地中海に咲く花 ゴゾとマルタ 2日目 2024年3月19日(火) →ドバイ → (キプロス) → マルタ → ゴゾ ドバイ到着 周囲が動き回る音で日本時間の8時頃に目が覚めました。私は二時間ほど眠ったらしい。客室内の灯りを付けたから、あと2時間ほどで到着するということでしょう(写真下)。 モニターを見ると、飛行機はパキスタン上空で、まもなくオマーン湾に入るところです(写真下)。ドバイでマルタ行の飛行機に乗り換えますから、先はまだ長い。 朝食が出ました(日本時間9:03、写真下)。窓の外はまだ暗い。 ドバイの夜景が見えてきました(写真下)。近隣のカタールに比べると、明け方のせいか、灯りが少ないような気もします。 ドバイ国際空港(Dubai International Airport)にほぼ予定どおりの時間に着陸(ドバイ時間05:10、日本時間10:10)。ここで時計を5時間戻して、今は朝の5時すぎです。ここはエミレーツ航空の母港なので、飛行機がずらりと並んでいます(写真下左)。 マルタ行の飛行機に乗り換えるために、広い空港の中を無人運転の電車に乗って移動します(写真下右)。電車に乗るのにエレベーターで上下しなければならないので、移動だけで20分近くもかかりました。電車が地階にしかないのはずいぶん不便な作りだと思ったら、電車は2013年に作られたというから、後で付け加えたらしい。 空港の建物に特徴的なのが三角形の窓で、イスラム教のモスクのドームをイメージしたものでしょう(写真下)。 チェックインまでまだ時間があるので、少し歩いてみましょう。建物は横に長いだけなので、道に迷う心配はありません。 最近、ドバイという名称は犯罪者が逃げ込む場所としてしばしば出てきます。2023年に国際手配され逮捕された元参議院議員や、今年、高級時計を騙し取ったトケマッチという会社の元代表の逃亡先がドバイでした。ドバイでは素性を問わず、お金さえ出せば5~10年のゴールデンビザが発行されることを利用して、政治的な亡命だけでなく、手配犯や反社会勢力の逃げ場になっているようです。 ドバイからキプロス ドバイからマルタまでの飛行機はエミレーツ航空EK109便で、機体はボーイング777-300ERです(下図)。ドバイを7:35に発ち、マルタには13:15に到着予定で、マルタへの直行ではなく、途中でキプロスのラルナカに立ち寄るので飛行時間は8時間40分と、距離のわりには時間がかかります。 私の座席は予約どおり一番後ろの窓側の50Kです(下図)。飛行機は西に向かって飛ぶので、右側が北になり、陽が当たらないだろうと予想したからです。下の座席図のように、46から50までは窓側が二座席になり、そのため予約料金を取られます。旅行会社と航空会社にそれぞれ5,000円、合計10,000円の予約金を払いました。 空いている席も多く、乗車率は半分くらいでしょうか。私の隣の客は毛布をかぶって寝てしまいました(写真下右)。 飛行機は予定よりも少し遅れてドバイを離陸(08:07)。写真下左の奥の中心部には高層ビルが見えるのに、手前の住宅地には高層の建物がないことから、計画的に作られた街なのがわかります。 飛行機はペルシャ湾に出て、北西へと進みます(写真下)。 離陸して一時間ほどして食事が出ました(09:05、写真下)。たぶん二度目の朝食です。昼食になるかもしれないから食べておきましょう。 飛行コースを変えた 飛行機はサウジアラビアに上陸したらしく、眼下には赤茶けた砂漠が広がっています(写真下)。飛行機からは道路も建物もほとんど見えません。見ただけで喉が渇く。 イスラム社会の保守王道を行っていたサウジアラビアは、サルマン皇太子(Crown Prince Mohammed bin Salman)になってから急激に改革が進み、水着のファッションショーが開かれたというニュースには仰天しました(2024年5月17日)。さすがにビキニはないものの、肌の露出度を考えたら、彼は革命を起こしていますから、保守派からの巻き返しに苦労しているはずです。日本の石油の4割を供給する国だけに、水着は私たちに直接関係します(笑)。 飛行機はサウジアラビアに上陸して少し進むと、それまでの北西から西に進路を変えました。予定コースは写真下左だったはずなのに、実際には写真下右のように、角度を付けてコースを変えています・・・どこにいくつもりだ?この飛行機、まさか、乗っ取られた!? 飛行機はまっすぐにシナイ半島に向かっています(写真下左)。シナイ半島は紅海の北側にあり、東はアカバ湾(Gulf of Aqaba)、西はスエズ運河のあるスエズ湾(Khalyj as-Suways)に囲まれています。飛行機はアカバ湾に近づき、眼下にアカバ湾が見えてきました(写真下右)。 飛行機はアカバ湾を横切って、エジプトのシナイ半島に上陸します(写真下)。 グーグルマップの説明では、見た目の荒涼とした風景と違い、写真下右はサウジアラビア側のHaqlという観光の町で、写真下左はエジプト側で、山の麓にはキャンプ地があるらしい。水着のファッションショーも紅海に面したリゾートで行われました。 キプロスは北にあるのに、飛行機は西に向かっている・・・やはりハイジャック!?と不安にかられていたら、アカバ湾を横切ってシナイ半島に入った直後に航路を北西に変えました。シナイ半島も砂漠だらけに見えます(写真下右)。 飛行機はそのまま北上してシナイ半島を縦断して地中海に出ました(写真下)。 写真下の青く見えるのが地中海で、このあたりはイスラエルのガザからわずか100kmほどしか離れていません。写真下の奥の方角にガザがあり、今日も虐殺が行われている。 UNRWAに追加寄付 最近のニュースでは、パレスチナ自治区ガザに向け、スペインのNGOなどが用意した食料200トンを積んだ船が3月12日にキプロスを出港したという。一方、日本は、国連のUNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)にハマスに関与した職員がいたことを理由に、資金拠出を中止しました(4月2日に拠出再開を発表)。 私は拠出中止のニュースを聞いて、即刻、UNRWAに追加の寄付をしました。一寸の虫にも五分の魂!・・・いや、オレ根性ないから三分くらいかな(笑)。ガザの子供たちにパン一個くらい届けてあげたい。 ハマスのテロはもちろん論外で、関与した職員を調査して排除するべきです。しかし、十把一絡げにして資金を打ち切ったら、一番の被害を受けるのは一般民衆です。これでは、イスラエルが一般民衆の中にハマスなどのテロリストが混ざっていることを理由に、一般民衆を砲撃して虐殺しているのと同じになってしまう。日本がアメリカ様の顔色をうかがわないと何もできないのはわかるが、腕力がなくても、もっと頭を使うべきです。 ロシアはウクライナを侵略し、民衆の虐殺を繰り返し、同じようにイスラエルは逃げ場のないガザの民衆を殺戮しています。両者のしていることは同じです。アメリカはロシアを激しく批判しながら、イスラエルには軍事援助までしているのだから、露骨なまでの二枚舌です。 舌が二枚どころか、まるでモズ(百舌)だ。専制主義と民主主義の違いなどではなく、していることは同じなのだから、民主主義などただの綺麗ごとの建前で、自国の利益や大統領に当選するためなら、民衆の命など気にもかけていない。 これを日本も真似するのでしょうか?パレスチナを国家として承認しているのは、国連加盟国の193ヵ国の内143ヵ国で、日本は親分の顔色をうかがって承認していません。日本人はモズよりも脳味噌が大きいはずです。 キプロス 飛行機が大きく迂回したのは、ハイジャックされたからではなく、戦火にあるイスラエル上空を飛ぶことを避けたのでしょう。 やがてキプロスの海岸が見えてきました(写真下)。 写真下は、港に入るのか、出たばかりなのか、観光用の大型客船で、私は思わず手を振る(笑)。 キプロスのラルナカ国際空港(Larnaka International Airport)に着陸(キプロス時間09:57、ドバイ時間11:57)。ここでドバイよりも時計を2時間戻します。日本との時差は7時間で、日本は夕方の6時頃です。 日本では見られない航空会社の飛行機があります。写真下左の「SKY」って、日本のスカイマーク・・・ではなく、ギリシャのSKY Expressという航空会社です。尾羽の模様が違うから区別がつきますが、SKYという文字の位置はほぼ同じです。 キプロスはトルコしか承認していない北キプロスと、トルコ以外の国が認める南キプロスに分かれているなど、政治的には複雑です。キナ臭い話は抜きにして、地中海の東端にあることで、春の花が有名です。島の西にはオリンポス山(標高1,952m)を中心とする高山地帯があるから、花が多いらしい。写真下の空港から見えた雪山はたぶんオリンポス山などの山脈です。 ラルナカはマルタまでの経由地なので、私たちは機内で待ちます。黄緑のジャケットを着た清掃員が入って来て、枕カバーなどを取り替えています(写真下)。毛布とヘッドホンは航空会社の担当らしく、客室乗務員が交換します。 清掃が終わると、次は手荷物の本人確認です。頭上の荷物入れの棚をすべて開けて、荷物一つ一つが誰の物かを確認していきます(写真下)。テロリストなどが爆弾の入った荷物をそのまま残して下りるのを避けるためでしょう。この検査は欧州連合(EU)での決まりだというアナウンスがありました。 手荷物の確認が終わると、ようやくラルナカからの乗客が乗って来ました。降りた客よりも乗った客のほうがやや多い程度で、座席は空いています(写真下)。 EK109便は、ほぼ予定どおりの時間にラルナカを離陸しました(キプロス時間11:19)。飛行機はキプロスの南側を西に向かって飛んでいるので、私の席からは海岸線が見えます(写真下の下段)。 離陸から一時間ほどして食事が出ました(キプロス時間12:02)。朝、起きてから三度目の食事です。 食事を終えた頃、眼下に島が見えてきました(キプロス時間12:30)。ギリシャのクレタです。 マルタまで23時間 マルタが見えてきました(写真下)。 飛行機の上からも黄色いお花畑が見えて、これは期待できる(写真下)。 ほぼ予定どおりにマルタ国際空港(Malta International Airport)に到着(マルタ時間13:08)。ここで時計をさらに一時間戻し、今は午後1時くらいで、日本との時差は8時間です。 飛行機の前と後ろのドアを開けて、客は一気に降りられるので空のように爽快(写真下)。 成田空港を昨夜22:48に離陸して、マルタ国際空港の到着が13:08(日本時間21:08)ですから、約23時間かかったことになります・・・毎度のことで、旅行が始まったばかりなのに疲れた(笑)。 入国手続きは何の問題もなく通過し、現地ガイドの牧口さん(仮名)と合流しました(写真下右)。 港まで 移動は大型バスに10人ですから楽で、私は早速、後ろの四座席を占領しました(写真下)。 これから下図のように、マルタの南にある空港から、島を縦断して港に向かい、船で北にあるゴゾに渡り、そこからバスでゴゾの北にあるホテルに行きますから、かなりの移動距離です。船は一つ逃すと30分遅れてしまいますから、港までは急いで行きたい。 幸い道はあまり混んでいません。道路を走っていて違和感がないのは、マルタはイギリスに統治されていた時代があったので、日本と同じで人は右、車が左である点です。時々見かける二階建ての観光バスが、いかにも観光で生きている国らしい(写真下右)。 島のいたるところで見かけるのが写真下の石積みです。蜂蜜色の石灰岩が豊富に採れるので、家や石垣の石材として用いられています。 飛行機からも見えた黄色いお花畑で、数種類の花が混ざっています(写真下)。 マルタの北側の海岸を北西に向かって走ります。空が晴れて、いかにも地中海の風景(写真下)。 写真下は、セント・ポールズ・ベイ(San Pawl il-Baħar)という湾に面したセント・ポールズ・ベイという街です。セント・ポールズとは聖書に出てくる聖パウロのことで、彼の乗った船が難破して、この湾の島に流れ着いたという。 北隣のMellieha Bayでは砂浜に人が集まり、まるで夏の海です(写真下)。日本でも、帰国後の三月末には同様の光景が神奈川県の江の島あたりで見られました。地球自体が難破しつつあるようです。 船でゴゾへ サークァ(Cirkewwa)の港に到着すると(14:42)、ちょうど船が出て行くところでした(写真下)。フェリーなので車も積んでいるらしく、船尾を上げたまま進んでいます。閉めなくても海水が入らないのだ。 港の海なのに、驚くほど青く澄んでいます(写真下)。 乗るのはGOZO CHANNELという船会社のフェリーで、マルタからゴゾまで約5km、25分ほどの船旅で、料金は5ユーロ(850円)です。 この船は前後対象で、電車みたいにどちらにでも進める構造になっています(下図)。 私のたちが乗った船は「HULL-179」が正式名称で、建造は2001年とありますから、船としては中堅というところでしょうか(写真下左)。写真下右のように、船は五階建てで、一階が客室、二階が展望デッキになっています。地下一階と二階が駐車場らしく、物好きな私は階段を下りて見に行ったのだが、ドアに鍵がかかっていて、入れませんでした。 一階には前後同じような客室があり、片方では飲食の店も開いています(写真下)。 二階の展望デッキに出て、まず救命用具を確認して、いつでも逃げられる準備をする(笑)。 展望デッキからは目的地のゴゾと(写真下上段)、進行方向右に無人島のコミノ(Comino)が見えます(写真下下段)。どちらも近すぎて、全景はカメラに入りません。 船は揺れることもなく、ゴゾのムガー港(Mgarr Harbour)に入ってきました(写真下)。 港から何隻か観光船が出て行きます(写真下)。先ほど通りかかった無人島のコミノに行くのでしょう。 ゴゾの風景 港に着いて(写真下左)、今度乗る車はやや小型です(写真下右、15:41)。ゴゾは道が狭く、大型の車両ではすれ違うことも難しいからで、後日、経験しました。 ゴゾの街並みは古い家も新しい家も蜂蜜色の石灰岩でできているので統一感があり、とてもきれいです(写真下)。 街中を歩いている人は少なく、写真下左のバスから降りた人たちは観光客です。店とわかる店も少なく、写真下右の「D Snacks」は例外で、客が来ないのか、店員らしい黄色い服の男性が入口に立っている。 写真下はドアが半分しか開いていない店で、ドアにはバザー(Bazaar)と貼ってあるから、何か売っている。ネットで調べると、フィゴッリ(Figolli)とはイースター(復活祭)にマルタで作られるビスケットのようなお菓子らしい。客が押し寄せていることから、ここはおいしいフィゴッリを売っているのでしょう。ちょっとバスを停めてほしい(笑)。 時々、一般の住居に写真下のようなイースターを祝う幕が飾られていることがあります。ただ、真ん中に描かれているのは復活したイエス・キリストではなく、マリアです。 街を出ると周囲は畑が広がり、農業が盛んなのがわかります(写真下)。 海を見るカリプソ ホテルに行く途中でカリプソの洞窟(Calypso Cave)に寄りました(16:02)。旅行の募集要項ではホテルに直行する予定でした。ところが、口うるさい老人の客が約一名いて「船や車の移動時間から計算して、ホテルに着くまで1時間くらいの余裕がある。一カ所でいいから、どこかに立ち寄れないか」と日本にいた時から吠えていました(笑)。 カリプソの洞窟とは、ホメロスの抒情詩『オデュッセイア』に出てくる話で、オーギュギアー島に住んでいたカリプソ(カリュプソー)という海の女神(一説には妖精)がオデッセウスに惚れ込んでこの洞窟に閉じ込めたという伝説です。ゴゾがオーギュギアーだという根拠や証拠はなく、言った者勝ちです。 実際は、オデッセウスは島で会った美女と恋愛して、故郷で待っている妻のことも忘れていたが、七年間も一緒にいたら、アラが見えてきたので別れた、長年、浮気していたのがばれるとマズイから、閉じ込められていたと言い訳を作った、現実はそんなところでしょう(笑)。 眼下にはラムラ湾(Ramla Bay)があり、サンデービーチ(Sandy Beach)ではたくさんの人たちが砂浜でくつろいでいます(写真下右)。マルタの海は崖が多く、こういう砂浜は少ない。後日、この砂浜に花を探しに訪れます。 カリプソの洞窟を訪問したのに、見ていません(笑)。実は危険なので閉鎖されています。 ここで目立った花が写真上下のジャイアント・フェンネルで、マルタの固有種です。 写真上下 Ferula
melitensis オデッセウスが去った後、カリプソは毎日、彼が去った海のかなたを眺め続け、やがて黄色いフェンネルに姿を変え、今でも彼の帰りを待っている・・・毒があって、たくましそうなフェンネルが、寂しげで物悲しいイメージになったでしょう?でも、私の作り話ですので、本気にしないでください(笑)。 今回、ゴゾの海岸のあちこちでフェンネルを見かけました。カリプソはオデッセウスがどこから帰って来ても、すぐにわかるように島中の海の近くの崖に広がった。オデッセウスはトロイア戦争(紀元前1700年~紀元前1200年)の英雄とされていますから、カリプソは3000年以上も彼を待ち続けている。 写真下は日本でも植えられているツルボランで、これもゴゾではたくさん見かけました。 写真上 Asphodelus ramosus 写真下はアフリカの西にあるカナリア諸島が原産で、後日、マルタでも見かけました。見かける場所は限られているから、園芸種として人為的に植えられたものでしょう。 写真上 Aeonium
arboreum 写真下左は入口近くにあった小さなアヤメです。マルタでは一般的とあり、今回の旅行で何度か見かけましたが、数はそんなに多い印象はありません。写真下右は、見るからにキンギョソウで、日本でも花壇や切り花にも利用されています。地中海が原産地で、キンギョソウは島のあちこちで見かけました。 写真上 Moraea sisyrinchiumI 写真上 Antirrhinum
tortuosun 写真下の植物は海の近くの崖、つまりここのような場所に生えていて、今回もたびたび見かけました。地中海の全域に分布します。 写真上 Prasium majus 15分ほどの短い時間でしたが、初日の花の撮影にすっかり喜んだ私は一人だけ先に進んだので、添乗員の野田さん(仮名)が探しに来ました。この客、初日からこの有様では先が思いやられる(笑)。バスの運転手は5時までの契約なので、余裕をもって移動しないといけない。ここからホテルまでは車で5分ほどで、ホテルの名前もカリプソです。 ホテル到着 マルサルフォルン(Malsalform)にあるホテル・カリプソ(Hotel Calypso Gozo)に到着(16:31)。外見も中も普通のホテルで、この時期の料金はネット予約で11,922~15,984円と出てきます。 野田さんが、水を買いたい人のために近くにある店に案内してくれるというので、希望者で出かけました(17:30)。 写真下がその店で、私がクレジット・カードで1.2ユーロ(約204円)の代金を払おうとすると、うまく読み取れないらしい。別なカードを出すと、そうではなく、読取機が壊れてしまったのだという。私はしげしげと自分のカードを見ながら「ヲマエ、マルタまで来て読取機を壊すなんて、すごい力を持っているんだな」と妙に感心しました(笑)。 夕方の散歩 買い物はすぐに終わってしまいました。夕飯は7時からで、まだ明るいものの、日暮れは6時頃なので、遠出をするには時間がありません。そこで、明朝に散歩する予定の山道を確認するために、ホテルの裏山に登ってみることにしました。下図の赤で囲ったのが花を見た所です。 ホテルの前を海岸に沿って行きます。リュウゼツランの葉が海岸の崖に生えています(写真下右)。 やがて車道も歩道も唐突に終わり、行き止まりの先に、写真下右のように、建物の間から細い山道が見えます。なんとも奇妙な配置なのは、違法建築が原因だそうです。確認したかったのは、ここに山道の入口があるかどうかで、Googleのストリートビューではわからなかった。 道端で最初に目についたのは真っ赤なマメ科のSullaです(写真下)。夕方で薄暗くなり、発色が悪いのに、この赤は強烈に目に入ります。 写真上 Sulla
coronaria ここは元々は畑だったのでしょう。耕作放棄されて、雑草が繁茂し、お花畑になった(写真下)。 ここで一番多いのは写真上下のクラウン・デージー(Crown Daisy)と呼ばれるキクの仲間で、島のあちらこちらでも見られました。日本人にわかりやすく言えば、野生のシュンギクです。 写真上 Glebionis
coronaria 他にも、何種類か春の花が咲いています。 写真上 Bituminaria bituminosa 写真上 Galactites
tomentosa 写真上 Diplotaxis
erucoides 写真上 Reseda alba 残念だったのが写真下のモクアオイの仲間で、普通は写真下右のように花が赤いのに、ここには白がありました。ところが、開花前なのか、夕方でしぼんでしまったのか、開いていない。ここにあるのだから、もっとあるだろうと思ったのが間違いで、白花はここで一度見たきりでした。 写真上 Malva
arborea 丘の上からは周囲が一望できて、街の南にある丘(Tas-Salvatur Hill、写真下左)と、西にある丘(Il-Qolla、写真下右)が見えます。この二カ所は私に来いと呼びかけているので・・・ではなく、煙と同じで高い所を見ると登りたくなったので、後日、散歩に出かけました。陽が沈み、薄暗くなって、花の発色も悪いので、ホテルに戻りましょう(18:17)。 夕飯 夕飯はホテルの二階(現地の表現では一階)にあるレストランで、窓からホテル前の港の夜景が見られます(写真下)。私の部屋は反対側なので、景色はあまり良くない。 レストランは客は少なく、貸し切り状態です(写真下左)。 メニューも添えられたコース料理で、選択ができます。 写真下が私の部屋で、湯沸し器、お茶、コーヒーなどが付いており、風呂などの設備も問題がなく、非常階段も実際に降りて確認して(写真下右)、個人的なホテルへの評価は五段階の4.0で満足とします。電源コンセントが一カ所にしかないのはちょっと不便です。ここに二泊します。 写真下が部屋のベランダからの眺めで、左奥に海が見え(写真下左)、正面が空き地と眺めはあまり良くありません。ホテルは斜面にあるので、この部屋は事実上二階にあり、火事が起きても、ベランダからロープで降りれば助かりそうです。私は旅行中は洗濯などしないのに、洗濯物を干すロープはスーツケースに入れてあります。 飛行機でも良く眠れず、睡眠不足なので、早く寝ましょう。明日の朝は、先ほど夕方の散歩で下調べをした山道の先に行き、長めの散歩を予定しています。 |