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月山にコマクサ?

 

 「月山にコマクサ?」と聞いても、山形県に住んでいる山好きな人以外は何が変なのかわらないのでしょう。ものすごく変なのです。山形県ではコマクサは蔵王にあっても、月山にはありません。ところが、あるというのです。人間が種をまいたらしい。それはマズイでしょう。しかも月山では保護しているらしい。それはもっとマズイでしょう。

 

 

 

コマクサを探しに月山へ

 コマクサは高山植物の女王と呼ばれるほどです。女王ではなく、お姫様くらいのイメージのような気がします。

 

「美しい花と、常に砂礫が動き、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育することから「高山植物の女王」と呼ばれている。」(ウィキペディア)

 

 前から月山にコマクサがあるらしいという話は聞いていました。私が歩くような一般的な登山道では見たことがないし、具体的にどこにあるのかわかりませんでした。高山植物の保護のために、具体的な場所を書かないのは当然です。しかし、外部から持ち込まれたコマクサは、高山植物でも女王でも保護するべき対象ではありません。

 月山山頂にあるというコマクサの確認のために、2022728日に月山に登りました。普段は花の多い姥ケ岳経由が多いのですが、今回は山頂に用があるので、牛首下分岐を往復しました。

 

(月山ビジターセンターのホームページから転載)

 

 学校が休みになっていることもあり、平日なのに山は人が多い。

 

 

 

 月山は夏スキーが有名です。ただこの時期はさすがに雪が少なく、スキーをしている人もいません。

 

 

 

 コバイケイソウは青空にも雪にも似合う(写真下)

 

 

写真上 コバイケイソウ(小梅蕙草、Veratrum stamineum)

 

 チングルマはこの時期、他の山では終わりかけているのに、まだ花を咲かせています(写真下)

 

 

写真上 チングルマ(珍車、Geum pentapetalum)

 

 山頂のコマクサという目的があるのだから、今回は他の花は後回しにしようと固く決心したはずの私は、見るとやっぱり撮ってしまう()

 

 

写真上左 ニッコウキスゲ(日光黄萓)、ゼンテイカ(禅庭花、Hemerocallis dumortieri C.Morren var. esculenta)

写真上右 ヒナザクラ(雛桜、Primula nipponica)

 

写真上左 ミヤマリンドウ(深山竜胆、Gentiana nipponica)

写真上右 ハクセンナズナ(白鮮薺、Macropodium pterospermum)

 

 月山のナンブタカネアザミは、いつもオオマルハナバチが蜜を吸っているのが見られる(写真下左)

 

 

写真上左 ナンブタカネアザミ(南部高嶺薊、Cirsium nambuense)

写真上右 ウサギギク(兎菊、Arnica unalascensis var. tschonoskyi)

 

写真上 ミヤマアキノキリンソウ(深山秋の麒麟草、コガネギク、Solidago virgaurea subsp. Leiocarpa)

 

 花の判断は出版されたばかりの『鳥海山・月山の植物』を参考にしました。この本でも、月山のコマクサは「自生のものではない」(58ページ)と断りが付いています。

 

写真上 『鳥海山・月山の植物』高山文夫、2022

 

 

山頂のコマクサ

 コマクサの生息地は、月山神社のある月山山頂から西側斜面のガレ場を少し下りた所です。

 

 

 

 この斜面は登山客が食事などを取る場所で、私が行った時も、たくさんの登山客が休息中でした。写真上にもその登山客の姿が小さく写っています。そのすぐ下に、写真下のようにロープが張られ、立ち入り禁止になっています。月山では植物保護のために山道以外に立ち入らないようにロープがあちらこちらに張られていますから、これ自体は珍しいことではありません。しかし、コマクサはこの直後から生えているので、まるでコマクサを保護しているかのような印象です(写真下)

 

 

 その「保護」のかいあってか、ロープから下にはコマクサがたくさん生えています。写真下のガレ場に緑色に見えるのはすべてコマクサです。

 

 

 

 少し季節が遅く、開花のピークはすぎていても、とてもきれいです。まるで人類が来る前から、ここにずっと生えているような涼しい顔をして咲いています()

 

 

 花は薄ピンク色で、遺伝子を調べてみなくても、おそらくは蔵王から持ち込まれたものでしょう。写真下左はウィキペディアにある標準的なコマクサで、右は私が蔵王で撮ったコマクサです。見てわかるように、蔵王のコマクサは花が薄いピンクです。私は蔵王でしかコマクサを見たことがないので、ウィキペディアにあるような色の濃いピンクのコマクサには逆に違和感があります()

 

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写真上 Wikipediaのコマクサ                                                   写真上 蔵王のコマクサ

 

 種を採るのは難しくないらしく、2014730日に蔵王にコマクサを見にいった時も、登山客から種を見せてもらいました(写真下)。まだ他が咲いている時から種もできているので、採種はわりと簡単らしい。

 

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 コマクサはこういう土砂崩れを起こしたような石ころだらけのガレ場が大好きです。周囲の他の植物が密集している所には生えません。他の植物との競争を避け、誰も入らない「荒野」に順応した植物で、見た目よりもはるかにたくましい。

 

 

 

オオバコは駆除するのにコマクサは保護する?

 登山客の多い月山は外からの植物が持ち込まれることが多い。靴に種などがついたまま歩き回るのですから、当然です。そこで、月山ビジターセンター運営協議会が主催する「月山を外来植物から守ろう」という駆除の運動が行われ、2019年で第18回目のようです。ここでいう「外来植物」とは月山のそれぞれの場所に元々生えていなかった植物のことです。

 

「しかし、近年は、外来植物や月山の高標高域には本来植生していない低地性植物(オオバコ、セイヨウタンポポ、エゾノギシギシなど、 以降外来植物と呼ぶ)の植生が確認されています。」

 

(「月山を外来植物から守ろう パート18」実施報告書、2019)

 

 一般の人に手伝ってもらい、外来植物を抜いてしまおうという運動で、主旨には賛成です。気になるのが、駆除対象がオオバコ、セイヨウタンポポ、エゾノギシギシだけという点です。2014年などはコマクサの生えている山頂で行われたのに、駆除対象はセイヨウタンポポとオオバコのみです。セイヨウタンポポとエゾノギシギシは海外からの外来種で、オオバコは在来種とはいえ、月山の山頂に元々はありません。いずれも人間が持ち込んでしまったのでしょうから、駆除は良いことです。

 オオバコを取り除くにコマクサは取り除かないのは変ですよね。月山の山頂に適応したコマクサがかまわないというなら、オオバコだって日本の在来種であり、高山に適応したのだから、かまわないはずです。ずいぶん差別待遇です。

 この差別は、オオバコは低地性植物だから除去、コマクサは高山植物だからかまわないという、取って付けたような理由だけではなく、コマクサはきれいだが、オオバコはきれいではないからでしょう。

 

 

 

 月山では他にも写真下のように、南側の姥沢駐車場から登る登山客に対して、地元自治体である西川町が月山環境美化協力金として、冬500円、夏200円の寄付を求めていて、2023年からは一律300円になるそうです。ただ、西川町の環境美化とは「パトロール体制の整備、公衆トイレや駐車場の維持管理」と述べていますから、自然環境保護の話ではありません。

 収支や使い方をネットで公表するべきだという私と同じ意見の人が山形県庁に意見を寄せたらしい。ただ、見た範囲では西川町はこの意見に応ずるつもりはないようです。

 

 

 

 

公的な機関も月山のコマクサを宣伝!?

 自治体では、月山の東に位置する大蔵村がホームページで、月山にコマクサがあると紹介しています。外から持ち込まれたコマクサを代表的な高山植物として紹介するのはどういうものでしょう。

 

「月山はニッコウキスゲやコマクサなどの高山植物の宝庫であり、夏スキーのできる山としても有名です。」(大蔵村のホームページから転載)

 

 

 「月山ビジターセンター」のホームページで、「月山に咲く花」として68種類の高山植物を紹介していて、この中にコマクサはありません。しかし、「出羽三山ものしり博士」という下左のパンレットにはコマクサが生えていることを写真入りで紹介しています。

 ところが、同じパンフレットが山形県鶴岡市羽黒町観光協会のホームページにもあるのに、こちらはコマクサはなく、ヒナウスユキソウです(下の右)。このパンフレットがPDFファイルとして登録された時期が、たぶん月山ビジターセンターは2016年、羽黒町観光協会は2018年と二年のズレがあるようですから、後者に苦情が出て二年後に写真を差し替えたのでしょう。

 

上図 月山ビジターセンター                                                                  上図 羽黒町観光協会

 

 公の機関やその支援を受けた組織が、月山に外部から持ち込まれたコマクサを、高山植物だからといって堂々と宣伝するのは軽率です。環境保護が言われて久しいのに、コマクサを載せたパンフレットが六年前に作られたとすれば、驚かされます。

 

 

誰がいつコマクサを月山に持ち込んだのか

 誰が月山山頂にコマクサを外部から持ち込んだのか、はっきりしません。コマクサが持ち込まれたのは山頂だけではないようで、そのことを研究者たちが紹介しています。

 

「なおついでながら、9合目仏性池小屋の近くに、コマサクトとイワブクロとチョウカイフスマがかなりよく生育している地域があるが、これは戦前に小屋の主人の先代矢島氏が蔵王からコマクサを、鳥海山からイワブクロとチョウカイフスマを持ち込んだもので、天然分布ではないから注意していただきたい。」(佐藤正巳「月山のオゼコオホネその他の注目すべき高山植物」『植物研究雑誌』39巻、1号、1964年、24ページ)

 

「「1940年頃あるいはそれ以前に、蔵王からコマクサ、鳥海山からチョウカイフスマとイワブクロがそれぞれ移植され、根付いた…」との記録が残っているのである。」(山崎裕「高嶺の花の秘密」『環境保全』山形大学環境保全センター、No.142011年、14ページ~)

 

 仏性池小屋(仏生池小屋)とは、羽黒山口コースと呼ばれる山頂から北に下りていく途中にあり、下の地図で「9合目仏生池」にある山小屋です。戦前というのだから、今から80年ほど前に山小屋の近くにコマクサなどの高山植物を持ち込んで植えた人がいたということです。

 

(月山ビジターセンターのホームページから転載)

 

 しかし、仏生池小屋と月山山頂はかなり離れており、たまたま山頂までコマクサの種が飛んだなど、ありそうもないから、誰かが意図的に山頂に種をまいたはずです。ネットで調べても、山頂にコマクサの種を誰がいつ頃まいたのか、探せません。

 参考になるのが、仏生池小屋のコマクサについて書いている佐藤氏と山崎氏が山頂のコマクサについては一言も触れていない点です。知っていたら、書かないはずがない。つまり、二人が月山に登っていた時期にはまだ山頂にはコマクサがなかったのではないか。

 

 

 

 佐藤氏の文章は1964年で50年以上前、山崎氏の文章は2011年で、同氏は「連続した筆者の月山取材は、1991年の夏で一旦終了した。(同著26ページ)とありますから、1991年までの情報と見ていいでしょう。このことから、月山の山頂にコマクサの種がまかれたのは1991年以降、ここ三十年ほどの間ではないかと推測されます。

 ネットで月山山頂でコマクサを見たという書き込みを探すと、一番古いものでも2011年でした。少なくとも2011年にはすでにあったことになります。今回、ガレ場の下までコマクサが生えているかどうか確認していません。上から見ると、かなり下のほうまで広がっているのがわかります(写真下)。環境の厳しさも考えれば、十年でここまで広がったとは考えにくく、三十年ならありえるでしょう。

 

 

 

 

昔から高山植物が持ち込まれていた

 「高嶺の花の秘密」の著者の山崎氏は、学生時代から長年月山の植物を観察した人らしい鋭い指摘をしています。それは月山のように昔から信仰の対象として人々が登っていた山には、意図的にいくつもの植物が持ち込まれたのではないかという推測です。

 

「数百年という歴史をもつ信仰の高山を科学する場合、ハイカーによる生態の破壊のみならず、習俗などに伴う人為的な植生変化の可能性を考慮する必要があると私は思う。」(山崎裕「高嶺の花の秘密」『環境保全』山形大学環境保全センター、No.142011年、pp.3-28)

 

 月山は山岳信仰の特殊な山で、山崎氏によれば、江戸時代から明治時代には月山の山頂付近に門前町があったという。

 

「月山参詣が最盛期となった藩政時代から明治期にかけて、山頂付近には二十軒にも及ぶ泊小屋や酒小屋などが居並び、さながら月山大権現の門前町の様相を呈していたという。人々の燃料や建築資材の一部に供されたのがハイマツであった。そのため今日では、月山のハイマツ帯分布は高山帯辺縁部にごく限られている。」(山崎裕「高嶺の花の秘密」『環境保全』山形大学環境保全センター、No.142011年、26ページ)

 

 今の山頂付近は月山神社や山小屋しかなく(写真下)、正直なところ、これでも建物が多い印象をうけるのに、昔は門前町でにぎわっていたという。

 

 

 

 人間が入り込むことで高山植物が無くなることにばかりに、私など目が行きます。ところが、山崎氏は逆に持ち込まれた植物があるのではないかという疑いの目をいくつかの高山植物に向けています。山頂付近にのみ自生するクロユリ(ミヤマクロユリ)も持ち込まれたものではないかと疑われていることに、「クロユリよ、お前もか!」と私はショックを受けました()。クロユリは月山を象徴する花で、東北地方では飯豊山の二カ所にあるのみです。

 外部からの持ち込みが疑われた一つがトウヤクリンドウです。トウヤクリンドウが薬草であることから、山伏などが薬としてこの地に植えたのではないかという疑いです。

 

「淡黄緑色の花を着けるトウヤクリンドウ(当薬竜胆)は、その名のとおり薬草である。この分布も中部山岳に限定される。そして飛び地のように月山がその分布北限にあたる。」(山崎裕「高嶺の花の秘密」『環境保全』山形大学環境保全センター、No.142011年、16ページ)

 

 トウヤクリンドウの分布はウィキペディアに「北海道~中部以北の高山帯」とあるから、山崎氏の「月山がその分布北限」という説明と矛盾するように見えます。ところが、登山記録サイトのYAMAPでトウヤクリンドウで検索したところ、2022年の約200件の登山記録では、月山を除くと、ほぼ日本アルプス(中部山岳)のみで、東北や北海道の記録は一つもありませんでした。この結果を見る限り、山崎氏の「月山がその分布北限」はそのとおりで、たしかに奇妙な分布です。

 写真下は山頂から北に向かう羽黒口コースの尾根に咲いていたトウヤクリンドウです。私は休憩して離れた所からしばらく見ていました。ところが足元に咲いているのに、通りすぎた十数人の登山客で注意を向ける人は誰もいませんでした。

 

 

写真上 トウヤクリンドウ(当薬竜胆、Gentiana algida)

 

 外部から持ち込まれたのではないかという指摘で、個人的に最も実感したのがウゴアザミです。

 

「山頂の草原に雨水を溜めた神饌池の周囲には、本来は高山帯の植物ではないウゴアザミが群生している。この薊は山形県と秋田県の亜高山に限定分布するが、山伏の精進料理には欠かせない食材である。」(山崎裕「高嶺の花の秘密」『環境保全』山形大学環境保全センター、No.142011年、17ページ)

 

 写真下左のように山頂の山小屋の周囲をウゴアザミが埋め尽くしています。昔、初めて見た時から違和感を覚えました。ウゴアザミがこれほど群生しているのは月山では珍しく、明らかに人間の作り出した環境に適用しているのです。人の背丈と比べてもわかるように、背が高い。山頂付近でこんな背の高い植物はウゴアザミのみで、これが拡大すれば、背の低い高山植物は駆逐されます。現実に写真下左ではかなり広い範囲で他の植物はすでに駆逐されています。

 

 

写真上 ウゴアザミ(羽後薊、Cirsium ugoense)

 

 山崎氏の説が正しいかどうかは、本人も書いているように、今後の遺伝子解析が待たれます。高山地帯の環境破壊を植物の減少や絶滅という視点での指摘は良くあります。また靴に低地性の植物の種がついたまま登山したための被害も指摘されています。しかし、人間が意図的に持ち込んでいるという指摘はそれほど多くありません。

 山崎氏は他にも、登山客が残雪の端を歩くことで、ヒナザクラとイワイチョウが交互に現れて、縞模様ができると述べています(同著、19ページ)。この指摘で今回同じような印象を持ったのがヨツバシオガマです(写真下)

 

 

写真上 ヨツバシオガマ(四葉塩釜、Pedicularis japonica)

 

 写真下の木道を見てもわかるように、木道に沿って赤丸で囲った所にヨツバシオガマが咲いているのに、木道から数メートルも離れた草原にはほぼ見当たらない。背の低いヨツバシオガマは人間が草刈りをしてくれる木道の近くで増えた。草刈りをする人も、ヨツバシオガマに気が付いたら切らないでしょう。これも人間が生態系に影響し、まるでヨツバシオガマを植えたような効果を生み出しています。

 

 

 

「あるはずのないコマクサ」の事例

 本来生えているはずのないコマクサが生えているのは月山だけでなく、全国で同様の事例が起きているようで、その主な山を示したのが下図です。そのいずれもが、ここ半世紀ほどに人間が、半ば善意で種をまいたようです。

 

 

 奥日光の環境について話し合う「奥日光ミーティング」(日光自然博物館主催?)2013423日に開催され、「日光白根山に生育しているコマクサの DNA 分析結果について」という報告書が環境省から出されています。それによれば、日光白根山で2012年に日光自然環境事務所が4地点からコマクサを採種してDNAを調べたところ、草津白根山や蔵王のコマクサと一致し、さらに仰天させられるのが、園芸品種が混ざっていたというのです。野生だからいいだろうと草津白根山や蔵王からわざわざ種を採ってまいた人と、園芸種でもきれいならかまわないというずさんな感覚の人がいたようです。

 ネットを見ると、コマクサが持ち込まれた白山、岩木山、樽前山、天塩岳などではすでに除去作業が行われているようで、これは正しい判断で、月山も見習うべきです。

 

 

 私は元々なかったコマクサを除去することに賛成です。賛成というよりも、そのようにするべきという強硬派です()

 コマクサは他の植物が生えないような高山の限られたガレ場にだけ生えており、強烈な繁殖力を持つわけではないので、他の植物を駆逐したという話も聞かないし、姿かたちも愛らしいから、駆除するのは忍びない。だが、それでも駆除するべきでしょう。

 理由の一つは、「今後の影響の予想がつかない」からです。コマクサが生態系に重大な影響は与えたという報告が見られないのは、人間が見た範囲の話で、これから先、どんな影響を与えるかは誰も予想がつかないのだから、一か八かのカケをするべきではない。

 

 

 

 コマクサの件を見て、連想するのがフロンガスです。百年ほど前に発明され、エアコンなどの冷媒として優れた性質を持ち、毒性が低く、理想的なガスだった。しかし、結果は、なんとオゾン層を破壊して、地球に壊滅的な打撃を与えかねない物質だった。作られた当時、ただのガスが地球を破壊するかもしれないなどと予想した人は一人もいなかったでしょう。

 同じような事例がプラスチックです。今、海の中のマイクロプラスチックが大問題になっています。これも半世紀前にプラスチックが生態系や人間にこんな形で悪影響があると予想した人は少なかったはずです。

 自然のコマクサと合成された化学物質は同じではないが、科学的にも大丈夫だと思っていたことが、後でとんでもない結果を招いたという事例です。コマクサではないが、他の植物ではすでに見られます。

 

 

リシリヒナゲシの悲劇

 人間の安易な行動が草花に致命的な被害を与えている悲惨な例が、北海道の利尻島(りしりとう)のリシリヒナゲシです。リシリヒナゲシは利尻島の固有種で、日本で唯一の野生のヒナゲシです。下右図の環境省のホームページの地図でも利尻島の代表的な花としてリシリヒナゲシが描かれています。

 

上右図 環境省のホームページから転載

 

 リシリヒナゲシとそっくりのチシマヒナゲシなど、栽培用のヒナゲシの種をリシリヒナゲシの生息地域にまいたために、両者が混在してしまい、いまだに駆除に苦労しています。次の学者による経緯の解説がわかりやすいので引用します。

 

1982 年(環境省による)および1997 年から2002 年にかけては(日刊宗谷,2002),市街地の栽培ヒナゲシから採取した種子を利尻山に播種することで,リシリヒナゲシ個体群を回復させようとする試みが実施された.しかし,Yamagishi et al.(2010)による遺伝子解析によって,栽培ヒナゲシはリシリヒナゲシと異なること,利尻山に播種された栽培ヒナゲシがリシリヒナゲシの生育地に定着していることが確認された.そのため,2009 年より,環境省,地元住民,そして研究者の協働によってリシリヒナゲシの生育地に定着してしまった栽培ヒナゲシの除去作業が行われている.」(近藤哲也、吉田恵理、山岸真澄、愛甲哲也、「利尻島に生育する栽培ヒナゲシ種子の札幌市における播種時期が発芽に及ぼす影響および生活史」『利尻研究』31号、8ページ,2012)

 

 この記述でもっとも驚いたのが、環境省が主体になり、市街地の栽培ヒナゲシの種をそのまま利尻山のリシリヒナゲシの生息地にまいたという話です。誰がこんなことを決定したのでしょう。私は自分の裏山に元のようにヒメサユリを増やそうと努力しているが、よそから種や球根は持ってきません。園芸種として品種改良されているおそれがあるだけでなく、たとえ野生のヒメサユリでも、新潟県や福島県に生えているヒメサユリとは遺伝的に微妙な違いがあるかもしれないからです。

 かなり前から利尻島の低地でヒナゲシの栽培がおこなわれていたことを示すのが、1974年発行の『利尻・礼文両島の高山植物とその景観』で、栽培された自称リシリヒナゲシの写真が載っています(写真下)

 

(『利尻・礼文両島の高山植物とその景観』松野力蔵、利尻・礼文の自然を守る会、1974年、69ページ)

 

 これは利尻島と礼文島の草花を紹介した本で、リシリヒナゲシは自生よりも先に栽培品が掲載されるくらい、当時から栽培がおこなわれ、一方、自生のリシリヒナゲシは花の咲いているのが見つからないくらい、数がすでに少なかったのがわかります。この本では栽培品をリシリヒナゲシと書いているが、たぶん違うでしょう。

 写真下は、私が1979年に利尻島の利尻山(標高1,721m、りしりざん)で撮ったリシリヒナゲシです。フィルムカメラで撮り、フィルムをスキャナで取り込んだので、色がおかしいのは勘弁してください。実際のリシリヒナゲシも、薄黄色の薄い花弁を付けた、か弱そうな雰囲気の花でした。この写真のリシリヒナゲシはたぶん本物です。

 

  

写真上 リシリヒナゲシ(利尻雛罌粟、Papaver fauriei)

 

 利尻山を下りて一般道を歩いていくと、なんと街中の道端にリシリヒナゲシが咲いているではないか(写真下)。驚くやら、あきれるやらで、一緒に行った仲間と「苦労して山の上まで行かなくても見られるんだね」と苦笑いしたのを覚えています。てっきり、利尻山の山頂近くの特殊な環境でなければ育たないのだと思っていました。

 気になったのが、ビニールのポットに入れたまま植えてあることと、花の色が白っぽいことでした。ポットに種をまき、大きくなってから他の場所に移植する予定だったのでしょう。でも、どこに植えるつもりだったのか?

 

 

 私が見た三十年ほど後、利尻島の低地で栽培されているリシリヒナゲシは、実は偽物だというニュースを見た時、このビニールのポットに植えられた自称リシリヒナゲシを思い出しました。私が訪れた後、利尻島では低地で栽培されていた自称リシリヒナゲシから種を採り、自生地にまいて増やそうとしたようです。ポットのケシの花が白っぽかったのも、チシマヒナゲシは白い花があるからです。

 栽培のヒナゲシはリシリヒナゲシではないとわかり、2009年から除去が始まっても、話は簡単ではありません。

 

「また栽培ヒナゲシとリシリヒナゲシは,花の色と形,葉や果実の形状などが酷似しており,両者を形態から区別することは極めて困難である。」(近藤哲也、吉田恵理、山岸真澄、愛甲哲也、「利尻島に生育する栽培ヒナゲシ種子の札幌市における播種時期が発芽に及ぼす影響および生活史」『利尻研究』31号、8ページ,2012)

 

 両者は見た目には区別できないから、素人が除去するのは無理です。一株ずつ遺伝子を調べて、除去するしか方法がなく、気が遠くなるような作業です。

 学者の調査によれば、栽培ヒナゲシはチシマヒナゲシなどで、リシリヒナゲシはチシマヒナゲシの亜種という説があります。(高橋英樹、山岸真澄、「チシマヒナゲシとリシリヒナゲシ(ケシ科)の分類学的再検討」『植物地理・分類研究』68巻、2号、2020年、166ページ)

 これも恐ろしい話で、両者が遺伝的に近ければ交配した可能性があり、その交雑種は遺伝的には差異がもっと小さくなり、区別するのは容易ではないでしょう。

 

 リシリヒナゲシと月山のコマクサは同じではありません。月山のコマクサが元々の植物を駆逐したとか、ハイブリッドが生じたなど、生態系に重大な影響を与えたなど報告はありません。しかし、それが起きてからでは遅い。リシリヒナゲシの件も、誰一人として悪気はなく、むしろ増やそうと努力して悲劇的な結果を招いてしまった。この事実を見るなら、「今は何もないから大丈夫」などとコマクサを保護するのは間違いだとわかります。

 幸い、月山のコマクサはリシリヒナゲシほど絶望的ではありません。コマクサは誰が見ても見分けがつくし、生えている範囲もそれほど広くない。写真下のコマクサに「ゴメンね」と謝りながら、一刻も早く除去するべきです。

 

 

 

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