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10日目 2012718()

トビリシ → (ドーハ)

 

 朝起きて窓を開けると、晴れです。最後の日まで晴れるとは、マリア様なのか、晴れ男なのか、いずれにしろ、すごいサービスぶりです。

 

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 私の部屋はホテルの正面と駐車場の上で、目の前にシェラトンの旗の他に、国旗が5本掲げられています。左からシェラトンのホテルの旗、その右がオランダ、ドイツ、アラブ首長国連邦、アメリカ、ジョージアです。

 

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オランダの旗 ドイツの旗 アラブ首長国連邦の旗 アメリカ合衆国の旗 グルジアの旗

 

 これはこの国の友好国を表すのか、それともシェラトンを利用する客の国別の多さを表しているのでしょうか。先進国や金持ちの国が多いから、後のほうかもしれません。ダリさんによれば、イスラエルからの旅行客が非常に多いという話しでした。実際、ウシュグリの山道で会った人もイスラエル人でした。だが、もちろん国旗にはイスラエルはありません。

 

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前回のシェラトンの朝食ではイチジクがうまかったので、大いに期待して、多めに取ってきました。しかし、今度はそれほどでもなく、どうやら、前回のイチジクはたまたまうまかっただけのようです。一流ホテルですから、メニューも多く、私は朝から食欲旺盛です。

 

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 レストランは十階なので展望は最高です(写真下)。写真の色がおかしいのは窓が色ガラスだからです。

 

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 今日は、11時から夕方までトビリシの市内観光をして、夜の便でジョージアを発ち、来た時とちょうど反対に、アゼルバイジャンのバクーを軽油してカタールのドーハに行き、そこから成田行きの飛行機に乗り、これが今晩のホテルになります。

 

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周囲の散歩

 11時にホテルを出るので、それまで周囲を散策することにしました。前回も少し歩きましたが、このあたりは旧市街の中心部から離れているので、それほどおもしろい所ではありません。

 

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下の地図の青線が散歩した所です。二時間ほどの散歩で、観光客らしい人たちとはついに一人も会いませんでした。逆に言うと、ジョージアの都市部のごく一般的な暮らしが見られます。

 

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 この街に限らず、ジョージアのどこに行っても見られるのが写真下のような葡萄棚です。道から家屋をのぞくと、たいてい上には葡萄棚があります。

 

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 石壁に葡萄がからみついているのはちょっと絵になります。ジョージアはワインの発祥の地とも言われていますから、ブドウはこの土地にとても良く合うのでしょう。ブドウが絡んでいるのがとても自然な雰囲気です。

 

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 自分の敷地に葡萄棚を作るのではなく、車道をまたいでいるなど珍しくもない。写真下の葡萄棚はいずれも公道の上にある。背の高いトラックやクレーン車などは通れません。日本ならすぐに撤去を命じられるでしょう。

 

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 写真下をごらんください。いずれも、葡萄の木が明らかに歩道に植えられている。「なあに、これは街路樹さ」ということでしょうか。でも、実のなる部分はしっかりと自宅のほうに引き込んでいる。

 

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 街中の動物たちをご紹介します。さすがに牛はいません。犬は大半が放し飼いだけど、総じておとなしい。

 

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 白ソックスの猫がいます。同じネコに2回も会ったのかと思っていたら、ソックスの模様を見ると別な猫です。カメラに威嚇しています・・・怒ると美容と健康に悪いんだぞ。

 

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 ゴミ捨て場のそばにいた写真下の緑色の目の猫は、なんか痩せてて元気なさそう。おい、どうした、大丈夫か。

 

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 あちらこちらで見かける地味なハトです。日本で良く見られるドバトよりも小柄です。

 

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 スイカ売りは店番がいない(写真下左)。それにしてもこんな人通りの少ない裏道で売れるのかな。裏通りなので数は少ないがたまに店があります(写真下)

 

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 民家にあったマルバノアサガオです。暑いので大半はしぼんでいました。写真下左のピンク色がなかなかきれいですね。日本では赤と紫は良くみかけるが、こんな色のピンクは見かけません。

 

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ムトゥクヴァリ川のそばの街

 坂を下りて、ホテル前からの大通り沿いに、ムトゥクヴァリ川のほうに行ってみましょう。銅像のある公園のそばに両替屋があります。

 

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別な両替屋と比較すると、最初の三桁までは同じです。面白いのは、首都とはいえ、こんなふうに両替屋がたくさんあることです。私の住んでいる田舎では、近くの銀行の支店ではドルに交換すらできず、4キロほどある本店まで直接行って買うしかない。もちろん、ドルで品物が買える店なんて一軒もありません。これだけ円高ドル安なのに、今ひとつそのメリットが感じられないのは、日本人の生活にドルやユーロと直接関係ないからでしょう。

 

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 ここにドルとユーロの両替屋がいるということは、市民生活の中にドルやユーロが入り込んでいることを意味します。

 もう一つ面白いのは、写真上右の看板にロシアのルーブルが一番下に書いてあることです。かつてここはソ連邦で、今でもロシアは隣接する国なのに、経済的な関係は薄いようです。

 

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対岸にはホテルからも見える旧市街がきれいに見えています。このムトゥクヴァリ川 (Mtkvari river)はさして大きな川にも見えませんが、コーカサスを横断して黒海とカスピ海をつないでいます。トビリシはそのシルクロードの一部として栄えた街です。

 

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 私は川と並行に走っている大通りから、川と大通りの間の住宅街に入って行きました。道は縦と横になっているのだが、それでも狭く入り組んでいるので、私の持っているグーグルの地図だけでは、どこをどう歩いているのか、正確にはつかめません。

 

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 建物は庶民的な家屋が隙間なく建っていますが、中には写真下左のように白亜の殿堂もあります。写真下右の、右側の建物の二階は道路側に突き出ています。日本なら違法建築です。

 

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 川縁のメテヒ教会(Metekhi Church)の見える所まで来ました(写真下左)。メテヒ教会は後で観光で来ますので、このあたりで引き返すことにしましょう。教会と石畳を見ると、ここがヨーロッパであること、またここは本当に古い街なのだということがわかります。通りから北のホテル側には石畳は見当たりませんでした。

 

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 川のそばの一角はほぼ全部が工事中です(写真下)。通りに沿って、百メートル以上にわたり、両側のほぼ全部が建築中です。元々は住宅地だったように見えます。これだけ大規模な開発なのに、看板もなく、一軒一軒の建物は規制があるのか二階建てで、街全体がどう変わるのが今ひとつ見えません。一年くらい後でもう一度来れば、きれいな街に変身しているのでしょう。

 

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 写真下右はジョージア文字が読めなくても、何なのかわかりやすい。

 

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 大通りでよく目立つのが写真下の黄色い車です。乗り合いの小型の路線バスで、途切れることなくこの車がやってきます。コーカサス地方では、マルシュルートカと呼ばれる市民の重要な足です。

 

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 ホテルに戻り、11時にホテルを出発して、バスでトビリシ市内の観光に出かけました。

 

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旧市街のモダンアート

 私たちがバスで遊覧したのはトビリシの南側の旧市内に近い部分です。このあたりは再開発が行われているらしく、あちらこちらが工事中です。そして、建てられている建築物の中には幾何学的な現代建築が目立ちます。

 

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 写真下の橋は幹線道路のそばなので、何度も近くを通りかかります。平和橋(Peace Bridge, Mshvidobis hidi)と呼ばれる歩行者専用道です。さすがはイタリア人(Michel De Lucchi)の設計だけあって、形や色はとてもきれいだが、問題は古い遺跡の残るこの旧市外に合うかどうかです。

 

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 ここは旧市街で、北にある新市街とを分けて、モダンな建築物はそちらに集中したほうが良いと私は思うが、トビリシは両者を融合させるような方針のようで、変わった形の建物が見られます。

 

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 今回の旅行中に他にも写真下のようなモダンアートや現代建築のような建物をあちらこちらに見かけました。

 

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メテヒ教会

 観光客の目を引くのは古い建物です。まずは、先ほど私が散歩した時に見かけたメテヒ教会(Metekhi Church)に行きました(写真下)

 

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教会と川の間にある広場にはヴァフタング1世(Saint King Vakhtang I Gorgasali, 440-502年)、別名・ゴルサゴリの騎馬像があります(写真下)。ゴルサゴリとは敵のペルシア人が付けた「狼の頭」というあだ名だそうで、勇猛果敢な王様だったのでしょう。彼がトビリシを作り、1958年にトビリシ遷都1500年を記念して立てられたのだから、旧ソ連時代の話です。この教会は旧ソ連時代には珍しいことではないが、刑務所として使われていたこともあるそうです。

 

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 写真下は後で対岸から撮った写真です。教会と銅像・・・やっぱりどうってことない。というか、両者は合わない。教会のそばなんだから、キリストかマリアの像のほうが似合う。

 

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 教会の敷地からは街が広く見渡せます。西側の対岸にはソロラキの丘があり、その上に小さくナリカラ要塞やジョージアの母の像が見えます(写真下右)。写真下左は南側で、ホテルから見えたライトアップされた教会が丘の上に見えますが、名前はわかりません。

 

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対岸には旧市街が広がり、赤い色の屋根が統一的で、とんがり帽子のような教会の屋根があり、きれいな風景です。

 

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 教会の東側は小さな公園のようになっていて、暑いので、皆さん木陰に涼んでいます。

 

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 教会に入ってみましょう。写真下真ん中が祭壇で、周囲の柱や壁にイエスやマリアなどのイコン(肖像画)がたくさん飾ってあるだけです。イコンがたくさん飾ってあるからにぎやかだが、それを除くと、簡素な感じです。これはたぶん、ここが刑務所として使われ、壁に直接描かれた古い絵などが破壊されたからでしょう。政治犯に壁画を信仰の拠り所にしてもらっては、支配者には都合が悪い。政治的な問題はともかく、文化財を破壊するのは愚行です。

 

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 中に入って真っ先に気がつくのが、圧倒的に女性が多いことです。我々のような観光客を除けば、参拝している9割は女性です。

 

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 男性はいるにはいるが、司祭のようです。

 

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 祭壇の左右の柱の前に、イエスとマリアの絵が飾られています。ところが、左側のマリアの前は人だかりなのに(写真下左)、右側のイエスの前はあまり人がいない(写真下右)

 

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 つまりここでの一番人気はマリア様です。それもそのはずで、祭壇の上に掲げられたイコンの真ん中にはイエス本人ではなく、イエスを抱くマリアが飾られています(写真下左)。両側は守護天使のようですから、飾りです。イエスは幼子だから小さく描かれ、その結果、我々の目に真っ先に飛び込むのは、イエスではなくマリアです。

 

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 今回のツアーでは数カ所の教会を訪れただけですが、その範囲でいうなら、ジョージアのキリスト教は、イエスは霞んでおり、マリアが中心のマリア教のようです。ジョージア正教会と同じ系列のカトリックもマリア信仰が盛んだが、それでもまだイエスが真ん中です。だが、ここはすでにイエスの影が薄い。

 

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 同じような現象は仏教でも起きていて、日本のような大乗仏教系では、本来の本尊であるはずのお釈迦様はどこに行ってしまい、阿弥陀如来や大日如来など後世の人たちが勝手に作り出した仏が祭ってあります。これはお釈迦様のように欲望を減らせと仏頂面で説く仏よりも、御利益をくれる仏のほうが庶民には人気があるからでしょう。イエスは厳しさを求めるが、マリアは母性的で慈愛を示すから人気があるのと同じです。

 

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 バスで旧市街の中心部にある自由広場(Freedom Square)近くで下りて(写真上左)、レストランまで歩きます。

 

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ジョージア最後の食事

昼食です。写真下左の入り口を入った所が写真下右です。これが店?何脚か椅子があるだけで、店員も客もいない。実は夜の街角をイメージした絵です。何も知らずに入ったら、いったいここは何なのかと引き返しそうです。店は一階ではなく、写真下右の右に見える階段を下りた地下にあります。

 

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 階段を下りて行くと、地下に店があり、かなりの広さです。日中ということもあり、客はあまりいません。地下だと、私など、火災になったらどこから逃げようか、などと余計なことが気になり、落ち着きません。

 周囲からは「用心深いですね」と皮肉を込めて言われますが、では、写真下の地下で電気が消えて、火事が発生したら、皆さんはどうしますか。私はいつも自分が入ってきた入口までの位置を確認しておきます。もちろん、リュックの中には懐中電灯があり、暗がりでも手探りで取り出せます。海外では停電は珍しくなく、実際、何度か懐中電灯を取り出したことがありました。

 

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 ジョージアの料理がいくつか出ました。名前は忘れました。これがジョージアでの最後の料理です。

 

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 食後、そばのスーパーで買い物です。品揃えは日本のそれと変わりません。値段は総じて安い。

 

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 再びバスに乗り、午後も市内観光です。

 

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 ソロラキの丘の西側からバスを降りて歩きます。上の衛星写真の青線が歩いた道で、左下がスタート位置です。歩きましょうと言うと、なにせ山女、山男のグループですから、すごい早さで皆さん歩き出し、例によって私は後ろからトボトボと付いていきます。33℃もあり、犬も陰になっている道路の上で寝ているほど暑い(写真下右)

 

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 ソロラキの丘は街から見て百メートルほど高いので、見晴らしはなかなかです。

 

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 ノウゼンカツラが暑い時期によく合います。

 

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 地図ではこの丘の南側は植物園(Tbilisi botanical garden)になっており、いくつか建物が見えます(写真下)

 

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ジョージア母の像

 少し歩いていくと大きな銅像がありました。「ジョージア母の像(Kartlis deda)」で、この街のシンボルです。敵が来れば右手の剣で戦い、友が来れば左手のワインの杯で歓迎するという意味だそうです・・・ワインは飲みませんが、お友だちにしておいてください。

 

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町のシンボルになっている像で、丘の上にあるので写真下のように街中からも良く見えます。

 

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 写真下は、ホテルの近くにあった公園の銅像、写真下右は午前中行ったメテヒ教会にある大王の像です。ジョージアの母など、これらの銅像は筋骨たくましく力強いが、像としては直線的で今ひとつ躍動感に欠け、芸術的な感性は私の好みに合いません。

 

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 昨日、バスを停めてもらってまで探した黄色いタチアオイがここにもあります。

 

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写真上 Alcea rugosa

(Mountain Flowers and Trees of Caucasia, p.131, The Caucasus and its Flowers, p.173)

 

 少しゼニアオイも生えていて、こちらは日本のゼニアオイとそっくり。それもそのはずで、原産は地中海ですから、むしろこちらが本家です。

 

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ナリカラ要塞

 大きな石の壁と教会があるあたりが丘の終点で、ここから旧市街地に降ります。石の壁はナリカラ(Narikala)という要塞の跡です。最初は五世紀頃に作られたというから、戦いの攻防の跡なのでしょう。

 

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 上の写真では近づきすぎて何が何だかわからないが、午前中に行った対岸にあるメテヒ教会から見たのが写真下で、たしかに丘の上の要塞なのがわかります。

 

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 砦の狭い入り口を入っていくと(写真下左)、聖ニコロズ教会があります(写真下右)

 

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 ダリさんは一生懸命に説明してくれるのだが、興味なさそうなのは私だけではないみたいです。教会のすぐそばの葡萄棚の下に売店があり、前にクタイシで買ったチュルチュヘラというお菓子と蜂蜜を売っています(写真下)。数種類の蜂蜜があり、重くなければ買いたいが、瓶の重さと割れた場合を考えるととても日本まで持ち帰る気になれない・・・残念。

 

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 砦の見学を終えて、対岸にメヒテ教会のある川のほうに向かって坂を下りていきます(写真下)

 

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 下りた旧市街の中はあちらこちらが工事中です。道端で加工しているのは、日本と違い、コンクリートのブロックではなく石材です。日本でもせっかくのオシャレな家も、コンクリートのブロック塀だったりするとがっかりさせられます。

 

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 奥にはイスラム教のモスクらしい建物があり(写真下左)、さきほどの砦から見ると、写真下右のように見えます。

 

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 公園には日陰を求めて人々が集まっています。

 

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 男性たちは何か将棋のようなゲームをやっているらしい。

 

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ハマム(硫黄温泉大浴場)

 見学しようとしていたのは公園の隣の17世紀からあるという硫黄温泉の浴場です(写真下)。硫黄温泉というわりに、いわゆる硫黄臭さはまったくありません。

 

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 この土まんじゅうのようなのが風呂らしいのだが、どういう構造なのか私も見てみたいと思い、皆さんが入り口から入った「Royal Bath」の入り口を写真に撮り(写真上右)、入ろうとしたら、皆さんがすぐに出て来てしまいました。狭くて見学させてもらえないようです。また、猛烈な湿気と暑さだそうです。この大きさを密閉して温泉を引き込んだら、そうでしょうね。

 

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 先ほどの砦からこの温泉浴場を見たのが写真下左です。

 

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 道を引き返し、橋のところから、街中を北に進みます。

 

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 ここは日本で言えばいわゆる商店街ですが、店の大半は喫茶店のようです。どんなお茶やコーヒーを出すのか、藤の椅子に座って味わってみたいが、我々は急いでいるので通過です。

 

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ワインを飲む人

 写真下は公園の銅像です。アイスキャンディーを食べている坊やではなく、紀元前七世紀のジョージアの遺跡から出てきたを「ワインを飲む人(タマダ)」をコピーしたそうです。

私の曖昧な記憶で言うなら、ウクライナを中心としたスキタイなどの黄金文物の中にこれと同じような黄金の像がありました。手のひらに乗るくらいの小さな像です。もちろん、ここにあるコピーは黄金ではなく真鍮ですから、削って持っていこうという努力は無駄です。

 

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 この人物がどうしてワインを飲んでいるとわかるのでしょう?理由は簡単で、今でもこの容器で彼らはワインを飲んでいるからです。トビリシからクタイシに向かった7月11日に、途中、壺を売っている店でオジサンが自家製のワインを勧めてくれました(写真下)。あの時の容器とそっくりです。

 

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これまでの大王やジョージアの母の像とこの像を比較すると、「ワインを飲む人」は全然筋骨たくましくない。写真下は街の中の写真や像で、現代のジョージア人はいずれも骨太で強そうです。「ワインを飲む人」は元々たぶん小さな像であることや表現方法が違うとは言え、遺跡を残した人々と今のジョージア人では人種が違うのではないかとさえ思えます。2700年も開きがあるのですから、ありえないことではありません。

 

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シナゴーグ

 ユダヤ教の教会「大シナゴーグ(Great Synagogue)」に案内されました。ジョージア南部のアハルツィヘ(Akhaltsikhe)から移住したユダヤ人によって百年ほど前に造られたものです(写真下右)

 

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私はシナゴーグに入るのは初めてなので期待していたのですが、工事中で中には入れません。入り口をふさいでいる足場の奥に祭壇らしいのが見えます(写真下右)

 

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 写真下はお墓にしては人数が少ないから、代々の司祭でしょうか。

 

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 通りに戻り、少し行くと、路上に電車のような物があります(写真下)。電車ではなく、結婚式などで新郎新婦を乗せて馬で引く馬車だそうです。しかし、前のマークには「JAZZVE coffee」とあります。ネットで調べるとJazzve caféはチェーン店で、この近くにもあるようです。その店がスポンサーになっているのでしょうか。それよりも、ここでコーヒーを飲ませてくれたら、とても楽しそう。でも、車内は空っぽです。

 

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最古のパン屋

 17世紀からあるという最古のパン屋に入ってみました。しかし、入り口は写真下左のようで、看板も何もなく、ダリさんの案内がなければ、地図をもらってもわからないでしょう。

 

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 店は地上にあるのではなく、入り口を入るとすぐに階段があります。階段を下りた奥に、店のカウンターがありました(写真下)。お客さんがパンを買っています。

 

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 オバサンが持っているラケットのようなパンがこの店の普通のパンのようです。日本の店と違い、パンがたくさん並んでいるわけではありません。どうやら、焼いた片端から売れてしまうらしい。

 

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 店のカウンターの左側には祭壇があり、イエスの絵が飾られ、ローソクも灯され、これが店の演出でないだけに、雰囲気が良い(写真下)。これまで見た教会はマリア信仰なのに、ここは中心がマリアではなく、イエスなのがおもしろい。ここはパン屋ですから、パンを増やしてみせたイエスのほうが勝ちです。

 

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 写真下は店の奥です。パンを焼く窯が奥にいくつかあるらしく、パンのようにたくましいオバサンが生地をこねたり忙しく立ち働いています(写真下右)。何百年も前からこんなふうにパンを焼いていたとすれば、なかなかすごい。

 

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シオニ大聖堂

 次の案内されたのはシオニ教会(Sioni Cathedral)です。最初は6世紀に建てられ、今の建物は13世紀に建てられたジョージア正教会の総本山です。

私は悪いなあとは思うが、ダリさんの説明を聞いていません。教会よりもさきほどのパン屋のほうがはるかにおもしろい。

 

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 ただ、熱心に説明するダリさんを無視するのも申し訳ないと思い、光田さんの通訳の説明を聞くと、この教会を作った人はエルサレムまで巡礼に出かけ、エルサレムの直前まで来てから、自分はこの街に入るのにふさわしくないと気がつき、そこで引き返したそうです・・・やはり聞かなければよかった。

 どうしてキリスト教ってこうも自虐的なのでしょう。キリスト教ではこれを強い神への信仰心や謙虚さとみなすのだろうが、私から見ると、自虐趣味と自惚れと自己満足の世界です。自己省察的な謙虚さに見せかけているだけで、「神様、皆さん、私は神に対してこんなに謙虚な人間なのですよ」と、周囲の人たちの目を意識した一種のパフォーマンスです、などとは、信心深いダリさんには言えません。

 建物は建物にすぎず、おもしろいのはそこにいる人間です(写真下)

 

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白い服のオバサンは神父さんに何か悩み事を相談しているのでしょうか。目を拭っています。神様は忙しいから助けてくれないよ。

 

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 かなり暑いのに、木陰になっている通りで子供たちがバトミントンをして遊んでいます。

 

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 暑くて、猫は石の上が気持ちよさそう。

 

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カーペットの店

 シオニ教会のすぐ北側で道に絨毯を敷いて売っています。ここはアンティークの絨毯を売る店がある所です(Central Gallery of Antique Carpets)。ただし、そんなに店の数は多くない。地面に敷いて汚れてしまったら、売り物にならない、などというの日本人の感覚で、絹など装飾用でない絨毯はわざと人に踏んづけてもらうのだそうです。アンティークというくらいだから、値段も高いのでしょう。

 

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日本のように湿度が高いとダニの温床になりそうで、見るだけにしておきましょう。最近は、殺虫剤でも死なないスーパー・ダニというのがいるそうですから。

 

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 写真下はさきほどの硫黄温泉浴場の近くで見た絨毯です。古い絨毯を干してあるのかと思いましたが、どうやら、これもアンティークの売り物だったようです。

 

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 教会よりも街角のほうがきれいです。カフェが並び、葡萄棚の下でお茶が飲めるようになっています。日本でもこんなのがあったらいいですけどねえ。

 

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こういう所で一休みして、午後のお茶を飲んだら素敵なのにと妄想しながら写真を撮りまくっている私を残して、皆さん急ぎ足で通過してしまいました。

 

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劇場の時計

 ダリさんが急がせていたのには理由があって、写真下の時計台から一時間ごとに人形が出てきて時刻を知らせるのです。ちょうど四時に間に合うように来たかったのです。

 

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 それにしても、この時計台はなんか奇妙です。歪んで見えませんか。実はそのとおりで、歪んでいる。なんか変だけど面白い。時計台だけでなく、付属している建物も奇妙に歪んでいます。遊園地なのかと思ったら、劇場だそうです。

 

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このおとぎの国の奇妙な建物の中をのぞいてみたいが、ここが目的ではなく、その少し手前にあった教会です。教会はもういいから、こっちの建物のほうが面白いよ・・・あら、皆さん、行ってしまった。

 

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アンチスハティ聖堂 

時計台の手前にあったのがアンチスハティ聖堂と鐘塔(Anchiskhati Basilica and Belltower)です。6世紀に創建というのだから、由緒ある教会です。ソ連時代は宗教行事が禁止され、1989年のソ連崩壊の後に教会として使われるようになったそうです。

 

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 中に入ると、ここも女性が多い。歴史が長いわりには、イコンなどの飾りを除けば、壁面にはほとんど絵がありません。かろうじて天井の一部にフレスコ画が残っています。7月11に行ったクタイシのゲラティ修道院は壁のフレスコ画が残っていたのとは対照的です。ある意味でソ連時代の爪痕です。

 

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 宗教弾圧は論外としても、日本のように宗教団体に税制面でまで優遇するのはいくらなんでもおかしくないでしょうか。税金が不足しているから、国債という名の借金を重ね、消費税を上げると言いながら、なぜか宗教団体への税制の見直しは話題にもならない。議員は票田が欲しいから、宗教団体は税金を払いたくないからという利害が一致しているのはあまりに露骨です。

教会の中は涼しいが息が詰まりそうだし、外に出ると開放的だが暑い。

この暑いのに、街の真ん中で踊り狂っている人たちがいます(写真下)。この銅像は原色で派手に彩色したらもっとおもしろい。

 

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 お嬢ちゃん、決まってる!(写真下左)

 

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 写真下の鳥は昔インド洋の島にいて絶滅したドードーではありませんか・・・口の格好がちょっと違うが、気にしないことにしよう。お久しぶりというか、会ったことがないけど、絶滅したのかと思ったら、ジョージアまで出稼ぎに来ていたのだ!

 

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(ウィキペディアより転載)

 

 

ベランダのある建物

 このあたりの街は工事中の所が大変多い。でも、新しい建物でも街全体の雰囲気と良く調和しています。

 

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 街全体に合わせた建物を建てるという点で日本はイマイチです。周囲とは関係なしに、自分の好きなように建ててしまい、街全体としては何の統一感もない。日本は家が小さいというだけではなく、統一感がなく、しかも電柱や電線を無造作に張り巡らすから、新しい団地でもゴチャゴチャした小汚い街ができてしまう。

 

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 日本人は物まねが上手だというが、街作りについてはどうしてあんなにダメなのでしょう。ご覧のように、ここは塀一つもレンガを積み、鉄柵の部分もおしゃれな模様が入っています。窓も日本みたいにガラス板一枚ではなく、上部分は丸窓にして、下部分もわざわざ四角に区切ってあるのがたくさんあります。

 

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 街のあちらこちらにバルコニーのついた建物があります。こういう装飾のついたバルコニーを見ると、日本にはない文化であるだけに、私はとてもうらやましく思います。バルコニーは機能一点張りではなく、柱や柵や手すり一つ一つにも装飾がほどこされている。

 

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 私が前に住んでいた近くでも、イタリアをテーマにした宅地が分譲されました。私はようやく日本もこういう文化が入るようになったと大いに喜びました。チラシには、テラスやバルコニーのある住宅とあります。私は買うつもりもないのに、カメラまで持参して、いそいそと出かけました。

 

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 分譲地に着いて、私の脳内にあったテラスもバルコニーも音を立てて崩れました()。ジュリエットがいるはずのバルコニーには、布団を干すオバサンのほうが似合いそうです。回廊は、私はここの写真にあるような回廊を期待していたのです。たしかに円柱の白い柱の立つ回廊らしいのが家の一部にある。しかし、あれは回廊ではなく隙間であり、短すぎて犬も走れない。

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スーパーで買い物

 本日、二軒目のスーパーで最後の買い物です(写真下)。残念ながら、店内は撮影禁止で、外から撮りました。直径三十センチほどのタイヤのようなチーズが1500円ほどで売られているのを見て仰天しました。

 

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 首都の街中でも道端で野菜などを小売りする人たちが目立ちます。

 

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 市内観光も終わり、ネコも去っていきますので、バスに乗って、空港に向かいます。

 

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さようなら、ジョージア

空港に到着し(5:30)、十日間お世話になったガイドのダリさんともお別れです。まだ二十代なのに、よく気がつき協力的で、とても良いガイドでした。

 

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 入国は簡単だったのに、出国の検査がかなり厳しい。私はX線装置を通過した後、係官から身体検査を受け、さらに荷物を再検査されました。係官は「ライト?」と言います。リュックに入れてある懐中電灯のことです。乾電池を問題にしているのだろうが、懐中電灯の没収など初めてです。探すのに苦労した小型の懐中電灯なので、係官に勝手に探させました。彼女は見つけられませんでした。

 カタール航空のQR977便はほぼ予定通りに離陸(20:10)、いよいよジョージアともさようならです。

 

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飛行機は来た時と同じカタール航空のエアバスA320で、片側三人ずつの六人席です。隣のアゼルバイジャンの首都バクー(Baku)に向かいます。

 

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 夕暮れのジョージアの台地がだんだん遠ざかっていきます。ハイキングではいつも良い天気で大歓迎してくれたので私の印象はとても良い。当分来ることはないだろうけど。

 

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 来る時と同じように、軽食が出ました(写真下)。小麦粉を薄く焼いた生地の中に、野菜と肉を詰め込んだ、一種のサンドイッチです。サンドイッチよりもボリュームがあります。

ところが、配食が終わると、あわてて回収が始まりました。飛行時間が一時間しかありませんから、配食が遅れるとこんなふうになります。あわてて回収にまわる客室乗務員を無視して、私はゆっくりといただきました。

 

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 中継のバクーに着陸し(20:54)、ここで新しい客を乗せるのに約1時間ほど停まります。もちろん、我々は機内で待機です。

 

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22:09に離陸。乗客の数はそれほど変わりません。

 

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 カスピ海に面したバクーの夜景がとてもきれいです。

 

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離陸して一時間ほどで食事がでました(23:01)。私の食生活からいうとこんな時間に食べ物は取らないのですが、先ほどのサンドイッチでは足りなかったので、半分ほど食べました。

 

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 来る時と違い、イラン上空の風景はほとんど見えません。かろうじて都市部の灯りが見えます。

 

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