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廃止された公務員宿舎の花

 

 

 茨城県つくば市にある筑波研究学園都市には元々は八千戸近い公務員宿舎がありました。その七割くらいはすでに廃止や廃止予定です。公務員宿舎は不当に安い賃料で税金の無駄遣い、という批判が起きたことと、実際に筑波研究学園都市での公務員宿舎の役割が終わってしまっているからです。

 

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 筑波研究学園都市に公務員宿舎が建設され、入居が始まったのが1972年、完成は1980年です。高度成長期時代で、筑波研究学園都市を作り、大学や研究機関を集めて、科学技術の発展を促そうとした国策です。金食い虫の失策だという批判もありますが、筑波大学からノーベル賞受賞者が出たのですから、十分に元が取れています。

 

地図:筑波研究学園都市 詳細図

地図上 国土交通省のホームページから転載

 

 公務員宿舎を見て、まず気が付のは作りがボロイことです。写真下は並木地区の戸建ての公務員宿舎で、緑色の屋上があってきれいに並んでいるが、良く見ると、まるでサイコロみたいな立方形で美しくない。

 

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 近づいて見ると、建物のダサイことは一目瞭然で、四角いコンリートの箱です。大半はヒサシさえもついていません。外見を二の次にするにしても、一番の問題は営繕修理が行われていないことです。建ててから一度も外壁の塗り直しなど補修をしたことないのでしょう。外壁はすっかり汚れ、コンクリートの一部は落魄して鉄筋がむき出しになっているところもあります。税金を無駄にしないとは、無駄使いしないことだけでなく、税金を使って作った建物を長い期間有効に利用することです。残念ながら、こういう長期的な視点が日本は希薄で、特に行政は作ることには熱心で、維持管理にお金を出さない。

 

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公務員宿舎の廃止

 20112012年の「国家公務員宿舎削減計画」に基づき、つくば市内の7割の公務員宿舎が廃止されることになりました。7割という数字に目が行きがちだが、3割、つまり二千戸の公務員宿舎を残すことになります。

 

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 公務員宿舎が完成した1980年当初、筑波研究学園都市には民間の賃貸物件は少なく、戸建ての販売もほとんどありませんでした。東京のように民間の賃貸物件がたくさんあるのに公務員宿舎を作るのと違い、ここでは公務員宿舎は必要だったのです。

 

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 だが、2005年につくばエクスプレスが開通したこともあり、駅を中心に大規模な宅地開発が行われ、今も多数の賃貸物件が供給されています。こういう状況でさらに二千戸も公務員宿舎を残す必要があるのだろうか疑問になります。

 

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 私は公務員宿舎の縮小や廃止には賛成です。ここからは賛成であることを前提にした話です。つくば市の公務員宿舎の廃止から、いくつかの問題が見えてきます。おおまかに言うなら、

・四十年程度の建物を再利用ではなく、壊すのは持続可能な社会という考えに反する、

・大規模な緑地が失われ、環境が悪化する、

というもので、それぞれについて考えてみましょう。

 

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作っては壊す

 つくば市の公務員宿舎は1980年に完成で、2005年前後からは一部では廃止が始まりました。つまり、大半の宿舎は3040年で壊していることになります。鉄筋コンクリートでできた住宅の耐用年数は47年ですから、これにさえも達していません。耐用年数とは、税務署が税金を取るための資産価値の基準であって、使える限度という意味ではありませんから、その意味では使える物を壊しているのです。

 

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 実際、公務員宿舎の多くは作りは古いが、手直しをすればまだまだ使えます。使える物を壊したらどうなるか。貧乏になります。税金で造られた建物ですから、耐用年数にも達していない建物を壊すのはむしろ税金の無駄使いで、国民が貧乏になるのです。

 

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 問題は税金の無駄使いということだけではありません。もっと根深い。それは戦後の日本が大量の住宅供給のために安普請の最小限の住宅を大量に供給し、しかも「作っては壊す、壊しては作る」を繰り返したことです。戦後から七十年以上もたち、時代が変わっているのに、相変わらずその悪習慣が止められない。

 木造住宅の耐用年数は約20年ですから、建てても一代も持たないことになります。年収の何倍かの値段の住宅は、ローンが終わった頃には耐用年数をすぎており、売ろうとすればゴミ同然です。これでは国民が貧乏になるのは当たり前です。耐用年数という言葉を税務署が使うのをやめて、課税年数とでもするべきです。

 

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 公務員宿舎も建築の基準さえ満たしていれば何でも良いとばかりに大量生産をした建物です。補修や改修しながら百年持たそうなどという考えは発注側にも作る側にもありませんでした。長期的な視野など何もなく、単年度で予算を消化することしか考えていない。その結果、耐用年数にも達していない建物なのに壊すことしか選択肢がありません。なんという税金の無駄。

 

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 「公務員だけ良い思いをしているのはけしからん」と怒る気持ちもわかるが、廃止するにしても、再利用についてもっと検討するべきです。廃止される五千世帯もの公務員宿舎を再利用しようという計画は皆無です。リサイクルや再利用がこれだけ言われている時代に、国が率先して膨大なゴミを生み出しています。廃止を検討した委員会が再利用も考えずに、大量のゴミに無関心だったというのも驚きです。

 廃止が無駄とゴミを生み出すだけでなく、実はもう一つ重大な損失があります。それが二つ目の緑地などの環境破壊です。

 

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たくさんの緑が失われた

 公務員宿舎は建物はダサイが、民間の団地などにはない素晴らしい一面がありました。それは家と家との間が十分にとってあり、植樹され、時間がたつにつれて緑が豊かになっていったことです。写真下は敷地内の緑地で、数十年成長し続けた樹木で建物が隠れるほどです。

 花の好きな私には公務員宿舎は格好の散歩道で、ここに載せた花はほぼすべてが公務員宿舎の敷地で撮った写真です。

 

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 宅地開発すれば、いったん更地にするのが常識ですから、写真下のように半世紀もたつような樹木が無残にも切り倒されます。公務員宿舎を作った半世紀前のさらに前からある林をうまく活かしたので、半世紀以上の樹木も珍しくありません。だが、宅地開発ですから、一本残らず倒します。

 

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 公務員宿舎が売却され、宅地開発されると緑の環境がどれほど損なわれるかを見る簡単な方法があります。廃止される前の戸数と、宅地開発された後の戸数の比較です。並木の戸建ての宿舎を事例にします。

 下の地図で赤で囲った部分は戸建ての公務員宿舎で廃止され、売却される前は筑波大学の所有でした。赤い枠の中の宿舎は59軒ありますが、実際は一軒が火事で焼失していますから、最初は60軒でした。

 

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 ここは2017年から造成工事が始まり、計画書を見ると、108区画の戸建て用に分譲されます。60戸と108戸が同じ場所に建つのだから、108/601.8で、住宅密度が二倍近くなります。両者の一戸あたりの面積を単純計算するなら、1/600.016671/1080.0093ですから、一戸当たり面積比で、1 : 0.56となります。つまり、分譲された一戸の面積は公務員宿舎の56%、六割弱です。

 

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 60人が住んでいた地域に108人が住んだらどうなるか。例えば3人で住んでいた家に、赤ん坊を連れた夫婦が来て、合計6人で住んだらどうなるかは考えてみるまでもなく、生活環境が悪くなります。家の敷地面積はそれほど変わりませんから、面積が減った分であおりを食うのが緑地です。つまり減った分とは大部分は緑地です。

 

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 緑地が失われた実例がこの敷地の北側にあります。写真下の赤で囲った部分が廃止される公務員宿舎、青で囲った部分は公務員宿舎の跡地にすでに民間が開発した団地です。両者を比較して、まず気が付くのが、写真の「色」です。公務員宿舎のほうが緑色が多く、団地のほうは少ない。これは公務員宿舎の屋根が緑色で、団地の屋根が茶色だからという理由だけではありません。このように目で見てわかるほど緑が失われています。

 

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 写真下の上段は赤で囲った公務員宿舎の敷地、下段が青で囲った団地です。こんなふうに現場を比較すると明瞭です。業者は利益を優先するから、緑地は最小限にして、一戸でも多く建てようとします。その結果、出来上がった団地は、日本の団地としては普通の団地だが、公務員宿舎時代と比べると緑が目で見てわかるほど減っています。

 一戸あたりの面積が6割に減り、その減った4割とは緑地です。

 

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 「日本は狭いのだから、しかたない」という意見がよく聞かれます。でも、本当でしょうか?ここは東京のド真ん中ではなく、周囲には田畑の広がる地域です。もう少し広くとろうと思えばやれることは、他でもないここの公務員宿舎が証明しています。

 

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 「公務員だけがこんな広い敷地に安い家賃で借りていたなんて、けしからん」と怒りたい気持ちもわかるが、それは逆で、ここの緑の豊かな公務員宿舎こそがむしろ人間が住むべき当たり前の住環境です。普通に働いても、「ウサギ小屋」と小馬鹿にされるような狭い敷地に暮らさなければいけないことがおかしいのです。

 

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 一生働いても狭い家しか買えないのに、一方で日本には空き家が2013年には820万戸、全戸数の13.5%で、右肩上がりに増えています。こういう中、せっかく人間が住むのに適した環境の公務員宿舎をわざわざ壊し、緑地を除去して、1.8倍もの建物を詰め込むような団地を造るのは、なんとも皮肉な話で、「日本の貧しさ」を象徴しています。豊かさと明らかに方向が逆です。

 国内総生産(GDP)が世界第三位であるにもかかわらず、庶民は隣家の騒音に悩まされるような安普請の狭い住宅しかない。公務員宿舎の作り方、廃止の仕方にその貧しさの原因の一つ現れています。

 

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 緑の減少だけでなく、もっと深刻な例が日照権です。公務員宿舎が売却され、そこにマンションなどが建つことで住宅環境が悪化するとして、周囲の住民の反対運動まで起きていました(写真下)

 

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 住民の危具は杞憂ではなく、道路を隔てた住宅地の陽当たりはものすごく悪くなりました(写真下)。他人事ながら、ため息が出ます。東京のような密集地帯ならともかく、のどかな田園風景の広がるこんなところで、日照権の争いまで起きるのも「日本の貧しさ」の一つです。

 

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このまま販売できないのか?

 公務員宿舎の集合住宅の再利用は難しくても、戸建てなら再利用できないだろうか。私は戸建ての公務員宿舎をこのまま個人に売るようなことはできないかと、知り合いの不動産業者に質問したことがあります。関東財務局が売りに出した戸建てを不動産業者が買い取り、公務員宿舎の建物のまま分筆登記して販売するという方法です。

 

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 戸建ての鉄筋コンクリートの公務員宿舎は3040年くらいたっていますから、建物としての商品価値はありません。中古住宅が付いているのに土地代金だけで販売できますから、販売価格は安くなり、すぐに完売するでしょう。業者は団地開発に比べて利益は薄いが、造成も開発もしませんから、購入資金だけで済み、資金が少なくて、借金返済も速やかで、小さな業者でも可能です。建物が古いから、多くの客がリフォームをするでしょうから、これを斡旋すれば利益があがります。

 

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 古い建物を壊さずに環境も守れ、客も安い金額で買えて、一石二鳥の方法ではないかと提案したのですが、不動産業者は渋い顔でした。関東財務局は販売方法を厳しく審査するので、まずそんなやり方は許可が下りないだろうというものでした。また販売した家屋に対しては三年間の保証を付けなければならないので、長年放置された中古住宅は難しいとのことでした。

 

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放射能汚染

 公務員宿舎の廃止で良く聞かれたのが「もったいない」でした。古いが手直しをすればまだまだ使えるからです。前述の売却方法を関東財務局に手紙で出したが、もちろん無しのツブテです。国のすることですから、誰も口出しできないし、何より彼らに聞く耳などあるはずもない。間もなく売却され更地になるだろうと思っていたところに予想外の出来事が起きました。

 

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 20113月の東日本大震災です。正確には、大震災によって引き起こされた原発崩壊と放射能汚染です。被災地域の人が避難を余儀なくされ、廃止予定だった公務員宿舎に移住してきました。皮肉なことに、原発崩壊と放射能汚染が公務員宿舎の寿命を延ばしたのです。

 動きが本格化したのは大震災から半年くらい後で、廃止されるはずの戸建ての内部の改修と(写真下左)、敷地内の樹木の剪定が行われました(写真下右)

 

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 並木の戸建てに避難してきたのは福島県双葉町の住人でした。双葉町のノボリを立て、一軒の公務員宿舎が連絡所として使われています(写真下)。年数とともに帰還する人たちが出て、今では二十軒を割り、最初の入居数と比べると、目測で半分くらいまで減りました。

 

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 双葉町の一部は帰還困難区域に指定されていました。帰還困難区域という言葉自体が、現実を覆い隠すための言葉のゴマカシのように聞こえます。帰還困難区域ではなく、「高濃度放射能汚染地域」とはっきりと表記してはどうでしょう。同様に原子力規制委員会は「原子力稼働委員会」と正確に表記するべきです。

 こういう言葉のゴマカシは日本では珍しい話ではありません。通称カジノ法案は「統合型リゾート(IR)整備推進法案」という名称ですが、実際は賭博法案やバクチ法案です。「防衛装備移転三原則」などと曖昧に言わずに、「新・武器輸出三原則」と、武器を輸出して商売する法案であることを正直に明示するべきです。

 

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 曖昧な表現をするのは実態がばれてはまずいからでしょう。双葉町など、帰還困難区域が解除された地域では帰還が促されています。しかし、他の地域の帰還のテレビ番組を見ると、住宅地のすぐそばの汚染は除去されておらず、放射能の線量計が2.0μS/h以上の値を示したことに私は仰天して、思わずテレビから離れた()。よくまあ、こんな所に帰還しろなんて言うものだと、その無責任と無知ぶりに仰天しました。

 2011年の原発崩壊でつくば市も大規模に汚染され、勤務先の敷地の中では排水溝近くで0.8μS/hという最高記録が計測され、その近くは立入禁止になりました。私が線量計を持ち歩いて測った時、歩道のそばの0.25μS/hという値に、あわててその場を離れたのを覚えています。

 

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 私の故郷であってもこれほど汚染されたら、ためらわずに去ります。もちろん子供や孫に住めなんて絶対に言いません。成長期の子供が被ばくしたら、取り返しがつかない。放射能が原因で病気になっても、証明できませんから、誰も補償してくれません。

 

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 福島県の放射能で汚染された地域に五年間放置された牛を調べても異常が見つからなかったという研究者の報告があります。一方で、1986年に原発崩壊したチェルノブイリでは、直撃を受けた人ではなく、その後に生まれた子供たちが極端に病弱で、学校では救急車を呼ぶのは珍しくなく、子供たちが倒れるのを恐れて体育と試験ができないというのです。子供たちを病弱にしたのが放射能だという科学的な証明はできませんから、国を訴えることもできない。

 この事例のように、放射能の影響は学者の間でも確定していません。国が保証しているから、徐染した地域に戻るのは問題ないと判断するのは個人の自由です。私は親族や知人に、そのような一か八かの「人体実験」を試すようなことはしないほうが良いと助言するだけです。

 

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 放射能の恐ろしさの話をすると「風評だ」と逆に非難される。本末転倒で、誰が加害者なのかすっかり忘れているようです。電力会社と国こそが加害者です。原発は絶対に安全だと叫んでいた政治家、官僚、御用学者たちは素知らぬ顔で口を拭っている。

 

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並木の単身寮

 今でこそ、並木地区には十階以上のマンションがありますが、長い間、並木で一番高い建物と言えば、ほぼ中央に位置する四棟の単身寮でした(写真下)。遠くからでも良く見えるので、方角を確認するには便利でした。現在は四棟ともに廃止され、ありません。

 

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 写真下は四棟の一つから見た他の三棟です。今はこの光景はなく、ドローンでも使わないかぎりこの位置からの写真も撮れません。

 

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 単身寮からの眺めは最高で、私は住人でもないのに、しばしば登って展望を楽しんでいました。ナントカと煙は高い所が好きなのです()

 

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 下図のように並木公園の両側に2棟ずつ建っていました。特に並木池の東側(右側)にある単身寮は道路で囲まれ、少し周囲よりも高く、外部の人が立ち入りにくいので人がおらず、私の散歩コースにはちょうど良かった()

 

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 下の衛星写真の左は前あった東側の単身寮で、右は売却されて団地が造成されている最中の様子です。

 

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 衛星写真を見てもわかるように、約12千平方メートルというかなり広い敷地に単身寮の建物が二つと駐車場があるだけで、残りは林です(写真下)

 

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 林の中には元々ここに生えていた草花がずいぶん残っていました。前述のように、敷地は柵はないが、周囲の道路よりも高いので、心理的に入りにくい。住人の単身者たちも休みの日は家族のところに帰るだろうから、林を歩き回る人などほとんどいません。その結果、林には自然が残っており、花の写真を撮るのに好都合でした。それらの一つがスミレヤマユリです。

 

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 単身寮の林の中で、赤い花が遠くから見えました。なんだろうと近づいて見ると、チューリップでした(写真下)。たぶん、引越しをする時、邪魔になって、捨てて行ったのでしょう。広い草地の中からたった一本ポツンと咲いている姿はなかなかシュールです。

 

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 並木池に映る単身寮の(写真下左)、まず右側から取り壊しが始まりました(写真下右)

 

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 やがて右側の建物は撤去され(写真下左)、続いて左側の建物も取り壊されました(写真下右)

 

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 写真下の左が単身寮が建っていた頃で、右は宅地化された後の、ほぼ同じ方向を撮った写真です。同じ景色とは思えないほど違います。明瞭にわかるのは緑が大幅に失われたことです。逆ならいいのに、ちょっとさびしい風景です。

 

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給湯器の泥棒

 公務員宿舎が閉鎖されてから売却されるまで年単位の時間がかかります。私にはそのほうが残された植物を助け出す時間があるので助かるが、草木が生い茂り、荒れ果て、銀杏などは採り放題です()

 

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 白い壁に緑色のツタが這って模様になり、いい雰囲気です(写真下)

 

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 国立の大学や研究所の独立法人化に伴い、国有地がそれぞれの法人に任されたため、廃止が決まった後も草刈りをされた所と、写真下などのように放置された宿舎もあります。写真下ほどに放置されると、通路も草で埋め尽くされ、ジャングル状態で入り込むことも難しいほどでした。

 

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 そこに出没したのが、給湯器の泥棒です。戸建ての公務員宿舎の給湯器は建物の外に付いているので、簡単に盗めました。写真下左はそれを取り外した跡で、写真下右では使われていた断熱材がまとめて捨てられています。給湯器はどうでもよいが、こんなふうにゴミを捨てるのは良くない。

 

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 管理人がたまりかねて写真下のような「持っていかないでください。警察に通報します」と給湯器に警告文を出したが、効果はなく、大半の給湯器が盗まれました。

 

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 錆びついた古い湯沸かし器を何に使うのか、泥棒に会ったら一度聞いてみたいと思っていましたが、遭遇しませんでした。噂では、パイプに使われている銅を狙った犯行のようです。パイプ用の断熱材が大量に捨てられていたのもそれが理由でしょう。

 

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オヤツの果実

 五月の後半にはキイチゴが熟しますので、オヤツにいただきます。前の住人が植えたのか自然にあったのかわかりません。廃屋になった公務員宿舎の樹木が生い茂る庭で、無言でひたすらキイチゴを食べている私の姿を想像してください()

 

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 写真下は桑の実です。クワは実を食べた鳥が種を運んでくれるので、ここのも自然に生えたのでしょう。二階建ての建物と同じくらいの高さになっています。無料、無農薬、食べ放題です()

 

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 蛾の幼虫の体毛がついていると危険だから、洗って食べたほうが良いそうだが、食うのに忙しくて、そんな面倒なことはやってられない()

 

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 写真下は公務員宿舎に残ったグレープフルーツです。転居する時、さすがに移植するわけにはいなかったのでしょう。冬になるとたわわに実って、ボトボトと地面に落ちても、拾うのは私一人だけです。これも完全無農薬ですので、皮ごとジャムにしておいしくいただきました。

 

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残されたバラ

 公務員宿舎の跡地で数が少なくても目立つのがバラです。植栽ではなく、住人が植えたものです。残されたバラは根がしっかりしていて掘るのが難しいので、持ち主が移植をあきらめてしまったのでしょう。

 

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 私は野生品種ではない品種改良されたバラを買って植えたことがありません。消毒や剪定などバラを維持するのは大変だと聞いていたからです。放任主義の私には向かない()。だが、宿舎跡でしばしば残されたバラを見て、可愛そうに思い、かれこれ十本以上も移植することになりました。私の畑に生えているバラはほぼすべてが公務員宿舎から移植したバラです。幸い、一本を除いてうまく移植できました。

 

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 その移植に失敗した唯一が写真下の赤いバラです。花一つでしなってしまうほど茎が細いように見えますが、根元には切られた太い幹があります。これだけ太いなら十分に生き延びるだろうと期待したのですが、ダメでした。

 

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 写真下のバラは12月~1月の冬のバラです。真冬に花を咲かせているのを見て、バラのド根性に感激して、移植するチャンスを狙っていました。この写真の後、ここは売却のために草刈りされ、二株のうち一株は根元から切られてしまいました。切られなかった一株のみを掘り起こしたところで、この宿舎の敷地は閉鎖され、工事関係者が入ったので、もう一株はあきらめました。

 ところがその後、このあきらめたバラの株が頭に頻繁に思い浮かぶ。私はバラが欲しいわけではなく、ブルドーザーに潰されるのがかわいそうだから移植していただけです。しかし、あまりに頻繁に浮かぶので、しかたなしに、朝寝坊の私は工事が始まる前の早朝に、残ったバラを堀りに出かけました。これまで掘ったバラの中で最も苦労したのがこのバラです。根を完全に掘り起こすのはあきらめて、根の途中からノコギリで切断しました。根元は大人の手首ほどもありバラとは思えないほどの「大木」で、これを見て、バラの妖精が私の頭に頻繁にバラの株が思い浮かぶようにしたのだとわかりました()

 

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 写真下は写真上と同じバラではないかと思われます。ピエール・ドゥ・ロンサールという種類だと教えてもらいました。これも日陰なのに枝をのばし、見事なピンクの花を付けました。藪を形成するほど繁茂していたので、所有者は引越しの時の移植をあきらめたようで、今では私の畑で花を咲かせています。

 

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 廃屋の宿舎の白い壁と赤いバラが良くマッチしています(写真下)。バラは病気になりやすいと聞いていますが、ここに残ったバラは消毒などしていなくても生き残っているのだから、丈夫な品種なはずで、その意味でも放任主義の私には向いている。

 

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 このバラもおそらく何十年とたっており、根元はかなり太くなっていました。建物の壁近くに植えられたために掘り起こすのが難しく、残したのでしょう。今は私の畑で少しずつ花を増やして成長しています。

 

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 写真下左の、公務員宿舎時代のバラは日陰で雑草に負けているのか、はかなげで、大半のバラが八重なのに一重で、私はとても気に入りました。このバラを移植した数年後の姿が写真下右で、シャクヤクやフランスギクとの競演です。陽当たりが良く、畑の栄養のある土のせいか、公務員宿舎時代のどこか寂しげな雰囲気は消えて、太い幹をこれでもかとのばし、たくさんの花を付けるたくましいバラになりました。私は喜んでいいのか、よくわからない()

 

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 品種改良されたあでやかなバラだけでなく、公務員宿舎にはたくさんのノイバラが生えていました(写真下)。もちろん自然に生えてきたもので、たいていの住人は邪魔者として切ってしまいます。春の終わりの初夏にかけていっせいに咲きだすと、バラですから、その香りはとても良い。

 

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 ノイバラも良く見ると何種類かあり、写真上が一番多く、次に多いのが写真下のテリハノイバラです。名前どおりに、葉にツヤがあり、花はやや大きく、背は高くならず、横に広がるような印象です。写真下は駐車場の植え込みに生えていたもので、元々植えられていたツツジなど圧倒して成長していました。ただ、香りは写真上のノイバラのほうが強い。

 

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誰もいない花見

 廃止された公務員宿舎の花見は最高です。桜は剪定もされないから、のび放題に枝を広げ、しかも、花見の客は私以外は誰もいない。桜は人間のために咲いているのではないという当たり前のことを実感します。

 

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 桜の下で春の一日を私は心ゆくまで楽しみました。それも今は昔で、ここに写っている公務員宿舎も、そして見事な桜も一本も残っていません。バラと違い、桜を植え変えるのは無理です()

 

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 花見をするたびに頭に浮かぶのが小学校時代に歌った『荒城の月』です。

 

♪ 春高楼の花の宴 巡る盃影さして

千代の松が枝 分け出でし 昔の光今いずこ ♪

(『荒城の月』土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲、1901)

 

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 きれいな桜を見ながら、こんな悲しげな曲を思いだすというのも変な話だが、桜は少し寒い時期から咲き始め、「狂い咲き」という言葉がぴったりするような咲き方をして、一晩の春の嵐ですべて散ってしまい、しかもここにある桜は一本残らず倒されてしまったのですから、「春高楼の花の宴」「昔の光今いずこ」そのままです。

 

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 かつては栄華を誇り、酒の宴を設けたのに、人々はいなくなり、荒れ果てた城跡が残り、桜だけが昔と同じように月明かりの中で咲いている情景でしょうか。

 

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 私は桜を大勢の人たちのいる所で見ることはまれで、ほとんど独りで見ます。廃止された公務員宿舎はまさにその条件にぴったりです。かつては多くの人たちがここに住み、子供たちの声が聞こえたのに、今は草が生い茂り、建物は封鎖され、放置された自転車が朽ち果てていくその上で桜が咲き乱れる。宿舎も桜もすべてなくなることを知りながら、桜を見ている。

 

 

 

 

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