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南房総のスイセン

 

 2022年初頭は、新型コロナも三年目に入り、正月からオミクロン株が急激に蔓延し、スーパーに買い物に行く回数も減らすほどです。花を見に行きたいが出かけるのはためらわれます。

 関東で冬に花を咲かせるのは南房総があるので、コロナが蔓延する前は何度か観光や花を見に訪れたことがあります。前に訪れた時の南房総の花を紹介しましょう。

 

 

 南房総はつくば市から東京をはさんでほぼ反対側にあり、高速道路を乗り継いでも二時間以上かかり、高速料金だけで往復一万円を超えるので、あまり頻繁には行けません。

 

 

 

道の駅

 今日は南房総の南端まで行くつもりですが、スイセンを見る予定の「をくづれ水仙郷」は、館山市よりも手前の鋸南町にあるので、道の駅「富楽里とみやま」に立ち寄りました。富楽里で「ふらり」と読むのだそうで、凝りすぎて、わかりにくい。

 

 

 道の駅は高速道路と一般道のどちらからでも入れるようになっています。道の駅の土手にさっそくスイセンが咲いています(写真下右)

 

 

 

 地元産の野菜が売られており、菜の花がつくば市内よりも安いので買って、夕飯においしくいただきました。

 

 

 

をくづれ水仙郷

 道の駅から「をくづれ水仙郷」のある佐久間ダムまでは車で10分ほどです。

 

 

 ダム湖の土手が公園化され、道に沿ってスイセンが咲き乱れています。

 

 

 

 

 平日で、この時は二月上旬と開花の時期の後半だったこともあり、観光客はパラパラで、人が少ないのは私にとっては幸いです。花を見に来たのか、人を見に来たのかわからないような状態はうれしくない。

 

 

 

 

 ピンク色の梅や早咲きの桜が咲いていて、白く見えるスイセンと良く合います(写真下)

 

 

 

 

 ここに咲いているのはニホンスイセン(Narcissus tazetta var. chinensis)のようです。案内板を見ても、スイセンの名前が書いてありません。地元の人にとってスイセンとはニホンスイセンに決まっているからでしょう。だが、それは関東から西の話で、私は山形生まれなので、スイセンとはラッパスイセンのことです。私の家が花づくりの農家で、南向きの山の斜面にラッパスイセンを植えて出荷していたからです。

 ニホンスイセンはニホンズイセンというのが一般的な呼び方のようです。しかし、私の習慣ではニホンスイセンで、そういう呼び方もあるようなので、ここではニホンスイセンと表記します。

 

 

 

 鋸南町のホームページには、以下のように、江戸時代からスイセンが栽培、出荷されていたとあります。

 

「鋸南町の特産物として知られる日本水仙の歴史は古く、江戸時代の安政年間(185460年)には、房州から船で江戸に出荷され、武家屋敷や町家等に『元名(もとな)の花』として売られ、高貴な花として好評を得たとの記録があります。」

 

 この記述はとても興味深い。一つは、黒船が来たのが1853年ですから、幕末の混乱期から出荷が始まったことになります。黒船が浦賀沖に停泊していた時に、鋸南町の人たちは船に水仙を乗せて江戸まで売りに行っていた。きっと江戸の街中で黒船の噂を聞いたことでしょう。

 

 

 

 江戸に住んでいた人たちが花にお金を払う習慣や余裕があったのも、文化や懐具合を示すようで興味深い。1850年代にアサガオの品種改良のブームがあったなど、庶民の花に対する関心が高かったようです。対岸の鋸南町の人たちがそこに目をつけて売りに行ったのでしょう。

 

 

 

 

 どういう販売方法がとられていたのか、書いていないのでわかりません。スイセンを摘み取り、船で運び、江戸で販売するなど、個人では難しいから、仲買人がいたのか、それとも農家が組合を作っていたのか。このあたりがとても重要で、農家にしてみれば、ありがたいというか、珍しい現金収入です。当時の農民は自給自足して、米などの作物で納税して、現金収入は少なかったから、多くの農家がスイセン栽培に飛びついたのではないか。

 つまり、スイセンが農村の地域経済に変革を引き起こした可能性があることです。また、もし農民たちが共同で販売したのであれば、日本で初めての農業協同組合ができていたことになります。

 

 

 

 

「越前水仙の謎」

 「越前町 織田文化歴史館」のホームページに、「越前水仙」と題したニホンスイセンの紹介があります。文化歴史博文館の記述にしては、植物学など専門的な調査研究に基づいた内容で、すごいと思ったら、「越前水仙の謎」(松本淳・堀大介)と題した講演をまとめたもののようです。ネットではこれ以上に詳しい説明は見つからず、優れた解説なので、私はこれを主に参考にしました。

 

 

 ニホンスイセンは名前と違い、日本固有の花ではなく、中国経由で地中海沿岸から伝わってきたものです。日本に渡ってきた理由は遣唐使説、漂着説など諸説ある中、歌人の九条良経(11691206年)の色紙に残っているので、平安時代末期から鎌倉時代初期にはすでに日本にあったことは確かのようです。

 中国では福建省、浙江省に野生のニホンスイセンの群落があるそうで、いずれも日本よりも暖かい地方ですから、温暖な気候を好むようです。

 

 

 

 写真下は秋のギリシャで、海岸近くで撮った野生のスイセンで、見た目はニホンスイセンとそっくりです。それもそのはずで、ニホンスイセンのご先祖様です。このスイセンの変種がニホンスイセンとされています。

 

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写真上 Narcissus tazetta

(2019113日、ギリシャのペロポネソス半島で撮影)

 

 ニホンスイセンは地中海からはるか一万km以上を旅して日本までやってきた。今なら、一人がポケットに球根を入れて飛行機に乗れば一日で来られる距離だが、いったい何人の人たちの手によって、どのくらいの年月をかけて日本まで来たのでしょう。シルクロードを越えたのか、船で運ばれたのか、いずれにしろ、スイセンは毒性があって食用にはなりませんから、主に花としての価値だけで運ばれてきたことになります。

 遣唐使の中にニホンスイセンの球根を持ち帰った人がいるかもしれない。私はその人の気持ちがなんとなくわかる。なぜなら、私も同じようなことをしているからです。

 

 

公務員宿舎のニホンスイセン

 つくば市の公務員宿舎の跡地にはたくさんの花が残されていて、その中でもスイセンは数が多い(写真下)

 

 

 

 公務員宿舎の跡地は廃止されて何年もたつと、草木が茫々と生い茂ります。写真下は私が散歩していた跡地の2019年の様子です。建物は樹木の陰に隠れ、舗装道路にも雑草が年々押し寄せて、私にはとても心地よい雰囲気になっていました。

 

 

 

 

 この跡地に春にはスイセンだけでなく、様々な花が咲き乱れます。写真下左は巨木化したモクレンです。人が住んでいれば剪定や伐採されるのを、邪魔者がいなくなり、のびのびと成長していた。敷地には桑の実が多く、どのあたりの桑の実が一番おいしいか、私は知っていた()

 

 

 

 

 ところが、跡地が売却されれば、宅地開発のために表面の土を削り取るので、樹木も植物もまったく残りません。それが写真下で、写真上と同じ敷地の2022年初頭の様子です。私の目を楽しませてくれた草花も樹木も取り除かれ、スイセンの球根は土ごと捨てられてしまい、残っているはずもない。

 

 

 

 

山形でニホンスイセンは育つか

 公務員宿舎の跡地が売却されるとどうなるかを見てきたので、私はその前に跡地に残された植物たちをできるだけ移植してきました。スイセンは数が多く、中でもニホンスイセンは自然に増えたらしく、群落になっている所もありました。かなりの数の球根を掘り起こし、これを山形に移植しました。ニホンスイセンを持ち帰ったかもしれない遣唐使とは動機が違うが、新しい地域に植えてみようという点では同じです。

 

 

 

 山形の畑にニホンスイセンを植えたところ、「山形では育たない」と言われました・・・えっ!?そうなんだ。たしかに周囲の家を見てもない。ウィキペディアでは「本州の関東以西」に分布とあります・・・知らなかった。

 ニホンスイセンの群生地として有名な観光名所を赤丸で示したのが下の地図で、これを見ただけでも、ニホンスイセンが海岸近くの温暖な地域を好むのがわかりますから、内陸の雪国の山形にニホンスイセンを植えると誰かが言ったら、私は「やめたほうがいい」と助言するでしょう()

 

 

 実際、私が植えたニホンスイセンは秋に葉を出すので、その後、山形では霜が下り、雪が降りますから、葉が大打撃を受け、春先に花芽が出ても同様の理由で枯れてしまいます。失敗です。移植した他のスイセンたちが次々と花をつける中、一番多いはずのニホンスイセンは霜や雪で先が枯れた葉があるだけで、花の姿はない(写真下)

 

 

 

 ニホンスイセンには「つくばにいたらブルドーザーに踏みつぶされるから、山形に行って花を咲かせるんだぞ」と新天地を約束したのに、騙したことになる。私にとっても、最小限の道具で固い土から球根を掘り起こし、山形まで運び、畑を掘り起こして植えた労力が全部無駄になったかと思うと、ショック。

 ニホンスイセンには悪いことにしたなあと思っていたら、だいぶん後になって数本が花を咲かせ、その後もほんの少しだけ花が増えています(写真下)。どうやら、樹木の近くに植えたので霜の被害が少なくて済んだらしい。地球は温暖化しているから、ちょっと期待できるかもしれない。

 

 

 

 ニホンスイセンを昔の人たちが地中海からシルクロードで中国の沿岸まで運び、遣唐使が船で日本に運び、誰かが関東に持ち込み、さらに私が奥羽山脈を越えて山形に運んだ。なんと長い旅でしょう。駅伝でタスキを次々と渡すように、球根を渡し続けた。私はそれぞれの走者の名前も顔も、いつの時代の人なのかも知らない。

 話が地中海まで飛んでしまいましたから、南房総に戻ることにしましょう。

 

 

海鮮丼とイチゴ

 をくずれ水仙郷から南下して、海のそばの「相浜亭」で昼食です(写真下)。昼食時なので、けっこう混んでいます(写真下右)

 

 

 

 新鮮な魚料理を食べたいので、早く出てきそうな海鮮丼にしました。この量の海鮮丼で950円なら安い。

 

 

 

 食後のデザートは、館山観光いちご狩りセンターでのイチゴで、1600円で30分間食べ放題です。案内された温室の中にいた先客は二人だけで、彼らもすれ違いに出て行きましたから、この大きな温室のイチゴを独占です(写真下)

 

 

 

 この時期、スーパーのイチゴが1パック800円とすれば、2パック分食べれば元が取れるという庶民の計算をして、食べ始めました。一口で食いきれないような巨大なイチゴを食べながら、30分は短いと思ったのに、ものの10分もたたないうちに食べる速度が落ち、15分後には私の軟弱な胃袋が「もう、やめろ!」と悲鳴を上げた。昼食後に食べ放題という作戦が間違っている()

 

 

 

 

閉館した館山ファミリーパーク

 「花爛漫と南房総」という広告もありますから、花を売り物にしたテーマパークに寄りました。館山ファミリーパークは食事をした店からも近く、簡単に行けます。ただ、ここは新型コロナの直撃を受けて20215月に閉館しました。

 

 

 

 新型コロナは良くも悪くも、人間世界をブルドーザーでなぎ倒し、踏みつぶすように変えてしまった。良い面としては、例えば、コロナは学校を九月開校に変更するチャンスをくれた。ところが識者たちができない理由と弊害を並べ立て、首相も見識が低いから、教育ガラパゴスから脱出するチャンスを逃した。

 日本は、江戸時代には寺子屋という高い教育レベルを保っていた国とは思えないほど、先進国の中では教育関係の予算は低い。子供たちに平等な教育のチャンスを与えなければ、結局、国の損失になることがわかっていないようです。

 

 

 平日のせいか、園内はどこも閑散としていて、客よりも従業員のほうが多い(写真下)

 

 

 

 私の目的はポピーで、まだ冬だというのに見事に花を咲かせています。私も何度か自分の畑に種をまいたが、カルフォルニアポピーとナガミヒナゲシを除いて、ほぼ失敗です。ケシはアルカリ土壌を好むからだろうとのことでした。

 

 

 

 写真下のように見ると庭ではなく畑です。10200円で売っているから、採取のためにも、育てる上でも、これが効率的な植え方なのは、私の家は花づくりの農家でしたから、わかります。ただ、花の好きな私が、あちらこちらのフラワーパークにほとんど行かない理由がこれで、ありふれた花であるポピーをどう見せるかを工夫するのが庭、工夫しないのが畑で、後者には私の興味は急に下がってしまいます。

 

 

 

 看板にはこれが何という種類のポピーなのか書いてありません。栽培用だからシャーレーポピー(ヒナゲシ)、アイスランドポピー、オリエンタルポピーのどれかでしょう。

 

  

 

 色は主にオレンジと黄色、そして少し白があります。良く見るとかなり多様です。数が多いので、ハイブリッドがたくさんできたらしい。写真下など、ピンクの中にオレンジが微妙に混ざっています。

 

  

 

 写真下は遠くからは単色のように見えるのに、近づくと、オレンジ色の粉を吹いたようになっているのがわかります。

 

  

 

 私の好みだったのは写真下で、オレンジがぼけてしまい、ピンクともつかないような曖昧な色になっています。ポピーははっきりした色が多いので、こんな色は珍しい。

 

  

 

 

お土産屋

 最後に千倉の「道の駅ちくら」にお土産を買いに行きました。

 

道の駅ちくら 潮風王国

 

 

 道の駅は海のそばにあり、写真下の船は展示物です。

 

 

 

 ここもお客さんは多くありません。写真下左で売られているハマグリは、ここで捕れたのでしょう。スーパーで売られていた「熊本産ハマグリ」は、実は中国からの輸入品であったという産地偽装が2021年に発覚しました。それも、摘発された業者だけでなく、かなりの業者が同じことをしていて、スーパーで売れていたほぼすべての「熊本産ハマグリ」は中国産だったというのです。

 

 

 

 

 海岸を歩いても、さすがにこの時期は花はなく、寂しげ。

 

 

 

 スイセンとポピーを見て、海鮮丼とイチゴをたらふく食べて、二時間かけてつくば市に戻る頃には夕方になり、高速道路の脇に高さ120mの牛久大仏が浮かび上がりました(写真下)

 阿弥陀如来だそうで、お釈迦様とは全然関係のない仏様が、お釈迦様の説いた仏教の名の元に信仰の対象になっているのは、なんとも奇妙な光景です。ニホンスイセンは一万kmを旅して中国から日本に来てもニホンスイセンのままだったが、仏教は中国を経由する途中で、別な信仰に変質してしまった。ハマグリは中国から輸入してもハマグリだが、日本仏教は中国仏教を輸入したので、釈迦仏教とは似ても似つかない仏教が日本に定着してしまいました。

 

 

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