水辺を巡る 白鷹湖沼群 山形市の西にある白鷹湖沼群は「山形県民の森」として整備されているので、行くのも見るのも楽です。標高600mほどなので、夏は山形市内よりも涼しく感じます。白鷹湖沼群の多くは前は溜池として利用されてきたが、今は公園として保護され、生態系への配慮があります。また、カルデラにできた沼という同じ条件なのに、沼によって水草の様子がかなり違っています。 白鷹湖沼群 「雪国に咲く赤い雪椿」でも紹介したように、下図の丸で囲んだ山が外輪山となった古いカルデラで、白鷹湖沼群はその中に水が溜まったカルデラ湖です。 標高600mほどの高さにあるので、東に山形市内を一望できます(写真下)。夏に来ると、山形市内より気温が少し低いのがわかります。 今回、2022年の七月下旬から八月上旬にかけて、何回か歩き回ったのが下図の沼で、主なものだけで10ほどあります。同じ環境の中にあるのに、それぞれに個性があります。私の目的は水草で、そういう目で見ると、大まかな傾向として、畑谷大沼や荒沼など大きな沼はそうじて面白くない。これは沼の中心部が深いので、根を下ろすような水草が育ちにくいことの他に、道のそばにあり、人が簡単に行けて、特に釣り客が多いからではないかと思います。逆に、奥にあって、道からも離れ、行きにくい沼は水草も多く、個性のある沼を作り出しています。 下のグラフは沼の平均深さと面積を表わしたものです。面積は国土地理院が発表した数値そのままを、平均深さとは、 「平均深さ」=「総貯水量」÷ 「満水面積」 としたもので、大まかには平均的な深さを表わし、参考程度で絶対値は信用できません。単純に見るなら、大きな沼ほど深いという傾向が見られます。 上図 沼の深さと面積 平均深さ3mあたりを境に、aとbの二つのグループに分かれているのがわかります。 グループa・・・畑谷大沼、荒沼、板橋沼、苔沼 グループb・・・曲沼、隔間沼、巫女窪沼、鰌沼、榛の木夫婦沼 沼は長い時間をかけて埋まって湿地になるのが普通です。おそらくグループaは形や地理的な理由で流れ込む土砂が貯まりにくいのでしょう。これに対して、グループbは土砂が入り込み、しだいに消滅しつつある沼です。たとえば、下左の地図では畑谷大沼の北側に井守沼があることになっているのに、実際には湿地帯に草が生い茂っているだけで、水たまりもなく、すでに消滅しています(写真下右)。 荒沼(グループa):東西で違う顔 山形市内から車で来て、一番近い沼が荒沼(あれぬま)です。沼の東側には「少年自然の家」などの公共施設があり、駐車場が整備されているので、釣り客も多く、人の手が加えられています。 写真下は東側の岸辺から西を見た風景です。 東側には釣り客がいて、水辺にはほんのわずかジュンサイ、ヒシ、ヒルムシロがあるくらいで、面白味に欠ける。 これに対して、沼の西にはジュンサイが密集した場所もあるなど、水草が多くなります(写真下)。ただ、このジュンサイのようにまとまって水草が生えているのはここだけです。 沼全体の岸辺はどこでも少しだけヒシ、ジュンサイ、ヒルムシロが見られます。西側ではジュンサイは写真上のように群生しているところもあるだけでヒシとヒルムシロは群生していません(写真下)。 陽当たりは申し分なく、ジュンサイが生えているくらいだから、沼の西側はそれほど深くはないはずです。ジュンサイが繁茂しているのに、ヒシが繁茂しないのは、たぶんこの沼が栄養価が低いからでしょう。この水草の密度や分布の差は、この沼が釣り客の少ない西の上流側は水の汚れが少ないことを表わしているのでしょう。 写真上 ヒシ(菱 、Trapa jeholensis) 荒沼には標高差からいっても西から水が流れているらしく、西側一帯が湿地帯になっています(写真下)。しかし、夏になって雨が少ないので、小川は見当たりません。こんなふうに、白鷹湖沼群は水源となるような川が見当たらないことが多いのに、水が涸れないのが興味深い。 湿地にはカヤツリグサの仲間が何種類かあります。何度図鑑を見ても似たようなのが多すぎて、名前を特定するだけの気力がおきません(笑)。 荒沼の西の湿地帯を上っていくと、樹木のない斜面に様々な花が咲いています。何かに利用しようとして樹木を伐採して、そのまま放置したようです。 写真上左 ミソハギ(禊萩、Lythrum
anceps) 写真上中 クサレダマ(草連玉、Lysimachia vulgaris var. davurica) 写真上右 ノハラアザミ(野原薊、Cirsium oligophyllum) タケニグサが群生しています(写真下)。でかいわりには、あまり人目を引くような花ではありません。毒性があって食害にあわないので、造成した跡を緑化するのにも使われるそうですが、見たことがない。 写真上 タケニグサ(竹似草、 Macleaya cordata (Willd.) R.Br.) 写真下を見ると、いつもフジバカマと言いそうになるのですが、フジバカマは関東から以南にしか生えていないらしい。 写真上下 サワヒヨドリ(沢鵯、Eupatorium lindleyanum) 写真上左 ヒョウモンチョウ(豹紋蝶、Brenthis daphne) 写真上右 マルハナバチ(丸花蜂) 園芸種のアジサイは私には少々騒がしい。山で見かけるエゾアジサイはすっきりしていて、特にこの物たりない水色が良い(写真下)。 写真上 エゾアジサイ(蝦夷紫陽花、Hydrangea serrata var. yesoensis) 写真上 リョウブ(令法、Clethra barbinervis) 薄紫のクガイソウを見ると、いつも髪飾りを連想します(写真下)。 写真上下 クガイソウ(九蓋草、九階草、Veronicastrum japonicum) 七月中旬からは林のあちらこちらにヤマユリが咲き、激しく芳香を放っています。写真下は道端に植栽されたのが成長したのでしょう。花を咲かせすぎて、重さで倒れています。 白鷹湖沼群では道端も林の中も、この時期ヤマユリは珍しくありません。 写真上下 ヤマユリ(山百合、Lilium auratum) 写真上 カラスアゲハのメス(烏揚羽、Papilio dehaanii) 畑谷大沼(グループa):これも東西で違う顔 畑谷大沼は面積が17ha(17万㎡)と、白鷹湖沼群の中では一番大きな沼です。沼は一周できるように遊歩道が整備され、南側に店舗や駐車場があるなど、観光化された沼で、その点では荒沼と似ています。 畑谷大沼の沼の特徴は、神社を境にして沼の東西で様子がかなり違うことです。西側は人間の影響もあり、普通の沼だが、東側は水草も多く、自然が豊かに見えます。その理由は上の地図を見ればわかるように、沼が神社のあたりでヒョウタンのようにくびれており、二つの沼があわさったような状態だからです。沼の水が流れ出る排水路は南と西にあって、西側の水が東側に流れ込まないので、東側は独自の水質を保つことができるのでしょう。 東西で沼がかなり違うのは下のグーグルの衛星写真が良く示しています。西が緑色で東が茶色なのは、東側に生えていた水草などが枯れたからです。つまり、西側は水草が少ない。 西側にも水草は少しあるが、人が植えた赤い花のスイレンや(写真下左)、人家に近いほんの一部にヒシが密集しているくらいです(写真下右)。ヒシは汚れた水や富栄養化した水でも生えますから、あまり歓迎する光景ではありません。 西側の大半は岸辺でもすっきりと何も生えていない(写真下)。 これに対して、東側はかなり様子が違います。写真下はたぶんミツガシワです。やや寒冷地の水辺に生える植物で、名前どおりに、葉が三つなのでわかりやすい。今回、紹介した沼の中で確認できたのはここだけでした。これを見ても、東側の水底が浅く、水草が繁茂しやすい 写真下はヒルムシロの群落で、田んぼでも見られるようなありふれた水草で、白鷹湖沼群ではあちらこちらで見かけました。ツクシのような花が水面から出て、満開です。 写真上下 ヒルムシロ(蛭蓆、Potamogeton distinctus) 少しだけヒツジグサも生えています(写真下)。西側は見た目よりも水の流れがあって泥が持ちされられるので水草は生えにくく、東側が閉鎖的な水系なので水底に泥が貯まり、沼が浅くなったことで、これらの水草が生えやすくなったのでしょう。 散策路に沿った山の斜面にクルマユリが咲いています(写真下)。花は小さく、ヤマユリのような派手さはなく、日陰で首をのばしてそっと咲いている姿はちょっと感動する。 写真上 クルマユリ(車百合、Lilium medeoloides) 散策路にはそちらこちらにキノコが生えています。沼のそばだから、十分な湿気があるでしょう。キノコを見ると、いつも後ろに小人や妖精が隠れているような気がする(笑)。 板橋沼(グループa):田畑だった沼 板橋沼(いたばしぬま)は6.3ha(63,000㎡)で、この近辺では三番目に大きな沼です。沼は西側に車が通れるような道路が、北と東側に遊歩道があり、南側は道がなく立ち入れません。畑谷大沼と同様に、ここも、東西では様子がかなり違います。人の立ち入りが容易な西側は水草が少なく、奥まった東側は水草が豊富です。 西側の入口には看板がいくつもたっています。元々、この沼にはワカサギがいたのに、ブラックバスやブルーギルなど外来種を放流したため絶滅しました。そこで1991年からワカザキを放流して、1月~2月だけ氷上でのワカサギ釣りが解禁され、これ以外の期間はボートを浮かべることも禁止になっています。 ボートが禁止というわりには、岸辺に水の入ったボートがあります(写真下右)。 西側は写真下のように、岸辺にヒルムシロやヒツジグサが少し生えている程度で、平凡です。 ところが、車が入りにくい沼の東側に行くと、写真下のように様相は一変します。目に付くのはヒツジグサで、その間にヒルムシロが生えている。 ヒツジグサとヒルムシロが花を咲かせ、特にヒルムシロはここでも満開です(写真下)。奇妙なことに、ヒシは少なく、ジュンサイが確認できない。水中にも水草(沈水植物)が生い茂っているのが見えるのに、岸辺に近づけないので、名前はわかりません。 写真上 ヒツジグサ(未草、Nymphaea tetragona) 写真上 ヒルムシロ((蛭蓆、Potamogeton distinctus) 写真下が板橋沼のビックリ写真です。写真下左は1956年、右は1970年の板橋沼の写真です。両者を比較すると、解像力の低さを考慮しても、1956年には水があるように見えるのに、1970年は明らかに水がない。しかも、沼の底は田んぼや畑など耕作地のように見えます。 写真上左1956年5月10日撮影 写真上右 1970年9月8日撮影 下の地図のように、1959年に出た学者の論文には板橋沼が「長沼(涸潟)」とあります。地図の位置から長沼とは板橋沼のことで、「涸潟」とは水が涸れて干潟のようになっているという意味でしょう。 上図 「山形市西郊大沼池沼群の水質とプランクトン」(水野寿彦『陸水学雑誌』20巻、4号、182ページ、1959年)から転載 はっきりわかるのが1976年に撮られた写真下で、沼の底が田んぼや畑があぜ道で小さく仕切られています。つまり、板橋沼を干して耕作地にしていたのです。今はヒツジグサやヒルムシロが生える豊かな水系は、半世紀前は完全に干上がっていたのだ!ヒツジグサとヒルムシロだけで、ジュンサイがないのはこれが原因かもしれません。 写真上右 1976年10月23日撮影 1988年(写真下左)になると、沼の西側には水が溜まっているのが見えて、1993(写真下右)にはほぼ全域に水が入っています。これは「山形県民の森」が1981年に開園する時に公園化されたからです。 写真上左1988年11月26日撮影 写真上右 1993年10月28日撮影 ところで、上の写真の撮影年を見て気になりませんか?わずか三十数年前なのに白黒写真で2003年も白黒でした。カラーと白黒では情報量が違います。資材にも事欠くような国ならともかく、貴重な記録資料で国の財産なのに、どうしてこんな事にケチるのか、見識を疑います。 日本は記録をきちんと残すという習慣がなく、記録に価値をおいていない。だから、2017年、南スーダンでのPKO活動での日報を破棄して、忖度した関係者が処罰されただけで、なぜ破棄したのかという一番肝心な部分の追及はマスコミもしませんでした。1995年にオウム真理教に出された解散命令の裁判記録が、2006年には破棄されました。私が何よりも驚いたのは、民事事件の記録は一審の裁判所が原則5年保存した後、廃棄することが最高裁判所の規定や通達で決まっていたことです。民事裁判の記録はたった5年でほとんどが破棄されると知って、ひっくり返るほど驚いた私は日本人の中でも少数派なのでしょう。 苔沼(グループa):山奥の沼でアオコ発生?? 苔沼(こけぬま)は面積が5.4ha、平均深さ4.9mで、水草も少なく、グループaに属する平凡な沼です(写真下)。この沼の一大特徴は半世紀ほど前まで富栄養化してアオコが発生していたことです。 苔沼は標高600mほどにある白鷹湖沼群の一つで、簡単に言えば山奥の沼です。写真上や下の地図のように、周囲を山に囲まれた自然豊かな沼であり、人家はなく、周囲は散策道のみで車で走れる道はありません。昔、アオコが発生した茨城県の霞ヶ浦などは生活用水や農業用水が流れ込んだ富栄養化が原因なのに、ここはそのような水が流れ込む川はありません。では、アオコが発生するほどの栄養物はどこから流れ込んだのでしょう? 1990年代、こんな山奥の沼でアオコが発生していたという調査研究をしたのが山形大学の25人の学生たちで、前田保夫教授の指導で卒業論文として次のような報告書にまとめています。 『山のアオコ』(前田保夫、山形大学教育学部付属教育実習センター、1995年) 彼らが目撃したアオコの証拠写真が1991年9月に撮られた写真下左で、「吹きよせられたアオコ」と説明がついています。冊子の表紙にもアオコの入った苔沼の水を示しています。 写真上 『山のアオコ』(2ページと表紙) アオコの原因として疑われたのは、1974年に苔沼の西側に、下水処理場で出る汚泥、木くず、魚の残りカスなど産業廃棄物を埋め立てる処理場を作ったことです。地元では苔沼の水質汚染を恐れて建設反対の住民運動が起き、市議会でも議論されたが、山形県が許可を出してしまったため、毎日20tも運び込まれたと毎日新聞(1975年9月8日)が伝えています。 今と違い、県庁は環境影響評価など何もせずに許可を下したのでしょう。たまたま、この時期の前後、私は県の土木担当者たちと別件でやり取りしたことがあるのですが、環境への知識のなさよりも、意識の低さ、無関心さにあきれました。当時すでに環境影響評価が当たり前になっていたのに、彼らは金額と土木工事をすることしか頭になかった。 埋立処理場は苔沼の川上にあたる120mほど西側の、標高差30mほどの所にあったと毎日新聞の記事にあります。下の写真は国土地理院で1974-1978年に撮られた航空写真で、赤い三角で囲った部分が処理場ではないかと推測されます。上流のこんなそばに処理場を作ったら、汚水が苔沼に流れ込むのは当たり前です。 写真下は、この三角部分を四月頃に訪れた時の様子で、平らに造成された跡があります。地表は枯れた草で覆われているので産業廃棄物を捨てたような形跡はありません。奇妙なのは、山形大学が調べた1991年から数えても三十年もたっているのに樹木が生えていないことです。周囲にこれだけ樹木があれば、種が飛んできて、十年もあれば雑木林になっているはずで、私の裏山なら十年はかかりません。伐採したのではない証拠に切株もありません。つまり、理由がわからないが、三十年たっても木が生えない。 トラックなどの車両が入れるように造られた道が残っていて、その土手に沿ってスイセンが植えてあり、長い間、手入れされた様子もなく、放置されても生き残ったのでしょう(写真下)。 造成地の北側に苔沼へ通じる道があり、処理場からの水が常に染み出て、鉄分が含まれているのか、茶色です(写真下左)。道は泥だらけで歩けないので、迂回路までできています。他の湖沼を歩き回っても、茶色の水が出ている所は見かけませんから、産業廃棄物から流れ出ているせいなのでしょう。この道が水路になり、産業廃棄物から出た汚水は東の低い位置にある苔沼へと流れていきます(写真下右)。 これでは苔沼が汚染されて当然です。子供でも汚染が予想がつくようなこんな場所を、よく産業廃棄物の処理場として県が許可したものです。いくら1970年代でも、見識の低さだけでは説明がつかず、何か裏があったのではないかと疑ってしまいます。 山形大学の学生たちの調査研究の優れている点は、いきなり産業廃棄物処理場を犯人と決めつけずに、科学的な根拠を示したことです。アオコが発生すると水の中の炭酸イオンが光合成で消費されて水がアルカリ化してpH(ペーハー)が高くなるようです。そこで彼らは過去の文献から、苔沼のpHを調べたというのだから、大変な努力です。その貴重なデーターが下左の表で、それを私がグラフにしたのが右です。 上の表 苔沼のpH(『山のアオコ』10ページ) 誰が見ても明らかで、1974年までは沼の水のpHは約7.0、つまりほぼ中性だったのに、その後、急激にアルカリ化したことがわかります。埋立処理場は1974年に建設されましたから、コイツがアオコの犯人です。 調査報告書『山のアオコ』には、産業廃棄物の処理場がいつ頃閉鎖になったのか書いてありません。1990年代に調査した彼らは、処理場が犯人だと地元の人から教えてもらったとありますから、この時期にはすでに処理場は閉鎖されていたにもかかわらず、1974年から二十年後の1990年代まで沼の水は汚染され続けたことになります。 写真上左 ミソハギ(禊萩、Lythrum anceps) 写真上右 ツリガネニンジン(釣鐘人参、Adenophora triphylla var.
japonica ) 『山のアオコ』は多くの学生が協力して真冬の凍り付く苔沼に出かけて調査し、しかも、それを報告書にしてネットで公開しているという点が素晴らしい。この冊子を見るまで、私は苔沼の悲劇を知りませんでした。5年で裁判記録を破棄する連中とは大違いです。 彼らの調査から三十年後の今日、見た目には沼が汚染されている様子はありません。ただ、他の沼と明瞭に違うのは、ヒシやヒツジグサなどの水草が見当たらないことです。水中にはタヌキモらしい水草が少し見られるくらいです。、水草の有る無しは水質の汚染度合いを素人でも簡単にわかる指標で、まだ産業廃棄物の影響が残っているのではないかと危惧されます。 苔沼は水草はなくても、散策路に沿ってキノコが多く見られます(写真下)。このあたりはわりと湿気が多いのかもしれません。この冊子には、湿気が多いどころか、苔沼は前は沼ではなく湿地帯だったと書いてあります。 人間が造った湖沼群 『山のアオコ』には苔沼という名前の由来が書いてあります。1994年、沼の水門の修理のために沼の水を抜いたところ、湖底にはたくさんの木の株とミズゴケから作られた泥炭が広がっていたというのです。この沼は東側に土手を築いて作られた溜池ですから、元々は沼ではなく、ミズゴケの生えた湿地だったことになります。実際、国土地理院の地図では、苔沼が作られたのは「昭和以降」という記述がありますから、わりと最近作られた沼です。 私は白鷹湖沼群の沼を、白鷹のカルデラ湖の名残りで、自然にあった沼を溜池と利用するために堤防などを築いたと思い込んでいました。ところが、苔沼ほどの大きさのある沼でさえ、実は昭和時代になってから作られた人工池にすぎないのだ。しかも、板橋沼は畑になっていた! 驚いて、改めて国土地理院の地図から沼の築造年代を調べると次のようになっています(下図の赤文字)。 築造とは、堤防などを築き、現在のような姿になったという意味でしょう。私はこれを元々、自然の小さな沼を堤防を築くことで大きな沼にしたと解釈していましたが、苔沼の底から樹木の株が出てきたのだから、少なくとも苔沼は大正時代以前にはなかったことになります。つまり苔沼は100%の人工沼です。 こうなると、他の沼も、一見、自然のように見える沼も、信用できない。これでは白鷹湖沼群ではなく、白鷹溜池群というべきでしょう。 もちろん全部がそうだというのではなく、例えば、畑谷大沼のそばにある「大沼龍神の由来」という看板には次のようにあります。 「今を去る600余年大沼は、未だ出羽丘陵火山群の爆発によって出来た湿地湖沼としてその原型を留めていた。築堤もない全くの原始湖沼として・・・」 つまり、畑谷大沼は自然の沼が元々あって、堤防を作り大きくしたらしい。現在は面積が17haですが、元は5~6haと、ちょうど南にある板橋沼くらいの大きさだったことになります。 苔沼のように完全な人工溜池と、畑谷大沼のように自然の沼を利用した造成沼とが混ざっていて、区別がつきません。築造年代を見ると、畑谷大沼など北側が江戸時代、苔沼など南側が明治や昭和、また荒沼など真ん中は不明とありますから、何百年にもわたり、水を確保しようと努力したようです。 「しかしこれらの沼水のほとんどは、山王川・富神川または後明沢川に集水され、山形市域の灌漑用水に利用されているのである。」(『山形市下水道30年史』山形市下水道部、1993年、21ページ) 冒頭の地図をみていただければわかるように、白鷹湖沼群は山形の西部地域への灌漑用水として今でも重要な役割をはたしています。 榛の木夫婦沼(グループb) :五千人が集まった 榛の木夫婦沼(はんのきめおとぬま)は、名前の由来のように西(上流)と東(下流)の二カ所の沼があり、水路でつながっています(下図)。どちらが夫か妻かわかりませんので、私が勝手に西沼、東沼と名前を付けました。 東西ともに水辺には植物が茂り、水面にたくさんの水草が生えていて、なかなか素晴らしい。 写真上 榛の木夫婦沼(東沼) 写真下 榛の木夫婦沼(西沼) 写真下は東沼で・・・この沼、ちょっと変ですよ。岸辺近くはイネ科の植物が生えて、その向こうにヒツジグサとジュンサイが生えており、両者の境界は定規で引いたように直線です(写真下)。ヒツジグサなど水草の生えている水面にも、まるで区画整理された田んぼのような直線の筋ができています。 この沼の底は仕切られており、これらの植物は人為的に植えられたものなのでしょう。一度、水を抜くなどして水底を区画整理した後、水草を植えたのだろうから、相当なお金がかかったはずです。何のためにそんなことをしたのでしょう? 外来種のスイレンも植えてあります(写真下)。スイレンは畑谷大沼とここの二カ所でしか見かけませんでした。この沼の様子から、豊かな水辺を演出するために、お金と手間暇をかけたように見えます。ただ、それは植物の繁茂状態からして、最近の話ではなさそうです。 お金と手間暇をかけたのは沼だけでなく、大きなトイレと「はんのき広場」という立派な看板まであります(写真下)。丸太で作ったかのように見せたコンクリート製で、他の沼にはこんな立派な看板はありません。 沼の北に広々とした「はんのき広場」があります(写真下)。遊具がないから遊園地ではないし、斜面だから運動場でもなく、ゴルフ場とも違う。何のためにこれほど広い広場を作ったのでしょう? 理由を示すのが写真下の国土地理院にある1954年と1976年の航空写真で、ここは公園化される前は開墾された畑で、そのまま広場にしたのです。斜面がなだらかで畑にしやすかったのでしょう。1956年の写真はアメリカ軍が撮影したもので、解像度は低いが、夫婦沼がくっきりと黒く写っていて、現在の広さとほぼ同じです。1976年の写真は撮影時期が秋なので水が足りなくなっていたのか、東沼には四角にしか水が残っておらず、西沼は水面が見えませんから、夏の間に成長した水草に覆われているのでしょう。 写真上左 1954年5月10日撮影 写真上右 1976年10月23日撮影 ずいぶん手をかけた理由を示す石碑がありました(写真下)。1988年に「第十二回全国育樹祭」が当時の皇太子夫妻を招いて開催され、ここに五千人が集まったという。こんな所に五千人!あの立派なトイレ一つでは絶対に足りないと真っ先に考えました(笑)。バス一台に50人乗せたとしても100台です。大型バス100台の駐車場なんてないから、ピストン輸送になります。山形市内から標高差が500mほどもあり、曲がりくねった道路は大型バスで来るのも、すれ違うのも大変だったでしょう。 五千人の喧騒は今は昔で、あたりは人の気配もなく、夫婦沼は東西どちらも水草に覆われて心地よい。 水草で多いのはジュンサイとヒツジグサで、葉が互いに重なり合い、激しく競うように生えています。 写真上下 ヒツジグサ(未草、Nymphaea tetragona) ヒツジグサはスイレンに比べて小型で一重で白だけなので、私はスイレンよりも好みです。昔、知り合いからヒツジグサを分けてもらい池に植えたのに、コイが根こそぎ食いやがった。山形ではコイを甘露煮にして食べますから、私はコイに「ヲマエラ、甘露煮になりたいのか!」と、にらみつけた(笑)。 西沼はヒツジグサよりもジュンサイのほうが優勢です(写真下)。 おっ!ジュンサイの花が咲いている(写真下)。わざわざこの花を探しに村山市の「じゅんさい沼」まで出かけたのに、見つかりませんでした。探さなくても、ここはいっぱいあるじゃないか(笑)。ジュンサイはメシベがのびた後にオシベがのびるそうで、写真下はオシベではないかと思います。環境が合っているのか、葉が見事に生い茂っている。じゅんさいは富栄養の沼では育たないし、除草剤など農薬に敏感ですから、ここはそうではないという証拠のようなものです。 写真上下 ジュンサイ(蓴菜、Brasenia schreberi) ツチガエルが気持ち良さそうに水の中にいる(写真下)。山形県では準絶滅危惧種になっています。下段の背中に白い筋があるのもたぶんツチガエルです。 写真上下 ツチガエル(土蛙、Glandirana rugosa) 曲沼(グループb):ジュンサイ沼 曲沼(まがぬま)は大きさのわりには目立たず、観光客はほとんど訪れません。曲沼は、北側の車が走れる道路から10m以上も下にあり、トンブリの底に水が溜まったような構造で、岸辺に近づくことが難しく、隔離されたような沼です。 沼に下りていく道は一カ所だけで、一人がやっと通れるくらいの坂を下りていくと、鳥の観察小屋があり(写真下右)、さらに下ると舟のある岸辺に着きました。しかし、岸辺に近づけるのはここだけで、岸辺に道はありません。 曲沼は「ジュンサイ沼」と言ってもいいくらい、湖面はジュンサイでおおわれています。つまり、水が農薬で汚染されておらず、富栄養化もしていないことを意味します。岸辺にある舟も、ジュンサイ採りの箱舟でしょう。ここのジュンサイが前からあったことは、六十年ほど前に学者が次のように書いています。 「曲沼はジュンサイが一面に繁茂し,ジュンサイ採りが行われるらしく小型の舟がつながれてあった.」(「山形市西郊大沼池沼群の水質とプランクトン」水野寿彦『陸水学雑誌』20巻、4号、182ページ、1959年) 水野氏の描写は六十年後に私が見たのと同じ光景です。曲沼はこの閉鎖性のおかげで、かなり前からこの環境を保ってきたらしい。人間の手が比較的加わっていないのではないか。それはこの沼には人工的な堤防が見当たらないことです。他の沼の多くは、元々あった小さな沼の下流をせき止めて大きな沼を作ったので、堤防の一部が直線になっていていることが多く、たとえば写真下左は巫女窪沼、右は榛の木夫婦沼の直線の堤防です。造りやすいのはわかるが、景観に配慮しない造りです。 曲沼はドンブリのような構造で、手を加えるのが難しかったから自然のままの姿を留めた沼に違いない・・・と確信したのですが、国土地理院の地図の記載を見ると、曲沼が造られたのは明治時代だという。なあんだ、堤防に近寄れないだけで、これも人工的な沼なのだ。ちょっとがっかりしました(笑)。 人工的でも、水面はジュンサイでおおわれ、水中にはタヌキモらしい水草もあり(写真下左)、岸辺に様々な植物が繁茂して(写真下右)、人の気配もなく、とても心地よい沼です。 隔間沼と米沼(グループb):砂州でだいぶん違う 隔間沼(かくまぬま)と米沼(よねぬま)は狭い砂州で二つに隔てられているだけで、元々は一つの沼だったのでしょう。環境が似ているのに、水草の様子がだいぶん違います。 他の大半の沼が観光用に簡単に近づけるのに対して、ここは車の走る道路から離れているので、観光客も少ない。期待どおりに、沼は森閑として人影もなく、水草などが茂って、とても良い雰囲気です。写真下だけを見ると、両者はあまり違いがなさそうですが、水草は種類も数もかなり違います。 写真上 北側の米沼 写真下 南側の隔間沼 米沼を一周しようと入り込んだ薄暗い林の中にヤマユリが芳香を放っています(写真下)。 写真上 ヤマユリ(山百合、Lilium auratum) 隔間沼と米沼は突き出た砂州で区切られています。写真下左の右側のヤブがそれで、左側の沼は隔間沼です。両者は写真下右の幅がわずか数メートルの水路でつながっています。写真下右の水の色を見てもわかるように、タンニンが含まれているのか、茶色でそれほど透明度は高くありません。 どうしてこんな所に砂州ができて沼が隔てられたのか、人工的とも思えず、理由が良くわかりません。この砂州が両方の沼の状態にかなりの差を付けています。北側で上流にある米沼にはヒツジグサが生い茂り、花を咲かせていて、岸辺に立っているだけでとても心地よい(写真下)。 隔間沼が岸辺をほぼ一周できる山道があるのに、米沼の岸辺近くは道がないので、岸辺に近づくことが難しい。それが米沼の自然環境を守っているのでしょう。奇妙なのが、ヒツジグサがこれだけあるのに、見える範囲ではジュンサイがないことです。岸辺に近づけないので丁寧には確認できないが、ジュンサイらしい葉は見当たりません。 写真上 ヒツジグサ(未草、Nymphaea tetragona) ヒツジグサと並んで目立つのが、岸辺近くに生えているカヤツリグサの仲間です(写真下)。荒沼の湿地帯などでも見かけたが、ここまで群生しているのはこの沼だけです。たぶんカンガレイで、これとヒツジグサが米沼の主役です。 写真下右 カンガレイ(寒枯藺、Schoenoplectiella
triangulates) 北側の米沼がヒツジグサとカンガレイで豊かな水辺を形成しているのに、砂州一つで隣接する南側の隔間沼の様子はちょっと違います。ヒツジグサも一部には花を咲かせていますが(写真下左)、もっともよく目立つのはヒシです(写真下右)。 写真下に見えている浮草のほとんどがヒシです。米沼にはヒシは見られないのに、隔間沼ではヒシが中心です。ヒシは富栄養化した水でも繁茂しますから、米沼よりも隔間沼のほうが水の汚れがひどいということなのでしょうか。両者の沼の周囲を歩いても、流れ込んでいる大きな川などなく、上流の米沼と下流の隔間沼でどうしてこんなに大きな違いがあるのか、理由がよくわかりません。 隔間沼に薄いオレンジ色の魚が泳いでいます(写真下)。かなり大きく、目測で50cm以上はあります。錦鯉にしては普段見るコイよりも細長い。これだけ水草が生い茂っているのだから、餌が少ないとは思えない。Googleの画像検索では中国産のソウギョが候補に出てきました。ただ、写真下左を見ると、背びれが長いので、短いソウギョとは違います。両方の沼で見た魚影はこれしかありませんでした。 米沼の周囲は道もなく、樹木に覆われているので草花は少ないのに、隔間沼の周囲は人が歩ける程度の道があるので、陽も当たり、花が咲いています。どこにでもはびこっている外来種のヒメヒオウギズイセンや、在来種のツリフネソウが生えています(写真下)。 写真上左 ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙、Crocosmia x crocosmiiflora) 写真上右 ツリフネソウ(釣船草、吊舟草、Impatiens textorii Miq.) ギボウシもイヌゴマも水辺を好む植物です(写真下)。 写真上左 ギボウシ(擬宝珠、Hosta undulata) 写真上中右 イヌゴマ(犬胡麻、Stachys aspera var. hispidula) 巫女窪沼(グループb):水底に水草 畑谷大沼の北西に位置するのが巫女窪沼(みこくぼぬま)です。南にある畑谷大沼から水が流れ込んでいて、珍しく水源がはっきりしている沼です。 写真下左の朽ち果てた椅子と机の様子を見ると、公園として整備されてから一度も補修されていないらしい。作るだけ作って維持にお金をかけないのは、行政にはよくあることです。写真下右のヤマユリはここに植えたのではなく、自然に生えたのを保護しているのでしょう。 草刈りしているので、たいていの草は生えなくなり、そのおかげで、環境が合っている二種類のシダの畑ができています(写真下)。 シダは元々このあたりに生えていた植物だから良いが、写真下のように外来種も草刈りのおかげで増えて、お花畑を作っています。市街地のちょっとした空き地などに増えるブタナです。 写真上 ブタナ(豚菜、Hypochaeris radicata) 水面のそこここに浮葉植物があり、写真下のようにまとまって生えているのがジュンサイです。つまり、ここも富栄養化していない沼だとわかります。目立つ群落はジュンサイで、他にもヒルムシロが生えています。 この沼で目を引いたのが、水中の水草です。写真下を見ると、水中に何か藻(沈水植物)が生えているのがわかります。水中の右側の緑色に見える部分だけでなく、水底全体に何か黄緑色の藻が生えています。 対岸の林が映り、反射光もあるので見にくいが、水底に横に黄緑色の筋がついていて、水草が群落しているようにも見えます。こんな様子はこの沼だけでした。水底に水草が生えているとすれば、ここの水が透明度が高いか、または深くないことを意味します。他の沼に比べて特に透明度が高いようにも見えませんから、深くないのでしょう。実際、面積(0.3ha)で貯水量(2.1k㎥)を割った値、つまり平均深さは0.7mですから、大半は足がつく深さです。 いくら深くない沼でも中に入るわけにはいかないので、岸辺近くに生えている水草をすくい上げてみると、葉の様子から、少なくとも二種類あるようです。一つ目のセンニンモも全国の河川や湖水で普通に見られる水草です(写真下)。センニンモの特徴は、花を見たら、ラッキーというくらい珍しいらしい。そう言われると、私も見たことがありません。 写真上 センニンモ(仙人藻、Potamogeton maackianus) 沼の底に見える水草はセンニンモかもしれません。というのは、もう一つの写真下のマツモなど根がなく、水中を浮遊していることが多いからです。 写真上 マツモ (松藻、Ceratophyllum demersum) 写真下の茶色く浮いているのが枯れたマツモでしょうか。舟を浮かべて、水底の藻が何なのか、調べてみたいような沼です。こういう藻が浮いている沼はここだけでした。 鰌沼(グループb):ドンジョ沼 鰌とはドジョウと読むのだとそうです。鰌沼(どじょうぬま)というくらいだから、ドジョウが棲んでいるのかもしれない。山形ではドジョウではなく、ドンジョです。 車道の近くにあるにもかかわらず、散策コースからも外れているせいか、訪れる人も少ないようで、車道から沼に行く道も整備されていません(写真下)。写真下の斜面は鰌沼の堤防で、ここも、小さな川の流れる湿地帯だった所に堤防を築いて人工的に造った沼なのがわかります。いつ頃造られたのか、国土地理院の地図でも不明とあります。 訪れる人の少ない沼らしく、ジュンサイが繁茂しています。真ん中にジュンサイがないのは沼の真ん中が深いからでしょう。 沼は道らしい道もなく、何とか西側を半周できる程度で、東側は樹木が生い茂っていて、立ち入りができません。岸辺の様子からすると、たぶん、ここは釣り客も少ない。ドジョウは釣ってもおもしろくないのかもしれません。 南側は上流になっていて浅いせいか、ジュンサイがかなり繁茂しています(写真下)。整備されず、訪れる人も少なく、ジュンサイ採りにも使われず、溜池としてだけ利用されているのでしょう。 沼をとり囲む周囲の林は他の沼と同様に、針葉樹が多いこともあって薄暗く、草花は少ない。 写真上右 ナギナタタケ(薙刀茸、Clavulinopsis fusiformis) 写真上右 ウツボグサ(空穂草、靫草、Prunella vulgaris L. subsp. asiatica) ごろびつ沼:針葉樹に囲まれて死んだ沼 最後は「ごろびつ沼」という変な名前の沼です。下左の国土地理院の地図で曲沼の南にある小さな沼がそれで、見てのとおり、沼の名前さえもありません。下右の地図は、白鷹湖沼群の中にある「山形市自然少年の家」のホームページに載っていた地図で、こちらは名前があります。車道から離れていることもあり、私のようなもの好き以外は訪れる人もいません。散策路があるので、七月に行った時は途中まで、八月に行った時はすべて草刈りがしてありました。 地図上 国土地理院 地図上 山形市少年自然の家 広域図 ゴロビツで検索すると、意外にも四国の店の名前が出てきます。山形でも最近はあまり使われない言葉で、白鷹湖沼群の近くに「ごろびつ岩」があります。 ゴロビツとは弁当箱だという説があります。櫃(ひつ)という容器に、オニギリがゴロゴロと入っていたから、ゴロ櫃がゴロビツになったのでしょう。私は長い間、ゴロゴロと石が転がっている様子とイビツという言葉の組み合わせなのだと思っていました(笑)。稀に周囲で使われる時も、頑迷で偏屈な人を指してゴロビツということがあったからです。 ごろびつ沼の岸辺までの道はありません。散策道から強引に藪を踏み越えて下りていくと、これまでの沼とはまったく違う光景が広がっていました(写真下)。何か、白い粉のようなものが水面を覆っています・・・なんだ、これ? たぶん花粉です。普通、スギ花粉は3月~5月、ヒノキ花粉は4月~6月とされていますから、今は花粉の時期ではありません。周囲のヒノキやスギの林から大量の花粉が降り注ぎ、しかも、表面にできた模様を見てもわかるように、水が流れ出ていないから、風に吹き寄せられて貯まったままなのでしょう。 ごろびつ沼の二枚の写真を比較すると、写真下右では、沼の右半分が干上がっています。私が見たのはおそらくこの状態です。「おそらく」というのは、右半分は樹木が邪魔して近づけないからです。 写真上 国土地理院の写真 写真上 NAVITIMEの写真 ごろびつ沼には他の沼のような水草は生えていません。岸辺付近の水中から葉が出ていて、ハッカのように見えます(写真下)。北側の水中の植物はこれくらいで、ほぼ何もありません。透明度がすごく低くはないのに、花粉が浮かんでいるせいもあり、薄汚れた沼のように見えます。 ごろびつ沼までは車道から少し歩かなければならないので、観光客や釣り客も来ないし、周囲は森林で囲まれているのだから、沼としての環境には恵まれているはずです。ところが、ジュンサイやヒツジグサどころか、ヒシさえもない。人が手を加えなければ、沼は豊かな生態系を保つのではないかと思い込んでいた私には、ごろびつ沼はショックな沼です。 どうしてこんな貧相な沼になってしまったのか。直接の原因は花粉の原因にもなっているヒノキとスギで、もちろん、植林です(写真下)。薄暗い立派な林の中には背の低い草花は育たず、キノコが生えている。 写真上左 ベニナギナタタケ(紅薙刀茸、Clavulinopsis miyabeana) 写真上右 ナギナタタケ(薙刀茸、Clavulinopsis fusiformis) 下の衛星写真でわかるように、ごろびつ沼の周囲を取り囲むようにわざわざ針葉樹が植えてあります。ごろびつ沼自体がそれほど大きくないので、周囲を高い樹木に取り囲まれてしまうと日光が遮られ、特に水面には陽が当たらない。その上、水面は花粉でおおわれてしまい、いよいよ陽が届かない。周囲が本来の落葉樹なら問題なかったのに、人間が針葉樹を密集して植えて陽が当たらないから、水草などが育たないのは当たり前です。 つまり、人間が針葉樹を周囲に植えたために、この小さな沼は死んでしまった。逆に言うなら、生き返らせることは簡単で、周囲の針葉樹はすべて伐採して、落葉樹が生えるのを待つことです。 写真上 Googleの衛星写真 写真上 Yahooの衛星写真 白鷹湖沼群の印象 白鷹湖沼群の主な沼をまわり、それぞれに歴史や個性や問題がありました。そこで、各沼の私個人の印象をAからEまでの五段階で主観的に評価してみました。白鷹湖沼群は普通の溜池に比べたら、どの沼も環境に恵まれており、DやEはありませんでした。 この表で目立つのは水草(浮葉植物)がない二つの沼です。ごろびつ沼に水草がないのは周囲の樹木のせいだとわかるが、昔、アオコが発生したという苔沼は未だに産業廃棄物の影響があるのではと疑われます。 ◎:水草が沼全域に生えて、水面を覆うなどかなりよく繁茂している。 〇:水草がそれなりに繁茂して、生態系を作り上げている。 △:水草が少ないか、生えている場所が限られている。 A:心地よい沼。岸辺、水面、水中の水生植物が豊富で、昆虫などを含めた生態系が豊か。 B:良い沼。部分的でも水生植物が繁茂している。 C:普通の沼。水草などは少なく、面白みには欠けるが、特に汚染している様子もない。 D:きれいでない沼。水草はほとんどなく、水も濁り、岸辺がコンクリートであるなど人工的な沼。 E:汚い沼。見るからに汚染され、心地よさのない沼。 沼にどんな水草がどんな状態で生えている4かは、水質の汚染度合いを知る上で素人でも簡単にわかる指標です。富栄養化が進んだり、農薬が入ればジュンサイなどは消滅します。昔、アオコが発生するほど汚染された苔沼に、三十年たっても浮葉性の水草が見当たらないのは、偶然ではないでしょう。 私のいう「豊かな自然」「素晴らしい生態系」という誉め言葉は主観で、科学的な根拠はありません。沼の周囲の緑が豊かで、水辺には水棲植物が生い茂り、水面の大半が水草に覆われ、水草の上にカエルがいて、その上をトンボが飛んで、しかも岸辺が釣り客などに踏み荒らされた様子がなければ、私は心地良いと感じます。 こういう単純な素人発想に対して、湖沼学者の中には、水面を水草が覆ったら、光が湖底にまで届かなくなり、水面下は酸素不足になって他の動植物に悪影響を与えるから、環境に良い事にならないと主張する人もいます。また市街に流れる川にバイカモが生えている観光地では、バイカモの草刈りをすることで川の環境を保っていることがあるようです。 霞ヶ浦のように人間が汚染したり、生態系に手を加えた場合の多くはそうでしょう。しかし、白鷹湖沼群ではそこまで破壊されておらず、また沼の数や広さからいって人間が関与するのは無理で、実際、岸辺や水面、水中の植物に手を加えている様子はありません。今回、見た範囲では、板橋沼で冬にワカサギ釣りがあり、曲沼にジュンサイ採取用の舟があるくらいで、沼の水生植物はほぼ放置されています。汚染が進んだ沼と違い、ここの湖沼群の大半はそれでバランスが保たれているのだから、学者がただの雑草だという水草が生い茂るままに放置してほしい。 |