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台湾の植物と自然観察

4日目 2023|623()

墾丁→台南→台北

 

 いつものように朝6時起床。晴れて、ベランダに出るとカメラのレンズが曇るほど湿度があります。日本で調べた時の天気予報では今日あたりから雨が降り出すということでした。写真下は部屋から見た外の風景で、駐車場よりも少し低く、眺望は良くないが、一階ですから、火災が起きても逃げるのは楽です。

 

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 今日はバスで台南市まで引き返し、四草緑色隧道と安平古堡の二カ所の観光地を訪れ、その後、台南市から台湾新幹線に乗って台北市まで戻ります。

 

  

 

 朝食は7:00からで、ホテルを出発するのは8:30なので、私は朝食は後回しにして散歩に行くことにしました。ホテルから西に見える青蛙石のある青蛙石海洋遊憩公園です。

 

 

 ホテルの目の前には道路をはさんで海水浴用の浜辺があるので、散歩にはちょうど良いのに、この時間は閉鎖されていて入れません(写真下)

 

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 青蛙石海洋遊憩公園の入り口は写真下左のような料金所があるだけです。「清潔費」として30(150)を払って入ります。

 

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 道路脇には植栽された樹木が花を咲かせていて、いかにも南国です。

 写真下の生垣に使われているサンタンカはインドやスリランカの原産ですから、日本の屋外では南西諸島などでしかお目にかかれません。昨日、墾丁國家森林遊樂區でも見かけました。

 

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写真上下 紅仙丹花(Ixora coccinea)

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 写真下はシルクジャスミンという商品名で売られている樹木で、日本の南西諸島から東南アジアが原産で、台湾では普通に見られる植物です。中国名では九里香だけではなく、五里香とか十里香などと呼ばれるように、良い香りがしますが、本家のジャスミンとは別種です。日本名は月橘(ゲッキツ)という、発音しにくい名前です。

 

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写真上 九里香 (Murraya paniculata、ゲッキツ、月橘)

 

 写真下のサガリバナは南西諸島や台湾から東南アジアだけでなく、アフリカの東海岸まで分布します。ここがそうであるように、風や塩分に強い植物です。日本では石垣島や西表島で大規模な自生地が見つかったそうです。香りが良いらしいが、私は気が付きませんでした。

 

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写真上 玉蕊(Barringtonia racemose、サガリバナ、下り花)

 

 昨日、墾丁國家森林遊樂區でも見たチョウです(写真下)。ヒカゲチョウの仲間ではなく、タテハチョウらしい。雄の羽の表は青くてきれいらしいが、今回も撮らせてくれない。

 

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写真上 圓翅紫斑蝶 (Euploea eunice、マルバネルリマダラ)

 

 

 車道から整備された公園内を突ききっていくと、青蛙石濱海歩道という案内板があり、道は整備されていて、上下も少ないので、歩くのには困りません(写真下)。ただ、看板には毒蛇に注意しろとある。

 

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 下の衛星写真の青い線の時計回りが私の散歩コースです。

 

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 上の地図にもある青蛙石がそろそろ見えてもいいはずなのに、見えたのは写真下左で、樹木に隠れて、岩山が見えない。写真下右が岩山に登る道らしく、閉鎖されています。

 

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 青蛙石は昨日の鵝鑾鼻公園の展望台からも見えたし、ホテルからも見えるのに(写真下左)、そばに来ると見えないという良くあることです。写真下右は海岸から見た青蛙石で、海に飛び込もうとしているらしい。

 

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 海岸に到着し、ここから岩場の上に遊歩道があるので海と植物を見ながら進みます(写真下)。昨日の鵝鑾鼻公園の遊歩道と違い、海岸の岩場は陽当たりが良いので、花がいくつか咲いています。

 

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 写真下のツユクサは、花の色も形も日本のツユクサと微妙に違います。熱帯や亜熱帯では一般的で、日本では沖縄や鹿児島に生えています。台湾では標高1100m以下のやや湿った場所に普通に見られます。

 

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写真上 竹仔菜 (Commelina diffusa、シマツユクサ)

 

 写真下の樹木は乾燥に強く、ここ墾丁のある恒春半島の岩だらけの海岸には良く生えているようです。熱帯地方の太平洋からインド洋の海岸に分布し、日本では八重山諸島にあり、和名も波照間島から付けられた名前です。

 

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写真上 葛塔德木(Guettardia speciosa、ハテルマギリ、波照間桐)

 

 写真下のミズガンピは熱帯アジア、アフリカ、オーストラリア、太平洋諸島の熱帯海岸に広く分布します。台湾では南部のこのあたりのサンゴ礁の海岸に生えています。日本では西南諸島に生えていて、準絶滅危惧種です。

 

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写真上 水芫花(Pemphis acidula、ミズガンピ、水雁皮)

 

 ハマゴウは日本では北海道以外の海岸に、朝鮮半島から東南アジア、南太平洋、オーストラリアなどに分布します(写真下)

 

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写真上 海埔姜(Vitex rotundifolia、ハマゴウ、浜栲)

 

 写真下は中国名が臭娘子、和名は台湾魚臭木とすごい名前が付いているように、葉をもむと悪臭があるそうです。私は幸い試していません。

 

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写真上 臭娘子 (Premna serratifolia、タイワンウオクサギ、台湾魚臭木)

 

 写真下はなんとも面白い姿の花です。日本では小笠原諸島や南西諸島に、さらに太平洋やインド洋の熱帯の海岸に見られます。台湾でもかなり一般的で、花壇や鉢植えにも使われます。

 

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写真上下 草海桐(Scaevola taccada、クサトベラ、草海桐花)

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 写真下のギンネムは中央アメリカ原産の外来種で、1640年代、台湾がオランダの植民地になった時に最初に移植されています。マメ科なので空気の窒素を使って成長し、他の植物を駆逐するミモシンを出すので、痩せた土地でも急速に広がり、世界の侵略的外来種ワースト100に選ばれるなど、悪名高い植物です。

 一方で、沖縄では健康食品として売られ、また他の植物に比べて成長速度が桁違いなので、バイオマスの原料として注目されています。ワルも使い方によって救世主になるかもしれない。

 

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写真上 銀合歡(Leucaena leucocephala、ギンネム、ギンゴウカン、銀合歓)

 

 写真下は、イエロー・ハイビスカスと呼ばれ、黄色い花が目立つので、海岸だけでなく、幹線道路沿いにもいくつも見ました。熱帯地方のアメリカ原産の外来種で、丈夫なので、街路樹や公園にも植えられます。

 

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写真上下 黄槿(Talipariti tiliaceum、オオハマボウ、大浜朴)

 

 面白いが写真下右で、花の色が赤い。これは昨日の花で、一日たつとこんなふうに別な花みたいな色になってしまう。

 

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 昨日の鵝鑾鼻公園の海岸でも見たアダンの林です(写真下)7月に花が咲き、パイナップルのような実はヤシガニの好物だという。ヤシガニは大きなハサミを持った40cmにもなるヤドカリの仲間で、若い頃、沖縄に旅行した時に話を聞いて、アダンの実を食べるヤシガニの姿を見たいと思いながら、未だに実現しません。

 

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写真上 林投(Pandanus odoratissimus、アダン、阿檀)

 

 

海警局の船か!?

 花を見ながら海岸を進むと、沖合に二隻の船があり、片方の船が別な船を追いかけて速度を上げようとしているのか、ダンダンダンというすごいエンジン音がここまで聞こえてきます(写真下左)。気になったのが、眼の悪い私が見ても、白い船体に赤い印が付いていることです。まさかテレビのニュースで時々見せられる中国の海警局の船!?(写真下右)

 台湾の海岸近くに中国の海警局がいたら大問題で、それこそ台湾有事です。私は、ここで戦闘が始まったら観光どころか、帰国も難しくなるから、朝食を先に取るべきだったと反省しました()

 

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                 写真上右 中華人民共和国国防部のホームページから転載

 

 日本でも台湾有事の模擬演習をしたり、専門家たちが本などで発表しています。ただ、台湾有事があると唱える人たちは国を問わず軍人や元軍人、軍事専門家が多く、彼らは軍事や戦争の専門家だから、どうしても台湾有事が起きると主張し、中に必要以上に危機感を煽る人もいます。

 それを理解した上で、軍事専門家たちの主張を聞くと、台湾を軍事的に攻撃する方法は台湾海峡、バシー海峡、宮古海峡を抑えることだという(下図)。特に東側から攻撃するためにはバシー海峡と宮古海峡の確保が重要らしい。

 

 

 

台湾有事に日本を参戦させる

 では、突然ではございますが、私が中国軍になって、台湾に侵攻することにします。

 まず真っ先に尖閣諸島に上陸して基地を作ります。尖閣諸島は日本の海上保安庁が周囲を警備しているだけですから、軍隊である中国軍が来たら手も足もでません。後で説明しますが、中国軍は尖閣諸島の占領が最大の目的ではありません。中国は尖閣諸島は釣魚島という名前で中国の領土だと主張しているのですから、上陸しても他国を侵略したことにはならないという点が重要です。この主張は国際的にも一定の説得力があり、実際、アメリカですら尖閣諸島を日本の領土だとは認めていません。

 日本政府は自国の領土を侵略されたのだから自衛隊を派遣することになります。自衛隊が領土奪還のために中国軍を攻撃するかというと、たぶん日本の首相は攻撃命令は出さないでしょう。日本政府は、中国側も日本との戦争は望んでいないと予想するからです。だが、実は中国政府は違う。

 私が中国軍なら、自衛隊が先に攻撃する可能性は低いから、偽旗作戦で、自衛隊が先に攻撃したかのように見せかけます。その上で中国側は、日本側が宣戦布告もせずに先に攻撃したとして、マスコミに証拠を示し、世界に「日本がまた中国領土を侵略して戦争をしかけてきた。真珠湾攻撃と同じで宣戦布告もせずに攻撃して、国際ルールをまた破った」と声高に主張します。尖閣諸島を占領したのも、日本と戦争することが本当の目的です。

 日本政府が予想外の中国の行動に驚いているところに、さらに中国は仰天するような行動に出ます。

 

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 中国は日本が先に戦争を仕掛けてきたという大義名分を得たら、正当防衛を理由に、準備していた艦隊を与那国島に向かわせ占領します。尖閣諸島を占領したのは、実はこれが本当の目的です。

 中国艦隊の動きを日本政府は事前に確認していても、台湾侵攻用と思い、まさか日本領土を侵略するとは予想していないから、不意を突かれ、手薄な与那国島はあっという間に大軍の中国軍に占拠されます。中国軍の最大の目的は、与那国島の港と空港を無傷のまま手に入れ、前線基地と補給基地にすることです。

 準備していた人員と資材を投入して、港と空港の拡張工事をして、大型の輸送機や船が入れるようにして、戦略物資を運び込み、台湾攻撃の前線基地にします。岩だらけの尖閣諸島を基地にするには時間がかかるし、台湾からの距離もあるから、港と空港のある与那国島こそが前線基地に最適です。

 

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 与那国島は人口が1680人と少ないことも中国軍に有利で、逃げ出すのが遅れる島民がいますから、捕まえて人質にします。彼らをスパイであるとして、空港や湾などの軍事施設に閉じ込め、場所を公表します。これなら島を奪還しようと自衛隊や米軍が来ても、軍事施設を攻撃することはできません。

 中国が与那国島に出撃基地を作ることで、台湾を三方から攻撃できて、台湾進攻はかなり容易になります。2023年段階で中国はまだ航空母艦の数が2隻で、台湾侵攻には足りず、台湾の北側や東側に前線基地ができれば、空母を他に回せます。また、習近平氏にとっては台湾だけでなく、尖閣諸島の領土問題も「解決」しますから、一石二鳥の大手柄です。

 

 

「琉球」は中国領土?!

 与那国島などを中国領土にすることに彼らはそれほど違和感はないでしょう。中国は百年ほど前まで、沖縄は中国の領土だと主張していました。その一例が1930年前後の中華民国で作られた「國恥地図」と呼ばれる地図で、かつては中国の領土だったのに盗られたという中国側の主張です。

下はその一つ「中華疆界變遷圖」の沖縄から台湾にかけての部分で、赤い線の左側は中国領土だったという主張です。尖閣諸島どころか、現在の南西諸島は「琉球群島」という名前ですべて中国の領土だったと線引きされています。

 

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上図 國恥地図の一部(ウィキペディアから転載)

 

 今の台湾政府が尖閣諸島を自国の領土だと口に出すことはないだろうが、中国人の頭の中に、この國恥地図があるとわかった上で、次の件を見てください。

 20236月上旬、習近平氏が中国国家版本館と中国歴史研究院を訪れた時、彼は「琉球」について言及したと共産党機関紙の『人民日報』が報じました。特に問題になる発言をしているわけではありません。しかし、こういう時期に、沖縄を琉球と表現して発言し、しかも機関紙で報じたことは、習近平氏の頭にも上の國恥地図があるのを理解すると、けっこう恐い話です。

 

 

戦う覚悟??!!!

 台湾旅行から帰国後、次のような麻生太郎氏の台湾での発言に、私はギョッとしました。

 

「今ほど日本、台湾、アメリカをはじめとした有志の国々に非常に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている時代はないのではないか。戦う覚悟だ。いざとなったら、台湾の防衛のために防衛力を使うという明確な意思を相手に伝えることが抑止力になる」(NHK, NEWSWEB, 202388 1850)

 

 日本は台湾有事に戦う覚悟??!!麻生氏は自分の子供や孫を最前線に送る覚悟ができているらしい。元首相、現自民党副総裁という立場で台湾を訪問し、「戦う覚悟」という言葉を口にしたことに、私は仰天しました。この発言に、日本の識者やマスコミから強い批判が起きると期待したら、これほどの重大発言にニュースでは大きく取り上げらないことにさらに驚きました。

 日本の国民は台湾とともに「戦う覚悟」ができているのだ!?原発への回帰など、今の日本は私の感覚とは相当ズレがあることはわかっているが、それにしてもこれほどの違いがあるのはショックです。

 

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 私は戦う覚悟など金輪際ありません。

 最近の例で言えば、ロシアのウクライナ進攻があります。悪いのはプーチン大統領だから、私は少額をウクライナとポーランドの関係団体に寄付しました。この百年間でウクライナはロシアと三度目の戦争であり、スターリンの時代には圧政によって、330万人とも言われる餓死者を出していますから、今度は絶対に屈しないという気持ちはわかります。

 しかし、私がゼレンスキー大統領の立場なら、ポーランドに亡命政府を作って戦争を回避します。ウクライナはソ連時代に逆戻りして、自由を失い、民族的な弾圧を受けるだろうが、人間が生き残り、社会基盤があれば、復活のチャンスはいくらでもあります。

 一年半も戦争が続いた20238月の段階で、ウクライナ軍の死者は約7万人、民間人の死者は9444人、子供の死者は503人で、しかも膨大な社会基盤や財産が失われ、毎日被害と悲劇は増え続け、先が見えません。こういう犠牲は十分に予想された結果です。自分と周囲の人がこの死者の数に入るのは嫌だし、敵を殺すことも、その手伝いをするのも嫌です。だから私は戦う覚悟などありません。

 

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 こんなふうに私の目の前にあるバシー海峡はいつ火の海になってもおかしくない海です。しかし、中国の海警局の船かと疑った船の写真を撮って拡大してみると、全然違いました(写真下)。帰国後調べてみると、この近くの港と離島を結ぶ高速フェリー「金星3號」でした。港から出たばかりで、速度を上げようとしてエンジン音を響かせていたのです。思い違いで良かった。これでゆっくり朝飯が食える。

 

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福建省風のホテル

 海岸の遊歩道は情人灘(恋人の浜辺)という小さな砂浜で終わりです(写真下)。私が散歩でもう一つ見たいと思っていたのが、この先にあります。

 

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 遊歩道が海岸から離れて少し進むと、中国風の建物群が現れます(写真下)

 

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 救国団墾丁青年活動中心といういかめしい名前のホテルです。遊歩道はこのホテルの門をくぐり、敷地の中を通っています(写真下左)

 

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 広場の周囲に中国風の建物が17棟あり、中国福建省南部の様式だという。誰もおらず、中途半端な観光地よりもいい雰囲気です。

 

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 ネットでの評判も悪くなく、ホテル代金はこの時期は10000円くらいで、私の財布感覚と合致します。敷地や建物の雰囲気も良く、次回、個人で墾丁に来るなら、このホテルに泊まりたい。

 

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 「ロ」の字のように建物が中庭を囲んで、各部屋は中庭に面して、写真下の狭い門からだけ出入りするようになっています。建物を城壁のように使い、外からは簡単に入れないようにした構造で、中国から欧州、中東、北アフリカなどに広く見られる造りです。その最も美しく完成したのがスペインのアルハンブラ宮殿です。武装した盗賊が珍しくなく、また戦闘が頻発した地域で考え出された構造です。

 

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 1600年代、台湾には福建省南部や広東省からたくさん移り住んでいます。普通に生活ができるならわざわざ危険な海を越えて移住するはずもなく、この時代に福建省や広東省で移住するしかないほどの戦乱など治安の悪さが続いていたのでしょう。だから、外から侵入されないように、建物の外は写真下のように窓も最小限です。

 

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朝食は長蛇の列

 散歩を終えてホテルに戻り、すぐに朝食・・・あら?写真下左は朝食の順番を待つ長蛇の列らしい。その先にあるレストランは大混雑です(写真下右)。そうでなくても列を作るのが苦手な私は、行列の長さに食欲をなくし、これで今回の旅行は三日続けて朝食抜きです()

 客の数に対応した朝食の準備や設備に問題がある。今は端午節の4連休中ですから、客が多い。部屋の総数が405室ですから、満室なら400人以上が押し寄せることになり、座席数だけでも足りません。朝食が朝7時からと聞いた時も、これだけ大きなホテルにしては遅すぎると思いました。昨夜はこのホテルへの評価は「余裕で4.0」でしたが、この朝食の問題で「オマケして4.0」に格下げしました。朝食で客に行列を作らせて、五つ星ホテルを名乗るのは無理があります。

 

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 予定どおりにホテルを出発(8:37)。これからバスで昨日来た道を戻り、まず台南市に向かいます。

 

 

浜辺は海水浴客でにぎわっています(写真下)

 

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 街中は観光客なのか、こちらもたくさんの人でにぎわっている(写真下)

 

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 写真下はミカン?いや、タマネギで、このあたりの特産品だそうです。ただ、昨夜の夕飯で特別にタマネギを使っている料理は気が付きませんでした。

 

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 写真下は墓場で、昨日もバスから何ヵ所か見ました。ほぼ例外なく草がボウボウです。黄さんに聞くと、日本のお盆のような墓参りの習慣があり、逆にその時期以外にお墓に行くのは縁起が悪いと信じられているそうです。普段、畑仕事をしている私は草ボウボウを見ると、草刈りをしたくなる()

 

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 写真下左の交差点の社には「千方菩薩護善行 一唸彌陀安全路」とありますから、交通安全のために阿弥陀如来を祭っているらしい。道路の脇にある写真下右は、奥に貼ってある札には「将軍鎮守」、手前の札には「軍将護村民」「兵馬鎮外界」とあります。漢字の雰囲気からは村を守る武人の神様を祭ってあるのでしょう。昔は戦争があったからと守り神として祭ったのが、困ったことに、それは昔のことではなくなりそうです。

 

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 写真下の平屋の建物には「南海觀音寺 南海觀世音菩薩安座大典」とありますから、お寺らしい。でも、屋根の上に乗っている大きな像は観音菩薩には見えない。外見から推測するなら福徳正神と呼ばれる道教の神様です。張福徳という実在した人物で、善行をした税務署の役人だったので、お金の神様として商人の間で人気があります。右手に翡翠でできた杓、左手には、なんと金の地金を持っているというから、わかりやすい()

 

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 写真下は道からだいぶん遠いビルの上に乗っている像で、拡大して見ると、手に持っている物から、これも福徳正神でしょう。商売の神様として人気があるらしい。

翌朝、私はまた福徳正神に会うことになりますので、それは明日お話しします。地金を持っている神様なら何度会ってもいい()

 

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 写真下の龍安寺は正面に中国の典型的な観音菩薩の像があります。よけいな事を言うなら、お釈迦様の説いた仏教には観音菩薩も龍もいません。

 

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 写真下左の寺院の屋根はおとなしいほうで、右などまるでゴジラの背中みたいで、こちらは道教寺院でしょう。

 

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 写真下の二つの寺院の一番上の屋根の部分が、瓦の色が違うだけで、同じデザインです。

 

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 ゴジラではなく、恐竜がたくさんいるガソリンスタンドでトイレ休憩です(9:31、写真下)。そばの建物の中には虫の標本などもあり、昔はジュラシックパークとして客を集めていたらしい。こういうのは劣化すると、後始末が大変です。

 

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 恐竜だけでなく、日本とは違う光景が見られます。写真下左は小学校の門柱なのに、下にいる黄色いジャケットの男性と比較すればわかるように、ほとんど記念碑と言ってもいいくらいの大きさの建築物です。

 写真下右のモニュメントもそうであるように、総じてゴツイ。良く言えば、生命力あふれ、たくましい。

 

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 写真下左は道路の橋脚の壁に描かれた模様で、その右側には、ちょっとわかりにくいが、マンゴーと思われる黄色い果物が描かれています。写真下右はその黄色いマンゴーが乗っている観光農園の門で、左側から黒くなり腐り始めている()

 

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 写真下は街中の商店街に描かれた絵です。台湾に元々いた少数民族の習俗を表わしているのでしょう。台湾では現在16の少数民族が先住民(中国語では原住民)と認められています。

 

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 昨夜泊まった墾丁福華渡假飯店のフロントと入口の模様も(写真下)、南方系のデザインが一貫しています。今回の旅行では台北などではこういうデザインは見かけませんでした。

 

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12位に転落

 列車が走っています(写真下)。車両の外見から、これは日立製作所が臺灣鉄路管理局に納入して、2021年から運用されている「新型都市間特急車両 EMU3000」です。日本は確実視されていたインドネシアの高速鉄道の受注を、債務保証を求めない中国に取られてしまい、また日本が建設しているインドの高速鉄道は2023年開業予定が2026年に延長されるなど、あまり芳しいニュースがありません。

 

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 日本は科学技術力がトップクラスだというのは昔の話で、2023年に科学技術力を表わす論文の引用件数が、韓国にも抜かれて12位に転落しました。予算と研究者数は上位3位に入るのに、成果が出ない。文部科学省は、アメリカに留学する人が少ないからだなどと、ピント外れなことを言っているから、これからも順位は下がるでしょう。

 

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 日本の科学技術のレベルが落ちたのは予算の付け方が間違っているからです。日本が競争に負けたのは、競争的資金という日本の風土に合わないやり方を導入してからで、その後から、日本は論文数も特許数も横ばいか、下がっています。グラフを見れば子供でもわかるくらい明瞭な失策なのに、予算をつけている省庁は何ら修正もせず、二十年以上も続けています。

 日本からノーベル賞が出なくなり、代わりに中国が取るようになるでしょう。

 

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 写真下の道路は片側2車線なのに、私たちが走っている上り線は1車線に規制され、下り線が3車線になっています。これは今は台湾が端午節の連休で行楽地に行く車が多いので、このような変更をしているそうです。ただ、赤いコーン一個で変更を示されても、夜、見通しが悪くなってから走ると勘違いしそうで恐い。

 

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 いつの間にか、高速道路に入り、昨日と同じ、大きなパイナップルのある關廟服務區でトイレ休憩です(10:59)。連休中の上り線なので、さすがに客は少ない。

 

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台南市内

 高速道路を下りて、台南市内に入りました(11:27)。昼近くなので、私の目は自然に街の食堂に向きます。店が流行っているかどうかは、店の前に停まっているスクーターの数でわかります。

 

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 写真下左の「黒記鮮魚湯」は銭湯や魚屋ではなく、魚料理を出すのでしょう。台南市は海に面しており、淡水魚の養殖も盛んです。写真下右では「外帯特恵 肉肉丼 100元」ですから、持ち帰りの肉丼大盛が500円で、お買い得ですという意味らしい。私は中国語はまるっきり知りませんので、適当に読んでいます()

 

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 文章牛肉湯に長蛇の列です(写真下左)。牛肉湯とは、生の牛肉が入ったスープで、台南では朝食の定番のようです。写真下右の「鮮魚店」も長蛇の列で、これも魚屋ではなく、魚を入れたスープの店です。

 

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 日本の「焼きそば」店もある(写真下)。「日本炒麺専門」まではわかるが、横文字でZukaKoshiNanaJoMeってどういう意味?右隣の赤いマークに「塚越七町目」あるから、埼玉県蕨市塚越七丁目のことらしい。店主は蕨市にでも住んでいたのか、重要な事なので確認したいが、バスは停まりません()

 

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自動車強国

 台南市に限らず、台湾はとにかくスクーターが多い。自動車よりも安く、維持費も安く、駐車場を必要とせず、しかも自転車よりも機動性があるから、冬でも暖かい台湾には向いた乗り物です。しかし、電動ではなくエンジンなのが気になります。台湾の電動スクーターは2022年でわずか12%です。

 

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 日本の電気自動車普及は遅すぎます。電気自動車が様々な技術的な問題があるのは事実でも、環境や社会的には世界の潮流になっているのに、日本の自動車産業は乗り遅れました。その潮時は今から9年前の2014年で、習近平氏が「新エネルギー車へのシフトこそ中国が『自動車強国』となる唯一の道」と宣言した時です。

新エネルギー車とは電気自動車、プラグインハイブリッド車、燃料電池車を指し、簡単に言えば、従来の石油を燃焼させる内燃機関以外の自動車のことです。車の最大の需要が見込める中国の指導者が自動車の主導権を取ると宣戦布告したことに、日本の自動車メーカーは震え上がるべきでした。

 

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 2014年当時、まだまだガソリン車など内燃機関が主流で、中国などこの点では追いつくことは無理でした。そこで、中国が一発逆転を狙ったのが新エネルギー車という名称の、実質的に電気自動車です。電気自動車なら内燃機関は関係ないから、日本も中国もスタート地点はほとんど同じで、しかも、電気自動車とはバッテリーそのものですから、これもまたスタートでのハンディキャップはないどころか、バッテリーに必要な希少金属の生産国である中国には断然有利です。二酸化炭素排出量で、2位のアメリカに大きく水あけるトップの中国してみれば、環境への配慮という点で海外からの印象も良くなります。

 

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 習近平氏の自動車強国とは「打倒!日本車」です。巨人が日本に宣戦布告した。

 ところが、習氏の自動車強国の宣戦布告を本気で聞いた人たちは少数で、自動車業界は何の危機感もありませんでした。その証拠が、7年も後に放送された「NHKスペシャル EVシフトの衝撃」(20211114)という番組でのトヨタの豊田章男社長(当時)の発言です。彼は電気自動車の問題点を指摘し、トヨタは内燃機関を含めた全方位的な開発を進めると宣言しました。

 

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 私は豊田社長の発言を聞いて顔が青くなりました。私も元技術者だから、彼が指摘した電気自動車の問題点はまったくそのとおりだと思う。しかし、彼は自動車を作って売る会社の社長であって、現場の技術者や評論家ではありません。豊田社長は業績を見ても経営者として優れた人なのに、その人の七年後の発言を聞いて、事の重大性がわかっていないのだと驚きました。2021年の自動車販売台数でトヨタは世界1位なのに、電気自動車は27位、つまり圏外です。目の前に示されたこの数字の落差に危機感はないのだろうか?!敵が現れたのではなく、すでにトヨタの足元は突き崩されつつあるのです。

 私の顔が青くなったのは、トヨタを心配しているからではありません。自動車産業は日本の重要な経済の柱ですから、これが衰退したら、いよいよ日本の経済力は衰退し、自動車産業と直接関係のない私の財布も細るからです。

 

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周さんのエビ巻

 台南市内のレストラン「周氏蝦捲 台南總店」で昼食です(12:21、写真下)。つまり、私の本日最初の食事です()。昼の時間で、店はかなり混んでいます。一階はファストフードで(写真下右)、私たち団体は予約席のある三階の円卓です。

 

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 写真下左が、この店の名前に使われていて、一番売りの「周氏蝦捲」、つまり周さんのエビ巻です。エビや豚肉に野菜をまぜて揚げたもので、昔は地元のエビを使っていたが、今はタイ産を用いているそうです。写真下右は黃金海鮮派でイカ、エビ、タラのすり身を揚げたものです。

 

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写真下左は高級品の台南市将軍郷産のカラスミ(野生烏魚子)です。

 

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 店主の父親が屋台から始めて、二代目でここに店を持ち、現在では13もの支店を持っています。

 

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 写真下左は台南擔仔湯麵で、この店を始めた頃から売られていて、ニンニクやパクチーがしっかりと効いています。

 

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 デザートは「原味杏仁豆腐」で、パックされて土産として一階で売っています(写真下左)

 

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四草緑色隧道

 昼食の後の観光が台南市内の四草緑色隧道と安平古堡です。下の地図の水色はそのまま水を表わしますから、このあたりは元々川が海にそそぐ大湿地帯だったのがわかります。今は塩田や養殖場です。

 

 

 

 ここは台南市の市街地のそばなのに、マングローブの広がる湿地帯として台江國家公園に指定されていて、これから行く四草緑色隧道もその中にあります。

 

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 実際、道路の周囲は川や池だらけです(写真上下)。四草緑色隧道はその一つを観光地にした川です。

 

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 四草緑色隧道の船着き場に到着(13:37)。駐車場にあるのが写真下の四草大衆廟で、屋根の上には龍の彫り物がこれでもかと飾ってあって、やはりゴジラの背びれです()

 この廟は1600年代にオランダとの戦いで戦死した兵隊たちを祭ったもので、中国側の総大将の鄭成功の部下だった鎮海元帥が主神で、後に彼は讒言にあい、自殺しています。

 1970年代、この廟の隣から大量のオランダ人の骨が発掘されました。私たちがこの後で訪れる安平古堡(ゼーランディア城)での戦いで、降伏したオランダ人の男性は虐殺されたとありますから、その記録の証拠です。降伏した相手を皆殺しにしたという点に鄭成功の性格がよく表れています。遺骨は2008年に「荷蘭人骨塚」として祭られました。

 このように、400年たってもまだ血の臭いのする廟なので、幸い、私たちは前を通過するだけです。

 

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 屋外の樹木にランを着生させているのが、いかにも亜熱帯地方らしい(写真下)

 

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 船着き場は順番待ちの長い列ができています(写真下左)。遊覧コースは二つあり、私たちは団体予約のせいか、あまり待たされることもなく、順番がきました。料金はどちらのコースも200(1000)とあります。

 

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 救命胴衣に2,000(10,000)とあるのは値段ではなく、必要もないのに紐を引いて膨らませた場合の罰金で、借りるのは無料です(写真下)

 

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 もう一つ身に着けるのが笠で、台湾人のお客さんたちは付けているし、このほうが雰囲気が出る(写真下)。ただ、誰がかぶったかわからない笠を頭に乗せる勇気が私にはなく、他のお客さんたちも帽子をかぶっているので、付けませんでした。

 

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 ボートの上に風呂場で使うようなプラスチックの椅子が用意され、私は最後尾に座りました(写真下)。私の目の前に、エンジンを操る船頭さんが座っています(写真下右)

 

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 四草緑色隧道とはこれから往復する川のことで、衛星写真で見ても、下のように川そのものがわかりにくい。南側に今いる船着き場があり、そこから北に向けて「く」の字に曲がっている川をさかのぼり、釐金局遺址で引き返します。往復で30分ほどです。

 

 

 写真下を見てもわかるように、川の周囲は樹木で覆われているので、湿地帯を流れる川のように錯覚しますが、実際は上の衛星写真を見てもわかるように、周囲は人工的に区切られた養殖池や塩田が広がっていて、この川の両岸だけを観光用に自然のままに残したのでしょう。

 

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 川岸にマングローブ(紅樹)が生えています。私は、マングローブとは呼吸根と呼ばれる特徴的な根をもった植物で、同じ種類の植物だと思っていたら、主なものだけでも3科あるといいます。つまり、別な種類の植物が環境に適応して呼吸根を発達させ、似たような外見になったらしい。

 

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 台湾には元々6種類のマングローブが生えていたようです。台江國家公園のホームページによれば、ここに生えるマングローブは、元々生えているのは海茄冬(Avicennia marina、ヒルギダマシ)、欖李(Lumnitzera racemosa)、紅海欖(Rhizophora stylosa、五梨跤)3種類で、植栽されたのは水筆仔(Kandelia obovata)、紅茄冬(Bruguiera gymnorhiza)2種類とあります。

 

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 素人には動く舟の上から細かい種類などわかるはずもなく、呼吸根があるからマングローブだというだけです()

 

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 マングローブには名前を示す看板が取り付けてあります。ただし、看板が付けてあるのがわかるだけで、近くのマングローブがどれに該当するのかはわかりません。

 写真下の欖李は元々、台湾に自生して残った三種類のマングローブの一つです。熱帯のアジア、アフリカなど分布は広いが、台湾では南部にしかないようです。白い花を咲かせることから「六月の雪」とも呼ばれます。

 

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写真上 欖李(Lumnitzera racemosa)

 

 写真下の看板では五梨跤とありますが、ネットでの名前は紅海欖のほうが多い。これも台江地区に残った三種類のマングローブの一つで、熱帯東南アジアの海岸に分布します。台湾全体では絶滅危惧種で、台江地区が主な分布になっています。

 

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写真上 紅海欖、五梨跤(Rhizophora stylosa)

 

 写真下の水筆仔はWikipediaによれば、20世紀初頭、台湾からいったん絶滅し、その後、中国本土から移植したところ、強烈な繁殖力で広がり、逆に環境を破壊しているというのです。それほど強烈な植物がどうして絶滅したのか。もしかして、持ち込まれた水筆仔が厳密には別な種類なのかもしれません。

 

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写真上 水筆仔(Kandelia obovata)

 

 写真下の黄色の葉をつけている土沉香は陸上でも生育するので、台江國家公園の記述では「半紅樹林植物」に分類され、準マングローブくらいの意味でしょう。写真下右でも水に入った根がいかにもマングローブです。この時期になぜか葉が黄色い。インドから太平洋の熱帯のマングローブ林に生えていて、沖縄では沖縄沈香という名前で沈香の代用品として売られています。樹液は強い毒性があります。

 

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写真上 土沉香 (Excoecaria agallocha、シマシラキ、島白木)

 

 写真下の臺灣海桐も「半紅樹林植物」とされていて、台湾南部の海岸の防風林として利用され、台湾の他にフィリピンやインドに分布します。桐という名前から柔らかいのかと思ったら、逆で、硬いので農具の柄や印鑑の材料に利用されます。

 

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写真上 臺灣海桐(Pittosporum pentandrum、タイワントベラ、台湾扉)

 

 マングローブの川岸にはカニやムツゴロウもいる(写真下)

 

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 「海堡遺址」(荷蘭海堡遺址)という看板が出ています(写真下)。これは1600年代、台湾を占領したオランダ人たちがここに商家や城を作った跡です。ただ、ネットで調べても、具体的にどんな遺跡なのかわかりません。

 

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 川岸に墓があります(写真下)。ネット上の地図では安南区第十六公墓とあり、午前中にバスの中から見た墓場と違い、手入れされています。

 

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 緑色隧道(緑色のトンネル)という名前の由来が写真下で、樹木が両側から覆いかぶさり、トンネルのようになっています。この観光の最大の売りがこの風景で、遊覧船の二つのコースで、こちらが人気がある理由です。

 

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 写真下左の船着き場にあった写真とほぼ同じ場所を写したのが写真下右です。

 

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 トンネルができているあたりは枝が低く垂れているので、船頭の警告に従い、樹木に頭を下げる(写真下)

 

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 写真下のように樹木が覆いかぶさると、下は日陰になりますから、葉が落ちてしまい、緑色隧道ではなく、枯枝隧道なってしまう。広告の写真に使われているようなきれいな緑色隧道が見えるのはほんのわずかの地域で、しかも、天候や光の加減、また舟の座席の位置などに左右されます。

 

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 写真の邪魔になるのが、何隻もすれ違う他の舟です()

 

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 清朝時代には関税所だった「釐金局遺址」に到着して、ここで引き返します(写真下左)。「また来てね(歓迎再次光臨)」という看板をとおりすぎて、船着き場に戻ります(写真下右)

 

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 次に、来た道を少し戻り、安平古堡にガジュマルを見に行きます。

 

 

 

高層ビルと墓

 「また墓かよ、趣味が悪い」と言われそうだが、写真下を良くみてください。青空の下、遠くには生きている人たちの高層ビルが立ち並び、手前には死者たちの墓が並んでいる。高層のマンションは安いはずはなく、墓も立派でどう見ても絶対に安くない。人間は生きるも死ぬも、お金が激しくからんでいる。自然の空は青く、墓の周囲の雑草はきれいな緑色。一枚の風景の中に生と死という相反するものがあり、その両方にお金という現実がからんでいるのに、青い空に緑色の草が加わると、妙に調和しているのが面白い。

 

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 墓場の前を歩いている人たちは、子供たちを含めて、百年後に生きている人はたぶんいない。物心ついた頃から、後ろから追い立てられるように学校に行き、働いて、気がつけば墓場が目の前に迫っている()。いや、実は目の前にいつもあったのだが、意識しなかった。

 

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 子供の頃、なぜ自分は同じ事を繰り返さなければならないのか不思議でした。同じ事とは、毎日、飯を食い、学校に行き、眠るという生活のことです。何のためにこれをしているのか?良い学校を出て、立派な職業と肩書を得て出世して、金銭的に豊かになり、高級マンションを買い、良い相手と結婚し、良い子供や孫に恵まれるため?だが、私はそんなことのために毎日同じことを繰り返す気にならないという変わり者だったので、結局、偏屈なだけの老人になりはてた()

 

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安平開臺天后宮

 台南市の二カ所目の観光地は安平古堡という遺跡で、1600年代にオランダが台湾を占領していた時に作った要塞の跡です。バスを停めた駐車場からは、安平古堡の南側にある安平開臺天后宮の敷地を横切って入るようになっています。

 

 

 安平開臺天后宮とは「台湾を解放した天后を祭った廟」という意味です。天后とは、私が昨日の埔里(プーリー)の散歩でたまたま見つけた廟に祀られていた媽祖(天上聖母)のことで、こんなふうに台湾では媽祖の廟は珍しくありません。

 しかし、媽祖が台湾を解放したのではありません。先ほどの四草大衆廟でも説明したように、台湾の解放とは1600年代にオランダに占領されたのを鄭成功(1624-1662)が武力で解放したことで、彼はその時、天后(媽祖)を持ち込み安平に祭ったと言われています。媽祖は天后と言っても軍神ではなく、腕力とは無縁の人を助ける海の神です。生前は知性に優れ、多くの人を助け、下図のイラストは彼女の雰囲気を良く表わしており、鄭成功とは正反対の性格です。

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 元々、媽祖の廟のあった場所は、ここから東に700mほどにある現在の石門國民小學(小学校)で、一時荒廃していたのを、1975年にこの場所に再建されました。

 

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 昨日の朝に続いて媽祖にきちんと挨拶したかったのですが、列を離れるわけにもいかないので、廟の前を通過する時に「やあ、どうも」と会釈だけしました。彼女はお賽銭を出さないからといって怒ったりしません()

 写真下左は「牌楼(牌坊)」と呼ばれる門柱です。屋根には、またしてもあのゴジラの背びれです。

 

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 広場から安平古堡の入口までが写真下で、屋台が並んで、人々で混んでいます。こういう庶民の穏やかな光景のほうが媽祖には合っています。媽祖を連れて来た鄭成功の頭には戦いしかなく、血生臭い鄭成功を媽祖は嫌がっていたのではないか()

 

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 夜店のガラクタが並んでいる(写真下)。この安っぽくて、軽い雰囲気が良い。

 

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 売られている食べ物は油分が多く、着色料や添加物が使われ、身体に悪くて、マズイに決まっているのに、買い食いをしたくなる()

 

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 屋台を通過して、安平古堡の入口に着きました。写真下左が入口で、中に入らなくても、つまらない遺跡だと書いてある()。敵を殺すことしか頭にない連中が作った要塞の遺跡なんて興味がない。四草大衆廟でも説明したように、ここはオランダ人が造った熱蘭遮城(ゼーランディア城)跡で、激しい戦いが繰り広げられ、降伏したオランダ人の男は全員虐殺され、四草大衆廟の裏にまとめて埋められたのです。

 

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 一人で来たなら、こんな血生臭い場所などごめんで、ここで引き返し、媽祖にお賽銭をあげて挨拶して、屋台をゆっくり楽しむでしょう。このすぐ近くには安平老街という古い商店街があって、観光客でにぎわっているはずです・・・でも、今日は団体です。

 

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 まずここに来た目的であるガジュマルを見ましょう(写真下)

 

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 写真下の樹木など、下から幹がのびているように見えますが、実際には上から気根を下しています。目がないのに、うまく斜めに気根を下しています。このレンガ造りはオランダ人の造った遺跡ではなく、日本人が庶民地時代に作ったものです。

 

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 ガジュマルの煩雑複雑にからまった根を見てください、まるで人生です()

 

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 写真下のモルタルがはがれたレンガの城壁は、オランダ人の残した数少ない遺跡です。その遺跡の壁にもガジュマルが張り付いており、根が遺跡を破壊してしまうのは、アンコールワットなどで報じられています。個人的にはこういう景色は好きだが、遺跡の保存に反します。しかし、取り除こうとしていないのだから、管理者たちもこのままが良いと思っているらしい。

 

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 写真下は展望台にあった写真で、写真下左は樹齢300年の樹王公と名付けられた巨木のガジュマルで、安平古堡の東側の街中にあります。写真下右は、家全体を覆いつくして安平樹屋と名づけられたガジュマルで、安平古堡の北側の街中にあります。たぶん、このあたり一帯にはこういうガジュマルがたくさんあったのでしょう。

 

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 展望台があります(写真下)。ナントカと煙で、もちろん私は登ります。

 

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 人口188万人の台南市の街が一望できます(写真下)

 

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 展望台の隣の建物には土産物屋と展示室があります。その建物の門に束ねた数種類の植物が短冊と一緒に下がっています(写真下)。これは掛艾草や懸菖蒲といって、今は端午節なので、ヨモギ(艾草)とショウブ(菖蒲)を飾って無病息災を祈るのだそうです。

 では、常緑樹の葉は何なのだろう?中国の陰陽五行に基づいて短冊は5色下げて、植物も花や葉で5色にしたのではないか。というのは、束ねられた植物に赤いケイトウが入っているのです。

 

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 写真下左は「逢凶化吉」、つまり不幸を幸運に変えるお菓子ですから、まずくても許せそう。写真下右は天后、つまり媽祖の名前を使ったお菓子で、日本なら媽祖饅頭です。

 

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 展示室はそれほど広くはないが、日本語の説明もあるなど工夫しています。ただ、パンフレットがないのが残念です。写真下右の皿は日本で人気のある呉須赤絵です。

 

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 今日の観光はこれで終わりで、この後、台湾の新幹線に乗り、台北市に向かいます。

 

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 台南市の南にある新幹線(台灣高鐵)の駅「高鐵台南站」に到着(17:14)。予約した列車が来るまで15分しかありませんから、急ぎましょう。

 

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 予定どおりに列車は到着しました(写真下)。台南を17:28に出て、台北に18:54に到着する予定で、約1時間半の旅です。台灣高鐵は日本の新幹線と同じ規格で、写真下は日本の新幹線700系をベースにして作られた700Tです。

 

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 端午節の連休中の上り線なので、あまり混んでいません(写真下)。通路側の席だったので、私は他の空いている席に勝手に座る()

 

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 ゴジラの背びれのような寺院がすごい速度で流れていく(写真下)

 

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 前に書いたように背びれの有る無しは道教と仏教の違いのようです。実際、写真上左は「保安宮 保生大帝」とあり、保生大帝とは千年ほど前に中国で実在した人物で、医者として多くの人たちを助けた人を祭っていますから、道教の寺院です。ただ、写真下左の建物の壁に卍が付いていますから、これも仏教寺院の可能性があります。

 

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 気になった風景が写真下で、野焼きが10カ所くらいで見られました。日本では野焼きどころか、個人の焚火でさえもほとんど見かけなくなりました。

 

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 ほぼ予定どおりの時間に列車は台北の高鐵台北站に到着しました(18:55)。駅の外に出るとあたりは薄暗くなっています(写真下右)

 

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 上の地図のように駅からホテルまではすぐです。迎えのバスは大型なので、私は人気のない一番後ろに座ります(写真下左)。台北市内もスクーターが多い(写真下)。車を運転する側から見ると、夜道をかなりの速度で走るスクーターは恐い。

 

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 本日のホテル・美麗信花園酒店に到着(19:29、写真下)

 

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 ロビーの装飾も凝っている(写真下)

 

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 埔里のホテルと同様に、このホテルのエレベーターにも4階のボタンはありません(写真下)

 

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 すぐにホテルのレストランで食事です(19:45)。レストランは広々として、時間のせいか、他のお客さんはほとんどいない(写真下右)

 

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 黄さんによれば、ここが今回の旅行では一番おいしいとのことでした。一番高いホテルという意味でしょう。たしかに品数も多く、盛り付けも工夫してあり、値段が高そうです。ただ、昨夜も申し上げたように、料理の味も烏龍茶も、昨夜の墾丁福華渡假飯店のレストラン「蓬萊邨」に軍配をあげます。こちらが劣っているという意味ではありません。

 

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 写真下が今夜の私の部屋です。2006年に建てられた高級ホテルだけあって、広さは十分で、水やお茶、湯沸かしポット、スリッパなども完備しています。

 

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 ここに限らず、多くのホテルの照明が暗い。そのほうが落ち着くということなのだろうが、部屋は明日の準備などの作業をする場所でもあるので、薄暗いのはありがたくない。明るさの調整ができればいいのに、たいていありません。洗面所もあんなに薄暗いと女性が化粧するのも不便だろうに、不思議です。

 

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 ネットでこのホテルの宿泊料金を見ると、この時期で17,555円とありますから、台北の中心部としては高くはありません。大きな問題もありませんので、このホテルへの個人的な評価は五段階の4.0で満足とします。

 

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 明日が5日間の旅行の最終日です。

 

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