花のサハリン紀行 2日目 2017年7月15日(土) トゥナイチャ湖とレスノエ 六時半のモーニングコールの少し前に起きました。旅行中にしては遅くまで寝ていたのには理由があり、一つは時差ボケでここの6:30は日本の4:30ですから、普段なら私はまだ寝ている。もう一つは、昨夜の騒音で最後に時計を見たのが夜中の一時半頃で、その後も五時すぎに騒音で目が覚め、五時半頃に騒音が鳴りやんだので、寝入ってしまったのです。 窓を開けると薄曇りで、天気予報では今日までが晴れて暑いはずです。 本日はサハリンの南東にあるトゥナイチャ湖を訪れて花を散策し、その後、ゴマフアザラシを見る予定です。 七時からホテルの二階にあるレストランで朝食です(写真下)。 予定どおりに九時にホテルを出発。昨日と同じ大型バスなので、一人二座席で楽です(写真下)。 写真下は現地ガイドのワシリーさんです。大学を二つ出て、独学で日本語を学ぶ傍ら、子供を育て、今は出勤前にジョギングをしているという。花の名前が日本語で次々と出てくるだけでなく、知識は多岐にわたり、しばしば専門用語が出てくるほどです。ただ、バスの中で歌いだしたのにはまいりました(笑)。 ユジノサハリンスク市内は、通勤通学のラッシュ時間はすぎているのか、人々が行きかう普通の街並みです(写真下)。 街中には花壇やプンンターに植えられた草花がそこここにあります(写真下)。 少し郊外に出ると、近代的な大型の複合商業施設や(写真下左)、いかにもロシアらしい木造の教会もあります(写真下右)。 やがて、両側には森林が広がり、オオハナウドの白い花が目につくようになりました(写真下)。 ワシリーさんによれば、原生林の大半がエゾマツ(蝦夷松)とトドマツ(椴松)でできているそうです。どれがそれなのかはよくわからない(笑)。時々シラカバなどがあるのは植林されたものなのでしょう(写真下右)。 トゥナイチャ湖 トゥナイチャ湖が見える所でバスを停めました(写真下)。曇り空なので、風景は冴えない。昔は海だったが、内陸に取り残された湖です。下の地図を見てもかなり大きく、サハリン南部では二番目に大きな湖です。魚が豊富で、阿寒湖と同じマリモもあるというから水はきれいらしい。ただ、湖畔を見るかぎり、きれいというほどではありません。 バスから降りて、ワシリーさんがこの湖について詳しい説明をしています(写真下)。彼には申し訳ないが、私は花の写真を撮りたいので、すぐに岸辺に降りて行きました。 周囲は背の高いウドの仲間が目立ちます。ここに限らず、この花は道端にもたくさん生えて、花を咲かせています。 写真上 オオハナウド(大花独活) 写真下はオオハナウドとちょっと似ていますが、大きさも花の雰囲気も違いますから、別種でしょう。 写真上 オオカサモチ(大傘持) ハナウドと同様に、道端で良くみかけるのが写真下のハマナスです。日本でも海岸で見かけます。野生のバラとしてはとてもきれいです。 写真上 ハマナス(浜茄子) 写真下のバラは一見ハマナスに似ていますが、カラフトイバラという別種です。花がやや小ぶりで、ピンク色が薄いので区別がつきます。日本では北海道の他に、長野や群馬の山岳地帯に生えています。 写真上 カラフトノイバラ(樺太野茨) 葉の大きさで目を引いたのが、写真下のフキです。写真下左の私の足先と比較して見ればわかるように、直径が50~60cmもありそうです。本州北部からサハリンまで分布しているアキタブキ、エゾブキです。写真下の下段は道の脇のフキの群生で、こんな風景が普通に見られます。 写真上 アキタブキ(秋田蕗) 日本でも良くみかけるような花が道端に咲いています。 写真上 エゾキンポウゲ(蝦夷金鳳花) オホーツコエの花 バスがオホーツコエ(Okhotskoe、Охотское)に到着して、目の前にオホーツク海が見えてきました。ネット上の旅行記を読むと、海岸やトゥナイチャ湖には夏の間、観光客が来ていて、レジャー設備もそろっているようです。 実際、海で泳いでいる人がいます(写真下右)。たしかにこの日は気温も高く、暑かったが、水はかなり冷たい。しばしば白人系の人たちを冷たい水でも泳いでいるのを見ると、彼らは人種的に寒さに強いのではないかと思ってしまいます。 海岸近くの草地で花の写真を撮ります。爆音をあげるトラックのそばにハマナスが花壇を作っている。 ハマナスというと『知床旅情』の♪ハマナスの咲くころ♪という歌詞を思いだします。私は前から気になるのが、『知床旅情』の作曲が森繁久彌氏であるとウィキペディアにも書いてあることです。あの曲はどう聞いてもモーツアルトの『春への憧れ』そのまんまです。森繁久彌作曲ではなく、森繁久彌編曲とするべきでしょう。 写真上下 ハマナス(浜茄子) 同じ事が『早春賦』(吉丸一昌作詞、中田章作曲、1913年)にも言えます。これもモーツアルトの『春への憧れ』です。ところが中田章作曲となっている。『知床旅情』は『早春賦』とそっくりだという批判があったそうですが、そうではなく、二つとも『春への憧れ』とそっくりなのです。 きつい言葉を使うなら、『知床旅情』と『早春賦』は二つとも盗作です。著作権を重視する日本で堂々と盗作がまかり通っているのが、音楽の素人の私には理解できない。音楽関係者がたくさんいて、これほど明瞭に同じ曲だとわかるのに、修正しないのはいくらなんでもおかしい。モーツアルトの著作権は切れているから、何をしてもいいんですかねえ? ここは海とトゥナイチャ湖との間にある草地で、おそらく前は砂丘のような所だったのでしょう。 写真下のヒオウギアヤメは日本では北海道はもちろん、本州でも高山の湿地帯に生えています。北太平洋を囲むようにカナダ、アラスカなど北米からシベリア、中国、朝鮮半島などに広く分布しています。 写真上 ヒオウギアヤメ(檜扇菖蒲) チシマフウロは東北や北海道の他に、中国や北米大陸の一部にも分布しています。日本の高山でみかけるハクサンフウロが薄い赤系なのに比べてこちらは薄い紫系です。 写真上 チシマフウロ(千島風露) エゾカンゾウは一般の私たちにはニッコウキスゲという名前で知られています(写真下)。私はてっきり北方に咲くニッコウキスゲの別種がエゾカンゾウかと思ったら、ウィキペディアによれば単なる別名らしい。つまり写真下はニッコウキスゲです。エゾとかチシマなどと付けると、いかにも北方の植物みたいに聞こえる(笑)。 現地ガイドのワシリーさんはこの花の名前をゼンテイカと呼びました。実はこれがニッコウキスゲの正式名称です。私を含めた日本人の多くがニッコウキスゲは知っていても、それがゼンテイカと呼ばれるなんて知りません。これを聞いて、ワシリーさんて勉強家だと感心しました。 写真上 エゾカンゾウ(蝦夷甘草) センダイハギは一部にはすでに実がついています(写真下)。日本はもちろんのこと、中国、朝鮮半島、北米などの海岸や岸辺に生えています。 写真上 センダイハギ(千代萩) 写真下も日本では良く見かけるハマエンドウです。学名のLathyrus
japonicusにjaponicussとあるから日本の固有種みたいですが、アジア、欧州、南北アメリカなど世界中の広い地域で見られる植物です。 写真上 ハマエンドウ(浜豌豆) 写真下はいずれも日本では高山や亜高山で見られる植物です。やはりここの環境が日本の高山のように厳しいからでしょう。コケモモはユーラシア北部から北米まで、広い範囲に分布しています。 写真上左 コケモモ(苔桃) 写真上 マルバノシモツケ(丸葉下野) 白いランが咲いています(写真下)。サハリンだけでなく、日本では九州まで広く林の中で見られるランです。 写真上 オオヤマザキソウ サハリンは北海道のすぐ北にあるのだから、植生が似ているのは当然で、今日見た植物の大半が日本でも良くみかける物ばかりです。 カニを売っている オホーツコエの橋の近くでカニやエビを売っています。 卵を抱えていて、うまそう。タラバガニが2500ルーブル(5000~6000円)、イバラガニが800ルーブル(1600~1920円)です。 買って持って帰るわけにはいかないので、私は河口に生えているオオハナウドの写真を撮っていました。 写真上 オオハナウド(大花独活) 岸辺のエゾスカシユリ トゥナイチャ湖の北側にあるIzmenchivoye湖の岸辺でエゾスカシユリの写真撮影です。先ほどの所にも少しあったが、ここは群落しています。 写真上下 エゾスカシユリ(蝦夷透百合) エゾスカシユリは北海道の花かと思ったら、青森県の北部にもあるそうです。サハリン、千島列島、カムチャツカはもちろん、中国北東部の内モンゴル、シベリア南部、モンゴル、朝鮮半島北部まで広く分布しています。 スカシユリの名前の由来は、花弁の間が透かして見えるからだそうです。花に透明感があるからという理由かと思っていたら、花ではなく、花の隙間を見たということらしい。 エゾスカシユリは中国では「毛百合」という奇妙な名前がついていて、ツボミや葉が綿毛におおわれているからだそうです。そう言われて良く見ると、写真下などはツボミや茎にかすかに綿毛がある。しかし、ここで見かけたスカシユリは注意してみないと気が付かない程度の綿毛です。よほど中国のエゾスカシユリは毛深いようです(笑)。 エゾスカシユリの仲間のスカシユリは新潟から北の日本海側、関東から北の太平洋側では珍しくありません。もっぱら海岸ですが、稀に関東や東北の亜高山にもあることから、氷河期が終わり、寒さが引くにつれて、海岸と山の上に残ったことになります。わからないのが、なぜ海岸なのかという点です。 写真下は日本でも亜高山では珍しくないヤマブキショウマです。 写真上 ヤマブキショウマ(山吹升麻) 写真上 オニシモツケ(鬼下野) ここの花の大半が日本でも見られる中、写真下のコウリンタンポポだけは私の周囲にはありません。サハリンでは道端に良くみかけるのでサハリンの夏の花のイメージですが、欧州原産の外来種で、北海道と本州の北部にも生えているそうです。 写真上 コウリンタンポポ(紅輪蒲公英) チシマアザミは北海道の高山、千島列島にも生えています(写真下)。 写真上 チシマアザミ(千島薊) クサフジは日本全国、さらには欧米にもあります(写真下)。 写真上 クサフジ(草藤) 白瀬南極探検隊慰霊碑 道の脇にある白瀬南極探検隊の慰霊碑に立ち寄りました。慰霊碑は道路の脇にポツンとあるだけで、囲いもありません。道にはたくさん車があるのに私たちは以外はいない(写真下右)。不思議に思って周囲を見ると、海岸のキャンプ場に来た人たちの車だったようです。 ここに2000年には木製の記念碑を作り、2001年に石碑を作ったら破壊されたので、2004年にステンレスの板をはめ込んだ御影石の石碑を作ったそうです。 (http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/sangyo/saharin/katsudou/2004/v_04_07_a.html) 記念碑の周囲に黄色い花が咲いています(写真下)。欧州からトルコあたりが原産で、きれいなので観賞用に栽培され、アメリカなどで広がっています。 写真上 Lysimachia
punctata 写真下のエゾオオヤマハコベは東北地方にもあるそうですが、私は見たことがありません。 写真上 エゾオオヤマハコベ(蝦夷大山繁縷) カニの食い放題 白瀬中尉の記念碑から歩いて少しの所にあるレストラン「アクアマリンロッジ」で昼食です(写真下)。 建物の中で私の目を一番引いたのは写真下右のトイレの蓋の模様です(写真下右)。さすが海岸近くのレストランだけのことはある。 カニの準備が間に合わないそうで、先に三階のレストランで昼食です。レストランは軽く百人くらいはいりそうなのに、私たち以外は誰もいません(写真下)。 写真下右の一見コロッケのように見えるのは実はホタテで、うまい。 写真下左はカニのスープで余計な味付けはしておらず、魚介類の新鮮さそのままが出ています。写真下右のクレープで、添えられているのは、見てのとおりのイクラです。クレープとイクラという組み合わせに一同ちょっと驚きました。味はそのままの組み合わせで、悪くはありません。 ここまで食べて、一階のベランダまで降ります(写真下)。いよいよカニです。一階のベランダに移動する理由は、もちろん、ここなら食後にテーブルごと水洗いできるからでしょう。このカニはイバラガニで、タラバガニと同じように、カニではなくヤドカリの仲間です。だから、カニは足が10本なのに、イバラガニもタラバガニも8本しかありません・・・食うのに夢中で足なんか数えていない(笑)。 カニそのものはうまいが塩っぱい・・・この表現は関西では通用しないそうですが、塩からいという意味です。カニミソを一口飲んだら塩辛く、この一口だけで一日の塩分摂取量を上回りそうで、飲むのは断念しました。後で知ったのですが、イバラガニはミソは食べないそうです(笑)。 アザラシと舟 食事を終えてから、海岸まで出て、ここから舟に乗って、ゴマフアザラシを観に行きます。写真下は毎度見かけるオオハナウドだが、青い海を背景にするときれいです。 写真上 オオハナウド(大花独活) 海岸には舟が二艘、トラックにつながれた台の上に乗っています(写真下右)。 写真下左の一台はモーターボートだが、写真下右はどうみても古い小舟です。もっと大きな船があるのだが、故障してしまい、急きょこの小さな二艘になったようです。どちらかを選べと言われたので、たぶん皆さんはきれいなモーターボートに乗りたがるだろうからと、私はおんぼろ舟を選びました。救命胴衣を着けて乗り込みます。 舟もボロイが、それを牽引するトラックもすごい(写真下)。車の手前のライトの上に黒いポリタンクが紐で縛りつけてあります。これで油か何か供給しているらしい。ゴマフアザラシよりも、私はこのトラックに強い興味をひかれました(笑)。 トラックが少しずつ海のほうにバックして、舟が海の中に十分に入ると(写真下左)、アンカーを外し、舟はエンジンで海に出ます(写真下右)。 ボロ舟を海に出すと、次にモーターボートを同様に海に押し出します(写真下)。こちらはトラックも新しい。二台ともカーキ色だから、軍用車の払い下げかもしれません。 ボロ舟に乗った私たちはモーターボートが来るのを待ってから、その後を追います。 ものの数分も行くと、アザラシらしい群れが見えてきました。彼らのいるあたりに岩礁があり、その上で休んでいるらしい。 写真上下 ゴマフアザラシ(胡麻斑海豹) ボートはもちろんエンジンを切って漂っているだけなのだが、近づくと、当然彼らは海に逃げる。 ゴマフアザラシは日本では水族館などでお馴染みです。日本では前は毛皮を目的に狩猟されましたが、幸い毛皮の値段が下がったので、狩猟はなくなりました。しかし、最近は北海道では夏場もいるようになったので、漁業被害が出ているようです。殺すよりも観光資源にしたほうが良い。 写真下などを見るとわかるように、アザラシたちは海岸近くの岩礁の上にいます。ですから、舟から見なくても、海岸からでも見える距離にいます。 これを衛星写真から見ると一目瞭然で、アザラシを見るためには舟で近づくよりも海岸から見たほうが良い。海岸には人がいてもアザラシは昼寝をしているのに、舟はエンジンは止めて近づいても逃げだします。 橋のたもとのイバラ バスに乗り、来た道を戻ります。ワシリーさんはさきほどから川を遡上するカラフトマスなどを探していたようで、レスノエ村の橋の手前で停車です(写真下)。 皆さんが橋の上から魚影を探す中、私一人は川の土手に沿って花を写していました。橋のたもとには薄ピンクのバラが咲いています。バラの香りが、強くはないが漂っています。 写真上 カラフトイバラ 川の土手にはハマナスが群生しています。 写真上 ハマナス ワシリーさんよれば、ハマナスが咲く頃にカラフトマスが俎上してくると言われているそうです。 キンポウゲ レスノエ村の中で一面にカラフトキンポウゲが咲いている野原でバスを停めました。今回の旅行で行ったサハリン南部はどこもこのキンポウゲが咲いていました。 写真上下 カラフトキンポウゲ(樺太金鳳花) このレスノエ村(旧 落帆)に初めて学校を作ったのは白瀬南極探検隊に参加したアイヌ人の山辺安之助(やまべ やすのすけ)です。晩年、彼はここで開拓に取り組み、56歳で亡くなっています。 私たちがキンポウゲのお花畑で騒いでいると、道路の反対側の家のオバサンが出てきました(写真下)。日本と同じで、こういう田舎からは若者は都会に出て、年金暮らしの年寄が住民の大部分だそうです。 たぶんこのオバサンは山辺の名前も知らないでしょう。時は過ぎて、人も変わり、昔の事は忘れ去られても、キンポウゲは風に揺れながら咲き続けている。 レスノエ村は説明されなくても、寒村なのがわかります(写真下)。 山辺などアイヌ人や日本人が作った集落はここではなく、午前中に見た白瀬南極探検隊の慰霊碑のあたりです。つまり、厳密には、現在のレスノエ村は山辺たちの作った落帆とは別です。 湖に沿って元来た道を戻ります。日差しが出てくると、午前中と違いきれいな湖に見えます(写真下)。 湖畔にはキャンプする人たちの姿が見られます。この湖は魚介類が豊富だから、食料の調達には困らないでしょう。 博物館見学 ユジノサハリンスク市内に戻ってきました。 市内のサハリン州郷土博物館(Сахали́нский
государственный
областно́й
краеве́дческий
музе́й)を見学しました(16:16)。(http://sakhalinmuseum.ru/) 博物館の前で新婚さんらしい人たちがクラクションを鳴らしながら大騒ぎをしています(写真下)。博物館の前の庭は新婚カップルが撮影に訪れる人気スポットなのだそうです。 博物館は写真下左の日本的な姿から見てもわかるように、1937年に日本が建築した樺太庁博物館の建物をそのまま使っています。 (http://sakhalinmuseum.ru/) 入口の両脇にある写真下の狛犬は旧樺太神社から移設したものです。博物館の前に狛犬がいるのは、どうでもいいけど、日本人から見たら変だよなあ(笑)。 入場料50ルーブル、写真撮影代金100ルーブルです。撮影禁止でないのが良い。写真下は人がいない時に撮ったから閑散としているみたいですが、私たち以外にもけっこう来館者はいます。 正直なところ、私はこういう博物館はあまり好きではありません。説明文はロシア語だけで意味不明、死んだ動植物を見ても興味がおきない、かなり暑いのに冷房も効いていない、座る椅子もない、と文句ばかり言っても始まらないし、ワシリーさんは熱心に説明をしていて、まだまだ時間がかかりそうですから、少し見学しましょう。 写真下は詳しい内容はわからないが、アイヌ人なのでしょう。北海道のアイヌの歴史は読むと気の毒で、和人(大和民族)が嫌いになる(笑)。21世紀になってからも閣僚などの国会議員たちが「日本は単一民族国家」と何度も発言しています。こんな見識の浅いヤカラが国会議員なのだから、あきれる。 写真下はアゴヒゲアザラシの皮を使った鎧「挂甲(けいこう)」「ハヨクペ」を身につけたアイヌ人です。現物の鎧が展示されていました。東北大にもう一体あるだけの貴重品だそうです。 写真下は「えんつこ」です。「えんつこ」と言われてもほとんどの日本人は知らないでしょう。赤ん坊などを入れておく籠のことで、今は青森地方などが有名で、私の生まれた山形でも「えんつこ」という言葉だけは残っていました。 写真下左には和服の女性が写っていて、彼女の子供らしい二人の女の子と男の子は日本人の服装で、真ん中の老女はアイヌ人のようです。どういう家族構成なのだろう? 写真下右は典型的なアイヌ人の姿です。彼らの後ろに積み重ねてある樽か籠のように見えるのは何なのだろう?写真を撮るのだから、彼らにとって貴重な品物だったのでしょう。 アイヌ人たちの写真で一番ホッとしたのが、写真下左の子供たちの屈託のない笑いです。 ドアにはめ込まれたガラスの形と模様がおもしろい(写真下)。日本時代からのものかどうかわかりませんが、いずれにしろ、最近の柄ではありません。 琥珀のコーナーがあります(写真下)。販売でもしているのだろうかと入ってみると、そうではなく、琥珀に閉じ込められた虫を拡大鏡で見せています。これが何百万年か前の虫らしい。あまり外見が変わっていないのが残念です(笑)。最近は琥珀を熱で溶かして中に虫を入れた「偽琥珀虫」がたくさん流通しているそうですから、お気を付けください。後日、この琥珀の採れるオホーツク海の海岸を通過しました。 ガガーリン公園 ワシリーさんは次にガガーリン公園(Парк
Гагарина)を案内してくれるという。と言っても、ホテル自体がガガーリン公園の中にあるようなものですから、下の地図の朱線のように、公園にあるヴェルフネエ湖からホテルまで歩きます。 園内には園芸種らしい花や(写真下左)、エゾキンポウゲが咲いています(写真下右)。 たぶんワシリーさんがわざわざホテル近くの公園を案内した理由は写真下です。公園の池が日本統治時代には王子池と呼ばれ(写真下左)、近くには神様を祭った社もあったが今は土台しか残っていません(写真下右)。 正直なところ、私は遺跡には興味がありません。だから、上の写真には力がこもっていない(笑)。過去やただの石よりも、今のたくさんの人たちが休日を過ごしている姿のほうがおもしろい(写真下)。 心地よい夏のひと時を子供たちは楽しく遊ぶ。 若者は力がありあまって、大騒ぎをしながら音楽に合わせて裸足で踊る(写真下)。これらのほうが博物館の死骸や、人をたくさん殺した英雄や、石でできた遺物なんかよりも楽しい。 黒猫レストラン 市内のレストラン『黒猫』(Черная кошка)で夕食です(19:05)。店の間取りを見ても、店舗として作られたのではなく、住宅街に建つアパートの一階の一般的な住居を店に改装したようです。 入るとヌイグルミの黒猫が出迎えてくれて、廊下の突当りには竹久夢二の黒猫を抱いた女性の絵『黒船屋』が飾ってあります(写真下左)。 部屋の中はどこもここも猫だらけで、それも多くは店の名前どおりの黒猫です。しかし、本物の猫はさすがにいない。 スイッチ、禁煙の張り紙、時計までクロネコです。猫グッズを集めたらしい。日本の招き猫やヤマト運輸のクロネコを教えてあげたら、猫グッズがまた増えるかもしれない。 部屋の中は猫猫猫で、料理も猫・・・こういうブラック・ジョークを言うから、私は嫌われる(笑)。 スーパーで買い物 添乗員の上田さん(仮名)がホテルの近くのスーパーに案内してくれるというので、ついて行きました(20:56)。スーパーの入口では、ボタンかシャクヤクなどの花を売っている(写真下)。売り物にしてはちょっと開きすぎのような気もします。 スーパーの品ぞろえや展示は日本のそれと変わりません。 恒例の物価比較の対象は500mlのコカコーラです。69ルーブルですから、ネットでの為替相場からいうなら約140円です。私の近くのスーパーでは100円くらいですから、やや高いと見るべきか、誤差の範囲と見るべきか、難しいところです。しかし、少なくとも安くはない。 値段を見て驚いたのが、私の好きな黒パンです(写真下左)。三種類あり、値段は19.8、25、59ルーブルですから、おおよそ40~120円程度です。安い!日本なら軽く300~400円しますから、これなら毎日私は買いに来ます。原材料の小麦やライ麦などが安いのでしょう。パンや牛乳のような生活必需品が安く、コカコーラなど嗜好品は高いのかもしれません。 時刻は夜の九時近いのにまだ明るく、これからどこかに出かけられそうです。でも、明日もあるから、ホテルに戻りましょう。 |