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アルカディアに咲くヒメサユリ

 

 

古墳群のヒメサユリ

 山形県の南西部にある川西町の下小松古墳群(しもこまつ こふんぐん)のヒメサユリが見ごろだと聞いて、2018613日に出かけました。

 

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 小松古墳群の遺跡近くの道路にはヒメサユリにちなんだピンク色のノボリが立っています(写真下)。ノボリには、

「国指定史跡 下小松古墳群 ひめさゆり群」

とありますが、もちろん、国指定史跡とは古墳のほうであってヒメサユリではありません。

 

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 駐車場にはお客さんたちの車が少しあります(写真下右)。車の台数に表れているように、山形県にはヒメサユリを観光の目玉にした大江町や朝日町などがあるのに、ここはあまり熱心ではなく、610日前後の土曜日を「ひめさゆりデー」として催しがある程度です。

 観光客誘致に熱心でないことは私にはありがたいことで、だから、わざわざ来ました。熱心でないということは、ここのヒメサユリは人の手が加わっていない自然のままである可能性が高いからです。

 

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 写真上左の看板にある古墳群の配置図が写真下で、写真の上方向がほぼ西です。オレンジの点が古墳で山全体に広がった大規模な古墳群なのがわかります。6カ所(6支群)に分かれ、看板では188基、ネット上での記述では202基もあり、この内、3カ所の合計179基が国指定史跡になっています。古墳は関西地方にあるような大型のものではなく、直径がせいぜい数メートル程度の小さな円墳や前方後円墳です。

 

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 駐車場があるのが下図の「現在地」です。私は古墳巡りが目的ではないので、ヒメサユリがたくさん咲いている小森山支群を中心に散策します。駐車場のあたりが標高230mほどで、地図の一番高い所でも269mしかなく、山登りではなく、山歩きです。

 

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 駐車場から小森山支群の山道を行くと、さっそく道の両側にヒメサユリが咲いています。

 

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写真上下 ヒメサユリ(姫小百合)

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 自分の家の裏山にも少し咲いているから、今年初めてお目にかかわるのではありませんが、私の最も好みとするユリなので毎日見ても飽きない。市販のユリと違い、六月のこの時期しか見られないので、こうやって出かけて来る価値はあります。

 

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 私の裏山のヒメサユリは探すのも大変なくらい減っているが、ここは保護されているので、それなりに数があります。しかも、人為的に増やしたような雰囲気ではありません。

 

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 写真下はずいぶん強いピンク色のヒメサユリです。

 

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 ピンク色が強くてもせいぜい写真下くらいで、上のように濃いのは珍しい。

 

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 これに対して、写真下などはピンク色が薄く、白い。ただ、意外に真っ白なヒメサユリは珍しい。

 

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 ヒメサユリの咲いている雑木の中で目につくのが写真下中のウルシです。林の中はもちろんのこと、山道のそばにもウルシが生えています。五~六月の成長期のウルシは最もかぶれやすい。ウルシがこれだけ繁茂していると人が立ち入らないから、ヒメサユリの保護に役立っています。ただ、あまり茂らせると日陰になり、ヒメサユリの成長を阻害します。

 

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 私は自分の家の裏山に行く時は、剪定用の鋏を持ち歩き、ウルシを親の仇みたいに切り倒すことにしています。これは私がウルシに弱いだけでなく、通行人もウルシを避けようとして、山道が消えてしまうからです。放置すれば、山道は「漆通り」になり、ついには人が通らなくなります。ウルシも生態系の重要な植物ですから、倒すのは山道の近くのみです。だから、私はウルシに「こら!道のそばに生えるんじゃない。奥のほうに引っ込んでいろ」と叱ることにしています()

 

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古墳はどこに?

 ヒメサユリに夢中になっていて、フッと気が付いたのだが、自分が古墳群のど真ん中にいるはずだということです。下の地図の朱線が私が今歩いている山道で、ごらんのように、周囲は古墳だらけなはずです。

 

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 その古墳だらけの周囲が写真下です。松などの樹木が生い茂っているだけで、古墳らしいものはありません。いや、たぶん古墳が写っているのです。上の古墳の分布図から言って、どちらにカメラを向けても、古墳を写さないほうが難しいはずです。

 

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 目立つのは写真下で、たぶんマツクイムシで枯れた松を切り倒したらしい。林の中に入ると、たしかに、少し土が盛り上がっている部分があるから、たぶんこれが古墳なのでしょう。だが、何の印もないし、こういう集落近くの山は人間の手が加わっていることは珍しくないから、言われなければ気が付きません。

 

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 古墳がかなり広い範囲に分布するから、管理が難しいのはよくわかります。里山として自然との調和を考えるといきなり樹木を切り倒すわけにもいかない。ただ、今のように墳墓の存在すらよくわからないようでは、ちょっと問題です。せめて個々の墳墓の周囲だけでも樹木を切り倒し、それとわかるような名札くらい付けてはどうでしょう。今のままでは樹木の根によって墳墓そのものが破壊されてしまいます。

 

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風アザミ

 初夏の山ですから、他にもいろいろと花が咲いています。林の中にオニアザミが風に揺れて咲いています(写真下)

 

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写真上 オニアザミ(鬼薊)

 

 夏のアザミを見ると、すぐに連想するのが、『少年時代』という唄の歌詞です。

 

「夏が過ぎ 風あざみ

だれの憧れにさまよう

青空に残された 私の心は夏もよう」

『少年時代』(作詞:井上陽水、作曲編曲:井上陽水・平井夏美、1990)

 

 「風あざみ」なんていうアザミも言葉もないのに、すぐに風に揺れているアザミを連想させ、しかも、揺れているアザミだけでなく、子供の頃に見た夏の終わりの風景が浮かびあがってきます。短い文章でこれだけのイメージを与えるのが井上陽水氏の詩人としての才能なのでしょう。

 

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 オニアザミの名前を「カゼアザミ」に変えてはどうでしょう。オニアザミとは葉にトゲがあるから付けた名前だろうが、かわいい花にそぐわない。バラにトゲがあるからといってオニバラとは言いません。夏の午後に、林の中で風に揺れているアザミがカゼアザミなら、ロマンチックでアザミにふさわしい。

 

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 ヤマツツジは日本の野山では普通に見られます(写真下)。こんなふうに写真を並べてみると、微妙に色合いが違うのがおもしろい。

 

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写真上下 ヤマツツジ(山躑躅)

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 写真下のママコナは全国の山に生えていますが、隣の秋田県などでは絶滅危惧種になっているほどです。

 

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写真上 ママコナ(飯子菜)

 

 ツルアリドオシは、これが生えていると日陰だとわかる植物です(写真下)。ボールペンの先と比べてもわかるように、葉も花も小さく、名前どおりにツル状に地面をはいます。

 

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写真上 ツルアリドオシ(蔓蟻通し)

 

 

湿原の花

 山のあちらこちらに湿原があります。山形では湿原でよく見られるのが写真下のキンコウカです。

 

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写真上 キンコウカ(金光花、金黄花)

 

 写真下も同様に山間の湿原で見られるノハナショウブです。

 

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写真上 ノハナショウブ(野花菖蒲)

 

 道の脇に長さが1m以上もあるオオナルコユリが二本咲いています。ナルコユリはそれほど珍しくないが、オオナルコユリはめったに見かけません。どちらでもナルコユリの仲間は写真が撮りにくい。

 

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写真上下 オオナルコユリ

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 人目をひく赤いサワランが一本だけ咲いています(写真下)。日本の中部以北の湿原に分布します。次のトキソウも蔵王の標高1500mくらいの湿原でも見られます。

 

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写真上 サワラン(沢蘭)

 

 写真下のトキソウは日本の湿地帯では広くみられる花で、当然、採取する愚か者たちが多く、減少し、山形県でも絶滅危惧種になっています。ここも数は多くありません。きれいなランを欲しがる気持ちはわかるが、やめてほしい。また、皆さんも、売っていても買わないことです。

 

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写真上下 トキソウ(朱鷺草)

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 同じ湿地の隅にツボスミレが咲いています。山間部のやや湿った所に生えています。クシャッとつぶれたような特徴ある「顔」で、前に月山の標高1200mほどの亜高山でも見かけたことがあります。

 

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写真上下 ツボスミレ(坪菫)

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ハッチョウトンボ

 小さな赤トンボがいます(写真下)。普通の赤トンボよりも小柄で赤味が強いハッチョウトンボです。ここは湿原があるくらい水が豊富なので、このトンボの自生地としても知られています。

 ハッチョウトンボはアジアから東南アジアなど広い範囲に分布するトンボで、日本でも本州以南の湿地帯を中心に棲息しています。ところが、湿地が減り環境が悪化して、全国的にも減少して、山形県でも準絶滅危惧種になっています。

 

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写真上下 ハッチョウトンボ(八丁蜻蛉)

 

 写真で見ると普通のトンボに見えますが、頭からシッポの先まで2cm程度と、500円玉に体の大半が隠れるほどの最小のトンボです。写真上の赤いトンボがハッチョウトンボのオス、写真下左がメスです。問題は、写真下右で、大きさからいってハッチョウトンボのようだが、全体が黒くて腹が太い。

 

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 シオカラトンボのオス(写真下左)とメス(写真下右)です。こちらは幸いどこにでもいる。

 

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写真上 シオカラトンボ(塩辛蜻蛉

 

 

置賜地方は桃源境?!

 展望台からは置賜地方の中心にある米沢盆地を一望できます(写真下)。西から東に見える米沢盆地を見ています。盆地の真ん中を流れているのが最上川で、山形県を縦に北上し、やがて日本海側に流れ込む山形県の大動脈です。見ただけで、ここが穀倉地帯なのがわかります。これがここに古墳が残った理由なのでしょう。

 

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 下図は「古墳マップ」というホームページにある山形県南部の古墳(オレンジ色)の分布図です。真ん中の平地は米沢盆地で、これが写真上です。これを見れば、米沢盆地の収穫をもとに、現在の四つの市町村に、古墳を作れるほどの四つの権力者たちのグループがあったのがわかります。逆に言えば、戦乱が少なく、それらの権力者たちが作った集落が破壊されたり滅亡することなく、土台となってこの四つの市町村ができたことになります。

 

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「古墳マップ」(https://kofun.info/)より転載加工

 

 明治時代に日本を訪れたイギリス人旅行家のイザベラ・バード(Isabella Lucy Bird, 1831-1904)は、米沢盆地のあるこの置賜地方を訪れて、ここを「エデンの園」「東洋のアルカディア」と絶賛しています。アルカディアとは桃源境のことです。

 

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 バードは1878(明治11)5月に日本を訪れ、東京から新潟を経由して、東北地方を縦断して北海道の南部まで行き、旅行中に見聞きした様子を本にまとめています。当時の日本人の庶民の様子だけでなく、アイヌ民族についての貴重な資料になっています。

 

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 バードは7月に新潟県から山形県に入って、そこで見た置賜盆地を次のように絶賛しています。

 

「米沢の平野は南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉の街、赤湯があって、申し分のないエデンの園で、「鋤(すき)ではなく画筆で耕されて」おり、米、綿、とうもろこし、たばこ、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、瓜、きゅうり、柿、あんず、ざくろをふんだんに産します。微笑みかけているような実り豊かな地です。繁栄し、自立した東洋のアルカディアです。」

(『イザベラ・バードの日本紀行[]』講談社、302ページ、2008)

 

 置賜地方の方々には失礼を承知で申し上げるなら、アルカディア(桃源境)とわざわざ評価しなければならないほどすごい地方ではありません。たぶん地元の人たちもここまで持ち上げられると、こそばゆいのでしょう。

 

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 どうしてバードは置賜地方をアルカディア(桃源境)とまで評価したのでしょうか?わずか数日で通過しただけの置賜地方にお世辞を言わなければならない理由は何もありません。彼女は「事実を知らせるため」(『イザベラ・バードの日本紀行[]6ページ)と述べており、実際に、日本での貧困や不潔、日本人の外見には痛烈な批判をしています。彼女の好みと主観、育った環境での価値観などの偏見もあるが、物事を客観的に見ようとしているのはわかります。

 

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 バードが置賜地方をアルカディア(桃源境)とまで絶賛した理由を『イザベラ・バードよりみち道中記』(無明舎出版、2010)の著者・伊藤孝博氏は主に五つほどあげています。この中で私が最も説得力があると思うのが、厳しい十三峠を越えて置賜地方に入ったことです。

 

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 新潟県と山形県を結ぶ越後米沢街道の県境にあった十三峠は名前どおりに13も峠が連なり、しかも、彼女が通過した711日から13日の大半が「溺れそうなほど雨が降っており」(『イザベラ・バードの日本紀行[]306ページ)という状態だったようです。東北南部の梅雨は平均で612日~725日ですから、まだ梅雨の真っただ中です。峠越えが大変なだけでなく、まともな宿はなく、住人たちの悲惨な生活状態を目の当たりにしています。彼女は雨の山道に肉体も精神も疲労困憊の末に、穏やかでのどかな置賜地方を見て、桃源境に到着したように感じたのでしょう。

 

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 彼女が峠を通過した6年後の1884(明治17)年に新しい道路が開通して、十三峠は役割を終えています。もし、この新しい道路を通っていたら、置賜盆地はアルカディア(桃源境)にはならなかったかもしれません。

 

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 残念なのは、バードが通過した7月にはヒメサユリは一カ月も前に咲き終えていたことです。このユリを見ていれば、アルカディア(桃源境)のイメージはもっと美しいものになっていたでしょう。

 

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 バードは別な日本のユリを見ています。秋田県北部の米代川を命からがら渡った時、次のような記述があります。

 

「その日の旅のたったひとつの戦利品はすばらしい百合で、わたくしはそれを宿のあるじに贈りました。すると翌日百合は神棚のとびきり貴重な古い薩摩焼の小さな花瓶で花を開いていました。」

(『イザベラ・バードの日本紀行[]』講談社、415ページ、2008)

 

 729日に東北で咲くユリはヤマユリオニユリで、「すばらしい」という形容詞から、ヤマユリのことでしょう。同行の日本人通訳者が彼女にユリの名前を教えなかったのは残念です。ヤマユリは江戸時代末には海外に持ち出され、明治時代には輸出品の一つになっていました。

 

 

田んぼのニッコウキスゲ

 山を一周して駐車場に戻りました。近くにある農業用水の小川はかなりの水量です(写真下)。ここもコンクリートで固めてあるのはいただけないが、説明によれば、西川町の西隣の飯豊町から江戸時代に作られた長さ12kmの水路です。しかも、江戸時代末には、新潟県に向かって流れている川の水を150mものトンネル(穴堰)を掘って山形県側に導き、水量を増やしたという。江戸時代に手掘りのトンネルを作るのはどれほど大変で危険だったか、先人たちの努力には頭が下がります。

 

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 水路の土手の草刈りをして、ニッコウキスゲだけ刈り残したようです(写真下)。その気づかいは素晴らしい。

 

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 夏に高山で良くみられる花なので、田んぼとニッコウキスゲの組み合わせは意外でした。ただ、関東地方でも低地型のニッコウキスゲがあるようです。

 

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写真上下 ニッコウキスゲ(日光黄菅)、ゼンテイカ(禅庭花)

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 このあたり一帯は環境省から重要な里山として「下小松里山環境保全地域」に、また山形県から「下小松古墳群からの眺望」が「眺望景観資産」に指定されています。バードからアルカディア(桃源境)との賛辞をもらって、置賜地方では名前にふさわしい地方にしようと努力している人たちもいます。人間がその気になればヒメサユリの咲くアルカディアはあちらこちらに作れます。

 

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