野良猫トムの銀河鉄道 僕はトム。見てのとおり素敵で、格好良く、容姿に恵まれたオシャレな猫で、ジイサンと小さな農園に棲んでいる。これは僕が銀河鉄道に乗った時の話さ。夢かって?案内人の一人からもそう言われたから、そうかもしれない。どうせ人生なんて夢みたいなものだから、大した違いはない。 夜中の蒸気機関車 秋の夜中、僕は大きな物音で目が覚めた。シュッシュッというすごい音がする。生垣の向こうから聞こえてくる。蒸気機関車の音だ。でも、ここはジイサンの小さな農場で、山の中のド田舎だから鉄道なんてない。僕は何を聞き違いしているのだろうと、音の正体を見るために急いで垣根の向こうまで行ってみた。 0 やはり蒸気機関車だ。ライトを頭に付けて、白い蒸気を吐き出しながら黒い蒸気機関車がゆっくりとやって来る。生垣の道は人が通るくらいの幅しかないのに、そこをどうやってこんな大きな機関車が走れるのだ?! 列車は速度を落とし、ギギーッという金属音をたてながら、古い客車が目の前に停まった。鉄でできた部分は何度も塗り直ししたらしく、デコボコになっていて、それでも錆が出ている。 最後部の車両から車掌らしい人が下りて来て、僕を見つけて言った。 「お客さん、乗るんなら、早く乗ってください。この列車は13秒ほど遅れているんでね」 あっけに取られていた僕は、車掌の声で我に返り、自分が乗る予定の列車のような気になって、列車のデッキに飛び乗った。 後ろを振り返ると、列車の窓からの灯りで、僕に声をかけた車掌の顔が見えた。猫だ。猫なのに、車掌の帽子をかぶり、青い制服を着て、二本足で立っている。気のせいか、僕の餌を横取りする図々しいフトオに似ている。 車掌は左右に乗客がいないことを確認して、機関士に旗を振って出発の合図をしてから、デッキに入ってきた。蒸気機関車は警笛を鳴らし、蒸気を吐いて動き出すと、連結器で次々と客車が引っ張られるたびにガシャンという大きな音がして、ついに僕の乗った客車もグイッと引っ張られて動きだした。出発のうるさいベルもしつこい案内もない。 背中の切符 「切符を拝見しますよ。」 と車掌に言われても、僕は切符なんて持っていない。困った顔をすると車掌は、 「いや、背中を見せてください。」 と言って、読取機を僕の背中に当てた。僕の背中の茶色と黒と白の素敵な模様が切符になっているらしい。 「・・・ああ、トムさんですね。ジイサンの小さな農園駅からの往復で、指定席は13号車の4番です。案内人は後で伺います。」 誰が予約を取ってくれたのだろう。案内人って何? 「この列車は何ですか?」 と聞くと、 「銀河鉄道ですよ。」 あっさりした返事に僕は驚いて、 「銀河鉄道って、あの宮沢賢治の銀河鉄道??」 すると、車掌は苦笑いしながら答えた。 「お客さんたちは銀河鉄道って聞くと、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の列車だと勘違いする。宮沢賢治の銀河鉄道は蒸気機関車ではなく、電車かディーゼル機関車です。」 「松本零児の『銀河鉄道999』だと勘違いするお客さんもいる。鉄郎もメーテルも乗っていませんよ。乗っていたら、私もうれしいんですけどねえ。銀河鉄道は名前だけで、空を飛びたいなら飛行機、宇宙を飛びたいなら宇宙船に乗るべきで、この蒸気機関車は線路の上を走るだけです。」 たしかにこの列車は地上を走っているだけで空も宇宙も飛んでいない。 「あなたも猫ですよね?」 と質問すると、車掌は一瞬、きょとんとした顔をしたが、 「えっ?!・・・ああ、私が猫に見えるのは、トムさんが猫だからですよ。最近、『銀河鉄道の夜』のアニメ映画で猫が使われてから、私が猫に見える人たちが増えました。」 と笑ったので、『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫を思いだした。猫は笑わないので、笑う猫は珍しい。僕もどうやって笑うのか知らない。 0 「じゃあ、車掌さんは人間なの?」 と聞くと、ちょっと困ったような笑いを浮かべながら、 「ここでは、その質問はほとんど意味をなさないのです。」 と告げて、急ぎ足で前の車両に行ってしまった。何かまずい事をきいてしまったかな。 13号車4番 僕は旅行鞄を持って・・・あれ?いつの間に僕は鞄を持ってきたのだろう。見覚えのあるジイサンの皮の古い大きなトランクだ。ジイサンの下手な字で「とむ」と書いてある名札も付いているから、ジイサンが僕のために準備してくれたのだろう。中身が一番安い猫ビスケットなのは、開けて見なくてもわかる。 乗った車両は12号車で、最後部かと思ったら、もっと後ろがあるらしい。12号車を通り抜けてデッキに出ると、13号車は左にあるという矢印が貼ってある。左を見ると、えっ?!列車の進行方向とは直角に通路が続いている・・・いったい、どうなっているんだ?? ドアには13という瀬戸物でできた番号札が貼り付けてある。花模様でなかなかオシャレだ。トイレじゃないよな? 後ろから車掌がやってきて、わざわざドアを開けてくれた。フトオと違い、やさしい人だ。 「4番の座席はそのあたりですよ。」 車両はこちらもガランしてほとんど客がいない。 「こんなにお客さんが少ないと銀河鉄道は赤字でしょう?」 と彼に言うと、 「トムさんが今回の旅に満足すれば、この列車は黒字です。心が大事だといつもトムさんは小さな農園のジイサンにも言っていますよね。でも、トムさんが本音ではお金が大事だと思っているなら、赤字です。」 さっき読取機を背中にあてたから、僕の個人情報が漏れたらしい。 対座式の四人掛けの座席は古いが、掃除してあって、きれいだ。4番は僕の好きな窓側なので、窓の外が見られる。13号車は進行法向とは直角に走っているはずなのに、窓の外の風景は普通に流れている・・・うわあっ!すごい花だ。 遠くまで花畑が続いている。ジイサンが見たら喜びそう。 ピンク色の花畑の次は黄色で、今度は水色だ。 上級と下級 何か大声で議論しながら、女性と男性が車両に入ってきた。しかも、僕のいる席にやって来て座り、僕がいるのも無視して議論を続けた。他にいくらでも席が空いているのに、迷惑な人たちだ。僕は外の花畑を見ながら、聞くともなく聞いていた。 上級「原発は電気代が安い。文句ばかり言っている下級さんだってその恩恵を受けているじゃないか。」 下級「原発の地元に出している交付金や、廃炉の撤去費用を電力料金に入れて計算しているのか?廃炉の撤去費用は計算もできないほどだから、原発の電気代の見積もりができるはずがない。それらの費用を考えたら、原発の電気代が安いはずがない。こういう子供でも気が付くようなデタラメな計算を長年してきた。」 上級「おや、下級さんは計算ができるんだね、偉い偉い。トイレの無いマンションの何が悪い。電気が止まってもいいのかい?原発は電力安定供給の現実的な路線で、崩壊した原発なんて放置して、小型原発を新たに建設し、放射性廃棄物は子孫が後始末をすればいい。その頃には私は生きていないから関係ない。」 下級「中国が高速鉄道の事故を起こして、車両を畑に埋めようとしているのを日本人は笑った。だが、東日本大震災での原発崩壊の原因もわかっていないのに稼働させるのは、中国が列車を埋めたのと同じだ。」 上級「日本は原発を畑になんか埋めていません。汚染された残土をそうでない土と混ぜて公共事業に使います。薄めさえすれば、トリチウムだろうが何だろうが、基準値を満たしているから、なんの問題もない。」 下級「安全なプラスチックを捨てたら、マイクロプラスチックという汚染物になって戻って来ている。毒物でもない物さえ毒物になって戻って来た。自然からのしっぺ返しを甘く見ないことだ。」 上級「原発崩壊という大火傷をしても、庶民は喉元過ぎれば熱さを忘れるから、問題ありません。」 上級さんは美容院に行ったばかりらしく、頭髪はまとまっていて髪の毛一本もピクリとも動かず、化粧もしっかりしていて、たぶん有名ブランドの高そうな服で決めている。それに比べると、下級さんのシワのよったワイシャツが安物なのは、ジイサンのと似ているからわかる。 下級「日本はGDPは世界第三位だと威張っているけど、これしかない。実態は借金漬けで、国民一人あたり一千万円、家族四人なら四千万円もの借金を背負っている国民のどこが豊かなのだ?」 上級「フフフ、国債は借金などではないから、がんがん発行して、子孫が払えばいいさ。若者は保守的な上に投票に行かないから大助かり。私は分厚い年金と、天下りをくり返し、多額の退職金をもらっているから、生活には困らない。忖度のおかげで、末端の役人が死んでもうまく逃げられた。君のような薄っぺらな年金で暮らしているのとは訳が違うよ、ふふふ。金持ちはもっと金持ちになり、貧乏人はもっと貧乏になるのは、経済学者たちも認めており、世界の潮流ですよ、ホッホッホ。」 上級さんは余裕ある口調と、暖色系の色のついた笑いで、下級さんを眺め下ろしている。彼女の態度と内容、笑いに色がついているのはともかく、口先できれい事だけを並べる連中と違い、エゴ丸出しの本音でしゃべっているのがわかる。 上級「男女差別?日本は男系男子が天皇となる男女差別国家であり、男女差別が伝統なのだ。ああ、なんと強く美しい日本であることか!」 下級「あんた、女だろう?女の敵は女っていうけど、本当だな」 上級さんからは高そうな香水の匂いが漂ってきて、美しさにこだわりがあるらしいが、放射能も借金も差別も美しいとは言えない。 上級「核兵器を持った敵が攻めて来たら、いったい誰が下級さんの財産や命を守るんですか。あなたには愛国心というものがない。おお、我こそは全身に愛国心がみなぎる憂国の士!日本は核武装して、原子力空母を持ち、敵を断固として容認せず、毅然たる態度をとる!私が命がけで国を守る!」 下級「なに自己陶酔しているんだよ。あんたみたいな愛国心を独りよがりというのだよ。」 上級「あんたみたいなのを平和ボケというんだよ。」 下級「平和ボケの何が悪い?相手が刀を抜いたから、こちらも刀を、相手が鉄砲を出したから、こちらも鉄砲を出すなんて一番頭の悪いやり方だよ。」 上級「ホッホッホ、頭が悪いのは、地位も権力もお金もある私か、それとも、誰も忖度してくれないような、ただの貧乏人の下級さんか?オッホッホッホ。」 下級「ほらね、あんたらは権力や肩書、お金や物でしか語れない。」 上級「ホッホッホ、それを持たない負け組たちの口癖ね。」 上級さんが小さな鏡を見て、色のついた高笑いが連発した唇に口紅を引き直すと、二人は立ち上がって、どこかに行ってしまった。彼らがいたあたりの床には、上級さんのホッホッホ、オッホッホッホ、ホッホッホという色付きの高笑いがそのままたくさん落ちている。その上を歩きたくないから、誰か掃除してくれないかな。 あめゆじゅとてちてけんじゃ 「こんにちは。ケンジと言います。次の雨雪駅を案内します」 この人が車掌の言っていた案内人らしい。三十歳前後で、髪の毛を短く刈った素朴な感じの青年で、真新しい帽子をとり、礼儀正しく挨拶をした。こんな型の古い帽子がまだ売られているのだ。 「銀河鉄道とケンジさんだと、まるで宮沢賢治みたいですね」 と言うと、彼は照れたように笑った。 列車の窓から海が見えて来た。霧があるのか、霞んでいる。列車は海岸に沿ってしばらく走る。 陽が少し差し始めると、海は緑色を帯びた黄金色に輝いた。 さらに空が黄金色に輝き始めた。 小さな農園のジイサンの家は西日が良く入る。ジイサンは時々、斜めに差し込んでくる夕方の陽ざしをぼんやりと眺めている。空気に色がついたみたいで、家の中が別な世界のように見える。光が斜めから差すと、床の上の埃がはっきりと見えるので、ジイサンがたまにしか掃除しないのがわかってしまう。 ジイサンの独り言によれば、子供の頃、夕方帰って来たら、家の中に誰もいなかったので、その時の寂しさと、夕方の光が家の中に溢れ、時計の音だけがする光景が「ここ」に残っていると自分の胸を指していた。 年寄って、つまんないことを覚えているんだね。僕の思い出は、おいしい餌をたくさん食べた時だ。夕焼けをいくら眺めていても、お腹いっぱいにはならない。 雨雪駅に到着・・・と言っても、遠くに民家が見えるだけで、ホームも駅舎も何も無く、ここが駅だとわかる人はいないだろう。列車から下りてみると、周囲は長年放置されているらしく、草と雑木がぼうぼうと生い茂って、すっかり人々から忘れさられたような場所で、やはり駅には見えない。 海が近いから、ピンク色に咲いているのはハマナスらしい。夏なんだろうけど、降りると車内との温度差がはっきりわかるほど寒い。 「ここはサガレンだから、夏でも寒い」 とケンジさんが説明してくれたけど、サガレンて、どこのこと? ケンジさんはまるでホームにある駅名の看板を見上げるように、 「この駅の本当の名前は、あめゆじゅとてちてけんじゃ、というんだ」 と悲しそうに言う。あめゆじゅとてちてけんじゃ、なんて、呪文のような長い名前だから、雨雪駅になったのだろう。 この駅は彼の妹さんの死と何か関係しているらしい。説明してくれるのかと思ったら、古い型の真新しい帽子をかぶって、何か探しているみたいに下を見ながら、一人で歩いて行ってしまった。案内人の仕事をしないのかな。 ハマナスの匂いのする茂みの中を後を追うと、野原の真ん中に立っているケンジさんを見つけた。妹さんのことを思いだして、泣いていたのかもしれない・・・えっ!雪が降って来た。ハマナスが咲いているくらいだから、今は夏なんだろうけど、季節外れの雪というか、ミゾレだ。ケンジさんの涙雨が雨雪になったらしい。湿った重い雪なので、樹木に付着して、あたりはすっかり雪化粧してしまった。 ケンジさんが辛いのもわかる。おいしい餌をくれる近所のオバサンはなかなか来てくれないし、隣の性格の悪いドラ猫と嫌でも顔をあわせるし、欲しい餌はたまにしか食べられないし、ジイサンは年とると病気や身体が大変だとぼやいていたし、そして、死神は生真面目に全員を迎えに来る。 ケンジさんは妹さんの死を悲しんでいるけど、妹さんの死を覚えているからまだいいよね。僕は時々、自分が何かとても大事なことを忘れてしまったような、大事なことをやり忘れたような気になる。餌は食べたのに、大事なことが何だったのか、思い出せない。しかも、前も同じように別な場面で、大事なことを忘れてしまい、思い出せないと言っていたような気がするのに、それがまたいつだったのか、思い出せない。 ケンジさんはいつも妹さんを思いだせる。でも、ある日突然、自分がとても大切な人がいたんだと思い出しても、その人は遠くに離れているのではなく、ずっと過去の、もしかしたら、生まれる前の過去の人で、もう取り返しがつかないと気が付いたらどうだろう。親しい人たちがいると思っていたのに、何気なく振り返ったら誰もおらず、自分一人だけが離れてしまい、しかも彼らは過去にいるから、絶対に戻ることも会うこともできないとわかったらどうだろう。 だから、僕はその大事なことも大切な人も思い出さないほうがいいと思っている。 昔の中国人 僕はウトウトしてしまったらしい。列車のあのガタンゴトンという振動はどうして眠気を誘うのだろう。ケンジさんは戻って来なかったようだ。気が付くと、一人の浅黒い痩せた男が立っていて、僕の前の席が空いているかと尋ねているらしい。うなずくと、彼は何も言わずに座った。 ヒゲをきれいに剃って、浅黒く彫が深くて日本人離れした容姿だから、インド人かもしれない。丸い眼鏡が鼻の上に乗っている。千数百年前、奈良の大仏の開眼供養で眼を描き入れたのはインド人だから、昔から付き合いがある。背筋をのばし、僕をただ猫だと見ている。着古して傷んだ服を着ているのは小さな農園のジイサンに似ている。ジイサンは自分の服は下ろしたてだと言っていたけど、何回目の下ろしたてなんだろう。ジイサンは時々ズボンからシャツがはみ出ているが、このインド人には隙がない。 「眠っていたようだけど、夢は見ましたか?」 そう言えば、近所のオバサンがくれたおいしい餌を食べている夢を見ていたような気がする。 「それは列車に乗っている君が餌を食べる夢を見たのか、それとも、餌を食べていた君が列車に乗る夢を見ているのか、どっちなんだろうね。昔の中国の思想家は、人間が蝶になった夢を見ているのか、蝶が人間になった夢を見ているのか、どちらともわからないと言っていた。だから、私の話を聞いているのもトム君の夢かもしれないし、ジイサンがトム君になった夢を見ているのかもしれない。」 インド人の話は小難しいだけだが、列車の外に花畑がたくさんあるのは、花好きのジイサンの夢だからかもしれない。僕にとって花はお腹の足しにはならないし、雌猫でもないから、誰の夢かなんて、どうでもいい。 ジイサンが子供の頃に読んだ本に、学者が、普通の人の夢には色がなく、色のついた夢を見る人は脳に異常があると書いてあって、ジイサンはショックを受けたそうだ。ジイサンは色のついていない夢など見たことがなかった。なあに、学者もこのインド人も知ったかぶりで適当な事を言っているのさ。脳に異常があるんじゃなくて、ジイサンの場合、ただ偏屈なだけだよ。 インド人なのに、中国人の話を続けた。 「昔の中国の小説に、都に上る途中でうたた寝をしたら、立身出世して惜しまれながら死ぬ一生の夢を見て、そこで目が覚めた彼は栄華を求めるのをやめて、故郷に戻ったという話があります。」 ジイサンの知り合いの中国人がそんな夢を見たら、大喜びで都に行き立身出世を目指すだろうね。中国人に限らず、それで都に行くのを止める人なんて実際にはいないから、警句めいた物語として成り立っているのさ。僕もおいしい餌をたくさん食べられる夢を見たら、餌を探して先に進む。だって、夢でいくら食べてもお腹いっぱいにはならないもの。 「あの話は夢のことではなく、どう生きるのかを問いかけているのですよ」 どう生きるって?飼い猫になってかわいがってもらい、おいしい餌をいっぱい食べて、雌ネコにもてる以外に、何がある? 人間は、餌や雌のことばかりの猫とは違うなんてうぬ惚れているけど、同じだよ。他人に自慢できる立派な学校を出て、他人に自慢できるほど立身出世して、他人に自慢できる財産を作り、他人に自慢できる伴侶と結婚して、他人に自慢できる子供を育てるとか、ほらね、猿山のボス猿と変わらない。 ジイサンなんか、あのド田舎の農園が銀座の一等地だったらなあとか、石ころしかない畑から大判小判を掘り出せたらなあ、なんて言っているくらいで、猿どころか、脳味噌のネジが二~三本外れている。 昔のインド人 「昔のインドの聖者は、悪い事をせず、善い事をして、心を清らかに保って生きるよう説いた。なぜなら、そうしないと最悪、猫であるトム君は人間に生まれ変わってしまう。」 僕は小難しい話にまだ眠気がとれずにいたが、この言葉に一気に目が覚めた。 冗談じゃない! 犬でも猫でも、人間に生まれ変わりたいなんて奴はいない。頼むから、それだけは勘弁してほしい。自分が棲んでいる地球を何度も丸焼きできる核兵器を持つほど頭が悪く、原発が崩壊して大火傷を負っても、まだ原発を作ろうとするほど学習能力が低く、自分が生物界の頂点に立っていると自惚れるしか能のない人間に生まれ変わりたいという動物など会ったことがない。 「トム君も人間に生まれ変わりたくないなら、悪い事はしないことだ。」 僕の魂は猫だから、人間になんかならないよ。猫の魂が人間に生まれ変わったら、マタタビでうっとりして、雌猫を追いかけるのか? 「トム君の魂って、どこにあるんだい?」 そんなこと言ったら、心だって、これが心だと出せるものではないだろう。 「心は示せないが、誰でも心があるのはわかるよね。だけど、魂なんて、知ったかぶり以外は誰もわからない。そんな意味のわからない物を考えなくても、自分とは身体と精神の部品でできた集合体だとみなせば説明がつく。 例えば、机の上にある物を肉眼で見て、ケーキだとわかり、うまそうだから食べたいと思い、実際食べて、これはやはりうまい物だと記憶する。こんなふうに身体と心が連携して働いているのが自分自身であって、魂なんて関係ない。」 へえ、そうなんだ。でも、猫はケーキを食べないからね。 「じゃあ、小さい頃の君と今の君で、どっちが自分なんだい?」 そりゃ、両方とも自分だ。 「だが、身体は大きさや形が違うだけでなく、分子がほとんど入れ替わっているから、まったく別物だ。好みも考えていることも違う。外見も中身も違うのに、両方とも自分だなんて、変だよね。」 でも、両方とも自分だ。 「両方とも自分なのに似ても似つかない。一瞬前と一瞬後でも自分は違う。一瞬も止まることなく常に変化しているから、どこにも、コレが自分と言える自分なんてない。変化がゆっくりだから、魂のような核となる固定した自己があるかのように錯覚しているだけで、そんなものはない。」 まるで僕はいないみたいじゃないか。でも、ここにいる。 「いるさ、もちろん。魂のような中心はなく、身体と精神という部品でできた集合体が、一瞬もとまらずに変化し続けているのが自分です。コレが自分だという自分を示すことはできないように、コレがトムだという猫はいません。常に変化し続ける肉体と精神という部品の集合体がトム君です。」 時庭のアリス インド人の面倒くさい話が終わる頃に、列車はゆっくりと次の駅に停まり、ちょうど窓から「白兎」という駅の名前の看板が見えた。 しろうさぎ・・・変な名前。銀河鉄道なんだから、アンドロメダ駅とか、観光客ウケする名前を付ければいいのにと思っていると、勢いよくドアを開けて入ってきた乗客がいる・・・えっ?!上着を着た白いウサギだ!?上着を着るのはいいけど、どうしてパンツもズボンもはいていないのだ? 白兎は僕の前で立ち止まって、上着から取り出した懐中時計を見て「どうしよう、遅刻しそうだ」と通路を走り出した。列車はすでに動き出しているし、この車両は一番後ろだから、そちらに走っても無駄だと教えてあげようと「ねえ、白兎さん」と声をかけたが、彼は聞こえなかったらしい。僕も白兎の後を追いかけて走り出した。 この車両は見た目よりもずいぶん長い、というか、走っても走っても、なかなか後ろまでたどり着けない。急いで走れば走るほど、車両も時間も間延びしていくような気がする。ものすごく急いで走っているのに、どうして僕は息が切れないのだろう?白兎のすぐ後ろを走ったはずなのに、僕が後ろのドアを開けてデッキに出た頃には、列車は早くも次の駅に着いて、白兎は先に列車を下りてしまった。 列車から降りてホームの左右を見ても、白兎はどこにもいない。見上げると「時庭」という駅の名前の看板がある。 ホームはガランしているが、端に誰か人がいる。行って見ると、長いテーブルがあり、そこでお茶会をしている等身大の人形が置いてあった。これって、『不思議の国のアリス』のマッド・ティーパーティーじゃないか。アリスと三月ウサギにヤマネと・・・あれ?マッド・ハッターだけいない。 観光客を呼ぶために作ったらしい、と思ったら、三月ウサギが僕のほうを見た!ただの人形かと思ったが、ロボットらしい。 三月ウサギはガラスでできた眼で僕のほうをじっと見ている。それにしても毛並みがひどい。僕は毛の手入れは怠らないし、他の動物のも気になる。だから、小さな農園のジイサンのぼさぼさの頭が気になる。三月ウサギの毛はバサバサで油っ気がなく、あちこち毛が抜けており、埃をかぶって薄汚れた感じだ。何年も部屋の中に放置されて埃まみれの剥製みたいだ。その剥製が首を動かして僕のほうを見たのだから、ギョッとした。 「あら、お客さんみたいね。お茶を用意しなくちゃ。」 と突然、アリスがしゃべり出した。人形かと思ったら人間だ。 「トムさんはアールグレイのホットかしら。」 アールグレイって、僕ではなくジイサンの好きな紅茶だ。僕は猫だから、お茶なんて飲まない。 彼女が並べた四つのティーカップにはどれにもお茶が入っていない。すると、それまで頭をテーブルに頭を乗せて眠っていたヤマネが急に起きて、 「お茶なんて入っていないさ。お茶が入っていなくても、お茶が入っているふりをして飲む。お茶を飲んでいなくても、おいしいですね、とお世辞を言う。」 お世辞なんて、人間たちのバカな真似はしたくない。 「お茶は入れない。お茶が入らないからお茶会はいつまでも始まらない。お茶を入れなくても、ずっと飲むまねをする。お茶がないから、いつまでも終わらない。いつまでも終わらないから、ずっとおいしいですねとお世辞を言い続ける。おいしい、おいしい・・・」 と言うと、またテーブルに頭を乗せて眠ってしまった。 気になっていたのがマッド・ティーパーティーにいるはずのマッド・ハッターがいないことだ。すると、また突然ヤマネが起きて、 「マッド・ハッターはお茶の葉を買うお金のためにハリウッドに出稼ぎに行って帰ってこない。お金がなければお茶の葉は買えない。お茶の葉が買えないから、お茶会はいつまでも始まらない。お茶会が始まらないから、いつまでも終わらない。終わらないから、お茶がおいしいとお世辞を言い続ける。おいしい、おいしい・・・」 と早口でしゃべり終えると、またテーブルに頭をつけて寝てしまった。 お茶の葉がないなら、どうしてアリスは僕にアールグレイかなんて聞いたのだろう? アリスがゆっくりと振り返って僕の方を見た・・・えっ!?おばあさんだ。僕はアリスの後ろから近づいたので顔が見えなかった。 服装は、テニエルの絵にある百年くらい前の、イギリスの中産階級の子女の服なのだろう。だが、それを着ているのは、どう見ても八十歳すぎのおばあさんだ。逆光で金髪に見えた髪の毛は、実際は油っ気のない白髪だ。子供の頃は可愛いらしく、若い頃には美人だったのだろう。だが、ルイス・キャロルがアリス・リデルに物語を語り聞かせてから150年以上もたっている。いつまでも終わらないお茶会に彼女はずっといたらしい。 「間もなく出発します」と車掌が声をかけている。僕はお茶会を中座する失礼をわびると、ヤマネがまた起きて、 「僕たちはこれからもずっとお茶会さ。」 と言う。嫌ならやめればいいじゃないか。 「お茶会を続けるのは僕の意思ではないし、やめればいいというのはトムの意思で、どっちも僕の意思ではないから、どちらも選ばない。僕は自由だ。」 それでヤマネはここで150年間うたた寝しているらしい。女王様のいる国の人間も動物も小難しい。 列車に戻って来た僕を見て、車掌が驚いた顔をした。 「えっ!トムさん、時庭の駅に降りたんですか?!・・・大丈夫ですか。」 アリスおばあちゃんからお茶に誘われたけど、僕は猫だから、お茶は飲まないと断ったと話すと、 「アリスが年をとっていたなんて、そりゃ変だな。時庭では時間は流れていないんですよ。だから、彼らはいつまででもお茶会を開いていられる。 ここは過去も現在も同じだから、昔のうれしいことも悲しいこともすべてそのまま押し寄せて来る。たいていの人は悲しみのほうが多いから、苦しくて耐えられない。一つだけでも大変な悲しみなのに、まとめて押し寄せてきたら、たまらない。降りた人もあわてて列車に戻ることになります。トムさんは猫だから、違うのかもしれません。」 僕も野良猫時代はいつもお腹を空かしていたから、あれがまとめて押し寄せてきたら、ジイサンがトランクに入れてくれた安物のまずい猫ビスケットだけでは足りなくなって、食べすぎて餓死するかもしれない。 そんな変な駅だったんだと後ろを振り返ると、もうアリスたちの姿も見えない。 古い電話 電話が鳴っている。デッキのほうで鳴っているらしいが、誰も出ないので鳴り続けている。うるさいので僕はデッキに出て、壁にかけてある電話に出た。猫の耳は人間よりも敏感で、騒音は苦手なんだよ。 古い受話器を取ると、「もしもし」と言う前に相手はいきなりしゃべり始めた。 「おい、トム、いつになったら帰るんだ?昨日は餌を出すのを忘れて、すまんかったな。」 なあんだ、小さな農園のジイサンか。餌の出し忘れは毎度のことだから、僕は気にしていない。 それより、普通の物語では、こういう電話は得体の知れない人物から来て、意味不明の話をして一方的に切ってしまい、ますます謎が深まり、それが布石になって次の展開が盛り上がり読者を惹きつけるというのが筋書きだろうに、ジイサンからの電話じゃ、謎も何もあったもんじゃない。それに、これがジイサンの夢なら、ジイサンから電話が来るって、変だろう? 電話を切ってから気が付いたのだが、この電話器の線は途中で切れて、ぶら下がっている。古そうに見えるだけで木製のスマートフォンなんだろうか。 ちょうど車掌が通りかかったので、 「ジイサンの小さな農園駅にはいつ頃着きますか?」 と聞くと、 「それなら、トムさんが望めば、次の駅ですよ」 と言う。 ジイサンは僕がいなくて寂しがっているのかもしれないので、銀河鉄道の旅を終えて僕は戻ることにした。窓の外を見ると、まだお花畑が続いている。これがジイサンの天然色の夢なら、ジイサンて本当に花が好きなんだな。 |