雲南のノモカリスと青いケシ 2日目 2019年6月23日(日) 成都 → 麗江 → 玉龍雪山 6:30の飛行機に乗るのに、4時にホテルを出発するというので、私は3時に起きて、準備を始めました。 今日は飛行機で麗江に向かい、麗江の北にある玉龍雪山の麓で花の観察をします。また、麗江古城を散策します。 空港まで6kmほどなのに移動時間を30分も取ってあるのでずいぶん用心深いと思ったら、こんな時間でも道路が混むという。信号が多く、成都双流国際空港に20分ほどかかりました(4:24)。 早朝にもかかわらず、空港内はかなり混んでいます(写真下)。荷物のチェックはかなり厳しく、スーツケースを預ける時、中に電池とペットボトルを入れていた二人がスーツケースを開けるように言われました。こんな厳しいのは初めてです。私のスーツケースにも単三電池式の髭剃りや懐中電灯が入っているのに、何も言われませんでした。おそらくは何個かに一つを選んでいるのでしょう。身体検査、顔認証、さらにはボールペンもチェックされました。飛行機が落ちるよりも良いと自分に言い聞かせて、ひたすら忍耐です。 飛行機は四川航空で、機体はAirbus A319です。6:30に成都を出て、8:05に麗江に到着予定です。早朝にもかかわらず、混んでいて、ほぼ満席です。 四川航空は日本ではあまり知られていないが、関空などにも乗りつけている航空会社です。 珍しいのは離陸前に配られた、いわゆるウェルカムドリンクで、中身は白湯です(写真下)。白湯を飲むのは中国の文化のようなもので、由来は諸説あって、最大の理由はもちろん健康です。朝、まず温かいお湯を一杯飲んで内臓を温め、水分を補給しましょう、ということで、あちこちにも給湯器があります。最初見た時、私はインスタントラーメン用かと思いました(笑)。 私の座席は窓側だが、翼の上であまり眺めは良くありません。ほぼ予定どおり、6:41に成都の空港を離陸しました。 離陸して間もなく、ペットボトルの水と朝食が配られました(写真下)。四川ハンバーガーですから、辛くて、私は一口で食べるのを中止しました。 ようやくお茶が出ました(6:55)。全然おいしくないお茶だが、温かいお茶を飲むとホッとする。白湯の習慣がないので、なじめない。 離陸してすぐに食べ物が配られたのは、飛行時間が短いからで、間もなく飛行機は高度を下げはじめ、眼下に雲南の山並みが見えてきました(写真下)。 予定よりだいぶん早く、麗江三義国際空港(丽江三义国际机场)に着陸しました(7:37)。実質的には一時間ほどの飛行でした。 空港は朝早いこともあり、空いています(写真下)。 現地ガイドの趙さんと和さんが出迎えてくれました(写真下)。 私たちは四台のランドクルーザーに分譲します(写真下)。今日は私は2号車です。 チベット系の人たちらしく、車のフロントには小さな仏様が祭ってあります。日本で言えば、交通安全のお守りです。 麗江市街は空港の北30kmほどのところにあります。道路事情はいたって良い。 看板には「麗江千古情 一生必着的濱幽」「山美水美人更美 文明言行悠最美」とあり、中国語がわからなくても、麗江のすばらしさを称えているのがわかります。中国語のわからない私は「美人更美」を「美人、更に美しい」と早とちりして、雲南はどンだけ美人が多いのかと期待しました(笑)。 写真下左の巴拉格宗景区(バラゲゾン風景区)は私たちが後日行く予定の香格里拉(シャングリラ)にある国立公園で、写真下右の麗江観音峡は空港と麗江の街のちょうど真ん中頃の、道の西側にあり、たぶんのこの看板がその入口なのでしょう。 「阿一旦黑山羊」なんて、黒ヤギさんが突然道路の上に飛び出して来ました(写真下左)。ネットで調べてみると、これと同じ名前の店がありますから、店の宣伝らしい。2500m以上の高地で育てられた黒山羊は雲南の特産で、黒山羊鍋が地元の少数民族のナシ(納西)族の伝統料理です。 街の宣伝や商業広告はかまわないのだが、政治的なスローガンがこの国は多く、さっそく目につきました。どうやら国家主席の唱える社会主義を高くかかげようという呼びかけらしい。見なかったことにします(笑)。 進むにつれて、前方に雲がたなびく山が見えてきました(写真下)。麗江の北わずか15kmくらいところにある玉龍雪山(玉龙雪山)で最高峰は標高5596mです。観光化されていて、ロープウェイで4000mまで行けます。 やがて道は麗江市内に入ってきました。屋根の先が尖がっている独特の家屋が目につきます(写真下)。 成都と同様に、三輪車が活躍しています(写真下)。 写真下のオバサンは典型的なナシ(納西)族の民族衣装を着ています。 私たちは麗江の市内をそのまま通過して、玉龍雪山の麓を目指します・・・とはいかず、ここで旅行するのに登録が必要で、役所に立ち寄ります(写真下)。私が七年前に麗江を訪れた時にはこんなことは必要ありませんでした。 ガランとして混んでいるわけでもないのに、手続きに時間がかかる。せっかくだからトイレを借りたら、トイレットペーパーがありません。もう一つ面白いのが写真下右で、高い樹木の上に電波の発信装置らしいのが取り付けてある。鉄塔を立てるよりも安上がりですが、日本ではありえないでしょう。 市内の道路の案内板を見ても、麗江は名所旧跡が多く、観光が盛んなのがわかります(写真下)。 写真下左の看板を見てください。道路標識のように見える看板に「麗江千古情、麗江恋歌」という文字が左に曲がれと指示しています。「恋歌」は日本語と同じ意味ですから、道路標識にあるのは何事かと驚きますが、これは大きな舞台の上で大がかりなパフォーマンスを行うテーマパークの案内板です。 道路脇に標語を書いた看板があります。連続して、同じ文言が繰り返され、数が異様に多い。走っている車から全部を読むのは無理で、運転手ならよそ見をするから危険です。 中国語のわからない私が、漢字の印象から意訳してみましょう。 「麗しく美しい千秋、江には百もの川が流れこみ、星が光り、月がかかっている。さあ、急いで行きましょう」 「人と自然が調和し共生しましょう。緑なす水と青い山は金銀に等しい」 「とても美しい玉龍山、雪山に心を定めて、ここを世界一の旅の拠点に作り上げましょう」 少し説教臭い文言もありますが、これを道路脇にわざわざ並べなければならない理由がよくわかりません。 素晴らしい麗江を大事にしようというだけならいいのですが、当然、そこに共産党の旗などのマークの入った標語もあり、翻訳しようという気にもならない。 その中で頻繁に目についたのが下の標語で、「黒悪を除け」とあります。「黒」とは犯罪組織や犯罪者のことを指します。7年前にはこんな看板はあまり目につきませんでした。犯罪が増えたという話も聞きません。 写真下左は道路の上をまたぐほどの巨大な看板で、また写真下右は立ち寄った村のレストランらしい店の壁に書かれた標語です。どちらも、悪い奴らを排除して社会を浄化しようというスローガンが書かれています。 これは習近平主席になってからの汚職摘発の運動でしょう。2018年までの五年間に、汚職の立件で25万人、閣僚クラスでの失脚が120人というのだから、素晴らしい成果であると同時に、これほど中国では汚職が蔓延しているという証拠のようなものです。また、単なる浄化運動ではなく、本当の狙いは政敵を倒すためだとも言われています。 もっとも、日本でも、官僚のトップが現場の役人に文章の改ざんを命じて、その役人が自殺しても、命令した官僚はなんら責任も取らず、処罰もされずに、退職金まで受け取って、まんまと逃げ切った光景を見た時には、日本には正義がないのかと私は深く失望しました。失望とは、そういうことを認める内閣を多くの国民が支持していた点です。 写真下は、後で現地ガイドが社会主義核心価値観の横断幕を説明してくれているところで、日本語で表記にするなら、次のように書いてあります。 ・国家:富強、民主、文明、和諧 ・社会:自由、平等、公正、法治 ・国民:愛国、敬業、誠信、友善 日本語の汽車は列車だが、中国語では車(汽车)のことで意味が違います。これと同じように、たぶん、中国の民主、自由、平等、公正の意味は日本のそれとはかなり、あるいは全く違うのでしょう。 「玉龍雪山国家級風景名勝区」の料金所まで来ました。Aが五つも並んでいる重要な公園です。ただし、私たちは花が目的なので、普通の観光客とは違う方向に進みます。 雨が降らないのは人災 本日、最初の花の観察です。ただ、周囲の風景はイマイチです(写真下)。現地ガイドも今年は雨が降らずに困っていると言っています。しかし、それは今年だけの問題でないことは松の木を見ればわかります。松の林があることはあるが、いずれも背が低く細く、古い松の木がありません。 ここ十年くらいのニュースを拾ってみると、ほとんど毎年のように干ばつなのがわかります。 2010年「50年に一度の大干ばつで385万人が水不足=雲南省」 2011年「雲南省、今年も干ばつ 235万人が飲み水不足」 2012年「雲南省:干ばつにより242万7600人の飲料水不足 2013年「中国:雲南省の干ばつ深刻化、被災者1245万人に拡大」 2014年「中国:雲南省昆明で干ばつ被害、12.43万人が飲料水不足に」 2015年「雲南で深刻な干ばつ、63万人の飲み水が確保困難」 2019年「雲南省各地で干ばつ 農作物被害面積が400万人以上に」 「雲南は,かつては植物資源の宝庫としてプラント・ハンター達の憧れの地であり,今日も 「森林王国」と称されているが,現実には中国の他の地域と同じく,森林の豊かさよりも森林 が徹底的に利用された姿が目につく地域である。」 (雲南の森林史(Ⅰ)、阿部建一、東南アジア研究、35巻、3号、1997年、422ページ) これが書かれたのが今から22年も前のことです。今日の中国の経済発展を考えれば、この学者の指摘は今もそのままどころか、もっとひどくなっていることは見てのとおりです。 写真下は「封山育林区」とありますから、住民の立ち入りを禁止して、保護しているという意味でしょう。でも、周囲は育てられた樹木が少ない。 写真下左は松の木が切られているし、写真下右は幹が焦げていますから、山火事があったのでしょう。 松林の下で、ピクニックなのか、女性が四人、斜面で弁当を広げています。 山の間が平地になっていて、そこに小さな集落があります(写真下)。 写真下のように、この集落では、まだ薪が使われているようで、これが森林破壊の原因にもなっているのでしょう。しかし、大昔から彼らはここで樹木を倒して家を建て、燃料として使っていたのに環境を維持していたのです。 雲南での森林破壊が起きたのは近代です。大規模な致命傷の一つ目は、毛沢東が指導した無謀な「大躍進」(1958-1961年)で、大量の森林が伐採され、さらにその後の毛沢東の指導した無謀な「文化大革命」(1966-1976年)で放置されたために乱伐があったようです。その後も以下同文で、やがて、1972年から林業局が設置され、漢民族がやって来て、組織的な伐採が行なわれたからです。簡単にまとめるなら、次のようになります。 「漢民族の拡大の歴史はそのまま森林破壊の歴史といえる。」 「繰り返すが,雲南省全体で森林の荒廃が著しいのは漢民族の優占する中標高盆地の周辺である。」 (雲南の森林史(Ⅱ)、阿部建一、東南アジア研究、35巻、3号、1997年、446ページ、448ページ) 彼らも何もしなかったわけではなく、飛行機で雲南松(Pintts
vttnnaivrensis)の種を散布する「飛播」という方法で作られた林が雲南では見られるといいますから、これまで見た貧弱な松林もそれかもしれません。 森林の破壊は、地球規模では私たちも同じです。日本でも夏の暑さは尋常ではない。私の住む山形市は長年、日本の最高気温40.8℃の記録保持者でした。山形市民は「どんなもんだい、オラッチが日本一暑いんだぜ」と自慢していた(笑)。この記録は1933年ですから、70年以上も破られなかったのです。この記録が、2007年に抜かれ、その後、何度も記録は更新され、今では40℃と聞いても驚かなくなりました。最高気温が2000年代に入り、急激に上がり始めたことを意味します。 写真下の壁画のある立派な家には共産党の看板が掲げてあります。 写真下右の立派な建物は入口が左右に付いているのを見てもわかるように、トイレです。広い集落の中にこんな立派な公衆トイレがあるというのも面白い。各家にはトイレがないのだろうか。 乾いた土地でがんばる花 乾いた雰囲気の中にも花はあります。まずはノウゼンカヅラの仲間です(写真下)。日本のノウゼンカヅラは樹木で蔓上に巻き付くが、ここのは草で、言われないと同じ仲間とは思えません。 写真上 Incarvillea zhongdianensis 写真下のポテンティラの仲間はチベットやヒマラヤには種類も量も多く、判別がとても難しい花です。 写真上下 Potentilla
polyphylla 名前のわからない花も多い。 立派なマムシグサの仲間です(写真下)。日陰に生えているイメージなのに、ここは陽当たりの良い野原です。たぶん進出して来たのではなく、かつては森林の下に生えていたのが、樹木は伐採され、かろうじて残っているのでしょう。 ボールペンと比べてみてもわかるように、本当に小さなアヤメです(写真下)。1株だけありました。四川、雲南、チベットに分布します。 写真上 Iris colettii 松林の松葉の間からショウガが花を咲いています(写真下)。日本のショウガは、こんなふうに花だけ咲くのはありません。色の派手さはないものの、ランのような豪華さがあり、目立ちます。 写真上下 Roscoea cautleyoides 雲南と四川の高地に分布し、昔から園芸種として栽培されているようで、ネットでも売られています。ショウガですから、塊根を作るらしい。ここのはせいぜい20cm程度ですが、園芸種は倍くらいになります。 林の中では薄黄色のショウガが圧倒的に多い中、赤いのが少しだけ見られます(写真下)。ここは標高2800mくらいで、このショウガはこれ以上の高山の四川や雲南に分布します。 写真上 Roscoea humeana 樹木の花もちらほら見られます。 写真下はコマツナギの仲間です。日本のハギのような印象ですが、ハギがややゴチャゴチャした感じなのに対して、こちらは花の房が一つ一つ別なので、すっきりしています。 写真上 Indigofera pendula 写真下は「雲南山梅花」と呼ばれ、四川、チベット、雲南、ミャンマーに分布します。 写真上 Philadelphus delavayi 干上がった沼で昼食 写真下左の看板の写真と、右の風景は同じ場所だという。後ろの玉龍雪山が雲に隠れて見えないのはしかたないとしても、肝心な沼がない。看板には「緑色湿地を保護(保护)しよう」と書いてあるが、保護しようにもそもそも湿地がない。湿地の植物があったとしても、全滅でしょう。いかに雨が降らないか、これ一つを見てもわかります。 干上がった沼をながめながら昼食です(写真下)。朝もらった私の昼食は写真下右のように悲惨な状態で、サンドイッチがラップに包まれていなかったので、私のリュックの中で大乱闘をしたようです(笑)。 写真下のムラサキの仲間は、このあたりの雲南北西部から四川省にかけて自生します。 写真上 Onosma confertum 写真下は主に雲南に自生する花で、解熱剤として用いられます。 写真上 Scutellaria likiangensis 黄色いスミレは東チベットや雲南の高山に分布します(写真下)。 写真上 Viola
rockiana 首をのばしたようなきれいなマメの仲間で、チベット、ヒマラヤ、モンゴルなどかなり広い範囲の高山地帯に分布します(写真下)。 写真上 Tibetia himalaica 写真下も外見からするとマメの仲間でしょう。 写真下は常緑の低木で、雲南からヒマラヤ南側一帯に生えています。 写真上 Vaccinium glaucoalbum このフウロソウは炎症を抑え、出血を止めるなどの薬効がある漢方系の植物です(写真下)。そう聞くと、急に立派な花に見えてくる。 写真上 Geranium strictipes 写真下は日本にもあるアキノハハコグサでしょう。東アジアから中国、東南アジア、インドにまで分布します。 写真上 Gnaphalium
hypoleucum アマビレは中国のチベットでは道端で良く見かける花で、この青い花を見ると、チベット圏に来たと実感します(写真下)。 写真上 Cynoglossum amabile 写真下はオトギリソウの仲間だが、日本のそれよりもはるかに花が大きい。雲南から西のミャンマー北部、インドの北東部に分布します。 写真上下 Hypericum latisepalum 見るからにイチゴの仲間ですが、実はまずいようです(写真下)。東南アジア、南アジアなどに広く分布します。 写真上 Fragaria nilgherrensis 雨が足りないというわりには雨がぱらついてきました。 白いシソが一株だけ花を咲かせています(写真下)。中国名は「甘西鼠尾草」といい、学名はロシアの探検家Nikolai Mikhailovich
Przewalski (1839-1888)から取ったものです。中国にしか分布しないのにロシア人の名前が付けられるのも、中国人には納得しがたいでしょう。中国に昔から生えていた植物を、ヨーロッパの学者が「発見した」などと平然と書く無神経な本もあります。 写真上 Salvia przewalskii 写真下の赤い実は見るからに毒々しいように、実際に毒があります・・・わかりやすい。パキスタンからブータンまでのヒマラヤ、中国のチベットなどに分布します。 写真上 Coriaria napalensis このバラは「絹のようなバラ(silky rose)」という素敵な名前が付いていて、チベットや雲南から、シッキム、ブータン、ネパールなどに分布します(写真下)。 写真上 Rosa sericea 雨がぱらつく山を下りて麗江市街に戻ります(写真下)。 麗江古城のホテル 麗江古城の南側の入口に到着しました(15:31)。ホテルは麗江古城の中にあり、麗江古城は車で入ることができないので、ホテルまで荷物を引いて少し歩きます(写真下)。 下の衛星写真の真ん中はあたりが建物が混んでいるのがわかります。これが麗江古城と呼ばれる麗江の旧市街地であり、丸一日でも楽しめる観光地です。 ホテルまでのこの通りは古くて立派そうですが、道がまっすぐなのを見てもわかるように、旧市街の雰囲気にあわせて新しく作られた街です(写真下)。ここは古城のなかでも南に位置し、本当の旧市街はこの後、食事で行った北側です。 写真下左は私が2012年に撮った写真、右は同じ通りの現在で、見た目にはあまり変化はありません。 ↑2012年 ↑2019年 写真下はホテル前の広場で、左は私が2012年に撮った写真、右は同じ場所の現在で、柳がなくなり、建物に下げた提灯が違っています。 ↑2012年 ↑2019年 写真下が今日の私たちのホテル・麗江王府飯店(丽江王府饭店)で、木造の伝統様式で建てられています。 ホテルの入り口や外側は写真下のように立派なのだが、良く見ると、朱色の塗料があちこちはげている。 写真下はホテルの玄関前で、広場も小川も公共施設だが、まるでホテルの一部のように、全体が調和しています。 ホテルのロビーも外観にあわせて中国風と言うか、雲南風です(写真下)。 このあたりの建物は「口」字型に中庭を建物が囲んで、吹きさらしの廊下があるのが基本で、このホテルもそれを組み合わせています。 麗江古城散策 麗江古城内は普通の車は入れません。古城内のレストランで夕飯をとるので、その前に観光を兼ねて、歩くことになりました。写真下右は銀行のATMです。こんなふうに景観を壊さないような配慮はすばらしい。もちろん、電柱や空飛ぶ電線などありません。 麗江は標高2400mもあるから涼しいが、ブーゲンビリアがあちらこちらに咲いていて、いかにも南国です(写真下)。 やがて、道の脇に店がびっしりと立ち並び、道幅も一定しない地域に入ってきました(写真下)。こちらが本物の麗江古城の旧市街で、ローマ人顔負けの石畳もいかにも長年人々が歩いたような感じです。こちらが自然発生的にできた街と比べると、さきほどのホテルの近くは外見は似ているが、計画的に作られた街並みなのがわかります。 麗江はナシ族が作り上げた街で800年ほどの歴史を持っています。元々は生活空間だったのが、完全に観光の街になり、ナシ族の多くはここを離れて、新市街に移ってしまったようです。 雨がぱらつき始めました(写真下)。雨が降らず、水不足の麗江の人たちにとってはうれしいことだろうが、観光客の私たちにはそれほどうれしくない。 麗江古城の中心地の一つの四方街と呼ばれる広場に到着した頃には、雨は激しく降って、観光客たちは軒下で雨宿りしています(写真下)。麗江古城の観光はこれからの夜の時間が本格的で、若い人たちを中心に音楽や踊りで盛り上がります。 雨が強くて観光どころではなくなり、店に入って雨宿りです。食べ物の屋台がコの字に並んでおり、真ん中が客席です。客席には天井がなく、ビニールがかけてあります(写真下)。そのビニールに雨水が貯まるので、棒を使って、雨水を落とす(写真下右)。 雨が小降りなった頃には店のお客さんも少なくなりました。手が空いたのか、写真下右のピンクのエプロンをした店の店員(店主?)は、子供たちに夕飯を食べさせています。 雨も小降りになり、近くの麗江古城のレストランに行き、夕食を取ります。現地ガイドが、疲れてホテルに残っていたお客さん一人を迎えに行くと言うので、私も付いていくことにしました。同じ道を往復するのでも、ここは十分に楽しい。 路地裏をのぞくと、たくさんの客栈(ゲストハウス)や食堂があります。麗江古城に長期滞在して、時々客栈を変えながら、食堂巡りをしたら楽しそう。七年前に来た時にも、泊まった所ではない客栈の中に入ると、外の雑踏とは別世界で、小奇麗に作られた庭と建物がマッチして昔の中国にタイムスリップしたようでした。 麗江古城は観光客が溢れかえる混雑と喧騒の街だが、その中に、誰もいない路地裏にポツンと店があったり、また写真下のような光景もあるなど、見飽きることがありません。 麗江古城は水の都で、石で作った見事な水路が張り巡らされ、玉龍雪山から流れる豊富な水がこの街を潤していました。「いました」と過去形です。今は、写真下を見ても何となくわかるように、水量は多くない。 元々は飲み水に使えるほどきれいな水が大量に街中を流れていたらしいことは古い記録にも残っています。しかし、ごらんのように、今の水はきれいではありません。生えている水草の一つはアナカリスという外来種です。七年前、初めて麗江古城に来た時、最もがっかりしたのが、この水量の少なさと水質の悪さです。 写真下は生活用水としての水場です。池は上中下の三つに分かれていて、飲み水用、野菜を洗う池、最後が洗濯用で、「三眼井」と呼ばれています。もちろん、今は「遺跡」です。七年前、水さえもろくに流れていない三眼井を見て、住人でもない私はがっかりしました。この街にとっての血液のような水が汚れ、減っています。 爆音レストラン 全員がそろったところで、写真下の川に面したレストランで食事です。写真下左に見える石橋を東に進めば、私が七年前に泊まった客栈(ゲストハウス)に行けます。 良く統一された街並みに比べると、店の中はゴチャゴチャして、落ち着かない(写真下)。この落差はこの店が例外ではありません。理由の一つがナシ族が麗江古城から出てしまい、漢民族が入ったからだと言われています。 落ち着かないもう一つの、そして最大の理由はとにかく生演奏がうるさい(写真下)。こんな狭い店でどうしてそんなに大きな音で演奏するのかと、中国で文句を言うのは間違いなのだが、この騒音の中での食事は拷問です。「爆音レストラン」は中国に限らず、世界中、どこでも頻繁に遭遇します。爆音を出している歌手や演奏家、店の経営者、それを楽しんでいる人たちの耳はどうなっているのだろう。時々、彼らと耳の構造が違っていて、聞いている音が違うのではないかと思う事があります。 中国のレストランでは食器を消毒したことを示すために、しばしばビニールで梱包されて出てきます(写真下)。もっとも、これ自体が信用がならないという指摘もあります。 料理は騒音ではなく、鍋料理です(写真下左)。煙突のついた鍋に具材を入れて食べます。 二つの鍋は出汁が別です。鍋の習慣はチベット系では良く見られて、寒い地方だということの他に、作るのが楽で、しかも、熱湯で殺菌されるからでしょう。 食後の麗江古城 食事を終えて(19:06)、ここで現地ガイドが自由解散にすると言うので、私は強く反対しました・・・文句の多い客だ(笑)。七年前、私は地図を持ってこの麗江古城を散策して、それでもしばしば道がわからなくなり、さらには自分のゲストハウス(客栈)の少し手前で道を間違えました。下の衛星写真を見てください。私たちは四方街の近くにいて、これからホテルに戻ります。道や建物が煩雑、複雑に入り組んでいますから、戻るのはかなり大変だとわかります。 これから暗くなる時間に、地図も、位置情報を示すスマホも持たずに、ホテルにたどりつけるとはとても思えない。道は曲がりくねっており、その両側には写真下のように、似たような細い路地が入り組んでいます。一度、脇道にそれたら、戻ろうにも、どこで脇道にそれたのかさえもわからなくなるでしょう。 私は、全員で来た時とは違う道を遠回りして帰るのはどうかと提案し、皆さんの賛成を得ました・・・私が「誰もホテルに戻れないぞ」と吠えるから、反対する人がいなかった(笑)。 現地ガイドの案内で、再び麗江古城の観光です。一人で歩き回るのは、常に自分の位置を確認するという仕事があるので、ガイドの後を付いていけばいいだけなのは、自由度は低くても楽です。 実演しながら売っている店も良く見かけます(写真下)。 頭に鉢巻をした苗(ミャオ)族の女性がいます(写真下左)。前回の7年前も見かけて、彼らはたいてい大きな荷物を持っており、商売に来ている様子です。写真下右の青い帽子をかぶり、手編みの籠を背負っているのは納西(ナシ)族で、ここでは多数です。ナシ族は先ほどちょっと訪れた四方街などで観光客向けに踊りを披露していることがあります。 写真下左の女性もナシ族の服装です。こんなふうに街中ではナシ族の服装を良く見かけるので、ここがナシ族の街なのだと実感します。 写真下の壁に書かれているのはナシ族のトンパ文字で、世界で唯一の使われている象形文字です。 雲南からチベットなどにお茶を運んだ茶葉古道は有名で、写真下はその博物館らしい。チベットなどでの野菜不足を補うために重宝され、雲南では「外貨獲得」の重要な商品でした。 今日のようにお茶そのままを運んだのではなく、長期保存と移動に適したようにしたのが、写真下左の積み上げた塊で、緑茶や熟成茶を蒸して固めて干した餅茶(びんちゃ)です。形に応じて、お椀型は沱茶(とうちゃ)、レンガ状は磚茶(たんちゃ)と呼ばれます。これを削ってお茶として飲みます。 現地ガイドに普洱(プーアール)茶などの黒茶(熟成茶)ではなく、緑茶(生茶)がほしいと頼むと、通りの茶屋に案内されました(写真下左)。しかし、予想どおりで、あるのは観光客用の普洱茶ばかりで、緑茶は一種類だけで、しかもすぐには出てきませんでしたから、別な店からわざわざ持ってきたのでしょう。100gで180元(約3240円)だという!素人の私が見ても出された緑茶の品質が良いのはわかるが、私の財布が納得する値段とは桁が一つ違う。 雨傘をこんなふうに飾るのは世界の観光地で良く行われます(写真下)。ここの傘は模様があるのできれいですね。 昔の装束をしたお姉さんです(写真下左)。コスプレか、それともショーや店の宣伝の衣装か、この街ではどちらも普通に見かけます。 ピンクの熊さんが夕涼みをして(写真下左)、「長くつ下のピッピ」のような髪の毛をした女の子は、でも、長靴下ははいていない(写真下右)。 伝統建築のホテル 行方不明になることもなく、全員、無事ホテルに戻りました。 写真下が私の今夜の部屋で、二階にあり、広さは十分です。建物の外見のすばらしさに比べて、部屋はわりと平凡です。 問題は、木造なので騒音がひどい。廊下の話し声や、建物の外で騒ぐ音がもろに聞こえてきます。そのためか、部屋には騒音対策用に耳栓が用意してあります(写真下右)。写真下左が窓の外で、目の前には隣の建物の窓があり、お互いに見事に丸見えです。窓の位置をずらせなかったのだろうか。 バスタブも付いており、設備は問題ありません(写真下)。ただし、前に中国人から、ホテルのバスタブはどんな不潔な使い方をしたかわからないから使わないようにと助言されたことがあるので、中国では使いません。 2018年には、中国の五つ星の高級ホテルで、部屋の清掃担当者が便器を拭いた雑巾でコップを拭いているなど、潜入取材や隠しカメラで暴露されています。清掃をする人は安い賃金で雇われているから、部屋数を増やすための手抜きだったようですから、利益を独占する経営者側にも問題があったと見るべきでしょう。 このホテルへの個人的な評価は、問題はいろいろあっても、ここは木造の古風な外観が文化の一部ですから、その点をおまけして五段階評価の4.0、満足とします。 |