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4日日 2009716(木)

丹巴→日隆

うまかった街中の朝食

7:00起床。晴れています。夕べの雨のせいか、ホテルから見える河は濁流です(写真下)。道路に車が停まっています。見ていると、どうやら、庶民の足になっているようです。

 

 

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朝食をとるために街に出ました(8:04-8:32)。まだ街は静かです。

 

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 食堂は町中のテーブルが四つほどある小さな店です(写真下)

 

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 奥の調理場では、おじさんがうどん粉をこねたものをまな板の上で切って、油で揚げ物を作っています(写真下左)。朝から油物なんて冗談じゃない。私は見ただけで油に揚げられそうなので、店の入口で湯気をあげている饅頭を注文しました(写真下右)。ところが、この饅頭は隣の店の商品で、女の子は隣の店の手伝いをいるようでした。でも、そこが中国で、隣の店に注文しても文句は言いません。饅頭は人気商品らしく、我々がいる間に完売しました。

 

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 朝食はほかほかの饅頭と(写真下左)、漬け物が乗ったソーメンのような麺(写真下右)です。この麺がなかなかうまい。上に乗った漬け物の味も噛み心地も、高菜漬けのような感じで、これ単独では塩分が強すぎるが、スープと適当に合わせるとちょうど良い味付けです。

 こんなに口に合う食べ物があることに感心して、烏里さんに壁に貼ったメニューのどれなのかを質問しました。すると、「ない」というのです。烏里さんが日本人向けに油と胡椒を除いた麺を特別に注文してくれたようで、彼の食べていた同じ麺は胡椒で真っ赤でした。

「烏里麺」のおかげで、おいしい朝食がいただけました。

 

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 ホテルに戻り、ロビーで待っていると、昨夜と違い、若い女性が二人受付にいます。しかも、一人は民族衣裳を着ているので写真を撮らせてもらいました(写真下左)。烏里さんが最近出版した写真集を彼女たちに見せています(写真下右)

 

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 私もこの本は持っています(写真下左)。表紙に使われている女性の顔と受付の女性たちの顔立ちが似ていると思い、こうやって並べてみると・・・まあ、似ていると言えば似ている(ことにしよう)。本の説明によれば、表紙の女性はチベットのラサで撮影されたチベット族(蔵族)の女性とあり、受付の女性はたぶんギャロン族(嘉絨蔵族)でしょう。もしかしたら、受付にいたもう一人の女性(写真上右の手前)のほうが似ていたかもしれません。

 

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写真上左:『雪域聖地情――青藏高原的自然景観和人文風貌』

(烏里烏沙、中国撮影出版社、2009)

 

 

梭坡古

ホテルを出発して(9:09)、丹巴と周辺を見学します。丹把の南東にある梭坡の石の塔()を見に行き、その後丹巴の街に戻り、踊りを見学して、さらに北にある甲居蔵寨を訪ねます。

 

 

梭坡にある古群に到着(9:34)。古群とは、古い石造りの塔のことで、この梭坡には84も残されて、観光名所になっています。おそらく、敵の様子を見るのと、攻め込まれた時、立てこもるために作られたのでしょう。この地域がいかに戦いが多かったかを物語る建物です。

 

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晴れているが、まだ午前中で、我々は対岸の西側から見ているため、逆光で写真には向きません。 塔もかろうじて見えますが、霞んでいます(写真下左)

 

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写真上 左:現在の建物 右:Wikipediaからの転載

 

 上の写真右はWikipediaからの転載です。私の撮った左側の写真と比較すると、左写真の下にある四階建ての建物が右写真にはありません。樹木の大きさから推測すると、数年の差があり、どうやら、村は豊からしく、新しい家を作っているようです。

 建物だけでなく、我々がいる展望台も最近造られたものようで、Googleの衛星写真からは展望台らしいものを探せませんでした。また、ネット上の二年前の旅行記にはこの展望台の写真がありません。

 

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 観光客は我々以外は見あたりません。建物よりも、展望台にいた子守をする老人のほうが面白い(写真下)

 

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 道路の西側の崖にいろいろな花が咲いています。

 

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 下のピンク色の花は来る途中の道の両側にたくさん生えていて、なかなかきれいです。

 

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写真上:インカルヴィレア・アルグタ(『ヒマラヤ植物図鑑』p.145)

 

 

美人の踊り子

 丹巴で踊りのイベントを見るというので戻りました。烏里さんの知り合いの「美人の踊り子」が出るというのではありませんか!そりゃ、絶対に見に行かねばならぬ!!

丹巴の北には「美人谷」と呼ばれる地域があるほど、この地方は美人の産地として有名です。日本に来ている歌手のアランは美人谷に原籍があります。彼女の父親は一昨日泊まった康定の知事を務めたことがあるそうで、名門の出身です。

街の西側にある会場に着きました(9:49)。ホテルの前に広場があり、そこで、子供たちが踊りを披露しているところでした。

 

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 両側に観客席があり、観客もたくさん来ています。

 

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 子供たちの踊りなどが次々と披露されています。子供の踊りなんかいいから、早く美女軍団を出せ、などと私が思ったかどうかは忘れたことにして、とにかく、なかなか美女軍団が出てきません。私は暇なので、「そうだ、昔の美女を撮ろう」と思いつきました。

 

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 上の写真は民族衣装を着た女性たちを撮ったものです。パターンはあるものの、現代の服装と混ざってしまい、イマイチ、彼らの元々の服装がわかりません。しかも、民族衣装を付けているのは大半が恰幅の良い昔の美女ばかりで、若い人は着ていません。

この地域の人はギャロン・チベット族と呼ばれ、チベット族とは違う人種で、言葉も異なるそうです。ただ、何も言われなければチベット族かと思うような顔立ちです。

昔の美女で暇つぶしをしていると、お待ちかね、ようやく待望の今の美女が登場しました(写真下)

 

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 残念ながら、私の望遠レンズではこれ以上は無理です・・あら?男性諸氏は「さんざん、気を持たせて、こんな小さな写真では美女の顔が見えないじゃないか」と怒っていますね。では、特別に上の写真を拡大して美女をお目にかけましょう。

 

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 美女の写真も撮ったことだし、美女がもう登場しないなら、もうここに用はありません()

 

 

甲居蔵寨

美女の踊りを後にして、丹巴の北にある甲居蔵寨を訪ねます(10:29)。直線にすると5kmもなく、すぐそばなのですが、山道をうねうねと登っていかなければなりません。

 

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甲居蔵寨の観光のウリは村の美しい風景です。しかも無料ではなく、村の入口に料金所があり、30(450)です。風景を見るだけでこの値段ですから、けっこうな額です(写真下、10:52)

 

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 料金所のすぐそばに村を見るのにちょうど良い展望台があります。

 

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 山の斜面のあちらこちらに立派な建物が見えます。建物に統一感があり、周囲の緑に溶け込んで、風景としてはとても美しい。見るだけで30元は高いが、一見の価値はあります。電柱が一部に見えるものの、それでもまだ目立ちません。

 烏里さんは、ここがとても豊かな所だと指摘しました。二千メートル以上の高地なのに、冬でも雪は降らないそうです。そう言えば、屋外にシャボテンが生えていました。冬温かく、夏涼しく、実り多く、美しい村に住む。いろいろな意味でここがとても豊かな村であるようです。

 展望台で写真を撮っていると、料金所にいたお姉さんが来ました(写真下)

 

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 名前を聞き損ねましたが、ネット上での旅行記によれば、ラムさんかラブラムさんという名前のようです。彼女は観光ポスターのモデルになったこともあるそうで、烏里さんが持っていたカードに写った三人の真ん中が彼女のようでした(写真下)。ただの美人ではなく、彼女は手広く商売もしている実業家のようです。

 

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 彼女は、私が「コリアン(韓国人)か?」と質問したようです。私は質問がわからずにいると、烏里さんが日本人だと答えてしまいました。残念!「そうさ、オイラはコリアンで、名前はヨン様だよん。アンニョンハシムニカ。チマチョゴリ」と彼女との会話を楽しめたのに。

 一昔前は、ヨーロッパを旅行した日本人は「おまえはチーニーか」と質問されたそうです。チーニーとはチャイニーズ、つまり中国人かという意味です。私はインドで何度か、コリアンか、と言われました。最初は日本人だと修正していたのですが、他の日本人の真似をして、「そうだ。コリアンだ」と名乗るにしているのです。私は先祖伝来の大和民族で韓国語はまったく話せません。

 

 展望台から、さらに車で少し登り、昼食を予定していた食堂に到着しました(写真下)。先ほど展望台から見た村の中の一軒です。

 

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 看板を見ると(写真上右)、この地元の牛肉がうまいよ、と書いてあるようです。ただ、牛は来る途中はまるっきり見かけませんでした。庭ではニワトリが篭の中に入っていて(写真下右)、我々のほうを見ています。今からニワトリを料理・・・いや、まさか。まだ11時すぎであり、店側も料理を作るのに時間がかかりそうです。我々は道に沿って、村を見物することにしました。

 

 

きれいな村を散策

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 食堂といっても民宿を兼ねているようです。すぐそばの家も民宿らしく、黄色い看板が出ています(写真下)。建物に塗られている赤、黒、白などは色の順序が決まっているそうです。チベット仏教から来たのでしょう。こういう点も建物に統一感を与えてきれいです。

 

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 風景はまるで桃源境のようで、周囲の山並みと建物がうまく合っていて、美しい。

 

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こういう景色をみるたびに、日本のあの統一感のない、バラバラの形と色の街作りには失望させられます。日本人は風景も人生を豊かにする財産だという意識があまりに低い、とこんな所でぼやいても始まりませんが。

 

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 戸数も少ないから、道はほとんど人が通らず、子供たちが遊んでいる程度です(写真下)

 

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 その子供たちが、道に突き出ている果物の木から梨をもいで食べています。まだ熟していないから、おいしそうではない。周囲は梨の他にリンゴ、山椒などが植えられています。

 

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 食事の後で、食堂の裏側の斜面にリンゴが植えてあったので、私は「リンゴを分けてほしい」と申し出ました。すると、「今のリンゴを差し上げて、お腹を壊すと困る。だが、あなたが勝手に採って食べるのは自由だ」という返事でした。未熟なリンゴを食べさせるのは失礼だから出さないという意味なのか、腹をこわして責任を負うのは嫌だという意味なのか、烏里さんの通訳を聞きながら、オジサンの顔を見ていましたが、よくわかりません。あるいは、この地域では、未熟なリンゴは腹をこわすと言われているのかもしれません。

 理由はどうあれ、持ち主が採って食うのは勝手だと言っているのですから、遠慮はいりません。烏里さんが木に登り、何個かリンゴを採ってくれました。見た目どおりで、未熟でおいしくはありませんでしたが、酸っぱさがさわやかでした。

 

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 光が強く、暑いものの、空気はひんやりしていて、気持ちが良く、桃源境のような村の道を歩いていると時間感覚がなくなり、ボーっとした気分になってしまいます。しかし、ここは二千メートル級の高山ですから(2360m)、周囲にあるのは高山植物です。私は気を引き締め、道の周囲に咲いている花の写真を撮りました。

 まず目立ったのが、黄色いケシです(写真下)。村の道端のあちこちに咲いています。烏里さんがこれをケシだと言った時には疑いました。花の感じはケシというよりも、日本のクサノオウによく似ているからです。しかし、帰国後、調べてみると、クサノオウはケシ科でした()

 

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写真上:ディグラノスティグマ・レプトポディウム(『中国秘境に咲く花』p.29)

 

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写真上:アコノゴノン・モレ(『ヒマラヤ植物図鑑』p.666)

 

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写真上:インカルヴィレア・アルグタ(『ヒマラヤ植物図鑑』p.145)

 

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写真上:インディゴフェラ・ソウリエイ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.400)

 

 

昼食

 そろそろ十二時なので、散歩も終わり、食堂に戻りました。

 

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入口からして派手なペイントです(写真下左)。入口から入ると建物がコの字になって囲む中庭に通じます(写真下右)

 

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 ここは民宿なので三階建てで部屋があり、中庭を取り囲むように廊下があります。二階と三階で、廊下に吊り下げられた布の色が違っています(写真下)

 

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階段を上がっていくと、それぞれの階の扉、廊下の壁や天上に美しく派手な絵が描かれていて、いかにもチベット風です。廊下や天上の絵に見ほれて、うっかり部屋の中を見せてもらうのを忘れていました。客もいないみたいだから、ちょうどよかったのに、惜しいことをしました。

 

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 屋上からの眺望もすばらしい。屋上には、周囲にこの土地に合ったきれいな高山植物があるのに、コスモス、マリーゴールド、ゼラニウムなどありふれた栽培品を植えているのがおもしろい(写真下)

 

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 雨樋を支えているのは龍でしょうか(写真下左)。屋上には温水器も備えられています。

 

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 建物の裏側を見ると、山の斜面は段々畑になっており、果樹やトウモロコシなどが植えられています(写真下)

 

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 食堂は一階にあり、客は我々だけです(12:30)。その食堂はまた派手な色彩で壁もテーブルもペイントされています(写真下)。チベット圏ではよくある部屋です。こんな部屋で食べればラーメン一杯でも豪華に見えます。ただ、食事は、まるでテーブルの色のようにどれも辛く、私の口にはイマイチでした。

 

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 食事が終わったら、当然、トイレです。民宿や食堂を営業しているこの家がどんなトイレなのかを見てみたかったのです。トイレはいったん中庭に出て、建物に附属した一階建ての白い建物にあります(写真下)。中は物置になっており、その奥にトイレがあります。汲み取り式ですから、水洗とは比較になりませんが、私は写真を撮ったくらいですから、汲み取り式としては合格点ではないかと思います。雅安の昼食をとった店のトイレなど、写真を撮る気になりませんでした。

 

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食事を終わり、元来た道を引き返し、麻雀をしているらしい料金所のお姉さんたち見ながら(写真下、13:41)、丹巴に戻りました。

 

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山椒採りの母子

丹巴でガソリンを詰め(写真下左)、泊まったホテルの前の道路を通り(写真下右)、一路、今日の目的地である日隆に向けて出発です(14:04)

 

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 道の両側には山椒の実が真っ赤になって(写真下)、ちょうど収穫期です。おもしろいことに、山椒の枝が道のほうまでわざとせり出させてあり、道路側から実を採るようになっています。

 山椒は日本は葉ですが、ここでは実を食べます。中国の山椒の葉はつぶしてもあの独特の匂いはせず、実から日本の山椒と同じような匂いがします。

 

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民族衣装をつけたオバサンが山椒を採っているところで車を停めて写真を撮りました(15:50-16:05)。撮影を申し出ると、オバサンはそれまでまくりあげていた袖をのばして、衣裳の身仕舞いをしました(写真下左)。これまでは頭の飾りだけの人が多かったので、おそらくこれが彼らの正式な民族衣装なのでしょう。彼女の子供や別な女性も加わって、採取のポーズをとってくれます。

 

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 道路の反対側の川岸に生えている梨(写真下)は彼女のものだから、採って食べていいと言います。先ほどのリンゴ同様、まだ熟していないので、味はイマイチですが、暑いので、喉を潤すにはちょうどよい。

 

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 川の水は昨夜の雨で濁って冷たく、そのせいか川岸の日陰は心地よい。日陰にネジバナとノコンギクが咲いていました(写真下)

 

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 梨の木の下で楽しそうに語らう母娘はとても仲がよさそうです(写真下)

 

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 道は川に沿って、一路、東に向かいます。山が迫っているので、河のすぐそばに畑が開墾されて、トウモロコシやジャガイモが植えてあります(写真下)

 

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 道路は相変わらずで、そこここで工事が行われ、悪路です(写真下左)。昨日の雨のせいで川に樹木が流されたらしく、これを薪に使うのでしょう、河原で集め、道端で乾かしています(写真下右)

 

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小金から沃日官寨城

 丹巴と日隆の中頃にある小金に到着(16:08)。ここは小金県の中心都市とはいえ、ずいぶんと街は豊かそうです。大きな産業があるとも思えない街がなんでこんなに豊かなのかと驚いて烏里さんに聞くと、我々が今から行く四姑娘山の観光によって潤っているとのことでした。

 

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 車を停めて店に寄り、買い物をしました。私も水を23(45)で買いました。

 

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 烏里さんがここで買ったのが、小金の特産である「沙棘」という粉末ジュースです(写真下)。地元で採れる特産品で粉末ジュースにしたのが一袋に10個入っています。烏里さんはこれを10袋入った箱で購入しました。あまりおいしくはないが、身体に良い、とのことだったので、後に日隆で我々も買った時は一袋が6(90)でした。飲んでみると、砂糖が入れてあるので、ちょうどオレンジジュースのようで、味も悪くはありません。

 

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 さらに川沿に10kmほど行くと、大きな塔が対岸に見えたので休息(16:47-16:56)。ここは沃日という村で、最初、煙突のように見えたのが塔でした。「沃日官寨城」という名前のようです。

 

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橋を渡った所に案内用と思われる陽に焼けた看板があります(写真下左)。よくわかりません。ここに住むのは羌族で、塔は五百年くらい前に建てられたもののようです。おそらく、この塔だけでなく、村にはいくつか特徴的な建物があるらしく、午前中に見た梭坡古群や甲居蔵寨のように、観光の目玉にするつもりでしょう。ただ、看板には20064月という文字が見えますから、三年もたっているのに、あまり観光化が進んでいません。

 

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 一番の目玉である塔のそばに行ってみましたが、もちろん、中に入れるような入口は開放されておらず、なによりも登ったら、危なそうな塔です。隣の寺院のような建物も、今にも崩れそうです。

 

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 村はとても静か、というか活気がなく(写真下左)、診療所のような建物は、休診日というよりも、閉鎖されたように見えます。人が座っているだけで(写真上左)、我々に観光案内をしようとも、何かを売ろうともしません。

 

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値段がついていたのは、塔のそばの道端にあったレンガです(写真下)。まさか観光客相手にお土産に古いレンガを売ろうというのではないでしょうから、これは村人相手の商売かもしれません。ただ、赤茶けたレンガ色なのは塔だけで、村にはこれがむき出しの建物はありません。

 

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 川岸に黄色や赤に咲いている樹木の花がきれいです(写真下)。マメ科の樹木のようで、川岸に沿っての道路のあちらこちらに咲いています。

 

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 日隆まであと40kmはありません。道路は引き続き工事だらけです(写真下右)。しかし、日隆に近づくにつれてしだいに道はよくなりました。

 

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四姑娘山の麓の日隆に到着

 日隆(リーロン)のホテル、嘉絨大酒店に到着(18:11)

建物はごらんのように立派なのに、中に客がいません。

 

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 客は我々だけで、受付には一人しか服務員がいません(写真下左)。受付の反対側にある売店は撤去してしまったようです(写真下右)

 

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 次の日、夕方の六時頃、ロビーに行った時の光景が写真下です。ご覧のように、誰もいない。なまじ、広く、立派に作ってあるだけに、ガランとしており、開店休業状態です。

 

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 観光客が少ない理由は昨年五月の四川省大地震で、震源地はここから百キロくらいしか離れていません。地震で、成都から日隆までの道は今でも一日おきの一方通行だといいますから、それでは観光客が来ないのも当然です。我々が通ってきた悪路と同様であれば、バスでは無理ですから、日本の旅行業者も尻込みするでしょう。

ただ、日隆自体の地震の被害はそんなに大きくはなかったらしく、このホテルの入口の枠が壊れたままになっている程度で(写真下)、街を歩いていても、地震の痕跡らしいものはほとんどみかけませんでした。

 

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客が少ない分、サービスが良いのでは、という期待はすぐに裏切られました。私はまず部屋が探せない。245号の部屋を探していくと、244の隣が246で、245だけは通路とは反対側のはるか離れた場所にありました。部屋に入っても電気の付け方がわからなく、烏里さんに頼むはめになりました。しつこく何度も入れ切れを繰り返すと、スイッチが入りました・・・要するに壊れている。

しかし、その部屋は隣の建物にあるレストランの厨房の排気音がすさまじく、早朝から騒音で叩き起こされるのはたまらないので、部屋を取り替えてもらうことにしました。これがかえって裏目に出ました。

 

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騒音がしないようにと建物の反対側の部屋に入ると、湿気と臭いがこもっています。洗面所の換気扇が壊れているので、食事の時は窓を開けたままにしても、そのくらいでは臭いは抜けません。写真下は洗面台においてあった石けんや歯ブラシなどが入った藤の篭です。籐製の篭に白いカビが生えています。真ん中の歯ブラシの入った紙の箱は水が濡れたような跡までついています。洗面所のタオルやトイレットペーパーも水をかけたのかと思うほど湿っています。

 

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悲惨なのはベッドで、シーツも毛布も水で濡らしたように湿っています。エアコンがついていたのでスイッチを入れても、暖房も冷房も効かずに、ダメ。幸い、電気敷毛布があったので、とにかく寝るまでの間だけでも、毛布を乾燥させるように努力しました。ここに三泊するのかと思うと、ちょっとゾッとします。

 客が少ないので、この部屋は長い間使われなかったのでしょう。その結果、湿気がこもり、カビまで生えてしまった。

それだけではなく、従業員を減らした結果だと思われるのが、写真下の部屋にあったカップです。飲み口が汚れているのがわかるでしょうか。もちろん、私はまったく使っていません。このくらいの規模のホテルで、これだけ明瞭に汚れたコップが置いてあるのも珍しいので、思わず写真を撮ってしまいました。受付にあるホテルの宿泊料金表を見ましたが、けっしてここは安ホテルではありません。

 

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 女性たちの泊まった部屋は初日はお湯がでなかったそうです。私の部屋はボイラーに近いのか、指定された時間内は問題なく出ました。

部屋の温度は19.2度。温度はともかく、湿度がひどいので、濡れたタオルなどはまったく乾きません。

 このホテルは10月に全面改装して、来年から観光客を迎えるそうです。そうしないと、これでは日本人の客は来ないだろうなあ。

 

 ホテルの隣にある建物の二階のレストランで夕食を取りました(18:40、写真下)。入口には金色の看板が立てられ、役所関係の事務所があるようです。階段の所に、四川省大地震とその後の様子が写真で説明されています。

 

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 レストランには我々以外にも中国人の客がいましたが、テーブルの半分は空いています。

 

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 地震そのものよりも、後遺症のほうが甚大なのがわかります。これは翌日以降、街の中を歩いてみて、深刻さがわかりました。

 

 

 

 

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