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3日目 2010727()

新都橋→高尓寺峠(4412m)→雅江(2640m)→剪子弯峠(4659m)→卡子拉峠(4178m)→理塘→海子山峠(4657m)→稲城

 

 朝6時起床。曇っています。室温は19.7℃で、暑くも寒くもありません。昨日の夕飯と同じ、ホテルの近くの鑫康珠酒店で朝食です(7:00, 写真下)。ごらんのように料理らしい料理もありません。ただ、饅頭に塩分の強い漬け物をはさんで食べるとわりとおいしい。

 

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すでに荷物もバスに積み込んであり、出発するばかりです。しかし、食堂のニーハオ・トイレを見て、私はわざわざ宿泊したホテルまで歩いて戻りました()

 

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 本日は下記のように今回の旅行中もっとも走行距離も長く、強行軍です。

新都橋 → (74km) → 雅江 → (143km) → 理塘→ (150km) → 稲城

 

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距離は370kmでも、四千メートルを越える峠を四つ越えていきますから、順調に行けても十時間はかかるでしょう。

 では、出発です(7:42)。少し走り、橋を渡ると新都橋の市街にでます。そこで水を買いました(写真下左)。開いている店も少なく、街はまだ活気がありません(写真下右)

 

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 道路の反対側に、自転車で旅行している人たちが休息しています(写真下右)。さきほど、ホテルの前で折多山峠の方向から降りてきた人たちです(写真下左)

 

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我々は今こんなふうに自由に旅行しているが、半世紀前までは冒険旅行でした。

その一つ『チベットの素描』は当時、中国と友好国だった旧・ソ連の記者が1955年、2ヶ月半かけて、成都からラサ、さらにシガツェまで取材旅行した記録です。昨日紹介した『チベット横断記』と時期が重なっていますから、同じ旅行のようです。成都から雅安と康定を通過して、このあたりまでは我々と同じ道でした。我々はここから西に向かうが、彼らは北西の道をたどります。ここまでで、彼らの旅は十分の一ほどです。

 

『チベットの素描』(オフチンニコフ、講談社、1959)

 

 彼らはダライ・ラマ14世やパンチェンラマ10世にも取材しています。中国よりの記者たちだから、チベットには批判的な立場から記述しているが、それでも当時の生のチベットの様子が伝わってきます。すでに中国が深く入り込んでおり、ダライ・ラマもパンチェンラマも必死に独立を保とうと努力していたのが、彼らの言葉の端々から読み取れます。だが、四年後、圧倒的な軍事力の前にチベットは中国に飲み込まれていきます。それを可能にしたのが、1954年に完成したチベットまでの自動車の通れる道路で、我々が走ってきた道がそれです。

 

 

霧雨の高尓寺峠

 最初の峠、高尓寺峠(8:33,4200m)に到着。標識には4412mとありますが、私の高度計では4200mしかありません。この後もすべて私の高度計は標識よりも数百メートル低く指します。これは私の高度計がおかしいのかもしれません。

 

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 車を停めた目の前に写真下のような彩り鮮やかな門があります。ふらふらと中に入ろうとすると、烏里さんが「やめたほうがいい。金を取られるだけだ」と言う。中をのぞいても特に何かがあるわけでもなく、これで金を取られたのでは割に合わないでのやめておきました。

 

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 トイレなら金を払うのもわかるが、トイレは道路の反対側にあります(写真下左)。霧でよく見えないし、何を理由にして金をとろうとするのか、わからないので、チベット人の商売方法を推測するのをやめました()

 

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 あいにくの霧雨でも、四千メートルの高地ですから、周囲に花が咲いていますので、少し撮ってみましょう。

 

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写真上左:ゲンティアナ・プルゼワルスキイ(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.81)

写真上中:ビレトルム・タツィエネンセ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.100)

写真上右:シレネ・グラキリカウリス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.106)

 

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写真上:ポテンティラ・フルティコサ・リギダ(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.436)

 

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写真上:ポテンティラ・アンセリナ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.442)

 

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写真上左:レオントポディウム・ストラケイイ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.80)

 

 いくつか撮ってはみましたが、こういう峠の道路のそばは人が踏み荒らすこともあって、花の数も種類も少なく、あまり見るべきものはありませんでした。

 先が長いので、出発しましょう(8:49)。この峠を下りて、雅江(ヤージャン、ニャクチュ)に向かいます。

 

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雅江を通過

 森林地帯まで降りてきました。しかし、ここでもまだ四千メートル近くあるのだから、すごい。樹木が霧にけぶっていて、幻想的です(写真下)

 

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 高度を下げるにつれて、山にかかった雲から出て、周囲の風景が見えるようになり、さらには陽も射してきました。

 

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  バスの窓からは川縁に沿ったきれいな農村風景が見えます。

 

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 バスの後ろに積んだスーツケースなどが荷崩れを起こしたので、停車しました(10:00)。私の座っている席のすぐ後ろです。バスが停まっているのに、おとなしく待っている手はありません。私ともう一人が外に降りました。

 

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 バスが停まった前に家があり、そこから人のよさそうなオジサンが一人出てきました(写真下)。「タシデレ(こんにちは)」というチベット語の挨拶以外はお互いに言葉が通じませんから、勝手にそれぞれの言葉で何かしゃべり、あとは笑っておわりです()。でも、何となく楽しい。

 

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 ガソリンスタンドでトイレ休憩(写真下、10:46, 2518m)。一応、トイレはあるものの、言わずと知れたニーハオ・トイレです。しかし、女性にとってはないより良い。ガソリンも詰めないのにトイレだけ利用させてもらっても、店の人は文句を言いません。

 

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 目の前に流れているのは我々がずっと隣を走ってきた河で濁流です。目の前にあるのでそばまで行って、水がどの程度の冷たさなのか確認したいのだが、川縁は削り取られて崖になっていて近づけません(写真下)

 

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 平地が少ないので、ちょっとした隙間を利用して家庭菜園を作り、オバサンが水をかけています(写真下左)。ちなみに、菜園はトイレの隣です。

ガソリンスタンドの建物の前に公安の車が置いてあります(写真下右)。公安やその車を撮影すると怒られるので、誰もいないのをいいことに、チャンスとばかりに撮影しました。しかし、帰路の82日にここを通りかかると、この車はそのまま置いてありましたから、修理中の車のようです。

 

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 では、また悪路を進みましょう。

 

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 雅江(ヤージャン)を通過(写真下、10:46, 2047m)。今日出発した新都橋からここまで大きな街はありませんでした。ここから先、次の目的地である理塘までの143kmの間にもこのような大きな街はありません。

 

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 先が長いので、雅江では休憩はとらず、そのまま通過します。再び、高度を上げて、本日の2番目の剪子弯峠に向かいます。雲はあるものの、晴れていて良い天気です。写真下でみると、たいした山には見えませんが、大きく切り立った山がどこまでも続いています。

 

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森林限界を超えて、木が生えていない四千メートル級の高山地帯を進みます(写真下)。そこにも時々、民家がポツンとあるのがおもしろい(写真下右)。おそらく遊牧民たちの夏の居住地なのでしょう。

 

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剪子弯峠の高山植物

 剪子弯峠に到着しました(11:52, 4200m)。烏里さんはここにはブルーポピーがあるはずだと言います。

 

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私は仏塔の建っている側とは反対側の斜面を、烏里さんの後ろについて登り始めました。もちろん、酸素を持ったままです。斜面を少し登り振り返ると、仏塔のある頂上付近が(写真下左)、また西側を見ると、我々がこれから行く道がはるか彼方まで見えます(写真下右)

 

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写真上:サキシフラガ・メラノケントラ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.507)

 

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ペティクラリス・シフォナンタ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.173)

 

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写真上右:ペディクラリス・トリコグロッサ(『天の花回廊』p52

 

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写真上:ペディクラリス・ミクロチラ(『雲南花紀行』p.168)

 

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写真上:アナファリス・ネパレンシス (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.82)

 

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写真上:レオントポディウム・ストラケイイ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.80)

 

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写真上左:ムカゴトラノオ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.662)

写真上:ポテンティラ・アンセリナ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.442)

 

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写真上:シレネ・カンツェエンシス(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.76)

 

 おっ!今回のツアーで初めてのブルーポピーを見つけました(写真下)。だが、時期が少し遅いせいか、数も少なく、良い被写体はありません。黄色いポピーもありましたが、こちらは完全に花が終わっており、実を付け始めていました。

 

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写真上:メコノプシス・ランキフォリア

(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.142、『雲南花紀行』p.103)

 

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写真上:サルヴィア・スブバルマティネルヴィス(『雲南花紀行』p.166)

 

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写真上:ビレトルム・タツィエネンセ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.100)

 

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写真上:アリウム・タングティクム(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.119)

 

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キノグロッスム・アマビレ(『天の花回廊』p.18、『雲南花紀行p.164)

 

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写真上:ソロセリス・ヒルスタ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.69)

 

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写真上:リグラレア・ツァンカネンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.104)

 

 撮影には適した天気です。でも、肝心な花がそれほど多くはありません。特に、ブルーポピーが盛りを過ぎています。ちょっと残念に思いながら、次の峠に期待して出発です。

 

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卡子拉峠の手前でトイレ休憩

 

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 峠を越えていくのですから、道路は上がり下がりを繰り返します。しかし、このあたりは実際には下の写真を見てもわかるように、道路が上下というよりも、横に走っているのがわかります。

 

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 このあたりは山全体が四千メートルだから、できるだけそこから降りないで済むように、道路が造られているようです。写真上を見てもわかるように、森林限界をかすめるように道路が造られています。これなら木を切り倒す必要がないから、道路を造るのも楽です。

 

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 四千メートルを越えるというのに、放牧している人たちのテントがあちこちに、またたまに居住地が見られます(写真下)

 

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 下の写真で斜面に黒い点が見えるでしょうか。これは彼らが放牧しているヤクです。

 

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 トイレ休憩です(13:38-13:50, 4105m)。こういう有料トイレはたいてい0.5(7)くらいが多いのに、四千メートルの高地なので、1元です。もちろん、日本の有料トイレを考えたらとんでもない。建物の中はただのニーハオ・トイレです。

 

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 四千メートルの高地ですから、周囲は高山植物が生えています。私は早速、斜面を登り、写真を撮りました。もちろん、そんなことをしているのは私一人です。

 

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写真上:リグラリア・ネルムビフォリア(『雲南花紀行』p.177)

 

 撮っている時には、写真上と下の黄色い花は同じ種類だと思っていました。しかし、写真を見ると、明らかに葉の形が違いますから、別種です。

 

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写真上:リグラレア・ツァンカネンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.104)

 

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写真上:アユガ・ルプリナ(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.78)

 

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写真上右:ゲラニウム・レフラクトゥム

(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.387、『エベレスト花街道を行く』p.43、『エベレスト花の道』p.69)

 

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写真上左:モリナ・クルテリアナ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.125)

 

 では、またあの山を越えて先に進みましょう。

 

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 仏塔のある峠の一つを通過しました(写真下左14:00, 4190m)。たぶん、今日の三つ目の卡子拉峠ではないかと思いますが、はっきりしません。とにかく先が長いし、昼食はまだですので、全速力で通過です()

 

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 高原のあちらこちらに遊牧民たちのテントがあります。

 

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 単調なチベット高原の風景に飽きた頃、街が見えてきました(写真下左、14:383945m)。もしかして、もう理塘に着いたのではないかとちょっと期待しましたが、時間的には早すぎるし、もちろん別な街でした。

 

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 再び、小さな集落やヤクの放牧地を通過していきます。

 

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 写真でははっきりしませんが、写真下の山の斜面は黄色の花が一面に咲いていて、山全体が黄色みかがっているほどです。

 

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理塘で遅い昼食

 最後の峠を越えて(15:44, 4085m)少し下ると、やがて眼下に理塘の街が見えてきました。

 

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 理塘の街に入る所で公安の検問を受けました(15:56, 3775m)。理塘の街はいかにもチベットの街という雰囲気です。

 

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 街を歩く男性の多くはカウボーイのような帽子をかぶっています。

 

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 理塘市内の天天小喰屋という食堂で昼食を取りました。と言っても、すでに4時ですから、私などは空腹をはるかに通り越しています。去年の旅行もそうだったので、アメやビスケットを持ち歩くようにしています。

 遅い昼食は肉を挟んだ小さな餃子を浮かせたもので、味は悪くありません(写真下左)。ただ、私には油がきついので、ワンタンだけ食べて終わりにしました。

 

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 店の中は午後四時だというのに満席で、我々13人が座るのにも苦労しました(写真上右)。なんでこの時間にこんなに混んでいるのか、烏里さんも首をかしげていました。同席したチベット人は親子で、若者は坊さんの格好をしています(写真下右)。しかし、坊さんではなく、見習いか、在家信者だと言っていました。

 

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 遅い昼食()を終えて、ここから150km南にある稲城に向けて出発です(16:48)。距離的には理塘で一泊してもいいのに、あえて稲城まで行くのは、高度順応のためです。理塘は私の高度計ですら3800m近くをさしていますから、高山病になりやすいのです。いや、一部の人はすでに高山病にかなり苦しんでいます。そこで300mほど低い稲城まで行こうという訳です。

 

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 理塘は高原の盆地らしく、南にしばらく走っても平原が広がっています(写真上)。その南端から、理塘の盆地を眺めおろしながら、また山に登ります(写真下)

 

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海子山峠から稲城へ

  本日四番目の峠である海子山峠に向かって車は山を登って行きます。道沿いの周囲に奇妙な光景が広がってきました。河原の石のように角の取れた石が一面に転がっているのです。こんな山の上で大きな河があったとも思えないのに、山の斜面にまで最初から角の取れた石が露出しています。

 

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 ネット上の解説を読むと、海子山自然保護区のこの石ころを造ったのは氷河のようです。氷河が流れる過程で、河が石を転がして丸くしてしまうように、これらの丸い石を造り出したようです。こんな光景が何十㎞にも渡り続きます。

 

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 曇っていることもあり、すっかり薄暗くなっています。その中に、黄色のダイオウの群落が見えます(写真下)。烏里さんは旅行の最初にダイオウの群落があると言っていました。帰りにここを通りかかった時に撮影するということで、今日はバスから見るだけです。帰りにここが晴れることを祈るだけです。

 

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 雷が鳴り、雨が突然激しく降ってきたりと、四千メートルの山の上の天候は荒れ模様です。海子山峠の山頂部分はかなり広い湿地帯になって千以上もの湖があるそうで、写真下のようにあちらこちらに水が溜まった沼地が見えます(写真下)

 

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 荒れ模様の海子山峠を降りて、ガソリンスタンドでトイレ休憩です(19:54, 3560m、写真下)

 

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 ガソリンスタンドの南の川向こうは今日の目的地の稲城で(写真下)、目の前の橋を渡れば十分もしないで到着します。ただ、ホテルがすぐに探せるとも限らないので、先にトイレ休憩をしたようです。

 

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便座カバーのある稲城のホテル

 稲城のホテル・雲貴酒店に到着(写真下左、20:05, 3530m)

 

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http://www.yadin.cn/yg/

 

こじんまりとしたホテルで、フロントには耳にタバコをさしたオジサンとその妻と二人の子供たちがいます(写真下右)。住み込みの従業員なのでしょう。子供が二人いますから、夫婦のうち少なくとも片方はチベット族などの少数民族ということになります。

 売店がないので、フロントで酸素ボンベがないかと聞くと、机の下から出てきました。一本20(300)ですから、新都橋の30元よりも安い。

 

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 ホテルの敷地内にあるレストランで夕食をとりました(写真下、20:30)

 

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入り口の横にある料理場をのぞくと肉がぶら下がっています(写真下右)。入り口に調理場があり、客から丸見えなのは中国ではよく見られます。ここでも辛くない物もあるので食べるのには困りませんでした。野菜が豊富なので助かります。

 

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 ホテルの部屋も設備は悪くありません。残念なのはここもネットがないことです。フロントにもありませんでした。これだけの街だから、ネットカフェくらいはあるにしても、今から探しに行く気力がありません。室温が18.1℃で、肌寒く感じます。

 

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 おもしろいのは洗面台で、全体がアクリルでできています(写真下)。蛇口をごらんください。アクリルの円盤の真ん中にレバーがついており、それを動かすと、水やお湯が円盤を伝わって下に落ちるという仕掛けです(写真下右)。ずいぶんと凝った蛇口だが、アクリルの円盤が実用上なにか深い意味があるのか、いろいろ試してみましたが、わかりません()。たぶんデザイナーの遊び心なのでしょう。

 

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 お湯は電気で沸かすやり方です。シャワールームは前にゴルムドで使ったのと同じで、ボックス式になっています(写真下中央)。これは側面からお湯がでて、身体全体にシャワーを浴びせる仕組みですが、壊れているらしく、手持ちのシャワーを使うのがやっとでした。ボックス自体を密閉しても、排水溝が詰まっているらしく、シャワーの水は洗面所の床に漏れて、トイレのそばまで水浸しになります。ここは一階なので気にする事はありません。

 

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 ホテルで初めてお目にかかったのがトイレの便座カバーです(写真下左)。室温も低いから、便座カバーはありがたい。ただ、洗濯した物なのかどうかわからないので、私は外して使いました。

 

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