8日目 8月6日(水) バドリナート → ルドラプラヤグ 人声で起床(4:30)。この時間にはニルカンタという名峰が西側に見えるということでしたが、山は霧だらけ。 朝食は、幸い手抜き料理で、パンとお茶とミルクしかなく、辛い物は一つもなく、助かりました(7:30)。 出発、と言っても、街のはずれにゲートがあり、まだ閉まっていて、待ち時間があるようなので、バスを下りました(8:30)。 物売りが集まって来きます(写真上左、中)。サドゥ(?)らしいおっさんが強引に私の額に赤い点をつけました(写真上右)・・・おいおい、やめろ!ただ、なかなか明るいおっさんで、無料でいいというインド人らしからぬ発言をしたので、その演技力にRs10を寄付しました。この赤い点が後で紙で拭こうが、石けんで洗おうがなかなか消えませんでした。他にも、漢方らいし物を売りに来たのだが、中身がよくわかりません。 ようやくゲートが開き、昨日来た道を引き返します(写真上左, 8:55)。あちらこちらが崖崩れが起きているが、幸い止められることはありませんでした(写真上中)。 検問所でバスが停まったのを幸いに、私は下りて、昨日も見かけたショウガの仲間が花を咲かせているのを撮りました(写真上右, 9:57)。 草を担いだり、頭に乗せて運んでいるのはよくみかけますが、全員女性で、男性でこれをしているのを見たことがありません(写真上左)。 8月1日に泊まったジョシマートに到着(写真上中、左)。しかし、ホテルに到着する直前の街中で渋滞に巻き込まれました。 ようやく前に泊まったホテルに到着して食事をとりました(11:45)。ホテルでは赤いタチアオイを鉢植にしています(写真上)。 バドリナートでも紹介したイエズス会の宣教師は1631年にここを通過しています。 「戸数甚だ多く、人口も相当に多い」(『西蔵探検秘史』p.35) とあります。数字ははっきりしませんが、当時としても大きな村だったことがうかがえます。19世紀の記録では、民家が100~150戸、寺院が二つあったといいます。 ホテルを出発して、帰路につきます(12:53)。切り立った山も谷もすごい光景ですが(写真上)、写真に撮ると、その迫力がイマイチです。 トイレ休憩(14:00)。 崖崩れが相変わらず、そちらこちらにあります(写真上)。 河のカーブのところが平らになっていて、段々畑の田んぼと集落があることが多く(写真上)、こういう光景が次々と出てきます。 トイレ休憩(16:00)。 ルドラプラヤグのホテルMonal Resortに到着(写真上, 17:52)。往きで昼食に寄ったホテルです。コーラを出され、普段はコーラなんて飲まないが、喉が渇いていて、おいしく、おもわず2杯飲んでしまいました。 ホテルは外観からしてとてもおしゃれな感じです。斜面に作られているので、フロントが三階にあります。私の部屋は一階で庭に面していて、そのまま庭に出られます。バスタブはないが、部屋は広くて心地よい(写真上右)。ただ、エアコンを後で窓にはめ込んだらしく、せっかくの風景が見られません。 庭には花が植えてあるので、蝶がたくさんいます。写真左はシロオビアゲハ、真ん中は最近、温暖化で関東でも見られるというアカボシゴマダラに似ています。写真右はスーツケースを部屋に入れようとしたら、くっついていたバッタです。 写真左:ユーフォルゴア ロイレアナ 夕食まで時間があるので、庭を横切って、河のほうに行くと、両側にはサボテンが大きく育っています(写真上左)。実はサボテンではなく、トウダイグサの仲間だそうです。橋がかかっているところまで行きましたが、河まではまだ距離があり、あきらめました(写真上右)。 夕飯。禁酒が切れて、大半の人がビールで乾杯をしました(19:00)。 |