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2日日 2009714(火) 広州→成都→康定

 

機内食はビスケット

昨夜は最後に時計を見たのは三時すぎでした。四時半頃に騒音で目が覚め、五時起床。

 ホテルを出発(5:56)して、数分で空港に到着(写真下)

 

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金鹿航空(Deer Air)の飛行機に乗るのは初めてです。2004年に飛行機12機で設立された、といいますから、まだ新しい航空会社です。実際、機体はまだ新しいようです。

 

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JD5161便はほぼ定刻通りに離陸(8:06)。機内はほぼ満席です。

 

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離陸後、まもなく配られたのがビスケットとお茶です(写真下左)。朝早かったので、朝食をとっておらず、八時に離陸なら当然、サンドイッチ程度の朝食が出るのではないかと思っていたので、ビスケットには思わず苦笑い。こうだと知っていたら、広州の空港でうまそうな南国の果物を売っていたのだから(写真下右)、買えば良かったと後悔しても後の祭で、パサパサして甘すぎるまずいビスケットで朝食は終了。

 

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 最近設立された航空会社なので、おそらく安さで客集めをしているので、サービスの経費を最小限にしているのでしょう。食事の後、機内販売がありました。売っているのは、金鹿航空のマスコットらしい鹿のぬいぐるみやキーホルダーなどで、写真を撮ろうという気にもならないような品物ばかりでした。おいしいサンドイッチでも売れば飛ぶように売れるでしょう()

 

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成都到着は9:50予定だったのが、逆風だったのか、四十分ほど遅れて10:30に着陸。

 成都の空港も近代的で立派です(写真下)。二十数年前、一度成都に来たことがあります。もちろん、その時の空港とは建物が別でしょう。

 

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空港内にも熊猫、つまりパンダの店があり(写真下左)、空港の外に出ると、そこにも時計台の上にパンダが立っており(写真下右)、街のバス停にもパンダが描かれ、ここが四川省だと実感させられます。

 

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四川の道路は工事だらけ

 成都空港から専用車パジェロに乗って出発(10:59、写真下)。ドライバーは周(チョウ)さんで烏里さんの友人です。四人乗りのランドクルーザーに五人乗ります。後ろの座席に我々客三人が席を交代で座ることにしました。座席が広いし、三人ともあまり横幅はないから、特に問題はありません。しかし、悪路を走り始めると、真ん中の席はつかまる物がないため、足で踏ん張るしかなく、けっこう大変でした。

 

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烏里さんが成都市内の銀行に寄り、換金してくれました(11:28-11:40)10,000円=720(1元=13.88)。私は成都の空港でも換金して、10,000円=685(1元=14.59)でしたから、“烏里銀行”のほうが35元もお得だということになります。中国はどこで換金してもあまりレートが変わらないような印象をもっていましたが、すごい違いに驚きました。

 市内から高速道路に乗り、まずは高速道路の終点である雅安に向けて出発です。

 

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 高速道路でトイレ休憩(12:46)。トイレは小ぎれいですが、小便所の仕切がありません。なくても大した違いはないのに、居場所が定まらないので、なんとなく違和感があります。駐車場では、果物などを売っています(写真下)

 

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 雅安(標高695m)で高速道路を下りて間もなく(13:19)、工事による大渋滞に出くわしました(写真下)

 

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 まったく動く様子もなく、ほとんど駐車場状態なので、たまたま停まった所の店で昼食を取ることにしました(写真下、13:29-14:00)。建物はご覧のようにわりと立派で、室内もレストランとまではいかないが、街の食堂にしてはまあまあです。しかし、食後、建物の後ろにあるトイレに行って、私は入口で退散しました。

 

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四川省の料理だけあって、どれも辛く、私はできるだけ辛くない物を選んで食べました。下の写真右を見てください。ご飯の入った皿の上に皿が乗せてあります。これは皿に盛ったご飯を二つ合わせて運んで来たもので、二杯分のご飯です。写真の奥に写っている人は一杯目のご飯が終わって、一杯目の皿の上に二杯目の皿を乗せて食べているところです。ご飯を盛った茶碗を一度にたくさん運ぶのに考えた工夫でしょう。

 

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 食事が終わっても渋滞はそのままです。周さんは渋滞をものともせず、反対車線を突破して、さらには歩道まで走って先に進みます。三人の客はすさまじい悪路と中国の交通ルールにあっけにとられながら、必死につかまっていました。この後も何カ所か渋滞に巻き込まれました。

 

 

 ガソリンスタンドに寄り、トイレ休憩(15:39-15:42)。周さんはガソリンを詰めるつもりはないらしく、トイレを借りるだけです。なによりも、ガソリンスタンドはガラ空きで誰もいない(写真下左)、と思ったら、店員はその隣の店の前で麻雀を見学中でした(写真下右)

 

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 では、ありがたくトイレを借用させていただきましょう。さあ、皆さんごらんください。これがかの有名な「ニーハオ・トイレ」です(写真下左)。これは男子の小便所ではなく大便所です。ごらんのように、仕切はあるが、ドアがありませんから、丸見えです。ここにしゃがんで用を足すというのは、かな~り勇気が必要です。あえて女性に質問はしませんでしたが、おそらく女子トイレもこれと同じ状態でしょう。

 昔の旅行記などを読むと、仕切すらないトイレもあったようで、究極のニーハオ・トイレです。前から私はニーハオ・トイレの写真を狙っていたのですが、人の出入りがあるので、なかなか撮れませんでした。今回初めて、念願がかなって、撮影に成功しました()

 ここのトイレは水洗であり、比較的清潔です。昼飯を食べた所など、カメラを向ける気にもならないようなトイレでした。

 

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 道路の反対側のレストランに大きなナマズらしい絵が描かれています(写真上右)。走っている最中もあちらこちらの店にこのナマズの絵が描いてあるので、特産なのかと烏里さんに質問すると、「ここの川魚はまずい」という返事でした。

 道路工事でたびたび渋滞で停車します(写真下)。しかし、これは写真を撮るのにはありがたいことです。

 

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 道の両側の建物は瓦屋根に、下の壁がブロック模様になっています。地域ごとにこういう特徴ある建物が建っていて、統一感があって、街並みもきれいに見えます。

 

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ガソリンスタンドでガソリンを詰めて、トイレ休憩(16:28 1260m)。これから通過する二郎山の麓の街のようです。

 

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写真下右の看板の「97」「93」という番号はガソリンの種類らしく、ここでは936.09(90)とありますから、日本とほとんど変わりません。物価を考えたら、とんでもない値段です。烏里さんは中国はガソリンが異常に高いと言っていました。

 

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 ガソリンスタンドの隣の建物の屋上にトウモロコシが植えてあります(写真下)。今回の旅行でも建物の上に植物を植えている光景はよく見かけました。もっともここのように、完全に畑としているのは珍しい。

 

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二郎山のオバサンには勝てない

2310mの二郎山峠トンネル通過(16:39)。有料道路で30元です(写真下左)

 

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 二郎山のトンネルを抜けると、急に天気が良くなりました。抜ける前は曇り空で頂上付近は雲がかかり、霧が出ていたのに(写真上右)、西側に出たとたん晴れました。これは二郎山峠が湿気の多い四川盆地と湿気の少ない青蔵高原との境になっているからです。

 山を下りる途中にちょっとした展望台があったので、休憩しました(17:52 2199m)

 

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あたりはなかなか良い眺めです(写真下)

 

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展望台には出店があって、いわゆる漢方系の生薬が売られています(写真下)。こういう道端の漢方は安いはずだから、一つくらい買ってみたいとは思っても、いったいそれが何に効くのか、またどうやって服用するのかわからないので、うっかり買うこともできません。

 

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 烏里さんは、写真下のオバサンの手元にあるのは、お茶のように飲めるものだと紹介してくれました。何かの花を集めて乾燥させたもののようです(写真下右)。街で買うよりもはるかに安いようなので、私が買う様子を見せると、オバサンは俄然、私に大画面で迫って来て(うわあ、怖い)、一袋を40(600)でどうかといいます。

だが、100元に50元しか釣り銭をよこしません。どうやら、量り売りをしており、測ったら重かったから、50元だという主張のようです。さっきは40元と言ったのだから、今さらそれはないだろうとは思ったが、オバサンの迫力に、日本人の私はつい「ま、いっか」と妥協しました。私のこの態度は間違っていて、即刻、突き返し、ご破算にするのが正しい。

 

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私が買うのを見ていた別なオジサンが、同じ薬草を持ってきて、30元でいいと言います。「おいおい、最初からそう言ってよ」と思わず私はぼやく。よく見ると、オジサンの薬草のほうが粒がそろっていて質も良さそうです。30元で買える物を50元で買わされたかと思うと、少々頭に来たが、この勝負はいつものように彼らの勝ちです。

 

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 帰国後、いろいろと工夫して飲んでみました(写真上)。淡い黄色でなかなか上品です。思ったほど苦くはなく、あっさりとして、15分ほど煎じると、香ばしい匂いとかすかな甘味も出てきました。ものすごくおいしいということはありませんが、夏の暑い時期にはよく合っています。

 

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 二郎山を下りて、大渡河を渡り、そこから少し北上すると、カンゼ・チベット族自治州の濾定(ルーディン)に着きました。しかし、ここでも工事による渋滞で、ピクリとも動きません(写真下、18:10-18:39)

 

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 道路は完全に駐車場状態です。少し車が動くと、周さんは本道を外れて、右側に見える石橋を渡りました(写真下)

 

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この橋は旧道らくし、橋も老朽化しているので、大型車両は通行できないように、橋の反対側にコンクリートのブロックが置いてあります。このランドクルーザーの大きさでは無理だと私が思っていると、周さんはたくみなハンドルさばきで切り抜けました。拍手!

 

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 あたりはそろそろ薄暗くなりはじめています。目的地の康定までまだ40kmくらいあるでしょうか。車は、大渡河に沿って、悪路をものともせずに猛烈なスピードで走り続けます。大渡河は長江の源流の一つです。

 

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 対岸に仏塔(チョルテン)が見えて、このあたりがチベット仏教圏なのがわかります(写真下)

 

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康定の毒キノコはうまい

本日の宿泊地、康定(カンディン)に到着(19:16)

 

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田舎町なのかと思っていたら、街は近代的でとてもきれいです。

 

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 通りから見える山の斜面に仏画が描かれているので(写真下)、ここがチベット文化圏なのがわかる程度で、繁華街は普通の中国の街です。

 

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街の真ん中を流れの強い河が音を立てて流れています。落ちたら、命にかかわるくらいのすごい濁流です。橋の欄干は大理石に彫刻を施したものだし、外灯もいかにも中国的で、なかなかきれい(写真下)

この街は夏でも涼しいので、雅安から高速道路をここまで延長させ、鉄道を引く計画があるといいます。

 

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 ホテル到着(19:55)。荷物を片付けて、食事にでかけました。タクシーで行こうと二手に分かれたら、後に残った我々はタクシーをつかまえられず、歩くことにしました。

タクシーよりも歩くほうが正解でした。あたりは暗くなり、暑くもなく、寒くもなく、川沿いの中国風の外灯に灯りがともり、人々が散策し、とても風情があります。

 

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 街中のレストランに到着(20:41)。この街に住んでいる烏里さんの姉夫婦と、妹さんの夫との食事会で、お姉さんのおごりだそうです。彼女は警察官で「康定の黒いボタン」と呼ばれるほどの美人だったそうです。過去形ではなく、今でも十分に美人です。目鼻立ちがはっきりしており、漢民族やチベット族とは明らかに顔立ちが違います。

 夕飯は鍋物でたくさん入っていたのがキノコです。「こりゃすごい。うまそうだ」と箸をのばすと、烏里さんが「まだだ」と言います。熱を十分に加えないと毒が消えないのだそうです。と、聞いて、一瞬頭のなかに「日本人観光客、毒キノコを食い過ぎて死亡」という顔写真入りの新聞記事が浮かび上がりました()

 キノコの毒性が熱だけで消えるのかちょっと心配でしたが、この際、毒食わばキノコまでとばかりに、死ぬほど食いました。おお、毒はおいしい。

 

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 食事の後、ゆっくりとホテルまで歩いて行くことにしました。十時をすぎているのに、これから街はにぎわいのようで、通りの屋台が準備をしています(写真下)

 

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 先ほど通った河沿いの道は散歩するのにはちょうど良い。河の水はかなり温度が低いから、街全体のクーラーの役割もしているのでしょう。たくさんの人々が三々五々歩いています。

 

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『淡々幽情』に出てくる「人約黄昏後」という曲はこの景色にぴったりです。

 

「人約黄昏後」 (朱淑眞)

去年元夜時  去年の元宵節の夜

花市燈如晝  花市は灯籠で昼間のよう

月上柳梢頭  月は柳の上にかかるようにのぼり

人約黄昏後  あの人と黄昏の後に逢った

今年元夜時  今年の元宵節の夜

月與燈衣舊  月と灯籠は去年のままなのに

不見去年人  去年のあの人だけはいない

涙湿春衫袖  涙が新春の衣の袖をぬらす

http://www.youtube.com/watch?v=DFzO7a8lpBM&feature=related

 

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「人約黄昏後」は甘ったるい恋愛の歌詞のように聞こえます。作者の朱淑眞は宋代(960 - 1279)の人で、彼女の夫は粗野な俗人だったいいますから、彼女の詞を作る繊細な心など何も理解できないような人だったのでしょう。この詞が彼女の体験に基づいた恋愛の詞と見ることもできますが、むしろ、恋愛にたとえた彼女の境遇と見たほうが意味が通じます。

結婚する前(去年)は詩(あの人)の世界にふけり、深く満たされていたのに、結婚して(今年)、今や粗野な夫にかしづくしかない彼女の失望と嘆きです。詩の題材の月も柳も灯籠も今でもそのままなのに、現実の彼女は、お金と欲しかない動物のような夫につかえている。結婚する前は、夫になる人も共に詞を作り、古典に共鳴しあえる相手を期待していたのに、現実の夫は、飯をガツガツと食い散らかし、腹を出して大イビキをかいて寝ているような人です。

春衫とは、正月の晴れ着のことのようです。これは彼女自身の詩人としての心を象徴したのでしょう。今なら、彼女のほうから三行半を突きつけて、出ていくところですが、宋の時代にそれができたとは思えません。

ただ、彼女の詩がこうやって残ったのも、この粗野な夫がいたおかげかもしれません。夫が理想どおりに、彼女の詩人としての繊細な魂の良き理解者だったら、『断腸集』という彼女の詩集はできなかったし、千年後の我々が彼女の詞を知ることもなかった・・・などと曲を口ずさみながら、空想に耽っているうちにホテルに着きました。

 

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Kalakaer Hotelは、河のそばの通りに面した街中のホテルで、立地条件や清潔さや設備も悪くはありません。バスタブはないが、お湯も問題なくでます。しかし、ネット用のケーブルはあるのに接続しても使えませんでした。ネット接続さえできれば、このホテルは十分に合格だったのですが。

 

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 下の写真は洗面所にあった石けんです。左が昨日泊まった広州の広州新機場賓館、真ん中が今日泊まるKalakaer Hotel、右が7日目に泊まった宝興の夾金山賓館です。ご覧のように、明らかに同じ石けんに各ホテルのシールを貼ったものです。実際、使ってみましたが、石けんは形も匂いも同じものです。場所も経営も違うはずのホテルが同じ石けんをホテルブランドで使っているということは、この石けんメーカーがシール貼りも含めて、各地のホテルに売り込みをしているのでしょう。10日の間に6箇所のホテルに泊まり、そのうちの3箇所が採用しているということは、かなり売り込みに成功しているようです。

 

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