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5日目 201137()

死海→マッサダ→イエロハム→ミツペ・ラモン

 

四時半くらいに目が覚めて、そのまま眠れず、五時過ぎに起床。未だに時差ボケが直らないようです。カーテンを開けると、まだ薄暗いが、今日も薄曇りの天気です。

 

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 今日はエン・ボケックから、南にあるロトの妻の塩柱を見て、北にあるマサダに寄り、その後、ここから百キロほど南にあるミツペ・ラモンに行きます。

 

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 今日も元気よく朝食です。外の風景を見ながら、パンもチーズもうまい。

 後日、イスラエルを旅行したことのある人たちに朝食の話をしても、ほとんどの人は「特においしいということはなかった」と賛成しませんでした。イスラエルの食べ物が私の口に合っただけなのか、あるいはこの旅行会社が選んだホテルがたまたま良かったのか、よくわかりません。

 

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歩道の花

 食事の後、出発までの時間を利用して散歩に出かけました(7:52)。昨日、植え込みなどに植えてある草花が気になったからです。ここはリゾートとして作られたので、街並みが都会的です(写真下)

 

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 公共のビーチがありました。死海はとても静かで、朝早いので、観光客もほとんどいません。

 

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朝早いのに水に入っている人がいます(写真下左)。死海は浮力が大きいので、浮くことはできるが、普通の泳ぎはできないそうです。また、顔をつけたりすると大変なことになります。どうするつもりなのだろうと見ていたのですが、彼は何もせずにそのまま戻ってきてしまいました。

 

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 ここにもハトがいます。イスラエルのハトは、日本でも見かける青や緑に光る羽を持つハトの他に、写真下のような、ちょっと小型で地味なハトがいます。

 

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 街路樹や道端に植えられた草花が花を咲かせています。

 

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 草花も昨日見たラベンダーはじめ、何種類も植えられています。

 

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 日本では道路の植え込みにはあまり背の低い草花は用いません。しかし、ここでは樹木よりも、草花が多いだけでなく、写真下のような地面をはうような草花が何種類か植えられています。そのほうが乾燥に強いのでしょう。

 

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 写真下の植物の間にパイプをはわせてあります。これは給水のためで、イスラエルの道路の脇の植え込みにはよく見られます。

 

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 写真下のスベリヒユのような多肉植物は地面を覆い尽くして、芝生のようになっています。

 

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ロトの妻の塩柱

 ホテルを出発して、いったん南下して岩塩の採掘現場を見学します(8:299:22)。ここには、聖書に出てくるロトの妻の塩柱があるというのです。

 

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 旧約聖書によれば、ソドムの退廃を怒った神様がソドムを滅ぼす時、ロトとその家族だけは逃がしてあげて、絶対に振り返ってはならないと言ったのに、ロトの妻が振り返ってしまい、彼女は塩の柱になってしまったといいます。ソドムは今でも発見されていないそうですから、これが見つかったら大発見です。

 どうもユダヤの神様は、うまそうなリンゴを見せながらリンゴを食うなとか、わざわざ後ろを見るななどと、人を試すようなことをします。後ろを見るななんて言われたら、見たくなるのが心情ですよね。神様に逆らって、塩になってしまったロトの妻とやらが、写真下左の真ん中あたりにある柱のような岩だというのです。このあたりは岩塩でできていますから、あれも塩の柱なのでしょう。

 

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 すぐそばで岩塩を掘っているので、音がします(写真下左)。ロトの妻が客寄せをしてくれているのだから、もうちょっと観光地らしくして、岩塩でも売ればいいのに、ごらんのように、ただの工事現場です。

 

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 写真下の岩のように見えるのは全部岩塩です。岩塩なので斜面は見た目よりもすべりません。

 

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 透明な岩塩が珍しいそうで、私はたまたまそれを拾い、欲しい人にあげました。

 

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 写真下など、波打ち際の模様がそのまま固まったのでしょう。

 

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 斜面から見ると、死海がかすかに見えます(写真下)。このあたりは死海の一番南側にあたります。

 

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 塩の採掘現場から今来た道を戻り、ホテルのあるエン・ボケックを通過して、そのまま北上し、遺跡のあるマサダに行きます。

 

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 上の衛星写真には死海にあばら骨のように横線が入っています。その実際の横線が写真下です。死海を区切り、泥などを採掘しているようです。

 

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 砂漠にある高圧線の電線に赤いボールがくっついています(写真下)。これは飛行機が高圧線にぶつからないためのものだそうです。もちろん、その飛行機とは戦闘機のことです。死海がヨルダンとの国境になっていますから、飛んでいてもおかしくないのだが、音速を超えた時の音なのか、ドーンという破裂音を聞くと、ビクッとします。

 

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マサダ

 国道90号からMasadaという看板の所で左(西)に曲がって(写真下左)、数キロ先の岩山がマサダの遺跡です(写真下右の中央部、9:51)

 

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 マサダ国立公園のビジター・センターに到着。展示室だけでなく食堂、売店を備えています。

 

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マサダは紀元前に、地形を利用した要塞として作られ、その後、宮殿として改築され、西暦70年にローマ軍に攻められ、二年間に渡る攻防の末、900人のユダヤ人が自決した場所です。この戦いを最後に、ユダヤ人は世界中に二千年近くもさまようことになります。

 それだけにユダヤ人のマサダへの思いはすごく、軍隊の入隊式はここで行われ、式典の最後には「マサダは二度と陥落させない」という言葉で終わるそうです。

 先の大戦で、日本人は一億玉砕を叫び、生きて虜囚の辱めを受けないと自決の道を選び、特攻隊という自爆を発明しました。それが生々しいだけに、日本人の一人としてはいささか複雑な思いです。「マサダは二度と陥落させない」という誓いこそが900人もの自決という悲劇を招いたからです。

 

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 マサダを紹介した映画をまず見て(写真下)、いよいよ、ロープウエイでマサダの遺跡に登ります。

 

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 ロープウエイからは死海方面が一望できます。

 

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 マサダには歩いて40分ほどで登ることもでき、実際登っていく人たちもいます(写真下)。しかし、標高差よりも、この暑さの中を登るのは容易ではありません。

 

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 眼下にローマ軍の陣地の跡所が四角になって残っています(写真下)。雨が少ないからなのでしょう。きれいな長方形に作るのはいかにも土木建築に優れたローマらしいやり方です。

 

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 ローマ軍の陣地の跡は写真上とは反対側の西側にもあります(写真下左)。ローマ軍は断崖絶壁の上にあるマサダを攻めるのに、土を盛って、坂道を作ろうとした跡が写真下右です。やはり、ローマは土木建築に優れているとしか言いようがない。

 

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 マサダは衛星写真を見てもわかるように、形がちょうど船です。船の甲板に相当する部分は写真下のように比較的平らなので、この上に石で街を作るのはそれほど難しくはありません。周囲は崖っぷちですから、敵に攻められても簡単には落ちないことは、歴史が証明しています。

 

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 問題は水や食料をどうやって供給するかです。しかし、そんなことを心配するのは、スーパーの値引き商品に目の色を変える私のような小市民だけで、王様は気に入った所に宮殿を作らせたのでしょう。

 

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 建物の遺構から見ても、かなり大きな街であり、普通の生活をしていたらしいことをうかがわせます。

 

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 壁には、漆喰の上に描かれた模様が彩り鮮やかに残っています。余裕ある生活をしていたのがわかります。

 

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 ここまでの写真を見ると、観光客がいないかのようですが、実はあたりは観光客だらけです(写真下)。ここは歴史的な意味も含めて、イスラエルの屈指の観光地だからです。

 

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 武田さんは手慣れたもので、他の観光地でも、観光客が列をなしている所を巧みに避け、先に空いている所に案内し、効率よく遺跡を案内してくれます。

 高校生らしい一団は課外授業でしょうか(写真下)。自決することよりも、生き延びることを学んでほしいものです。

 

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 船の先端部分にあたる所に宮殿の跡があるというので、険しい階段を下りて行きました(写真下左)。写真下右はその宮殿の部分を模型にしたもので、マサダの一番北側に相当します。

 

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船の先端部分の下ですから、眺望が180度以上です(写真下左)。ここに宮殿を作り、客を接待したといいます。崖なので広くはないが、漆喰で美しく塗られた宮殿で宴を開いたら、客には受けたでしょう。

 

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崖の北側なので適度に日陰になり、直射日光が避けられます。朝になれば、右側の死海方面から朝日が昇ります。朝日を見ながら、朝のお茶でも飲んだら、最高です。ここにホテルでも作ってはどうでしょう()

 

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 ここが発見されたのは半世紀ほど前ですから、遺跡の発掘は今でも続いているようです(写真下)

 

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 遺跡に丸い石が集められていました(写真下左)。戦闘で使う投石用の玉です。ビジターセンターにはきれいな丸い玉が展示されていました(写真下右)。こんな石が飛んで来たら恐いよなあ。運動神経の鈍い私など真っ先に当たりそう()

 

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 これまで写真を見てもわかるように、遺跡は乾ききった岩山です。しかし、そこにもたくましく生えている植物があります。

 

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 暑くて乾いた中を、さらに私はさして興味のない遺跡を歩き回るので(笑)、けっこう疲れます。冷たいビールでも飲みたいくらい乾いていて暑い。ケーブルカーで降りて、ビジター・センターで昼食です。

 

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 ビジター・センター内にある食堂で昼食をとりました(11:59)。料理を指さして適当に盛りつけてもらう方法です。味はイマイチで、イスラエルの料理の全部がうまいはずはないという当たり前の話でした。それでも、食後のオレンジはうまかった。

 

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 ビジター・センターの下は店になっていて、死海で採れた美容用の泥などが売られています。ここが安いというので、皆さんお土産として買ったようです(13:08)

 

 

ネゲブ砂漠を行く

 バスはエン・ボケックを通過して、死海を後にして(写真下左)、南西方向にあるミツペ・ラモンを目指します。

 

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道路はよく整備され、車もそんなに多くありません。あたりは行けども行けども、荒涼とした岩石砂漠が広がっているだけです(写真下)

 

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 砂漠の中に丘が見えます(写真下左)。武田さんの説明によれば、あれはコンクリート用の石灰岩を採掘した後のボタ山だそうです。たしかに、ボタ山の裏側には工場があります(写真下右)

 

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シャボテン農場

 アヤメの保護区に立ち寄るつもりで、国道204号からシャボテンの植えてある農場の手前で道路を左に曲がりました(14:21-14:43)

 

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ここに植えてあるのは全部シャボテンです(写真下)。ドラゴンフルーツのような実でも採るのか、それとも家畜の飼料なのかわかりません。一面シャボテン畑です。上の衛星写真から見ても、砂漠の中でここだけが緑に染まっています。砂漠の緑化には相当に効果があるのでしょう。シャボテンなのだから、砂漠に生えてもおかしくはないものの、ここまで一面に生えているのを見たのは初めてです。砂漠の緑化はこのシャボテンに大いに期待できそうです。

 

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 シャボテン農場のすぐ隣は、ごらんのような少し草がある程度の荒れ地というよりも、強烈な直射日光にされされた砂漠です(写真下)。こんな所にほんとうアヤメがあるのだろうか、という疑問どおりで、結果から言うとありませんでした。後でわかったのですが、アヤメの保護区よりも手前で降りてしまったのです。

 

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 間違ったものの、ここはここで興味深い所でした。こんな暑い(というよりも熱い)砂漠の中にも植物が生えて、花まで付けているのです。まず大きさで目立つのがツルボランの仲間です(写真下)。花を付けています。今回の旅行でも湿地帯からこんな砂漠まで、あちらこちらで見られ、とにかくすごい生命力です。

 

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写真上 Asphodelus ramosus (Wildflowers of Israel)

 

 足下を見ると、固く乾いた土の中からアマナのような小さな植物が白い花を咲かせています。

 

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写真上 Romulea nivalis (『イスラエル花図鑑』p.170)

 

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写真上 Astragalus caprinus  (Wildflowers of Israel)

 

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 写真下の植物は花芽がついています。残念ながら一株しか見つからず、花の咲いているのは撮影できませんでした。

 

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 土は直射日光に照らされて、おそらく五十度以上になっているでしょう。ところが、こんなところに虫がたくさんいます。ダンゴムシとフンコロガシのような甲虫です(写真下)。餌を探しているのか、忙しそうに動き回っています。いったい彼らは何を食べて生きているのでしょう。身体が黒いから体温が極端に上がってしまうだろうに、何だって日中活動するのか、不思議です。

 

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 もう一つよく見かけるのがカタツムリらしい貝殻です。もちろん殻だけで、あちこちに散乱しています。カタツムリは湿り気のある場所にいる生き物だが、こんな砂漠のような所にも適用しているようです。

 

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イエロハム自然保護区

 少し南に下ると、今度は「Yeroham Iris」とアヤメの名前の書いてある標識がありますから、ここです(写真下左, 14:52)。少し行くと、折れ曲がった看板には、Iris Yeruham Nature Reserve とあります(写真下右)。両者の綴りが違います。YerohamYeruhamはネット上では両方使われており、どちらが正しいのか、それともどちらでも良いのか、わかりません。

 

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 車で砂漠の中を進むと、看板はあるし、時々、案内板のようなものもあるのだが、おおよそわかりやすくはありません。道なき道を進むと、忘れた頃に案内板が立っています。どこがそれなのかよくわからないまま、車から降りてみると、矢印のついた標識があります(写真下)。どうやら、これがイエロハム自然保護区の順路らしい。

 

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 写真下のように、わざわざ囲んであるところを見ると、どうやら、そこに生えているのがアヤメのようです。花はありませんから、よくわかりません。図鑑の写真では黒っぽい紫のアヤメで、背丈のわりには大きな花のような印象ですから、見逃すことはありえません。

 

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 看板の矢印の方向に向かって私はずっと歩いてみました(写真下左)。おそらく、花が咲いている時期には、これが順路になっているのでしょう。それならどこかに花が咲いているのではないかと、息を切らせて歩いて行くと、やがて道はなくなり、そこに大きな岩が並べてあります(写真下右)。どうやら、ここが終点らしい。

 

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 時期が早くて、花が咲いていないようでした。たぶん、写真下の葉がアヤメのようで、まったく花芽がついていませんから、一週間以上は早いのではないかと思います。こればかりは自然が相手ですから、仕方ありません。

 

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 アヤメはあきらめて、咲いている花を見てみましょう。先ほどのシャボテン農場と距離が近いことあり、ほとんど同じような花と虫がいます。

 

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写真上 Romulea nivalis (『イスラエル花図鑑』p.170)

 

 武田さんは旅行の初日に「今年は寒いので、花が咲くにはちょっと早い」と言っていました。北部ではチューリップもアヤメも見られたのに、逆に南部は花が遅いというのも、おもしろいことです(15:48)

 

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写真上の下段 Retama raetam (『イスラエル花図鑑』p.167)

 

 

ベングリオンの墓

 イエロハム自然保護区からさらに南下して、ベングリオン記念国立公園(Ben-Gurion’s Tomb National Park)に到着(16:05)

ベングリオン(David Ben-Gurion)とはイスラエルの初代の首相です(写真下)。我々が到着したテルアビブにある国際空港は彼の名前をとり、ベングリオン空港と呼ばれています。

 

写真上:ベングリオン(Wikpediaより転載)

 

彼は一時政界を引退した後、突然、この公園の3キロほど北にあるスデ・ボケル(Sde Boker)というキブツ(共同農場)に一人の農民として入植したのです。

キブツ側には戸惑いがあったといいます。はっきり言うなら、迷惑だったのでしょう。彼は、緑豊かな北部に入植を希望する若者を前に、南部の不毛の砂漠に挑むように叱咤したといいいます。実際、彼はこのあたりのネゲブ砂漠に入植して見本を示したのです。政治家らしく、先頭に立って「おれに付いてこい!」というタイプだったようで、私が当時の若者なら真っ先に逃げ出したでしょう()。キブツにとってありがたいことに、彼は一年ほどで政界に復帰しました。

 駐車場から墓のある所までは写真下のような自然をうまく利用したような道が続いています。石を道端に転がしたままにしてあるなど、まるで日本庭園のような手法で作られており、なかなかおもしろい。

 

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お墓は意外に質素です(写真下)。石でできた夫妻の墓が、広場の真ん中にぽつんと置いてあります。なんの装飾もありません。

 

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 この日いた人たちはほとんどが高校生くらいの学生たちです(写真下)。教育の一環としてここを訪れるのでしょう。観光客らしいのは我々くらいです。日本では首相の墓を授業で訪れるなんて聞いたこともない。それは教育方針の違いなのか、それとも人材がいないことを意味するのでしょうか(笑)。

 

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 写真下左で、黒い服を着て高校生の前で説明しているのは公園を管理する人です。おそらくベングリオンについての話をしているのでしょう。だが、高校生たちはごらんのとおりです。各人勝手におしゃべりをしたり、ガムをかみ、どこか向いていたりと自由気ままです(写真下右)

 

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 彼らの自由でのびのびした様子に、私はちょっと安心しました。いくら立派な人でも、その人についての話を直立不動で聞いているような高校生なら気味が悪い。戦前の日本や今の北朝鮮のような光景は勘弁してほしい。

 

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 服装も自由で、騒ぎながら、ベングリオンの墓の上に挨拶として石を置いていく程度で、特に深く敬意を表すということもありません。

 

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 だが、他の高校生らしいグループの中にはちょっと雰囲気が違う人たちもいます。後ろ姿を撮らせてもらいました(写真下)。頭に丸い帽子のようなものを付けています。つまり、この高校生たちは非常に熱心なユダヤ教徒なのです。さらに驚くのが、写真下右を見てください。青いTシャツを着た男性が鉄砲を肩からかけています。これは高校生たちをテロから守るためで、イスラエルではよく見られる光景です。

 

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 墓がある場所は崖になっていて、そこから先は砂漠です(写真下)。この先にはエン・アヴダット国立公園など、自然と遺跡の公園があります。

ちょうど夕方なので、陽が後ろから斜めにさして、独特の色を出しています。騒がしい高校生や銃で武装した人と、この風景が同時にあるのが不思議に感じるくらい現実離れした景色です。私は引き込まれてしばらく見入っていました。

 

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 日陰になっている眼下の谷に自然保護の象徴になっているアイベックスの姿が見えます。親子なのか、大人が二匹、子供が三匹いて、何か食べています。鹿を見て騒いでいるのは日本人だけで、イスラエル人は誰も気にしません。彼らにとっては犬や猫がいるのと同じくらいなのでしょう(16:33)

 

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野生のチューリップを探して

 ベングリオン記念国立公園から、国道40号を少し逆戻りして、ちょうどベングリオンが入植したキブツの近くの公園に行きました(16:46)。武田さんの持つガイドブックによれば、このあたりに野生のチューリップがあるというのです。

 

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公園には軍人らしい人たちが訓練を受けています。そこを通り過ぎた写真下のあたりに野生のチューリップがあるようです。

 

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 残念ながら、ありませんでした。やはり今年は寒いので、季節が早いのでしょう。我々一向がチューリップを探しにドヤドヤとヤブのほうに近寄ると、ヤブの陰から若い兵士があわてた様子で飛び出していきました。どうやら、自然と対話していたのを我々に邪魔されたらしい。申し訳ないことをしました()

 

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 花が咲いていたのは砂ぼこりにまみれたゼニアオイの仲間だけでした(写真下、16:51)。もっとも、旅行中、この花が見られたのはここだけでしたから、その意味では収穫です。

 

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写真上 Malva neglecta  (Wildflowers of Israel)

 

 

ミツペ・ラモンに到着

 車は再び南に向かい、先ほど寄ったベングリオンの記念公園を通り過ぎ、ミツペ・ラモンの街に入り、今日の宿泊予定のラモン・イン(Isrotel Ramon Inn)に到着です(17:21)

 

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 ホテルのフロントの前に黒いツルが二匹います(写真上右)。中規模なホテルなので、ロビーは広くありませんが、緑があり小ぎれいです(写真下左)。貸し出し用の自転車が置いてあります(写真下右)。狭い街ですから、自転車で十分なのでしょう。

 

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 写真下のように、入り口から奥の窓に沿って暖炉のあるロビーが続き、さらに奥がレストランになっています。いずれも道路に面しているので明るい。

 

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 廊下の壁にはあちらこちらに絵がかけてあり、おもしろいのが、そのどれもが抽象画であることです。これはホテルとしてはかなり珍しいのではないでしょうか(写真上右、写真下)

 

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 部屋は寝室のほうが軽く仕切られているので広めで、ここにも洗面所とは別に、入り口のそばに水場があり、便利です(写真下の上段右)。ベッドの上の壁にあるのも抽象画です(写真下下段左)。プールもある三つ星ホテルで、私には十分に快適です。

 

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 ロビーの奥にあるレストランで夕食です(18:30)。ここの食事も文句ありません。パンはおいしいし、食後のデザートも大満足です。このままイスラエルにいたら、絶対に太ります。

 

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 隣のテーブルに夫婦と親子らしい家族が食事に来ました。夫婦二人に子供が七人、しかも、奥さんのお腹は大きい。十代半ばの長男は、顔が母親に良く似ていることもあって、姉弟でも通用しそうです。そこから推測すると、おそらくこの奥さんは十代で結婚し、少なくとも二年に一度は子供を産み続けていることになります。

 国から補助がなければ、これだけの子供を育てるのは難しいでしょう。イスラエルは人口を増やそうと、海外のユダヤ人の移住を受け入れているくらいだから、手厚く保護しているのでしょう。武田さんによれば、アラブ人なら子供が5〜6人いるのは珍しくないそうです。

小さい子供たちがこれだけいれば、日本なら傍若無人の大騒ぎになります。しかし、彼らは、もちろん静かではないが、迷惑というほどのうるささはなく、マナーをしつけられている感じでした。

 

 

 

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