トップページ 日程表 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10 

 

5日目  2006821() 

ゴルムド→ラサ

 

 

530分モーニングコール。

630分集合。ゴルムド駅に向かう。

RIMG0006時刻表。本数は少ない

 

チベット鉄道の旅

いよいよ本旅行のメインイベントの青蔵鉄道の旅が始まります。一番の心配は天気で、朝は薄曇りです。

 6:50 バスで駅に到着。中国の西なので、この時間でもまだ薄暗い。入り口は空港並みの厳重な警戒で、一人一人の荷物がX線で検査され、ボディチェックを受けます。すべての列車についてこんなことをしていたら、長蛇の列になってしまうのではないかと添乗員さんに聞くと、本数が少ないから、可能なのだろうとのことでした。たしかに、時刻表では列車の数は少ないようです(写真上)

列車が到着するまでにはまだ時間があり、また、7月のツアーでは遅れたとのことで、まだだいぶん時間があるので、他の人たちは弁当で朝食を取りました。

 

RIMG0005 RIMG0003動物による感染症らしい RIMG0001ゴルムド駅の掲示

 

 駅の体育館ほどの待合室の壁に動物を媒介とする感染症の記事が掲載されています(写真上)。感染症で死亡した人の死体をもろに写真として載せているのがいかにも中国らしい。

トイレに行ってみましょう。駅舎は新しいから、さすがに扉のないニーハオトイレではありません。しかし、日本のような個室で便器がついているのではなく、真ん中に溝があり、そこを定期的に水が流れるような仕組みになっています。アルミ板で囲いはしてあるが、鍵がかかりません。用心のためなのか、壊したのかわかりません。犯罪を防ぎたいなら、ドアを小さく作ればいいと思うのだが、しっかりと囲ってあります・・・どうも中国人の考えることはよくわかりせん。

 

RIMG0008我々のラサ行きの列車が到着 RIMG0009西寧からラサまで

 

 列車は予定よりも一時間も遅れて8:25に到着。列車はディーゼルで、見た目には特に新しい感じはありません(写真上)。添乗員さんが持っていたカード型のチケットではまるで新幹線のような外見だが、明らかに宣伝に偽りあり(写真下左)5千メートルの山を登れるディーゼルとはさぞやすごい車両なのだろうと、技術者のはしくれとして、大いに興味があったのですが、外見の平凡さんにがっかり。

後でわかったのですが、実は、この後、この車両はこのゴルムドでアメリカ製の特別なディーゼル機関車に取り替えていたようです。

バキュームカーも待機していました(写真下右、失礼)

 

RIMG0015列車がこんなに格好よくない RIMG0007トイレのバキュームカー

 

 硬座車両は片側3人と2人が向かい合わせで、6人と4人の対座席になっています。人数からいうと新幹線と同じだが、対座席のせいか狭く感じます。

すでに一度乗ったことがある添乗員さんによれば、7月よりも、硬座車両が増えているとのことです。

 

RIMG0023 RIMG0022

RIMG0019 RIMG0029

 

 列車はチベット高原をどんどん登っていきます。たしか、このあたりは映画『ココシリ』の舞台です。チベットカモシカを密漁から守るという実話に基づいた映画です。北京オリンピックのシンボルにもなったあの鹿の仲間です。後で、列車からこのチベットカモシカの姿が見えました。

「ここが舞台なのだ」と感激しながら、車両の左側の光景を見ていたのですが、帰国後、ココシリは車両の右側だとわかりました。

 

RIMG0028 RIMG0027

 

 山の中に入り、雪山なども見えてきて、いかにもチベット山脈に入ったという感じになってきました。その光景はたしかにすごいのですが、何時間も見ているとやはり飽きてきます。これで雨で煙って見えなかったりすると、「絶景が見られたはずなのに、残念だ」と期待も高まったのかもしれませんが、天気もよく、全部良く見えます。

 

RIMG0041 RIMG0044

 

 午後になり、同じような風景が続くと、客の中はもう飽きたのか、外の風景よりもおしゃべりに専念する人たちも増えた。しかし、せっかく来たのだし、きれいな風景なのだから、私はずっと外を見ていました。やがて、列車は一番高い5000mを通過(写真下左)

 

RIMG0090 RIMG0057

 

 最高度の通過点には石碑のようなものも立っているのだから、そのあたりで速度を落とすとか、停車するとか、ちょっとサービスすればいいのに、ひたすら走るだけです。

 停車駅のホームにすら下りることもできないというのも不満の一つでした。添乗員さんが交渉してくれて、一つの駅でホームに下りても良いという話があったが、いざ下り始めると、車掌がいきなり怒鳴りつけて、客を車両に戻しました。中国ではよくある話で、誰かが許可しても、別な人は許可しないというパターンだったのでしょう。長距離だから、時間どおりに走りたいのはわかるが、観光列車であることの自覚が今ひとつないようです。これからの課題でしょう。

 

RIMG0051 RIMG0047

 

 地図が手に入らなかったことも問題でした。今自分がどのあたりを走っているのか、おおまかにはわかっていても、次の駅がどこなのか、目の前にある雪山や湖を地図で確認もできませんでした。これはこちらの準備不足もあったが、7月に鉄道が開通したばかりで、日本のガイドブックにも載っていなかったのです。

ラサについてから、現地ガイドが高値でチベット鉄道の路線図を売りつけてきました。彼は「タダで手に入れた地図だが、これを50(750)で売る」と言いましたから、正直と言えば正直です。私を含めた何人かが苦笑しながら、買いました。できれば、青蔵鉄道に乗る前に手にいれたかったが、彼はラサに到着した後のガイドでした。

 

RIMG0071 RIMG0068

 

 鉄道の周囲にはしばしば砂が飛ばないようという工夫なのか、石が碁盤の目のように積み上げてあります(写真上)。他にも、永久凍土が解けないように、熱を逃がす工夫など、鉄道建設のために様々な技術が用いられているとのことです。

 

RIMG0084 RIMG0083

 

 天気には恵まれました。夕方、4時半頃、一時雨がぱらついたが、その他は大筋で晴れないし、少し雲がある程度でした。

 我々はのんびりと快適な列車で通り抜けています。だが、鉄道ができる前まではゴルムドからラサまでバスの旅はたいへんだったようです。1980年代の旅行記を読むと、暖房もないバスで震えながら、ラサまで丸二日を夜通し走り続けたようです(『チベット・エベレスト・ネパール』鴨井信政、シビナ国際文化研究交流会、1989)

 

RIMG0078 RIMG0077雨期なので水がある

RIMG0095 RIMG0089

 

 列車内には酸素の配管があり、マスクを無料で貸してくれます。試してみました。かなりの勢いで酸素が出てきます。列車内に圧力をかけて、酸素を流しているという話だったが、そんなことをしたら、いくら酸素があっても足りないような気がします。圧力を用いた高度計を持っている人によれば、そのままの高さを示しているとのことだから、圧力をかけているというのは事実ではないでしょう。いずれにしろ、我々のツアーで列車内で高山病になったという人はいませんでした。

 

RIMG0087 RIMG0086

 

 列車では昼食と夕食を二度取りました。昼食は弁当で、車内販売です。乗客の人数からいったら絶対量が足りないため、添乗員は確保に努力したようです。これは夕飯でも苦労していたようです。

 那曲(ナクチュ)をすぎたあたりで、夕食は食堂車で取りました(19:15)。ところが、食堂車は混んでいて中国人の客たちが隣に立って待っているような状態です。二グループに分かれるので、後の人のためにも、急いで食事を取りました。私は食べるのが遅いので、同席した人が立ち上がった時には半分も食べていませんでしたが、もはや食べ続けられるような状況ではありません。この間約十数分。あれほど急ぐ必要が本当にあったのか、私にはよくわかりません。

 

RIMG0107 RIMG0106

RIMG0105 RIMG0104

 

 線路が山脈を避けていることもあるせいか、列車で進んでいる分には高度の感覚がなく、まるで大平原をひたすら走っているような雰囲気です。

 

RIMG0117 RIMG0115

RIMG0133

 

 北京時間を中心にしているので、夕暮れは夜の8時頃です。この頃、列車の進行方向右側、西の方向に雪山(シャオモズモラ山)が浮かびあがり、きれいでした。残念ながら、私のカメラでは逆光でうまく写りませんでした。これを最後に、ラサに着くまでの約二時間は周囲は暗いのでほとんど何も見えなくなりました。

 

RIMG0161 RIMG0166駅内の地図

 

 22:45 ラサ駅到着(写真上左)14時間に及ぶ列車の旅でしたが、飛行機のように座席に閉じこめられるのと違い、自由に動けるし、外の風景も見られるから、時間の割には大変ではありませんでした。

青蔵鉄道の旅が今回の一番の目的でしたから、天気に恵まれ、トラブルもなく、合格です。

ラサ駅は出来たばかりだから、近代的で広い。賓客を迎えるためか、構内に車が直接入ってきたのには驚きました。

 

 23:10 駅を出発。駅からラサ市内の間にはラサ河(ヤルツァンポ河の支流)があり、まだ橋が完成していないため、迂回するのにラサホテルまで30分くらいかかります。橋ができれば10分だろうとのことでした。

23:50 ラサホテルに到着。二十年ぶりのラサホテルです。売店などが追加されてるが、受付の位置は変わっておらず、ホールや建物の配置にはなんとなく記憶があります。しかし、次の日、ホテルの周囲を見てその変化に驚きました。郊外にあったはずのラサホテルは、都会の真ん中になっていました。

 

RIMG0002部屋から見た風景

 

                                          

 

 

トップページ 日程表 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10