タチアオイ 2014 初夏に見られるタチアオイは背丈も大きく、花の色も目立ち、生命力が旺盛な植物です。タチアオイが咲くと、いよいよ夏だなあと感じます。 多様性:色の違い タチアオイの花はその多様性に驚かされます。白、黄色、ピンク、赤、紫、そして黒まであります。しかも、単色ではなく、これらの色が組み合わされますから、花の色だけで分類したら、すごい数になるでしょう。 多様性:配色の違い 花弁も単色のものだけでなく、一枚の花弁の配色にもいろいろあります。写真下のピンク色も内側が白く、外側にかけてピンク色です。 写真下は花弁の中頃がピンク色になっています。まるで化粧に慣れていない女の子が頬に紅を散らしたみたいです。 多様性:花弁のギザギザ 同じ色の花でも、花弁の周囲が曲線(写真下左)なのと、ギザギザ(写真下右)の入った二種類があります。 多様性:一重と八重 私が見た範囲では圧倒的に一重が多い。写真下のように、五枚の花弁が重なっています。 ところが、写真下のような花になると、これが何枚の花弁か写真だけでははっきりしません。複数の花弁が重なっているのがわかります。しかも、上と下を比べればわかるように、花弁の先端が曲線なのが一重で、ギザギザになっているのが八重です。 八重咲をさらに品種改良して、ボタンの花のようになった園芸品種もあります。しかし、私の好みには合いません。 多様性:葉 タチアオイの多様性は花だけではありません。良く見かけるのは写真下のような葉です。葉は五つの先端があります。 ところが、写真下のように、葉の切れ込みがはっきりしていて、一見まったく別な植物の葉のように見える個体もあります。しかも、写真上と下が同じ所に生えているから驚きです。さらに驚くのは、日本以外の国で見かけるタチアオイも同様に、切れ込みが浅い葉と深い葉の両方あることです。 庭に植える花の種を量販店から買ってきたことがあります。一袋に何種類も草花の種が入っているというイギリスから輸入された種を植えたところ、タチアオイが生えてきて、花を付けました。 その当時住んでいた家は庭付き一戸建てという名前なのに、猫の額ほどの庭もありません。タチアオイは背も高く、他を圧倒していました。花がきれいなので、引っ越しの時、移植しようと根を掘り起してみると、数年と思えないほど立派な根で、これなら大丈夫だろうと期待したのですが、移植は失敗でした。ネットで育て方を見ると、移植は苦手とあります。 それでも、気に入った花の色の株を確保したいと、後に何度か移植を試みました。成否は半々というところでしょうか。 川沿いのタチアオイ 写真下は道路と水路の間の空き地を利用した花壇です。後ろの鉄製の柵が水路との境です。 百メートルほどにタチアオイが植えてあるので数も多く、私は時々ここに出かけて被写体にしていました。ところが、ある年行ってみると、ほとんどありませんでした。場所を間違えたのかと思ったほどです。花壇には他の花が植えられていましたから、花壇を作っている人たちが邪魔だと抜いてしまったらしい。背が高いから他の植物を圧迫してしまうのはわかるが、それにしても棲み分けができなかったのかと残念です。 道端のタチアオイ 写真下は道のアスファルトとコンクリートの擁壁の隙間にたくましく咲いていた白いタチアオイです。タチアオイは一本だけポツンと生えていることは珍しく、たいてい複数でしかも様々な色で生えています。ところが、この道路脇のタチアオイは白のみです。残念ながら、この写真の翌年切られていました。道路にも畑にも邪魔になっていないのだから、そのままにしておけば良いのに、どうしてあんなに几帳面なのでしよう。 私のタチアオイとの付き合いは長く、中学校までの往復の道路の土手に生えていたのを覚えています。新たに幹線道路を造るのに土を運び込んだ時、タネか根が混じったのでしょう。とてもきれいなので、色々な色の花を採取して、これを押し花にして花弁を台紙の上に貼り付けて模様を作り、中学校の文化祭に出したら、女子生徒には受けました。受けたのは女子生徒だけで、クラブの仲間からはダメでした。なぜなら、私が所属したのは理科クラブで美術クラブではなかったからです・・・入る所を間違えた(笑)。 その後、草刈りを繰り返したせいか、タチアオイは間もなく消えてしまいました。草刈りの業者も仕事だから、刈るしかなかったのでしょう。 写真下左のタチアオイは公民館の入口のコンクリートで囲った土に生えていました。これもしばらくすると切られてしまいました。無機的な建物に色取りを添えているのだから、切らなくてもいいと思うのだが、感性が理解できない。 農家の庭の定番 タチアオイの写真を撮りたければ、一番簡単なのが農家の庭先です。私の住んでいる所の周囲は農村が広がっています。これらの村落に行けばたいてい見つかります。庭に余裕があるからということなのか、昔から植えられているからということでしょうか。 タチアオイは外来種でかなり古い時代に中国から渡ってきたと見られています。タチアオイが万葉集や源氏物語にも出てくるという説と、あれは今のタチアオイとは違うという説までいろいろあるようです。しかし、写真下の絵画から、遅くても室町時代には日本にあったようです。 気になるのは、この絵のタチアオイが白か薄いピンク色に見えることです。これは顔料が退色したのか、それとも元々こんな色だったのでしょうか。全部が同じ色に見えることから、退色したとしても、一種類の色のようです。室町時代のタチアオイは今日のような様々な色の花ではなかったのかもしれません。
写真上 京都の智積院にある室町時代に描かれた「松に立葵図」 (http://hanamoriyashiki.blogspot.jp/2010_06_01_archive.htmlより転載) 今のような派手な園芸品種が少ない時代ですから、花の大きなタチアオイはきっと多くの人が好んだことでしょう。七百年間、日本中に広がったとすれば、農家などに残っているのもなんとなくわかります。 駐車場になってしまった 写真下のタチアオイは私が増やしたものです。宅地開発された土地が空き地のままだったので、所有者の同意を得て花を植えました。区画整理で持ち込んだ土の中にタチアオイの根が混ざっていたようで、突然数本のタチアオイが花を咲かせました。周囲を見ると、花は咲いていないが、タチアオイと思われる葉が生えていました。それらを大事にしてあげると、毎年増えていきました。種をさらに残りの土地にも植えたので、私の頭の中では空き地一面にタチアオイが広がっていました。 ところが、ある年、突然工事が始まり、タチアオイが生えていた部分の半分が駐車場になってしまいました。土地の所有者ではない私にはどうにもなりません。所有者側にはタチアオイは雑草であり、花とは思っていなかったのでしょう。 気に入っていた色のタチアオイもあったので、前もって言ってくれれば、移植だけでも試みたのに、残念です。ここにあるタチアオイのいくつかはなくなってしまいました。 ピンクのタチアオイ なんとも美しいピンクのタチアオイです(写真下)。ここの畑の主は野菜だけでなく、花も植えているので、タチアオイを大事にしていて、道を往来する人たちの目を楽しませてくれます。道端なので、写真を撮るのも畑に入る必要がないので楽です。 ここにもいろいろな色のタチアオイがあるが、ピンクが一番きれいです。青い空と良く合っている。 ターシャの庭 タチアオイが世界的に広がっているらしいことを知ったのは『ターシャの庭』(ターシャ テューダー、メディアファクトリー、2005年)という本を見た時でした。ターシャ・テューダー(Tasha Tudor、1915 - 2008年)はアメリカの絵本作家で、彼女の作った庭が2005年にNHKで「喜びは創りだすもの ターシャ・チューダー四季の庭」という番組で放送され、私もこれを見て感動しました。 当時90歳だった彼女が中年期から作った庭が紹介されました。アメリカのバーモント州の山の中にある彼女の庭を見て私はビックリしました。欧米人とは、幾何学的な庭を好む人たちなのだと思っていたからです。彼女の庭は幾何学的ではなく、元々の環境を利用しながら、栽培品と野草とをたくみに取り入れた庭でした・・・これはすごい。 写真上 『ターシャの庭』(ターシャ テューダー、メディアファクトリー、2005年) この本の中に出てくるのが薄ピンク色のタチアオイです(写真上)。彼女の祖母から受け継いだというのですから、だいぶん前からあったことになります。 タチアオイの英語名holly hockのhollyがholy(聖なる)と似ていることから、タチアオイは十字軍が中東から欧州にもたらしたと言われています。第1回の十字軍が1096 - 1099年、最後の第9回が1271 - 1272年ですから、七百年~八百年前に欧州に持ち込まれたことになります。ターシャの引き継いだタチアオイは先祖をたどると十字軍由来かもしれません。十字軍はキリスト教側の大義名分はどうあれ、私の目には殺戮と略奪を目的とした侵略にしか見えません。しかし、タチアオイを欧州にもたらしたのなら、これだけは功績はあったことになります。 中国のタチアオイ 中国のタチアオイです。昔はタチアオイは中国が原産だと言われたくらいで、たいていどこに行っても見かけます。中国名は「蜀葵」です。 写真下は雲南省の小学校の庭に生えていたタチアオイです。 茨中(中国雲南省迪庆州德钦县南部燕门乡茨中村)のタチアオイ 写真下は、雲南省に近い四川省の古学郷にあるお寺に咲いていたタチアオイです(標高約2600m)。かなりの山奥で寺の周囲には見かけませんから、お坊さんが種を持ち込んだのでしょう。数は多いが、花に多様性はありません。つまり、ここのタチアオイはいろいろな所から持ち込まれたものではないことを意味しているのでしょう。 古学(中国四川省甘孜藏族自治州得荣县古学乡)のタチアオイ 写真下は四川省の甘孜のホテルの入口に生えていたタチアオイです。強いピンクがきれいです。東チベットではしばしば村落の道端にタチアオイが咲いていますが、タチアオイくらいで車を停めてくれとはなかなか言いにくい。 甘孜(中国四川省甘孜藏族自治州甘孜県)のタチアオイ 写真下は四川省の二郎山峠の手前の街に咲いていたタチアオイです。中国のタチアオイは日本で見かけるのと違いはありません。 二郎山峠(中国四川省甘孜藏族自治州濾定県)のタチアオイ 私が中国で見かけたタチアオイの多くは、訪れた先が高地が多いので、いずれも2~3千メートルくらいに生えていました。タチアオイが高地の寒冷地でも育つのでしょう。 写真下は四川省成都の西にある雅安で見たタチアオイで、標高は5百メートルほどで、ここで紹介した中国のタチアオイの中では一番標高が低い。一般道に面した給水場の近くで道路脇に咲いていました。 雅安(中国四川省雅安市)のタチアオイ 写真上左の花を色は、朱の混ざった紅色とでも言うのでしょうか、珍しい。写真下は日本で近い色の花ですが、それでも上のほうが朱が強い。 写真下は中国の青海省で見かけたタチアオイです(標高約2300m)。西寧市の道教寺院の近くに生えていました。特徴的なのが写真下右で、濃い紫色です。日本でもありますが、数は多くありません。こういう濃い紫を品種改良して黒に近いような園芸品種もあります。 西寧(中国青海省西寧市)のタチアオイ ゴルムドは砂漠の中に忽然と作られた街で、写真下はそのホテルの庭に咲いていたタチアオイです(標高約2700m)。砂漠のど真ん中ですから、意図的に持ち込まれたものでしょう。そのせいか、色がピンクがほとんどで、多様性に欠けます。 ゴルムド(中国青海省海西蒙古族藏族自治州格尔木市)のタチアオイ 野生のタチアオイ 写真下はインド北部のガンガリアにある花の谷を見に行った時に見かけたタチアオイです。ガンガリアの手前にあるジョシマートのホテルに鉢植えされていました。私がこれまで見た唯一の鉢植えのタチアオイです。当然ながら、勢いが悪かった。
ジョシマート(インドUttarakhand.州) 中国などを見て、またネットでタチアオイを検索して、世界中に日本と同じような多様なタチアオイがあるように私は思い込んでいました。ところが、グルジアに行って驚きました。 写真下はグルジアで見たタチアオイで、初めて見た野生のタチアオイです。 やや小柄で、外見は特に変わった様子はありません。しかし、驚くべきことに、グルジアにはこの黄色いタチアオイしかない。首都のトビリシとその周囲の道路などにたくさん生えていました。バスの中から最初見かけた時、黄色ばかりなので、私はタチアオイに似た別な花なのかと思い、バスを停めてもらい確認すると、どう見てもタチアオイです。また、すべて一重で、八重咲きはありませんでした。 写真上 Alcea rugosa (Mountain Flowers
and Trees of Caucasia, p.131, The Caucasus and its Flowers,
p.173) ゼニアオイ タチアオイの仲間のゼニアオイです。こちらは花が小さいのでタチアオイほどの派手さはなく、匂いも強いので、わざわざ植える人は少ないようです。でも、雑草のたくましさと独特の美しさがあります。 写真下のゼニアオイは歩道のわずかな隙間の土に根を下ろし、たくましく花を咲かせています。「おまえ、がんばっているなあ」と感心しました。 ゼニアオイはヨーロッパが原産で、江戸時代に中国経由で日本に来たと言われていますから、タチアオイよりも遅れて日本に到着したことになります。 ゼニアオイの仲間はわかりにくい。ゼニアオイに似た種類の花に、ウスベニアオイ、ハイアオイ、ウサギアオイ、ニシキアオイなどの名前が見られます。ところが、区別がつきにくい。この上下にあるのはゼニアオイと思うが、もしかしたら、ウスベニアオイが混ざっているかもしれません。 花の色だけで区別するのは無理で、葉の切れこみが浅いのがゼニアオイ、深いのがウスベニアオイと区別するようです。しかし、そう説明している人が載せているウスベニアオイの葉の切れ込みは浅い(笑)。 白い花をつけるハイアオイ、ウサギアオイに至っては、両者の区別がつけにくいだけでなく、両者は別だという説と同じだという説とがあります。写真下はたぶんハイアオイです。 写真下のゼニアオイはアパートの敷地に咲いていました。他の雑草も生えているところを見ると、たまたま生えてきたのをわざと放置したのでしょう。それにしても見事に咲いています。 海外で見かけたゼニアオイ 写真下はイスラエルのミツペ・ラモンの近くで見かけたゼニアオイです。乾いた地域で砂にまみれていましたが、精一杯咲いていました。訪れたのは三月ですから、日本では咲いていない時期です。花の大きさは日本のゼニアオイと変わりませんが、葉が小さい。ただし、これは乾いているから小さいだけかもしれません。 写真上 Malva neglecta (Wildflowers of Israel) 写真下はグルジアの首都トビリシで見たゼニアオイです。日本のゼニアオイが立ち上がって花を咲かせるのに対して、こちらは背丈はあまり高くありません。もっとも、それは生えていた場所が崖の斜面だったからかもしれません。 写真下はポルトガルのゼニアオイです。公園の敷地に生えていて、日本のゼニアオイよりも葉が大きい。日本のゼニアオイは葉が下にあるのに、ポルトガルのゼニアオイは大きな葉が花の上にあります。 写真上 Lavatera cretica (Wild
Flowers of the Mediterranean: A Complete Guide to the Islands and Coastal
Regions,No.910) 写真下はポルトガルの南端にあるサグレス岬で見つけたゼニアオイの仲間です。海岸の岩場の間にありました。 写真上 Lavatera arborea (Wild Flowers of the Mediterranean: A Complete Guide to the Islands
and Coastal Regions,No.912) 写真下は南アフリカのランバーツベイの海岸で見かけたゼニアオイの仲間です。同行した現地の植物学者の反応では、帰化植物のようです。写真上のポルトガルのゼニアオイと外見は似ています。 写真下は中国四川省康定の安覚寺(ンガチュ・ゴンパ)の中庭に咲いていたゼニアオイです。背も高く、花の色もはっきりしていて、葉も大きく、花はなかなか立派です。ちょっと見た目はタチアオイみたいですが、写真下右のように拡大して見るとわかるように、ゼニアオイです。中国ではタチアオイは良く見かけましたが、ゼニアオイは意外に見かけませんでした。それは私が行った先がもっぱらチベットだったからかもしれません。 |