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4日目 201136()

ティベリア エリコ クムラン エン・ゲディ

エン・ボケック

 

 朝四時半に目が覚めてしまい、それっきり眠れず、五時に起きました。

 本日の予定は、ティベリアより北にあるアルベル山に花を見た後、ガリラヤ湖を後にして南下して死海を目指します。途中、ヤルニデットのヨルダン川での洗礼を見て、エリコと死海文書が発見されたクムランを訪れます。

 

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 朝食は昨日と同じで、私の好きな食べ物が満載です(7:00)。チーズは合わないこともあるので、ほどほどにするべきなのだが、ついうまいので食べてしまいます。チーズがうまい!パンがうまい!野菜がうまい!イスラエルの朝はすばらしい!!

 

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 昨日と同じように、食後の散歩に出かけました(7:36)。昨日は南側に行ったので、今日はホテルの北側を回ってみることにしました。今日も晴れて、ガリラヤ湖は静かな湖面を見せています。

 

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 湖畔通りの店の中から樹木が生えていておもしろい(写真下)

 

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 建物もなかなかおしゃれな雰囲気があります。写真下右は写真左建物の裏にあった貝殻と水のオブジェです。好みや作品の出来はともかく、このあたりの雰囲気には合っています。

 

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 写真下左は掲示板の上に生えている花です。たまたま壁の隙間に根を生やしたのでしょうが、まるで掲示板の飾りのようになっています。

 

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 ホテルの周辺は古い街なので古い建物がたくさんあります。写真下左は12世紀に建てられた聖ペテロ教会(Terra Suncta)で、イスラム寺院として使われていたこともあるそうです。

 

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 写真下はジャーマ・アル・バフルというイスラム寺院です。広場にぽつんと建物が一つ建っています。

 

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 建物の入り口はゴミが散乱し、ドアの上にはハトが巣を作っています(写真下左)。建物そのものに草や木が生えていて、遺跡というよりも廃墟です(写真下右)。この街にイスラム教徒がいない証拠のようなものでしょう。

 

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 遺跡としてはまったく整備も手を入れた様子もなく、荒れるがままに放置されています。寺院を取り囲むように四角いアーケードになっていて、店が入っており(写真下左)、ここは寺院や遺跡というよりも商店街です。遺跡に手入れをして観光地にすればもっと人が集まるような気がするが、宗教の違いが壁なのでしょう。

 

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 ホテルに戻る途中で路地裏の商店街に入ってみました。私の部屋から見えたあたりの通りです。

 

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道の両側には市民が買うような日常雑貨の店が並んでいます。店は開いているものの、朝早いせいか客足は今ひとつです。

 

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 ガリラヤ湖で採れたのでしょうか、魚が並んでいます(写真下左)。当然、魚屋の前にはネコがいます(写真下右)。魚を狙っているというよりも、もらえるのをおとなしく待っている雰囲気です。

 

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アルベル山

 本日はまずティベリアの北側5キロほどにあるアルベル山に行き、花を見ます。車はガリラヤ湖に沿って北上します。ティベリアの街を出る所に、海抜0メートルの指標があります(写真下、9:05)

 

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 写真下左のように、ガリラヤ湖が海抜マイナス213mですから、湖を見る高台にあります。ここにも松の木のような葉の木に赤い花が咲いています。

 

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 アルベル山への道の両側には畑が広がり、アーモンドの花が咲いて、きれいです(写真下)

 

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 アルベル山に到着です(9:1810:12)。駐車場から山頂というか、崖の所まで登ります(写真下左)。登ると言っても、なだらかな丘陵で、大した坂道ではありません(写真下右)。両側の草原にはいろいろな花が咲いています。

 

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 崖の上の岩場に青い服を着た若者たちがたくさんいます(写真下)。武田さんによれば、彼らは自然保護官になるための生徒で、ここで実地研修を受けているようです。写真下左の二人がその先生です。国をあげてこうやって自然保護のために人材を育成するのはたいへん素晴らしい。日本もぜひ見習うべきです。

 

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 崖の上からはガリラヤ湖や街並みが見えます。写真下の眼下に見える街は、聖書に出てくるマグダラのマリアの出身のミグダル村です。

 

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 崖っぷちに何か黄色い花が咲いています。

 

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 山頂付近は山というよりも台地で(写真下)、ガリラヤ湖に面した部分が崖になっています。

 

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 ここにもお馴染みのツルボランの仲間が生えています。

 

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写真上 Asphodelus ramosus

 

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写真上 Anthemis palestina  (Wildflowers of Israel)

 

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写真上 Chrysanthemum coronarium  (『イスラエル花図鑑』p.94)

 

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写真上 Erodium moschatum (Wildflowers of Israel)

 

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写真上 Ricotia lunaria (Wildflowers of Israel)

 

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写真上 Silene aegyptiaca (Wildflowers of Israel)

 

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写真上 Telmissa microcarpa (『イスラエル花図鑑』p.175)

 

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写真上:Erodium gruinum (Wildflowers of Israel)

 

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写真上 Linum pubescens (Wildflowers of Israel)

 

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写真上 アネモネ・コロナリア(『世界の山草・野草』p.105)

 

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パンを食べるヨルダン川のカワウソ

 車は来た道を引き返し、ティベリアの街を通過し(写真下左)、菜の花の咲く道を南下し(写真下右)、キリスト教の洗礼の行われるヤルデニットに行きます(10:41-11:07)

 

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 イエスはヨハネからヨルダン川のほとりで洗礼を受けたと聖書にあります。そのことにちなんで、ガリラヤ湖から流れ出たヨルダン川のほとりに洗礼をする場所があります。ちょうど、ガリラヤ湖の一番南端です。

 

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 入り口に建物があり(写真上)、そこを通過すると目の前に川があります(写真下)。ヨルダン川というとなんとなく大きい川のように思いこんでいましたが、日本ならどこにでもありそうな規模の川です。

 

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 洗礼をしている所に行ってみました、洗礼を受けるために白い装束を着た人たちと、それを見る観光客がたくさんいます。見ている人たちのほうが多い。緑色に濁っているが、汚い水ではありません。

ガリラヤ湖そのものも水は汚くありません。周囲にこれだけの街かあるのに汚くないということは、イスラエルが排水処理にかなり力を入れていることを意味します。私の住んでいる周囲の湖沼は相変わらず汚染がひどく、沐浴なんてできる状態ではありません。こういう点、日本は本当に遅れており、先進国などと名乗るのが恥ずかしい。

 

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ヤルデニット

 

 下の四枚の写真は洗礼をしている所の連続写真です。まず、写真下左のように、真ん中の女性を両側から男性が支えます。それから肩まで沈みます(写真下右)

 

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 次に、右側の男性が女性の頭を支えて、仰向けに水の中にドボンと入れます(写真下左)。女性は完全に水の中にもぐっています。すぐに引き上げて、終わりです(写真下右)。一人当たりの時間はものの十秒ほどです。これを次々とこなしていきます。「息を止めて。はい、終わり」というレントゲン撮影のあのタイミングです。

 

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 信仰心のない私には、水につかって何がおもしろいのかよくわかりません。しかし、洗礼の終わった信者たちは感激して抱き合っています(写真下)

 

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 川岸の通路の壁に各国の文字で何か刻んであります(写真下左)。駐車場から入る入り口にもありました(写真下右)。ここに来た記念なのか、それともこの場所を作るのに寄付したということなのか、よくわかりません。気になるのが、その中に日本語が一つもないことです。

 

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 上空から見ると、ヤルデニットがガリラヤ湖から始まるヨルダン川の1kmもない所であるのがわかります。

 

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 洗礼する所から出入り口に戻るには店を通らないといけません(写真下)。正確には出入り口が店なので、ここを通らないではどちらにも行けないようになっています。買い物の洗礼だけは許してくれないようです。

 

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 店を通過しようとすると、武田さんが川の下流にカワウソがいると言います。そりゃ、水浴びする人間よりも水浴びするカワウソのほうがおもしろいと、私は急いで店を横切り、下流に行くと、いました(写真下)。ネコくらいの大きさの動物が川の中で誰かが投げたパンを食べています。パンを食べている所に、別なカワウソが泳いできました。全部で3匹ほどいます。

 

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 だが、カワウソにしては顔に緊張感がなく、なんとなく間抜けな顔です(写真下)。カワウソはイタチの仲間なのでもっと獰猛な顔つきをしています。またイタチのシッポは根本がもっと太い。カワウソは肉食性なのに、イスラエルのカワウソはパンを食べるのだろうか。

 

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どう見ても、大きなネズミです。私は武田さんにカピバラではないかと言いました。だが、カピバラは南米が原産で、帰国後調べてみると、カピバラには長いシッポはついていませんから、カピバラではありません。他の人に聞いてみたら、南米原産のヌートリアではないかとのことでした。もっとも、スペイン語ではヌートリアとはカワウソだそうです。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2)

 

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 ネズミのようなカワウソ()も見たので、ガリラヤ湖を後に、一路、ヨルダン川に沿って死海に向けて南下します。

 周囲はどこもここも菜の花が一面に咲いていて、それはもうきれいです。武田さんは、「この緑の風景を覚えておいてほしい。この後、死海に近づくにつれて消えてしまいます」とのことでした。

 

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 バスが走っている国道90号はヨルダン川に沿っています。やかで、車の左側()に鉄条網が現れました(写真下)。ヨルダン川は隣国のヨルダンとの国境になっています。その国境のずっと手前に作られたのがこの鉄条網です。国境のヨルダン川までは数キロはあるだろうから緩衝地帯のようです。ゴラン高原同様に、元々シリアやヨルダンの領土だったのを戦争でイスラエルになってしまった地域です。

 

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 下の地図は1956年に発行された『世界観光大観』(世界文化社、昭和31)に掲載されたイスラエルの地図です。国境線はガリヤラ湖(チベリウス湖)の東側にあり、我々が昨日通ったゴラン高原はシリア領土です。また、ヨルダン川を南下すると、国境は途中から西に大きくずれ、死海の大半を含めてヨルダンの領土であったのがわかります。

返せ、返さないで今でももめていますから、静かな風景だが、実は火薬庫の上を我々は走っているのです。半世紀ほど前、戦争で占領したのだから、イスラエルの領土とは言い難いが、しかし、ヨルダン川西岸を返したら、イスラエルの領土は大幅に減ってしまうし、政策で入植したイスラエル人たちは、ある意味で難民になってしまい、新たな火種です。

 

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 ビニールをかけた畑があります(写真下左)。日本なら保温のためですが、ここでは水分を逃がさないためだそうです。ところどころにアラブ人の村があります(写真下右)

 

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 ガリラヤ湖周辺では緑と花があったのに、南下するにつれて、緑が少なくなり、畑もなくなり、砂漠のような光景が広がってきました。

 

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エリコで昼食

 エリコの街の手前の検問所で停められました。ここはアラブ人による自治区なのでユダヤ人は入れません。バスの運転手がユダヤ人なら、検問所でアラブ人の運転する別なバスに乗り換えて、街に入るのだそうです。幸い、運転手のサルマーンさんはアラブ人なので、そのまま入れます。

 

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 エリコの街に到着して、まず昼食です(12:34)。一階はお土産を売る店で、二階がレストランになっています(写真下左)。入り口に積み上げられた水を見てください(写真下右)。いかにここが乾いた場所かがよくわかります。

 

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 店の前は駐車場になっており、店がたくさん出て、にぎわっています(写真下)。果物がどれもうまそう。柑橘類が豊富で、食事でよくおいしいオレンジを食べました。

 

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 いかにもアラブ人という風貌のレストランのオーナーが武田さんを見て、大親友に会ったとばかりに心を込めた挨拶をします(写真下右)

 

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 二階のレストランは大勢の客で大混乱です(写真下左)。価格表を見ると、スープとサラダで11ドル、温かい食べ物を加えると15ドルです。

 

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 いつものようにバイキング形式です。シシカバブーがあるなど、ちょっとだけアラブ風です(写真下右)

 

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テル・アッスルターンの遺跡の見学

 レストランの目の前にテル・アッスルターンの遺跡があります(13:2513:44)。その遺跡の上をロープウエイがあって(写真下左)、遺跡の西側にある「悪魔に試みられた誘惑の山」までのびています(写真下右)

 イエス・キリストがこのあたりで四十日間断食の修行をして悪魔に誘惑されたのがあの山だということです。我々はそこまでは行きません。よかった、岩山なんて見てもしようがない・・・あっ、いや、悪魔に誘惑されると怖いですから。

 

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テル・アッスルターンの遺跡は外から見ると単なる丘にしか見えません。ここには一万年前からの住居の跡などがあるそうです。ただ、遺跡の例外に漏れず、ここもただの土と石の塊で、今ひとつ私の興味は引きません。

 

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 発掘をしている人たちがいました(写真下左)。こっちはちょっとおもしろそう。まだ若い人たちで、ちょうど帰るところで、彼らは体中が砂まみれでした(写真下右)。暑くて乾いていますから、ペットボトル持参です。

 

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 これだけ乾いた所にも少し草が生えています。

 

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砂漠のハマウツボ

 エリコをさらに南下して死海に向かいます。車から見える光景は、あちらこちらに盃型のアカシア(写真下右)は生えているものの、いわゆる砂漠です。

 

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写真上左 Acacia tortilis (『イスラエル花図鑑』p.167)

 

 添乗員の本間さんが花を見つけてバスを停めました(14:05)。本間さんが先ほどから「何か黄色い花がある」と言っていたのです。花だと思ってよく見るとビニールの袋だったりしますが、私など他の人たちも見かけましたから、ビニールではありません。

 

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写真上下 キスタンケ・サブロサ(『世界の山草・野草』p.111)

 

 葉も茎も見えず、全体が花だけでできている奇妙な植物です。

 

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 花が咲いていたのは、写真下のような道路の脇のヤブの中です。乾ききった大地から、突然こんな花だけの植物が出てくることに驚かされます。後で図鑑で調べると、この花は1mにもなるそうです。

 本間さんがこうやってバスを停めてくれるのは助かります。他の乗客の手前、「停めて!」とはなかなか言いにくいし、実際に私はそれを別な旅行でやって、後でそれとなく苦情がでたことがあります(苦笑)

 

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クムラン

 国道からちょっと右(西)に入った所にクムランがあります(14:1314:55)。ここは死海文書と呼ばれる最古の聖書などが発見された場所です。死海文書を作ったクムランというユダヤ教の教団があり、おおよそ紀元前130年頃から、ローマに滅ぼされる紀元後70年くらいまでの間、禁欲的な生活をしていた場所です。

 

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 下の写真を見てもわかるように西側は岩山があり(写真下の1段目)、その手前に様々な遺跡があり(写真下2段目)、東には数キロ先に死海が見えます(写真下3段目)

 

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 イエス・キリストもこのクムラン教団に属していたという説もあります。イエスの教えと見なされている内容のいくつかがクムラン教団のそれとよく似ているからです。彼がクムラン教団に所属していたかどうかは別として、この教団を知らなかったということはありそうもない話です。キリスト教の信者にしてみれば、イエスの教えは神から与えられた独自のものであるとみなしたいのだろうが、当時のユダヤ教の反主流派であったクムラン教団の影響を強く受けたとするほうが、イエスの言動の説明がつきます。

 

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 ここが発掘されたきっかけを作ったのが死海文書の発見で、発見された場所は遺跡から見て山側の斜面にある洞窟です(写真下)

 

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 1947年、羊飼いの少年が洞穴に石を投げ込んだところ、壺が割れるような音がしたことが発見のきっかけです。たしかにあんな斜面の洞窟では二千年間、誰も行こうとしなかったのもわかる気がします。発見された当時の洞窟の様子が再現されています(写真下左)。その後、調査によって11の洞窟から同様の文書が発見されています。この壺に入っていたのが、ユダヤ教の聖書などで、そのコピーが博物館の中に展示されています。本物はエルサレムの博物館にあり、イスラエル考古学庁は2010年にネットで公開することを発表していますから、発表されたのでしょう。

 

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 死海文書については今日でもまだ議論が続いています。キリスト教にとって重要なのは、この文書がイエスの生存時期と前後していることです。死海文書の中に新約聖書の一部が入っているとする学者もいます。

バチカンは死海文書を異端として認めていないのだそうです。彼らにとって都合の悪いことが書いてあるのでしょうか。保守的で、科学的な事実すらも無視する彼ららしい。

今日の新約聖書が成立したのはイエスの死後三百年以上も後だと言われています。また、福音書と今日のカトリックの教義などと比較しても、素人目にも教えに違いがあります。理由は簡単で、今日、我々がキリスト教だと思っているのは、イエスが亡くなってから信者となったパウロが作り出したものだからです。

 

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イワダヌキ

 武田さんがイワダヌキ(ハイラックス)のいる所に案内するといいます(15:2915:42)。このあたりはエン・ゲディ国立公園になっており、イワダヌキが多く生息するそうです。

案内された所は自然の体験学習するような施設のある所で(写真下左)、さっそく岩の上に一匹、マーモットのような動物がいるのが見えました(写真下右)。もちろん、野生です。

 

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 よく見ると、川が流れたような跡の岩だらけの所に数匹、イワダヌキがいます。近づくと逃げますが、それほど人を恐れている様子はありません。他の動物もそうだが、イスラエルの人たちは動物を保護しようとする姿勢があるらしく、こういう野生の動物すらそれほど人を恐れません。

私は他の人たちがいなくなってからもしばらく見ていると、2匹のイワダヌキがにらみ合っている光景に出くわしました(写真下)。四〜五メートルほど先です。縄張り争いなのか、それともオスとメスなのか、これからどうするのかと見ていると、「帰りますよ」と声がかかり、残念ながら、結末は見られませんでした。

 

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 これらの国立公園や遺跡などに入場するのに、旅行者用に一括したチケットがあります(写真下)。2週間以内なら63カ所で30シェケル(720)ですから安い。公園の入り口で出すと、一昔前の列車のチケットのように穴をあけてくれます。穴の数からいうと、我々は8カ所訪ねたことになります。

 

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 車は再び、死海を左に見ながら、荒涼とした風景の中を今日の宿泊のホテルに向けて走ります。

 

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死海に浮いて新聞を読む

 死海のリゾート地エン・ボケックのホッドホテル(HOD HOTEL)に到着(16:08)

(http://www.hodhotel.co.il/english/index.html)

 

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 ここの部屋も大きな鏡を使って広く見せて、ちょっとおしゃれな絵が二枚飾ってあります(写真下)

 

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 部屋の窓から死海が見えます。洗面台ばかりか鏡の縁も石でできています・・いや、鏡の縁は模様の繰り返しがありますから、樹脂を混ぜた人造大理石のようです。でも、すっきりしていて、この洗面台にはよく合っています。

 

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 ただ、エアコンのボタンを押しても反応せず、冷蔵庫からは時計を刻むような奇妙な音が出るし(まさか爆弾!?)、シャワーの切替レバーが壊れ、バスタブの栓もおかしくてお湯が貯まらないなど、問題の多い部屋でした。

 

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 ホテルの前は死海のビーチです。皆さんが浮遊体験をするというので私もビーチまで降りてみました(16:35)。写真下は道路の斜め向かいにある隣のホテルとプライベート・ビーチです。

 

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 夕方ということもあり、客はほとんどいません。死海は静かです。意外だったのは、塩分の濃い湖なのだから、その周囲は塩だらけではないかと予想していたのですが、石にはそれほど塩がついていません。

 

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 死海は塩分が濃く、簡単に身体が浮いてしまうことで有名です。浮いたまま本も読める、ということで、本間さんは自社発行の新聞を持ってきて読んでいます(写真下左)。間違いなく職務を果たしたことを私が目撃者として証言いたします()

 

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 食事まで時間があるので、ホテルの向かいのショッピング・モールに水を買いに出かけました(写真下、17:05)

 

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この周囲はホテルばかりで訪れるのは観光客が主なのでしょう。ビーチサンダルがあるのがいかにも死海らしい(写真下左)。写真下右は死海で採取される泥から作った化粧品を売る店です。女性客なら一番熱を上げる店ですが、私は通過です。

 

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 店の前の庭にはラベンダーでしょうか、一面に咲いています。

 

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 テリアビブのホテルの近くの植え込みでも見かけた青紫色の花が一面に咲いています(写真下)。自然の花は少ないものの、植えられた植物にはかなり種類があります。もう少し見てみたいが、暗くなって来たので、明日の朝、散歩で探すことにして、夕飯の時間なので戻りましょう。

 

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 ホテルに戻り、ホテルのレストランで夕飯です(18:28)。ここもバイキングで食材も多く、申し分ありません。パンがおいしい。

 

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