ツンコ 山形空港のオキナグサ オキナグサ(翁草、Pulsatilla cernua)は万葉集にも出てくるほど日本人には馴染みの花だったのに、近年、激減して、山形県でも絶滅危惧種になっています。 山形県ではオキナグサの絶滅が危惧されたのがわりと最近であることは、五十年前に出版された本に、オキナグサの分布として「原野:ふつう」と書いてあるのを見てもわかります(『山形県の植物誌』結城嘉美、山形県の植物誌刊行会、1972年、196ページ)。半世紀前は、原野で普通に見られたらしい。 下図の山形新聞の記事のように、山形県内各地でオキナグサを増やす活動が行われ、それ自体は良いことです。しかし、これらは自生ではありません。なんとか自生を見られないものかと探していました。 自然そのままの自生地が減ってしまい、その多くは保護のために公開されていません。しかし、公開しても大丈夫な自生地が一つだけありました。それが山形空港で、空港の建物を出て、歩いて10分ほどの所で見られるという、たぶん世界でも珍しい自生地です。 最上川の堤防のオキナグサ 山形空港のオキナグサはそばに寄ることができませんから、その前に、近づいて写真の撮れるオキナグサを見に行きました。ただ、堤防の土手に生えているので、完全な自生ではありません。 ネット上で、最上川(もがみがわ)の堤防の遊歩道にオキナグサが咲いているという書き込みがありました。保護のためにも河川の名前しか書いていません。下図のように、最上川は山形県の南の端から北に縦断した後、方向を変えて日本海に流れ込む山形県の大動脈で、200km以上もありますから、堤防は両岸を合わせると単純計算400kmで、その堤防にあると言われても、雲をつかむような話です。 私は前後の文面から、たぶんアノあたりだろうと推測し、2022年4月19日、天気が良いので、最上川の堤防にオキナグサを探しにいくことにしました。 上図 最上川(ウィキペディアから転載) だぶんアノあたりと見当をつけた堤防は5km以上ありますから、両岸で10km以上になります。堤防の遊歩道は山道と違い、整備された平坦な道で、歩くだけならそれほどの距離ではありませんが、初めての場所なので、自転車で行くことにしました。10時くらいから午後4時くらいまで、ほとんど休まずに探し続けたので、自転車は正解でした。 堤防の上に造られた遊歩道では、ほとんど人と会いませんでした(写真下)。堤防の両側の斜面を見ながらフラフラと自転車を走らせても、一般車両は入れないことになっているので危なくない、と思ったら、一台だけ一般車両が入ってきたのには驚きました。 最上川は国が管理する一級河川ですから、堤防の土手はしっかりと草刈りがされています。これがオキナグサには重要なことで、背が低いので、背の高い草に取り囲まれると負けてしまう。彼らは草刈りをしてくれる人間と相性が良い。写真下のように、昨年秋に草刈りされて、しかもそれらの草は片づけられているので覆われることもなく、地面に陽が当たります。こんなふうに草刈りがされていて、大半の草がまだ十分に成長しない内に、オキナグサは葉がのびると同時に花芽を出して、急いで花を咲かせる戦略です。 写真下は最上川に流れ込んでいる県が管理する二級河川です。上と比較するとわかるように、川の土手は草刈りがされていないので草木が生い茂っています。こういう所にはオキナグサは生えませんから、探す必要がない。 河川敷の中には林があり、ラッパスイセンがあちらこちらに生えています(写真下)。人間が植えたにしてはずいぶん広い範囲に、しかもとんでもないヤブの中にも生えていますから、種で増えたのでしょう。オキナグサは樹木の下やヤブには生えませんから、こういう大変な所を探す必要もありません。ただ、春の日差しの中のきれいな風景なので、つい目的を忘れて歩き回ってしまいます。 スミレがきれい(写真下)。だが、相変わらず名前がわからない。 オキナグサはヤブの中ではなく草刈りされている堤防の土手にあるはずで、自転車に乗ったまま遊歩道を進めば・・・ありました(写真下)。アスファルトのすぐそばに、まるで誰かが植えたみたいに生えています。 私の自転車と記念撮影です(写真下)。 オキナグサは人間が造った堤防に生えているのですから、厳密には天然や自生ではありません。問題は、これは人間が植えたのか、それとも種が飛んできたり、堤防を作った時の土に種が混ざっていたなど、半分自然なのかという点です。ネット上でいろいろ調べたが、わかりません。 遊歩道のアスファルトのすぐ脇に生えているだけでなく、多くは土手の上半分くらいに生えていますから、これは人が植えたからともとれます。しかし、人が植えたのなら、なぜオキナグサだけなのか?周囲の河原には人が持ち込んだスイセンなどが生えているのに、土手にはスイセンは一本も見かけませんでした。人が植えたなら他の園芸植物も残っていていいはずなのに、ありません。また、オキナグサの生え方も人が植えたような人為的な規則性はなく、群落とはいえない程度で、まばらです。 そこで私の御都合で、これは土手に種が飛んで来たなど、自然に生えたということにします(笑)。現在の堤防が造られたのがいつなのかわからないが、一級河川ですから、かなり時間がたっているはずです。その頃にはオキナグサも周囲に普通に見られ、日当たりのよいこの堤防の斜面に種が飛んできたか、堤防を作った土がオキナグサの自生地から持ってきたので、根がそのまま残ったのでしょう。 写真上下のように、一つの株からたくさんの花を咲かせています。このようになるには数年かかり、やがて病気などで根が腐って枯れるので、実際には五年ほどの寿命と言われています。株と書きましたが、実際には一つの根しかないので、株分けはできないそうです。 オキナグサは大きさや外見からいって目立つ花ではないが、白い産毛が太陽に当たると光るので、見る角度で見つけやすい。写真下左の真ん中にオキナグサがあるのに反射光で見ているので、はっきりしません。ところが写真下右のように、透過光で見ると遠くからでも白く浮き出て見えます。 白く光るのは茎や葉や花が、細かい毛でおおわれているからです(写真下)。奇妙なことに、なぜこんなに毛深いのか、詳しい解説が探せません。 オキナグサが毛深いのは、春早く咲くので霜の害から身を守るためでしょう。山形では四月はまだ霜がおります。水分は毛に付いて凍るから、花弁や葉などへの霜の直撃を防げます。農業では霜の害を防ぐ方法の一つにベタガケといって、作物の上にテッシュペーパーのように薄い不織布をかける方法があります。オキナグサは天然のベタガケを着ているのでしょう。 産毛はオキナグサの特徴の一つで、もう一つの特徴が独特の花弁の色です。写真下はコンパクト・デジカメなので、少し色がずれています。赤紫に少し茶色が混ざったような色です。園芸種に西洋オキナグサがあるが、私の知る限り、こういう色の西洋オキナグサはありません。派手さはないが、日本人には好まれそうな雰囲気です。 オキナグサは北半球に40種類ほどがあり、その中でも魅力的なオキナグサの聖地はサハリンだという。 (久山敦「オキナグサの仲間」『はなとやさい』タキイ種苗、804号、2022年4月号、34-36ページ) ツンコ オキナグサ(翁草)は、漢方の「白頭翁(はくとうおう)」から来た名前です。種ができると鳥の羽のような綿毛に包まれて、老人の白髪頭のように見えるからです。 全国に様々な呼び名があるというから、いかに昔は当たり前の草花だったかがわかります。万葉集には「にこ草(似兒草)」とあり、これは全身を白い毛が覆う和毛(ニコゲ)からニコグサと呼ばれ、これがなまってネッコグサやネコグサになったと言われています。 私が両親から聞いたオキナグサの名前は「ツンコ」でした。だから、山形では当然、ツンコと呼んでいるのだろうと長い間信じていたら、どうやらそうではないらしい。ネットで検索しても、ツンコなどという呼び名は出てきません。富山県魚津市では、小柄な人のことをツンコと呼ぶくらいで、あとはアニメの登場人物くらいです。 ツンコについてたった一つ見つけたのが次の記述です。 「立谷川扇状地の、現在は立谷川工業団地になっているあたりにもかつては原野が広がっており、オキナグサの一大産地であったこと、「ツンコバナ」と呼び、果実を毛玉にして遊んだという話を、沢は祖母(1900年生まれ)より聞いている。」(永幡嘉之、沢和浩「山形県内の扇状地原野の自然環境と現状」『環境保全』No.12、2009年、山形大学環境保全センター、27頁) 著者の沢氏は、山形市の北にある立谷川扇状地に住んでいた祖母がツンコバナと呼んでいたと記述しています。山形市にいた私の両親と、その北部にいた沢氏の祖母が、ツンコやツンコバナと呼んでいたのだから、一昔前の山形ではオキナグサをツンコと呼んでいたのでしょう。 全国で様々な呼び名のあるオキナグサなのに、ツンコなどという呼び方は見つかりません。いったいどこからツンコという名前が出てきたのか?ここからは強引な素人学説を展開します(笑)。 オキナグサの呼び名の一つがネッコグサであり、漢字で書くと「根っ子草」ですが、研究者によれば、「土の子草」と表記するという(木下武司『万葉植物文化誌』八坂書房、2010)。 「土の子草」はそのまま「ツチノコグサ」と読めますから、 「ツチノコグサ → ツチノコ → ツンコ」 と、なまったとみれば説明がつきます。 山形空港は自生地! オキナグサは山形県でも絶滅危惧種なので、各地で植栽活動が行われています(左下)。有名なところでは、村山産業高校の生徒たちがオキナグサの研究と増殖活動をしています(右下)。 しかし、これらは自生ではありません。最上川の堤防に生えていたのも、人工の堤防の上に生えていたのだから、完全な自生とは言えない。どこかで自生のオキナグサを見ることできないかと探していると、なんと、山形空港にあるという!? 「東根市の山形空港内には、現在もそのような原野の状態が、ごく狭い面積ながら残されており、そこでは大きな群落を見ることができる。」(永幡嘉之、沢和浩「山形県内の扇状地原野の自然環境と現状」『環境保全』山形大学環境保全センター、No.12、2009年、27頁) 下記の県立博物館の27年前の報告書でも、山形県の自生地は尾花沢市、上山市、遊佐町、長井市など七か所で確認されるだけだとあります。前述のオキナグサの復活に取り組んでいる村山産業高校では、わずか三か所しか確認できなかったと報告しています。 「現在はどちらも少なくなっているが、それが山形空港内の草地に生育しているからおもしろい。」(竹村健一、大高滋「山形空港内の興味ある植物についての報告」山形県立博物館研究報告、16号、1995年、17頁) 下の地図が山形県東根市にある山形空港の位置です。このあたりは最上川が南北に流れて細長い盆地を作り、その最上川に、東の奥羽山脈から西に向かって数本の川が流れ込み、西に開けた扇状地を形成しています。山形空港は扇状地の真ん中に作ったのがわかります。 オキナグサが生えているのは空港の滑走路のある敷地内ですから、一般人は立ち入れません。紹介している研究者たちは研究のために特別に入らせてもらったようです。それなら、空港を取り囲むフェンス越しに見たらどうだろう。オキナグサに近づくことはできないが、あるのを確認することはできます。問題は、オキナグサは大きくない草花ですから、フェンスに近い所に生えているかどうかです。 とにかく行って探してみようと2022年4月21日に、晴れの天気予報だったので出かけました。山形市内からは車で30分ほどです。私は山形空港には人の送り迎えに来ているだけで、ここから飛行機を乗り降りしたことはありません。 10時頃到着すると、空港らしく、飛行機が飛んでいる(笑)。おまけに機体はピンク色で、周囲で咲いている桜と合います(写真下)。ここは地方空港で四月は、新型コロナのせいもあるのか、到着出発ともに8便しかありません。これでも昔よりも増えた。 空港からの眺めも良く、写真下の左の雪山が月山(1984m)で、右が葉山(村山葉山、1462m)です。葉山のほうが低いが、近くにあるので高く見えます。 地方空港の良い所は駐車場が無料なことです。看板には「空港に御用ない方はご遠慮ください」とある。私は空港のオキナグサに御用がある(笑)。 空港の周囲は軽く6kmくらいありますから、ここでも自転車で回ることにしました。下図の赤い線がフェンスの外から空港の敷地が見られた部分で、例えば国道13号に直接面した東側は高い塀に囲まれているので、そのあたりにあるかどうかは確認できませんでした。 探し始めて、間もなく、と言うよりも、あっけなく見つけました。写真下の枯草の間に白く見えるのがオキナグサで、たしかにこれなら群落と言えます。ただし、一周しても見かけたのはこの一か所のみでした。研究者の「ごく狭い面積ながら残されており」という記述どおりです。フェンスから見ただけだから、滑走路の近くにあるかどうか、わかりません。 そばには寄れないのが、ここのオキナグサが生き残った理由の一つです。私は初めて見る「自生のオキナグサ」です・・・ただ、後で自生ついては疑問が出てきました。 写真下のような空港内の敷地に生えています。カメラのレンズの前にフェンスがあるので写りこんでいます。 うまい具合に、わずかばかりフェンスの近くに生えているオキナグサがあります(写真下)。姿形は最上川の土手で見たのと同じです。 学者たちの解説では、この立谷川の扇状地に生えていたオキナグサが残ったのは、一つには空港内の安全のために定期的に草刈りをしているので、背の高い草がないことだそうです。最上川の堤防と同じように、草刈りをすることで背の高い雑草もなく、草刈りをした後の草も片づけるから枯草が覆いかぶさらないので、春先に真っ先に芽を出して花をつける背の低いオキナグサにとって良い環境なのでしょう。 見ているうちに、これを本物の野生そのままかどうか疑問が出てきました。なぜなら、ここは空港として造成した場所だからです。今生えている場所は、前は畑だったかもしれないし、いずれにしろ扇状地の原野そのままではなく、空港を造る時に整地したはずです。整地した後に、オキナグサが根や種などから芽吹いたのでしょう。 山形空港は大日本帝国海軍の飛行場として1942年に作られ、第二次世界大戦後は米軍から引き継いで自衛隊が管理し、現在も民間との共用です。1200mの滑走路を持つ山形空港として開港したのが1964年で、1973年に1500mにした滑走路を1981年に2000mに拡張するなど、空港は何度か大きな工事が行われています。 写真下左は1956年5月に米軍が撮影して、国土地理院が保存している航空写真です。右は2022年にネット上にあるgoogleの衛星写真で、両者はほぼ同じ縮尺です。比較すると、滑走路を1200mから2000mに拡張したのは北側のみを延ばしたのがわかります。私が見たオキナグサは空港の南側ですから、おそらく拡張工事の影響を受けなかったのでしょう。逆に、北側にオキナグサがかつてはあったとしても、拡張工事で全滅した可能性があります。 オキナグサが残ったもう一つの理由が、草刈りだけで除草剤を使っていないことです。空港のある東根市は果物の産地で、果樹園が空港に隣接していますから(写真下)、空港に除草剤を散布することができません。このことは逆に、あれほど全国で一般的だったオキナグサが激減した理由にもなります。除草剤をまくと、日本の自生の草の大半はなくなり、真っ先に生えてくるのが強烈な外来種です。 ツンコバナ空港 いつ頃から山形空港のオキナグサが確認されていたのかはっきりしません。ネットで探せた一番古い記述でも、引用した「山形県内の扇状地原野の自然環境と現状」が1994年です。そこから推測するなら、オキナグサは空港が造られた1942年当初から生えていて、一部の関係者には昔から知られていたが、保護しなければいけないと「気が付いた」のは最近かもしれません。だから、一部の研究者が調査する程度で、今でも空港側は無関心で宣伝しないのでしょう。 空港に野生のままのオキナグサがあるというのはすごい話です。日本全国でもたぶん山形空港だけでしょう。ところが、まったく宣伝されていません。山形空港のホームページを見ても、オキナグサの話は一言も出てこない。保護のためには宣伝しないほうが良いという意見もあるだろうが、見てのとおりのフェンスで囲まれており、一般人の立ち入り禁止区域ですから、盗掘や踏み荒らされる心配はありません(写真下)。 自生のオキナグサを宣伝に使ってはどうでしょう。山形空港も「おいしい空港」という愛称をつけて宣伝して利用客の拡大を目指しているなら、どうしてこれほどの宣伝材料を利用しないのでしょう。 例えば下図のように、フェンスの一部に出入り口を付け、一般道から入れるようにして、敷地内にオキナグサの観察通路を作る。オキナグサが生えている方向はガラス窓にすれば、一般の人が見て写真を撮ることができて、しかも、オキナグサの生えている敷地には入れませんから、オキナグサの保護と空港の安全には何の問題も生じません。 山形空港は日本中、いや世界中でもおそらく一つしかない自生のオキナグサがある空港という利点を活かさない手はない。 呼び名はオキナグサ空港ではなく、「ツンコバナ空港」はどうでしょう。オキナグサ空港ならオキナグサを知っている人たちはいますから、わかりやすい。しかし、そこは安易な妥協をせずに(笑)、ツンコバナ空港なら、ツンコバナなんて山形県人でさえも大半の人たちは知らない名前で、ましてや他県の人たちからは「ツンコバナ?なんだ、それ?」と関心を持ってもらえます。 普通、オキナグサの自生地を公開するのは難しいのに、それを堂々と宣伝ができるのはすごく恵まれた環境です。 |