秋たけなわのギリシャの花 7日目 2019年11月5日(火) パルテノン神殿、スニオン岬 六時に起床。部屋の温度は22.7℃で、外は晴れています。 今日はアテネ市内のアクロポリスでパルテノン神殿やスニオン岬で花を見た後、夜の飛行機でギリシャを発ちます。 七時半から、ホテルの食堂で朝食です(写真下)。 八時半にホテルを出発しました。ホテルの周囲は松林も多く、海の近くですから、散歩にちょうど良かったのですが、疲れていたので、中止。 私たちが泊まったホテルはアテネ市街の南にあったので、中心部にあるアクロポリスまで北上します。道路は出勤ラッシュなのか、かなり混んでいます(写真下)。 人混みのパルテノン神殿 アクロポリスの麓にある駐車場に到着して、ここから丘を登ります(9:20)。チケット購入もガードナーさんにお任せなので、こういう時は団体は楽です。 イヌ君は登るつもりはないらしい(写真下右)。 進むにつれて、すごい人混みです。私はこういう人混みを見ると、逃げだしたくなる。 丘の上に上がると、あの有名なパルテノン神殿が見えてきました。長年、修復をしているから、かなり出来上がっていると期待していたら、写真で見たよりも、もっと壊れている印象です(笑)。 柱がまだら模様になっているのは何か修復用の塗料でも塗っているのだろうか。 周囲は今でも建築機材があり、取り外したと思われる神殿の一部や、加工された大理石が周囲にあります(写真下)。平日なのに作業している人たちの数は少ない。 パルテノン神殿がここまで壊れた理由の一つは1687年に、オスマントルコがここを火薬庫に使っていたところにヴェネツィア軍が攻撃して、火薬が爆発したからです。もう一つの破壊が、1801年にイギリスの大使が支配者であるスルタンから許可を取り、建物から彫刻を取ったことで、今日、大英博物館にエルギン・マーブルというコレクションとして残っています。どう見ても泥棒だが、拡大解釈したとは言え、許可を取っており、またイギリスが保存したから、今日残っていると見ることもできますから、難しい問題です。 ギリシャは返還を求めていますが、当然、イギリスは応じません。これに応じたら、大英帝国時代に世界中から盗んだ財宝を全部返すことになってしまう。私の妥協案は、イギリスは長期的レンタル料金をギリシャに払い、完璧なレプリカを寄付して、パルテノン神殿に戻すというものです。これも、ここ一つでは済みませんから、絶対にしないでしょう。 下図はエドワード・ドッドウェルが本の挿絵として書いた絵で、1821年頃のパルテノン神殿と周囲です。周囲にはずいぶんたくさんの建物があります。それも煙突があるのだから、民家のような建物です。周囲に人が住んでいたのだ!もちろん、今はありません。 上図 『View of the Parthenon from
the Propylea』の部分(1821年) 下の絵は、レオ・フォン・クレンツェが1846年に描いたもので、当時の風景ではなく、ギリシャ時代はこんな姿だったという空想の絵でしょう。この絵の神殿の破風に彩色されたレリーフがはめ込まれています。私たちはギリシャ彫刻は白い大理石というイメージだが、これはイギリス人が作った誤ったイメージで、実際には、パルテノン神殿に祭られた神々の彫刻は派手に彩色されていたことが知られています。おそらく、ミロのビーナスも厚化粧だった(笑)。 上図 『アクロポリスの再建とアテナのアレイオス・パゴス』の部分(1846年) 上の絵とほぼ同じ方角から撮ったのが写真下です。今の修復は1975年に委員会ができて、1981年頃から始まったというから、四半世紀もたっています。観光客を入れながらの作業が難しいとはいえ、このゆっくり感は、あのカフェにたむろしている人たちと同じで、いかにもギリシャらしい。 アクロポリスの花 こんなにたくさん人のいる所では花なんかないだろうと思っていたら、そうでもありません。 写真上 Taraxacumの仲間 写真下のように人がたくさん歩き回っている周囲に黄色のヒガンバナの仲間が咲いています。私がいつも黄色いクロッカスと勘違いする花です。 写真上下 Sternbergia sicula この種類は何度も出てきました。日本ではキバナタマスダレという名前で入っているようで、私は見たことがないけど、日本でも育つなら植えてみたい。でも、彼らの好みはこういう乾いた岩だらけの環境なんでしょうね。 ギリシャ文明が花盛りで、アクロポリスが政治や宗教の中心だった頃にも、ここにはこの花が咲いていたのだ。 花と葉が同時に出るとネットの説明にはありますが、ここでは花だけのもたくさんあります。 庭づくりとして岩の間に意図的に植えたかのような風景が広がっています(写真下)。 他のお客さんが何か見つけたらしく、呼んでいます。おっ!亀クンではないか(写真下)。かなり大きい。写真だけ撮らせてくれと頼んでも、急用があるらしく、亀にしては急ぎ足で行ってしまいました。 亀クンのいるあたりの黄色い花は別種だという(写真下)。もちろん、私には区別がつかない(笑)。こちらもここ数日、ほぼ毎日のように登場しています。 写真上下 Sternbergia lutea 秋になると葉をのばし、その後で花を咲かせると説明がありますが、ここでは葉のない花だけのもあります。 冬水仙、秋水仙(winter daffodil, autumn
daffodil)などの名前がついています。また、私と同じ間違いをする人がいるらしく、「黄色い秋のクロッカス」(yellow autumn crocus)という名前もあるようです。クロッカスではありません。 スニオン岬 アクロポリスを後に、アテネから70kmほど南にあるスニオン岬に向かいます。アテネから少し走ると、周囲は写真下のような風景になります。 大半が海岸に沿って走っているので、眺めも良く、とても気持ちの良いドライブです(写真下)。 スニオン岬の高台にあるポセイドン神殿に到着しました(写真下)。 紀元前444年に建設され、ポセイドンの銅像を祭った神殿でした。2500年後も土台と柱が残っていることが驚きです(写真下)。 隣には神殿に使われていたと思われる大理石が並んでいます(写真下左)。修復する予定はなさそうです。 ここを訪れた人たちの旅行記を読むと、ここは太陽が海に沈む夕焼けが有名なようです。 遺跡の土台のそばに亀が歩いています(写真下)。さきほどアクロポリスで見かけたのと同じくらい大きい。ギリシャ人はのんびりしているのに、ギリシャの亀はいつも忙しい。 写真下は歩道を歩いてくる鳥です。人間を恐れる様子はなく、立ち止まっている私の横を数羽が速足で通り過ぎました。英語名がRock partridge、和名はハイイロイワシャコで、派手さはないが、キジの仲間です。 写真上右 Alectoris
graeca 遺跡の入口にある店の前で昼食です(13:49)。きれいなトイレもあります。 昨日と違い、晴れて、青い海を見ながらの昼食はおいしい。 昨日の寒さが信じられないほど今日は暑い。崖の下では海水浴をしている人たちがいます(写真下右)。 野生のサフラン 食事を終えて、花を探しに出かけます。写真下はマニ半島でも探した背の低いスイセンです。 写真上 Narcissus serotinus 赤いメシベを付けて目立つクロッカスがあります(写真下)。 写真上下 Crocus cartwrightianus 今回の旅行では初めてお目にかかるクロッカスです。ツアーリーダーの松森さんによれば、今回の旅行でこれを含めて8種類のクロッカス、4種類のクロチカムを見たそうです・・・両方合わせれば4種類くらいはあったように気がする(笑)。 原産地はギリシャ本土とクレタ島です。サフランの原生種ともみなされますが、一方で、サフランはイランが原産地だという説もありますから、議論は学者たちに任せましょう。 今から七千年前の古代のクレタ島での遺跡にこのクロッカスの群落が描かれていることから、これは栽培の記録だという。栽培したとすれば、観賞用というよりも、染料として利用した可能性があります。 花弁が白いのがあります。写真下の上段は、これで一輪なのに花弁が10枚くらいに見えます。下段は他と同じ6枚です。 海岸近くの崖の手前に、先ほどアクロポリスでも見た黄色いヒガンバナの仲間が咲いています。 写真上下 Sternbergia sicula 写真下のようにまとまっていると少々騒がしいが、これも絵になります。 青い空、青い海、乾いた台地に咲く花たちを見ると、ギリシャだなあと思ってしまう。 スニオン岬での花の観察を最後に、これでこのツアーの花の観察はすべて終了しました。 スーパーに立ち寄り、お土産を買います(写真下)。ユーロだし、飛行機の預け荷物の制限も30kgなので、気にせずに買い物ができます。 ギリシャを発つ アテネ国際空港(Athens International Airport
Eleftherios Venizelos)に到着して、ここでお世話になったガードナーさん夫妻ともお別れです(16:15)。奥さんは熱を出している子供のことが心配なので、先に今日の便でトルコに帰国するそうです。 税関で500mLの水の入ったペットボトルがそのまま通過できたお客さんがいました。これにはちょっと驚きですが、これから行くドーハではまったくダメです。 カタール航空QR208便は、機体がエアバス社のA320で、19:25にアテネを発ち、4時間5分の飛行の後に0:30にドーハに到着する予定です。ほぼ満席と言ってもいいほど混んでいます(写真下)。 私の座席は予約どおりに、26Fです(下図の黄緑色)。私は座席に着くと同時に疲れで眠ってしまい、飛行機が離陸したことにも気が付きませんでした。 夕飯と飲み物が出ました(20:33)。隣のお客さんは肘掛を乗りこえて私のほうまで腕をのばして、何度ぶつかっても気にしない。ヘッドホンで音楽を聞くのに、隣にいる私の耳にもはっきりとわかるほどの大音量で、ついでに歌う(笑)。ここまで自分の世界に没頭できる傍若無人さは、皮肉も込めていうなら、半分うらやましい。 機体が古いせいか、モニターの反応が悪く、しかも表示と実際とが違うなど使い物になりません。細かいことを含めて、この飛行機への個人評価は不満があるとして、カタール航空にしては珍しく、五段階評価の下から二番目のDとします。 やがてドーハ(Doha)の灯りが見えてきました(写真下)。 ドーハの国際空港(Hamad International Airport)に着陸しました(ドーハ時間11/6の00:06、ギリシャ時間23:06)。時間を一時間進めます。 ここで成田行の飛行機に乗り換えます。次の飛行機までは二時間ほどですから、ほとんど待たされることもなく楽です。 カタール航空QR 806便は,機体が来た時と同じBoeing 777-300ERで、ドーハを01:55に離陸し、9時間50分飛行して、成田に17:45に到着する予定です。 私の座席は予約どおり44Aで、隣はかなり年の離れた男女のペアです。二人ならどちらかがトイレに立つだろうと期待したのですが、隣の女性が飛行の後半は毛布を頭からかぶって爆睡したために、私はトイレには行きませんでした。 ほぼ予定通り、02:13に飛行機はドーハを離陸しました。 離陸して一時間ほどで食事と飲み物が出ました(03:29)。時間が時間なので、とにかく私は眠いのだが、熟睡するわけにはいかない事情がありました。 |