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雛祭り

 

 春になると日本のあちこちの自治体が雛祭りを開催します。たいてい、個人宅にある古い雛人形を一般の人にも見てもらおうというイベントで、たいへん素晴らしいお祭りです。

 日本では古い人形を燃やしてしまうという悪習慣があり、人形を販売したい業者はこれを積極的に勧めるような風潮さえもあります。しかし、このような雛祭りが開かれれば、雛人形を取っておこうとする人たちが増えるでしょう。

 

 

真壁のひなまつり

 二月末、茨城県桜川市真壁のひなまつりに行きました。毎年、一カ月にわたり、街をあげて、雛飾りを公開しています。一カ月の公開はなかなか大変でしょう。

 

DSC_1993 『真壁のひなまつり第十五章(2017年)ポスター』の画像 DSC_1994

 

 真壁町は筑波山の北側にある古い街で、私には御影石の街というイメージです。雛祭りを始めたのは2003年からで古くはありませんが、街自体が古いので保存されている雛人形の質はそれなりだと言われています。参加している家が160軒というのだから、全部は見きれません。茨城県では百段飾りの大子町(だいごまち)と並んで有名な雛祭りです。

 

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 土日は混むだろうからと平日に行っても、写真下のように大勢の観光客が来ています。

 

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 雛飾りを各家のそれぞれのやり方で飾り、公開しています。通りは店が多いので、大半の店は雛飾りが置いてあります。写真下左は草履が見えているように靴屋さん、写真下右は肉屋さんです。

 

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 写真下では個人宅の玄関口に雛飾りを並べています。ドアが空いているし、公開された場所であるという印があるので、かまわないのだが、誰もいないと、他人の家に勝手に入るのにちょっとためらいます。

 

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 写真下のような立派な門構えの旧家でも、庭の奥にある蔵の中で雛飾りを見せてくれます。普段なら入れないので、屋敷内にはちょっと興味があります。

 

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 旧家には当然かなり古い雛人形があります。入口にノレンと、登録有形文化財という立派な看板をかけた店に入ってみましょう(写真下)

 

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 家の門構えにふさわしい雛飾りが所狭ましと並べられています。江戸、明治、大正、昭和とそれぞれの人形があります。代々受け継がれ、大事にしてきたのでしょう。

 

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 一番上にあるのは見るからに古そうな雛人形で、江戸時代というから、享保雛でしょうか。保存状態がかなり良いのが素人目にもわかります。

 

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 部屋には他にも婚礼の衣装や、昔の髪形の写真など、レトロな品物が展示されています。

 

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 写真下は他の家で飾られていた雛人形で、大正時代など古い時代の人形が大事されているのがわかります。

 

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 天井から飾りつけをぶら下げる吊るし雛も雛飾りの一つのようです。

 

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 歴史ある雛人形だけでなく、写真下はウサギの雛人形です。ちょっと顔が生真面目すぎるような気がします。

 

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 写真下はネズミの飾り雛です。ウサギもそうだが、十二支に合わせた雛なのでしょう。結婚式、花魁道中、大奥などがテーマらしい。美容師をしている人の創作人形だそうです。

 

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 真壁町は古い家屋が多く、有形文化財として大切にしています。

 

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 特に重要な家屋には写真下右のような立派な石碑が立てられています。たぶん、真壁町で採れる御影石です。

 

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 写真下のように家を直すのでも旧来の方式を踏襲している建物もたくさん見られます。ただし、周囲には現代風の安っぽい建物も見られるのが残念です。

 

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 もう一つ気になるのが、電柱と電線です。せっかく建物の外観は統一が取れているのに、電柱と電線が風景を台無しにしているのはここも同じです。これだけ建物の保存に力を入れているのなら、電柱と電線を地中化するべきです。

 

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 あちらこちら雛飾りを見て、一番印象に残ったのが写真下です。えっ?どうしてこれが印象的なのかと皆さんは思ったでしょう。そのとおりで、雛飾りは昭和の五段飾りですから、平凡です。私の印象に残ったのは雛飾りではなく、この部屋の雰囲気です。昭和レトロが染み出している。すすけたような板戸、柱、天井、柱時計、蛍光灯、カレンダー、なげしに並べられた表彰状など、私にとっては子供の頃に見た風景で、雛飾りはその一つです。

 

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 自分が生まれ育った古い家や、母の実家で見かけたような光景です。柱時計はカチカチと音を出しているのに、時間が停まり、昔に引き戻されたような気分で、雛壇を見るようなふりをして、しばらく見ていました。

 写真下のように、ここはいわゆる駄菓子屋で、昔はどこにでもあったのに、今では珍しい。昭和がそのまま残っているような雰囲気です。

 

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 神社の梅は満開です。

 

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大石田のおひなさま

 山形県の真ん中頃にある大石田町に雛祭りを見に行きました。真壁が2月なのに、こちらはその一カ月も後の4月初めです。これはそのまま季節を表しており、山形で梅が咲き、雛祭りが行われるのは三月の末か四月の初めです。

 

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 子供の頃、「三月三日の雛祭り」と聞いて、奇妙に思いました。なぜなら、三月三日は山形は雪が残っています。最近でこそ、温暖化でたまに三月上旬に梅が咲くと驚くほどで、私の子供の頃には、春とは三月末でした。後に東京に出て来て、ようやく「三月三日の雛祭り」の意味と、日本は関東地方を中心に動いているのだとわかりました。

 

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(大石田町のホームページから転載)

 

 会場のメインとなる通りにはテントが並び、お客さんもたくさん来ています(写真下)。真壁町に比べると規模は小さいし、期間も二日間です。山形県の各地で行われる雛祭りは三月末から四月初めに集中し、しかも、期間はたいてい土日の二日間くらいなので、行くのが大変です。

 

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 大石田町は、山形県の最大の川である最上川の港町として栄えました。ここから南の上流には三難所と呼ばれる難所があるので、日本海の酒田から運ばれた荷物をここで陸路か、またはもっと小型の舟に積み替える必要がありました。三難所のおかげで物流の拠点として繁栄したのです。

 

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 ここにもノレンをかけた旧家らしい建物があります(写真下左)。中にはいると薄暗い通路になって奥へとつながっており、ここで時間をさかのぼり、過去にタイムスリップします()

 

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 通路には昔使っていただろう大きくて古い家具が置いてあります(写真下左)。そういえば、昔の我が家にも漆塗りのこういう家具があった。通路には梅などの生け花が飾られており、その奥に雛壇があります(写真下右)

 

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 写真下のように、戸が外された二部屋にこの旧家の雛飾りや人形が全員集合です。

 

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 雛飾りもすごいが、なげしにある神棚や名札、花ローソクなどが時代を感じさせます(写真下)

 

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 祭壇中央には五組の古い雛飾りが祭られています。テレビのお宝鑑定団にでも出したら、ウン十万円、ウン百万円という評価額がつくのでしょう。

 

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 写真下は他のお宅で見た古い雛人形です。江戸時代にこの地域は最上川での交易が盛んだったので、享保雛など古い人形がたくさん持ち込まれたのでしょう。

 

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 山形では「おひなさま」とは雛人形だけでなく、雛祭りそのものもさします。「大石田町のおひなさま」は、直訳では大石田町にある雛人形の意味になりますが、意訳は大石田町の雛祭りという意味です。

 

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 私の目を引いたのは雛人形よりも、下に並べてある市松人形です(写真下)。昔、子供たちが遊びに使った人形です。目を引いたのは男の子の人形があることです。飾りとしての男の子の人形は珍しくないが、子供の遊び道具としての人形としては珍しい。なぜなら、たいていの女の子は女の子の人形を欲しがるからです。おそらく男の子の人形は二体目以降の人形で、子供に何体も人形を買い与える余裕のある裕福な家だったとわかります。

 

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 他の家の雛壇にも市松人形が飾られていました(写真下)。いずれも服は新しいようだが、顔や髪の毛の保存状態が良いから、大事にされてきたのでしょう。

 世間では髪の毛がのびる呪いのお菊人形なんてのがあります。髪の毛がのびる人形なんて、ハゲに困っている人たちにとっては朗報で、黒髪を分けてもらって、大いに呪ってもらい、フサフサになったほうが良い。私にも一本お願いします()

 

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 ジュモーなどで有名なフランスのベベドールの元はこの市松人形です。欧州には大人の姿をした人形(ファッションドール)しかなかったのが、明治時代にフランスに輸出された市松人形を見て、子供の姿のベベドールを作り、これが金持ちの家の子女にバカ受けして、一大産業になりました。市松人形とジュモー(写真下右)は従妹なのです。

 

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(写真上右 Wikipediaから転載)

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 雛壇の前に漬物などを並べて来客に勧めています。

 

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 写真下は他のお宅で、同様に、来客用に漬物やお菓子が並んでいます。この家庭的なおもてなしが石田町のお雛祭りの特徴です。

 

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 こういうお客さんをもてなす接待は二日間だからできることでしょう。

 

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 雛祭りが開かれている会場のすぐ近くを最上川が流れています(写真下)。最上川の港町として栄えたのは今は昔で、ほとんどそれらしい雰囲気はありません。川の向こうに見える山はまだ雪があります(写真下右)。街中にも日陰にはまだ雪が残っています。

 

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 土手にはフキノトウが芽吹いています。この時期、関東ではフキノトウは塔が立っている。

 

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 いつの間にか春になる関東地方と違い、東北は冬と春とのメリハリがあり、「やっと春が来たあ!」という雰囲気です。おひなさま(雛祭り)はその春の象徴のようなもので、女の子でなくても、心弾む行事でした。

 

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