾の狐がいる空想の面だけでなく、現実の中国や中国人の意識が反映されています。中国に限らず、その国の物語に頻繁に登場する言葉や場面があります。中国の場合、それが「皇帝を中心とした階層社会」です。奇譚の多くが現代ではなく、古い時代を舞台としているせいもあるだろうが、絶対君主を中心とした身分社会が頻繁に登場します。

 

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 中国語はニーハオくらいしか知らない私が、最近の中国奇譚を観ているうちに真っ先に覚えたのが「ビーシャ」で、これは皇帝に対する陛下(bìxià)という尊称です。この前後に載せた写真はいずれも奇譚の中に出てくる場面で、どれもが皇帝に臣下たちが表向きは土下座して絶対服従を誓っています。

 

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 この光景は現代の中国そのままです。一部の学者は、毛沢東は新しい中国を作ったのではなく、共産党王朝の初代皇帝にすぎないという主張をしていて、説得力があります。しかも、毛沢東が中国最後の皇帝かと思ったら、どうやら二代目皇帝が現れたらしい。彼のことを毛沢東を目指していると指摘する評論家がいますが、それは間違いで、皇帝を目指しているのです。

 中国には皇帝を生み出しやすい民衆の意識や、文化のようなものがあるのかもしれません。そこだけは日本に輸入しないでほしい。いりません。

 

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ワッショイの語源は万歳

 ここで恒例の私の珍説を披露します。それはお祭りのワッショイという掛け声の語源は中国語だという説です。普通、ワッショイの語源は日本語の「和して背負う」「和一緒」説や、韓国語のワッソ(来た)から来ているとされています。

 私の説は、ワッショイは中国語の万歳()から来ているというものです。中国語の万岁の発音はwànsuìで、日本語で表記すればワンスイです。『皇帝と私の秘密』の一場面で、臣下たちが皇帝を称えて「万歳、万歳、万々歳(、万、万万)!」と叫ぶ場面での「ワンスイ、ワンスイ、ワンワンスイ」が、私の耳には「ワッショイ、ワッショイ、ワンワッショイ」に聞こえます(写真下)

 

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 中国で「万歳(ワンスイ)!」と合唱する習慣が古い時代からあって、日本人がこれを日本に持ち帰り、「ワンスイ ワッスイ ワッショイ」となったのでしょう。

 「和して背負う」「和一緒」と言っても、神輿で背負っているのは和ではなく神様です。韓国語の「来た!来た!」と言っても、神様は前から神社にいて、今は神輿の上にいるのだから、来てくれる必要はありません。それよりも、庶民が神様を担いで、万歳!万歳!と叫ぶなら意味がわかります。その光景は中国の家臣たちが皇帝を礼賛する時と同じです。

 

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白狐と紅狐

 中国の奇譚には狐族があちらこちらに登場します。外見は動物のキツネということになっているが、尻尾の付いたキツネの着ぐるみでは演技ができないので、人間の姿をしています。

 先に紹介した『永遠の桃花』(『三生三世十里桃花』)の主人公の白浅は九尾狐族という狐族の娘で、9つの尾を持つ白い狐という設定です。『三生三世十里桃花』はテレビ版と映画版がほぼ同時期に作られていて、写真下は映画版です。映画版を日本では『ワンス・アポン・ア・タイム 闘神』などと、英語の題名にわざわざ闘神と付け加えました。この題名を付けた人は、この映画を戦闘映画だと勘違いしたらしいが、勘違いで、主題は恋愛です。

 

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 『永遠の桃花』の派生物語に『夢幻の桃花〜三生三世枕上書〜』(『三生三世枕上2020年、中国)があります。主人公の白鳳九を演じるのはディリラバ(迪丽热巴、迪麗熱巴)という美人女優で、写真下左の彫りの深い顔立ちを見てもわかるように、漢族ではなくウイグル族で、中国では大人気です。迪丽热巴とは「愛おしい美人」という意味だそうです・・・そのままだ。写真下右の白髪の男性が相手役の高偉光()で、身長169cmのディリラバが見上げている彼は身長191cmです。

 

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 ディリラバの演じる白鳳九は白浅の姪で狐族です。こちらは赤い狐(紅狐)で、写真下左では尻尾が一本しかないが、本当は写真下右のように9本あります。先が白で、ちょっとおしゃれですね。

 

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 『皇帝と私の秘密(『柜中美人』34話、2018年、中国)では、主人公の一人で、陳瑶が演じる胡飛鸞(飞鸾)は九尾の狐です(写真下)。こちらも紅狐で、尻尾が9本あるはずなのに、1本しかありませんから、これも手抜きです。

 

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中国で狐は嫌われている?

 こんなふうに、私が観た中国奇譚に次々と九尾狐が出てくるのを見て、ようやく、日本の九尾の狐の話は中国から伝わったのだと理解したことを『中国伝奇映画』にも書きました。

 中国では紀元前43世紀に書かれたという『山海経』という本にすでに九尾の狐が載っていることから、昔から縁起の良い神獣として扱われたようです。ただし、下図は後世に描かれたもので、『山海経』にあった絵図は失われています。こちらは手抜きせず、尻尾が9本付いています。

 

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上図 Wikipediaから転載

 

 これだけ中国の奇譚に狐が出てくるし、神獣なのだから、中国では好意的に見られているのだろうと思ったら、そうではないようです。日本と中国で狐に対する見方が違うことを研究者が、「中日“狐狸”不同形象的文化启示」(王敏、2021)と題してネットで解説しています。和訳してみると、『山海経』以後、儒教が浸透するにつれて、中国では狐をここ2千年は危険な魔物扱いにしてきたというのです。

 ただ、それほど中国での狐の印象が悪いのなら、制作されている奇譚でしばしば九尾狐が善玉の主人公になっているのはおかしくありませんか。『永遠の桃花〜三生三世〜』『皇帝と私の秘密』では主人公たちは善玉の九尾狐で、悪玉は人間のほうです。他にも陳瑶だけでも、

『青丘狐伝説』(『青丘狐传说37話、2016年、中国)

『恋狐妖伝』(『狐妖小娘·月36話、2024年、中国)

などの物語で狐を演じていますが、いずれも悪玉ではありません(写真下)。他の奇譚でも、「狐=悪玉」ではなく、人間と同じで、善悪の両方いるという描き方です。

 文献に出てくるような話と庶民一般との感覚の違いでしょう。

 

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お稲荷さん

 私は長年、日本で狐が物語にしばしば登場するのが不思議でした。私は山形市近郊の山の中で生まれたので、色々な野生の動物は見ましたが、キツネは見たことがありません。それなのに、「狐の嫁入り」は日本のあちこちで観光にまでなっていて(写真下)、伝承では狐に化かされたとか、結婚した女性が霊狐だったなど、不思議な出来事をすべて狐のせいにしていることが奇妙でした。

 

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写真上 「石巻日日新聞」( 201771() 1840)から転載

 

 平安時代に鳥羽上皇の寵愛を受けた玉藻前(たまものまえ)が九尾の狐として殺された件など、政治的な権力闘争から武力で勝ったほうが、彼女を中国から来た九尾の狐という邪霊に仕立てることで、自分たちの殺戮を正当化したのでしょう(下図)。彼らは自分の悪業を狐に責任転嫁して醜い殺し合いをした。こんな連中に興味も関心もありませんが、当時、九尾の狐が人間に化けたという荒唐無稽な話が政治の表舞台にも出て来るくらい九尾の狐は良く知られていたことになります。

 

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上図 「東錦昼夜競」(豊原周延)の一部(Wikipediaから転載)

 

 日本の狐でもう一つの不思議は稲荷神社です。日本のあちらこちらに稲荷神社があり、そこには必ず守り神としての狐がいます(写真下)。イナリとは稲がなるという意味だろうから、稲の豊作を祈願する神社なのに、まるで「稲荷=狐」みたいです。稲荷神社に祀られた神様の正式名を知っている日本人はほとんどいないし、私も知りません。大半の日本人は稲荷神社といわれると狐を連想します。

 

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写真上 Wikipediaから転載

 

 錯覚を後押ししているのが稲荷寿司をお稲荷さんと呼ぶことです。お稲荷さんとは稲荷神社の神様ですから、狐ではありません。江戸時代に、米俵に似ているから稲荷寿司と名付けたらしいが、一般にはキツネは油揚げが好きだからと信じられ、きつねウドンやきつねソバにも油揚げが入っています(写真下)

 

関東風の俵型と関西風の三角型 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c2/Udon_%28Kitsune_udon%29_2.jpg/250px-Udon_%28Kitsune_udon%29_2.jpg

写真上 Wikipediaから転載

 

 稲荷神社の狐は、中国の九尾狐が神獣として日本に古い時代に伝わって、神道に取り入れられたもので、これを見慣れた日本人が狐を特別な動物とみなすようになって、様々な伝承が造られたのでしょう。実際、古代に稲荷信仰をしていた秦一族は渡来人であったというから、九尾狐と一緒に日本に輸入されたとみれば、稲荷神社の狐も説明がつきます。稲荷神社の狐は白狐で、『永遠の桃花〜三生三世〜』の主人公も白狐です。

 同様の例が三本足の八咫烏(やたがらす)で、古事記や日本書紀に天照大神の使いとして出てきます。ところが、淮南王の劉安(前179 ~前122年)が編纂させた『淮南子(えなんじ)』には三足烏(さんそくう)が出てきます。

 東アジアの古代では中国から様々な文物が日本に持ち込まれただろうから、その中に九尾狐や三足烏がいてもおかしくありません。九尾狐は日本では稲荷寿司になって、食卓を豊かにしている。日本だけでなく、九尾狐は韓国やベトナムにも伝わりました。そして、韓国の九尾狐は現役で仕事をしています。

 

韓国の九尾狐

 韓国では、九尾狐をクミホと発音するようです。ただ、英語表記だとGumihoです。韓国には、500年くらい前に、九尾狐に愛されたという実在の学者の伝承があって、これを元にして作られた物語の一つが『僕の彼女は九尾狐<クミホ>(16話、2010年、韓国)です。伝承のせいか、主人公の九尾狐は500年間、絵に閉じ込められていたという設定です(写真下)

 

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 きれいな白い尻尾が9つ付いていますから、本物の九尾狐です(写真下左)。写真下右の九尾狐は絵の中に500年間閉じ込められて、500歳をこえているのに顔にはシワ一つなく、二十代で通用しますから、彼女を広告塔にしてクミホ化粧品を「あなたも500歳若返る」と宣伝すれば売れるでしょう。

 

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 この物語は韓国では知られたクミホが主人公である点を除けば、普通の恋愛物語で、気軽に見られます。ところが、次に気軽に観たつもりの韓国奇譚に驚かされました。

 

『ある日、私の家の玄関に滅亡が入ってきた』(16話、2021年、韓国)

 韓国の奇譚で驚いたのが、この奇妙な題名のドラマです。主人公の女性は恋愛で騙され、しかも脳腫瘍で余命100日と宣告され、絶望して「こんな世界滅びろ!」と願ったら、「滅亡」を名乗る男性が「願いを聞いた」と現れることから物語は始まります。

 

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写真上 願いを聞いて夜中に訪ねて来た滅亡

 

 物語では人類を滅亡させるのは恐ろしい姿をした悪魔や魔王なのだろうが、彼は普通の青年の姿で、魔王ではなく滅亡そのもので、礼儀正しくドアをノックして訪問する。また写真下の心臓病で入院している少女が滅亡の彼を創った神様だという!?

 

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写真上 「今回は20歳まで生きられそうもない」と嘆く病床の神様

 

 どうせ軽薄な恋愛物語だろうと軽い気持ちで見始めたら、奇想天外な設定に圧倒されました。

 物語で滅亡の魔王や神様が出てくると、その衣装やメイク、過去の街並や空想の世界のコンピューター・グラフィックスにかなりの費用と時間がかかるのに、滅亡も神様も普通の人の姿だから衣装代は安いし、撮影現場も現代の街や民家だから、制作費が大幅に少なくて済む。設定は支離滅裂でも、きちんとソロバンをはじいているのがすごい。

 中国奇譚の中には制作費50億円とか、歴史物語の衣装一つが2000万円とか、経済大国らしい話があります。2000万円の衣装は、撮影が終わった後、どうするのでしょう?こういう財力任せも芸術には必要なのはわかりますが、発想一つで、安い経費でこれだけの物語を作れることに私はとても感心しました。

 写真下の主人公役のパク・ボヨンは、日本人にも好まれそうな可愛い顔立ちで、亡くなった日本のタレントと似ている・・・これは物語ではないので、比較はやめておきましょう。

 

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幽霊の脇役

 韓国の奇譚で、質の高さに驚かされたのが『ホテルデルーナ~月明かりの恋人~』(16話、2019年、韓国)です。韓国はK-POPなどの芸能を国を挙げて海外に輸出して、経済的な利益だけでなく、外交にも利用しています。北に隣接する同じ朝鮮人の国が核兵器で世界を恫喝する野蛮さに比べて、とても賢いやり方です。

 この芸能外交は沖縄が大先輩です。沖縄にはかつて琉球王朝という独立国家があり、武力ではなく、歌舞音曲つまり芸能で外交をした。薩摩藩に征服された後も半独立を保っていたのに、明治の廃藩置県で完全に独立を失いました。

 

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 『ホテルデルーナ』の主な舞台はソウル市内にあるホテルで、ここには死んでまだあの世に行けない死人しか泊まれません。ホテルの社長は千年以上も生きているというから、幽霊というよりも妖怪で、その彼女と生きた人間の男性との恋愛物語です。おどろおどろしさは少なく、ユーモアもあり、物語全体の作りや設定も面白いが、存在感は、人気者の主役の二人(写真上)ではなく、味のある脇役たちです。

 

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 ホテルの客室長は、生前は格式のある家に嫁いだのに裏切りで殺され、200年前からホテルに勤めています(写真下の女性)。ホテルのバーで500年間働くバーテンダーは、生前は科挙試験に首席で合格したエリート官僚だったのに、小説を書いたことが裏目に出て、失意の人生を送った(写真下の男性)。ですから、社長と同様に二人とも幽霊や妖怪です。

 

 

 二人とも生前に未練や恨みがあるからこのホテルに残っているのに、物語の中ではそんな感情はほとんど出てきません。人生の背景と複雑な感情を露骨に表現するのではなく、俳優たちの表情や目の動き、態度などで、心の内がどうであるかを描写する演技力に優れているからでしょう。

 日本などでは、死者を扱う物語の多くが恨みや憎しみから来る復讐などがテーマになっていて、私は苦手です。この物語はそれらをさらりと流し、笑いや、時には苦笑いに変えていて、とてもうまい。

 

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 優れた脇役たちの中でもさらに光っていたのが、麻姑神を演じたソ・イスクです(写真下)。麻姑神は人間や死者の運命に関わる力を持つが、普段は普通のオバサンです。麻姑神は性格の違う何人もの姉妹がいるという設定で、彼女一人が演じています。

 一人が数人の別人を演じるのだから、性格や言動が重なってしまうはずだと、私は粗探しの意地悪な目で観ていましたが、彼女は見事にそれぞれの性格や癖を演じています。演劇を学び、長年この道で飯を食って来た人のプロの技です。

 

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 主人公である社長を演じたIUは元々俳優ではなく、人気歌手のようです(写真下)。番組は興行的に成功しなければならないから、大人気の彼女が主演してくれることを前提にしてこの物語は企画されたのでしょう。主役の二人も個性があり、演技は下手ではありません。この企画が優れているのは、人気者に頼りながら、まわりを演技力に優れた俳優たちで固めたことです。

 

写真上 主役のIU()とヨ・ジング()

 

 他の奇譚では、主人公の演技があまりに下手なので、調べてみると、人気タレントだったりします。どこの国にも人気に頼る企画はあります。しかし、役者としての才能は凡庸で、演劇を学んだこともない人が演じても、視聴率や興業的に成功しても、ドラマとしては二流です。

 なぜなら、観客は物語の中に入り込めない。私のような単純な人間は、気に入った物語を連続して観ていると、現実よりも空想の世界にはまり込んでしまいます。私だけでない証拠に、空想にすぎないドラマを観て涙を流す人は珍しくありません。ところが、主役などがあまりに下手だと、物語の中に入り込めず、弾き飛ばされて目が覚めてしまう。そういう作品を紹介します。

 

長身美男の大根

 『九尾狐外伝(16話、2004年、韓国)はクミホ(九尾狐)の物語の一つで、ヤクザの抗争みたいに殺し合いの連続で、全員死んで終わりでは私の好みには合わない、と柔らかく言いたいが、内容は紹介する気になれないほどひどい作品です。それでも取り上げたのは、準主役の一人の演技があまりにひどいからです。

 先に弁護しておくと、すべての役者がひどいのではありません。主役のキム・テヒはきちんと役柄をこなしています(写真下左)。北朝鮮の元スパイと似ていると言ったら怒られそうだが、二人とも美人です。

 

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 また、強い個性を発揮しているのが、惚れた相手を振り向かせるためなら、どんな手段も厭わない悪女役のハン・イェスルで、目つきを見てもわかるように、迫力があります(写真下)

 

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 問題は、この彼女が惚れている相手役です。強烈な個性を持つ彼女が惚れるような魅力的な男であるべきなのに、彼は演技が下手。彼は彼女に惚れられ、一方で主役に心を寄せるなど、恋愛の葛藤と苦悩を演じなければならない重要な役目なのに、演じきれない。

 調べてみると、彼は「6人組の男性アイドルグループ「SHINHWA」のメンバー」とあります。つまり、アイドルとして人気があるので、準主役に抜擢され、ビデオの外箱にも主役よりも大きく載った(写真下)

 

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 たいていの物語では主役の男優は背の高いハンサムが当たり前なのだが、長身と美男だけで演技しているのかと皮肉を言いたくなるような作品が目につきます。私は男なので、どうしても女優に甘く、男優に厳しい点数を付けてしまうのを割り引いても、ひどい作品が多い。

 韓国の九尾狐をテーマにした最近のテレビドラマでは、日本でも人気があるという長身美男の主役が「顔だけかな、自慢できるのは」という台詞を言う場面が出てきて、私は「なんだ、自覚があるのか」と思わず画面に向かって返事してしまいました。しかし、ファンから石が飛んでくると恐いので、具体例は前記の古いドラマだけにしておきます。

 

長身でも美男でもない

 長身美男とは正反対で、脇役でも演技力と強い個性で存在感を示す俳優もいます。その一人が、『永遠の桃花〜三生三世〜』の続編とされる運命の桃花~宸汐縁~(『宸汐60話、2018)に出演した李彧(リー・ユー)です。

 外見は写真下で、美男とは言いがたく、身長160cmですから、頭の大きさからいくと八等身とは無縁で、顔を増改築した形跡はなく、中国や日本の街角でいくらでも見かけそうな普通のオジサンで、彼が隣にいても誰も気にしないでしょう。

 

 

 運命の桃花~宸汐縁~では、彼は主人公の育ての親です。桃林で昼間から酒を飲んで居眠りをするグータラ親父で、酒が原因で天宮での医療関係の仕事も辞めることになった。だが、これは彼の表向きの姿で、主人公の養女が魔物を蘇らせる「鍵」の役割をすることを見抜いて、そうならないように彼女を厳しく育てているが、実は溺愛しており、最後は彼女を守るために命を落とします。

 写真下で、隣にいる養女役の倪妮は身長170cmで、養父を見下ろしている。

 

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 飲んだくれなのに、現実を把握しており、養女に愛情があるだけに本当のことを話すわけにもいかず、仕事をやめたのも、彼女を身近に置いて魔物に「鍵」として利用されないようにするためでした。この複雑な役を、180cmが当たり前の男優たちの中で、170cmの娘を相手に、160cmの彼が見事に演じています。

 物語の中では彼は重要な役割ではなく、だから、主な13人の出演者たちの集合写真に彼の姿はありません(写真下)。脇役でさえもない端役で、出演場面も少ないのに、存在感があり、しっかり演じています。写真上の皇帝の前で娘を弁護する場面では、時にはピント外れな主張をまくしたてて、娘を何とか救おうとする父親の必死さが伝わって来ます。

 

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 李彧の出番も多く、個性が発揮されている中国奇譚の一つが『星河長明』(『星河25話、2022年、中国)で、Baiduでの解説では、彼は主な出演者10人の10番目に載っていますから、脇役に滑り込めた。それどころか、写真下の集合写真では、10人のうち左から2番目ですから、重要な脇役で、出演時間も長い。

 

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 彼の役は、王とは血縁の宰相で、表面上は忠誠を誓いながら、実は王位を狙って策略をめぐらし、しかもお金に渋いという、コスカライ悪党全開の男です。写真下の王への媚へつらったニコニコ顔を見てください。

 

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 容姿は良くなく、主人公たちを邪魔する悪者ですから、観客の嫌悪を一身に集めます。現実世界で、彼のように表面を綺麗ごとで取り繕いながら、過剰な欲望や嫉妬から、強者におもね、権力や金銭を得て、根拠のないことで他人を攻撃して自分を正当化し、自己顕示欲を満たそうとする人や、それに成功する人などそれほど珍しくありません。李彧はそれをものすごくわかりやすく演じています。

 だから、こういう人物や俳優に目を向けるのは、かなりのへそ曲がり以外にはいない。

 

 

美人で口直し

 オッサン顔だけでは私もすぐに飽きますので、『星河長明』に出てくる写真下の美人を見てください。写真下左は白露役の彭小苒、写真下右は七海怜役の程小蒙です。似ているので、私は最初、一人二役かと思った。

 

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 こういう顔立ちの典型が最初に紹介した『永遠の桃花〜三生三世〜』で主役の楊冪(ヤン・ミー)です(写真下左)。小顔で、目がパッチリして、鼻筋が通り、口は大きくなく、顎が細い(写真下左)。写真下右の子供時代の彼女は、父親似の美少女だったとわかります。

 

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 今の俳優は顔の増改築など当たり前だろうから、似たような「女優顔」になっても不思議ではありません。しかし、理由はこれだけでなく、食べ物の硬さと関係しているのではないか。

 写真下は15年ほど前、チベット地域に花を探して旅行した時のチベット人の女性たちです。写真下左は麦刈りをしていた人、真ん中は遊牧民、右は道端の売り子で、共通して面長です。これは固い食物をしっかりと噛むので、顎が発達しているからです。

 

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 この旅行で、昼食に入った食堂で、きれいな店員を見かけたので、写真を撮らせてくれと頼みました(写真下)。彼女の種族をたずねると、チベット人だという!?私はこの時まで、チベット人とは面長な種族だと信じ込んでいたので、丸顔で小顔のチベット人を見てビックリしました。

 

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 たぶん、この店員は子供の頃から伝統的なチベットの食事ではなく、現代風の柔らかい食べ物を食べているので、顎がほっそりとした「女優顔」になったのでしょう。

 美人を堪能した後で、もう一度、顎が発達したオッサン顔に戻ります。

 

長身でも美男でもない その2

 李彧(リー・ユー)『沈香の夢』(『沉香如屑』59話、2022年、中国)では善玉の脇役として登場して、短気だが正義感がある役を演じています。しかし、やはり彼が本領を発揮するのは、今世界的に流行しているような「自分ファースト」で、何のためらいもなく悪い事をするような連中の役です。

 陳瑶(チェン・ヤオ)が主演の『皇帝と私の秘密』では、彼は狡猾でずるく、裏表を使い分ける宦官の役をしています。上にへつらい、下に威張り散らし、奸計をめぐらし、私利私欲のためなら、彼に尽くす義理の娘も見捨てるというひどい男を彼は見事に演じています(写真下)。李彧の得意分野です。

 

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 目をひいたのは、彼の養女と二人だけで話をする場面です(写真下)。養女役の梁婧172cmで、身長差は12cmです。

 人間社会はサルやオオカミと同じで上下関係が重要で、それが目の高さにも表れているから、日本では「上から目線」という言葉があります。支配者や権力者が高い所から下々を眺めおろす。日本でも裁判官は高いところから原告や被告を見下ろしています。どうしてあんな威圧的な配置なのでしょう?同じ高さにすれば、裁判官の錯覚が減ることで、冤罪は減るかもしれません。

 目の高さが上下関係を表すことを頭に入れて、二人の場面を観てみましょう。

 

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 この場面では写真下のように、父親が養女を見上げ、娘は父親を見下ろしています。私はこの場面は、制作者たちがわざと身長差を際立たせ、観ている人たちが悪役の父親に嫌悪をいだくようにしているのではないかと思いました。

 

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 それがもっとはっきり出ているのが写真下です。父親の冷酷な態度に怒った養女が、堪忍袋の緒が切れて、父親を突き飛ばす場面です。172cmの彼女が160cmの彼を突き飛ばすのだから、たぶん実際に1m以上も飛ばされています。

 

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 自分ファーストを絵に描いたようなダサイ男が女から突き飛ばされるのを、観客は当然の報いとして溜飲を下げるでしょう。だが、私はこの場面を笑う気にはなりませんでした。養女の苦しみに同情したからではなく、制作者が李彧の背の低さなど容姿の欠点を使って、観客の同調や笑いを取ろうとしているように見えるからです。

 最初から意図して、背の高い女優を養女役に選んで、二人だけの場面を設定して、彼女を座らせず、立ったまま話をさせ、カメラの位置を変えることで、身長差を強調し、最後は「娘にさえ突き飛ばされる男」というミジメな姿を見せた。

 

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 私がこういう見方をするのは、小柄な男のヒガミかもしれません。一方、写真上のように、いつも笑っているように見える李彧の顔を見ると、彼は制作者たちの意図や差別的な意識など見抜いており、自分の容姿を逆手に、憎まれ役やドツカレ役を演じることに、役者としての誇りを持っているのではないかと思わせます。長身の美男美女が大量にいる中国の芸能界では、彼のような存在はむしろ生き残る方法かもしれません。

 

結末がお粗末

 物語の結末は「後味」に影響するからとても重要なのに、最近の中国奇譚で結末を素晴らしいと褒められるような作品は少数です。最初に紹介した『永遠の桃花〜三生三世〜』も本編はあれだけ切れの良い作品なのに、結末との落差は大きく、私は準備していた涙も引っ込んだ。

 もしかしたら、物語の制作を始めた段階では結末は考えず、ひたすらハラハラドキドキで物語を引き延ばし、ついに予算もアイデアも尽きて、視聴率も取れなくなると、悪者を全部殺して、主人公たちを全員幸せにして、いきなり終了?昔の中国の旅客機は着陸が荒っぽいと言われたが、あれに似ています。

 

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 人気が出て長く作りすぎて駄作になったのが、アメリカのテレビドラマでThe Flash(184話、20142023年、米)というSFがあります(写真上)。アメリカ人の大好きなスーパーヒーロー物で、高い評価を得て人気が出て、約10年にわたり9シーズン184話まで引き延ばされました。最後の数シーズンはネタが尽きて、同じような話の繰り返しになり、競争の激しいアメリカで、よくあんな水で薄めた作品で視聴率がとれるものだと驚きました。中国奇譚も人気が出て視聴率が取れると少しでも長く作ろうとするから、話が煩雑になり、着地点を見失ってしまうのでしょう。

 これに対してBattlestar Galactica(76話、2003年~、米)というSFは最初から4つのシーズンで終わりにすることを前提にして作られたので、無駄がなく、緊張感のある作品で、76話が短く感じました(写真下)。戦闘モノや殺し合いは嫌いだが、私が観たSFの中では3本指に入る作品です。こういう潔さも制作者にはあったほうがいい。

 

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 結末がお粗末に感じるのは、主役たちは愛を成就して幸せになり、悪人どもは滅ぶという子供っぽい単純な話だからです。

 中国の昔の奇譚の結末はハッピーエンドではありませんでした。中国奇譚の源流とも言える『聊斎志異』の中の『聶小倩』は何度も映画化され、『倩女幽魂』(チャイニーズ・ゴースト・ストーリー1987年、香港)は日本でも有名になりました(写真下)『倩女幽魂』はハッピーエンドではありません。同じく中国で有名な奇譚に白蛇伝があります。白蛇の白素貞(白娘娘)と人間の若者との恋愛物語で、元の物語では彼女は塔に閉じ込められて終わっています。

 

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 中国の伝統的な奇譚は二人は結ばれないという結末が多く、二十年くらい前までのテレビや映画の奇譚の多くがこれを踏襲していました。

 時代は変わり、人々が求めるのは現実の人間や人生への洞察ではなく、白雪姫やシンデレラの話のように、単純な勧善懲悪と、二人は永遠の愛で結ばれて幸せに暮らしましたとさ、という軽い物語なのでしょう。白蛇伝も、最近作られた『妖魔廻戦 ~白蛇伝~(『白蛇:情劫』2021年、中国)では悲恋ではなく、生まれ変わった男性と再会するという場面で終わっています。

 だが、食べ物は甘さだけでなく、塩辛さ、苦み、酸っぱさなど、様々な味が混ざっているから、おいしいのであって、ケーキもただ甘ければいいというものではありません。

 

無心の結末

 今の中国の奇譚にしては珍しく、『陰陽法師無心』『陰陽法師無心はハッピーエンドではありません。Ⅰでは、無心は愛する人と結婚できたのに、妻は悪い悪い妖怪に殺され、彼女はⅡやⅢの続編でも登場しませんから、永遠の別れです(写真下)。無心の幸せな時間は短く、前と同じ独りに戻った。

 

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 Ⅱでは、無心は好きな彼女の幸せのために、彼女を半ば騙してアメリカ往きの船に乗せて別れます(写真下)。彼女もⅢでは登場しませんから、また永遠の別れです。Ⅱは駄作だと書いた私は、この結末だけはほめます。

 

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 も、主人公の無心はまた独りになり、死ぬこともできず、さまよい生きていくという苦い結末で、そこに昔の中国奇譚に良く出てくる虚無感が漂っていて、Ⅱなど軽くて浮きそうな物語に重みを付けていました。

 とⅡの結末が良かったので、『陰陽法師無心にも期待しました。紆余曲折を経て無心は愛する人を得たが、無心は若いまま死なない妖怪で、妻は人間です。妻役の陳瑶(チェン・ヤオ)が顔にシワのある老婆を演じて、彼の腕の中で死に、別れが来ました(写真下)

 

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 永遠の別れにⅢをほめようとしたら、なんと、その後で妻は生まれ変わり、若々しい姿で無心と再会するという場面で終わっていました。しかも、岳綺羅のシンボルである赤ずきんの姿です(写真下左)。彼は妻に勧められて、彼女の死後に忘却の薬を飲んで、妻のことは忘れたことになっています。つまり、写真下の場面は初対面の美人と会ってニッコリと笑っているのですから、彼の笑いは単に男のスケベ心です。

 どうしても再会させたいなら、無心は忘却の薬を飲まないまま、愛する人を失って二十年近くもさまよい、輪廻をこえた彼女とようやく再会し、驚愕し、歓喜し、号泣するという陳腐な場面のほうがまだマシだったのではないか。写真下の場面を作った監督も脚本家も、二日前にいれたコーヒーみたいな結末に満足したらしい。

 

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 次のような結末はどうでしょう。無心は愛する妻を亡くした後、彼女を忘れることも、忘却の薬を飲むこともできず、苦しんでいる。街角で赤い頭巾をかぶった彼女に似た後ろ姿を見かけて声をかけるが、もちろん別人。失意と悲嘆の中、彼は前と同じように放浪の旅に出て、雪の中をさまよう彼の姿で物語は終わる(写真下)。こんなふうに、無心は繰り返し愛する人を失い、また一人で孤独の中で漂泊し、生きていくという話で終わりにすれば、後味はコーヒーのように苦いが深味のある作品となったでしょう。

 

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 無心を演じた韓東君(写真下左)を見て、日本のタレント(写真下右)を連想しました。韓東君は外見だけでなく、性格的にもこの物語の無心に向かない。

 物語の無心は、愛する人をいつも失い、自分が死なないことに悩み、死ぬ方法を探して漂泊しているという設定です。しかし、韓東君は筋肉ムキムキの明るい都会的な青年の雰囲気で、演じ方も、悩みを抱えたまま擦れきれたような深刻さはありません。3作ともに愛する人を失う重要な場面では、新人なのを割り引いても演技が下手で、本気で泣いているように見えないから、観客はなおさら泣けない。写真上の雪道を歩く場面も、過去をひきずり、虚無感を漂わせ、孤独を背負いながらさまよっているのではなく、元気に雪山を登山しているように見えます。

 

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シンデレラと白雪姫

 私が『陰陽法師無心を気に入った理由の一つが、主人公の無心はただの妖怪だという点です。本人は自分の生まれも素性もわからず、百年ごとに記憶をなくし、目的もなくずっと生きているという設定です。

 これに対して、例えば『永遠の桃花〜三生三世〜』の主人公の白浅は狐族の王族で、男性の夜華も天族の皇帝の孫です。二作目の運命の桃花~宸汐縁~の主人公の男性は天族の軍神で、三作目の『夢幻の桃花〜三生三世枕上書〜』の主人公の女性は狐族の王族で後に女王、男性は天族の古代神です。

 主人公たちの大半が高貴な身分ですから白雪姫型の物語か、女性が平凡でも男性は身分が高いシンデレラ型の玉の輿か、たいていどちらかです。他にも、『沈香の夢』(『沉香如屑』59話、2022年、中国)の主人公は花の精にすぎないが、男性は天帝の甥ですから、シンデレラ型の物語です(写真下)。現代の中国奇譚の大半がこのどちらかです。

 世間的には、特に女性には白雪姫やシンデレラに見られる白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるという物語が受けるからでしょう。だから、奇譚の主人公たちの多くが身分が高く、実力もあり、尊敬を受ける人物です。

 

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 一方、『陰陽法師無心の無心は、悪い妖怪をやっつける正義の味方だが、社会的には英雄として尊敬されることもなく、呪術師や祈祷師にすぎない。相手役の女性たちも高い身分ではありません。これはむしろ、中国の昔からの奇譚に近い。

 聊斎志異の『聶小倩』を元にした映画『倩女幽魂(1987年、香港)の主人公の男性はただの書生で、権力も金力も腕力もない気の弱い青年です。主人公の女性は妖怪に支配されている幽霊ですから、ここには白雪姫もシンデレラもいません。白雪姫やシンデレラのように、愛と権力と地位と富など、欲望をすべて満たす結末ではなく、たった一つの愛さえも成就しない物語です。

 無心も、富も権力も名声もなく、世間的には平凡な人間にすぎず、年をとらないから、愛する人をいつも失う悲劇を繰り返す。現実世界で大半の一般庶民は無心のように富も権力も名声もなく、愛する者をなかなか得られず、得られても必ず別れが来ます。同じ奇譚でも、白雪姫やシンデレラ型の『永遠の桃花〜三生三世〜』『沈香の夢』などよりも、何一つ得られない平凡な無心のほうが現実の私たちに近いので共感を覚えます。

 

現実逃避

 私が奇譚が好きな理由は現実逃避でしょう。現実世界では、民主的に選ばれたというプーチン大統領はウクライナの人々を虐殺し、民主的に選ばれたネタニヤフ首相はガザの住民の大量殺戮をしている。

 プーチン大統領によれば、ロシアとウクライナは同じ民族だから、ウクライナはロシアの領土だという。そんな屁理屈が正しいなら、ロシアはウクライナの領土だという逆も成り立つのだから、ロシアがウクライナの属国になってはどうか。

 

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 イスラエルが食料供給を断つという残虐非道なことをして餓死者まで出ているガザで、餓えた人たちを食べ物や飲み水を配るからと集めておいて、そこをイスラエルが攻撃して女子供も容赦なく殺戮する。この殺戮を手伝うアメリカが作った組織名が「ガザ人道財団(Gaza Humanitarian Foundation)」??!!これのどこが「人道」なのだ?腐った卵を投げつけてやりたいくらいの、悪質なブラックジョークです。

 

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 戦争とはいえ、ネタニヤフ首相はよくここまでひどいことができるものだということを毎日のようにしています。目的はあまりに露骨で、異教徒のパレスチナ人をガザから追い出すか、それがダメなら一人残らず殺戮して、ユダヤ人だけの国の領土にしたいというのだから、ナチスのユダヤ人大虐殺と同じ発想、同じ手法です。

 しかも、この大量虐殺を世界は誰も止められないばかりか、アメリカはじめ民主国家がイスラエルに武器を供与して大虐殺を応援している!

 李彧の演じる二枚舌の悪役でも、ここまでひどくありません。奇譚に出て来る悪い妖怪も、現実のこれらの人間に比べたら小物です。

 

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 妖怪の大悪党どもが正義面をして悪業の限りを尽くす、悪夢のようなひどい物語のスイッチを切って、観るのを終わりにしたいのに、それができない。これが私のいる現実世界です。

 だから私は時々現実の世界から逃避して、少しは知性や良識のある奇譚の世界で遊ぶことにしています。十里桃花の下に寝そべったつもりで、画面に映る美人の白浅と一緒に酒でも飲むか・・・だめだ、オレ酒が飲めない。

 

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