トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7
8
9
10 7日目 2009年7月19日(日) 日隆→夾金山→宝興 窓を開けると、三日目にして外は晴れています(写真下)。 同じレストランで、ワンパターンの朝食をとりました(7:30)。テーブルをよく見て下さい。テーブルに赤い布をかけた上にさらにビニールがかけてあります。写真下右はその準備をしている所です。食事が終わると、ビニールだけ外して捨て、新しいビニールに取り替えます。中国ではテーブルの上に食べちらかすのは珍しくないので、この方法が後かたづけが簡単で清潔だというわけです。街の食堂でもよく見かけます。ただ、ビニールはヒラヒラの安物なので、あまり見た目も使い心地も良くありません。 四姑娘山とようやくご対面 ホテルを出発して、まず昨日行った展望台に四姑娘山を見に行きました(8:30、写真下)。 三度目の正直とでもいうのか、今日は四姑娘山の四人姉妹が全員顔をそろえています(写真下)。姿を現すのが遅いので、ご紹介がすっかり遅れてしまいました。四姑娘山とは狭い意味では写真上の一番高い山を指すのですが、四人姉妹(四姑娘)という意味では、写真下の四つの山を指します。一番右から、長女(大姑娘山, 5025m)、二女(二姑山, 5276m)、三女(三姑娘, 5355m)、そして一番高いのが四女(四姑娘山, 6250m、写真上)です。 北西の方角に日隆の街が見えます(写真下左)。我々の泊まったホテルは海子溝の山に隠れて見えません。日隆から目線を上にむけると、はるか彼方の雲の中に、いくつもの高い山々が見えます(写真下右)。日隆が3千メートルであることを考えれば、6千メートルをこえる山々でしょう。規模がでかい。 展望台といっても、実は砂利を敷いただけのただの広場です(写真下)。たぶん、これから整備されるのでしょう。この日の見物客は我々しかいませんでした。 ホテルの前まで戻り、昨日の店で買い物をしました(9:23)。一番の目的は、日隆に来る途中の小金で烏里さんが買った「沙棘」という健康食品です(写真下左)。私は他に水(1.5元)とコーラ(3元)を買いました。すると、オジサンは昨日と同じように、ニコニコ顔でまた5元だと言うのです。もうこちらも笑うしかありません。私はもちろん4.5元しか払いませんでした。「0.5元オジサン」の顔を見てあげてください(写真下右)。いかにも金を貯めそうな顔をしています。 夾金山峠にむけて出発 いよいよ、本日の目的、夾金山に向かって出発です。車はいったん、三日前に来た小金の西方向に戻り、その途中から夾金山のほうに南下します。 川縁に生えているノイバラの写真を撮りたいので、車を停めてもらいました(9:34)。 写真上:ロサ・シカンゲンシス (『世界のワイルドフラワーⅡ』p.95) 川縁も少し歩くと、いろいろな花が咲いています。 写真上:クレマチス・トメントサ (『世界の山草・野草ポケット事典』p.169) 小金に行く道の途中から左(南)に曲がり、夾金山峠を目指し、登り始めます。 夾金村を通過して(9:59)、村の上流にある夾金湖(正確な名前は知らない)の湖畔で休憩しました。水をせき止めた人造湖のようです。湖面は静まりかえり、山の緑や空の青を映してなかなか美しい。 写真上:タリクトラム・ケリドニー (『世界の山と高山植物のアルバム』) 相変わらず道は悪く、所々で道路工事をしています。しかし、もう悪路にも慣れてしまうと、長時間、通行止めさえなければ気になりません。 夾金山峠のお花畑 しだいに高度をあげ、山に樹木がなくなると、道路脇の斜面にお花畑が出現しました。 写真上:ギムナデニア・オルキディス (『世界のワイルドフラワーⅡ』p.115) 写真上:フロミス・メラナンタ (『世界のワイルドフラワーⅡ』p.105) 写真上:カルサ・バルストリス (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.590、『中国秘境に咲く花』p.36) 写真下のコバイケイソウはあちこちに生えています。しかし、奇妙なことに私の手元にある図鑑には一種類も載っていません。これだけ目立つ植物で、しかも、特に珍しいとも思えないのに、どうして載っていないのでしょう?? 写真上:ペディクラリス・ダビディ (『中国秘境に咲く花』p.82。『世界のワイルドフラワーⅡ』p.125に載っているが、名前不明とある) チベットアツモリソウがあった 何カ所か目の斜面で、ついに烏里さんがアツモリソウを見つけ、一同は大喜びしました(11:58、3585m)。今日はこれが見つかるのではないかと期待していたからです。奇妙なことに、アツモリソウは烏里さんが見つけた周囲にしかありません。そこにあるのだから、もっと周囲にもあるだろうと、斜面を移動してみるのですが、みつかりませんでした。 写真上下:キプリペディウム・ティベティクム (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.691、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.110 『花たちのふるさと』p.45) 花の終わりかけたアツモリソウがたくさんありましたから、どうやら、我々は最後の時期に間に合ったようです。本で見たときも、奇妙な形をした花だとは思ったが、実物を見ると、やはり奇妙な花です。 写真上:モリナ・クルテリアナ(またはコウルテリアナ) (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.125、『世界のワイルド・フラワー』p.79) 写真上:アネモネ・オブトゥシロバ (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.620、『中国秘境に咲く花』p.34) 写真上:ケラスティウム・ケラスオイディス (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.655、『ヒマヤラ百花』p.68,p.117) ゲラニウム・レフラクトゥム (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.387、『エベレスト花街道を行く』p.43、『エベレスト花の道』p.69) 写真上 リグラレア・ツァンカネンシス (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.104) 写真上:ゲラニウム・ムウピネンセ (『中国秘境に咲く花』p.91) 写真上:パルナッシア・キネンシス (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.475) 写真上:アスター・スーリエ (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.88、『中国秘境に咲く花』p.79、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.88) 写真上右:レオントポディウム・ストラケイイ (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.80、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.89) 写真上左:ユンクスの仲間 (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.736) 写真上:コドノプシス・ネルボサ (『世界の山草・野草ポケット事典』p.165) コリダリスの燃えるような青 崖とは反対側の崖の下に一面に青いコリダリスが咲いています(12:23、3655m) 。まあ、なんというか、「燃えるような青」です。中には群青のような濃い青の花もあります。 青いケシ、青いコリダリスなど、平地よりも青い花が多く、また高山になればなるほど、一般に青色が強烈になります。 上のコリダリスは30~50cmほどもありますが、崖にはに5~10cm程度の小さなものがあります(写真下)。大きさだけでなく、大型のコリダリスは花の突起物が尖っているのに、小型のほうは丸いですから、別種なのでしょう。 下記は花の形が違いますから、あきからに別種のようです。 写真上:プリムラ・シッキメンシス (『中国秘境に咲く花』p.47、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.83、『雲南花紀行』p.128、『エベレスト花街道を行く』p.24)、 写真上:ヴァレリアナ・ハルドウィッキー (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.127) 写真上:カルダミン・タングトルムまたはカルダミン・マクロフィラ・ポリフィラ (『中国秘境に咲く花』p.96または『ヒマヤラ植物大図鑑』p.534.、『雲南花紀行』p.152) 写真下は黒い毛虫君です。こんな高山でよくがんばっているなあと感心してしまいました。 紫色の青いケシ 山頂の少し手前の道路脇の土手に紫色のケシを烏里さんが発見(13:26、3900m)。そばの急な斜面を登ると、同じ紫のケシがたくさん生えています。 写真上:メコノプシス・ラケモサ (『世界のワイルドフラワーⅡ』p.98, p.138) 図鑑などで見ると、昨日、巴朗山峠で見た青いケシと同じメコノプシス・ラケモサのようです。しかし、巴朗山峠のラケモサは青いケシが主流だったのに、ここでは紫色ばかりで、青は一つもありません。花の色が違うからといって別種だとは言えないものの、どうしてこちらには青が一つもないか、たいへん興味深く感じます。 ラケモサが生えている所に、巴朗山峠でも見かけた小型の青いケシ、ランキファリアがあります。巴朗山峠ではやや青みかがった色もあったのに、ここはほぼ紫です。私が地面にはいながら撮っているので大きく見えますが、ここで見かけたのは実際は20cmくらいです。 写真上:メコノプシス・ランキフォリア (『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.142、『雲南花紀行』p.103) 黄色いケシもありますが、ここでもすでに咲き終わっています。 写真上:メコノプシス・インテグリフォリア (『中国秘境に咲く花』p.30、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.96,p.139) 海子溝では一面に生えていたポンポンクサ(私のつけた呼び名)も、ここでは数が多くありません(写真下)。 写真上:ポリゴナム・スファエロスタキウム (『中国秘境に咲く花』p.71、『ヒマヤラ植物大図鑑』p.662) 写真上:プリムラ・プラッティー (『中国秘境に咲く花』p.46) 写真上左:ソロセリス・フッケリア (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.69、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.88) 写真上右:コリダリス・リナリオイデス (『中国秘境に咲く花』p.27、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.99) 夾金山峠の山頂を通過 13:30に夾金山峠の山頂に到着(3905m、写真下)。 峠の頂上の検問所で止められてしまいました。周さんだけでなく、烏里さんも外に出て、何か交渉しています。周さんに渡された紙(写真下)では、通過時間に制限があるようです。この峠を下りた所にもう一つ検問所があり、時間内に到着しないと、通過できないようです。 我々が日隆に到着した翌日、成都からこの夾金山の峠を越えて日隆に到着した日本人のグループがあり、彼らの到着時間は夜中の一時だったといいます。つまり、我々もここまではそれほど支障なく来たが、これから先は道路工事で何時間かかるか予想もつかないのです。 山頂付近でも道路工事が行われていて、もう作業が終わったのか、労働者たちがトラックに乗って下山するところです(写真下)。 時間までに下の検問所を通過しなければならないので、もう花の写真はなしです。ちょっと残念ですが、窓から見ていると、峠の北側に比べて、南側はケシなどは見あたりません。道路はいたる所工事中で、斜面が削り取られて、赤土がむき出しになっているのは、どこで見ても無残です(写真下右)。 早くも工事で通行止め(14:54-15:33)。昼飯がまだなので、この時間を利用して、車の中で軽く食事を済ませました。 少しすると、先ほど頂上にいた労働者を乗せたトラックが追いついてきました。手を振って写真を撮ると笑っています(写真下)。 周囲は三千メートル級の山の上なので、気温はそれほど高くないものの、陽射しが強いので、とにかく暑い。 擁壁を見ると、素人目にも、これではまた簡単に崩れてしまいそうです(写真下右)。 道路の両側には高山植物が花を咲かせています。 写真上:ゲンティアノプシス・バルドサ (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.241、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.92) 写真上右:リグラレア・ツァンカネンシス (『ヒマヤラ植物大図鑑』p.104) 高山地帯のアザミは花が咲いているのか、枯れているのかよくわからないのが多く、ここで見かけたアザミもたぶんこれが花を咲かせている状態なのでしょう(写真下)。 写真上:プルネラ・ウルガリス (『世界の山と高山植物のアルバム』) 三十分ほどたって、ようやく出発。夾金峠から山を迂回しながら次第に高度を下げて、川が流れている谷まで降りていきます。山の斜面に沿って大きく迂回しながら走るので距離がすごい。たとえば、下の二枚の続き写真をごらんください。写真右の道路が降りてきた道で、この道を皆さんの目線の後ろの方向に山に沿ってぐるりと降りていくと、写真左の左側に見える道に出て、さらにこの道は山を半周しながら、写真左の右下にちょっとだけ見える道路につながります。 下の地図で見ると、峠の検問所から谷川の検問所までは直線で10kmもありません。ところが、現場は上の写真のような高山で、道は山に沿って走るのでその何倍もの距離になります。 うねうねした山道を降りること約三時間、ようやく谷川に下りて、検問所を無事通過しました(16:18, 2385m)。だが、今日の移動予定距離のまだ半分も来ておらず、ここから今日の宿泊予定の宝興までは60km以上もあります。ただ、河に沿って下るだけで、山道ではありませんから、何もなければ二時間もあれば着くはずです。 河を少し下ったところで、景色の良い所があったので休憩しました(写真下、16:37, 2130m)。 車に乗り少し進むと、同じような建物の並ぶ村が見えてきました(写真下)。風景に驚いて、私は車を停めてもらいました。村全体がほぼ統一された建物で、しかもどれも最近建てられたように新しい。新しくここに入植したにしては村の雰囲気は古く、古い建物もあるし、これらはアパートのような集合住宅ではありません。ほぼ同じ時期に建て替えをするというのは、どういうことなのでしょう。 去年の地震なのか。でも、それにしてはどの建物も立派で地震の急ごしらえには見えません。特に産業があるようにも見えないこの村に、どこから突然お金が入ってきて、どうしていっせいに建て替えをしたのか、しばらくみんなで推測をいろいろ並べてみたが、わかりませんでした。 理由はどうあれ、周囲の山の緑に溶け込んで、村全体がとてもきれいです。景観は財産ですから、もう少し、日本もこういう景観を見習ってほしいものです。 リーガル・リリィだ! 「ユリだ」という烏里さんの声で、車は急停車しました(17:40 1395m)。道路の崖の上のヤブの二ヶ所から白いユリが突き出ています(写真下)。 写真上:リリウム・レガレ (『中国秘境に咲く花』p.22、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.101、『花たちのふるさと』p.18) このユリは学名のregaleからリーガル・リリーと言われます。日本でもオウカンユリという和名よりも、リーガル・リリーのほうが有名のようです。 花の姿形は特に珍しい印象はありません。庭に生えていそうな、花屋の店先に並んでいそうなユリです。それもそのはずで、このユリは、昔イギリス人が四川省の山奥で採取して持ち帰り、その後の新しい品種を作る上で基本になったとされています(『花たちのふるさと』p.67)。四川省からヨーロッパ経由で、今日我々の目にしているユリになっているかもしれないのです。 イギリス人が「山奥」で苦労して手に入れた話がテレビで紹介されたので、私はこのユリはとんでもない山奥に生えていて、見るのは難しいだろうと思っていました。ところが、ネット上の旅行記に、臥龍から巴朗峠を越えて日隆に入った人たちが、臥龍側の道路でこのユリを見たという話を書いていました。イギリス人が「奥地から苦難の末に持ち出した」(『中国秘境に咲く花』p.129)というのに、車が通る道端にそんな「山奥」のユリが生えているなんて見間違いではないかと疑っていましたが、どうやら本物だったようです。 ユリが咲いている所から十数分走ると、橋の手前でまた工事のために停車させられました(写真上、17:52、1380m)。やれやれ、またか、と車の外で待つことにしました。夕方になり少し気温が下がったせいか、外のほうがまだ蒸し暑くありません。 烏里さんが川沿いの脇道を歩いていきます。脇道は橋ができる前の旧道だったのかもしれません。私もついていくと、烏里さんが崖を指さしました。崖には先ほど見たリーガル・リリィがたくさん咲いています(写真下)。その時、車のほうから「出発するよ」という呼び声が聞こえました。通行止めが解除されたのです。私は急いで車のほうに戻り、手招きしている人に「ユリがある。ユリ!」と大声で叫び、それから撮影のために戻りました。しかし、残念ながら、私の雄叫び(!)は聞こえなかったようです。 素人の私が植物の専門家にケチをつけるのはなんですが、次の文章はいかがなものでしょう。 「ウィルソンがこの峡谷でオウカンユリを発見したのは1903年のこと。」(『中国秘境に咲く花』p.129) 「イギリス人のプラント・ハンターのひとりA.ウィルソンは二十世紀初頭、中国の四川省の奥地の険しい崖で、このリーガルリリーを発見した。」(『花たちのふるさと』p.67) 読んでいておかしいと思いませんか。ウィルソンがこのユリを「発見」したとある。では、百年前、この地方に住んでいた人たちはこのユリを知らなかったのでしょうか。今日こうやって道端でも見られるのだから、地元の人たちにとっては当たり前に見ていたはずです。それをヨーロッパに最初に報告したからといって、「発見」はおかしくありませんか。これではまるで地元の人たちは人間ではなかったかのような書き方です。 昔の教科書には「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と書いてあって、学生だった私は目が点になりました。アメリカには昔からインデアンが住んでいたのですから、発見はおかしい。これと同じで、発見というのはヨーロッパから見てであって、外から採取にきたにすぎないのなら、発見ではなく、確認とか紹介と言うべきでしょう。 さすがに学者は次のように、「発見」という言葉をもっと厳密な意味に用いています。 ここにいう「発見」には注釈が必要だろう。新発見の植物とはいえ大部分は、その植物がみつかった場所の住人には未知でも何でもなく、薬草として使われていたかも知れないからだ。これはあくまでも学問上の発見を指す。(『ヒマラヤの青いケシ』p.57) 烏里さんは撮影を終えて行ってしまい、私は、どうして他の人が来ないのだろうとやきもきしながら、この絶好な被写体を撮りました。崖の上にのぼって近くから撮りたいが、いつまでも待たせるわけにはいかないので、あきらめました。後で写真の撮影時間をみると、わずか2分でした。 宝興に到着 宝興のホテル・夾金山賓館に到着(18:30 1055m)。検問所から約二時間ですから、ほぼ予定どおりです。 ホテルからこの街で一番おいしい店として紹介された濾州飯店に食事に出かけました(19:30-21:00)。奥に部屋がいくつかある程度の街の普通の店です。ホテルが推薦しただけあって、なかなかうまい。全般に辛いので私は食べられる物が限られているが、それでもテーブルの真ん中にある牛のあばら骨の上に乗せたスペアリブはなかなか美味でした(写真下)。 食後、街の中を散歩しながら、帰ることにしました。雨上がりだということもあり、湿気がすごく、蒸し暑い。 川岸の道路から、市場を横切って順城街の通りに出ると、まだ開いている店があります(写真下左)。果物屋で私は小さな青いリンゴ2つを1元(15円)で買いました(写真下右)。前に木から直接もぎとったリンゴに比べるとまだましという程度で、おいしくはありませんでした。 向かい側の店は衣類などを20元(300円)からの安売りをしています(写真下左)。烏里さんがサンダルを、女性がズボンを買いました。9時をすぎているので、街は人通りが少なくなっています(写真下右)。 河は康定と同じように、川岸の歩道が整備され、彫りの入った石の欄干があり、公園のようになっています。川岸や、そこに面した建物にネオンサインでついていて、ちょっと安っぽくはあるが、霧が出ているのでなかなか風情があります(写真下)。 十時少し前にホテルに戻りました。夾金山賓館は小ぎれいで、湿気も下水の臭いもなく、エアコンも効く(笑)。ネットがないのが残念なだけで、昨日までの日隆のカビホテルに比べたら、文句の言いようもありません。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7
8
9
10 |