トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 10日日 2010年8月3日(火) 康定 ←→ 中国高山植物園雅加埂 朝起きて窓をあけると、ちょっと曇っていて、目の前の折多川は相変わらずすごい音を立てて流れています(写真下)。部屋は23.3℃ですから、暑からず寒からずで、ちょうど良い気温です。 昨夜と同じホテル内のレストランで朝食を取りました(写真下)。 路上では野菜の朝市が開かれています。というよりも、勝手に路上で店を開いているのでしょう。険しい山に囲まれているのに、地元で採れた野菜ようにみえますから、農地があるようです。 今日は、午前中は康定の南西30kmほどにある中国高山植物園雅加埂という峠に花を見に行きます。去年、四姑娘山のツアーでも行った所です。 峠の頂上を通過して少し下りたあたりでバスから下りて、花を探しました(9:45~, 3700m、写真下)。昨日、折多山峠で見た紫色のブルーポーピーを見たかったのです。結果から言うと、探せませんでした。去年は7月15日に来て見つけられたが、本数が少なかったのは、時期的に後半だったからで、今回はその2週間も後ですから、花が終わっていたのでしょう。 斜面で最も目立ったのが写真下の黄色い花です。斜面にたくさん咲いており、今が盛りのようです。 写真上下:リグラリア・ウィルガウレア(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.104) 写真上の黄色い花が一番目立つが、足下を埋め尽くしているのが小さなリンドウです。 写真下は写真上のリンドウとよく似ていますが、よく花を比較すると別な花です。 写真上:キアナントゥス・インカヌス(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.121) 写真上:ビレトルム・タツィエネンセ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.100) 写真上:アリウム・タングティクム(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.119) 写真上:アナファリス・ネパレンシス・モノケファラ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.82) 写真上左:イリス・クリソグラフェス(『世界のワイルドフラワーⅡ』p.112 ) 写真上右:アレトリス・パウキフロラ(『世界の山と高山植物のアルバム』) 写真上:ケラニウム・モウピネンセ(『世界の山草・野草』p.188) 写真上:ヘラクレウム・カンディカンス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.347) ここもたくさんのシオガマギクがありますが、相変わらず名前がわからないのが多い。 写真上:ペディクラリス・マクロシフォン(『雲南花紀行』p.168) ペディクラリス・ロフォケントラ(『天の花回廊』p.12) 写真上:ペディクラリス・ミクロチラ(『雲南花紀行』p.168) 写真上:コドノプシス・ネルボサ(『世界の山草・野草ポケット事典』p.165) サウスレア・ブルゼワルスキー(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.62) 写真上:アステル・バタンゲンシス(『雲南花紀行』p.175) 写真上:ゲンティアナ・プルゼワルスキイ(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.81) シャクナゲの盗掘! 道沿いに峠の頂上に向かって歩いて行くと向こうに大勢の人がいます(写真下左)。そういえば、バスで来る時、たくさんの人たちが何か作業していました。しばらくすると車列を作り康定のほうに去っていきました(写真下右)。 いったい何をしていたのだろうと、私は彼らがいたあたりまで行って、愕然としました(写真下)。シャクナゲを掘っていたのです。 あれだけの人数がトラックまで持ってきて掘って行くのだから、個人の盗掘には見えません。写真下右のように「野生植物原生境保護区」とあり、ここは日本で言えば国立公園の自然保護区です。しかし、その保護区で白昼堂々と大規模に盗掘が行われるのですから、困った話です。 昔は日本でもシャクナゲなどの高山植物の盗掘があり、社会問題になりました。ここでは新しい街を造成しているから、植栽に使うつもりで掘ったのでしょう。気候の厳しい山の上ですから、ここのシャクナゲが回復するのには少なくとも何十年もかかります。目先の利益に囚われた愚行です。自然保護など関係ないという考えなのだろうが、シャクナゲ一本が重要な観光資源とになり自分たちの生活を支えていることに気がついてほしいものです。 去年はあちらこちらに花が咲いていて、山を降りながらも何度も車を停めました。しかし、今年はほとんど咲いておらず、唯一停めたのは冬虫夏草を人工栽培する冬虫夏草培堆基地です(写真下右)。冬虫夏草が滋養強壮剤として人気が出て、乱獲されたのでしょう。ここでは人工的に栽培しようとしているようです。人口栽培も重要だが、シャクナゲなどの盗掘も監視するべきです。 山を下りた谷の所では大規模な造成開発が行われています(写真下)。去年も、こんな谷の奥に何を作っているのかと不思議でした。一年前と違い、一部の建物が出来はじめています(写真下右)。看板などからすると、ここは軍や警察などの駐屯地にするつもりのようです。 谷から少し康定のほうに戻ったあたりではいよいよ新しい街が出来はじめています。写真上の軍と警察関係を谷の奥に作り、ここは官庁関係と一般住宅を作り、高速道路がここまで来る頃には、康定の機能をこちらに移すつもりなのでしょう。 写真下左の看板には「入住新天地 享受新生活」とあります。新しい街への入居を募集しているようです。写真上のようなコンクリートの建物が林立する一方で、写真下右のような、チベット風とも違う、ちょっとおしゃれな雰囲気の一般住宅も新築されています。いずれにしろ、ここには巨額の資本が投じられているのがわかります。 高級レストランで魚の唐揚げを食う 康定に戻り、高級レストラン「天康酒家」で昼食です(写真下左,12:34~)。 警察官をしている烏里さんのお姉さんが予約してくれたようです。ここが高級レストランである証拠に、洗面所には模様の入ったおしゃれな洗面ボールが使われています(写真上右)。部屋の壁には水墨画が飾られ、椅子も立派で、オレンジ色のナプキンもあります(写真下左)。 料理はいずれもちゃんとした料理人が作ったとわかるような料理ばかりです(写真上右)。その中で最もうまかったのが写真下左の魚料理です。一匹を丸ごと油で揚げて、タレをかけています。折多川の激流の中にこんな魚がいるのでしょうか。油で揚げても内側は油がしつこくなく、魚も臭みもなく淡泊で、しかも小さな骨ならかみ砕けます。他の人たちを無視して、私と群馬さんが二人がかりで食い尽くした残骸が写真下右です。もうさすがに食える所はありません。 康定の街中を散歩 バスの窓から康定の通りを見ていると、ここも理塘と同じで、店の看板や標識などすべて中国語が一番大きく書いてあり、その上に小さくチベット語の表記があるというパターンです(写真下)。チベット自治区のラサもそうでした。つまり、これは店の人がこのようにしているのではなく、政府がこのように指導しているのでしょう。 ホテルに戻り、夕方まで自由時間だというので、皆さんで街中を散歩することにしました(写真下、14:32~)。 ホテルの表通りを北に行くと、日常の雑貨屋からお土産屋まで、店を連ねています。 お土産屋の中には天井から装飾品が大量にぶら下がっています(写真下)。 装飾品があると女性たちはなかなか動かなくなります。 店の品物をぶらぶら見ていると、ガラスケースの上に馬の置物と可愛い白いネコのヌイグルミがあります(写真下左)・・・あれ?ネコが動いた!良くみると本物のネコでした。中国を旅行していると、日本よりもネコが少ないような気がします。 店のカウンターの後ろで子供がゲームをしています(写真下右)。 写真下は銀行の入り口の電光掲示で、預金の利率らしいものが表示されています。これが日本の定期預金に相当するのかどうかわかりませんが、「定期整存整取」という預金の年利率を見ると、一年が2.25%, 五年が3.60%です。今の日本では一年預けても0.1%の利子もつかない状態ですから、中国の利子は桁違いです。いかに中国が景気が良いか、これを見てもわかります。 道路に直接キノコを並べています(写真下左)。売っているのかと思ったら、干しているのだそうです。干している間、盗まれないように、お姉さんが椅子に座って編み物をしながら監視している。道端に停められた自転車の荷車の上にもキノコがおいてありましたから、これも売っているのではなく、干しているのでしょう(写真下右)。 これ以外にも、店番をしながら刺繍をする人や(写真下左)、机を出して店の前で勉強している子供までいます(写真下右)。 写真下は店先で彫金をしているところです。作りながら売っているようです。 しかし、みんながみんなひたすら働いているわけではなく、道では麻雀や将棋らしいゲームをしている人たちもいます(写真下)。 大通りと平行している裏側の通りに来ました(写真下)。 こちらの店は土産物屋というよりも、庶民の日常雑貨を売っている店が大半で、のんびりした雰囲気が漂っています。 夫婦二人で丸いパンのような物を焼いて売っています(写真下左)。周さんを通していろいろ話を聞くと、二人ともとても仲よさそうです・・あっ、もしかして新婚さんかな。 写真下の二つの店がなんだかおわかりでしょうか。左は10元均一、右は5元均一、つまり日本の百円ショップです。 ホテルのある通りに戻り、折多川に沿って南に歩いていきました。通りのマンホールの蓋を見ると、2003年の文字があります(写真下右)。たぶん、この街がこのように整備された年なのでしょう。この街並みはまだ新しいのです。 女神様がもたらした清水 川に沿った道の前に、「康定水井子」という石像が立っています。女性が水を入れた樽を腰に乗せて運んでいる姿のようです。この石像は2007年に造られたらしく、後ろに英文で説明があります(写真下右)。 この近くに5つの泉があり、地元の人たちを潤してくれたことへの感謝を込めて造られたようです。ただ、今ひとつわからないのが、この女性像です。泉の女神様にしては、腰に桶をくくりつけるという苦しい姿をしているし、女性たちが昔は水運びで苦労したというのでもなさそうで、これが何を表しているのがよくわかりません。流れ出ている水そのものも、感謝したくなるようなきれいな水とは言い難く、写真下のように、洗濯などに使われています。 この石像とこの場所は2007年と最近造られもので、元々は道路をはさんで東側にある社が泉の本家のようです(写真下左)。こちらには、「飲料池で野菜を洗ったり、洗濯に使った者は50~100元の罰金を科す」とあります(写真下右)。つまりここは飲み水のようです。 写真下左は、ネットに載っていた同じ場所です(http://www.7sc.cn/tourmall/line/1898.htm)。社の背景が違うから、かなり前のものでしょう。写真下右は私が撮った写真で、両者の違いにお気づきでしょうか。ネットの古い写真には入り口の壁に「飲水池」とあるが、今はそれが塗りつぶされています。つまり、今は飲料に適さないのでしょう。 実際、社の中では水が湧き出ているのは見えず、写真下の女の子がしゃがんでいる水を見ても、ただの溜まり水にしか見えず、おおよそ飲み水には見えません。 この社の塀の内の左側には、さきほどの腰に樽を乗せた女性の姿のレリーフと(写真下左)、右側には英語、チベット語、中国語で泉の由来についての説明書きがあります(写真下右)。説明書は1994年とありますから、わりと最近造られたものです。ただ、レリーフのほうは作りが悪く、ほとんど何の絵なのか眼でみてもよくわかりません。 説明では、仙女Lamuziが空を飛んでいる時、Paoma山で五つの湖を発見し、水を麓の人たちに分け与えたということのようです。 美しい仙女と村の若者が恋に落ちたが、結ばれない恋とわかり、二人は亜丁の央邁勇と夏若多吉に姿を変えたのであった・・・これは私の空想で、説明文にはそんなことは書いてありません。でも、これなら映画になりそうですね。 伝承はともかく、ここが昔からとても質の良い水に恵まれた地域であったことは確かのようです。おそらく、この社のあったあたりに水が湧き出し、飲料用、野菜洗い用、洗濯用と池が段々につながり、最後はそばの折多川に流れ落ちていたのでしょう。中国では雲南地方などでこういう水の使い方がよく見られます。しかし、写真下のように近代化で泉と川の間を二本も道路が横断し、社のそばまでビルが立ち並び、水も汚染され、そこで池の跡地に石像などを立てて記念にしたのでしょう。 茶館で花茶 橋の手前でじっと川を見つめる男性がいます(写真下)。ごらんのように、身なりもよく、帽子といい、服装が決まっています。川を見て、一休みしているだけなんだろうが、私は「まさか川に飛び込むつもりではないだろうな。飛び込まれても、この激流では助けられない」などと思いながら、写真を撮りました(笑)。 街は近代化しているし、理塘や稲城と違い、大半の人たちは普通の服で、チベット服で歩いて人はそれほど多くはありません。写真下左など、黒っぽいチベット服を着た女性が、何か食べながら、明るく照らされた店をのぞき込んでいます。彼女もいずれチベット服とさよならするのでしょうか。 歩き疲れたので、折多川の橋を渡り、ホテルと反対の西側に行き、茶館で一休みすることにしました(写真下)。 入り口のカウンターで緑色の制服を着た若い女子店員たちが楽しそうにおしゃべりしています。 店内は広く、平日の昼間だというのにほぼ満席です(写真下)。 私は7月31日に稲城のホテルで飲んだお茶が気に入っていたので、同じ銘柄の「碧璋飄雪」というジャスミン茶を注文しました。15元(225円)で、味は悪くはありませんでしたが、稲城のお茶のほうが勝ちです。 ネットの説明では、碧璋飄雪は四川省特産のお茶で、茶の芽だけを使い、花の開いていないジャスミンを茶葉の中に入れておき、花が開くのを待って香りを付けるという作業を繰り返すのだそうです。手間暇のかかる高級茶なのでしょう。うーむ、奥が深い。 康定情歌商城 茶房から少し南に下った所に広場があります。広場に面して、巨大なモニターが二つビルの壁面に設置されています(写真下)。おそらく、ここで様々な催しが行われるのでしょう。夜になると人々が大勢ここに集まってきます。 広場の地下の商店街は「康定情歌商城」という名前がついています(写真下左)。情歌とは恋愛の歌のことで、「康定情歌」という百年くらい前の康定を舞台にしたテレビ番組が中国で放送され、その主題歌「康定情歌」とともにヒットしたようです。そのヒットにあやかっただけで、テレビ番組や歌とは関係ないのでしょう。 広場も建物も近代的ですが、周囲のアーケードの天井や地下街の入り口はチベットらしい仏画や模様が描かれています(写真下)。 広場の周囲で宝くじを売っています。写真下左は、学生たちが実習で行っているのだそうです。でも、宝くじ販売の実習って何なのでしょうね。単なるバイトのようにも見えますが。 広場の地下街の康定情歌商城に下りてみましょう (写真下)。 地下街は広場よりももっと閑散としています(写真下)。衣料店が多いようです。 地下街のスーパーの前の通路でなんと麻雀をしています(写真下)。人通りも少ないから、邪魔にはならないが、どうもこういう感覚は日本人には理解できない。 スーパーは店も広く、商品数もかなりあります(写真下左)。店に並んだお菓子の袋がどれもこれもパンパンに膨らんでいるのがお分かりでしょうか(写真下右)。ここは高地で気圧が低いので、低地で作られた袋菓子はこんなふうになります。 広場を取り込んだ商店の中に有名な革製品の店もありました(写真下左)。有名なと言っても、私はもちろん知らず、女性たちが入ったきり出てこないので、聞いてみたら、中国のあちこちに支店を持つ有名ブランドだそうです。私には革製品よりも店の前にあった子供を入れる竹製の籠がおもしろい(写真下右)。 中国製のケーキ ぶらぶらと折多川の西側を歩いていくとケーキ屋があったので立ち寄りました。後でわかったのですが、ホテルのそばにも同じ名前の店があり、チェーン店のようです。 ケーキのデザインと色使いはいかにも中国的で、写真下左は桃で、右は龍をかたどっています。 皆さん、クッキーなどを買いました。私はお菓子に並んでキウイフルーツとクランベリーのドライフルーツがあったので買いました(写真下)。ただビニール袋に入れて値札が貼ってあるだけなので、衛生状態は期待できません。ホテルに戻って、皆さんでお茶を飲みながら、クッキーやドライフルーツを食べてみました。ドライフルーツは食べても腹を下すことはありませんでしたが、甘くも酸っぱくもなく、イマイチでした。 お茶をショウウィンドウに並べた店があったので、皆さんで買い物をしました(写真下)。店は地元の人たちで賑わっており、お土産屋と違い、日本で言えば小さなスーパーのような店です。 牛肝菌を食べる 夕飯は、午後に散歩した道を少し行った所にある阻光大酒店です(写真下)。 昼食と同じように烏里さんのお姉さんが来て、てきぱきと鍋に具材を放り込んでくれます。 写真下の鍋の中をごらんください。松茸をはじめキノコだらけです。私は去年に引き続き「よし、食ったる」と激しく決意して突撃を開始しました(笑)。 今日の料理の中で私が一番気に入ったのが写真下のキノコです。見た目は悪いが、実にうまい。烏里さんに名前を聞くと、「牛肝菌」だそうです。牛のレバーと似ているからでしょう。食感は見た目どおりで、表面はドロッ、ヌルッとした食感で、内側はコンニャクに近いようなコキコキした歯ごたえがあります。真っ黒で煮とろけてしまったようで見た目に悪いし、鍋底に沈んでしまうらしく、皆さんあまり食べませんから、私が独占的にいただきました。 私はてっきり黒いナメコのようなキノコかと思ったら、ヤマドリダケ(写真下左)などのキノコだそうです。しかし、写真下左のヤマドリダケをいくら煮たとはいえ、写真上のような黒く、ドロドロしたイメージとはかなり違います。写真下右は「雲南新聞網」というネットに載っていた巨大な牛肝菌で、茎や傘の下が黒く、これなら写真上のキノコのイメージとも合います。このキノコは「見手青」とも呼ばれ、キノコの裏を指などで強く押すと、青くなるそうです。こういう性質だから、元々は白いのだが、煮ることで黒くなるのかもしれません。 写真上左:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%81%E7%A7%91 写真上右:http://www.yn.chinanews.com/html/tupianchuangku/qutu/20080716/63405.html ネットでは次のようにあります。 「牛肝菌是云南独有的一大特产,在云南全省各地均有牛肝菌分布」(http://blog.hsw.cn/140390/viewspace-409193) 四川省に隣接する雲南省の特産らしく、雲南省の家庭料理ではよく使われるとのことです。 食事が終わり、外に出ると雨が降っています。夕立なのでタクシーも捕まらず、大した距離ではありませんから、ホテルまで歩いて帰ることにしました。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 |