高嶺のヒメサユリ ユリの中で私がもっとも好きなヒメサユリを見に行きます。 ヒメサユリは福島県、新潟県、山形県、宮城県など限られた地域にだけ分布して、これよりも南にも北にも分布しません。乱獲などですっかり減ってしまったので、観光の目玉にしたり、保護しようという動きも盛んです。私の家の裏山にも残っているので、他の地域がどうなっているのか、どんな保護活動をしているのか、見に行くようにしています。 写真上 (姫早百合、姫小百合、乙女百合、Lilium rubellum) 下の地図は2022年5月15日から約一か月間、YAMAPという登山記録サイトに投稿された記事の中で、ヒメサユリを見たという山(▲)の位置を示したものです。公園などで植栽された物や、撮影した場所が曖昧なのは除きました。投稿数は500件近くもあり、ある意味で500人が参加して最新のヒメサユリの分布を調べた結果です。 今回、ヒメサユリを見に出かけたのは下の地図の五カ所です。ヒメサユリは高山では7~8月上旬まで見られ、低山では5月下旬から6月中旬くらいまでで、盛りは6月1日をはさんで前後合わせて三週間くらいですから、忙しい。 富神山のヒメサユリ ヒメサユリは低山にもいくらでも生えていて、山形市近郊でも自生のヒメサユリを簡単に見られる山はいくつかあり、その一つが富神山(とがみやま、とかみやま、標高402m)です。登山口から山頂までの標高差が約200mで、気軽に登山できる山です。2022年5月25日、晴天の天気予報なので、ヒメサユリを探しに富神山に出かけました。 富神山は山形盆地の西のはずれにあり、東側は田畑と集落が広がり、山の北側の幹線道路は、ここから西は出羽山地の山道になります。 南口の登山口に到着すると、すでに車が何台か並んでいます(写真下)。南口は駐車場がなく、道は行き止まりなので路上駐車でも問題ありません。富神山を東側から見たのが写真下右で、南側のほうがやや斜面がきつい。 南側の登山路にヒメサユリが多く見られるとあったので、私は南口から登り、頂上から尾根に沿って西に進み、曲森山を通過して、坂元口に下山します。私が歩いた南側半分の範囲では、道は良く整備されています。 登り始めて間もなく、道の脇に咲くヒメサユリが見つかりました。咲き始めの時期なのでツボミもあります(写真下)。 写真下左では、複数の葉が途中から切られています。写真下右は一つの花を除いて、他の花が切り取られてなくなっています。写真下の下段の花は花弁の先端が切られています。 人間が盗むなら根本から切っていくはずで、たぶん犯人はカモシカです。私の裏山にあるヒメサユリにツボミがついていたので、数日後に開いた花を撮影しようと行ったら、無い!?ナイフで切ったようにきれいな切り口でした。カモシカ君には「ヒメサユリを食べないでほしい」とお願いしているのに、なかなか聞いてくれない。 写真下は今日見た中で一番の美人です。 山頂からは東に山形市内と蔵王連峰が一望できます。 山頂付近にもヒメサユリが生えていて、陽があたるせいか、開花しているのが多い。土が乾いているせいか、どちらかというと小型です。 山頂から尾根の道に沿って西に進みます(写真下)。道は広く、その両側にもヒメサユリが見られます。尾根道は所々で二重になっているので、ちょっとわかりにくい。私と前後していた登山客が、私が先に別な道を下りて行ったはずなのに、しばらくして私が後ろから現れたので、「えっ?どこから来たんですか」と驚いていました。 尾根道は陽当たりが少ないせいか、ツボミだけになり、やがてそのツボミも緑色のものや、花芽もはっきりしないものが増えました(写真下)。 写真下など開花まであと数日は必要でしょう。尾根道のヒメサユリは背が高いのが多く、一瞬、ヤマユリかと思うほどです。これは年数を経ているからで、保護活動が実を結んでいることを意味します。尾根道を西に進み、曲森山をすぎる頃からヒメサユリはなくなりました。 五月末の山ですから、他にもいろいろな花が咲いています。 写真上左 オニアザミ(鬼薊、Cirsium borealinipponense) 写真上右 ノアザミ(野薊、Cirsium japonicum) 写真上 ホタルカズラ(蛍葛、Lithospermum zollingeri) 写真上 ママコナ(飯子菜、Melampyrum roseum
var. japonicum) 今日、見つけたもう一つきれいな生き物が写真下の蛾です。蝶は好かれるのに蛾は嫌われることが多い。この蛾は名前の由来となった羽の波形や、羽の先にフリルのように細かい毛がついていて、薄緑色と白の配色が見事です。わずか2cmほどの日本中どこにでもいる蛾なのに、小さな芸術品です。 写真上 ナミガタウスキアオシャク( Jodis
lactearia) 秋葉山のヒメサユリ 二カ所目は山形市の南に隣接する上山市(かみのやまし)にある稲葉山(標高277m)です。上山市のように山形市と隣接する自治体とは交通の便も経済的にも境界はありません。 2022年6月1日に、前日の天気予報で晴れと出たので、出かけることにしました。一週間前の予報では、この週はずっと雨が降るなど天気が悪いと出ていたのに、幸い外れた。 秋葉山は上山市の西山と呼ばれる地域にある山で、私は「西山ふるさと公園」まで車で行きましたから、秋葉山の山頂までの高低差はわずか100mほどです。 西山ふるさと公園は東屋などもあり、二つの谷川が合流する場所をうまく利用しています(写真下)。 昔は棚田のあったところに木道を作り、元の生態系に戻そうとしているようです(写真下左)。公園内は誰もおらず、静かで良い・・・と思ったら、元気いっぱいの女性の一団が秋葉山から下りてきました(写真下右)。 上山市はクワオルトと言って、市民の健康増進のための様々な企画をしています。その一つが、気軽にハイキングなどができる山道で、ここは西山コースと呼ばれています(写真下)。 女性のグループが下りてきた秋葉山を登り始めると、間もなくヒメサユリが見つかりました(写真下)。山道の脇で全員でお出迎えみたいで、しかも、土手を木で補強した上に生えていますから、ちょっと人為的です。 ただ、密生して不自然なのはここくらいで、山頂付近の尾根道で一番密集していても写真下くらいで、群落と呼べるほどではなく、道の両側のそちらこちらで生えている程度です。つまり、ほとんどは植栽したものではなく、保護して自然に増えたのでしょう。 ここは上山市がクワオルトと指定しているだけでなく、西山を保全する「西山ふるさと公園管理協力会」という組織があり、その中の「西山ヒメサユリを見よう会」がヒメサユリの保護に努力しているようです。 尾根道と両側の数メートルは草刈りがしてあり、落葉樹の間から陽射しがありますから、ヒメサユリにはうれしい環境です。その奥はヤブか、一部には写真下右のように笹が密集していて、ヒメサユリはありません。周囲の雑木が生えている林の中に入ってみると、ヒメサユリは急になくなります。 ここにも濃いピンクと色白の花があります(写真下)。濃いピンクのほうが少数です。 写真下のように大きく開いた花もあり、これは後半だからなのか、それとも個体差なのか、いま一つわかりません。 個人的には、写真下くらいに開いたのが一番好ましい。 ネットでヒメサユリを紹介している人が、写真下右のように後ろから見るのを「うなじを見る」と書いていました。ヒメサユリにはウナジがあるんだと妙に感心した(笑)。 花の重さで茎全体が曲がり、横向きに咲いていることも多い。こういう場合、花の開き方が軸対称ではないのがわかります。 一枚の花弁の形は写真下などが典型で、横幅がそれなりにあります。 ところが、写真下のように、横幅が細く、花弁が尖っているように見えるのもあります。 写真下の花は花弁の先が切られています。葉も上の二枚が半分切られています。富神山でも紹介したように、たぶんカモシカです。花がまだ蕾の時、先をちょっと試食して、好みに合わないので食べなかったのだから、礼儀正しいカモシカです(笑)。 この日、呆れるほど見かけたのが写真下の毛虫です。マイマイガの幼虫で、楽しそうに空中ブランコをしている奴もいて、糸でぶら下がって風に乗って移動する空飛ぶ毛虫です(写真下右)。 今年は山形県の南部地域でマイマイガが大発生しているらしい。驚いたのが写真下で、これはウルシの木です。六月の成長期のウルシは毒性も強いのに、彼らは何ともないのだ!ウルシに弱い私は、この毛虫を煎じて飲んでみようかと一瞬思った(笑)。 今日、見たもう一つの驚きの生き物がハチクマです(写真下)。登山者と立ち話をしていたら、その方が頭上を舞う数羽のタカのような鳥に気が付きました。話をうかがうと、鳥の観察が趣味で、これはハチクマの雄だという。ウィキペディアによれば、日本には初夏に飛来して繁殖し、冬は大陸に渡り越冬する渡り鳥です。タカなのにハチクマという奇妙な名前は、ハチを主食とすることから付けられた名前です。渡り鳥のタカがいるとは知りませんでした。 写真上 ハチクマ(蜂熊、八角鷹、蜂角鷹、Pernis ptilorhyncus) 奥羽山脈の東側のヒメサユリ 今回、訪ねた唯一の県外が宮城県の七ヶ宿町(しちかしゅくまち)です。ヒメサユリに行政区分は関係ないのは当たり前としても、どうして奥羽山脈の東側にヒメサユリがあるのか、奇妙に思っていたからです。 冒頭で示したヒメサユリを目撃した山の分布で、七ヶ宿町は、福島との県境にある半田山と並んで、東の端に位置します。ヒメサユリが多い山形県が奥羽山脈の西側なのに対して、七ヶ宿町は東側で確認されている数少ない場所です。奥羽山脈の東側の分布としては、七ヶ宿町が一番北です。 前日の天気予報で2022年6月2日は日中は晴れて、夕方から雨が降るとあるので、出かけることにしました。予報どおり、帰ろうとした午後三時頃から雲が多くなり、夜には雨が降りました。 七ヶ宿町にあるたった一つの信号機を左に曲がって白石川を渡り、住宅地が終わる頃に「乙女ゆり指定保存区域」があります。町の中から歩いても行ける距離で、近くの駐車場から入口まで歩いて一分もかかりません。 入口には「町花乙女ゆり保存指定区域」という色あせた看板が草に埋もれています(写真下左)。 車が入れるくらいの道路があって(写真下左)、斜面にヒメサユリが点在しています。斜面には人が歩いたような小道ができているので(写真下右)、ヒメサユリを見るのには困りません。 草の生え方から見て、また林との境に刈った草が積み重ねてありますから(写真下左)、たぶん秋に一度草刈りをしているのでしょう。 生え方はまばらで、写真上などは、これでもまとまっているほうです。ネットでも、ここを何回か訪れた人が、前よりも数が減っているようだという書き込みがありました。 ツボミも少しあって、来た時期はちょうど良い。 看板には「増殖のために植栽してあります」とありますから、積極的に植えているという意味でしょう。ただ、最近植栽していれば、耕した跡などがあるはずなのに、見当たりません。 全体として見た印象から推測するなら、ここは草刈り以外は放置されている。だから、私がいた二時間以上の間、観光客は一人も来ませんでした。いくら新型コロナの感染で客足が鈍っても、政府も旅行に県民割などの補助金を出しているし、こういう屋外での観光地は有利なはずです。だが、たぶん地元の人たちも関心が薄く、来ていない。 ヒメサユリはジッと街を見ているのに、街の人たちは見に来ない(写真下)。 ここは濃い色の花が目につきます。写真下左など、咲き終わりかけのせいか、赤に近いような濃いピンク色です。 七ヶ宿町は、町の花はオトメユリ、町立七ヶ宿中学校の校章は乙女百合、観光キャラクターは「ゆり太郎」、二人目の「源流ポッチョン」も頭からオトメユリが生えているなど、ユリづくしです。 ゆり太郎と源流ポッチョン(七ヶ宿町のホームページから転載) ところが、ゆり太郎君のブログは2019年を最後にそれっきりです。しかも、その前の二年間、ゆり太郎なのにブログには「ゆり」はただの一度も出てこない。源流ポッチョン君も、頭の横にいつもオトメユリが生えているのではなく、季節によって変えるという浮気者です。ネットでの記録を見ると、2011年の東日本大震災の前は「乙女ユリまつり」が行われていたのに、今は行われていません。 こんなふうに七ヶ宿町はオトメユリを看板にしているわりには、今は熱意が感じられない。 ヒメサユリを町おこしの観光や事業に使おうとした時期もあったようです。その残骸が、私が車を停めた場所にある「乙女百合バイオセンター」です(写真下)。後ろに温室まで備えた建物は、町の計画書によれば、五年前に廃止されたらしく、温室のガラスは割れたままです。 「施設の利用実態や老朽化により、農業系施設のうち、育苗センター、椎茸乾燥場、乙女百合バイオセンターの 3 施設と町営牧場の看視舎を廃止します。」(「七ヶ宿町 公共施設 等総合管理計画」2017年3月、67ページ) 廃止の理由に「利用実態や老朽化」とあり、室内をのぞくと、家具などが雑然と放置されていて、まるで仕事を放棄して出ていったような雰囲気です。 「バイオテクノロジーにより一本の苗から1000本を超える苗を短期間に得ることができる。」 「ピンク色のかれんな花を咲かせるオトメユリ(ヒユサユリ)の大量増殖を目的に七ヶ宿町が建設した「乙女ユリバイオセンター」が四月から動き始めている。実生なら採種から育苗まで足かけ三年かかるところを組織培養で一年間に短縮しようというものだ。ここで、培養したウイルスフリー(無病株)の優良株を農家に年間54,000株のペースで供給し、六十六年から球根・切り花として出荷される。」(「バイテクを町づくりの起爆剤に」『現代林業』全林協、265号、1988年、1-2ページ) 三十数年前のこの特集記事から見ると、乙女百合バイオセンターは1988年に始まり2017年までの三十年間稼働していたようです。ヒユサユリの出荷の目標とした「六十六年」とは実在しなかった昭和66年(1991年)で、これも三十年前のことです。この目標がほとんど達成できないまま終わったらしいことは、三十年後のこの建物だけでなく、保存指定区域のヒメサユリがそれほど多くないこと、何よりも、七ヶ宿町がヒメサユリの一大生産地になっているという話は聞いたことがないことからもわかります。 ヒメサユリを種から育てるのはそれほど簡単ではなく、種から花が咲くまで早くても3年、普通は5~6年と言われています。バイオテクノロジーで増やすのは実験室的には成功したのでしょう。だが新しい技術はなんでもそうであるように、問題は商業的に成り立つかどうかです。ネットでの育成の記録を見ると、従来のやり方で育てたほうが確実で安くあがりでしょう。 2014年に現在の町長になってから、2017年にこの施設の廃止が決まり、おそらくヒメサユリの保存指定地域への予算も最小限に削られたから、ゆり太郎はオトメユリに冷たくなった。お金の切れ目が縁の切れ目で、この男は薄情者らしい(笑)。 七ヶ宿町ではヒメサユリをオトメユリ(乙女百合)と呼んでいます。ウィキペディアでもオトメユリとあり、ヒメサユリは別名となっていますから、オトメユリが学問的には正式名称なのでしょう。 ヒメサユリとオトメユリをネットで検索すると、前者が18万件で後者が30万件ですから、これだけ見るとオトメユリのほうが一般的です。 ところが、福島県、新潟県、山形県、宮城県のヒメサユリ四県の、それぞれの市町村でのホームページやお祭りなどでの名称を調べると、かならずしもそうではありません。
ごらんのように、9カ所の内、オトメユリの名称を使っているのは2カ所だけです。山形県では、①~③以外で保護活動をしている地域でも、オトメユリという名称を使っているのを見たことがありません。例えば、写真下はこの時期に山形新聞がしばしば載せるヒメサユリの開花ニュースで、新聞記事でオトメユリという表記は見たことがありません。つまり山形県内での呼び名は断固として絶対にヒメサユリです(笑)。 少し北のヒメサユリ 奥羽山脈の東側に続いて、奥羽山脈の西側を北上しましょう。 山形市から南側では、ヒメサユリの保護活動やお祭りなどがあります。山形市の西に位置する大江町や山辺町、南西に位置する朝日町や長井市、今回行った秋葉山のある上山市、さらにその南の南陽市などです。ところが、山形市よりも北の地域では、お祭りも保護活動もあまり聞きません。その数少ない一つが、山形市から30kmほど北にある村山市の河島山(かわしまやま、標高193m)です。 この山の特徴は、盆地のまん中にあることです(地図上)。これまでヒメサユリを見るのに訪れた場所はいずれも、上の地図の左側の出羽山地か、右側の奥羽山脈でした。ところが、河島山は最上川のそばで、どちらにも直接は接していません。登山口から山頂まで標高差が100mほどで、北には似たような低い山が連なり、河島山はその南端にあります(地図下)。 写真下は東側から見た河島山の全景で、盆地の中に浮いた島です。 2022年6月4日、晴れの天気予報が出たので出かけました。河島山の北側にある駐車場の近くには農村文化保存伝承館やキャンプ場があるなど設備が充実しています(写真下)。 案内図にヒメサユリと書いてある西側の尾根を目指して登ります。この日は、南にある白山神社まで行き、山道の両側にヒメサユリを見つけることができました。開花しているのは少ない。 尾根の陽当たりの良い所は咲いているか、写真下のように、明日にも開花しそうなツボミです。日陰の山道ではやっと花芽が付いているだけのものが多い。花のピークは一週間くらい後のように見えます。山形市周辺の山では今がピークくらいですから、三十km北にあると、花が咲くのが遅れるようです。 写真下左には小さな花芽が付いています。たぶん開花まで一週間くらいかかるでしょう。こういうのが、陽当たりの悪い道にはかなり見られます。 印象だけで言うと、特別な保護もしていないし、また植栽するなどの人間の手も加わっておらず、比較的、自然のままの姿を維持しているように見えます。開花していないのを含めて、ツボミが複数ついているものや、背の高いものが多いことから、ここでヒメサユリが保護され、盗掘を免れているようです。自然のままであるなら、数そのものは他の山に比べて少なくありません。 写真下は樹木の下にあるせいか、色白です。普通はもっとピンクが濃い。この日、私が見た中で一番の好みでした。 写真下左は普通に見えるのに、実は右のように虫に食べられてしまったらしく、かわいそうな状態です。花はおいしいらしい。私は食べたことはありません(笑)。 尾根にある展望台はだいぶん壊れています(写真下左)。また、周囲の樹木が生い茂り、展望台としての役割をしていない。設備の多くは、作られた当初からそのままで、維持管理がされていないように見えます。写真下右は別な所から見た展望で、眼下に見えるのが最上川です。 山のそちらこちらに少しだけニッコウキスゲが生えています。写真下はもっとも密に生えている場所で、ここにも草に埋もれたベンチがあります。 写真上 ニッコウキスゲ(禅庭花) 写真上のように、明るい陽射しの中、にぎやかに咲いているだけでなく、日陰にポツンと咲いていることもあります。ニッコウキスゲの生命力と適応性はすごい。 高嶺のヒメサユリ ヒメサユリは秋田県には分布しませんから、山形県が北限です。その一つとされるのが戸沢村角川(とざわむら つのかわ)の浄の滝(浄ノ滝、じょうのたき)で、標高350~400mくらいにある滝の近くにヒメサユリが生えているという。 下の地図で見ると、山形市から浄の滝まではそれほど遠くないように見えます。実際には大きく迂回して北側から入るので、登山口まで車で二時間近くかかります。 あまり気軽に行ける所ではないので、戸沢村役場にヒメサユリの開花情報をたずねると、数日後に丁寧に調べて返事をもらいました。戸沢村では、下の募集のように観光事業の一つとして浄の滝へのトレッキングを春や秋に催行していています。 役場から紹介された角川ガイド協会に問い合わせたところ、6月12日のトレッキングでヒメサユリを見たと教えてもらったので、さっそく晴れの予報の出た2022年6月14日に出かけました。この時期、私の裏山ではすでにヒメサユリは終わっています。 前日には、戸沢村の東にある新庄市でクマが出たという警察からの情報があり、私は熊鈴を二つ付けて、ビクビクしながら出かけました(笑)。幸い、出くわしたのはタヌキだけでした。 車で二時間ほどかけて、ようやく浄の滝の出発点に到着しました(写真下)。ここは登山口ではなく、道路が崩壊したための工事現場で、ここから先、車は通行止めです。 下の地図の出発点が上の写真の工事現場で、二年前に崩壊したのに、まだ工事中です。前は旧駐車場まで車で行けて、そこから浄の滝まで30分との宣伝でした。ところが、道路崩壊で出発点から歩くか、バイクで行くしかなく、歩けば浄の滝まで2時間近くかかることになります。 道路の問題は工事をしているところだけではありませんでした。わずか二年ほど放置されただけで、土砂崩れや崩落した箇所があり、道は水の流れで深くえぐられ、道の真ん中に樹木が生えていて、ランドクルーザーでも通行は無理です(写真下)。 壊れた山道を奥に進むと、突然、舗装道路が現れました(写真下左)。ここだけは坂がきついので、アスファルトやコンクリートで舗装したらしい。これらの道路は滝へのハイキングコースのために作られたのではなく、何ヵ所かある砂防ダムの建設のために造られたものです(写真下右)。 周囲はブナなどの落葉樹が生い茂り、坂もきつくないので歩くのは楽です(写真下)。 一時間と少しで、ようやく立派なトイレのある旧駐車場に到着(写真下左)。ここまで車で来れば楽だったのに、などという愚痴はやめて、ここから山道を登ります(写真下右)。 山道は沢に沿って登っていくので大変ではない・・・と思ったら、道が河原に下りて消えた!?川に渡した丸太を束ねた橋が二つあって、大きな岩を迂回するために、川を一度対岸に渡り、上流でもう一度こちら側の岸に戻るということを理解するのに時間がかかりました。橋には片方にしかロープがついていないので、揺れてグラグラしている丸太の上を渡るのはけっこう恐い(写真下)。ただ川は浅いので、落ちても濡れるだけで、溺れるのは難しい(笑)。 予定の30分よりも遅れて、ようやく浄の滝に到着(写真下左)。ここにもまだ残雪があります。浄の滝の近くに行くには対岸に渡らなければならないのに、今度は丸太の橋はありません。角川ガイド協会からは長靴を持っていくように言われていたので、私は普段使っている農作業用の長靴に履き替えて川を渡りました・・・あれ?左足が冷たい。この長靴は穴が開いていたのだ(笑)。 滝は、見えているのは一番下だけで、実際にはもっと上から流れ落ちているようです(写真下)。展望台のようなもの何もありません。私の興味は滝ではないのでどうでもいい(笑)。 ちょうど登山客が一人いて帰るところでした。この日、会ったたった一人です。ヒメサユリを見なかったかと質問すると「看板にそうあるけど、見なかった」という。私はてっきり、あそこにあるよ、と教えてもらえるつもりで質問したので、かなりショックでした(笑)。彼は登山靴のまま川を渡り、帰っていきました。この時期、寒くはないのだから、穴の開いた重い長靴を持ってくるよりも、これが正解だったのでしょう。 周囲には春先の草花は少し生えていても、ヒメサユリらしい姿はありません(写真下)。いくら亜高山でも、残雪と春先の花があるのに、ヒメサユリが一緒に咲いているものだろうか。 写真上左 キバナノコマノツメ(黄花の駒の爪、Viola biflora
L.) 写真上右 スミレサイシン(菫細辛、Viola vaginata) 写真上左 ヤマエンゴサク(山延胡索、Corydalis lineariloba) 写真上右 キクザキイチゲ(菊咲一華、Anemone pseudoaltaica) 滝の崖にあると聞いていたので、滝の両側を良く見ると、ありました(写真下)。黄色いのはニッコウキスゲで、その上に薄ピンク色に三つの花を付けているのはヒメサユリでしょう。 滝から少し離れて、滝の両側の斜面から見ると、下の写真の赤丸を付けたあたりに花が咲いているのが見えます。下から見上げただけで、これだけあるのだから、もっとあるのでしょう。 生えているのは急斜面というよりも崖で、とても近づける場所ではありません。ここでヒメサユリとご対面するには命がけで、撮影したいならドローンを使うしかない。 いったいどうしてこんな崖にヒメサユリがあるのか。これまで見て来たヒメサユリは少し陽のあたる山道の両側に生えており、このような崖にはありませんでした。 この滝は下の地図のようにほぼ東を向いていますから、両側の崖も東向きです。赤い丸が私がいるあたりです。崖が北向きなら陽が当たらず、南向きなら夏の直射日光が強すぎます。東向きなら少なくとも午前中は陽が当たるし、崖の上のほうなら午後も陽があたります。斜面に生える程度の低木で適当な日陰もできますから、ヒユサユリには心地よい環境なのでしょう。 工事現場から往復の間、道端や樹木の少ない崖などにヒメサユリが咲いていないかと注意しても、見つかりませんでした。この浄の滝はヒメサユリの北限ではないかと言われていますから、この崖がヒメサユリが生き残れるような特別な環境を作り出したことで、かろうじて残っているのかもしれません。 ヒメサユリの分布を見て不思議なことの一つが、浄の滝の南にある月山と村山葉山など周囲の山にヒメサユリが確認されていないことです。この二つの山は登山客も多いのに見たという記述がありません。ヒメサユリが福島県から山形県に北上してきたのなら、これらの山を通過してきたはずです。下の地図は冒頭の地図と同じで、赤(▲)がヒメサユリが確認された山、黒(▲)は確認されていない山です。まるで浄の滝が飛び地のようです。あるいは、河島山にヒメサユリがあるのだから、村山葉山の東側の低い山を迂回するようにして浄の滝までたどり着いたともとれます。 滝からさらに離れて、崖の上のほうを見ると、ヒメサユリが群生しているのが見えます(写真下)。下からこれだけ見えるのだから、かなりの数です。急斜面に大きな樹木は生い茂ることもできないし、人間はもちろん、カモシカも食べに来ない。 子供の頃からヒメサユリは身近な花だったので、こんなに離れて見たのは初めてです。近づくこともできない、はるか崖の上を見上げながら、ヒメサユリは高嶺の花なんだと初めて気が付きました(笑)。 |