地中海に咲く花 ゴゾとマルタ 7日目 2024年3月24日(日) マルシャスロック、ガールダラム洞窟 →(キプロス)→ドバイ→ 5時半に起床。今日も天気は良く、旅行中、幸い雨具は邪魔なだけでした。 今日は帰国で、飛行機は午後発なので、午前中はマルシャスロックという海辺の朝市を観光し、その後、ガールダラム洞窟という遺跡を見学します。 午後マルタを発ち、来た時と逆にキプロスのラルナカを経由してドバイまで行き、夜半過ぎに成田行きの飛行機に乗り換えます。 朝のマルタ猫 朝の散歩は昨日と同じマノエル島です。 ホテルを発つのが9:30とゆっくりなので、散歩も昨日よりも30分遅れでホテルを出ました。島までの時間や雰囲気がわかったので、予定がたてやすい。 写真下左の派手な色の船は観光船で、歩道には内容と料金の看板が出ています。歩道に沿って、十隻くらい観光船が並んでいます。 マノエル島のゲート付近には、昨日も会ったマルタ猫がいます(写真下)。写真下左では、猫たちの下に鳩が集まって、猫の餌を横取りしているのに、猫が鳩を襲うことはありません。なぜなら、猫は餌に困っていないからです。 それを示すのが写真下右で、これは犬小屋ならぬ猫小屋で、マルタではこういう猫のアパートは珍しくありません。個人の飼い猫ではなく、いわゆる地域猫として住居と餌を与えられている。これだけ保護されていても、猫の数はそれほど多くないのが面白い。 日本でも野良猫を邪魔者扱いで殺戮するのではなく、地域猫として面倒見ようという人たちが少し出てきたのは好ましいことです。糞尿が迷惑なら忌避剤をまけばいいだけです。放射性物質のほうが猫の糞尿よりもよほど迷惑で、日本は喉元過ぎれば熱さを忘れて、原発の賞味期限を延長させ、新型原発の開発までするという・・・ねえ、マルタの猫君、こういう連中に効果のある忌避剤はないものだろうか。 マノエル島の散歩 昨日と同じ外来種のアカシアが出迎えてくれます(写真下)。 写真上下 Acacia
cyanophylla 昨日見たアーモンドは花が少なかったのに、こちらは花盛りです(写真下)。 写真上 Prunus
dulcis 外見は白いフリージアなのに、内側に黄色い模様が入っていて、おしゃれです(写真下)。南アフリカが原産と言われる外来種で、22日のマジストラル自然歴史公園でも見かけました。 写真上 Freesia leichtilnii 私の庭にも植えてあるシラーの仲間です(写真下)。薄紫のきれいな花を咲かせ、球根なので移植も楽で、日陰でも生き残る丈夫な植物なので重宝しています。 ここのは自生で、マルタだけでなく、近くのシチリア島にもあることから準固有種(subendemic)です。昔はマルタでは珍しいとされたが、スティーブンさんによれば、マルタやゴゾで小さな群落が見つかっているそうです。私が今回の旅行で見たのはここだけなので、やはり数は少ないでしょう。 写真上 Scilla
sicula 今でもマノエル島に植物を植えている人がいるらしい証拠が写真下です。日本庭園で使われるチャボヒバのような針葉樹を誰かが植えて、それも最近らしく、水をかけたのか、周囲の土がまだ黒い。どうしてここにこれを植えたのか、私は周囲を見ながらしばらく考えたが、わからない(笑)。 写真下はマルタではどこにでもあるエロデウムで、有史以前からマルタにはあったとスティーブンさんのホームページに紹介されています。ゴゾで3月20日の朝の散歩でも見かけました。 写真上 Erodium
malacoides 写真下のセリの仲間はゴゾのシナップ・クリフ(3月20日)やタ・チェンチ(3月21日)のハイキングでも見かけました。ゴゾのは花が終わりかけていたが、ここのはまだ新しい。 写真上 Daucus
carota 横からの朝日を受けて、グラジオラスが浮かび上がります(写真下)。毎日のようにお会いします。日本の栽培品のグラジオラスは大きくて、すぐに倒れてしまうので手入れが大変で、花の色も好きになれない。 写真上下 Gladiolusi
talicus 写真下のアザミは一般的にはピンクなのに、ここがそうであるように、マルタとゴゾでは白が圧倒的に多いようです。今回使った植物図鑑“Flora field guide”は2019年に出たばかりなのに、Galactites
elegansという古い学名を使っていて紛らわしい。 写真上下 Galactites
tomentosa マノエル島はウツボグサが群落しているところが何ヵ所かあるくらい多い(写真下)。 写真上 Orobanche
mutely それなのに、ウツボグサが寄生しているはずのオキザリスは少ない(写真下)。ゴゾではあれほどあったのに、マルタでは少ない。寄生する相手が少ないのにウツボグサが多いとなると、主にオキザリスに寄生するというのは本当なのか、疑問になります。 写真上 Oxalis
pes-caprae この島で見つけたたった一本の小型ケシです(写真下)。ゴゾでも少なかったし、マルタはもっと少ない。 写真上 Papaver hybridum 写真下の樹木からは樹脂が取れて、地中海周辺では古くからチューインガムなど様々な用途に利用されて来たという。地中海の周囲のヨーロッパ側からアフリカ側まで分布します。高さが5mほどにもなるというが、私が見たのは1mほどの低木でした。 写真上 Pistacia
lentiscus 丘の中腹にある廃墟です(写真下)。壁の一部が黒くなっているから、長い期間、火を焚いたことがあるのでしょう(写真下左)。残っている石組を見ても、何に使ったのか、いつ頃の建物なのか、見当もつきません。 昨日は省略したマノエル島の北側の海岸にも花がたくさん咲いていて、釣り人もいる(写真下)。対岸はホテルのあるスリーマです。 海岸の近くの斜面に黄色い大きな花が一面に生えています(写真下左)。昨日もマノエル砦の廃墟で見かけたアエロニウムで(写真下右)、あそこだけかと思ったら、こんな所にも広がっていたのだ。 写真上下 Aeonium
arboreum ここは花が終わりらしく、色がくすみ始めています。 茂みを作る小さくて可愛い花は外来種のランタナではないか(写真下)。ゴゾでも一度、道端で見かけました。花の色が変わることから、日本ではシチヘンゲという変な名前です。 写真上 Lantana
camara 名前がわからなかったのが岸辺近くにあった写真下で、外来種でバーベナ(Verbena)の仲間ではないかと思われます。 ゴゾでもマルタでも、どこにでもあるツルボランとも、いよいよお別れです。楽しませてくれて、ありがとう。 写真上 Asphodelus ramosus 写真上 Sonchus
oleraceus 写真上 Asphodelus ramosus 八時すぎ、マルタ猫に別れを告げて、マノエル島を出る頃はちょうど出勤の時間で路線バスも混んでいます(写真下左)。今回の旅行で残念なのが路線バスで、私が読んだ二冊のマルタ滞在記にはレトロなバスの写真が載っていたので、期待していました。ところが、そんな古いバスは一台も見かけませんでした。 マラソンです(写真下)。現地ガイドの牧口さん(仮名)から、マラソンがあるので渋滞するかもしれないという話がありましたから、たぶん、これがそうなのでしょう。 ホテルに戻って、いつもの二階で朝食です(8:41)。ベランダでも食事ができるらしい(写真下)。 オプショナル・ツアー 予定通りにマルシャスロックに向かいます(9:29)。中型バスに10人が乗るのは余裕で、私はいつものように後ろの席を占領する(写真下)。 マルシャスロックは別料金のオプショナル・ツアーで、私が旅行会社に提案しました。この旅行の日程表では、今日の午前中は自由時間になっていました。しかし、前にも書いたように、ホテルのあるスリーマは「とりたてて見どころはないが・・」(『地球の歩き方 南イタリアとマルタ2006-2007年版』289ページ)と断り書きがあるほどで、半日あっても、行くところがありません。 そこで私は、空港に行く前にマルシャスロックの朝市に立ち寄ってはどうかと、日本にいる時に提案しました。マルシャスロックの朝市は毎日午前中開かれ、特に日曜日は様々な屋台が出て、観光客でにぎわいます。間合いが良いことに今日は日曜日で、行かない手はない。誰も行かないなら、タクシーを手配してもらい自分一人でも行くつもりでした。 日本橋トラベラーズクラブは昔からこういう客の要望を良く取り入れてくれます。全員がオプショナル・ツアーに参加したので、料金は20ユーロ(約3400円)と安くあがりました。 マルシャスロック マルシャスロックに到着すると、写真下のようにかなりの人混みと、たくさんの車が駐車しています(9:58)。ここは駐車場ではなく、マルタでは良くある路上駐車で、予想よりもすごい人混みに私はたじろぐ(笑)。 駐車した場所は下の衛星写真の、右側に南北に走る道路で、露店は港を一周するように立ち並んでいます。 皆さんは蜂蜜などをお土産に買い求めています(写真下左)。予想よりも蜂蜜屋は少ない。 日本の温泉街みたいに観光客相手に土産物屋が並んでいるのかと思ったら、日用品を売る店のほうが多い。写真下右の日傘も売り物です。マルタはレースでも有名らしく、日傘に取り入れたようです。 目につくのは野菜や果物です(写真下)。雨が少なく、石灰岩だらけのマルタは意外にも農業が盛んで、野菜も果物もおいしいという。 「だが、こんなやせた土地にも、神様は素晴らしい贈り物をしてくださる。それは、砂。春なると、南風に乗り、海を飛び越えてやってくるサハラ砂漠の砂。」(『マルタ島に魅せられて―地中海の小さな国』石川和恵、39ページ) サハラ砂漠の恵みとはおもしろい。日本も神様ではなく、中国から黄砂を毎年大量に無料でもらって、車が汚れるので迷惑と思っているが、農産物に寄与しているのかもしれません。 写真下左は手作りのチーズで、こういうのがうまいのだろうが、梱包もされていない生の食品を持ち帰るのは難しいので諦めます。ここでの楽しみ方は、お土産を探すよりも、うまそうな物を買い食いすることでしょう。 ルッツとスイス人衛兵 港にはたくさんの小舟が停泊しています。この港で有名なのが、独特な色に塗装された写真下のルッツ(Luzzu)という舟です(写真下)。 今回の旅行で参考にした二冊の本の表紙はルッツの浮かぶ港の写真でした(写真下)。 ルッツとは舟の形をさすらしいが、特徴的なのは黄色と青の塗装と、正面に付けられた目です(写真下)。目はフェニキア人から伝えられた魔除けとか、エジプトのホルスやオシリスの目だという説もあります。 フェニキア人は紀元前1500年くらいから地中海で国家を形成ともいわれる海洋民族で、エジプトも紀元前です。だがこの舟の塗装はそんな古い起源ではありません。Wikipediaによればルッツが現在のような形になったのは1900年代初頭だというから、デザインも目も新しい。 では、恒例の素人説を披露しましょう(笑)。 配色を見ると、ヴァチカンのスイス人衛兵の制服を連想します(写真下左)。ミケランジェロのデザインと言われていましたが、実際は1900年代初頭に作られた制服のようです。衛兵を横にすれば、舟のへさきがヘルメットで、そこに顔があるから、目を描いた。1900年前半と時期も一致します。 写真上 Wikipediaから転載 マルタはカトリックで、イタリアは海の向こうですから、舟を塗装した職人がヴァチカンに参拝してもおかしくありません。そこで見た衛兵の奇抜な服装の配色に驚いて、真似て舟に塗装した。衛兵が教皇を守るように、舟が漁民を守るようにと願いを込めた。つまり、あの目は、神の代理人である教皇を守る衛兵の目です。 港を半周してちょっと休憩(写真下、10:53)。 露店に夢中になっていて、港の街並みを見ていませんでした。写真下左はSantwarju tal-Madonna ta’
Pompeiという教会で、翻訳機にかけると「ポンペイの聖母の聖域」で、ここもマリアを信仰する「マリア教」の教会なのがわかります。屋上にある像はマリア像で、手前のイエスは付け足しです(写真下右)。 写真下左の集合住宅は、各家ごとにドアを赤、黄色、緑などの原色で染めてあり、日本ではありえない配色なのに、ここではそれほど違和感がありません。写真下右は、玄関脇にブーゲンビリアが咲いて、蜂蜜色の石と良く似合い、素敵です。 写真下左は朝のマヌエル島でも見た猫のアパートで、これも蜂蜜色の石造りにしたらどうだろう。 大きなハクチョウ オプショナル・ツアーはマルシャスロックのみで、この後、空港に直行の予定だったのが、現地ガイドの牧口さん(仮名)の会社からの好意で、もう一カ所の観光地に寄ることになりました。7,400年前の旧石器時代の人類の骨も見つかったというガールダラム洞窟(Għar Dalam Cave)です。 入場料は大人6.5ユーロ、老人6.0ユーロなので、私は6.5ユーロを払う決意をしていたら、牧口さんがまとめて払ってくれたので、決意はこっそり洞窟に置いてきました(笑)。 写真下がその洞窟で、奥行き144mの内、公開されているのは50mほどだと紹介されています。しかし、行ける所まで奥に行った私の感覚だけで言うなら50m以上あります。ネットで調べ直すと80mだという記述があり、こちらが正確です。最奥は人が立ったままでは入れないくらい狭いらしい。 この洞窟とここで発掘された化石についての解説をまとめると次のような経緯です。 この洞窟の上を流れる谷川には長年動物などの死骸が流れ着いていた。ある時(たぶん50万年くらい前)、谷川とその下の洞窟が交わる部分に穴が開いて、この洞窟に谷川の水が流れ込み始めたので、谷川にあった動物の骨などが洞窟内に長年堆積した。堆積の層は5または6層あり、小型のゾウ、カバ、大きなハクチョウ、シカ、クマの骨が発掘され、7,500年前にマルタに人類がいたことも確認された。 ゾウやカバはアフリカが近くだから不思議ではないが、驚くのは下の復元図の大きなハクチョウです。このハクチョウが首を伸ばして、私と正面から目線が合ってしまったので、あわてて空想を中止しました。 この大きいハクチョウがチャイコフスキーの『白鳥の湖』に出演したら、男性の踊り手は彼女を持ち上げるのに苦労するでしょう(写真下右)。左下図の小型の象だと持ち上げられるかもしれないが、『象の湖』ではバレエにならない。このハクチョウは身体が重すぎて、飛べなかったという説もあるから、足の短いダチョウだったらしい。それでは『ダチョウの湖』で、チャイコフスキーは作曲の意欲を失って、歴史的名作は失われる・・・これは困ったことになったと、私はしばらく考え込んでしまいました(笑)。 上 Wikipediaから転載 驚くことはもう一つあって、発見された2本の臼歯がネアンデルタール人の歯だという説です。わずか7,500年前にネアンデルタール人が生きていたのだ!と、私は早トチリからヌカ喜びしたが、この説自体が今は認められていないようです。イタリア半島ではローマより南ではネアンデルタール人は発見されていないし、2万数千年前に絶滅したので、彼らの歯である可能性はかなり低い・・・残念! ネアンデルタール人はホモ・サピエンスがヨーロッパの西に広がるにつれて消滅し、今の私たちの中に彼らの遺伝子が少し残っているだけです。昔はネアンデルタール人は言語能力が低く、ホモ・サピエンスよりも劣った人類のような扱いでしたが、脳の容積が1600ccもある人類が、劣っていたはずがあるまい。 風景を眺めながら、ここにネアンデルタール人がいたなら会ってみたかったと、まだ私は彼らにこだわっている(笑)。 空港に向かう これですべての観光を終えて、空港に向かいます(11:55)。すっかり見なれた街並も見納めです(写真下)。 日本ももう少し街並みに気を使ってほしい。東京オリンピックで無電柱化を進めるという話があったが、数字に表れるほどには進んでいないようです。 ローターリーの真ん中にある像は、子供のイエスを連れた「マリア」で(写真下)、最後まで、ここがマリア教の盛んな国であることを見せられました。 マルタ航空とKMマルタ マルタ国際空港、通称・ルア空港(Luqa Airport)に到着(12:01、写真下左)。ここで現地ガイドの牧口さんとお別れです。 空港の待合室にはYAMAHAのピアノが置いてあって、客が自由に演奏できます(写真下右)。待合室は騒音がありますから、静かな曲では聞こえにくいし、主張の強い曲ではますます騒音になるから、選曲が難しい。 空港にはマルタの唯一の航空会社であるマルタ航空(AirMalta)の飛行機が見えます(写真下左)。この国営の航空会社は赤字続きで、欧州連合(EU)の規則で政府が資金を提供できなくなったために2024年3月30日で運航を停止という、事実上の破産をして、業務は翌日からKMマルタ(KM Malta
Airlines)に引き継がれます。ところが、このKMマルタの親会社(Headquarters)はマルタ政府なのだから、ECの資金提供の規制を逃れるために、ただ看板を掛け変えただけのように見えます。 写真上 Wikipediaから転載 写真上左をマルタ航空の飛行機と紹介しましたが、機体のマークはKMマルタです。写真上右がWikipediaにあるマルタ航空の飛行機で、両者のマルタ十字を比較すると、マルタ航空は十字がそのままなのに、KMマルタは十字の左の一部が欠けています。今日は3月24日ですから、一週間後に発足するKMマルタは存在しないはずなのに、機体のペイントもすでに終了しています。 この様子から推測するなら、規制逃れの看板の掛け変えは長い時間をかけて計画的に進められ、しかも順調に進んでいるようです。 私たちの飛行機はエミレーツ航空EK110便で、機体はボーイング777-300ERです(写真下)。マルタ空港はタンクローリー車で給油します(写真下右)。 マルタを14:45分に発ち、7時間15分の飛行の後にドバイに翌日の午前1時に到着予定です。来た時と同じで、キプロスのラルナカに一時間半ほど立ち寄るので、時間がかかります。 私の座席は予約どおり、後方の左側で、飛行機が東に進むから、陽の当らない北側を選びました(写真下)。 飛行機はほぼ予定どおり、マルタを離陸しました(15:07)。マルタにはたくさんの花を見せてもらいました。安心して旅行できる国だという印象です。 昼食と飲み物が出ました(15:30、写真下)。旅行会社の予定ではこれが昼食でした。マルシャスロックのオプショナル・ツアーの提案もこの遅い昼食が理由の一つで、エコノミークラスのお客さんには、昼食が遅くなるからマルシャスロックで各人が食べ物を買うようにと伝えてはどうかと提案しました。このようにすれば旅行としての完成度が高くなります。 キプロス経由 夕暮れの中、キプロスが見えてきました(16:57、写真下)。 キプロスのラルナカ国際空港に着陸(キプロス時間18:20、写真下左)。来る時と同じで、機内の清掃と荷物の検査が行われ、ほぼ一時間半後に離陸しました(キプロス時間19:49、写真下右)。 ラルナカからドバイまでの飛行コースは、来る時と同じように、大きく迂回してシナイ半島を通過しました(写真下)。この瞬間にも、ガザで多くの人たちが虐殺されているかと思うと、黙っていられない、と言うだけでは無意味なので、UNRUWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)に寄付しました。 一つの団体に短期間にこれほど何度も寄付したのは初めてで、これは私が慈善の心に満ちているからではなく、虐殺行為にムカッ腹が立つからです。UNRUWAは国連の機関なのに最初は領収書も出ませんでした。苦情が出たらしく、途中から領収書が出るようになり、確定申告の時に楽になった(笑)。 夕飯が出ました(キプロス時間22:03、写真下)。マルタ時間では夜8時くらいで、4時頃に食事をしたので、まだそれほどお腹は空いていません。 ドバイで花の三人組は解散 ほぼ予定どおり、ドバイには25日の夜中の1時頃に着陸(ドバイ時間25:04)。 ドバイで、「花の三人組」として行動した関西のお二人とはお別れです。同じ花好きがいたので助かりました。お二人がいなかったら、私は完全に浮いていた(笑)。 成田行きの飛行機はエミレーツ航空のEK318便で、機体は来た時と同じエアバスA380-800です。ドバイを25日の02:55に発ち、9時間25分の飛行の後に成田に17:20に到着予定です。 私の座席は84Aで、一番後ろの88Aを取りたかったが、旅行会社から予約を取ってもらった時にはすでに後ろ4座席は予約が入っていました(下図)。 私の隣の席にいる彼のヘッドフォンの音は、私にとっても大音量です。迷惑もさることながら、よくこの大音量に耐えられるものだと、彼らの鼓膜の丈夫さに驚かされます。 飛行機は予定よりも一時間も遅れてドバイを離陸し(ドバイ時間25日04:12)、これがそのまま成田到着に影響しました。 離陸から二時間ほどして食事が出ました(写真下左、ドバイ時間25日06:02)。飛行機はすでにインド上空を飛んでいます(写真下右)。私の胃袋は熟睡中ですので、後で食べるために袋に入ったパンや水だけをもらいました。ドバイ時間ではもう夜明けなので、朝食なのでしょう。私は朝起きてから27時間以上たつので、食事よりも早く眠りたい。食事が終わると、ようやく機内の灯りは暗くなり、就寝時間です。 |