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5日日 2010729()

日瓦(香挌里拉)→亜丁

 

 7:00起床して、窓の外を見ると、晴れています!この日は旅行の目玉である亜丁なので、大いに期待できます。

 

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 8:00からホテル内で食事を取りました。同行の人がインスタントみそ汁を持っていて分けてもらいました(写真下左)。これをお粥に入れて食べるとおいしい。旅行中はインスタントみそ汁と梅干しをお世話になりました。

 

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 晴天の中、亜丁に向けて出発です(写真下)

 

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 今日の行き先は下図のようになっています。今いるところが香格里拉(日瓦)で、仁村を通り南下して亜丁村まで行きます。亜丁村が今日の宿泊地です。ここで昼食を取った後、さらに南にある沖古寺を通って洛絨牛場まで行きます。

 

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 日瓦の街を少し出た所に管理センターがあります(写真下左)。観光客はここで登録しないといけないようです。2007年頃の日本人の旅行記に、個人旅行で稲城から亜丁に入ろうとして検問所で止められて、押し問答して、結局入れなかったという記述があります。ここでは亜丁の自然を守るために一日500人という入場制限をしているようです。

 我々はここから亜丁までの約20kmを舗装された道路でいきますが、前は7時間もかけて馬で行ったといいます。亜丁がまだ秘境だった時代の話です。

 

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 掲示板には、中国語の下に「稲城亜丁観光地ガイド全景図」と日本語で書いてあります(写真下)。その下に英語、韓国語でも書いてあるところをみると、日本人の観光客は少数派ではなさそうです。

 

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中国人のカメラ

 日瓦の谷から少し登った所にある最初の展望台から仁村が眼下に見えます(9:45, 3295m)

展望台には他にも中国人や韓国人の観光客がいます。見ていて驚いたのは、その大半の人がキャノンやニコンの高級一眼レフを持っていることです(写真下右)。何十万円もする高級一眼レフに、これまた値段の高いレンズを付けています。私のグループも写真好きな人ばかりで、フルサイズと呼ばれる高級一眼レフを持っている人もいるのに、彼らの道具には圧倒されました。中国の物価を考えたら、とんでもない値段です。たまたまこの時、こういうグループが集まったとしても、今の中国は桁違いの金持ちが増えているという証拠なのでしょう。

 

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 展望台には分別用のゴミ箱もあります(写真下)。外側が木でできているのがなかなか良い。将来的にはゴミ箱自体が廃止され、各個人がゴミを持ち帰るのが一番です。

 

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 展望台の看板には、中国語、英語、日本語、韓国語で説明があります(写真下)。中国の看板はどこもおかしな日本語があふれています。きっと日本の英語など外国語表示もこんなものなのでしょう。

 

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“仁村”は代々英雄が出る地方を意味し、以前私県の四大土司の1つ――日瓦土司の駐在地です。現在村の中には土司の官塞が残されています。この村は山に沿って建てられて、入り乱れて秩序があって、合計80戸の村民がいます。1年2期の農作物区で、私県の典型的な民族伝統風格の山村です。建築風格は1戸に1棟の石木造の建築を持っています。右側のカスター地形の大山の名前は獅子山と言って、聞くところによると、牛郎神山の馬だったそうです。

 

 説明文によれば、日瓦は昨日私たちが泊まった街の地名ですから、そこを治めた役人(土司)の住処がこの眼下の村にあったということのようです(写真下)

 

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 説明文の「右側のカスター地形の大山の名前は獅子山」で、獅子山が馬だという説明もわからないが、もっと問題なのはどれを指すのかよくわからない。この看板は展望台の上にあり、眼下のやや左側の谷に仁村が見え、そこから右側といわれると、写真下のような光景で、谷の奥は(写真下右)は昨日我々が泊まった日瓦の街があるところです。ごらんのように、ここ山だらけで「カスター地形の大山」とわざわざ言わなければならないような山はありません。

 

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 「カスター地形の大山」とは、村とは正反対の南側の山、つまり看板の真後ろを指しているのでしょう(写真下)。ごらんのような巨大な岩山が見えます。下にあった亜丁のセンターの地図にも、牛郎神山(4760m)という名前がありましたから、おそらくこれでしょう。牛郎神山の高さは、日瓦のホテルにあった地図では4100mとあり、かなり違います。

カスター地形とは日本語のカルスト地形のことで、ヒマヤラは海が隆起していますから、石灰岩の山があり、カルスト地形を作っているのでしょう。

 そこで問題は、どれが牛郎神山でどれが獅子山という馬なのかという点です。この重大な問題を私は薄い空気の中でしばらく考えていました()

 

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 中国のホームページを見ると、写真上の左側と真ん中(①と②)の岩山を牛郎神山として紹介していますから、右側のややなだらかな岩山()が馬ではないかと思われます。そんなふうに見れば、馬が地面に休んでいるように見えないことはない。

 ただし、これにも問題があり、実は①)は②とはまったく別な山で、もっと南側にあるのです。後で、別な展望台から撮った写真が下の写真です。写真下左は①の岩山そのものです。写真下右は②を後ろから見た写真です。

 

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 もう1つ考えられるのは、この牛郎神山と谷を隔てた右側の山(写真下右)が馬を表すという可能性です。岩が露出しているから、カルスト地形と言われれば、そんな気もします。ただ、どう見ても獅子にも馬には見えません。

 どちらにしろ、説明に絵を付けてくれれば簡単に解決することです。

 

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 展望台で親子(たぶん)が薬草を売っています。ここでも彼が採取したらしい雪蓮花を売っています(写真下右)。昨日、店の前で干していたのは10(150)なのに、ここは50(750)だといいます。雪蓮花にもいくつか種類がありますから、高いか安いかわかりません。この後の値段を見ても、だいたい1050元くらいがここでの相場のようです。

 

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雪蓮花を買わないと断ると、「じゃあ、冬虫夏草はどうよ」と箱ごと差し出します(写真下)。冬虫夏草は一本が25(375)というから、相場の値段です。箱ごとの値段ではなく、箱に入っている小枝ほどの冬虫夏草の一本の値段です。この箱一つなら何万円もするでしょう。

写真を撮り終えて、出発です。

 

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山が見えた!

 バスを走らせて間もなく、「おお!」とバスの中から歓声があがりました。亜丁にある三山の一つ、仙日乃(シャンナイリ、xiannairi)が姿を現したではありませんか(写真下)

 

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しかも、よく見ると、仙日乃の左側にも雪をいただいた白い峰の先端が小さく見えています(写真上左)。三山のもう一つ、夏若多吉(シャヌオドウジ、xianuoduoji5958m)です(写真下)

 

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三山のうち、いきなり二つも見えてしまった!山に囲まれているから、それほど高く感じませんが、両方とも六千メートルもある山です。

 

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二カ所目の展望台

少し行くと二つ目の展望台があり、そこで観光客が撮影しています。

 

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 目の前の三山にばかり目がいきますが、周囲を見ると、最初の展望台から見た牛郎神山などの岩山が奇観を見せています(写真下)。最初の展望台では一つに見えた岩山が、ここでは、西側(写真下左)と北側(写真下右)とに分かれ、別な山であるのがわかります。これを撮っている人はほとんどおらず、皆さん三山のほうに夢中です。

 

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 山を撮るのに夢中になっていると、フッととても良い香りがします。足下を見ると、崖にちょうどバラの花が咲いていました(写真下)

 

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写真上:ロサ・シカンゲンシス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.95)

 

 

三カ所目の展望台

 バスを進め、三カ所目の絶景スポットで写真撮影です。さらに山に近づいています。

 

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 左前方(南東)には夏若多吉とそれに連なる雪をいただいた山が見えます。

 

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 道端に咲いているヤナギランを背景にするととてもきれいです。写真下右の群馬さんのようにして撮る時は牛糞が時々あるので気を付けないといけません。

 

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 山にばかり注意が行っていたが、周囲を見ると、ヤナギランが土手の上に一面に咲いています。

 

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エピロビュム・アンガスティフォリウム

(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.352、『花の回廊』p.18)

 

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写真上右:ルメックス・ネバレンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.669)

 

 道端にせっかくきれいに咲いているヤナギランを取っているオバカさんもいます(写真下)。自然保護もさることながら、みんなで花を楽しむという考えがないようです。

 

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四カ所目の展望台

 さらに車を進め、今日、宿泊予定の亜丁村の谷が眼下に見える場所で、車を停めて夏若多吉(シャヌオドウジ)を撮りました(写真下、10:58)。ここは展望台ではないが、なかなかの眺望です。

 

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仙乃日は雲に隠れてしまいました(写真下左)。眼下には亜丁村が見えます。

 

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 道端で雪蓮花などを売っています。売り子の女性たちはちょうど車座になって昼食の最中です(写真下左)。このあたりなら、どこで食べてもピクニックです。食べているのは、写真下右はビニールがかかっていてわかりにくいが、小麦粉を練って、ウチワみたいに薄くして焼いたパンのような食べ物です。昨日、麦狩りしていたチンコー麦で、チベット人の主食です。

 

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 売っているのは雪蓮花が主で、色の違いで値段に差があります。

 

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写真下左の左端と、写真下右の右端にあるのは漢方で使われるオニク(肉蓯蓉、Boschniakia rossica)の仲間のように見えます。こういう道端ではたいてい売っています。私は二十数年前、中国の東北部を旅行した時、店に売っているのを見て、なんだかよくわからないが、物は試しで買いました。酒に漬け込んで飲んだところ、私の背中に羽が生えて空を飛べるようになったので、今回は買わずに帰りました()

 

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 こういう薬草を買うかどうかは難しい問題です。彼らから買えば、私は安く買え、彼らの懐は潤い、生活は向上する。しかし、売れるとわかれば彼らはこれらの植物を競って採取するから、自然が破壊される。特に雪蓮花は五千メートル前後の高山に生えている植物と言われていますから、いったん減り始めたら、元に戻すことはかなり難しい。薬草が減れば彼らも採取できなくなるから収入も減る。薬草とお金と両方を失うことになります。日本と違い面積が広いから、簡単に薬草は枯渇しないだろうが、逆に言えば、気がついた時は取り返しがつきません。

 

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 売り子の女の子にカメラを向けるとポーズをとってくれます(写真上、写真下左)。しかし、隣の赤いジャージを着た女の子にカメラをむけると、イヤだと、後ろのシャンナイリのように隠れてしまいました(写真下右)

 

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 雨具と軍手を売っています(写真下左)。それを見て、私は馬に乗るのに手袋を持ってくるのを忘れたことに気がつきました。軍手一双が5(75)は日本での値段から見ても高く、おまけに質も悪かった。ただ、ないと手を痛めて困るので一双買いました。この後の二日間の乗馬には役立ちました。

 

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亜丁村の花畑

 バスに乗り、亜丁村に降りていく途中で、夏若多吉(シャヌオドゥオジ)がきれいに見える場所があったので、バスを停めました(写真下、11:12)

 

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 足下の谷を見ると、一面のお花畑です。

 

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ビストルタ・マクロフィラ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.660『天の花回廊』p.36)

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写真上:イリス・クリソグラフェス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.112 )

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写真上:アリウム・マクラントゥム(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.78)

 

 写真下のキンポウゲは白と紫の二つありますが、両方とも同じ種類です。

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写真上:アネモネ・オブトゥシロバ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.620、『中国秘境に咲く花』p.34)

 

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写真上:プリムラ・シッキメンシス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.83)

 

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写真上:ルメックス・ネバレンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.669)

 

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写真上左:オキシトロピス・ラッポニカ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.416)

写真上右:アナファリス・コントルタ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.84)

 

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ペディクラリス・ムッソティ・ロフォケントラ(『花の回廊』p.12)

 

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写真上下:ヘラクレウム・カンディカンス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.347)

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写真上:アステル・バタンゲンシス(『雲南花紀行』p.175)

 

 

亜丁の宿泊所に到着

 本日の宿泊地である亜丁山庄接待貼に到着(11:54,3610m)。写真下左の左側が食堂、右側が我々が泊まった建物です。

 

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 食事の準備ができるまでの間、周囲を見てみましょう。建物のすぐそばはジャガイモ畑になっています(写真下)。こういう気候の厳しい所で育ったジャガイモはきっとうまいでしょうね。

 

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 宿泊所の少し手前の道に生えていたネギ坊主のような植物が気になっていました。いったいこれは花なのか、実なのか。

 

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写真上下:ディプクサス・イネルミス(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.124)

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 ネギ坊主の頭の部分に白く小さな花が順次咲いていくらしく、ハチやチョウチョが集まっていました(写真下)

 

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写真上:シレネ・グラキリカウリス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.106)

 

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写真上左:パリス・ポリフェルラ var. ステノフィラ

(『中国秘境に咲く花』p.23)

 

 昼食です。食堂の入り口の左右に二枚の布が張ってあります。どうやら、それぞれの旅行会社とタイアップしているか、あるいは直営店のようです。

 

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(http://www.cots.com.cn/jap/, http://www.maguotou.com.cn)

 

食堂はテーブルが三つほどと、売り子のいない売店があるだけです。ここで、翌日の朝食まで三食を食べました(写真下)

 

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 食堂の隣の台所でおじさんとおばさんが我々の食事の準備をしています(写真下左)。ここも野菜が多く、それほど辛くないので、食べられます。

 

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 荷物を部屋に入れて、食事をした後、車で数分の亜丁の入り口に行きました。

 

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馬に乗って登山開始

 入り口(龍龍壩)で入場料150(2250)を払います(13:38)。ここから馬に乗っても行けるというので、大半の人が馬を選びました。もちろん、私も馬です。

 

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 写真下が馬の乗車券です。金を払うとこの二連の領収書をくれます(写真下)。仕分けをしている人が馬を決めます。馬主は下部分の赤い半券を受け取り、緑部分を客に渡します。おそらく、馬主は後で赤い半券を組合に持ち込み、料金をもらうのでしよう。我々が払うのは上りが40(600)、下りが30(450)です。

 

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 乗り場は客で混んでいます。少し待っていると、馬が何頭かまとまって降りてきました。馬にはコンクリートの台の上から乗ります(写真下)。しかし、右利きの人にとっては、馬の左側から乗ったほうが乗りやすいように思うのだが、なぜか右側から乗ります。

 

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 出発です(写真下、13:54)。馬一匹に馬子が一人つきますから、安心です。馬子は我々のリュックを背負ってくれます。サービスかと思っていたら、後で料金を取られました。写真下左の女性がリュックを背負って馬を引いています。こちらは馬に乗っているのだから、背負ってもらうのは気の毒なくらいです。

 

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彼らはリュックを取らんばかりに、背負いたがります。こちらが「軽いし短距離だからいいよ」と断っても何度も取ろうとします。彼らが必死にリュックを背負おうとするのは、馬代は組合に管理されているが、ポーター代は彼ら個人が受け取れるからです。ポーター代金こそが彼らの重要な収入だと知ったのは、翌日、馬から降りてからでした。それは明日、お話します。

 

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 道はかなり整備されていて、登りもそれほどきつくはなく、ここが四千メートルでなく、また馬糞を気にしなければ、普通の人ならわざわざ馬に乗るほどではありません。だから、自力で登っていく人たちもいます。我々のグループにも帰りは自力で降りた人もいました。もちろん、私は往復すべてに馬を使いました。体力の温存だけでなく、馬に乗ってみたいからです。

 

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 揺れる馬上から写真を撮るのはやはり楽ではない。ファインダーなどのぞけるはずもなく、適当にカメラを構えて撮ったのですが、意外に写っていました。私がカメラを片手で構えるたびに、馬子が心配そうに見ます。

 

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 交通量は意外に多い。危ないので、人のいない時に写真を撮っていますから、多いようにみえませんが、実際は登り下りともにひっきりなしに馬や人が通ります。

 

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 馬の駅(扎灌崩)に到着(写真下、14:25)。ここで荷物を背負ったポーター代金を請求されました。他の人が10元をだすと首をふります。掲示板には10元以上とあったのだから、問題はないはずなのに、30(450)だというのです。私の軽い荷物をこんな程度の距離で30元はないだろうと思い、日本語で文句を言って、値引き交渉すると、彼はあっさりと引き下がって行ってしまいました。タダ働きさせたようで気持ちが悪いので、彼を追いかけて探しだし、30元を払いました。

 

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 おっ、リスがいる!などと騒ぎながらカメラを向けるのは日本人だけで、周囲のチベット人はまるっきり見もしません(写真下左)。彼らにとってリスなど犬や猫くらいなのでしょう。またリスも人間をあまり恐れる様子はありません。チベット人はリスを食べないからでしょう()

 

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 後から来る人を待っていると、チベット人たちが道の片側に並んでいます(写真下)。なにが始まるかと見ていると、私の前を黄色い袈裟を着た坊さんが、日傘をさして通り過ぎました。目の前にいたチベット人がお金を差し出すと、坊さん彼のほうを見向きもせずに、黙って受け取りました。

 チベット人が尊敬するエライ坊さんだと気がつき、正面から写真を撮りたかったが、彼らの信仰心を軽視するようで悪いので、かろうじて後ろから撮ったのが下の写真です。白い傘をさし、黄色い袈裟の坊さんの後ろ姿が小さく写っているがおわかりでしょうか。チベットたちがこの坊さんにお金などを出して供養しているのです。この先に沖古寺という僧院がありますから、そこの坊さんでしょう。

 

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  目の前でチベット人が差し出したお金を受け取る時の坊さんが、まるで釣り銭でも受け取るようだったのが少々気になりました。せめて、お金を差し出したチベット人に祝福くらいしてあげればいいのに、チベット人のほうを見ようともしませんでした。仏教では、僧侶は供養されてもお礼などいいませんから、彼の態度が間違っているとはいえません。ただ、お金などの供養を直接手で受け取ることはお釈迦様の時代からしません。また、一般にチベットの坊さんは愛想がいい人が多い印象を持っていたので、私はちょっと驚いてこのオエライ坊さんを見送りました。

 

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歩いて沖古寺まで登る

 馬の駅から次の沖古寺までは右手前に仙乃日を見ながら徒歩で登ります(写真下, 14:55)

 

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山道は整備されていて、それほど険しいものではありません(写真下)。ただし、やはりここは四千メートルですから、ゆっくり歩かないと息が切れます。

 

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 道は川に沿っており、川に落ちないようにという日本語の注意書きがあります(写真下)。普通に歩いている分には川に落ちるような道ではありません。しかし、かなりの急流でしかも冷たいでしょうから、落ちたら確かに危険です。

 

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 道の両側は花がたくさん咲いています。

 

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 上と下のアズマギクは花はそっくりですが、別種のようです。上は一つの茎から花がいくつも咲き、下は一つの茎から一つの花しか咲きません。

 

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写真上:アステル・バタンゲンシス(『雲南花紀行』p.175)

 

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写真上左:ボネロルスキ・クスア(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.696)

写真上右:ロードデンドロン・カピタータム(『中国秘境に咲く花』p.56)

 

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写真上:ロサ・シカンゲンシス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.95)

 

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キノグロッスム・アマビレ(『天の花回廊』p.18、『雲南花紀行p.164)

 

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 サクラソウが道の土手にたくさん花を咲かせています。今回の旅行では一番サクラソウが多かった場所です。

 

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 登山道の右前に仙乃日があり、時々、木立の間から姿が見えます(写真下)。ここから見ると六千メートルの山というよりも裏の岩山のようで、簡単に登れそうです()。仙乃日を含めた亜丁の三山はすべて未踏峰です。

 

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 山を登っていく途中から、夏若多吉が山の間から美しい姿を現します。ここからの姿が今回の旅行中、我々が見た中では一番、すっきりとした姿でした。写真下の右側に黒く写っている岩山は仙乃日の一部です。

 

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 仙乃日は観音菩薩にたとえられように、横に広く、穏やかな印象です。一方、ここから見る夏若多吉は金剛手菩薩や少年にたとえられるように、剣のように天空に突き刺さっています。

 

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沖古寺に到着(15:29)

 

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 ここからは、川向こうの西側に沖古寺というチベット寺院が見えます(写真下)。我々のグループでは何人かそこまででかけたようです。私は時間がなかったので行きませんでした。

 

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沖古寺の西に珍珠海という湖があり、晴れれば仙乃日が湖面に映ると旅行記で読んでいました。しかし、今回は、明日も牛奶海という別な湖を目指すので、そちらにも行きませんでした。

 

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 ここは案内所と休憩所、そして車の始発点になっていています。地元の人が薬草などを売っています(写真下)

 

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 ここからの展望もすばらしい。夏若多吉(シャヌオドゥオジ)がちょうど谷の真ん中に見えます。

 

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 谷の右を見上げると仙乃日が木々の間から見えて(写真下)、休憩所を作っただけあって、ここは二つの山の絶景ポイントの一つです。

 

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エンジンのついた電気自動車?

 ここから今日の目的地である洛絨牛場までは車で行けます(15:38)。往きが80(1200)、帰りが50(750)で、片道が約8kmですから、日本的な感覚から言ったら、高くはありません。ただ、中国の物価を考えるとかなりの金額です。

 

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 写真上左の切符売り場の看板をみればわかるように、Electric bicycle(景区電瓶車) とありますから、電気自動車のことでしょう。その電気自動車というのが軽四輪ほどの黄色い車です(写真上右と下)

 他の人の書いた旅行記でも電気自動車だと書いてあったので、私は、中国も環境に配慮して電気自動車を使っているのだろうと、感心していたのです。だから、動き出した時、エンジン音がすることにびっくりしました。

 

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まさか、点火プラグに電気を使っているから電気自動車だという屁理屈ではないでしょうね。もちろんハイブリッド車でもない。電気自動車からガソリン車に変えたのかもしれません。というのは、20098月の他の人の旅行記に載っていた自動車の色は緑でした。しかし、我々が乗ったのは大半が黄色です。この旅行記では、電気自動車が坂道を登り切れず、男性は下りるように言われたそうです。そこからすると、電気自動車は設計ミスで馬力が出ないので、今年からガソリン車に変えたのでしょう。

 

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 私のもう一つの疑問は、この自動車をどうやってここまで持ってきたのかという点です。途中までの約4kmは馬や徒歩の道だけです。バイクで登ってくるチベット青年もいましたから、バイクは通れても車は無理です。では、日本の軽四輪よりはやや大きいこれだけの車体をどうやって運びあげたのか。

日本ならバラバラにして、ここで組み立てたとか、ヘリコプターで運ぶなどでしょう。私の期待は、そんな普通に思いつくありふれた方法ではなく、たとえば走れる所は車で走らせ、坂道は腕力で人が担ぎ上げたなど、柔な日本人には考えつかないような方法をチベット人ならやってのけたのではないかということです()

 

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 自称・電気自動車は静かな谷にエンジン音を響かせながら、狭いコンクリート道路をおそらく時速3040kmくらいのかなりの速度で走ります。林の中をくぐり抜けると、やがて見晴らしのよい開けた谷にでます。

 

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 道は谷に沿って走るので、比較的平坦で、歩いて来ようと思えばできないことはないでしょう。歩道も別に作ってあります。実際、日本人でここを歩いたという人の旅行記もありました。ただ、車だからあっという間ですが、距離は8kmとかなりあります。

 

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 谷の右側(西)は仙乃日で、反対側(写真下)も草木が生ているその上から岩山が突き出しています。晴れていて、風も気持ちが良い。

 

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 谷が開けて来ると、おお!進行方向に山頂に雪をいただいた央邁勇(ヤンマイヨン)が姿を現しました(写真下の奥)。ついに我々は一日で亜丁の三山を全部見たことになります。雨期のチベットで、まさか三山が見られるとは期待していなかったので、私は笑いが止まりません()

 

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 央邁勇は三山の中でももっとも絵になる美しい山で、烏里さんのホームページにも飾られているのを前から見て知っていました。烏里さんの写真は赤い光を浴びた央邁勇で、後で聞いてみると、朝日を浴びた姿だそうです。

 

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 正面()の央邁勇に近づくにつれて、いったん見えなくなっていた夏若多吉が谷の左側()にまた姿を現しました(写真下)。沖古寺あたりから見た切り立った山というイメージとはちょっと違います。

 

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洛絨牛場から見た央邁勇

車は終点の洛絨牛場に到着(15:56, 3995m)。右(西)は仙乃日(シャンナイリ)なのだが、近すぎて山頂は見えません。

目の前の央邁勇(ヤンマイヨン)の姿の美しさに圧倒されます(写真下)。チベット語の央邁勇とは文殊菩薩の意味だそうです。また、東側の夏若多吉(シャヌオドゥオジ)を少年に、この央邁勇を少女とたとえるそうです。私の印象では、仏菩薩にたとえるよりも、少年や少女にたとえたほうに一票投じます。央邁勇の横に広がり、しかも頂上部分がすっくと立ち上がったような気高い雰囲気は、チベットの少女というたとえのほうが合っています(写真下)

 

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 車から降りると、そこは山に囲まれた広い湿原になっていて、洛絨牛場(luorong niuchang)というくらいで、元々は放牧地だったのでしょう。湿原に板で歩道が作ってあり、湿原の中程にある展望台まで続いています。

 

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歩道を歩くと、左後ろ(西)には仙乃日の岩肌が迫まり(写真上左)、右後ろ()には夏若多吉が(写真上左)、正面()には央邁勇が美しい姿を見せているなど(写真下)、見所満載です。

 

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 周囲は広々とした湿原が広がり、川があちらこちらに流れ、小さな沼があり、黄色く見えるのは主にキンポウゲが一面に咲いているからです。

 

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 我々は車の発着所から下りて、湿原の歩道に進みましたが(写真下左)、車はそのまままっすぐ進みます。終点には立派なコンクリートの建物が見えます(写真下右の右端)。写真下では見えにくい写真しかないのは、ここにはあまりに不似合いな建物で、写真を撮る気にならなかったからです。

十月にオープンするホテルだそうです。この他に木造のロッジがあるとネット上の旅行記にはありましたが、どこなのかよくわかりません。数年前の旅行記ですら、ビニールで囲ったテントのような所に泊めてもらったというような話があります。いよいよ、ここも本格的に観光化されるのでしょう。ただ、環境保護を考えると、ここよりもまず亜丁村にしっかりとしたホテルを作るのが先決のような気がします。

 

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写真上は歩道から東側、夏若多吉を見た時の風景です。写真下では歩道から南側、央邁勇の方向を見たときの風景で、右側に仙乃日の山頂の一部と思われる部分が見えています。

 

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改めて、亜丁の三山を紹介すると、下記が漢字名、発音記号、それを日本語読みした読み方、それぞれの山が表す仏菩薩名、高さです。

央邁勇、yangmaiyong(ヤンマイヨン)、文珠菩薩、5958m

夏若多吉、xianuoduoji(シャヌオドゥオジ)、 金剛手菩薩、5958m

仙乃日、xiannairi(シャンナイリ)、観音菩薩、6032m

発音については中国人の作った日本語のホームページや案内書を見てもバラバラで、日本人の旅行記も統一されていません。たとえば、次のような記述をしている人たちもいます。

夏若多吉・・シャルオドルジ、シャルオ・ドジェ、シャロドジ

仙乃日・・・シェンナリ、シャンレリ

 東側の夏若多吉も雲がかかり、刻一刻と姿が変わっていきます(写真下)

 

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 歩道の終点は広場になっていて、ベンチも少しあり、山を見るのにちょうどよい展望台になっています(写真下)

 

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 ここでも雪蓮花、オニクという毎度お馴染みの薬草を売るチベット人がいます(写真下)

 

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 この展望台は、特に央邁勇を見るのには一番良い場所です(写真下)

 

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晴れ男・晴れ女がいる!

 今のチベットは雨期ですから、三山のうち一つがチラッとでも見えたら喜ぶべきで、それを三つとも見られたなんて、なんというラッキー!。ここにしばらく滞在しているという観光客が、昨日はこのあたりは霧に包まれ、何も見えなかったと言っていたそうです。私はベンチに座り、ぼんやりと山を見ながら、この時確信したのであります。

「我々のツアーの中に、晴れ男・晴れ女がいる!」

 

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 写真下の湿地に立っている看板には央邁勇について次のような日本語の説明があります。

 

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央邁勇のチベット語は“文殊菩薩”を表します。彼女は3基の雪峰の南峰で、海抜が5958メートルです。文殊菩薩は仏教の中の知恵の化身です。雪峰が文殊大師の手の中の知恵の剣のようで、天空をまっすぐ目指しています。上品で純潔な央邁勇は傲然と天地の間に立っています。1928年、ロック先生は雲南の稲城との隣接している群山のの峰の中に“彼(央邁勇)は私の見た世界での一番美しい雪峰です”と書いています。(誤字脱字は原文のまま)

 

 説明文のロック先生とは、アメリカ人のジョセフ・ロック(Joseph Rock, 1884 – 1962)のことで、彼は1928年にThe National Geographic Magazineという雑誌で、亜丁の三山を初めて世界に紹介した人物です(写真下)

 

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写真上左 (http://drjosephrock.blogspot.com/)

写真上右 (http://huntbot.andrew.cmu.edu/hibd/departments/Archives/Archives-HR/Rock.shtml)

 

 おもしろいことに、1990年代まで、彼が撮影した山は隣接する雲南省の山だと思われていたのだそうです。いったいどうやったら、こんなわかりやすい山を間違えるのか、彼が掲載したという写真を探したのですが、わかりませんでした。

 

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 山を撮ることに夢中になり、湿原に咲いている花が後回しになりました。歩道から湿原に下りるわけにもいかないので、撮影はかなり制限されます。看板にも日本語で、草花に配慮するようにという注意書きがあちこちにあります。

 

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写真上:レウム・スピキフォルメ(『ヒマラヤに花を追う』)

 

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写真上:ギムナデニア・オルキディス

(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.115、『雲南花紀行』p.138)

 

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写真上:ユンクス・ギンギー(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.636)

 

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写真上下:ラヌンクルス・ブロテルシー(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.630)

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 展望台の前の川に橋がかかっており(写真下左)、その向こうの斜面にいくつか小さな建物があります(写真下右)。周囲には何件か家らしい建物もあり、チベット人たちの夏の住居なのでしょう。次の日わかったのですが、ここはさらに奥にある牛奶海などに行くための馬の発着所になっています。

 

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西斜面の高山植物

  烏里さんによれば、川向こうの斜面に花がたくさんあるというので行ってみることにしました。湿原と違い、こちらは自由に立ち入りができます。

 

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写真上:ランヌクルス・ブロテルシー(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.630)

 

 まず目につくのが、鮮やか青色の小さな花をつけているアマビレです(写真下)

 

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写真上:キノグロッスム・アマビレ(『天の花回廊』p.18、『雲南花紀行p.164)

 

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写真上:プリムラ・シッキメンシス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.83)

 

 昨日、稲城から日瓦に来る途中にも少しだけデルフィニウムが咲いていました。ここでは、雑草のように生えています。ただし、種類が違うようです。

 

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 一番多いのが白いキンポウゲで、斜面に一面に咲いています(写真下)

 

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写真上:アネモネ・リヴラリス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.615)

 

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夕暮れの山々

 五時をすぎて陽がかげり始めると、私のいる斜面は仙乃日の東側なので、日陰になり、逆に陽の当たっている山がきれいに見えます。翌日も含めて、この時が最も山が美しく見えました。

 

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日射しが斜めになって、とてもきれいです。日差しと影や雲が刻一刻と変わっていくので、見飽きません。

 

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 もうそろそろ六時で最終の車が出る時間です。皆さんで記念撮影をして、ここを後にすることにしました。もう展望台にもほとんど人がいません。

 

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 後ろを振り返りながら、車の発着所まで戻ります。今日は天気が良かったので三山を見られたが、明日は見られないかもしれないからです。

 

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 車に乗る前、皆さんに忘れずにご紹介しなければならないのはトイレです。洛絨牛場には、車の発着所に立派な水洗トイレがあります(写真下左)。ニーハオトイレではありません。夏若多吉を背景とする水洗トイレなど、世界中探してもここしかありません()

 

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亜丁の谷を戻る

 6時の車が最終便だというので、三つの山と明日の再会を約束して、戻ることにしましょう(18:00)

 

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 陽がかげりはじめた谷の中を猛烈なスピードで車は走り抜けます。

 

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 我々が最後かと思っていたら、今からまだ洛絨牛場に行く人たちもいるようで、すれ違うたびに運転手は車を停めて立ち話です(写真下)

 

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沖古寺の近くにある車の発着所に着いてみると、ほとんど客がいませんでした(18:17)

 

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 夕方の仙乃日を見上げながら(写真上右)、ここから馬乗り場まで徒歩で下山します(写真下)

 

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 馬の駅(扎灌崩)について、まず乗馬券を買います(写真下左)。手配担当者の台帳を見ると、登録された馬に平等に仕事が渡るようにしているようです(写真下右)

 

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 番号ごとに馬が割り当てられ、券を持った客と馬主がお互いを探すので、客の数はそれほどでもないのに、混乱します(写真下、18:33)

 

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 この時乗った馬が今回乗った中では最悪でした。鞍の上にロープが渡してあるから、そこに座れば尻が痛いに決まっている。出発する前に苦情を言うと、その時はずらしてくれるが、乗っている内に当然ロープは元に戻ります。距離が短いので、あきらめました。

おまけに馬主は歩きながらタバコを吸うものだから、「おい、よせ」と私が言うと、離れて歩くが、煙は彼の意志とは関係なしに私のほうに来ます。まだまだ彼らには客へのサービスという概念がありません。

もっとも、日本だってつい最近までタバコを吸わない人の前で吸うのが当たり前でした。高校時代、先生方がタバコを吸いながら、生徒には吸うなというのを見て、私はとても疑問に思いました。いくら法律の範囲でも、他人に禁止するなら、勤務時間中くらいはまず自分が模範を示すべきです。

 

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 麓の入り口(龍龍壩)の所で馬を下りると、もう客もいないので、馬主たちは仕事を終えて、馬を連れて帰っていきました(写真下右, 19:03, 3605m)

 

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小ぎれいな宿泊所

 19:23、宿泊所に無事戻りました(3645m)。宿泊所の同じ食堂で夕食です(写真下、20:00)。毎回、変わり映えしないメニューだが、野菜が多く、それほど辛くないので、私には食べやすい。

売店で水を買うと、なんと5(75)で、これまでの1.5元を考えるとすごい値段です。三千メートルの高地とはいえ、普通に車が通り、我々は小型バスで来たのだから、輸送費を考えても高い。

 

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 部屋は四畳半くらいの広さで、ベッドが二つあるだけで、洗面室などはありません(写真下左)。建物自体に洗面所もトイレもないので、洗面は食堂の建物の隣の水場でします。沢の水を引いているらしく、水は出しっぱなしです。ペットボトルにこの水を汲んで透かして見てみましたが、きれいな水です。屋外ですから、晴れているからいいが、雨なら大変そう。

清潔そうなシーツのあるベッドの個室があり、停電もありませんでしたから、文句は言えません。私の部屋は山側なので、窓からは山の斜面の緑が見えて、植物が好きな私にはなかなか良い(写真下右)

 

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 ネットで他の人の旅行記を読み、もっとひどい部屋での雑魚寝を覚悟して、私は夏用の寝袋まで準備していました。こういう高山では湿気がひどく、毛布や布団が湿っていることは珍しくありません。だが、室温は17.5゚とかなり低いものの、天気が良いせいか、湿気もないので不快感はありません。電気毛布もついています。寝袋は使わないまま日本まで持ち帰りました。

 部屋や食事などは立派とは言えないが、私の感覚では文句はありません。しかし、この宿泊所の最大の問題はトイレです。ネット上での旅行記にも亜丁の宿泊所について「過ごしにくいことは無い。トイレ以外。」と書いてあって、私もこの意見に激しく賛成します。

この宿泊所のトイレは写真下で、周囲はとても風景が良く、入り口にはきれいなキンポウゲの花が咲いていた、とだけご紹介しておきましょう。

 洛絨牛場に建築中のご立派なホテルを造る前に、この亜丁村の宿泊所のトイレをもう少し改善すれば、少なくとも日本人の客は増えるでしょう。

 

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今回の旅行ではこの宿泊所が正念場でした。2006年頃、この亜丁村に滞在した人が、民宿で雑魚寝はまだいいほうで、あぶれると、屋外のビニールのテントしかないと書いていました。当初の旅行計画ではここに3泊の予定だったのが、前後が日瓦(香格里拉)になり、亜丁は一泊だけとなりました。私は出発前、ここの宿泊設備を心配して、烏里さんに何度もメールを出したので、口うるさい客のために配慮してくれたのでしょう。

 私は丸一日興奮しっぱなしだったので、ぐっすり眠れました。

 

 

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