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テッポウユリ 2009

 

 

 白百合にもっとも近いイメージのユリはテッポウユリではないでしょうか。白百合は聖母マリア(マドンナ)の象徴とされていますが、実はテッポウユリではありません。知ってました?

 

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たくさん植えてみた

 庭中にテッポウユリが生えたらきれいだろうなあと、数年かけて数百球のテッポウユリを植えました。咲いたら、やっぱりきれいでした・・・当たり前だ()

 

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 テッポウユリはきれいなユリなのに、鉄砲百合とはなんとも無粋な名前です。花弁の筒が長いことが火縄銃のような鉄砲を連想させたからでしょう。わかりやすい名前だが、もう少し花の美しさを表現したような名前が付けられなかったのでしょうか。中国では麝香百合と呼ぶようで、香りの強さから付けた名前でしょう。テッポウユリよりもずっと良い。

 鉄砲百合というくらいだから、鉄砲が伝来してから付けられた名前です。では、それ以前は、何と呼ばれていたのでしょうか。

 

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 子供の頃に見たテッポウユリは、父が切り花用に畑に植えたテッポウユリでした。畑に整然と植えられたテッポウユリは、きれいはきれいだが、私の好みに何か合いませんでした。だいぶん大人になってから、その理由がわかりました。私の見たいテッポウユリは畑に植えられたような整然としたユリではなく、この写真にあるように勝手放題に咲きまくるテッポウユリだからです。

 

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 テッポウユリは、ユリという色っぽい花なのに、白であることと筒が長いことで、清楚な雰囲気も併せ持っています。白いというだけならカサブランカなどありますが、テッポウユリは花弁が開いていないので、より清楚な雰囲気です。色っぽいが清楚という点が多くの人が好む理由でしょう。

 

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 テッポウユリの原産地が南九州や沖縄など南方諸島だとは驚きです。南方出身のユリなのに、東北などの寒冷地でも露地で育ちますから、外見に似合わずたくましい。

 同じ南方出身のタカサゴユリが雑草となって広がっているのに対して、テッポウユリが雑草になっているのを私は見たことがありません。種をつけるかつけないかの違いなのでしょう。

 

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 テッポウユリは一般的ですから、品種改良も進んでいるらしく、私がネットで何カ所から買って植えると、花の形や咲く時期に微妙な違いがありました。

 

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 ウィキペディアのテッポウユリの項目にはタカサゴユリの説明がかなりを占めています。まるでテッポウユリの一種であるかのような書き方です。近いとはいえ、両者は別な種類なのだから、参考程度にするべきでしょう。英語版などでは、まるで両者が同じであるかのような誤解を与える写真配置です。

 

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マドンナのユリ

 白百合と言えばバラと並んで聖母マリアの象徴です。私はてっきりテッポウユリがそれなんだろうと決めつけていました。すっきりした姿は聖母マリアのイメージにぴったりです。

 

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ところが、調べて見ると、マリアのユリはテッポウユリの可能性はありません。なぜなら、テッポウユリは日本が原産で、欧米にはシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796 - 1866)が日本から持っていってから知られるようになったというのですから、イエスが生きていた時代の中東にテッポウユリがあるはずがない。

 聖母のユリはニワシロユリ(Lilium candidum)で、まったく別なユリでした(写真下)。マドンナ・リリィと呼ばれるこのユリは、ユリの六種類ある亜属の中では、テッポウユリとは別なグループです。つまり、テッポウユリとは従妹ではあるが、姉妹ではありません。

 

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写真上 ニワシロユリ

(http://en.wikipedia.org/wiki/Madonna_lily)

 

舞台となった現在のイスラエルはユリの種類は多くないようです。『イスラエル花図鑑』(オーリー・フラグマン、廣部千恵子、ミルトス、1995)にも、ユリはたった一つニワシロユリ(Lilium candidum)が載っているだけです(p.151)

 しかし、私がテッポウユリをマドンナのユリだと思いこんでいたのは、イスラエルの花ではなく、ヨーロッパの宗教画を観ていたからです。

 

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『受胎告知』メロッツォ・ダ・フォルリ(Melozzo da Forlì, 1438 - 1494年)

(http://br.wikipedia.org/wiki/Degemenn)

 

 天使ガブリエルがマリアに妊娠を告げる受胎告知の場面の多くにマドンナ・リリィが出てきます。これを私は長い間、テッポウユリなんだと思い込んでいたのです。

絵を良く見れば、テッポウユリが欧州に紹介される前に、どんなユリを彼らが白百合と見なしていたか、はっきりします。それぞれの絵の右側が原画で、左側はユリの部分だけを拡大したものです。

 

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『受胎告知』サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445 - 1510年)

(http://br.wikipedia.org/wiki/Degemenn)

 

 これらの受胎告知の絵ではほぼ同じユリを描いているのがわかります。人間の大きさ比較すると、背丈も花も大きいのがわかります。花の筒の長さがそれほど長くないし、花弁は外にむかって開いていますから、テッポウユリとは外見からして違います。

 

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オラツィオ・ジェンティレスキ(Orazio Lomi Gentileschi, 1563 - 1639)

(http://br.wikipedia.org/wiki/Degemenn)

 

 欧州もまたユリの種類が少ないようです。ウィキペディアによれば、ユリは世界中で原生種が約130品種あり、アジア71種なのにヨーロッパは12種です。日本は15種類というのだから、面積ははるかに狭いのに、数の上では多い。

 ここは大天才のレオナルド・ダ・ビンチに出ていただくことにしましょう。彼の『受胎告知』でも定番どおりにガブリエルはユリを持っています(写真下)。さすがはダビンチだけあって、ユリの左右の横、正面、後ろ、開花直後、ツボミをすべて描いています。彼のことだから、正確に描いているでしょう。普通、受胎告知の絵ではユリのオシベは描かないそうですが、しっかりと描いているのはさすがです。

つまり、これが1500年代のイタリアで、マドンナのユリと言われていたユリです。

 

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『受胎告知』レオナルド・ダ・ビンチ

(ウィキペディアより転載)

 

 ダビンチの絵を見るとテッポウユリではありません。また、たとえば写真下のマドンナ・リリィよりも花弁の幅が広いように見えます。

 

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写真上 マドンナ・リリィ

(http://www.pacificbulbsociety.org/pbswiki/index.php/LiliumCandidumSection)

 

 私がテッポウユリを白百合だと誤解したのも下のような絵があるからです。下の絵のユリはこれまでのマドンナ・リリィと違い、筒が長く、外見はテッポウユリみたいです。

 

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『受胎告知』シモーネ・マルティーニ(Simone Martini, 1284年頃 - 1344年)

(ウィキペディアより転載)

 

 だが、良く見ると、マドンナ・リリィは茎全体に花が咲いているが、テッポウユリは茎の上の部分に花が集中しています。いずれにしろ、聖母を表すユリがテッポウユリではないと知った時は驚きました。

 

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イースター・リリィ

 テッポウユリの英語名にNovember lilyあるいはEaster lily とあります。

November lilyというのだから、「十一月ユリ」??テッポウユリは初夏に咲くユリで、いくらなんでも11月には咲きません。これは南半球のオーストラリアでは11月に咲くことから、この名前がついたようです。十一月ユリという奇妙な名前を見て、私は『不思議の国のアリス』に出てくる三月ウサギみたいに、何かおもしろい由来があるのかと期待したのですが、なんとも即物的で味気がない。

 

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 もう一つのイースターリリィ(Easter lily)は、アメリカではイースターの時期に鉢植えで売るためにつけた名前のようです。第一次世界大戦後の1919年、Louis Houghtonという兵士が、テッポウユリの球根をオレゴン州に大量に持ち帰り、これを売り出す時に付けた名前のようです。記事を読んでもよくわからないのが、彼がどこから球根を持ち帰ったのかという点です。アメリカ軍が第一次世界大戦の時、日本に来ていたのだろうか。

 

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元兵士は相当に大儲けをしたらしく、テッポウユリに「白い黄金(White Gold)」というニックネームをつけたそうです。白いユリが彼には金塊だったらしい。これまたアメリカらしい即物的な話です。

 

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 キリスト教のイースターとは、十字架にかけられて死んだイエスが復活した日を指し、普通これは四月頃ですから、イースターに合わせて促成栽培をしているのでしょう。キリスト教にマドンナ・リリィがあることから、テッポウユリをイースターにひっかけるなど、元兵士はなかなか商才がある。

 

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 イースター・リリィとして定着したこともあり、第二次世界大戦前はテッポウユリが日本からの大きな輸出品だったようです。九州南部や西南諸島ではテッポウユリの開花時期は4月~6月だというのだから、これならイースターの時期と重なります。

 

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 ネットのブログなどを見ると、南西諸島ではテッポウユリは雑草のようです。原産地なのだから当たり前なのだろうが、一度、勝手放題に咲き乱れる野生のテッポウユリを見てみたいものです。

 

 

 

 

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