花のサハリン紀行 4日目 2017年7月17日(月) 泥火山 朝、六時半のモーニングコールで起こされました。たった二時間の時差ボケが直らない。カーテンを開けると曇りです。 本日はユジノサハリンスクから北に向かい、サハリン中部のプガチョフにある泥火山を見にいきます。長靴がないと歩けない湿原があるというので天気が心配です。雨の中、泥道を歩くのはうれしくない。 出発が早いので、食事はいつもより早く七時からです。 昨日までの大型バスと違い、中型なので一人二座席はありません(写真下)。バスは圧倒的に韓国製が多い。私は午前中は二人掛けするグループだったが、添乗員の上田さん(仮名)がワシリーさんと二人掛けになって席を空けてくれたので、窓側に移動できました。 到着した日を含めて、これまではユジノサハリンスクの南だったので、北に向かうのは初めてです。 道の両側にはハナウドやアキタフキの群生をよくみかけます(写真下)。 大規模な温室があります(写真下)。寒冷地のサハリンでも新鮮な野菜を供給するためのもので、トマト、キュウリ、ピーマンなどが栽培されています。店に売られているスイカやメロンはさすがに中央アジアなどから輸入したものだというのがワシリーさんの説明でした。 道の両側は家も少なく、草原と山が広がっています。サハリンの人口の4割は、私たちが泊まっているユジノサハリンスクに集中していますから、サハリンの広さを考えれば、閑散としているのは当然でしょう。 ドリンスク ドリンスク(Долинск)の駅(写真下左)の前にある有料トイレ(写真下右)でトイレ休憩です(9:01)。 ドリンスク市は一万人ほどの小さな街です。写真下のような建物の広告などは、個人的にはあまり好きてではないが、ここでは街に彩りを添えているようで、好ましい印象さえもあります。 ドリンクスをすぎると、道はオホーツク海の海岸に沿って北上し、両側には湿原が見られます(写真下)。 海岸の大半は砂浜で、たまに漁業関係らしい建物があるだけで、大きな集落はありません。 漁をしてここで水揚げをするらしい。遠浅で港がないので、舟はどれも小型で、獲った魚や舟を持ち上げるためのクレーン車があります。 浜辺には釣りをしている一般の人の姿も見かけます。 海岸に沿って、オオハナウドらしい白い花が咲いていて、これで晴れて、青い海と青い空を背景にしたら、さぞやきれいでしょう。 ブズモーリエ オホーツク海に面したブズモーリエ(Vzmorye)の街に到着(10:13)。 日本統治時代には炭鉱で栄えたようだが、今は炭鉱はすたれ、人口が900人(2004年)ほどの漁業を中心とする港町です。 ブズモーリエの駅のそばで二度目のトイレ休憩です。駅は、海外ではよくあることだが、柵もなくプラットホームはもちろんのこと、線路のそばまでは入れます(写真下)。 駅の前にはロシアが本家のキヨスクがあって、食べ物を中心に売られています(写真下)。 写真下右は見たとおり、韓国人たちが持ち込んだホカホカの肉饅で、買って食べたお客さんによれば、味はなかなか良いそうです。 露店も出ており、オホーツク海のそばですから、例によってカニが売られています。ブズモーリエは漁村なので、さしたる産業もありません。日本時代には白浦(しらうら)と呼ばれ、神社の鳥居が今でも残っているそうです。 飼い猫らしいのが二匹います。写真下右の白い猫のお尻の部分が盛り上がっています。奇形なのか、それとも怪我でもしたのか、まるで白い毛皮をもう一枚付けたようになっています。 駅とは道を隔てた反対側の薄緑色の建物は店です(写真下)。看板も何も出ておらず、寒い地方なので入口も狭く、外見からは店だとはわかりません。地元の人だけを相手にしているのでしょう。 中はそれなりに広く、食品から日常雑貨までそろっています。きれいに陳列されていて、清潔な感じです。客が手が届く位置の商品はガラスケースの中に、棚は店員の後ろにありますから、盗難防止でしょう。 写真下左はチョコレートです。一枚一枚がきれいに並べられて陳列されているのが、おもしろい。店員の前でわざとカメラを出して撮る素振りを見せても、撮るなとはいいませんでした。 ブズモーリエを出ると、道は海岸を離れ、山のほうに進みます。別荘のような建物が少しあるくらいで、ほぼ山の中です。 登山口に到着 プガチョフ泥火山(Pugachyovskiy gryazevoy vulkan)の登山口に到着です(11:24)。朝方と違い、雲の切れ間から陽ざしも出てきているのはありがたい。もう一人の現地ガイドを含めて18人で出発です。 最初は生い茂る林の中を進みます。 写真上 エゾニュウ 写真下はキンミズヒキのように見えます。 写真下は北に咲くアザミだから、もっと色鮮やかかと期待したが、意外に地味です。日本の春先に咲くノアザミのほうがずっときれいです。チシマアザミは日本では北海道に生えています。 写真上下 チシマアザミ(千島薊) 小川の水は植物から出たタンニンで茶色です(写真下右)。日本は高低差が激しく、短時間に水が流れてしまうせいか、こういう水はめったに見かけません。 尾根に出る 小川を渡ったあたりから、尾根に出たらしく、樹木が減り、周囲が見えるようになりました。 青空が出て来て、花もきれいに見えます。 これまでも見た植物が花を咲かせています。 写真上左 ヤマブキショウマ(山吹升麻) 写真上中 オニシモツケ(鬼下野) 写真上右 マルバシモツケ(丸葉下野) カラマツ林を抜けていきます。写真下右はカラマツが花を咲かせている?・・・いや、カラマツは松だから、松ぼっくりのような花をつけるはずです。何かの病気でしょう。 写真下は2日目のトゥナイチャ湖の近くでも見たランです。日本の亜高山地帯に似ているのだから、ハクサンチドリなどもっとランが咲いているかと期待したが、意外に少ない。 写真上 オオヤマザキソウ 所々にアヤメが咲いています(写真下)。枯れた花や種まであるところを見ると、かなり長期的に咲くようです。 写真上 ヒオウギアヤメ(檜扇文目) すでにお馴染みのカラフトイバラです(写真下)。 写真上 カラフトイバラ(樺太茨) クモが「昼飯が来ないかなあ」と待っている(写真下)。 総じて薄ピンクが多い中、写真下はハマナスかと思うほどピンク色が濃い。しかも、写真下右のように花弁の数が多いから、もしかしてこれはハマナスかもしれません。山の中とはいえ、ここは海から数キロの場所ですから、ハマナスが自生していてもおかしくはありません。 写真上左中 チシマフウロ(千島風露) 写真上右 オクエゾガラガラ 来る途中の道端でも見かけた巨大なフキの葉が生い茂っています。 写真上 アキタブキ(秋田蕗) 陽の当たる道の両側にはコウリンタンポポの群落ができています(写真下)。これまで見たのは道の両側や人家の近くの空き地などでした。しかし、ここは車では来れない山の中です。こんな所に外来種の群落が出来ているのはちょっと問題です。 写真上下 コウリンタンポポ(紅輪蒲公英) 陽が射したらコウリンタンポポはもっときれいに写るかと期待したのですが、あまり変わらない。道の両側と書きましたが、道そのものにも生えています。 写真下はフランスギクです。ロシアではこの種の白い花はラマーシカという総称で呼ばれています。これもたぶん外来種なのでしょう。 ここでしか見られなかった花 ここまでの花はこれまでもすでに見た花ばかりですが、初めて見る花もいくつかあります。その一つが写真下のゴゼンタチバナで、日本でも亜高山の日陰でみられます。白い花弁のように見えるのは花弁ではなく、苞(ほう)です。北東アジア、北米にも分布します。 写真上 ゴゼンタチバナ(御前橘) クルマユリです(写真下)。これも今回初めて見ます。日本も中部以北、中国、朝鮮半島などわりと寒冷な地域に生えています。球根は米に混ぜたアイヌ料理になるそうです。ウィキペディアでは、アイヌでのクルマユリの方言がいろいろとあることから、彼らにとってかなり重要な食料だったのがわかります。ただ、私が知っている範囲ではクルマユリの球根はあまり大きくありません。あれを食べるとすれば、ずいぶん数を掘るしかなくなる。 写真上 クルマユリ(車百合) 漢方でも百合(ひゃくごう)として用いられます。 私の家の近くの山にもかろうじて少し残っています。ある時、その場所に行ってみると、何と掘り起こされ、クルマユリが倒れている。てっきり盗掘だと頭に来たが、ただ、それにしてはちょっと変です。地面全体が掘り起こされ、しかも、クルマユリの球根が残っている。犯人はイノシシです。クルマユリを狙ったのではなく、ミミズなどを探して掘り起こしたようです。 写真下も今回初めてみるエゾタカラコウ(トウゲブキ)です。日本でも東北地方の山や亜高山ではそれほど珍しくありません。サハリンや千島列島に分布します。こうやっていろいろな植物の分布を見ると、日本、サハリン、千島列島などはかなり長い間、陸続きだったのがわかります。 写真上 エゾタカラコウ(蝦夷宝香) 黄色い花に「お宝香」なんて、大判小判がザクザクみたいな良い名前だと思っていたら「雄宝香」なんだそうです・・・残念。ショウノウに似た匂いがするのでこの名前が付いたようで、大判小判の匂いではありませんでした(笑)。ヒマラヤから東アジアにかけた広く分布します。 日本でも良く見られるヤナギランです(写真下)。現地ガイドによれば、お茶にして飲むそうです。寒い地方では群生しているのを見かけるが、ここでは数はそれほど多くありません。 写真上 ヤナギラン(柳蘭) 写真下はスギナのように見えます。ただ、普段見慣れているスギナに比べてやや大きく、葉が細かい。現地ガイドがこれを指して「イチ、ニー、サン・・・」と葉の段数を日本語で数えました。どうやら、日本人がここにずいぶん来ているらしい。 湿原を長靴で渡る 樹木がしだいに減り、やがて草原になりました。ほとんど平らで山の上とは思えないほどです。 草原の中にエゾカンゾウがチラホラと生えています。カンゾウなら日本ならこういう草原に一面に生えているイメージだが、ここはポツンポツンとしかありません。 写真上 エゾカンゾウ(蝦夷甘草) サハリンについてネットで調べている時に、マダニ(ヤマダニ)の記述が気になりました。ウイルスを持ったマダニがいて、死者まで出ているというのです。ピークは5~6月で、7月ももちろんいます。 これを読んで私はすぐに虫よけスプレーを買いに店に走りました。虫に好かれる私は虫よけスプレーはすでに準備していたが、ダニに効くと強調してある値段の高いのを買い足しました。今回は森林の中に入りますから、朝出かける前に頭から足先までぶっかけて、さらにバスを降りた時も追加でスプレーしました。 マダニの問題はサハリンだけでなく、最近、日本でもマダニが都会まで進出して犬や猫を介して人間にも着いたり、またウイルスに感染して死亡したケースもあるそうです(NHK、クローズアップ現代、2017年8月30日放送)。 ここからは湿原の水の中を歩かなければならないので、長靴に履き替えます。こちらの旅行会社で準備してくれた長靴を登山口からリュックに入れて持ってきました(写真下)。サイズが合わなくても短距離ですから、気にしないことにします(笑)。 写真ではわかりにくいが、水の上に敷かれた絨毯の上を歩いているような感じです。足を乗せると、ずぶずぶとめり込んで、水が湧いてくるので、かなり歩きにくい。他の人の歩いた所はぬかるんでいるので、新しい所を探して歩きます。しかし、それも危険で、お客さんの一人は水が深くなっている所で足を取られて転んでしまい、現地ガイドが素早く助けおこしました。 長靴は重いし、足を取られるので時間がかかるが、湿原は数百メートル程度でそれほど大変ではありません。こういう湿原から染み出した水がやがて先ほどのタンニンで黒くなった小川となるのでしょう。 進むにつれ水が少しずつ減り、大地が乾いてきました。そして樹木がまったくない原っぱが現れました(写真下)。 星の王子さまの火山 ここが泥火山らしい。泥が堆積したような広場が広がっています。写真下の真ん中に灰色の池のように見えるのがそれです。真ん中が禿げている(笑)。 泥火山というから、泥でできた山があるのかと思ったら、まるで地面に平らに流したコンクリートが乾いてひび割れたたような印象です。 写真を見ても今一つ全体の雰囲気が伝わらないでしょう。ここは高い所がないので、写真が撮りにくい。衛星写真で見ると、写真下の白い部分が泥です。直系が200mくらいあります。泥と草地の境界は写真上のように明瞭にわかりますが、これ以外ははっきりしません。しかし、衛星写真をみると、幾重にも同心状の年輪がついているのがわかります。 これをさらに上空から見ると、もっと明瞭です。写真下の真ん中の白い部分が泥火山です。青い丸で囲った部分を良く見てください。樹木の緑が、真ん中の泥火山を中心に年輪のような同心円状の筋が見えます。つまり、この泥火山は泥を噴き出してはさらのその上に泥を重ねることを長年繰り返してきて、実際には今禿げて見えている直径数百メートルではなく、直径が2kmほどもあることになります。 もっとも泥が激しく吹き上げたのは1934年で、高さ50mほどまで吹き上げたといいます。他にも1929年、1961年、2005年に噴出して、ジェット・エンジンのような轟音が聞こえたそうです。1961年の噴出物は15万トンと言われています。中型車が1トンくらいですから、15万台の車を吹き上げたことになります。皆さんも15万台の車が空中に吹き上げられる光景を想像してください(笑)。 泥火山自体はそれほど珍しい物ではなく、日本でも北海道の新冠泥火山があります。水を含んだ地層に圧力が加わり、その上にある粘度層を溶かして地上に吹き上げるようです。圧力の原因は地下にあるメタンガスなどのガスだといいますから、いわゆる火山と違い、噴出する泥の温度も低温です。 同心円状の年輪は泥の表面にもついています。写真下の泥の上にかすかに白い線がついているのがそれです。 泥火山というのだから、どこかに火口がありそうだが、火山の火口のようなものはありません。その代わりに、数は少ないが小さな噴出口がたまにあります。写真下がその一例で、水分を含んだ泥が流れ出ているように、この火山は「活火山」で、たまに突然泥を噴き出すことがあります。 自然に噴き出すのを待ち切れず、周囲を足で踏んづけると泥が飛び出すことがあります(笑)。この火口近辺の下にはたくさんの液状の泥が貯まっているということです。 写真下右の長さ15cmほどのボールペンと比べるとわかるように、この噴火口は小さい。私は「星の王子さまの火山」と名付けました。サン・テグジュペリ作の『星の王子さま(Le Petit Prince)』の住んでいる星の火山もこんな大きさです。 泥火山の縁で昼食です。写真下右が私が食事をしている目の前の風景です。 私の座っている台が写真下です。泥が押し広がる力で地面が割れて飛び出ています。こういう部分が衛星写真で年輪のように見えるのでしょう。 写真下右は地面の下の断層ということになります。おもしろいのが、両側にコケがついていることです。板状の泥が露出した後で両面にコケがついて、さらにその後で断面が折れたのでコケがついていない、ということでしょうか。 お客さんの一人がサハリンの固有種のリンドウを見つけました(写真下)。たった一本、押し寄せる泥の淵の近くに咲いています。ワシリーさんがスガワラリンドウと言ったのですが、ネットで探してもこの名前はありません。固有種だというのを手がかりに学名を探すと、ありました。Gentianella
sugawarae(Горечавочка
Сугавары)で、学名にスガワラ(sugawarae)という名前が入っていますから、たぶん命名者の名前なのでしょう。 写真上 Gentianella
sugawarae 他にもサクラソウの固有種があったのですが、花が終わっていました。 食事を終えて来た道を引き返します。雲もあるが、晴れて良い天気です。この泥火山の泥に雨が降ったらどうなるか。粒子の目が細かいだけに、泥沼になり、長靴でも歩くのは難しかったでしょう。 写真下左の羽の透明な蝶々はたぶんヒメウスバシロチョウというアゲハの仲間です。日本では北海道の一部に棲息しています。 写真上左 ヒメウスバシロチョウ(姫薄羽白蝶) 登山口に戻りました(15:38)。借りた長靴を返して、現地ガイドにお礼を言って、来た道を戻ります。私は列の一番後ろでしたから、ほとんど彼は私に付いているガイドみたいで、身振り手振りでいろいろと教えてもらいました(笑)。 来た道を戻ります。道路と並行して鉄道があります。ごらんのように電化されておらず、ディーゼル車です。 午前中と違い、晴れて気持ちが良い。 道の右側(西側)の写真下左にかすかに見える湖は白鳥湖(オネット湖)です。名前どおりにハクチョウが飛来します。左側(東側)のオホーツクの海岸ではちょっと歩いただけで簡単に琥珀が採れるそうです。15日に訪れたサハリン州郷土博物館で見た琥珀です。 旧・栄浜駅の跡 白鳥湖をすぎて間もなく、スタロドゥブスコエにある旧・栄浜駅の跡地に案内されました(17:35)。『地球の歩き方 シベリア&シベリア鉄道とサハリン 2010年』(p.106)によれば、1990年代にはここには鉄道の線路が残っていたそうで、その写真が掲載されています。 1923年、宮沢賢治がここを訪れ、駅の近くの旅館に宿泊したという。もちろん、旅館など跡形もありません。写真下左の皆さんが立っているあたりに駅があったというが、今はただの野原で、枕木らしい木材が土に埋もれています(写真下右)。 私はこの種の過去の遺物には興味がなく、周囲の野原に咲くハマナスの写真を撮っていました。 来る時と同じドリンスクの駅でトイレ休憩です(17:57、写真下)。 南下するにつれて、もっと青空が広がってきました(写真下)。 道端に机や椅子を出して、何か売っている(写真下)。イチゴです。量からして、農家の人というよりも、家庭菜園から採れたイチゴを売っているような雰囲気です。 道の両側にはハナウドのお花畑が続いています(写真下)。この植物は道端がよほど気に入っているらしい。道の脇にはたくさんあるのに、その奥の野原にはあまり見当たりません。 写真下の道端のバス停は雪の多い寒い地方だから頑丈なコンクリート製です。そして、とてもきれいです。きれいとはデザインのことではなく、壁には広告はもちろんのこと張り紙一つない。一部のバス停には張り紙もありますが、ほとんどのバス停にはない。日本なら時刻表くらい貼ってあるはずなのに、ここにはそれらしい物の見当たりません。どうやってバスが来る時間を知るのだろう? まさかサハリンのバス停の時刻表などあるはずもないと思ったら、ネットではあるんですね。私の自宅の近くのバスの運行はネットにはないのに、よその国の時刻表はネットでわかる。 (https://travel.sakh.com/bus/&lang=en) 写真下の車を見てください。右ハンドルです。ロシアは日本と違い、人は左、車は右ですから、本来なら左ハンドルです。これらは日本から輸入された中古車で、街中では頻繁に見かけます。 写真下も日本の中古車らしい。ライトの上の「愛」とドアの「幸」はわかる。しかし、ミラーについている「陰」とはどういう意味??もしかして、右側のミラーには「陽」と書いてあったのだろうか。 最後の晩餐 ユジノサハリンスク市内に戻り、予定よりもだいぶん遅くなったので、ホテルに戻る前にレストラン・フタローク(Hutorok,Хуторок)で食事をすることになりました(18:49)。 フタロークとは農場というくらいの意味で、ウクライナの食事と農場をイメージしたらしい。 写真下左のトイレに入って驚きました。マリリン・モンローの絵などが飾ってある。 さらに変なのが写真下です。誰か有名な作家のアニメなのかもしれないが、私はこの分野は知らないので、由来はわかりません。トイレに飾る絵にしては何とも奇妙です。 食事はともかく、あきれたのがペットボトルの水で、ガス入りなのに泡がろくに立たない。私だけでなく他の人のガス入りも同様で、製造不良です。飲んで見ると、間違いなく元はガスの入っていた水らしく、苦味を感じます。店のお姉さんにペットボトルを指さして「ガス?」と聞くと、そうだというので、蓋を開けても泡が立たない様子を見せると、笑っていました。 デザートは二つ出ました。写真下左のチョコレートケーキはお客さんの誕生日ケーキです。 だいぶん遅くホテルに戻ったのに(20:37)、日没は九時すぎなので、窓の外はまだ明るい。私の部屋は九階で最上階なので眺めが良い。その中でも今日の夕方は一番きれいです。この眺めも今日で見納めなこともあり、しばらく見とれていました(写真下)。 窓が開くので涼しい風を入れて、お茶を飲みながら夕方の刻々と変わっていく風景を眺めるのはとても楽しい。 太陽が沈むと暗くなり、建物には灯りがつき始めました(写真下)。ゆっくり見ていたいが、四日間広げたままの荷物をまとめなければなりません。 |