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6日日 2010730()  亜丁(牛奶海、五色海)→香格里拉(日瓦)

 

 6:00に起きて早速空を見ると・・おお、日本晴れ、いや、亜丁晴れで、西の空には月がかかっています(写真下)。今日は亜丁の奥にある牛奶海まで馬で行きますから、雨が降ってもらっては困ります。晴れ男・晴れ女に大感謝!

 

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 7:00からの食事を終えて、バスに荷物を積み、出発しました(7:49)。私の部屋の室温は9.9℃ですから、関東で言えば初冬並で、かなり寒い。毎日、猛暑に見舞われていた日本列島とはえらい違いです。しかし、私は防寒よりも、天気のよさから、ペットボトルの水を2本入れるのを忘れないように気を付けました。

 

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 十分もかからずに入口(龍龍壩)にある馬の発着所に到着(7:57)

 

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 昨日と同じように、馬に乗って出発です(8:12)。昨日に比べて観光客が少ない、と思っていたら、実はそうではなく、早朝の人たちはすでに登った後でした。

 

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終点の馬の駅(扎灌崩)に着いて、ここから沖古寺の近くにある車の乗り場まで歩きます。

 

 

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 歩くのが苦手な人のために担ぎ屋さんがいます(写真下)。二本の棒の間に椅子をくくりつけているだけです。40(600)というのだから、それほど高くはありません。日本でも昔は二人で籠を担いだのだから、同じ事のように見えますが、ここは富士山と同じ高さで、しかも山道です。

 

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 昨日もここを歩きながら花の写真を撮ったはずなのに、光が当たる角度が違うせいか、昨日とは違う花が目立ちます。

 

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写真上:ハベナリア・グラウキフォリア『世界のワイルドフラワーⅡ』p.114

 

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写真上左:キノグロッスム・アマビレ(『天の花回廊』p.18、『雲南花紀行p.164)

写真上右:アステル・バタンゲンシス(『雲南花紀行』p.175)

 

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 正面に夏諾多吉(シャヌオドゥオジ、写真下左)、右側に仙乃日(シャンナイリ、写真下右)を見ながら、晴れて気持ちが良い山道を進みます。

 

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 沖古寺の休憩所に到着(9:09、写真下)

 

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 車の発着所からも夏諾多吉(写真下左)、右側に仙乃日が見えます(写真下右)

 

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 自称電気自動車に乗って洛絨牛場に向けて出発(9:19)。洛絨牛場までは昨日と同じです。

 

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 ところで、入り口から洛絨牛場までの移動方法を皆さんは奇妙だと思いませんか。次のように三つに分かれています。

入口→()→馬の駅→(徒歩)→沖古寺→()→洛絨牛場

馬と徒歩と車にわざわざ分けています。

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 奇妙なのは、どうして移動方法が三つに分かれているのかという点です。坂はきついが馬でも安全そうな最初の山道は馬で、坂がきつく車も馬も使いにくい沖古寺までは徒歩で、上がり下がりがひどくなく、8kmと距離のある洛絨牛場までは車で、というように利用者の便宜を考えて作ったと言えないこともありません。ただ、いずれの坂も馬で行こうと思えば馬でも行けるし、道路を造れば入り口から洛絨牛場まで車でも可能です。

 

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 客というよりも、地元の人たちに利益を与えるための方策でしょう。洛絨牛場などはその名前どおり、元々牧場だった所を観光地にしたのだから、チベット人に仕事を与えないといけない。そこで、彼らが主に住んでいる亜丁村に一番近い、入り口から馬の駅までを彼ら仕事場にした。しかし、入り口から洛絨牛場までの12kmを全部馬にすると、距離も長く、チベット人たちへの負担が大きいだけでなく、輸送力に限界があります。一日の入場者500人をすんなりと運ぶためにも、そこで、こんなふうに棲み分けをしたのでしょう。

 

今日も晴れ男・晴れ女だ!

 

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 車進むにつれ、目の前に青空を背景にした央邁勇(ヤンマイヨン)が見えてきました。すごい!昨日あれだけ見えただけでもすごいのに、二日続けて、三つの山がきれいに見える。どう見ても、我々のツアーに晴れ男・晴れ女がいるに違いありません。

 洛絨牛場に到着(9:33, 3955m)

 

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 歩道に沿って、央邁勇に向かい、展望台に行きます(写真下)

 

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 今日も素晴らしい央邁勇が姿を現しています。雲一つなく、という訳ではなく、頂上付近に風のために雲が発生していますが、それでもくっきりと青空にその姿を浮かび上がらせています。

 

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 歩道の展望台を通過して、牛奶海までの馬の発着所に行きます(写真下)。昨日、花の写真を撮ったあたりです。

 ところが、馬は一頭もいません。早朝来た人たちを乗せて行ってしまったので、戻ってくるのを待つしかありません(9:48)。1時間ほどではないかとのことでしたが、実際は2時間でした。

 

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 ここで待たされてもそれほど困りません。昨日このあたりで花の写真を撮ったように、周囲はお花畑で、好都合です。

 

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写真上下:アネモネ・リヴラリス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.615)

 

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写真上下:ムカゴトラノオ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.662)

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写真上 リグラレア・ツァンカネンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.104)

 

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写真上:インカルヴィレア・フォレスティー(『雲南花紀行』p.170)

 

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写真上:コリダリス・リナリオイデス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.565、『中国秘境に咲く花』p.27)

 

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 デルフィニウムもたくさん咲いています。日本にある栽培品に比べて茎がしっかりしていて丈夫そうな印象です。

 

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 写真下の花はシソの仲間のようですが、図鑑に載っていません。

 

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写真上左:ハレニア・エリプティカ(『雲南花紀行』p.163)

写真上右:アステル・バタンゲンシス(『雲南花紀行』p.175)

 

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写真上:オキシトロピス・ラッポニカ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.416)

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写真上:ヘディサルム・キトリヌム(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.422)

 

 地面にシジミチョウが止まっています。日本のとそっくりです。

 

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写真上:パルナッシア・キネンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.475)

 

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 驚くほど多いのが、写真下のアマビレです。花一つは小さいが青い花が一面に咲いているとなかなかすごい。こんなにたくさん群生しているのを初めて見ました。

 

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写真上下:キノグロッスム・アマビレ(『天の花回廊』p.18、『雲南花紀行p.164)

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 斜面のあちらこちらが一面のお花畑になっていて、空いている所がないくらい花が咲いています。人工的に作られたものでないだけに、どれもすばらしい景色です。

 

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 斜面の上のほうは傾斜がもっときつくなり、木が生えています。木陰なら別な花が咲いているかもしれませんから、そちらの方にも登ってみましょう。

 

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写真上:ケラニウム・モウピネンセ(『世界の山草・野草』p.188)

 

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 写真上のリンドウと写真下のリンドウは同じ所に生えています。色が違うだけで、見た目にはそっくりです。

 

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写真上下:プリムラ・シッキメンシス

(『中国秘境に咲く花』p.47、『世界のワイルドフラワーⅡ』p.83、『雲南花紀行』p.128、『エベレスト花街道を行く』p.24)

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写真上:レオントポディウム・ストラケイイ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.80)

 

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写真上:ペティクラリス・シフォナンタ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.173)

 

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写真上:ラヌンクルス・ブロテルシー(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.630)

 

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 写真上のキンポウゲの中に八重咲きを見つけました(写真下)

 

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写真上:ラミウム・アルブム(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.198)

 

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写真上:エルショルツィア・デンサ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.206)

 

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写真上:ルメックス・ネバレンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.669)

 

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 写真下の石造りの建物は馬で案内してくれるチベット人が住んでいるのかもしれません。自然のお花畑に囲まれています。

 

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 一面のお花畑から歩道と展望台を見た景色です(写真下)

 

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牛奶海に向けて出発

 「出発するよ」という声がかかったのは12時近くでした。午前中に牛奶海に行った馬が戻ってきたのです。

 

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 谷をさらに南西に向かって出発です。先ほどまで私が花の写真を撮っていた斜面に沿って、馬は進みます。

 

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 目の前の央邁勇に向かって、馬に乗って進むのは最高に気持ちが良い。

 

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 谷は小川が流れ、黄色い花が絨毯のように広がり、それはもう美しい。

 

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 進むにつれて谷は狭くなり、道は谷の右側(北西)の仙乃日の斜面に沿って進みます。

 

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 樹木が生い茂っていることもあり、仙乃日の斜面はだんだん険しくなります。

 

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 左側の斜面の下には、洛絨牛場から続く湿原に黄色い花が咲いているのが見えます。

 

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 山の斜面を進むに連れて、谷の反対側の央邁勇がすぐ目の前に迫ってきて、意識的に頭を上げないと山頂が見えないほどです。

 

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 央邁勇から流れ落ちる滝が谷に音を響かせています。写真で見ると、小さな滝のように見えますが、あの音から推測すると、ものすごい水量の滝なのでしょう。

 

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 谷は狭くなり、湿原はもう終わっているようです。

 

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 坂はますますきつくなり、途中の危険な所からは馬を下りて歩きます(写真下)

 

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 坂はきついが、晴れていて風景はすばらしい。

 

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私は写真を撮りながら自分のペースでゆっくりと登りたいのだが、馬主が私の後ろについて私の腰を押してくれる。登るのを助けているつもりだろうが、後ろから押されるから、かえって危険で、ありがた迷惑です。「しなくてもいい」と断っても、親切心なのか、私があまりに遅いのが気になるのか、また押す。また断る。また押す。私は彼から離れて歩くことにしました。後でわかったのですが、急がせたかったのです。

 

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 進むに連れて、森林限界を越えて、高い樹木がなくなったので、視界が広がってきました。

 

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 急な坂が終わり、再び馬に乗ります(写真下右)。私の登るペースが遅いので、他の人たちは先に行ってしまったようです。

 

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 馬に乗る所に青いケシがありました(写真下左)。道のすぐ脇の大きな岩(写真下右)の上にポツンと咲いています。残念ながら、盛りはすぎています。それにしても、岩の上に生えているのだから土などほとんどないはずで、すごい生命力です。

 

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 左側()に谷川を見ながら、川に沿って斜面を馬で登っていきます(写真下左)。写真でみると(写真下右)、それほどでもないが、馬に乗っていると、けっこう怖い。馬が踏み外したら、人馬もろとも谷川まで転落します。

 

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 左側()にある央邁勇の連山は近すぎて、なんだかよくわかりません(写真下左)。右側()にある仙乃日も手前の斜面が邪魔してよくわかりません(写真下右)

 

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 しばらく行くと、谷川は細くなり、道との距離がなくなり、やがて、遠くに人と馬が集まっている広場が見えてきました。

 

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美しい湖でのピンハネ

 終点の牛奶海に到着(13:27, 4240m)

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 谷川の先に、水色のきれいな湖が見えます。あれが牛奶海のようです(写真下右)

 

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 早速、牛奶海とそこに咲く花を撮ることにしました。着いてきた馬主が、その辺に落ちているゴミを拾っています(写真下)。自分たちの商売道具とはいえ、なかなかその態度は素晴らしい。しかし、私は手伝っている暇はありません。

 

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 湖は透明度も高く、本当にきれいです。牛奶海は日本語表記すれば牛乳海なので、てっきり白濁した湖かと思っていたら、青く澄んだきれいな湖です。 

 

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  早速、私は湖面に沿って生えている高山植物の撮影を開始しました。私の馬主も、私の荷物を背負ったまま最初はついて来てくれました。しかし、10分も行かないうちに、彼は「帰ろう」と馬のほうを指さします。それがあまりにしつこく何度も何度も言うので、私は腹が立ってきました。私はここを見るために金を払っているのに、着いて早々、帰ろうはないだろう。

 

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 私は馬に乗るために300(4500)も払っています。おそらく彼の手元には最低でも150200元くらいは行くでしょう。私は昼から乗ったのだから、半日の賃金としては中国では安くはありません。昨年の四姑娘山では午前中から乗って、荷物を持ってもらっても私が払った金は170元で、馬だけなら120元でした。

 

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 彼がしつこく「帰ろう」と言うので、私は無視して花の写真を撮り続けると、彼は荷物を私に渡して行ってしまいました。300元の中にはポーター代金も入っているはずなのに、仕事放棄です。そのまま馬を連れて帰るつもりなのだろうと、私はあきれながらも、「勝手にしろ」と去っていく彼の後ろ姿に捨てセリフを言いました()

 

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 帰りの馬がないのはちょっと困るが、ここまで来るのに馬で約1時間半で、そのほぼ全部が登り道です。高度計で計算すると、洛絨牛場からここまでの高度差は約三百メートルです。道は一本道でわかりやすいし、歩いて帰っても、足の遅い私でも2時間もあればたどりつけるだろうと計算しました。

 

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 後になって、馬主がどうしてあれほど「帰ろう」と急がせたのか理由がわかりました。

 彼らの一回あたりの賃金がなんとたった50(750)だというのです。彼個人の馬を使っているのに、客が払った300元のうち250元をピンハネされるのです。馬主は午前中に一回、午後私を乗せて二回、そして急いで帰り、夕方までに3人目の客を乗せたかったのです。彼にしてみれば、一日の稼ぎが100元か150元になるかの瀬戸際だったのです。それなら急がせる気持ちもわかる。

 このきれいな湖はピンハネの舞台だったのです。料金の8割をピンハネするのはある種の搾取です。亜丁村から馬に乗った時、彼らがリュックを担ぎたがり、チップを要求するのも当然です。馬の使用やルートは厳重に管理されているらしく、ネット上の旅行記を読むと、個人的に雇ったのを管理監に見つかり、追い返されたというような話もありました。

8割のピンハネと聞いた時、私の頭の中にジェレミー・ブレッドの演じるシャーロック・ホームズが現れて、「甘い汁を吸って私腹を肥やす連中がいる」と言いましたが、皆さんのシャーロック・ホームズはいかがでしょうか。

 

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 この日の帰り、群馬さんから彼らの取り分が50元と聞いて、私は「しまった!」と思いましたが、後の祭りです。そうとわかっていれば、馬主に100元をチップとして渡していれば、喜んで半日つきあってくれたでしょう。

 

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 牛奶海にいた時の私はそんな事情は知るはずもなく、ぐずる子供のような馬主の態度に苛立っていたら、せっかくのきれいな風景がぶちこわしになるので、馬主は最初からいなかったことにして、写真を撮り続けました()

 

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 見れば見るほどきれいな湖で、丸一日ここでゆっくりしていたい気分です。湖に近すぎて、全体像を撮ることができません。背後の斜面に登ればちょうど良いのだろうが、酸素不足で登る気力がありません。

 

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 湖の周囲は期待したほど花は多くありませんが、美しい周囲の風景を背景にすると被写体としては十分です。

 

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写真上:ポテンティラ・フルティコサ・リギダ(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.436)

 

同じ黄色い花でも写真下はユキノシタの仲間です。図鑑を見ても、似たようなのはあるが、この仲間は種類が多く、花弁の形や葉が微妙に違っていて、素人には判定がつきません。

 

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写真上下:ムカゴトラノオ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.662)

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写真上:アレトリス・パウキフロラ(『世界の山と高山植物のアルバム』)

 

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写真上:シレネ・ゴノスペルマ・ヒマライエンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.642)

 

 

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ペディクラリス・ロイレイ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.158.)

 

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写真上:ペディクラリス・マクロシフォン(『雲南花紀行』p.168)

 

 地面に這うようにして写真を撮っていると、女の人が叫ぶ声が聞こえました。あまりに何度も言うので、顔を上げると、どうやら二人で記念撮影をしたいのに、私が邪魔だから、どけと言いたいらしい。中国人は騒がしい人が多いのでいちいち気にしていられないし、中国語で叫ばれても何のことかわかりません。こんな広い所で、他人にどけというのもどうかと思うが、日中戦争になると大変なので、私はにっこり笑ってどきました。

 

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ペディクラリス・トリコグロッサ(『天の回廊』p,52)

 

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写真上左:レオントポディウム・ストラケイイ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.80)

写真上右:アスター・ディプロステフィオイデス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.88)

 

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カルダミネ・マクロフィラ・ポリフィラ

(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.534.、『雲南花紀行』p.152、『中国秘境に咲く花』p.96)

 

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写真上左:ランヌクルス・ブロテルシー(『ヒマラヤ植物大図鑑』p.630)

写真上右:クレマントディウム・レニフォルメ(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.89)

 

 私は牛奶海の対岸まで行ってみたかったのですが、三分の一ほど来てみると、結構距離があることに気がつき、馬の集合場所に引き返すことにしました。(13:35-14:21)

 

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あら!?誰もいない

 戻ってみると、あれ??馬はたった一匹しかいません。私の馬だけが美しい山を背景にぽつんと寂しそうに立っています(写真下)。馬はここが終点ですから、馬で来た人たちは全員下山したことを意味します。

私は事情がわからず、薄い空気の中で考えこんでしまいました()

 

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 ここの見せ場は、私が今まで見ていた牛奶海の他にもう一つ五色海という湖があることは知っていました。ただ、この段階で私はその五色海がどこにあるのか知りませんでした。事前に地図を探したが、大まかな地図ばかりです。写真下は日瓦のホテルに掲示されていた地図で、この写真で縦が約20kmほどですから、牛奶海と五色海が載っていても詳しい位置関係はわかりません。なによりもここには案内板らしいものは一つもありません。ネット上での旅行記にも、どこにあるのかさっぱりわからない、と書いてありました。

 牛奶海は馬の到着点から見えるからわかるが、五色海はさらに山の上なので、場所そのものがわからないのです。

 

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 私が良くわからなかったのは、他の人たちが五色海に行って帰ったにしてはあまりに早すぎることです。私よりも早く到着したとはいえ、ここに到着してから一時間くらいしかたっていないのに、牛奶海と五色海の撮影を終えて帰ってしまったというのは、四千メートルの高山と彼らの年齢を考えると(失礼!)、素早すぎる。写真の好きな人たちが、これだけの風景を目の前にして、そんなに早く帰ってしまうとは思えません。

だが、馬がないということは彼らが帰ったことは明かです。私はそこにいたチベット人と筆談で質問すると、「下去」と返事しましたから、私以外の馬で来た仲間はここから先に行ったのではなく、間違いなく下山したのです。

 

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 他の人はともかく、烏里さんはどこに行ってしまったのか。烏里さんは私よりも後に洛絨牛場を出発したはずだし、徒歩なら、いくら健脚の彼でも到着は私よりも遅かったはずです。それなら今彼は五色海で撮影しているか、あるいはもっと奥まで行っているのではないか。

 五色海まで行けば、烏里さんと会えるかもしれない。だが、問題が一つあり、その五色海がどこにあるのか私は知らないのです。ネットの旅行記から、このさらに上にあるのは知っていましたが、前述のように案内板などありませんから、上と言ってもどっちの方角か見当がつきません。烏里さんが案内してくれると思っていたのです。

 どちらの方向だろうと周囲を見渡すと、地形とこれまでの登山客の動きからして可能性は二つしかありまません。一つは牛奶海のそばを通り抜けてさらに西に進むのと、もう一つがすぐ隣の北側の斜面を登ることです(写真下)。到着した時から、北側の斜面を登っていく登山客を何人か目撃しました(写真下)。両方を試すだけの体力と時間はありません。もう一度牛奶海のほうに行くよりも、北側の斜面を登るほうが得策に見えました。

 

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私の馬主はもちろんのこと、残っているチベット人も私に馬に乗ってすぐに下山することを何度も強く勧めます。しかし、時計を見ると、まだ2時半です。ここまで来て五色海も見ないで帰るなんて冗談じゃない。旅行記を読んでも、きれいな湖だと書いてありました。仮に、馬主が怒って先に帰ってしまったとしても、私が徒歩で下山するのに二時間と見て、遅くともここを4時に出れば、洛絨牛場の6時の車には間に合います。北側の斜面を登っても五色海が見つからないなら、途中で引き返せばいい。

「天気が良いから遭難することはあるまい。なるようになる」と、私は彼らの助言を完全無視して、斜面をゆっくりと登り始めました。こんな高山で地元の人の助言を無視したのですから、私としてはかなり大胆な判断です()

文章に書くと大げさですが、4300mの高山で、酸素不足で頭はうまく回らず、地図もなく、他の人たちがどうして下山してしまったのかよくわからないし、言葉は通じないし、チベット人たちは強く下山を勧めるのですから、私は決断するのに五分ほどもかかりました。

 

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後でわかったのは、私の推測のいくつかが間違っていました。一つは、五色海まで登ったのは私と群馬さんだけで、他の4人は牛奶海を見ただけで帰ったのです。二つ目の間違いは、烏里さんはここには来ていなかったのです。彼は洛絨牛場に留まり、我々だけがここに来ていたのです。

そうとは知らず、私は五色海を目指し、斜面の草花を撮影しながら、一歩ずつ亀の速さで、ウサギのように休みながら登り始めました(写真下)。すると、私を見捨てていた馬主が追いかけて来て、私の荷物を持ってくれました。どうしようもない客だとあきらめてくれたようです。

 

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斜面を登りながら振り返ると、先ほどまでいた牛奶海がきれいに見えます。斜面を斜めに登るから登山としてはそれほどきつくはないのだが、なにせ4300mです。若い登山客ですら、登っては立ち止まるを繰り返しています。

 

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青く透明な五色海

 斜面を登り切ったところで、目の前に五色海が現れました(14:55, 4315m)。湖の向こうの山は仙乃日で、ちょうど南側から見ていることになります。

 

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 ここには、湖が深いからそばによるな、という警告の看板が日本語でも書いてあります(写真下)。しかし、こんな看板を立てるくらいなら、どうして下の馬の発着場に、五色海の場所を示す看板を立てないのだと、サービスに慣れている日本人の私はついぼやきたくなります。

 

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 でも、ぼやくのはやめて素晴らしい風景を楽しみましょう。

 

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 ここも透明度はすばらしい。水は澄んで、底まで見えるし、湖底の石と深い青とが見事なコントラストを作っています。しかも、ありがたいことにほとんど人がいません。

 

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 牛奶海もそうですが、近すぎて全体を撮ることができません。西側の山(写真下左)のほうに行けば、全体が写るだろうが、そこまで登る気力が起きません。

 

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 ネット上の旅行記では、ここで山の上のほうから氷河が崩れるゴゴゴという音が聞こえたという記述がありました。私も耳をすましたのですが、聞こえませんでした。

 

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 五色海は一つだけでなく、その右隣(東側)にもう一つ小さな湖が見えます(写真下右)。これが五色海の一部なのか、それとも別な名前がついているのか、調べてみましたが、よくわかりません。

 

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 もう一つの小さな湖の向こう()に見える白い山が夏若多吉のようです(写真下)。だいぶん形が違ってみえます。あの山の下あたりに、我々が馬で出発した洛絨牛場があります。

 

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 五色海を眺める崖の上には、チベットでよくある五色の旗があります(写真下)。そのそばに漢族らしい人が寝そべっていました。写真下左の右奥の人物がそれです。真ん中の帽子をかぶっているのは私の馬主です。私はてっきり彼は観光客で、ここでのんびりしているのだろうと思っていたら、馬主がなにやら彼から買いました。ビスケットのようなものです。写真下左は座って馬主が食べているところです。馬主の予定では、私を早めに連れて帰れば、今頃、洛絨牛場で昼食を取っていたのでしょう。

 つまり、この人は観光客ではなく、この4300mの山の上で商売をしているのです。馬主がいきなり食べ物を買ったことをみると、彼はいつもここで商売をしているのでしょう。中国人の商売根性には頭が下がる。

 

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 私が花を探して動きまわるので、彼はあわてて食事を中止して立ち上がろうしたので、「そのまま飯を食ってくれ」と制止しました。せっかくの食事時間を邪魔するつもりはありません。そういえば私も食事をしていなかった。洛絨牛場で烏里さんが昼食を渡していたようですが、私は花の写真を撮っていたので、食べ損ねて、そのまま出発したのです。

 

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 五色海とは反対の南側を見ると、先のとがった山が連なっています。これらのうちどれかが洛絨牛場から美しく見えた央邁勇なのだが、よくわかりません

 

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 雪をいただいている点からして、一番高く見える山がそれなのでしょう(写真下左)。山の下の部分の白く見えるのは雪ではなく、白い石です(写真下右)。山頂部分ではその区別がつきません。

 

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 周囲を見ると、数は多くないが、いかにも四千メートル級の山にありそうな花が咲いています。

 

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写真上:ギムナデニア・オルキディス(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.115、『雲南花紀行』p.138)

 

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写真上:クレマントディウム・レニフォルメ(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.89)

 

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写真上:ペティクラリス・アングスティロバ(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.156

 

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写真上:サウスレア・ボミエンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.173)

 

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写真上:レウム・スピキフォルメ(『ヒマラヤに花を追う』口絵)

 

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写真上左:アストラガルス・ユンナネンシス(『ヒマヤラ植物大図鑑』p.413))

写真上中:ペディクラリス・トリコグロッサ(『天の回廊』p,52)

 

 

斜面のブルーポピー

 もう少しのんびりしていたいが、馬主の責めるような目が気になりますので()、そろそろ降りることにしましょう。斜面を登っている時、何本か青いケシを見つけていたので、帰りはその撮影に時間をつかいたい。

 

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写真上:メコノプシス・ラケモサ(『世界のワイルドフラワー Ⅱ』p.98)

 

 ガレキの斜面に何株か青いケシを見つけました。登山途中、馬を乗り降りした場所の岩に、ポツンと一本だけ咲いていたのはちょっと時期が遅れていました。しかし、ここの花はまだ被写体になります。

 ガレキの斜面はすべりやすく、私は地面に寝転がって写真を撮りました。

 

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道の脇を見ただけでこれだけあるのだから、斜面をうろつけばもっとあるに違いありません。

 

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斜面に寝転がったついでに、そのままばらく青いケシをみていたい気分だが、またしても馬主の目が気になります。

 

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誰もいない山道を帰る

 馬の発着所に戻り、たった一頭残った私の馬に乗って下山です(15:33、写真下)

 

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当然、ごらんのように、帰り道には誰もいません(写真下)

 

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 馬主はすっかり遅くなって気持ちが落ち込んでいるようだが、私は青いケシも撮影できたし、天気も良く、誰もいないチベットの山の中を素晴らしい景色を馬上から楽しみ、鼻歌まじりです。どうして私は誰もいなくなるとこんなにうれしくなるのだろう()

 

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 ブルーポピーが岩の上に生えていた所で馬を下りて、ここからしばらくは歩きます(写真下)。我々が最後かと思ったら、子供連れで徒歩で登ってくる人たちがいます・・・すごい(写真下右、15:45)

 

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 下りもなかなか見晴らしがよく、楽しい。下る時、勢いをつけて降りると後で足が痛くなるので、私は例によってノロノロと亀のように降りていきます。馬主はもう急がせませんから、さすがにあきらめたようです。

 

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ここから再び、馬に乗ります(15:54、写真下右)

 

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数人のグループが馬に乗って登ってきました(写真下、15:56)

 

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さらに子供を連れた登山客に会いました(16:02、写真下)。私の馬主も早めに戻れたら、こうやって3度目の客を引き連れてこれたのでしょう。でも、私がすれ違った馬に乗った客はこの二グループのみでしたから、3度目の客取りの競争率は高そうです。

 

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 道端にできた水たまりの写真を撮っている人がいます。そんな水たまりに魚がいるとも思えず、「え?なにをしているの」ととりあえず私は馬から下りました。水たまりに映った夏若多吉の写真を撮っていたのです(写真下)

 

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庭園のような谷の風景

 洛絨牧場が近づき、谷に降りて、花の群生している湿原を行くと、まあ、そのきれいなこと。川が曲がりくねり、きれいな水が流れ、岩があちこちに露出し、花が咲き乱れ、まるで庭園の中を馬で散歩しているような気分です。来る時もきれいだとは思ったが、朝はもっぱら山のほうばかり見ていましたから、ここまできれいだとは気がつきませんでした。

 ものすごく揺れる馬上からファンイダーも見ないで適当に撮ったので、うまく撮れていないのはお許しください。

 

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 写真下など、石の配置、木の配置、川が蛇行している様子、背景の山など、まるで日本庭園のようです。もちろん、自然にできたものです。

 

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 馬の発着所の少し手前で、馬から下りました(16:44)。馬主のちょっと気落ちした様子を見てください(写真下左)。変な日本人を乗せたばっかりに、彼は今日の稼ぎが減ってしまったのです。事情を知っていれば、チップをはずんであげたのですが、この時の私はまだ彼の手間賃がたった50元だとは知らず、300元も払ってやったのに態度の悪い奴だと思っていました。気の毒なことをしました。言葉が通じないのは難しい。

 

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亜丁とお別れ

 歩道の展望台まで戻り、そこに烏里さんを発見して私はびっくりしました。てっきり、私よりもはるか後ろにいるのだろうと思っていたからです。彼が牛奶海まで行かなかったことをこの時初めて知りました。

 

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 車に乗って、洛絨牛場を後にします(17:21,3815m)

 

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 夏諾多吉の美しい姿を見ながら(写真上右、写真下)、沖古寺近くの休憩所に到着。

 

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 ここから、左手(西)に仙乃日をみながら、徒歩で馬の駅まで降ります(写真下)。今日見てきた牛奶海はほぼこの山の後ろにあります。つまり、仙乃日を半周して戻ってきたようなものです。

 

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 馬の駅(扎灌崩)から馬に乗って下山です(17:42-18:09, 3770m-3615m、写真下)

 

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 馬で二往復して気になったのが、木に綿のようにぶらさがるサルオガセです(写真下)。きれいな空気と霧など適度な湿り気がないと成長しないそうで、木を枯らしているのではなく、枯れた木に付着するようです。サルオガセが付着している樹木は立ち枯れを起こしていることになります。今日歩き回った範囲では、馬で往復した道の一部でしか見られませんでした。

 

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 入り口の龍龍壩でバスに乗り、亜丁を後にして今日の宿泊地の香格里拉(日瓦)に戻ります(18:15)。バスからは夕日を浴びる仙乃日が見えます(写真下)。二日間、絶景を見せてくれた亜丁の三山ともお別れです。

 

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 昨日の道を日瓦まで戻ります。2002年のネット上の旅行記では、土砂崩れと道路工事で、四輪駆動車がぬかるみにはまこりこんで動けなくなり、日瓦まで5時間もかかったことや、2005年の旅行記にも泥道の写真が載っています。我々は舗装された道を順調に飛ばし、どこにも立ち寄らなかったので、一時間ほどで香格里拉(日瓦)の亜丁驿站酒店に到着しました(19:14、写真下)

 

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二日前泊まった部屋の隣で、こちらは窓に鍵がかかります。きれいなトイレがなんとありがたいことか!

 

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 一休みして、ホテル内のいつものレストランで夕飯です(20:37、写真下)。私は昼飯を食べていなかったので、その分も食べました。

 

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前回同様に、フロントでネットを借りようと「ネットケーブル、プリーズ」と言うと、フロントのお姉さんが「ネットケーブルはない」といいます。それではと、私が自分のネットケーブルを出そうとすると、彼女は二日前と同じ棚からケーブルを取り出して接続して貸してくれました。

どうやら、私がネット接続を頼むのに、ネットケーブルと言ったことに皮肉を返したつもりだったようです。二日前の服務員のお姉さんが丁寧だっただけに、私はちょっと驚きました。どこの国にもたまにこういうお局様がいらっしゃる()

 

 

 

 

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