7日目 8月5日(火) ガンガリア→ゴビンダガート→バドリナート
朝、四時半起床 5:30に朝食。相変わらず辛いものが多く、ほとんど私は食べられません。 三泊したガンガリアからゴビダガードに戻ります。17人中15人が徒歩組で出発(6:30)。 今日の馬組は私ともう一人だけです(6:50)。晴れており、これが昨日だったならなあとちょっと思ってしまうが、こればかりは仕方ありません。乗馬も三度目になるとすごく楽しい。最初は振り落とされないように必死だったのが、今は馬の呼吸がなんとなくわかるようになりました。 途中で検問なのか、馬子が何かの書類を差し出したました(写真上左)。馬で客を運ぶのにも許可がいるのでしょう。男性四人に担いでもらい下山する人もいます(写真上中)。これを見ても、花の谷で私を担いであげると申し出たポーターが本気だったのかどうか、未だにわかりません。 往路で昼飯を食べた茶屋で休憩(写真上、8:00)。チャイを飲むと、馬子と三人分で90円(Rs30)でした。 ピンク色のランのような花が咲いているので、馬を止めて写真を撮りました(写真上右)。ジョシマートに来る途中でもバスの中から土手に咲いているのを見かけました。実際はランではなく、ショウガの仲間のようです。 谷間にコンビタガートが見え(写真上左)、河を渡って(写真上中)、商店街を通って(写真上右)、駐車場に到着。1800m (9:54)。間もなく徒歩組も到着しました。 写真上左:道端に咲いているアメリカ原産のマルバノアサガオ(Ipomoea purpurea) 写真上右:南米原産のオオセンナリ(Nicitiana physaloides) 10:45 にバドリナートに向けて出発。花の谷のあるガンガリアはコンビタガートから支流にはいるのだが、バドリナートは谷の本流のほうをさらに登ることになります。次第に高度を上げていく。途中に村などがあるが、驚いたことに、リンゴの木が植えてあり、摘果しないので、たくさんの小さな実がなっています。売られているリンゴを見ると、おもしろいことに、都会のほうが大きなリンゴが売られ、田舎にいくにつれて小さくなります。 ゲートのような所で検問がありました(11:21、2455m)。 下山する車とすれ違うために停車(11:42、2800m)。なんでも上のマナ村のゲートが11時にオープンしたために、その車が全部行くまでしばらく待つようです。 バドリナートのホテルに到着(写真上、12:09、3005m)。標高が3000mほどなので、昨日のガンガリアとほとんど変わりありません。車が通る街なので、ヒマラヤの奥地でもバスタブはないが、お湯が出て、電気がつき(!)、ガンガリアのホテルに比べたら天国です。残念ながら、このホテルでもインターネットはありませんでした。 ホテルのレストランで食事を取りました。カレーと辛い味付けの焼きそばなので、私はもっぱら辛くないチャパティを少し食べました。 一番チベットに近く、インドの最後の村だというマナに観光に行きました(写真上、14:30)。 バスで河を約15分ほどさらに上流にさかのぼると、他の河との合流地点にマナ村があります。対岸にはインド軍の基地がみえ、ここが国境近くであることを実感させます。 村のあちこちで羊毛を使ったセーター、帽子、絨毯などが作りながら、売られています。 河の合流地点は観光スポットようです。写真ではよくわかりませんが、ものすごい水量の水が怒濤となっておしよせています(写真上右)。これだけの水量があるなら、観光用ではなく、発電したらインドの電力不足も少しは解消されるだろうと素人は思ってしまいます。 村全体が高山植物の中に作られていて、花の谷でしかみられなかったような花がここではただの雑草です。 写真左:キルシウム・ファルコネリ バスで来る途中、たくさん生えていたアザミのような植物が村の中にも生えています(写真上左)。まるで枯れているようだが、これが花の咲いた状態のようです。 写真左:パロケトゥス・コンムニス 写真左:コドノプシス・オヴァタ 写真右:インパチェンス・アンフォラタ ガンガリアの途中にもあったブルークローバーという商品名の青いカタバミも道路のわきの畑に咲いています(写真上左)。 村のあちこちの隙間をうまく利用した畑があり、キャベツやジャガイモがよく成長しています。この村の人たちは冬になると、もっと下のほうに移住すると言いますから、よほど寒いのでしょう。 ここも高度は3000mあるので、急いだり、坂を上ると息が切れます。村にある寺院を二箇所訪ねましたが、私はあまり興味がありません。寺院よりも花や村の人々や牛を見ているほうが楽しい。集合時間がわかれば、自由に村を歩いてみたいのだが、あまり時間もなさそうです。 村を後にして、川沿いの同じ道をバスでホテルに戻りました(16:26)。 17:30、ホテルから徒歩でバドリナート寺院まで行き、見学しました。寺院の手前からバザールがあり、店が両側に並んでいます。インドの店は売っている物も電飾も安っぽいのだが、ちょっと浮き浮きさせるような雰囲気があります。 バザールをすぎて、橋を渡り寺院に行きました(写真上左と中)。寺なんか見るよりも、バザールでガラクタを見るほうが楽しいのだが、そうもいきません。 寺院のすぐそばに温泉が出ていて、希望者は入れるそうです(写真上右)。だが、ものすごい混雑に私は中をのぞく気力すらも失せて、あえなく退散。集合場所のテラスで待つことにしました。 テラスでは寺院を背景にして記念撮影が行われています。デジタルカメラで撮って、その場で見せて、後で写真を送るという写真屋のようです。おもしろいアイデアです。 いよいよ、本殿で供養が始まったので、靴を脱いで参拝しました。ものすごい人混みと喧騒で、本殿の周囲を一周しましたが、何がなんだかよくわかりません・・・やっぱりバザールのほうがよかった。 ホテルで食事(19:00)。生野菜とスープは飲めるが、その後のカレーもチャーハンもいずれも辛くて、今ひとつ口に合いません。 昨夜までの部屋に比べたら、お湯が出て、電気がつくので天国のようです。 [古くからの街] バドリナートとマナは以下の古い旅行記に出てきます。 『西蔵探検秘史』(ソロコフスキー著、バイカロフ、内田寛一共訳、中興館、昭和10年) この本によれば、イエズス会の宣教師であったアゼウェド(1578-1660)は、1631年にチベットへの宣教のためにアグラからラダックのレーに行っています。往きは、まさに我々が通った道で、ハリドワールからスリナガルを通過して、ジョシマートからバドリナートに至り、その後、マナ村からラダックに抜けています。 本ではバドリナートのことをバッドリーと表記しています。「バッドリーの塔」があり、その中に黄金と宝石でできた神像があったとあります。バッドリーの塔とは、我々が見たあの寺院の塔のことでしょうか。当時からインド人たちはこの地への巡礼にあこがれ、彼らの多額の寄付によって寺が大金持ちでした。こうしてみると、我々が通ってきた道は最近造られたのものではなく、かなり古くからあったようです。 マナ村についても、この本では、 「スリナガールの王様が所有している処の最後の国境の村」(p.39) と、ありますから、昔から国境の村だったのです。マナ村の人たちがジャコウジカを狩っていたとありますが、もちろん、それらしい姿はありません。 |