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野良猫トムの物語

 

 

 日本では「吾輩」という名前の、名前のない猫が有名らしいが、僕はトムという名前のある猫だ。ジイサンと花が咲いている小さな農園で暮らしている。僕は猫年生まれで、ジイサンは山羊年生まれだと言っている。

 

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ジイサンとの出会い

 僕は前は野良猫だった。僕のような外見も能力も優れた猫が飼い猫でなかったなんて、誰も信じてくれないが、まあ、紆余曲折、人生いろいろあってね。野良猫は自由気ままだが、生活はなかなか大変だ。特に山形は冬が厳しい。11月も後半になると気温は下がり、東京の真冬よりももっと寒い。間もなく平地でも雪が降り出す。野良猫にとっては厳しい冬が来る。冬に雪が積もると、身体が小さいから移動もできないし、餌もないから、野良猫が死ぬ大きな理由は餓死と凍死、あるいは両方。

 

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 その寒い晩秋の朝、陽がだいぶん上がってから、起きたばかりのジイサンが勝手口から出てきて僕と鉢合わせになり、目が合った。そこで僕は、

「ニャアニャ、フンニャニャ、ニャオ、ニャーオ」

と白い息で言った。「寒い、腹へった、なんか餌ないか」と言ったのだ。すると、ジイサンは、

「ずいぶん、お前、おしゃべりな猫だな」

と僕の顔をしばらく見た後、二十年乗っているというオンボロ車でどこかに出かけて、猫ビスケットを買って来てくれた。僕はかなり驚いたね。猫の言葉のわかる人間もいるんだ。安物のビスケットはまずかったけど、しばらくぶりでお腹いっぱい食べられて、幸せな気分になった。

 これが僕とジイサンの友情の物語の始まりさ。

 

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毛並み

 ジイサンは僕を見て、

「こいつが子猫の時に段ボール箱に捨てられていても、最後までもらい手がなかっただろうなあ」

「ドブ川に落ちたような毛色だ」

なんて言いやがる。

 

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 ジイサンには芸術的感性ってものがなさすぎる。見てくれ、格好いい僕の見事な毛並み。黒と茶色と白が混ざり合い、絶妙な調和の上に成り立っている。世界中の猫の美点を全部集めたような毛並みだ。

 こんなに容姿に恵まれた僕にジイサンが最初につけた名前はカオワル!!??ドブ川に落ちたような毛色だから顔悪??このハンサムを絵に描いたような僕が顔悪?ジイサンは僕の容姿に嫉妬しているのかねえ?

 

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 見てくれ、僕のこのニラミ。ひとニラミでオス猫どもは逃げ出し、メス猫たちは列をなして付いてくるから、いつも整理券を配っている。でも、勘違いしないでくれ。僕は穏やかな性格だから、人間みたいに争いは好まない。

 

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 見てくれ、僕のこの後ろ姿。毛がふさふさしているから、ジイサンが嫉妬したのはこれかもしれない。男は後ろ姿で人生を語れるようじゃないとね。茶色と黒と白が複雑に混ざり、非対称に変化にとんだ背中は僕の曲がりくねった人生を象徴している・・・いや、人間にわかってもらおうなんて気はないさ。

 

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 カオワルという名前に、近所のオバサンが気の毒がって付けたくれたのがトムで、ジイサンは「四文字よりも二文字のほうが簡単だからトムにするか」という安易な発想でトムに決まった。

 

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近所のオバサン

 僕の名前を付けてくれた近所のオバサンは、ジイサンの農園の畑を借りて野菜を育てているので時々来る。僕はオバサンが来るのがどれほど待ちどおしいことか。いつも草だらけの砂利道に座ってオバサンの車を待っている。車はすぐにわかる。ジイサンのは二十年乗っているボロ車、オバサンのは去年買ったばかりの新車。僕はいつもオバサンを大歓迎さ。

「ニャアニャア、ずっと待っていたんだよ、ニャアニャア、僕はとってもいい猫ですよ」

 

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 オバサンに撫でられている僕を横目で見ていたジイサンは「野良猫のくせに、腹を見せて、そのだらしない格好は何だ?」なんて言う。だから、僕は野良猫じゃないって。

 

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 オバサンはいつも「ちゅーる」なんていうおいしいオヤツをくれる。ジイサンときたら、最安値のビスケット以外は出したことがない。一度もない。たった一度もない。まったくない。

 ちゅーるを食べる僕を横目で見たジイサンは「野良猫のくせに、すっかり贅沢になっちまって」なんていう。だから、僕は野良猫じゃないって。

 

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 オバサンがかわいい僕を飼い猫にしたがっているのは知っている。本音を言うと、僕もオバサンの飼い猫になりたい。雨や雪の心配もない暖かい部屋で、おいしい食べ物を好きなだけもらい、かわいい僕をカワイイカワイイと撫でてくれるだろう。

 でもね、ジイサンとの友情があるから、僕はあえて幸せな道を選ばずに、この小さな農園にいる。こんなに友情に篤い猫と友達になれて、ジイサンは幸せ者さ。

 

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農園

 ジイサンは小さな農園に住んでいる。

「ここが銀座の一等地なら、おれは左うちわで暮らせるんだけどなあ」

などとニヤニヤしながら独り言を言っている。

 欲張りなのはしかたないけど、物事の道理がわからないのは困る。ここが銀座なら、僕はオシャレな銀座猫かい?違うよね。捕まえられて、人間の好きな二酸化炭素を吸わされて、処分という名前で虐殺される。日本では年間、数万頭の犬猫が虐殺されている。

 

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 僕だけじゃない。ジイサンは気が付いていないようだが、農園が銀座にあったら、ジイサンは東京湾に浮いているか、沈んでいる。つまり、二人ともオダブツさ。ここが東北のド田舎で、買い手もつかない二束三文の土地だから、ジイサンも僕も幸せに暮らしていられる。

 

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正直じいさん

 ジイサンが畑仕事をしながら鼻歌を歌った。

♪ 裏の畑でポチがなく 正直じいさん掘ったれば 大判、小判がザクザク ザクザク 

 それから、僕のほうを見てこう言った。

「なあ、トム、お前もたまには裏の畑でないて、大判小判をザクザク出してくれよ」

 

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 ジイサン、なに欲の皮つっぱらせて寝言ほざいているんだよ。ポチは犬、僕は猫。大判小判を掘ったのは正直じいさん。いつからジイサンは正直ジイサンになったんだい?昔から今に至るまで一貫して、ぶれることもなく頑固な偏屈ジイサンだよな。

 だから、僕が現実の歌を歌ってあげるよ。

♪ 裏の畑でトムがなく 偏屈じいさん掘ったれば 瓦礫、石ころザクザク ザクザク 

二番目の歌詞は「偏屈じいさん」を「頑固じいさん」にするだけでいい。

 

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猫ビスケット

 ジイサンの出す餌が店でも一番安い猫ビスケットなのは知っている。なにせジイサンは1kgあたりいくらなのかを頭の中で計算しながら、一番安いのを探す。

 でもね、僕は贅沢な猫じゃないから心配しなくていい。近所のオバサンがくれるような高額、高級で、どんな猫も飛びつくようなおいしくて、うまくて、絶品の猫餌を買ってくれなんて言わない。ジイサンが、雀の涙ほどの年金から保険料を天引きされた雀の涙が乾いたくらいの年金で暮らす貧乏人なのは知っている。

 

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 僕は心を大事にする猫なんだよ。ジイサンのくれる餌がまずくて、あきあきするような味で、腹の足しにしかならなくても、ジイサンが友人の僕に餌をくれるというその気持ちを大切にしているのさ。

 だから、近所のオバサンは気の毒がって、時々、普通の値段の猫ビスケットをくれると、その結果は一目瞭然。オバサンの餌はアッという間になくなるのに、ジイサンの餌はいつまでも減らない。

 

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長生き

 ジイサンの偏屈な性格だと、周囲から早くクタバレなんて思われているだろうけど、僕は違うよ。僕は心やさしい猫だから、ジイサンに長生きしてほしいと願っている。だって、ジイサンが死んだら、僕の餌はどうなるんだい?

 

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 人間は、人間が一番頭が良くて、霊長類だの、生物界の頂点にいるだのと自惚れの垂れ流し。山奥に裸で投げ込まれたら、猫は生き抜くが、人間はすぐに死ぬ。どっちが優れている?脳味噌が大きいと自慢しているけど、増えたのは自惚れだけで、何もわかっちゃいない。

 あの偉いお釈迦さんも人間と猫の区別なんてしていない。ジイサンも次は猫に生まれ変わるかもしれない。だったら、どうすればいいかわかるじゃないか。僕を飼い猫にして、おいしい餌をたくさんくれて、大事にすることだよ。

 

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友情

 だいたいいつもジイサンのことを気にかけてくれるなんて、僕以外にいないよね。僕は心の広い猫だから、偏屈で頑固なジイサンでも友達でいられる。

 

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 僕のような素敵な猫と友人になれるなんて、ジイサンは運が良い!

 僕らの間には大きな友情がある。だから、その友情の証しとして、僕を飼い猫にするってのはどうだい?僕のこの大きな愛情に応えてさ、僕を家に招き入れて、温かい寝床とおいしい食事を・・・おい、ジイサン、どこに行くんだよ?ひとの話は最後まで聞けと親から習わなかったのか!まったく、近頃の年寄りときたら礼儀がなっていない。

 

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猫の手

 ジイサンは農作業で忙しい・・・と言っても、気が向いた時しか作業をしないから、農園は草だらけ、仕事は山積みだ。そこで僕は、

「猫の手を貸そうか」

と、僕の白と黒と茶色の素敵な手を差し出した。するとジイサンが何て言ったと思う?

 

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「お前のは手じゃなく、足だから、いらない」

・・・あのね、そういう問題じゃないのよ。いやはや、まったく、人間てこれだから困る。手足という物ではなく、友情という心だろう?ココロ!

 そして僕の篤い熱い友情を感じたら、飼い猫として家に入れてくれて・・・・おい!ジイサン、なに寝たふりしているんだよ?ひとの話はきちんと聞けと、親から教えてもらっていないらしい。まったく、近頃の年寄りときたら常識がなくて困ったものだ。

 

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星の王子さまと狐

 星の王子さまはキツネと遊ぼうとしたが、キツネは、王子さまから見て、自分は他の十万匹のキツネと同じで仲良しではないし、キツネから見て、王子さまは十万人の少年と同じで仲良しではないから、遊べないと断った。

 

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『星の王子さま(Le Petit Prince)』サン・テグジュペリ、1943

 

 ジイサン!素晴らしいと思わないか。僕にとって、ジイサンは十万人の老いぼれの中からたった一人の老いぼれになり、ジイサンにとって僕は十万匹の猫の中からたった一匹の素敵な猫になる。友情はこうやって作り上げるものなんだ!僕らも仲良しになって友だちになるから、僕はジイサンの飼い猫になり、おいしい餌と温かい寝床と清潔な砂場が・・・ほら、星の王子さまよりも完璧な友情の物語だよ。

 

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飼い猫

 ある時、家の勝手口が開いていた。僕を飼い猫として迎えたいが、直接言いにくいから、勝手口から入れという意味なのだろう。ジイサンはああ見えても、案外、恥ずかしがり屋なのかもしれない。

 僕はジイサンの気持ちを察して家の中に入り、奥の一番よさそうな部屋にゆっくりとくつろいでいた。もちろん、礼儀正しく、ウンチとオシッコは座布団の上にした。

 

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 ところが、夕方になっても食事が出てこない。それでいて、ジイサンは台所で食事をしているらしい。僕は、

「お腹すいたんだけど、僕の分は?」(フンニャア、フンニャア)

と声をかけると、食事中のジイサンは仰天した顔をして、

「ナ、なんで、お前ここにいるんだ?!」

と言う。飼い猫が家の中にいるのは当たり前だろうに、何を言っているのだろう?ジイサン、ボケたのかな。

「お前、なんか、勘違いしてないか」

と言うから、

「してない、してない」(ニャッチャア)

と返事をしたが、ジイサンは何か怒っているらしく、ドアを開けて、出て行けという。僕は振り返りながら、

「食事の時に怒るのは身体によくないよ」

と言ってあげた。どんな時でもジイサンの身を気づかう僕は本当にやさしい猫だ。

 

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疥癬猫

 山形の野良猫とって恐いのは冬の寒さと飢えの他に、もう一つはダニが食いつく疥癬だ。その犠牲者がフテチャという薄茶色の猫で、こいつがまた図々しくてフテブテシイ茶色の猫だから、フテチャという名前になった。

 

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 ある年の七月、いつも太々しいフテチャの様子がおかしい。良く見ると顔が赤い。痒いらしく、さかんにかきむしっている。猫疥癬で、ジイサンは嫌な奴でも何とか助けたいと思ったらしいが、なにせ野良猫だから、薬を付けることもできない。結局、この夏を最後にフテチャは姿を見せない。つまり、死んだ。

 

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 二匹目はシャム。シャム猫で飼い猫だったかもしれない。雄で気位が高く、攻撃的で、餌を食べに来た他の野良猫を襲うからジイサンは嫌っていたが、近所のオバサンは貴公子みたいだと誉めていた。つまり、僕とシャムで二匹の貴公子がいたことになる。

 

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 最初の異変は目で、彼のきれいな青い目がつぶれていた。シャムは喧嘩ばかりしている猫だったから、目をやられたのだろう。オス猫は縄張り争いの喧嘩の怪我で死ぬことは珍しくない。人間と似ている。僕みたいに穏やかな猫は珍しい。左耳の後ろがフテチャと同じように、かいた跡らしく赤くただれていた。

 

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 最後に現れた時には同じ猫とは思えないような、痩せてボロボロの毛並みで悲惨な姿だった。ここ以外には餌も採れなかったのだろう。あまりの哀れな姿に、ジイサンは疥癬用の薬を餌に混ぜて食べさせようとしたらしいが、間に合わなかったらしく、シャムは姿を見せなくなった。つまり、死んだ。

 

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 シャムは飼い猫だったはずだ。飼い主が薬を付けてあげれば簡単に治るのに、見た目が悪くなったから見捨てたのだろう。ひどい話。人間て身勝手で薄情で無責任な奴が多い。僕はシャムは苦手だったけど、あいつの最後の姿には今でも胸が痛む。

 

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疥癬狸

 ある時、身体に毛のない変な奴がやって来た。ジイサンが言うには狸で、疥癬で毛が抜けてしまったらしい。なんかミジメな奴だ。ジイサンは毛がないことにかなり同情したらしい・・・いや、狸の頭には毛があるよ。

 

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 疥癬狸は毎晩のように来て僕の餌を食べるようになった。こいつはポリポリカリカリと実にうまそうに食べるので、音だけで狸だとわかる。そのせいか、少し毛が生えてきたらしい。だが、ジイサンのはそのままだ。ジイサンも猫ビスケットを食べてみたらどうだろう。僕のを分けてあげるよ。

 

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 ある時、僕が食事中に狸が来たので、にらみつけると、ジイサンが、

「おい、トム、そのタヌ公も腹を減らしているんだから、少し分けてやったらどうだ」

という。

 

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 僕はやさしい猫だから、すぐに隣のトタン板の上に登って、疥癬狸に餌を譲ってあげた。ジイサンは、

「えっ!おまえ、オレの言うことがわかったのか?」

なんて驚いていたね。僕はジイサンの友だちだよ。ジイサンの気持ちなんてわかるに決まっているじゃないか。それに僕は人間みたいに食べ物を独り占めしようなんて気はない。

 

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 残念なのは、この後、ジイサンが旅行に出かけてしまったので、疥癬狸は来なくなった。アイツ、元気だといいけど・・・。

 

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