水辺を巡る 月山にもオゼコウホネ 尾瀬に生えている珍しいオゼコウホネが、山形県の月山の弥陀ヶ原湿原にもあるという。しかも、一説では、尾瀬と月山のみにあるという。尾瀬は行ったことも、行く予定もないので、月山に見に行きましょう。 初めて行く弥陀ヶ原 月山(がっさん、標高1,984m)は山形市から簡単に行けて、初心者向きとされているくらいなのに、私はオゼコウホネが生えている弥陀ヶ原湿原(みだがはらしつげん)には行ったことがありませんでした。理由は地図のように、月山の反対側まで大きく迂回しなければ行けないからです。大した距離ではないので、いつでも行けると思っているうちに月日がたち、急がないと行き損ねてしまうかもしれない年齢になってしまった(笑)。 弥陀ヶ原湿原は月山の八合目にあり、北側から登る羽黒口コースの出発点です。私のように体力のない人間にとってありがたいことに、弥陀ヶ原湿原の入口まで車で行ける。標高1400mほどの八合目までの道路は細く、大型のバスなどが下りてくるので、けっこう恐い。幸い、前にずっと車がいたので、露払いしてくれました。少し霧がかかる八合目の駐車場には月山の登山客の車がたくさん停まっています。写真下左の歩いている二人が、ここまで来るのに私の前を走って露払いをしてくれたご夫婦です。 弥陀ヶ原湿原の散策コースは下のパンフレットがわかりやすい。左下の駐車場から湿原内を一周するようなコースがあり、目的のオゼコウホネの池塘は駐車場とは反対側の右上に示されています。 上地図 羽黒町観光協会のパンフレット「天空の楽園」から転載 湿原内は木道があり、上がり下がりは少ないので、登山靴がなくてもいいくらい、歩くのは楽です(写真下)。弥陀ヶ原湿原には有料のガイドもいて、写真下右のように案内してくれます。 木道の両側には池塘が点在しています(写真上下)。月山の山頂は写真下の向こうにあるはずなのに、今日は曇っていて見えません。 なぜ弥陀ヶ原湿原の泥炭は薄いのか 池塘(ちとう)はウィキペディアによれば「湿原の泥炭層にできる池沼」らしい。石や土でできた池ではなく、植物が枯れても寒いために完全には腐らず、泥炭化して堆積し、その間に水が溜まってできた池を池塘と呼んでいるようです。 写真上の弥陀ヶ原の説明に付け加えるなら、植物の泥炭と池塘が作り出したのが弥陀ヶ原湿原です。 「緩傾斜と不透水性火山灰の基質が排水不良の原因となって泥炭の集積が進み湿原が形成されたものである。」(『出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)・葉山 総合学術調査報告』山形県総合学術調査会、1975年、113ページ) 尾瀬湿原が周囲に樹林があって川が流れて水が供給されているのに対して、ここは周囲に高い樹木も川も見あたりません。尾瀬湿原は6000~8000年かけて、泥炭が4~5mも積もったというから、意外に短時間で作られたことに驚きます。 ところが、弥陀ヶ原湿原は尾瀬湿原とはだいぶん様子が違います。 「山形ら(1956、1957)のボーリングの結果によると、この湿原は現在の月山の山容が出来上がって後に凹地形面に形成されたかなり新しいもので、泥炭層の厚さは上部~中部で50~60cm、下部では20cmに満たないという。」(『出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)・葉山 総合学術調査報告』山形県総合学術調査会、1975年、113ページ) 尾瀬湿原の泥炭が4~5mもあるのに、弥陀ヶ原湿原の泥炭はわずか0.5~0.6mと、ほぼ10分の1しかないという。そこから学者は弥陀ヶ原湿原は「かなり新しい」と推定しています。しかし、泥炭の形成は一年に0.7mm~1mmという説を元にすると、0.5m形成するのに500~700年で、弥陀ヶ原湿原はなんと鎌倉時代から形成され始めたことになり、いくらなんでも、おかしい。 月山が噴火を止めたのは30万年前で、水を通しにくい火山灰でここに平らな地形が作られた。1.2万年前から氷河期が終わると、植物が繁茂して泥炭がたくさん堆積した。泥炭が一年に0.7mm形成され、1.2万年積み重ねたら8mくらいあってもおかしくないのに、実際は0.5~0.6mというのだから、10分の1です。尾瀬湿原の泥炭が4~5mもあるのに、似たような条件の弥陀ヶ原湿原はその20分の1の厚さしかない。この薄さは何なのだと調べても学者の解説がみつかりません。 こういう時は、私の素人説が活躍します(笑)。下図の弥陀ヶ原湿原と尾瀬湿原の地形図を見れば、両者の明瞭な違いが見られます。 学者は弥陀ヶ原湿原は「凹地形面に形成された」と述べているが、それは湿原一帯のみを見ているからで、下の地図でもっと広い範囲の地形を見れば逆です。弥陀ヶ原湿原(地図下左の●)は山の上のなだらかな斜面にあるのに対して、尾瀬湿原(地図下右の緑色の部分)は周囲を山で囲まれた盆地です。 地形的に弥陀ヶ原湿原は凸で、尾瀬湿原は凹です。凸地形の弥陀ヶ原湿原の泥炭は水に流されやすく、凹地形の尾瀬湿原には泥炭が溜まりやすい。その結果、1.2万年後には泥炭の厚さに大きな違いとなった。 地図上 弥陀ヶ原湿原 地図上 尾瀬湿原 月野うさぎ 最初は弥陀ヶ原湿原の御田原神社(みだはらじんじゃ)で神様にご挨拶をしましょう(写真下)。神様には申し訳ないことに、私は神様のお使いのほうに興味があった。 お使いとは写真下のウサギです。月山は月の山ですから、神様は月読命(つくよみ、つきよみ)で、月の神様のお使いは日本ではウサギです。 ギリシャ神話ではアポロンという男性が太陽神で、妹のアルテミスが月の神です。古代の日本では女性の天照大神(あまてらすおおみかみ)は太陽で、弟の月読命は月だった。だったら、それを崇拝している神道系の宗教団体は率先して男女差別や男尊女卑をなくす努力をするべきでしょう。ところが、男系男子などと戦前の封建主義そのままの価値観の政治家たちの票田と成り下がり、見返りに税制優遇を受けるなど、互いに利益を得ている。神様の教えを信仰するよりも、権力やお金という世俗の甘い汁のほうが大事らしい。 お祓いで他人をお清めする前に、まずその自分の欲望を清めたらどうだろう。 アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主人公は「月野うさぎ」だったと、何の脈絡もない話を思い出しながら、月山の月のウサギを見た私の第一印象は、デカイ、かわいくない(笑)。顔がでかくてヒゲまで生やしていて、オッサンのウサギだ。これはお父さんウサギということにして、もっと小さくて、思わず撫でたくなるような、そして皆さんが撫ですぎて黒光りするくらいの可愛いウサギをもう一羽、いや、ケチなことを言わずに、十羽くらい周囲に遊ばせれば、お賽銭も集まるでしょう。 オゼコウホネ 月のウサギにも会ったところで、本日の目的のオゼコウホネです。 オセゴウホネは、下地図左の弥陀ヶ原の東端にある赤で囲った池塘で、下地図右の衛星写真がその近辺です。一帯の池塘にAからEまで番号をつけました。実際にオゼコウホネがあるのは池塘Bと池塘Eだけで、他の池塘にはありません。池塘Dは遠くから写真を撮り、後で拡大して確認した範囲では、他の水生植物だけでオゼコウホネらしい葉はありません。 写真下の池塘Bにオゼコウホネがあるのに、左右のAとCにはありません。 池塘は写真下のように木道に沿ってあり、保護のためにロープとネットで遮られているので、池塘そのものに近づくことはできません。 幸いなのは、花が咲いている。池塘Bの大きさは奥行きが10m弱ほどで、オゼコウホネの葉も花も密集はしていません(写真下)。 写真上下 オゼコウホネ(Nuphar pumila var.
ozeensis) 池や沼に生える普通のコウホネと区別できるのが葉です。写真下は平地の「じゅんさい沼」で撮ったコウホネで、葉が水の上に立ち上がっていて、しかも細長い。私はコウホネとは葉が長いものと長い間思っていたら、実は北日本のコウホネの特徴のようです。写真下左で水に浮いている楕円形の葉はジュンサイです。 写真上 コウホネ(河骨、Nuphar japonica) コウホネと違い、オゼコウホネの葉はスイレンのように水面に浮かぶだけで、立ち上がることはなく、葉が丸か楕円なので明瞭に区別がつきます(写真上下)。 オゼコウホネがコウホネと区別できるもう一つの特徴が、花の真ん中(柱頭盤)が赤いことです。何とか、それらしい花を見つけることができました(写真下)。 これに対して、写真下は普通のコウホネで、花の真ん中(柱頭盤)が黄色です。花の中にハエのような虫がいます。 花が終わると水の中に没してしまいます(写真下)。 もう一か所オゼコウホネが生えているのが、一番奥にある一番大きい池塘Eです(写真下)。 池塘Eは沼といってもいいくらいの広さで、直径が20mくらいあります(写真下)。しかし、道は池塘Cで行き止まりで、そこから先は低木やヤブに覆われているので近づけません。これは保護する上でいいことでしょう。 池塘Bに比べてオゼコウホネの葉の密度も高く、花もそれなりに咲いているのが見えます(写真上下)。オゼコウホネがこの池塘を気に入っている雰囲気です。 どうして他の池塘にないのか どうして二つの池塘にしか生えていないのでしょう?先に載せた衛星写真を見てもわかるように、池塘A、B、Cは数メートルしか離れておらず、簡単に広がりそうなのに、ありません。 理由は池の深さかと、池の底をのぞき込むと・・・おや!何か泳いでいる(写真下)。弥陀ヶ原湿原にはアカハライモリがいるというから、これでしょう。子供の頃、小川などにいくらでもいたのに、私はしばらくぶりで会いました。標高1400mのこんな厳しい環境でも生息しているのだから、すごい。気持ち良さそうにスーイスーイと泳いでいる。 写真上 アカハライモリ(赤腹井守、Cynops pyrrhogaster) オゼコウホネが生えているのは池塘が深いからではないか。池塘の縁には近づけないので、手を突っ込んで深さの確認ができない(笑)。比較的、水の底まで写っているのが写真下で、屈折で浅く見える分を差し引いても、50cm以上はありそうです。次の学者の説明によれば1m内外だという。 「また水深1m内外の池塘の一部にオゼコウホネ群落もみられる。」(『出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)・葉山 総合学術調査報告』山形県総合学術調査会、1975年、114ページ) 本家の尾瀬ではヒツジグサが増え、オゼコウホネが減っている理由の一つが池塘の深さの問題で、オゼコウホネがより深い所を好むからだと言われています。 写真下左は池塘Aで、これが浅いというよりも、池塘Bだけがやや深いように見えます。ある程度深い池塘にだけオセコウホネが残ったらしい。ただ、ここ以外の場所でもそれなりの深さをある池塘もみられますから(写真下右)、公開されている池塘Bと池塘E以外にもオゼコウホネがあるのではないか。あるようです。 弥陀ヶ原湿原のオゼコウホネを報告した佐藤正巳氏によれば、1948年に、その25年前に同行の研究者が見つけたのを再確認したというものでした。他の学者からもこれがオゼコウホネであると認められたのに報告しなかったのは、見つけたオゼコウホネが一つのやや深い池塘にわずか数株しかなかったことから、人間が持ち込んだ可能性と、公表すれば絶滅の危険があったからです。しかし、1963年に地元の植物同好会の人たちがオゼコウホネの大群落を発見したので、1964年に学会誌に報告したようです。(佐藤正巳「月山のオゼコオホネその他の注目すべき高山植物」『植物研究雑誌』39巻、1号、1964年、24ページ) この報告での、オゼコウホネの大群落というのは公開されている池塘Eのことでしょう(写真上)。確認した人たちは1500-2000株と推定しており、池塘の位置などからも一致します。逆に言えば、佐藤氏が最初に見つけた数株しかない池塘はこことは別な所にあることになります。池塘の数は下の地図のように多いだけでなく、木道以外への立ち入りは禁止されていますから、熱意だけでは探せません。 探す方法の一つが写真下の池塘A~Eの衛星写真です。池塘Eにオゼコウホネの葉の群落が写っている。そういう目で池塘Bを見ると、池塘Eよりもまばらに葉らしいのが写っています。他の池塘CやEには何もありません。オゼコウホネが衛星写真に写ることを利用すれば、他の池塘も確認できます。 同居人の違い 池塘の水の中に生えているイネ科やカヤツリグサ科の植物も、オゼコウホネのある池塘CとEだけが他と違います。他の池塘の中で良く目につくのが、写真下のカヤツリグサの仲間です。 これは本州の高山の沼などに生えるミヤマホタルイで、尾瀬の湿原でも見られるそうです(写真上下)。 「水深5~15cm内外の池塘中に成立する群落で、山地湿原ではもっとも普通にみられる抽水植物群落である。」(『出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)・葉山 総合学術調査報告』山形県総合学術調査会、1975年、102ページ) 写真上 ミヤマホタルイ(深山蛍藺、Scirpus hondoensis) 写真下のオゼコウホネの生えている池塘BやEに生えているのも、このミヤマホタルイだろうと思い込んでいました。花が地味なので、つい関心が薄くなる(笑)。 ところが、花の咲いている位置が違うことに気が付きました(写真下)。トンボ君も違うと言っています(写真下右)。ミヤマホタルイは茎の途中なのに、写真下は頭頂部に付いている。 外見からはハリイの仲間で、弥陀ヶ原湿原にはミネハリイがあるという学者の記述があるので、ミネハリイで決定です。ただネットで見ると、ミネハリイは30cmくらいだというのに、写真上左の池塘Bは30cmよりも深い。池塘Bは池全体にハリイが生えているが、写真上右の池塘Eは岸辺にしか生えていませんから、池塘BよりもEがかなり深いのがこれからもわかります。ここのミネハリイは水面から出ている部分が20cmとしても、全体で50cmくらいはありそうです。池塘の深さを知るためにも、引っこ抜いて長さを調べたい衝動を抑えながら(笑)、写真だけ撮りました。 写真上 ミネハリイ(峰針藺、Scirpus caespitoseu) 他の池塘では圧倒的にミヤマホタルイが多く、オゼコウホネの生えている池塘にだけミネハリイがたくさん生えています。遠くから見た範囲でいうなら、オゼコウホネの生えている池塘BとEにはミヤマホタルイはなく、池塘AやCにはあります。池塘の深さなのか、何か特別な理由があるのか、オゼコウホネとミネハリイは共通した環境を好むようです。逆に理由がわかれば、オゼコウホネの保護にも役立つでしょう。 尾瀬と月山だけ? 弥陀ヶ原湿原の看板には、オゼコウホネは「尾瀬ヶ原とここの二カ所しか知られていません」とあります(写真下)。 オゼコウホネが尾瀬と月山にしかないとすれば、これはすごい話です。 だが、ウィキペディアでは、オゼコウホネを絶滅危惧として秋田県、山形県、尾瀬(福島県、群馬県)、準絶滅危惧として北海道をあげています。環境省の「いきものログ」でも、都道府県別生育状況として、同じ場所を記載していますから、オゼコウホネは北海道、秋田県、山形県、尾瀬(福島県、群馬県)に分布することになります。2005年段階での学者の解説によれば、次のようになっています。 「現在までに,尾瀬(三木 1937),山形県月山(佐藤1964),秋田県谷地沼(望月 1972),北海道雨竜沼(伊藤・梅沢 1973),キモマ沼(伊藤1967a, 1967b) などから報告されており,角野 (1994) では尾瀬,月山,雨竜沼の 3ヶ所が確かな産地として記されている.」(高橋英樹,山崎真実,佐々木純一「オゼコウホネ(スイレン科)の 1新品種」『植物研究雑誌』80巻、1号、2005年、48ページ) 高橋氏の解説によれば、1937年に尾瀬で確認されたオゼコウホネは、その後、1964年に山形県、1972年に秋田県、1973年に北海道で確認されたが、1994年の段階では尾瀬、山形県、北海道のみで秋田県での確認ができなかったようです。 秋田県は、オゼコウホネの確認ではなく、生息地としての谷地沼そのものが確認できないという話ではないでしょうか。最初に報告した望月氏は谷地沼、五才沼、細沼で確認したと書いています (望月睦夫「オゼコウホネ秋田県に産す」『植物研究雑誌』47巻、3号、1972年、76ページ)。しかし、ネット地図で探しても、下のように五才沼と細沼を確認できただけで、谷地沼は探せませんでした。名称が変わってしまったのでしょう。 ネットで『細沼の「オゼコウホネ」』と題して、2019年に細沼でオゼコウホネを見たという目撃談があります。林野庁が細沼よりも20kmほど南にある田代沼水生植物群落にオゼコウホネがあると書いています(上地図)。環境省がこのあたりの栗駒山湿原群を「重要湿地(No.096)」と認定し、オゼコウホネがあると記載しています。現在も細沼と田代沼でオゼコウホネが目撃されているのですから、秋田県にも分布することになります。 上図 林野庁東北森林管理局発行のパンフレットから転載 林野庁の発行したパンフレット「田代沼水生植物群落保護林 オゼコウホネ」は間違いがあります。その一つが表紙にあるオゼコウホネとされる花で(写真上左)、柱頭盤が黄色ですから、オゼコウホネではありません。「オゼコウホネの分布」として挙げている青森県の南八甲田と、秋田県の八幡平長沼にあるのはネムロコウホネです。早池峯(はやちね)とは岩手県にある早池峯山を指すなら、北上市で「コウホネ群生地さらき」があるくらいで、岩手県にオゼコウホネがあるという話はありません。林野庁は研究機関ではないにしても、もう少し正確な情報を載せてほしいものです。 雨竜は尾瀬で根室?? 次は北海道のオゼコウホネです。すでに述べたように、環境省は北海道にもオゼコウホネがあると認めています。だが、月山にある山形県立自然博物園ネイチャーセンターの自然解説員の沢氏は、北海道のオゼコウホネに疑問を投げかけています。 「オゼコウホネは発見地の尾瀬の他には月山と北海道にもあるとされていますが、北海道のものはオゼコウホネとはちょっと異なるようです。」(沢和宏「環境情報」『自然博物園だより』山形県立自然博物園ネイチャーセンター、2011年、8ページ) 沢氏の主張の元となっているのが、北海道の雨竜沼に生えていたオゼコウホネは2005年にウリュウコウホネ(雨竜河骨、Nuphar pumilum var. ozeense f.rubro-ovaria)と命名されたことです。オゼコウホネの種の入っている果実(かじつ)は緑色なのに、ウリュウコウホネは赤褐色であることが違いです。 オゼコウホネは日本で何ヵ所か確認されているが、ウリュウコウホネは日本でたった一カ所、雨竜町の雨竜湿原以外にはない!これほどすごい観光資源なのに、雨竜町のホームページに行くと、ウリュウコウホネは写真下で赤丸で示したように、湿原に咲く代表的な15種類の花の一つとしての、小さな扱いです。 写真上 雨竜町のホームページから転載 ホームページを作った町役場の人たちの意識もさることながら、もう一つがコウホネの分類の難しさも関わっているのでしょう。 皆さんはオゼコウホネとはネムロコウホネの変種だと知っていましたか?オゼコウホネは知っていても、ネムロコウホネなんて知らなかった私はショックを受けました(笑)。ウィキペディアでオゼコウホネを検索しても、ネムロコウホネのページが登場します。 「ネムロコウホネの種内分類群として、変種オゼコウホネが認められることがある。ただし、これは分類学的に分けられないこともある。」(ウィキペディア) この文章から推測するなら、オゼコウホネなんてネムロコウホネにすぎないのだから、花の真ん中(柱頭盤)が黄色か赤くらいの違いではわざわざ別な名前を付けることに意味がないというのでしょう。細かい議論は学者にお任せするとして、学名だけ並べると次のようになります。 ネムロコウホネ Nuphar pumila オゼコウホネ Nuphar pumila var. ozeensis ウリュウコウホネ Nuphar pumila var. ozeensis f.
rubro-ovaria 学名の”var.”は変種を表わし、”f.”は型を表わすというが、解説を読んでも私は意味がわかりません(笑)。素人が見てもわかるのは、学名の長さで、短い植物が「本流」で、長い植物が「支流」なのでしょう。勝手解釈をするなら、ウリュウコウホネはオゼコウホネであり、ウリュウコウホネとオゼコウホネはネムロコウホネである。これでいくと、尾瀬や月山に生えているのは、オゼコウホネでもネムロコウホネでも、どちらも正しいことになります。ネムロコウホネとオゼコウホネとウリュウコウホネの関係は、日本人と東北人と山形県人のようなものです(雨竜は北海道ですが)。 これなら、北海道にはウリュウコウホネがあるのだから、オゼコウホネがあると言うのは間違いではありません。また、北海道庁のホームページでも、北海道の北端にあるクッチャロ湖にはコウホネ、ネムロコウホネ、オゼコウホネの三種類を同時に見られると紹介しています。 ネムロコウホネの分布としてみる 私のネムロ、オゼ、ウリュウの各コウホネの説明を読んで、いかがでしょうか。私なりに咀嚼して解説したつもりでも、煩雑で、わかったような、わからないような印象です。たぶん、学問的にも明瞭な定説があるのではなく、外見から分類しているだけのように見えます。 さら混乱に拍車をかけているのが交雑種です。北海道の稚内市にある浜勇知園地の「こうほね沼」に生えているのは、長年ネムロコウホネとみなされていたのに、学者が調べたら、コウホネとネムロコウホネの交雑種であることが判明して、ホッカイコウホネと名付けられたそうです(志賀隆、井鷺裕司、角野康郎「水生植物コウホネ属の種間交雑:コウホネとネムロコウホネの場合」日本植物分類学会第4回大会,2005年)。 月山のオゼコウホネも丁寧に調べれば、オゼコウホネとの違いが見つかって、ガッサンコウホネと名前が付くかもしれません(笑)。 混乱はもっと広がっているらしく、『河骨愛』というコウホネについてのホームページを作っている志賀氏によれば、2004年に釧路市達古武沼や勇払郡厚真町では、ネムロコウホネの花のガクは5枚なのに、8枚のガクがある「西日本型ヒメコウホネ」と呼ばれるコウホネが見られたというのです。 ネムロコウホネと見えても、実際はヒメコウホネや、前に述べたホッカイコウホネなど別な種類のコウホネかもしれないのです。これはコウホネの仲間は簡単に交雑してしまうからでしょう。さらに人間が手を加えているから、いよいよ煩雑になり、いくらでも新しい変種が見つかる可能性があります。 オゼコウホネもウリュウコウホネも「大勢の変種」の一つにすぎないとすれば、視点をこの二つの「支流」ではなく、「本流」のネムロコウホネに置くのが正しいように見えます。 ネムロ、オゼ、ウリュウのコウホネをまとめて示したのが下図の分布図です。半世紀前の学者による北海道のコウホネとネムロコウホネの分布も参考にしました(伊藤浩司「北海道におけるコウホネ類の分布」『植物研究雑誌』42巻、 8号、1967年、242ページ)。ネットでの目撃も含めているので、必ずしも専門家が判定したものではありませんから、参考程度です。 上図 ●オゼコウホネ、●ネムロコウホネ、●ウリュウコウホネ 上の分布図を三種類のコウホネではなく、すべてをネムロコウホネの分布とみるとわかりやすい。オゼコウホネだけを別に考えると尾瀬と月山だけの特別な植物みたいです。でも、同じネムロコウホネとみると、尾瀬や月山は分布の南限を表わしているのがわかります。 氷河期がすぎて、ネムロコウホネは本州の平地で絶滅し、寒冷地で深さがある池塘などの条件がそろった地域でのみ生き残った。元々、ネムロコウホネは花の中心(柱頭盤)が黄色と赤になるものが両方あった。理由がわからないが、花の中心(柱頭盤)が赤いネムロコウホネだけが秋田県以南に残り、それを私たちはオゼコウホネと呼んでいる、という説明はどうでしょうか。 意外な所にオゼコウホネ!? 後日、山形市近くの意外な所でオゼコウホネを見ました。山形市の西側に隣接する山辺町に、要害というコイの養殖で有名な場所があります。下の国土地理院の地図でもたくさんの池が載っています。観賞用ではなく食用で、山形ではコイは甘露煮にして食べます。 五月中旬、要害を通りかかったとき、水草が生えている池があるのを見かけて車を停めました。たぶん、コイを飼うのをやめた後に植えたのでしょう。養殖用の池には水草は邪魔ですから、普通はありません。所有者がわからないので勝手に入り込むと、珍しいことにコウホネが植えてあり、黄色の花を咲かせています(写真下)。 その花を見て驚きました(写真下)。花の真ん中(柱頭盤)が赤い!つまり、オゼコウホネです。山形市の環境でもオゼコウホネは育つのだ!てっきり、オゼコウホネは氷河時代の生き残りで、月山や尾瀬のような寒冷な環境でなければ育たないと思っていたから、ここの環境で元気に育つとは驚きです。 西蔵王にある山形市野草園にもオゼコウホネが育っているが、標高550mで市街に比べて気温も低く雪が多い。要害は標高150mで山に近いとはいえ、山形市街でも標高100mくらいですから、気温や雪の量に極端な差はありません。つまり、山形市街の環境でもオゼコウホネは育つことになります。 月山や尾瀬にしかオゼコウホネが残らなかったのは寒冷だけではない要因があることになります。 湿原の花 弥陀ヶ原湿原には湿原らしい花がたくさん見られます。真っ先に目につくのが写真下のキンコウカで、今年は当たり年らしく、蔵王でも湿原で大群落を見せているという。 写真上下 キンコウカ(金光花、金黄花、Narthecium asiaticum ) 東北の亜高山や高山の湿地帯ではたいへん良く見られるそうで、山形でも湿地帯で良くみかけるので、寒い環境が好きなのかと思ったら、北海道にはあまりないそうです。 キンコウカに続いて目につくのがニッコウキスゲで、所々に群落しています(写真下)。ただ、キンコウカのほうが数では圧倒的に多い。 写真上下 ニッコウキスゲ(ゼンテイカ、Hemerocallis dumortieri var.
esculenta) 写真下の紫の花は水辺を好むギボウシで、コバギボウシ(小葉擬宝珠、Hosta sieboldii)の変種のタチギボウシです。ネットではコバギボウシと紹介している人たちもいます。 写真上 タチギボウシ(Hosta sieboldii var.
rectifolia) 湿原といえば食虫植物のモウセンゴケで、白い花を咲かせています(写真下)。コケの仲間ではないと知っていても、コケに花が咲いているようで、奇妙に感じる(笑)。 写真上 モウセンゴケ(毛氈苔、 Drosera rotundifolia) 写真下のイワイチョウも中部地方以北の山岳の湿原に多くみられる植物で、月山では湿原でなくても尾根の道でも見かけます。 イワイチョウ( 岩銀杏、Nephrophyllidium crista-galli) 写真下はオゼコウホネがたくさん生えている池塘Eで、岸辺に丸い葉がたくさん生えています。一瞬、外来種のホテイアオイかと思った(笑)。ホテイアオイは山形の冬を平地でもこせませんから、違います。葉の形はイワイチョウに似ているが、それにしては葉が大きく、背も高い。花が咲いていないので、確証はありません。周囲に低木が迫って陽当たりが悪く、しかし、水は豊富なので、陽射しを求めて大きく成長したのかもしれません。 湿地で見かけるトキソウはピンク色なのに、ここのトキソウは白い(写真下)。それでいて、シロバナトキソウにしては真っ白ではない。どっちなんでしょう。 写真上 トキソウ(朱鷺草、鴇草、Pogonia japonica) 写真下は緑色のランです。特に湿地に咲くというのではなく、陽当たりの良い草地に咲きます。にぎやかに花が咲いていて、写真下中で、二枚の花弁(側花弁)の真ん中に二つ見えるのがオシベ(葯)らしい。 写真上 ホソバノキソチドリ(細葉の木曽千鳥、Platanthera tipuloides) ナンブタカネアザミも湿原だけでなく、月山ではあちこちで良くみかけます。山形県や秋田県など日本海側の一部の山でしか見られないアザミです。よほど蜜がおいしいのか、蝶が食事中のことが多い。 写真上 ナンブタカネアザミ(南部高嶺薊、Cirsium
nambuense) 写真下も湿原とは関係なさそうなイモムシ君とオサムシ君(?)。水があれば植物が生い茂り、生態系が豊かになるから、虫たちにとっても暮らしやすいのかもしれない。 写真下左の「弥陀ヶ原の植物の花期」によれば、花の咲く時期は6後半~9月前半の実質三か月ですから、虫たちも忙しい。 今回はオゼコウホネを見に行ったのに、近くまで寄れなかったので、花のドアップが撮れなかったのがちょっと残念でしたが、これは保護されているのだから、喜ぶべきなのでしょう。一番奥の池塘Eには予想外にたくさんのオゼコウホネが生えているのには驚きました。あのオゼコウホネたちは池塘Eをとても気に入っています。ただ、公開されているオゼコウホネの池塘は二つのみで、環境が少し変われば、たちまち絶滅しそうな雰囲気です。 |