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10 11 12 2日日 2010年7月26日(月) 成都→雅安→二郎山→康定→折多山峠→新都橋 7:00に起床して、ホテルの部屋の窓から外を見ると雨です(写真下)。成都としては当たり前の天気です。この日は、この後少し晴れた程度で一日中曇りでした。 ホテルの一階にあるレストランで朝食をとりました(8:00~、写真上)。良いホテルですから、朝食も品数がそろっています。 食事を終えて、いよいよ出発(9:31)。12日間、移動に使うのはマイクロバスです(写真下)。トヨタなので私は大いに乗り心地を期待しました。だが、道路が道路であるというのと、私が座った席が後ろのタイヤの上だったために、前の座席にしばしばしがみつくことになりました。旅行が終わる頃には前の座席の白いカバーの端が黒くなったのは私が必死にしがみついていたからです(笑)。 運転手の何さんの他に、通訳の周さんが加わり、総勢13人です。周さんは大学を卒業したばかりで、9月から上海外国語大学の大学院に入学して、将来は日本語教師を目指すとのことでした。物静かで、通訳の他にも、頼まれたことはきちんと仕事をこなしてくれました。 今日の予定は、成都から高速道路を走って雅安まで行き、そこから山道を通り、四川盆地とチベット高原の境界である二郎山峠を越え、康定を通過して、新都橋まで行きます。 成都市内を走ると、壁に墨絵のような絵が飾ってあって、いかにも中国らしい(写真下)。 市内から、高速道路に入り(写真下)、一路、南西の雅安まで約150kmほどを走ります。今日走る経路は、昨年の四姑娘山で走ったのと同じです。 去年と同じパーキングエリアでトイレ休憩を取りました(11:02-11:12)。昨年は出店があって果物など豊富だったのに、今年は工事中のために一つもなく、車も少なく、がらんとしています。桃やリンゴをかじろうと思っていた私はちょっとがっかりしました。 それでもトイレ周辺には物売りおばちゃんたちが何人かいて、花を売っています(写真下)。黄桷蘭という植物の花を紐でくくったもので、ジャスミンのような香りがします。私は一つ1元(15円)で買い胸のところにぶら下げておきました。普段はあまりこういう強い匂いをそばに置くことはしません。ただ、空気は湿度でべたついて不愉快なので、時々フッと香りがすると、頭がすっきりします。 高速道路の終点の雅安を通過して(11:50、写真下左)、ガソリンスタンドによりました(11:58)。6.14元ですから約90円近くします。中国の物価を考えるとガソリン類はたしかに異常に高い。誰がボロもうけしているのか、という話は聞きましたが、怖いので紹介はやめておきましょう。 雅安は昨年も軽く通過しただけですが、一昔前まではチベットへの出発地でした。半世紀前の1955年、チベットがまだ中国の完全な支配を受けない時期に、雅安を出発してラサまで取材したジャーナリストたちがいました。 『チベット横断記』(ヴェ・カッシス、佐藤清郎訳、ベースボール・マガジン社、1957年) 中国政府が旧ソ連、アメリカ、イギリスなど八カ国のジャーナリストたちをラサに招待しました。これはその一人で旧ソ連のカッシス記者の書いた本です。前年の1954年にようやく、ラサまでの自動車道が開通しています。彼らは雅安を出発して、我々と同じルートを通って、その日のうちに康定まで着いたとありますから、このあたりの道路はかなり整備されていたようです。 ダライ・ラマ14世はラサのノルブリンカ(離宮)で彼らと会って、二時間ほどの取材を受けています。ダライ・ラマの発言からは明るい未来を期待している様子がうかがわれ、まさか四年後に国としてのチベットが消滅し、亡命することになるとは予想していなかったのでしょう。 漬け物がうまい黎明飯店で昼食 幹線道路に面した黎明飯店で昼食を取りました(12:35-13:13)。 店の入り口の半分は料理場になっていて、外に面した四つほどの石造りのコンロの前で、半裸のおじさんが手際よく料理をこなしています(写真下)。 四つのコンロも中をのぞくと、練炭と石炭など目的によって入っている物が違います(写真下)。たぶん火力が違うのでしょう。 自転車の荷台には練炭が積み上げられ(写真下左)、コンロの手前には石炭が置いてあります(写真下右)。 おじさんがもっぱら料理を作り、奥さんらしい人と子供、それにもう一人の家族らしい女性が配膳などを手伝っています(写真下)。 料理場はきれいに片づいています(写真下左)。中国ではよくある、年季の入った切り株のまな板に立派な包丁が、料理の味の良さを期待させます(写真下右)。 切りそろえられた材料を見ると野菜類が多く、しかも、おそらく地元で採れたのか、新鮮です(写真下)。 店の隅にプラスチックの樽が置いてあり、おばさんがラッキョウの漬け物を出しています(写真下)。店の客が買っていきました。このラッキョウは我々の食事にも出され、私にはちょっと味付けが濃すぎるものの、それでもなかなか美味でした。 写真下右のおばさんの足下にあるのはたぶん動物の臓物ではないかと思われます。これが不要品なのか、それともこれから料理する物なのか、興味深く見ていたのですが、時間がなく確認できませんでした。 食堂は調理場の左側に3つほどテーブルがあり(写真下左)、さらに店の奥に、実際には別な建物に何個かのテーブルが置いてありますから(写真下右)、かなり広い店です。 皆さんは奥のテーブルで食事を始めたので、私は調理場のすぐそばのテーブルで食事をしました(写真下)。思ったほど辛くもなく、味はなかなか良い。13人の食事代金は260元(3900円)でしたから、一人約300円です。 食事を終えて、私は恒例のトイレを見学に行きました。特にコメントはしないほうがいいでしょう。写真下の犬クンはトイレの近くにいたので記念撮影しました。食用ではなく、ペットのようです。 お腹もいっぱいになり、さあ出発しようと表に出ると、救急車が停まっています(写真下)。ベンツ社製の立派な救急車です。気になるのが、車の後部に設置されたベッドで人が寝ている。まさか患者?患者を寝かせたまま食事をするとも思えないから、きっと運転手が食後の昼寝をしているだろう、というが大方の日本人観光客の意見でした。 救急車のベッドで昼寝というのも、そもそも救急車で昼飯を食べにくるというのも、どうも日本人にはイマイチ理解できない感覚です。 河に沿って、道は山の間をひたすら進みます。昨年に比べて道路工事がありませんから、比較的順調に進めます。 家屋の壁にはこの地域の独特の模様がついています(写真下)。 二郎山峠を通過 二郎山峠の少し前でトイレ休憩をしました(13:57, 906m)。 バスから降りた烏里さんが知り合いと会ったらしく握手しています・・・あら?彼は去年、私が参加したツアーでドライバーをしてくれた周さんではありませんか(写真下左の真ん中の人物)。去年あの悪路を乗せてもらった三菱のパジェロも健在です(写真下右)。この広い中国で偶然とはいえ、こんなこともあるのですね。 店の脇の花壇にはタチアオイとアチレマツヨイグサがあります(写真下)。 高度を上げて二郎山峠のトンネルを通過しました。この峠が四川盆地とチベットとの気候的な境になっていて、去年は四川盆地側が曇っていたのに、トンネルを抜けると晴れました。しかし、今年はチベット側も曇り空であまり大きな変化はありません。 トンネルをすぎてすぐに車に給水するために停まりました(写真下, ~15:37, 2160m)。よくわかりませんが、中国の車はすべて給水するようにできています。エンジンの冷却水なのでしょうか。 二郎山の中腹でなかなか眺めもよく、周囲には様々な草花も咲いていて、私は早速、花の写真を撮りました。 写真上左:インカルヴィレア・アルグタ(『ヒマラヤ植物図鑑』p.145) 二郎山峠を下って、途中の展望台で休憩しました(~15:55, 1985m)。ここは去年も立ち寄り、私は花のお茶をオバサンから40元のところを50元で買わされました。残念か、幸いか、恐る恐るあの時のオバサンを探しても見つかりませんでした。 地元で採れたらしいたくさんの薬草のような物が売られています。去年より時期が二週間遅いせいか、今年はキノコが多いような気がします(写真下)。 写真下は立派なサルノコシカケです。サルノコシカケは種類も多いのに、今回の旅行で見かけたサルノコシカケはこういう茶色の物ばかりでした。日本に比べて種類が少ないのか、それとも薬効成分があるのはこれだけなのでしょうか。 台の後ろではオジサンが採ってきたばかりのキノコの仕分けをしています(写真下左)。 下の植物も売り物で、ランのように見えます。触っているオジサンは観光客です。 写真下のオレンジ色の固まりはなんでしょう?岩塩かと思ったら、蜂蜜だそうです。そういえば、二郎山峠の手前の道端で蜂蜜が売られていました。カケラをもらったら、確かに蜂蜜の味がしました。蜂蜜も時間がたつとかまってしまうから、これ自体は不思議ではありません。でも、どうしてこんな色なんでしょう? 烏里さんが買い物したおまけにリンゴを一袋もらいました(写真下)。一つのリンゴが手のひらにすっぽりと入る程度の大きさです。旅行の最後までバスの床に袋ごと置いてあり、もっぱら私だけが食べていました(笑)。かなりすっぱい。ジャムにしたら、案外あの酸っぱさがおいしいかもしれません。 展望台ですから、周囲はなかなか良い眺めです。周囲にもいろいろな花が咲いている中で、一番目を引いたのが、薄紫のアサガオのような花です(写真下右)。南米原産のオオセンナリのように見えます。 店のオジサンが「雨が来るぞ」と言って指さす谷の方をみると、雨足らしい霧がこちらにむかっているようです(写真下)。我々は雨が降り出す前に、退散しました。 二郎山を下りて、そこから大渡河沿いに北に進み(写真下)、濾定(ルーディン, 16:26, 1035m)を通過して、康定(カンディン)を目指します。河川はどこも大規模な工事が行われています。 康定と折多山峠を通過 康定の繁華街は無事通過したのに、街を出たあたりで渋滞に巻き込まれました(17:22, 2410m、写真下)。道路工事でもしているのかと思ったら、通過してみると何にもありません。渋滞の理由は、中国では隙あらば反対車線でも気にせずに車が突入していき、しかも交通整理する人は誰もいないからです。 康定をすぎて、折多山峠を目指して高度を上げていきます(写真下)。去年は工事中でひどい道路で時間もかかりましたが、今年は道路も良く、順調にとばします。 ] 折多山峠を通過(写真下、18:50, 4060m)。ここは帰りも寄る予定ですから、停まることもなく通過します。ここからは下りですから、今日の目的地の新都橋まで一時間もかかりません。 ちょうど、ヤクが放牧から帰るところに出くわしました(写真下)。 新都橋に近づくと、周囲には麦畑や放牧地のあるきれいな農村風景がみられるようになります。 「倒福」 今日の宿泊予定のホテル、新都橋大酒店に到着(19:38, 3300m、写真下)。ホテルは新都橋の繁華街よりも数キロ手前の、幹線道路のそばに建っています。新しいホテルだというだけあって、わりと小ぎれいです。 入り口のそばに机があり、そこが受付という小さなホテルです(写真下左)。ホテルのロビー相当する広間がドミトリーになっているらしく、テントがいくつか張ってあります(写真下右)。来る時見かけた自転車などのバッグパッカー用なのでしょう。ホテルの中でテントを張るのは初めて見ました。 インターネットはフロントにもなく、繁華街から離れていることもあり、近くにはネットカフェらしい店もありません。 部屋はお湯も出るし、窓の外はきれいな牧場風景が広がっていて(写真下)、なかなかなものです。しかし、問題もいろいろありました。 トイレは写真下右のように、中国式水洗トイレのために使い心地がよくありません。この中国式水洗トイレの構造上の欠陥らしく、下水の臭いがもろに洗面所に漂っています。他のホテルでもこの中国式水洗トイレはみんなひどい臭いがします。 排水口を見るとかなり深くて、物を落としたら、おしまいです。普通の水洗トイレは和式、洋式を問わず、S字に管を曲げて、水が残ることで下水からの臭いを防ぐ構造になっているのに、この中国式水洗は下水管に直結しているのでしょう。 S字型の欠点は詰まりやすくなることです。中国では水に溶けないような物までトイレに流してしまう人がいるために詰まりやすい。使用済みの紙類はすべてそばのゴミ袋に入れろというトイレもあるそうです。そこで直結型にしているのかもしれません。 シャワーはお湯は出るものの、温度調整が難しく、使っているうちに温度が上がったり下がったりします。気温が低いので、水に濡れたままではだんだん身体が冷えてきます。結局、私は身体を洗うのもあきらめて、洗面器にお湯と水を汲んで洗い流すだけにしました。後で聞くと、温度調整ができずにシャワーをあきらめた人は他にもいました。昨夜、遅かったのに髪の毛を洗ったのは正解でした。 写真下左のように、歯ブラシや櫛などの洗面用具もひととおりそろっています。タオルはありません。それはいいとしても、写真下右のガラスコップの側面を見てください。白くアバタがついて汚れています。 おもしろいのが、この部屋のドアについた文字です(写真下左)。「福」の文字が逆さまに描かれています。写真下右は後日、康定のレストランの門を撮影したもので、同様に「福」が逆さまになっています。 烏里さんに理由を聞いたところ、中国ではこれを「倒福(dào
fú)」といい、「倒」と「到」は発音が同じで、「福が倒立している」を「福が到達する」、つまり、福が来るという意味に用いているようです。 ただ、「倒」と「到」が同じだというのは、いくら中国と日本で漢字の意味が違うとはいえ、日本語の感覚からいくと、「福」の逆さまでは、福が来ないような気がします。ウィキペディアの解説を見て、ようやく納得できました。 明の初代皇帝・洪武帝の時代、漢字を知らない民衆が間違えて福を逆さまに貼ってしまい、これを自分への批判と受け取った皇帝が処刑しようとするのを、皇后が機転をきかせて救ったという話です。そういう由来なら、逆さまの福も輝いて見えます。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%92%E7%A6%8F) ホテルの近くの鑫康珠酒店で夕飯です(20:53~)。ここも野菜が多く、味も悪くありません。ヤクの肉が出たので食べてみるとおいしい。前にラサで食べた時には味も臭いもひどいもので、ヤクとはこんなにまずい物なのだと思いこんでいただけに、印象が変わりました。 高山病には酸素を吸おう この日までに、ツアー客十人のうち約半数に高山病の症状が出ていました。四千メートルの折多山峠を通って、このホテルがまだ三千メートルあるのですから、当然です。私は高度計を見ていて、三千メートルを越えたあたりから酸素を吸い始めました。だから、軽い頭痛などの高山病の症状が出ても、特に体調を崩すこともありませんでした。 これを読んでいる皆さんも高山病を甘くみないことです。症状が出る前から酸素を少し供給してあげると、身体は高度に順応します。私のように高山病に弱い人でもなんとか動けます。ところが、日本人は我慢強い。高山病の症状が出てからでも、酸素を吸おうとせず、ひたすら我慢する。また、高山病に強い人は「少し我慢すればなんとかなる」という間違った助言をする人をみかけます。 高山病は風邪と同じで初期治療こそ肝心で、症状が出てから酸素を吸うのではなく、高度計を見ながら、ある高度に達したら、症状が出ていなくても酸素を吸うことです。私の場合、自分の経験からある高度とは3000mです。この高度は人によって違います。医学的には2400mと言いますから、意外に低くても高山病になってしまうようです。 高山病が出ている人に私は酸素を買って吸うように勧めました。ちょうど、食事をした鑫康珠酒店の売店で一缶30元(450円)で酸素ボンベ売っていました。カセットコンロに使うボンベの倍くらいの大きさです。私は日本から持ってきた薬剤を使った酸素発生装置(オーツーフォレスト)と、他のホテルで20元(300円)で買った中国製の酸素ボンベを併用しました。でも、そんなことをしているのはたいていの旅行でも私一人だけです。 高山病そのもので死ぬことはなく、症状も頭痛やだるさといった共通点を除けば、人それぞれです。旅行による体調不良や風邪だと思っているのが、案外高山病が原因だったりします。ちょっと酸素を吸っただけで、旅行の快不快が劇的に変わるのだから、皆さんも試してみてください。 今のところ高山病の特効薬はありません。チベットに生えている紅影天という植物が効果があると言われ、日本でも市販されています。私も旅行中服用しました。今回、烏里さんが高山病に効くという写真下のような薬を配りました。 トップページ 日程表 1 2
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