山形の春の野山 2015年 いきなり外来種 いつも訪れる山形の里山を散策しました。 山道の脇に黄色い小さな花が咲いています。前に来た時はここにはこんな花はなかったように記憶しています。それもそのはず、外来種です。ヒメリュウキンカ(姫立金花)といい、欧州やシベリアが原産です。 野生の花を満喫しようとして最初に目を引いたのが外来種だというのも困ったものです。この近くは開墾された畑がありますから、人間が持ち込んだものです。外来種だからいかんと言うと、オオイヌフグリやヒメオドリコソウなど春の花もダメになってしまい、難しいところです。 深山黄華鬘 ミヤマキケマンが沢の近くの土手に花を咲かせています。長い間、キケマンだと思いこんでいましたが、キケマンの分布は関西以西というから、東北にあるはずがなく、消去法でミヤマキケマンです。 ミヤマとついているだけあって山野に多く、里のほうには生えていません。 ミヤマキケマンは、里で見られるムラサキケマン(写真下)とは色が違うだけでなく、やや大柄で、ちょっと印象が違います。ケシの仲間ですから、どちらも毒性があります。 薄葉細辛 地味だが、面白いのがウスバサイシンです。 花は根元にあり、薄紫の地味な色だが、壺のような面白い形をしています。これはガクで花弁ではないそうです。種に蟻が好むようなエサを付けて運ばせるというから、これまた面白い。 写真下では、葉がのびる前から花がもう咲いています。写真下右は開花直前の状態です。 春蘭 シュンランは春の野山の定番です。ランにしては派手さが少ないので、盗掘されることが少なかったので比較的残っています。 7 ランにしては地味だが、良く見ると、さすがはランだけあって、花の構造はとても複雑です。 年数を重ねて成長すると、写真下のように一株からたくさんの花が咲きます。 ホコリのような細かい種ができるが、まいてもほとんど発芽しないことから、人工的に増やすのは意外に難しいようです。 写真下は私が昔借りていた家の庭にあったシュンランです。写真上が東北、写真下が関東のシュンランです。たぶん写真下も野生で、すぐそばに写っている太い木の幹はノイバラです。これに守られて、適度な日陰で踏まれることも盗掘されることもなく、シュンランは元気に育ち、一時は7~8本の花が咲きました。 一人静は本当に一人? ヒトリシズカ(一人静)は見た目よりはずっと良い名前をつけてもらいました。実際には群れて咲くのだから、まったく「一人静か」ではありません(笑)。一本だけポツンと咲いているなんて見たことがなく、たくさん寄り添って咲いています。 実態と全然合わない良い名前を付けたもらった背景には、源義経と愛妾の静御前(しずかごぜん)の物語があるようです。義経を殺した頼朝の前で、 「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」 と義経を偲ぶ歌を歌いながら舞ったという。何とも挑発的な態度で、当然頼朝は激怒した。この時、静御前は義経の子供を身ごもっていて、その子供まで殺されたという悲劇が伝わっています。 つまり、ヒトリシズカの「静」とは静御前のことです。 世間では判官贔屓(ほうがんびいき)と言って、悲劇の主人公の義経は人気があります。しかし、私には義経も頼朝も権力を得るために殺戮をする人たちにしか見えません。たくさん人を殺した人たちが何でそんなに尊敬を集めるのかよくわからない。 静御前は歌と踊りで頼朝を怒らせて、ある意味で賢い仕返しをした。頼朝は静御前に目の前で踊るように命令する嫌な性格で(実際は政子が頼んだようです)、しかも腕力に頼るしかなく、器の小さい男だと歴史に残してしまった。 当時の人たちもこの事件が相当に強い印象を残したから、全然関係のない植物に一人静、二人静という名前を付けたのでしょう。 この草花を見るたびに私は静御前の悲しい物語を思いだし、感傷的に見てしまいます。だが、それは人間の勝手なイメージであって、花とは何の関係もない。 蕗の薹 これまた春の定番のフキノトウです。花としてはイマイチさえないが、知らない人のほうが少ない。山の上の厳しい環境から、人家の近くまで生えていて、お馴染みの植物です。 フキノトウは春を告げる食材としてスーパーでも販売されています。私の実家にも生えていましたし、今住んでいる所の近くの廃止された公務員宿舎の跡地にもあるので、春先にはいつも楽しんでいます。天ぷらにすると油っこさと苦みがうまく合っています。 私は長い間知らなかったのが、フキノトウは雌雄異花、つまり雄花と雌花があるというのです。ネット上の雌雄の写真を見ても、雌株にメシベのような物が見えるが、遠目には区別がつかない。茎がのびてくるのが雌花だというから、のびるのを待つのが簡単な方法です。 葉だけはまた別に出てくるのがおもしろい。 黄花錨草は何色? キバナイカリソウですから、黄色いイカリソウという意味です。関東など太平洋側のイカリソウが赤いから、日本海側のイカリソウを黄花と名付けたのでしょう。日本海側の人間から見ると、イカリソウとは黄色いであって、太平洋側こそアカバナイカリソウと名付けるべきだ、などと言うつもりはありませんが、でもちょっと変でしょう? キバナイカリソウが朝鮮半島にも分布していることから、こちらが本家で、イカリソウが日本に伝わってから花の色が赤くなった可能性が高い。 小さい頃に名前を聞いて、「怒り草」とはずいぶんすごい名前だと思いました(笑)。船に使う錨と花の形が似ているから付いた名前なのだが、海など見たことがなかった私は、花弁が角のように出ていることから、命名者は鬼のように怒っている姿を連想したのだと長い間信じていました。 山吹の蓑 イカリソウのそばの日陰にはヤマブキ(山吹)が鮮やかな黄色い花を咲かせています。ヤマブキと言えば太田道灌の話が出てきます。彼が突然の雨に降られて、農家で蓑を貸してくれと娘に頼んだら、ヤマブキを差し出されて、意味が理解できなかったという話です。 太田道灌の解釈によれば、「後拾遺和歌集」にある、 「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」 という歌の「実の」と「蓑」をかけて、娘は蓑がないと断ったというのです。 私はこの話を聞いて???になりました。当時、古今の和歌をたしなむのは教養人の常識とはいえ、「後拾遺和歌集」には1218首あるという。これを暗記することを求められていたことになります。これだけでは済まない。 他にも万葉集や、勅撰和歌集は太田道灌の生まれた1400年代までに約20集あり、しかもそれぞれ千首から二千首の歌が掲載されていますから、合計数万首の歌があることになります。娘の差し出した山吹を理解するために、これを全部暗記しなければならないことになります。なんかおかしくありませんか? ここからは私の推測ですが、娘が山吹を差しだしたのは、そんな深い理由ではなく、彼が要求したとおりに雨具として差し出したのでしょう。花と葉のあるヤマブキを頭の上に乗せれば、少しは雨よけに役立ちます。娘は、蓑などないから、飾ろうと思って折ってきた山吹を差し出し、頭に乗せたらどう、と提案した。私も突然の雨に木の葉っぱを頭に乗せたことがあります。 真実がどうあれ、娘の差し出した山吹のおかげで、太田道灌は歌の道に励み、六百年も後の私が彼の名前と逸話だけは知っている。 菊咲一華 四月も後半だと低い山では私の好きなキクザキイチゲ(菊咲一華)はほとんど終わっています。かろうじて見つけたのが写真下の一本くらいです。 少し標高の高い山ならまだ残っているのではないかと、五百メートルくらいの山に行ってみました。 二口峠という宮城県と山形県の県境にある山岳道路です。日陰にはまだ雪が残っています。県境付近は冬の間は通行止めになり、四月末でもまだ開通していません(写真下右)。峠で一番高い所は標高千メートルほどありますが、私が行ったのは六百メールくらいです。 キクザキイチゲがありました。紫の濃厚な花です。 花には甲虫などが集まっています。 写真下の虫はハチドリのように空中でホバリングしながら蜜を吸っています。クチバシの長いビロウドツリアブ(ビロウド吊虻)でしょう。 ここは道路の脇や沢にまだたくさんキクザキイチゲが咲いています。ただ微妙に色が私が普段見慣れているのとは違います。 白いキクザキイチゲが群生しています。 白いキクザキイチゲだけがこんなに密に群生しているのを見るのは初めてです。 山桜と桜 もう少し山の上のほうに行くと、陽当たりの良い斜面にはタムシバが咲いています。 もう一つ目につくのがヤマザクラです。 遠目には写真下のように見えます。ただし、写真下右のように畑の近くの桜は人が植えたソメイヨシノだったりします。 背の高いヤマザクラは花がたくさんついているが、花そのものの写真は撮りにくく、背の低い若いヤマザクラは花の数が少ないので写真は撮りにくい。 畑では果樹の花が咲いています(写真下)。これらは桃、スモモ、梨などでしょう。桜や梅を観る人は多いが、こういう果樹を観賞するのはあまり聞きません。ごらんのように、とてもきれいです。東北自動車道の国見サービスエリア近辺の山の斜面にはたくさんの果樹が植えられていて、早春には、それはもう見事です。いつも速度を落として楽しんでいます。 山を下りて高瀬川を下ると堤防に沿って数百メートルにわたり桜が植えられています。せっかくですから、花見をしましょう。平日の午後なので桜を見ているのは私一人です。 たった一人で花見もなかなか豪華な気分です。関東地方ではもう三週間も前に桜は終わっています。 子供の頃に夜桜見物に連れて行ってもらったことがあります。実家は農家で大きな桜があったので桜などどうでもよく、夜店で何か買ってもらうことが楽しかった。あんなに輝いて見えた夜店のオモチャが今は色あせてしまい、今は大勢の人のいる所は苦手で、独りで見ているのが楽しい。 夕陽を浴びるピンク色の枝垂れ桜をしばらく見ていました。 |