トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 8日目 2011年3月10日(木) エルサレム → ベツレへム → テルアビブ → ヤッフォ → (仁川) 今日は午前中エルサレム南部のベツレヘムに行き、イエスの生まれた聖誕教会やヘロディウムを観光し、エルサレムに戻って、イエスが処刑されたゴルゴダの丘と墓を見学し、その後、テルアビブ南部のヤッフォを観光して、帰国します。 朝起きて窓を外を見ると、またしても曇り空で、しかもかなり寒い。もっとも、今日は遺跡の観光のみで、花を見る予定はありませんから、私にとっては雨が降らなければ合格です。 このホテルでの2度目の朝食です(写真下左)。昨日の朝は混んでいたので、混雑を避けるためにも少し時間を早めました。果物の中に柿があります(写真下右)。小ぶりですが、なかなかうまい。この時期に新鮮な柿があるというのは何度見てもおもしろい。日本の農家も参考にしてはどうでしょうか。 ベツレヘムの壁 ホテルを出発(8:47)して、エルサレムの南約10kmにあるベツレヘムに向かいます。ベツレヘムはアラブ人が多く住む町です。そのために、ユダヤ人とアラブ人との対立を減らすことを目的に作られたのが、両者を隔てる壁です(写真下)。イスラエルのあちらこちらに作られたらしいが、目の前に見るのは初めてです。 この壁のおかげでテロが減ったという効果はありました。写真での印象よりも、バスから見るとかなり高く感じられます。まるで刑務所の塀や、昔のベルリンの壁を連想してしまい、殺伐とした気分にさせられます。「では、テロを防ぐ代案を出してみろ」といわれると何もありませんが、そもそもなぜテロが起きるのか、そこから考える必要もあるでしょう。 最近の中東やアフリカでの政変、いわゆるジャスミン革命に呼応して、パレスチナはイスラエルとの話し合いによる国家独立ではなく、イスラエルの同意なしに独立しようとしているようです。新たに血が流れなければいいのですが・・。 写真下は検問所です。我々は入る時、合流地点、出る時の3カ所で検問所を通りました。前の車は車内の荷物を検査されています。我々もこれをさせられるのかと覚悟を決めましたが、幸い、そのまま通過です。運転手のサルマーンさんがアラブ人だからなのか、おとなしそうな日本人観光客だからなのか、それとも武田さんがにこやかに彼らに挨拶をしたからなのか、理由はよくわかりませんが、いずれも調べられませんでした。 アラブ人が多く住む町らしく、ドアが緑がかった水色で染められています。 街歩く女性たちも、スカーフをかぶり、黒っぽい服装です。 聖誕教会 ベツレヘムの最初の観光は聖誕教会です(写真下)。外に出ると雨がぱらついているし、何よりも、春とは思えないくらい寒い。旅行前半の暑さが嘘のようです。 聖誕教会はその名前どおりイエスが生まれた場所とされている所に建てられた教会です。しかし、キリストが殺された場所ですら、エルサレムに2カ所あるのですから、ここも考古学的に確定した場所というわけではないのでしょう。 駐車場からの入り口がおもしろい(写真上右)。裏口なのか、頭を下げないと入れないくらい狭いのです。教会というよりも、城塞のような感じです。 中に入ると、入り口とは正反対の広い空間が広がり、外が曇っていることもあり、中はかなり薄暗い。暗いだけなく、建物が古いせいか、すすけた感じです。 普通の教会と違うのは天井からぶら下げられたたくさんの金属製のランプです。クリスマスの飾りを連想しました。 聖職者たちの服装も変わっていると思ったら、祭壇右側を管理しているのはギリシャ正教なのだそうです。 祭壇にむかって右側から入るらしく、すでに長蛇の列です(写真下左)。三十分ほどかかりました。これでも短いほうで、武田さんによれば2時間くらい待たされることもあるそうです。私が個人で見に来たのなら、さっさとあきらめて、帰ったでしょう(笑)。 入り口は地下に降りていく狭い階段です(写真下左)。そこを入ると、ちょっとした空間があり(写真下右)、このどこかにイエスが生まれたというのがあるらしいが、たくさん人がいて、どれがそれなのかよくわかりません。それにしても、地下も入り口が狭いから、万一、火事にでもなったら大惨事になりそうです。 生まれた場所を見るには、写真下左の暖炉のような穴にひざまづいて身体を突っ込みます。すると、そこに石の真ん中に銀でできた星がかたどられています(写真下右)。どうしてこんな見づらい構造になっているのかよくわかりません。ここがイエスが生まれた馬小屋であり、飼い葉桶が置いてあった場所ということのようです。ここでも上からランプがたくさんぶら下げられています。こんなに燃やして、ここの空気は大丈夫なのだろうか、などと私は余計ことばかり気になります(笑)。 馬小屋がこんな地階にあったというのは、元々そうなのか、それとも上に教会を建ててしまったからなのかよくわかりません。 神父さんが何かカードを配っています(写真上左、写真下)。本間さんが「ここに来たことの証明書らしい」というので、私はあわてて引き返して、受け取りました(笑)。 とにかく狭いので、日本なら「立ち止まらないでください」と警備員がうるさく呼びかけるでしょうけど、ここは違います、ある人たちは何か祈りを捧げているので、その分、渋滞して中はごった返しています(写真下)。 聖カテリーナ教会 聖誕教会に隣接する聖カテリーナ教会に行きました。ここには聖書をラテン語に翻訳したヒエロニムスが籠もった洞窟があります。 洞窟も教会の地下にあります(写真下)。中で何か説法を聞いている人たちがいます(写真下左)。どうもキリスト教徒は地下が好きなようです。 ヒエロニムスは翻訳に協力してくれた女性が亡くなっても、その骨をそばに置いて翻訳を続けたそうです。そんなご立派な人よりも、私は写真下のような美しい回廊のほうに興味が引かれます。 ローマングラス 建物の中も寒いので、見学を終えてバスに戻るとホッとします。外は相変わらず小雨が降り、肌寒い(写真下)。 アラブ人の経営するお土産物屋に立ち寄りました(10:30-11:12)。 私の目を引いたのがローマングラスです。ローマ時代の遺跡などから発掘されるガラスで、長い間、地中に埋もれていたガラスの表面が「銀化」と呼ばれる化学変化がおこり、その名前どおり、銀色のような光沢を帯び、オパールのような不思議な模様が浮き出てきます。真珠を作るアコヤガイの内側の虹色を連想させます。銀化がおきるには適度な湿度と乾燥が必要で、イスラエルやレバノンあたりの気候がちょうどよかったようで、イスラエルは一大産地です。 遺跡から出てきたローマングラスの破片をペンダントや指輪にして売っています。ここでの値段は$400-700で、後でネットで値段を見ると、それなりの価格です。 私はきれいなので見ていたいだけなのだが、ローマングラスを見ている客は私一人なので、店員のオバサンがあれこれと一生懸命に勧めてくれます(写真下)。マサダの売店でも、数が少ないが、ローマングラスがありました。あの時も、たくさんの客がいたのにローマングラスに見入っているのは私一人でした。意外に女性には人気がありません。 ヘロデオン 店を出て、ベツレヘムから南東に5kmほどの所にあるヘロデオン(ヘロディウム)という遺跡を訪ねました(11:28〜)。 相変わらず曇っており、風が冷たく、数日前のあの暑さはどこに行ってしまったのか。ヘロデオンの観光客は我々だけです。あのいっぱい人を殺したヘロデ大王が築いた城で、2007年にはここから彼の墓が発見されています。聖書には、救世主の出現を恐れたヘロデ大王が、二歳以下の子供を全部殺そうとしたため、マリアとヨセフはイエスを連れてエジプトに逃れたとあります。歴史的な裏付けは取れていませんが、ヘロデ大王ならやりそうです。 写真下左の火山みたいな形の丘が遠くから見たヘロデオンです。 丘の上に登ると、火山の火口に相当する部分が発掘され、遺跡が見えます。 遺跡は高台にあるので、丘の上からの眺めはなかなかものです(写真下)。 遺跡の中、この寒空の下でも花が咲いています。 Hyoscyamus aureus(Wildflowers of Israel) 写真上 Allium neapolitanum
(『イスラエル花図鑑』p.131) 写真上 Alkanna strigosa(Wildflowers of Israel) 写真上 Helianthemum vesicarium (Wildflowers
of Israel) 写真上 Astragalus peregrinus (Wildflowers of Israel) 写真上 Reseda alopecuros (Wildflowers of Israel) キブツで昼食 雨が降ったりやんだりを繰り返し、街は煙っています。 エルサレム市内に戻り、キブツ(集団農場)の経営するラマット・ラヘル(Ramat Rachel)で昼食です(〜13:36)。ここも広々とした庭を持ったホテルです。(http://www.ramatrachel.co.il/) ここのレストランもバイキング形式ですが、混んでいるので、店員が運んでくれることになりました。ニンジンが多く、ウサギになって食べました(笑)。 チョコレートのデザートがついているのは結構なのだが(写真下左)、ここも紅茶やコーヒーは別料金です。コーヒーは3ドルでした。 廊下の壁に奇妙な金属の板が張り付けてあります(写真下左)。実は、今日泊まったホテルのドアの脇に似たような板が貼り付けてあました(写真下右)。ちょうど、弁当の箸入れくらいの大きさです。いずれもわざわざ斜めに貼り付けてあります。武田さんに聞いたら、ユダヤ教のお守りのようです。 ホテル内の売店では死海の泥を使った化粧品を売っています(写真下)。本間さんが値段を聞いてみると、意外に安いようです。死海のそばのマサダの売店が安いとのことでしたが、案外そうでもないのかもしれません。 街は相変わらずの肌寒い小雨です。 写真下は市内を走るミニバスです。我々が乗っているバスと同じです。 園の墓(The Garden Tomb) プロテスタントがキリストの墓とゴルゴダの丘と信じている園の墓を訪問しました。一方、有名な聖墳墓教会はカトリックが主張するゴルゴダの丘です。 入り口の道でおもしろい商売をしています。車の上に木彫りを並べて売っているのです(写真下左)。全品$1です。オジサンが「1ドル!1ドル!」と観光客に向かって連呼します。オジサンの売り込みの激しさといい、1ドルという価格設定もなかなか良い。目の前で早速売れました(写真下右)。 写真下は入り口の建物です。墓よりもこういうほうが私には興味があります。写真下左の受付の窓が円いのを見てください。どうして日本はどこに行ってもアルミサッシの四角い窓なんでしょうか。こちらは窓一つでもきれいだと思いませんか。また、写真下右のこの公園のプレートも、日本なら板の看板でしょうが、ここではおしゃれな花模様のタイルに書かれています。 処刑されたキリストが安置されたという墓です。写真下左のように壁に人が入れる程度の穴があり、中が空間になっています。ここに遺体を安置した場所のようです(写真下右)。 墓から少し行ったところに崖があり、ここがイエスが死刑になったゴルゴダの丘だという(写真下左)。キリスト教徒らしい人たちが神妙な面持ちで説明を聞いています(写真下右)。もっともこの丘が注目されたのは1860年代からで、最近ではここの遺跡は紀元前7世紀頃のものだという説が有力だそうです。 プロテスタントとカトリックで別々に主張していますから、どちらも考古学的な裏付けのある話ではないようです。説が分かれているということは、イエスが殺されて長い間、エルサレムではキリスト教が途絶えていたことを意味しているのでしょう。 エルサレム巡礼の証書をもらいました(写真下)。私は昨日参加していないので、巡礼したとは言い難いが、記念にいただくことにしましょう。 テルアビブは芸術の街 バスはエルサレムを通過して、テルアビブ方面に向かって走ります(写真下左)。すると、少しずつ晴れて、テルアビブに着く頃には青空が広がってきました(写真下右)。 写真下を見てください。塀の上に座っている男女も、階段を駆け上がろうとしている子供たちも絵です。 テルアビブは舞踏団があるなど、芸術活動の盛んな地域です。ユダヤ人が音楽など芸術分野で優れた人たちが多いことは良く知られています。流浪の民であった彼らにしてみれば、腕一本で生活できることは重要だったのでしょう。芸術、経済、科学など多大な業績をあげながら、それがまたそれぞれの国での摩擦を生み出し、迫害を受ける理由になっていました。 日本は数少ないユダヤ人迫害をしなかった国です。第二次世界大戦でナチスと組んだから、ユダヤ人を迫害したかのような言い方をする人もいるが、これは誤解というよりも、間違いです。大戦中、リトアニアの大使館に勤務して、6千人とも言われるユダヤ人にビザを発給して助けた杉原千畝はじめ、旧満州や日本まで流れ着いた着の身着のままのユダヤ人を助けています。当時のナチスの大使館員が、ユダヤ人を船ごと撃沈するように日本側に要求したのに、日本側は完全に無視しています。 街もファッションの店が目立ちます(写真上)。こんなふうにイスラエル人は美的な感覚を重視しているように見えますが、街行く若い女性たちのファッションはどちらかというと地味です。 テレビを見ていたら、イスラエルに住むアラブ系の女性がミス・コンテストに出て、水着審査を受けようとして、殺されそうになったという話がありました。犯人をつかまえてみると、なんと彼女の叔父だったというのです。一族の恥として殺そうとしたのです・・・絶句。アラブ系とユダヤ系でも考えは違うのでしょうけど、まだまだ保守的な考えがあるようです。 アフガニスタンでは、女性がテレビで踊ったことを厳しく批判されたという話があります。こういう時に必ず出てくるのが聖職者で、彼らは神の名のもとに、うやうやしく訓示を垂れます。神が水着にまで口出しするはずはなく、それを神の名を使って自分の価値観を他人に押しつける彼らを見ると、本当に神を信じているのか疑いたくなります。どうしてあんなに他人のすることを仕切るのが好きなんでしょう。 日本でも、伝統と称する昔の人が決めたにすぎない価値観や習慣を他人にまで押し付けようとする人たちがいると、私は脱兎のごとく逃げ出したくなります。 ディゼンコフ広場 テルアビブ市内で2003年世界遺産に登録された「白い街」を見学しました。1920〜1950年代にかけて白い建造物群が建てられ、今でも四千軒も残っているそうです。当時としては画期的なのでしょうが、我々の目にはそれほど珍しい建物ではありません。気が付くのは、建物の角が丸いことくらいでしょうか。日本人の旅行客は、どうしてこれが世界遺産なのかと皆さん首を傾げます。 ショッピングセンターのような所に入ってみました(写真下左)。同行の人から、写真下の建物内部のデザインは、ある有名建築家が作った東京にある建物とそっくりだというのです。こちらのほうが古いですから、もし真似をしたとすれば日本の有名建築家が真似したことになります。 南米のフォルクローレの大道芸です(写真下右)。ギターを弾きながらケーナを演奏していて、なかなかうまい。だが、誰も足を止めないし、お金も出しません。私は、買い物の釣り銭でもらったイスラエルの貨幣が残っていたので、洗いざらい彼に寄付しました。 オスマントルコ時代の古い街並 テルアビブの南にある、というよりも地続きのヤッフォという港町に行きました。テルアビブは百年ほどしかたっていない街ですが、ヤッフォは紀元前18世紀にさかのぼるというのだから、四千年近い歴史のある港町です。 坂を登っていくと、駐車場の所でちょうど花嫁さんの記念撮影が行われていました(写真下左)。写真下右は参列者ですが、女性も黒っぽい服装です。 ここで花嫁さんに出くわすのは珍しくないようです。ネット上の旅行記でもヤッフォで必ず出てくるのかこの花嫁さんたちです。どうやら、ここは記念撮影の定番になっているようです。 写真下の地図をごらんください。我々は今、左下あたりにいます。そこから、坂をそのまま登ると写真の中頃の白い部分のケドゥミーム広場に行きます。しかし、直接は行かず、その左側にオレンジ色で示された細長い古い街並みの中を歩いていきます。 オスマントルコ時代に作られたという古い石作りの街というだけあって、中世そのままの街です。両側に家が隙間なく建ち、細い石畳がうねうねと続ききます。 外灯や看板なども街並みに溶け込みおしゃれに作られています。 写真には人間が写っていませんが、もちろん観光客はひっきりなしに通過します。ただ、道が曲がっているので、少し待つと、人通りが途絶える一瞬があります。 写真下右のエアコンの室外機はちょっと目障りだから、空気の出入り口以外をレンガかなんかで取り込んだらいいでしょう。 ここではネコすらも石の街に溶け込んでいます。私はすっかりこの古い街が気に入りました。 途中から路地を右に曲がると(写真上右)、ケドゥミーム広場に出ます(写真下)。 広場の北側に聖ペテロ教会があります(写真下)。 広場の東側には公園(Abrasha
Park)があり、ナポレオンが出迎えてくれます(写真下左)。ここは「願い事の橋(Wishing Bridge)」があり、鉄製の小さな橋に彫り込んである星座に触りながら、海をほう見て、願い事を言うとかなうのだそうです。新婚さんが来る理由の一つでしょう。 公園から海岸通りに降りて、北側を見ると、テルアビブの街が見えます(写真下)。 このあたりの海岸のすぐそばにアンドロメダがくくりつけられたという岩場があります。アンドロメダとは、ギリシャ神話に出てくる女性で、母親が彼女の美貌を誇ったため神の怒りを買い、海の怪物の生け贄とされ、岩にくくりつけられたのです。そこに、ゼウスの子でもあるペルシウスという英雄が通りかかり、彼女を救います。 嫉妬深い神の前で娘の美貌を誇る母親も母親なら、嫉妬を丸出しにして、生きたまま怪物に食わせようという神様も神様です。 彼女はエチオピアの王女で、話はギリシャ神話なのに、両方から離れたこんな所が舞台になっているとは知りませんでした。 写真下の海辺の建物はレストランのようです。おしゃれで絵画的な美しさがあります。こんな所でお茶を飲んだら最高でしょう。風景もさることながら、色や光が日本とはまるで違います。 先ほどの古い街中を散歩した後、このレストランで海とアンドロメダの岩をながめながら、お茶を飲む。これは新婚さんや女性には絶対に受けます。ここで花嫁さんたちが写真を撮りたがる気持ちもよくわかります。本間さんと武田さんにこういう旅行を提案してみようと思いながら、風景に見入ってしまい、すっかり忘れていました。 新婚旅行にはヤッフォを! どうやら、海のほうから雨雲がテリアビブの街に向かって進んでいるようで、海上が霞み、海が荒れています。アンドロメダを襲う怪物の来襲です。 怪物に襲われたテリアビブの街が雨で煙っています(写真下)。 やがてそれも過ぎ去り、海の上のほうから青空が見えてきました。こんなふうに刻一刻と風景が変わっていき、見飽きません。 イスラエル最後の晩餐 アラブ系の「ラジェル」という店で夕食です(写真下, 17:29〜18:30)。ここはなぜか、時々ブレーカーが落ちて停電します。 土で出来たカマドでナンを焼いています(写真下左)。小麦粉をこねたのをカマドの内側に、直接貼り付けて焼きます。うまそう。 アラビアコーヒーがあるというので注文しました。初めて飲みました(写真下右)。 レストランの外に出ると、六時半ですから、あたりは暗くなっています(写真下左)。ちょうどゴミの回収車が来ていました(写真下右)。日本も夕方や夜にゴミを回収すれば、カラスの被害に遭わなくて済むでしょう。その効果は確認されているのに、未だに一部の自治体で行われるだけのようです。 ベングリオン空港に到着(19:08)。ここで八日間運転手を勤めてくれたサルマーンさんとはお別れです。彼の物静かで紳士的な態度を見て、私のアラブ人へのイメージはずいぶん変わってしまいました。 おれだけ検査なし!? テルアビブの空港と言えば、日本人には思い出したくない事件があります。1972年の赤軍派による乱射事件です。26人が殺害され、そのうちの8割はプエルトリコからの巡礼に来た人たちでした。 武田さんはこの時イスラエルに留学していて、事件を知って病院に見舞いに行ったそうです。私は、武田さんの勇気に驚きました。私が彼の立場だったなら、行かなかったでしょう。日本人とわかれば、罵声を浴びせられるか、下手すれば殴られるかもしれないからです。実際、プエルトリコでは日本人の排斥運動が起きています。 頭を下げる武田さんに怪我人や遺族たちは、「日本人のすべてが赤軍派だとは思っていない」という趣旨のことを言ったそうです。個人で見舞いに来た日本人の若者を見て、彼らも印象が変わったはすです。 この事件から世界中の空港で荷物検査が厳重になったと言われています。 特にイスラエルは出国での手荷物検査が極めて厳重なことで有名です。普通は出発の2時間前に空港に行くところを、ここは3時間前と言われています。旅行記などを読むと、スーツケースの中身を開けられるなど当たり前で、検査官が旅行中どこに行ったかを聞いた後、別な検査官が同じ質問をして、前後に矛盾がないかを確認するというのです。 空港内で並ばされ、まずは預けるスーツケースのX線検査です。武田さんが空いている所や、係官などに交渉して、できるだけ時間が取られないように努力しています。また、どのように受け答えするか、事前に注意がありました。 ちょっと緊張しながら、いよいよ私の番です。私は荷物検査になったら、花の写真を示して「どうだい、きれいだろう」と自慢してやろうと待ち構えていました。ところが、前の人までは全員が荷物検査台のほうに行くように指示されたのに、私は荷物を預かる受付のほうに行くようにというのです・・・えっ?おれの荷物は検査しないのか?おいおい、すっかりその気になっているのに、そりゃないだろう。 我々のグループでは私を含めて二人だけがチェックなしでした。様子を見ていると、一割くらいはそのまま通し、残りを開けさせるようです。荷物検査台の検査官は若い人が多いのは、新人のほうが規則どおりに徹底して検査するからでしょう。 私は想定問答など、いろいろとシナリオを考えていただけに、ちょっと拍子抜けしましたが、落胆することはありません。これで終わったわけではなく、次のチャンスがあります。機内持ち込みの手荷物のチェックです。 私はパソコンやカメラなど普通の人よりも機材が多く、ジャケットの中にもX線検査にひっかかりそうな物をゴチャゴチャと入れています。この怪しげな雰囲気に、当然、別室に呼ばれるだろうから、花の写真を自慢して、下手な英語で係官をあきれさせ、長時間尋問を受けた後、「いやあ、どーもどーも、お待たせしました」と、にこやかに他の皆さんに挨拶する計画を立てていたのです。 ところが、またしても私は「おまえはもういい」と無罪放免です。それでいてどう見ても怪しくない他の何人かと、さらに本間さんは添乗員ということで徹底的に調べられたようでした。 飛行機は来た時と同じ大韓航空KE957便でエアバスA330-200です(写真上)。 機内はかなり混んでいます。これから韓国の仁川空港まで約十時間半の旅です。本間さんががんばって通路側の席を確保してくれたので、一安心です。しかも、幸い私の隣には客が来ませんでした。 離陸し、眼下にテルアビブの街の灯りが見えます(22:37)。朝食のうまかったイスラエルともお別れです(笑)。 離陸して一時間ほどして夜食が出ました(写真下左、23:34)。お腹がすいていないし、イスラエルのうまい料理になれてしまったので、この機内食がまずいわけではないのだが、おいしくはありません。 軽い気持ちで映画『ブラック・スワン』を観たら、すっかりはまってしまい、見終えた時にはドッと疲れが出てきたので、眠ることにしました。ちなみに、この映画の主演のナタリー・ポートマンはイスラエル出身です。二座席占領していても寝にくい。何度も寝返りをうち、でも、旅の疲れからか、眠ってしまったようです。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 |