絶滅寸前のミチノクヒメユリ ミチノクヒメユリが絶滅寸前などと危機感を煽るような表題を付けることは私の好みではありません。しかし、かなり危機的な状況であるにもかかわらず、関係者や行政があまりに「冷静」なことに私は驚きました。その驚きを伝えたいと思います。 ヒメユリが少ない ミチノクヒメユリはヒメユリの一種です。ここに掲載している写真はミチノクヒメユリの栽培品です。やや小ぶりのオレンジ色の花を咲かせます。ヒメユリがスカシユリの近縁種だとは調べるまで知りませんでした。そう言われると、スカシユリからソバカスを取り、小さくしたような姿をしています。 ヒメユリは日本だけでなく、南は中国の雲南省から北はロシアのバイカル湖まで広く分布しています。大陸に分布するチョウセンヒメユリ、四国や九州に生えるトサヒメユリなど、いくつかに分類されます。その中で、ミチノクヒメユリは名前どおりに、東北地方に自生することになっています。 「本種は本州の東北地方南部から沖縄にかけて分布し、日当たりのよい山地や草原に生える。」 ヒメユリはこのような説明が一般的で、これだと日本の山野にはいくらでありそうです。ところが、ネットで検索しても、ヒメユリを自然のままで見たという目撃例が少ない。四国や九州で野生のヒメユリの撮影例がいくつかある程度です。しかも、写真を載せている多くの人が、ヒメユリが減ったと書いており、実際にポツンと一本だけ咲いているなど寂しい。 その九州でさえも、大分県庁や宮崎県庁のホームページには次のようにあります。 「生育地は点在し,個体数は極めて少ない。草原や湿地の開発により生育地を失い,年々減少している。絶滅の危険性が極めて高い。」 (http://www.pref.oita.jp/10550/reddata2011/02/ss159.html) 「県北部の草原に生育しているが、一部の自生地を除き激減し、その傾向は現在も続いている。」 (https://www.pref.miyazaki.lg.jp/shizen/kurashi/shizen/himeyuri.html) ヒメユリが自然のままで残っているのは九州、四国、中国地方などで、それも探すのが大変なくらい減っているようです。 野生のミチノクヒメユリがない ネットで検索しても、関東と東北で野生のヒメユリの写真は見つけられませんでした。これには少々驚きました。北日本特産のヒメサユリは山形、新潟、福島で目玉商品として客を集めています。同様に、ミチノクヒメユリなど名前がきれいだから、これを売り物にして村おこしをしようという自治体があってもいいのではないかと期待したが、ありません。 その中で、唯一、ミチノクヒメユリを「村花」としている自治体が山形県の鮭川村です。しかし、鮭川村のホームページに行っても、トップのページにはシャケやギフチョウはあるのにミチノクヒメユリの写真はありません。タレントが出演するお金のかかった紹介ビデオでもミチノクヒメユリは出てこない。ミチノクヒメユリでサイト内の検索をしても出てこない。つまり、このホームページにはまったくミチノクヒメユリはありません。 (鮎川村のホームページから転載) 鮭川村が2011年に出した「第2次鮭川村総合発展計画」の中でもミチノクヒメユリの件は下記のあっさりとした一行です。言及しないわけにはいかないから、義理で書いたような文章で、意欲は何も感じられない。 ミチノクヒメユリを「村花」に指定していながら、驚くほどの無関心さに、私は半ばあきれました。 「村の花“みちのくひめゆり”の種球の育成保存を行い、主な施設等の景観形成に活用する。」 (「第2次鮭川村総合発展計画」鮎川村、2011年、27ページ) 私の関心は自然に生えている草花であって、栽培品は原種であっても関心が薄れます。許せるのは元々生えていた所に元々生えていた草花を復活させることくらいまでです。しかし、ネットでいくら調べても、鮎川村の自然に生えているミチノクヒメユリの話は出てきません。 ようやく鮭川村が発行している『鮭川旅情』(鮭川村産業振興課、2015年、12号)の中に、ミチノクヒメユリを栽培している農家の話を見つけました。そこで栽培農家を訪ねてみることにしました。鮎川村の役場にメールを送ると、栽培農家の矢口さんを紹介してくれました。 矢口さんのミチノクヒメユリ ミチノクヒメユリが咲いているという村役場からのメールと天気予報を見て、2018年6月26日に出かけることにしました。私の住む山形市から北に80km、車で二時間弱です。 自動車専用道はまだできていないので、一般道を通り、渋滞もなく、鮭川村役場に到着(写真下)。 玄関先にミチノクヒメユリのプランターが置いてあり、きれいに咲いています。後でわかったのですが、これは栽培農家の矢口さんから提供されたものです。 ミチノクヒメユリと私は初めての出会いなのだが、なんか寂しい。花は飾ってあるというよりも、並べてあるだけで、村のシンボルの花なら、看板を立てるなど一工夫あっても良い気がします。これでは何も知らずに来た人は、ミチノクヒメユリだと気が付かず通り過ぎます。 村役場から歩いて数分の所にある矢口さん宅を訪ねました。見事にミチノクヒメユリ咲いています。 矢口さんから聞いた話は次のようなもので、記憶に頼っているので、細かい点は不正確かもしれません。 昭和三十年代、村の北8kmくらいの所に住んでいた住民が山の中にミチノクヒメユリを見つけて庭に植えた。トラックの運送の仕事で街を訪れた人がその花を見て栽培と出荷を勧めた。花が売れるのを見て村人がミチノクヒメユリの販売を始めた。 しかし、やがてウイルスに感染し、50万本と言われたミチノクヒメユリはわずか三年ほどで消滅した。しかも、チョウセンヒメユリが販売され、手間暇のかかるミチノクヒメユリを誰も育てなくなった。 気が付いた時には、矢口さんの手元には残った球根は、他の人から譲ってもらった分を含めて合計13球しかなかった。そこでウイルスに強い品種を開発してほしいと新庄市にある山形県立農林大学校の大野先生に頼んで三年かけて86球まで増やしてもらった。しかし、ウイルスそのものは除去できなかった。 そこで、今は秋に球根を掘り出して薬剤に漬け、温室に保存し、次の年にまたプランターに植えている。 現在は増やして4000~5000球くらいあるだろう。しかし、放置すれば、三年で消えてなくなる。 50万株が3年で13個まで減ったという壮絶なミチノクヒメユリの人生はショックでした。一番気になったのが現在の取り組みです。栽培農家は矢口さん一軒だという。しかも、村が応援していると言っても、助成金のようなものが出ている様子はなく、矢口さんに任せっぱなしで、何もしていないらしい。 皆さん、気が付きませんか?矢口さんには失礼ながら、矢口さんが亡くなったら、ミチノクヒメユリはたぶん数年で消滅します。 私はあまりのことに帰宅後、鮭川村役場の担当者にメールを送りました。 特に私が提案したのは、山に戻すことです。矢口さんに「山に戻せないのか」というと、「山に戻すとウイルスが消える」というのです。私は驚いて、それなら一石二鳥で山に戻すべきではないかと言うと、矢口さんは年齢的にも自分一人の力では無理だとのことでした。そのとおりでしょう。自宅の敷地内での世話と違い、山に植えたら、そこまで出かけて世話しないといけないから、彼一人では無理です。 私は、村が主導して予算を付けて、村人に協力してもらい、ミチノクヒメユリを山に戻すなら、観光の材料にも使えるではないかと提案しました。担当者からの丁寧な返事は来ましたが、内容は型どおりのものでした。 ミチノクヒメユリが危機的な状況にあることは明瞭なのに、関係者が「冷静」なことに驚きます。まるで火事で隣の家まで火が付いているのに、のんびりとお茶を飲んでいるような光景です。個人的にはこういう周囲との温度差はしばしば感じて、若い頃は腹が立ったが、年齢とともに、どうやら自分のほうが少数派なのだとわかってきたので、特に驚きません(笑)。 可愛いミチノクヒメユリのために、何か自分なりにやれることはないだろうか、思案中です。 米湿原 せっかく鮭川村まで来たので、米湿原(よねしつげん)を見に行くことにしました。村役場から南に5kmほどですから、すぐそばです(下地図)。 のどかな田園の中を進みます。写真下右の「米」とはコメではなく、ここの地名のヨネです。 鮭川村の名前の元となった鮭川です(写真下)。このまま南に流れて、数キロ先で最上川に合流します。 米湿原の手前にある駐車場に到着。到着した時は駐車場には一台も車がありませんでした(写真下右)。 下図が駐車場にある案内板です。ここは西側にある米太平山を含めてハイキングコースになっています。米太平山は「やまがた百名山」に選ばれています(http://yamagatayama.com/)。私の目的は花なので、そちらはカットで、湿原に直行します。米湿原まで10分とありますし、実際、ただ歩くだけならそのくらいの距離です。 駐車場の近くの展望台からは鮎川村の農村風景が遠くまで見渡せます(写真下)。 駐車場の北には米湿原から流れ出た川をせき止めた貯水池(米堤)があります(写真下)。その土手にオオウバユリが生えています(写真下)。草刈りをした時、これだけは残したようで、花が咲くまで、あと一カ月ほどです。ただ、こんな陽当たりの良い所でこれからの暑い時期にうまく育つだろうか。 湿原への山道は途中から木道が敷かれているなど、良く整備されています。 (「やまがた山」から転載 http://yamagatayama.com/?p=3408) あちらこちらに環境を守るように警告があるところを見ると、動植物を採取する不届き者がいるようです(写真下)。 周囲の林の中にヤマボウシが白い花を咲かせています(写真下)。花弁のように見えるのは総包片と呼ばれ、花弁ではないそうです。 写真上 ヤマボウシ(山法師、山帽子) 道の両側で目についたのがコバギボウシで、薄紫の花を咲かせています(写真下)。日本全国の湿った所に分布して、私の地元ではギボウシがなまってギンボと呼んでいます。ギンボは春先に葉の茎を茹でるととてもおいしい。 写真上下 コバギボウシ(小葉擬宝珠) エザアジサイが道脇に咲いています(写真下)。北海道と本州の日本海側の雪の多い地方に見られます。山形の野山ではそれほど珍しくありません。 写真上下 エゾアジサイ(蝦夷紫陽花) 湿原の花 米湿原につきました(写真下)。谷に沿っての道も湿地で、一番奥が広くなっていて、広さは横幅が約50m、奥行きが約80mほどです。 目を引くのは、来る途中の木道の両側にもあったノハナショウブです(写真下)。日本はもちろんのこと、朝鮮半島、中国にも分布し、園芸品種のハナショウブの原種です。 写真上下 ノハナショウブ(野花菖蒲) ネット上では、原種がノハナショウブで、後で出た園芸種がハナショウブとはおかしくないかという指摘がありました。たしかに順序から言ったら逆です。おそらく、園芸品種にハナショウブという名前を取られてしまったのでしょう。 品種改良されたハナショウブよりもすっきりしていて、紫の一色で、私の好みに合う。ところが、見かけによらず、この美人には毒があります。 この湿原は前はアシが生えており、芦場にしていたというのだから、アシを刈り取って何かに使っていたようです。半世紀ほど前は田んぼだったという記述もあります。その後、放置され荒れ放題になっていたのを、2004年頃から地元の人たちが整備し直しました。 湿原にノハナショウブに続いて多いのが、写真下のキンコウカです。東北以外では北海道や中部の高山や亜高山地帯の湿地で見られます。 写真上下 キンコウカ(金光花、金黄花) 見かけによらず、これも毒性があります。つまり、この湿地帯にノハナショウブとキンコウカがたくさん残っている理由は、両者ともに毒性があるからです。動物が毒性のない他の草を食べてくれるので、彼らは勢力を広げることができた。 湿原の中にミズチドリというランがあります(写真下)。数が少ない上に、まだ開花の初期らしく、ツボミが多く、開いているのは少ない。日本全国と朝鮮半島からシベリアにかけての湿原に生えています。芳香があるそうですが、花があまり咲いていないせいか、わかりませんでした。 写真上 ミズチドリ(水千鳥) この日、会ったのは写真下の二人を含めて三人でした。残りの一人から、近くにクマが出たらしいという話を聞きましたから、実際は三人と一匹だったのかもしれない(笑)。 私が訪れた後の8月に鮭川村のある最上地方に豪雨があり、米湿原は壊滅的な被害を受けて、9月には鮭川村観光協会が米湿原を当分閉鎖すると発表しました。しかも、三か月たっても復旧していないことが新聞で報道されました(山形新聞、2018年11月7日)。 米湿原にはサギソウなどの珍しい植物も自生していますが、それは他の地域にもあります。しかし、ミチノクヒメユリは自然には確認できず、鮭川村の栽培がなくなったら、山形県から消滅します。 |