スミレ 2011 ―― 廃止された公務員宿舎の林に咲くスミレ ―― 私が住んでいる近くに単身赴任者のための公務員宿舎があります。公園に隣接し、敷地は広さはおそらく3000坪以上もあるでしょう。そこに建物は二つしかなく、周囲は林などの緑地帯になっています。 その林の中の日当たり良い所に毎年春になるとスミレが咲きます。 夏になると雑草に覆われる林の中も、春先はまだ草も少なく、背の低いスミレにも十分に日差しがふりそそぎます。林の中に一面に咲いていると、歩くのも困難なほどです。 広い敷地にマンションタイプの公務員宿舎がポツンと二つ建っています。その周囲には林が広がり、おそらく元々、ここに生えていたと思われる野草が花を咲かせ、ヤマユリまであります。こういう野草が残ったのは敷地が広いということと、単身寮であるために、日中は人が歩き回る人がおらず、踏み荒らされなかったからでしょう。 三千坪くらいの敷地に建物がたった二つという、民間のマンションならありえない建て方に「庶民は狭い住居に暮らしているのに、公務員様は税金で広い敷地に暮らしている」と反発を感じられ方もいるでしょう。公務員宿舎のあり方については批判も多く、時代が変わったのだから、改善するべきです。 結果論ではあるが、公務員宿舎だからこそ、ここには様々な草花が残ったのも事実です。これが民間マンションの敷地なら、この林はなかったでしょう。公務員宿舎の余裕のある建て方だからこそ、ここにたくさんのスミレは咲いているのです。 この公務員宿舎も売却が決まっていて、すでに宿舎には誰も住んでいません。数年以内に民間に売却され、スミレもヤマユリもすべて踏みつぶされ、コンクリートの壁のようなマンションか、庭付き一戸建てというウサギ小屋として売りに出されるのでしょう。 実際、この単身寮と道路を隔てて隣接する公務員宿舎の跡地は民間に売却され、そこにあった何十年もたつ樹木はすべて伐採され、更地にして、戸建ての宅地として販売されました。更地にされる年の春、そこにあった見事な桜の下で、私は一人だけで最後の花見を楽しみました。 スミレやヤマユリの生える自然が残っているのに、それを無残に踏みつぶして、本当にそれで良いのでしょうか。タチツボスミレには金銭的な価値はありませんから、誰も文句は言いません。ただ、私の目には精神性が貧しく見えます。 私は役所に公務員宿舎の跡地について買い取りを検討してみてはどうか提案したが、もちろん、形式的な返事しかありませんでした。伝え聞くところによると、国側が売却を呈示するのが、しばしば年度末の、予算などない時期に突然話を持ってくるのだそうです。その方によれば、民間に売却したほうが批判も少ないし楽だから、市町村レベルでは買い取れないように、わざとこういう時期に話を持ってくるのだとのことでした。本当の話かどうかわかりません。 市町村でも、予算がないのもさることながら、買い取ろうという気持ち自体がないのではないかと思います。単年度予算で動いている彼らには長期的な計画なんてないから、必要に迫られた土地でもない限り、自分たちからは買いたくはないのでしょう。 売却された他の公務員宿舎の跡地の売却金額を聞くと、周辺の土地相場に比べて驚くほど安い。私の聞いた話では坪単価は半額以下です。これは裏で何かあるからではなく、数千坪単位の土地を買い取れるのは企業だけだし、彼らは宅地開発して販売するのが目的だから、逆に周囲の相場で買ったのでは割に合わないので、落札価格が下がるのでしょう。 しかし、これも結果論だが、国民の財産が周囲の相場よりも安く売り払われ、国民の財産であるはずの自然が破壊されるのです。もっとも大半の国民は、スミレやヤマユリを財産だとは思っていないのが、残念です。 花を見に行く海外旅行で、食事の時、「三億円あったら、何をしたいか」という話題が出ました。花の好きな人たちが多いだけあって、「山を買い取って、その自然を守りたい」という案が出ました。私はそれを聞いて、すぐにこの単身寮の土地を思い出しました。三億円ではちょっと難しいだろうが、買い取って、スミレやヤマユリを守れたら良いなあ、などとしばらく楽しい空想にふけっていました。 ここまでのタチツボスミレもきれいですが、私の好みは写真下のニオイタチツボスミレです。このスミレは私の生まれた北国にはありません。 ニオイタチツボは栄養の貧弱な所は花が一つだけなのが多いのに、ここは複数の花がついています。林などを見ると、公務員宿舎を建てる時、元々の地形をできるだけ残すようにしたようです。それで、林の中の腐葉土か残っているのでしょう。 スミレのおもしろい点は花が横についているので、まるで顔をこちらに向けて、何か話しかけているかのように見えることです。もちろん、話しかけるためではなく、虫たちに来てもらうための花の作戦です。 この単身寮でスミレを見られるのも、たぶん後数年というところです。すべては移ろいゆくのだから、残り少ない春を楽しみましょう |