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蔵王のシラネアオイ その1

2017

 

 

 シラネアオイを見るために、梅雨に入る前の201766日、南蔵王の不忘山に登りました。

 

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 昨年は蔵王連峰の中央部から南下する縦走ルートを不忘山まで往復しました。昨年は、写真下の赤で示された「現在地」から、左方向に進み、左側にある不忘山までの往復15kmほどでした。そこで今回の別ルートで行くことにしました。

 

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 不忘山には南側からのルートもあり、それが写真下の看板です。写真上と下はほぼ同じ絵で、写真下の赤で示された「現在位置」の硯石から右方向に登ると最初の山が不忘山です。不忘山に登るにはこちらのほうが距離が半分ほどですから、楽に見えます。ただし4.0kmの間に1000mも登るのは私の体力ではかなり大変です。

 

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 山形市から登山口の硯石までは、いつもの蔵王のルートと違い、南に迂回するので、山形市内から一時間半ほどかかります。

 

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 八時少し前に硯石の登山口に到着。ここは前はキャンプ場があったというわりには駐車場もないので、道の脇に停めるしかない。車が一台しかなく、登山客が少ないのを私は喜んだのですが、後でヌカ喜びだと知りました()

 

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 下の地図の朱線が今日の往復のルートで、南屏風岳まで線が引いてありますが、実際はその手前までしか行っていません。

 

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 道は標高700mから始まり、最初はわりと楽です(7:56)

 

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 二日前は嵐のような激しい雨が降っていたので、新緑の葉が引きちぎられ、地面に叩き落されています(写真下)

 

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 嵐が過ぎ去った後なので青空も見えて気持ちが良い(写真下)

 

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初夏の花

 道端には春の終わりから初夏にかけての花が咲いています。写真下はいずれも低い山でも見られる花です。

 

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写真上 ギンラン(銀蘭)

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写真上左 チゴユリ(稚児百合)、写真上右 ユキザサ(雪笹)

 

 写真下は低地の山では春先に見られるショウジョウバカマです。低地の山のもっとピンク色が濃いのに、ここのは色が地味。

 

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写真上 ショウジョウバカマ(猩々袴)

 

 高い樹木が減り、地面まで日差しが届くあたりから、きれいなピンク色のツヅシが見られるようになりました(写真下)。ムラサキヤシオツツジと、名前に紫がついているが、私の目には紫ではなくきれいな桃色に見える。

 

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写真上下 ムラサキヤシオツツジ(紫八汐躑躅)

 

 ところが、ネット上の解説を読むと、花の色を「赤紫」と表現しています。私の目にはこれが赤紫には見えない。名前の由来は紫の染料に何度も染め上げたという意味らしいが、紫は何度染めても紫であって、ピンクにはならない。パソコンのモニターに映った花の色は、実際に私の目で見た色にかなり近い。皆さんは何色に見えますか?

 

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 写真下のオオカメノキの白い花弁のように見えているのは実はオシベもメシベもない装飾花です。真ん中の本当の花の部分はまだ開いていません。虫を呼び寄せるためなら咲く時期が違うというのは変ではあるまいか。写真下左の標高1000mくらいの葉が緑なのに、写真下右の1600mくらいの葉と色が違う。

 

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写真上 オオカメノキ(大亀の木)

 

 写真下は開花前のツクバネソウです。開花しても、花とはわからないような小さな緑色の花を咲かせます。これも高山植物というよりも、全国の山野に分布する植物です。

 

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写真上 ツクバネソウ(衝羽根草)

 

 標高千メートルくらいまで林の山道で良く目に付いたのだか、写真下のスミレです。

 

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ナガハシスミレ(長嘴菫)

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 花の特徴は、名前どおり、見てのとおりで、後ろに角が突き出ています。この角のことを「距(きょ)spur」というようです。スミレの仲間でこれだけ「距」が長いのは少ないので、同定が簡単です。

 

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 スミレの花の構造の解説を読むと、「距」は蜜の貯蔵庫らしく、虫が蜜を吸おうと「距」を動かすと、葯(やく)の花粉が虫に着くという仕組みです。少しでも多くの蜜を出して虫を誘おうと「距」を発達させたらしい。

 

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 ナガハシスミレは低地の山にも生えていますから、高山植物とはいえません。北海道から本州の日本海側に分布しているのに、なぜか四国にもある。日本海側から四国まで種が飛んだとは考えられないから、氷河期の衰退で残ったということでしょうか。

 

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 写真下はたぶんタテヤマリンドウで、もう少し低い地域に咲くハルリンドウの高山版です。

 

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写真上下 タテヤマリンドウ(立山竜胆)

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 このあたりの高山植物の定番のようなイワカガミとミツバオウレンは今回は数が少ない(写真下)

 

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写真上 イワカガミ(岩鏡)

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写真上 ミツバオウレン(三葉黄蓮)

 

岩場を進む

 高い樹木が消えて岩場になると、岩場に適した植物が見られます。

 

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写真上 ニガイチゴ(苦苺)

 

 写真下がイワキンバイなのかミヤマキンバイなのか、良くわかりません。この標高では両方とも可能性があるので、安易にイワキンバイということにしておきます()

 

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写真上 イワキンバイ(岩金梅)

 

 岩場が続きます。硯石から登る人は少数なので、道はそれほどはっきりしないが、印がついているので、迷うことはありません(写真下右)

 

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 「ガンバレ」と岩に書いてある(写真下右)。私も四十年前に聴いた歌を唄う()

 

ガンバレみんなガンバレ 月が流れて東へ西へ

(『東に西に』作詞作曲 井上陽水、1972)

 

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 山頂から少し手前で、白石スキー場からの登山道と合流します(写真下)。登山客の多くが白石スキー場から登るのでここから先は登山者が急に増えます。

 

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 数はかなり少ないが、シャクナゲが咲き始めています。

 

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写真上 アズマシャクナゲ(東石楠花)

 

 写真下は見事な枝ぶりの桜で、このまま盆栽になりそうです。タカネザクラはミネザクラとも呼ばれます。

 

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写真上 タカネザクラ(高嶺桜)

 

 

団体さん!

 ほぼ四時間で不忘山の山頂に到着(12:07)。雲はあるがまあまあの天気です。

 

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 時間もちょうど良いのでここで昼食を・・・と周囲を見渡すと、人がたくさんいるので、やめました(写真下)

 

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 目的のお花畑はここからもう少し北に進んだガレ場のあたりなので、私はそこで食事をするつもりで降りていきました。すると、その道の向こうに予想もしなかった光景に出くわしました。

 

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 目測で4050人の団体の登山客です(写真上下)。中高年の登山がブームだというから、どこかの旅行会社が企画したのでしょう。ここは南蔵王の縦走ルートとはいいながら、南の端なので、まさか団体さんと遭遇するとは予想しませんでした。

 

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 反対側の山を下りてくる時から、人の話し声や熊鈴の音の「騒音」がかなりすごい。これなら熊鈴はいらないような気がする()。山頂に人が多いだけでもがっかりしていたところに、この団体さんとの遭遇にはショックを受けました()。登山日は休日を外し、人の少ない日を選んだつもりでも、この時期は無理なんでしょう。

 

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 登山道ですから、人がすれ違うのも難しく、ゆっくりと花を撮っていられる雰囲気ではありません。私は、不忘山への急な坂道を登って行く彼らを見送るまで撮影を待つことにしました(写真下)

 

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サクラソウ

 団体さんが去って、驚くほど静かになったところで撮影を再開です。

 

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写真上下 ユキワリコザクラ(雪割小桜)

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 山道のあちこちにユキワリコザクラが咲いていて、被写体を選ぶのに迷うほどです。

 

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 写真を撮っていると、女性二人組の登山客がこのサクラソウを「ユキワリソウって言うんだって」と言いながら私の脇を通過して行きました。ユキワリコザクラとユキワリソウでは名前が紛らわしいだけでなく、同じサクラソウだから区別はつきにくい。

 

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 サクラソウはポツンと一つだけ咲いているよりも、こんなふうに群れて咲く方がきれいに見えます。花がにぎやかなのは好きだが、人間がにぎやかなのは苦手()

 

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 色の薄い花ややや紫の強い花が少し見られます(写真下)。やはりピンクが濃いほうが可愛らしく見える。

 

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シラネアオイ

 目的のシラネアオイがありました。不忘山の山頂の少し前から見られましたが、北側のほうが多い。

 

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写真上下 シラネアオイ(白根葵)

 

 私が登る数日前に不忘山に登った人がヤマレコにシラネアオイが咲いているのを載せていて、それで登山日を決めました。しかし、残念ながら、その人が撮った見事なシラネアオイはその後の嵐でやられたらしく、私が見た時にはヨレヨレの状態で残っていました。

 

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 シラネアオイの花の色は一般には薄紫ですが、写真下などやや紫が薄く、ピンク色のようにも見えます。私は見たことがありませんが、真っ白もあるそうです。

 

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 写真下は同じ花で、陽が当たった時とそうでない時の写真です。

 

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 シラネアオイは一属一種の日本の固有種で、日本の中部から北海道に分布します。一属一種ということは、他の仲間が絶滅したことを意味します。シラネアオイ属が生まれたのが約7500万年前で、日本列島が大陸から分離したのが約2500万年前と言われています。大陸に残った仲間はすべて絶滅し、日本列島に一緒に来たかもしれない他の仲間も絶滅し、シラネアオイだけが生き残った。

 

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 シラネアオイは山形では山地や亜高山地帯に生える植物でした。数十年前は、車で行けるような標高数百メートルくらいの山の中に咲いていました。しかし、花が大きく、きれいなので乱獲され、今ではこういう高山や亜高山に来ないと見られなくなりました。

 

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 最近はあちらこちらでシラネアオイを売り物にした植物園ができて、花そのものは簡単に見ることもできます。手をかけて育てているから、野生に比べたら生育も良く、群落しており、花の色も白から濃い紫まで見られます。しかし、単に種としての花を残せば良いというものではなく、環境を含めた自然のままの山野草こそが価値があります。

 

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 シラネアオイは暑さに弱く神経質な植物ですので、くれぐれも採取しようとか、自分の庭で育てようなんて考えないでください。広大な山林でも持っているならともかく、普通の人の「ウサギ小屋」では栽培は無理です。

 

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 山野草として売られていても、買わないでください。「山野草の育て方」なんてテレビ番組があるのは本当に腹立たしい。世の中には種から育てるような良心的な業者だけではなく、商売として成り立つとわかったら、盗掘する人たちが出てくるのはあまりに当たり前です。わざわざ山野草を減らすために番組を作っているようなものです。

 

 

ハクサンイチゲ

 今日はシラネアオイを狙って来たのですが、ハクサンイチゲ(白山一花)もなかなかすごい(写真下)

 

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写真上下 ハクサンイチゲ(白山一花)

 

 道の両側に花壇にようになって咲いています。花の雰囲気からいうと最盛期でしょう。

 

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 人の立ち入れない斜面にも群生しています(写真下)

 

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 写真下で、向こうに見えるのは不忘山の北側にある南屏風岳や屏風岳などで、斜面にだいぶん雪が残っています。

 

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 写真下の尖がった山が不忘山です。見るからに登るのはきつそうで、実際にきつい。

 

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 ハクサンイチゲは中部地方から北の高山地帯に普通に生えていて、典型的な高山植物です。

 

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 ハクサンイチゲは「一花」という名前のわりには、花はたくさんついています。同じキンポウゲの仲間ではアズマイチゲ、キクザキイチゲなど、名前どおりに花が一つしかないのに、ハクサンイチゲはたいてい三つくらい花が付いていますから、名前と実際が合わない。

 

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 目的のシラネアオイも撮り終えて、来た道を引き返し、山を下ります(14:25)。帰り道はいつも長く、下り坂だけなのに疲れる。出発地点の硯石に戻るまで誰とも会わず、硯石には私の車だけがポツンと残っていました(17:24)

 

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借金と放射能、そして戦争

 帰り道、不忘山の南側にある不忘平和記念公園に立ち寄りました。201582日に作られたばかりの公園です。公園の北側には不忘山が見えます(写真下右)

(http://www.mod.go.jp/rdb/tohoku/topics/270802_fubouheiwakinennkouenn/page.html)

 

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 第二次世界大戦中に日本に空爆に来た米軍機が不忘山に三機墜落し、乗組員は全員死亡しました。その慰霊と平和を祈るために作られた公園です。公園の石碑には不忘山に墜落したパイロットの名前と、この公園を作った主旨と賛同者たちの名前が記載されています。

 今日の登山道の途中(写真下左)と頂上付近(写真下右)の二カ所に墜落現場として石碑が立っていました。

 

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 日本を空襲した米軍を慰霊する必要があるのか、という批判があるものの、こういう戦争の記録は残すべきで、また敵味方など関係なしに慰霊するのは良いと思います。

 気になるのが、ほぼ中央に置かれた石碑に刻まれた面々です。この石には、当時のケネディ大使の文章で、

「平和と友情をもたらすために、一人一人が何をできるのか自分に問いかける事を望みます。」

とあります。その下に名前を連ねている人たちはこの主張に賛同しているのでしょう(写真下)

 

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 名前を見ればわかるように、ケネディ氏を除き、伊藤宗一郎氏から安藤俊威氏まですべて自民党の政治家です。自民党が平和と友情のために「何ができるのか」と実行した政策が安保法案、武器輸出三原則の撤廃、秘密保護法、防衛費の増大です。

 

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 安保法案は海外でも自衛隊が戦闘行為ができるようにした法律で、多くの憲法学者が違憲だと批判した法案です。武器輸出三原則を撤廃したので、日本の優秀な武器を海外に売れるようになり、20177月には幕張メッセで武器見本市が行われました。二年前にも横浜で行われましたから、自民党政権になってから二度目です。日本の防衛予算は世界でも8(2016)で、けっして海外にひけをとらない「軍事大国」です。しかも、防衛省の研究助成費を2016年度の6億円から2017年度に一気に110億円、つまり18倍になりました。

 

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 これが彼らが「平和と友情をもたらすために」したことらしい。私の目には、彼らの口先と実際にしていることの間に大きな違いがあるどころか、正反対のことをしているように見えます。日本が海外でも戦闘できるようにするだけでなく、防衛装備移転などと表現を曖昧にして、わざわざ「武器商人」まで始めることが平和と友情をもたらすのだろうか?

 

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 驚くのは、こういう議員たちではなく、これを国民の多くが支持していることです。この国を七十年以上にわたり、戦闘行為による死者を出さなかった(正確には一人戦死している)という大きな成果をあげている憲法九条を、骨抜きにしようとしている政治家や政府を多くの国民が支持している。

 

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 私はいわゆる無党派層で、特定の政党の支持はしていません。私の若い頃の言葉でいえば「ノンポリ」で、今も正直なところ、政治には関わりたくない。しかし、人生の後半にいる者として、子孫に国債という莫大な借金と、原発という放射能と、そして戦争という遺産を相続させるのが本当に正しいのか疑問に思っています。

 

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 この半世紀ほど、日本人は平和ボケと言われるほど戦争とは無縁の生活を送ってきました。これらを享受できたのは、これ以前の人たちの犠牲や努力があったからで、言ってみれば私の世代は良い遺産をもらった。だが、自分が子孫に手渡す段階になって日本を見ると、借金と放射能、そして戦争という、私が子孫なら受け取りたくないような遺産を渡すことになりそうです。

 平和ボケが悪いことなのでしょうか?いつの間にか、平和ボケも終わりにしたい人たちが多数を占めるようになってしまったようで、私は強い違和感を覚えるのです。

 

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