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4日目 19981120()

ガヤー (バス) ラージギル

 

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6:00 起床。昨夜、エアコンがついていたので、私は風邪を引いたようです。

7:00 ホテルで朝食(Rs75×4=Rs324)。我々が乗ったのと同じ、カルカッタから今朝列車で到着したという日本人の団体が食事をしています。

8:28 ホテル出発。今日はガヤの北東にあるラージギルを目指します。

リクシャーを二台雇い(Rs10×4)、バス停まで行きました(写真上)。約15分。ガヤーの街はゴチャゴチャしていて汚い。

8:59 バス出発(Rs18×4)。座席は通路をはさんで四人かけのリクライニング付きの「昔豪華だったバス」。それぞれ座席を確保しましたが、狭い(写真下)

 

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 ガヤーからラージギルまでの約二時間、乾いた感じのインド平原が広がっています(写真下)

 

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 バスが停まると、物売りがやってきます。子供たちが売っているのはピーナッツです。子供たちが物売りをしているのは日本的には変ですが、でも、彼らは楽しそう。

 

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11:13 インド平原を走っていたのが、急に山の中に入ると、間もなくラージギル到着しました。

リクシャーでツーリスト・バンガローに行きました。お湯はでないが、比較的清潔です。二十年前もこのバンガローに泊まりました。あの時は、夜、すごい星空に驚かされました。空にこんなにたくさんの星があるとは知りませんでした。

13:00 バンガローの食堂で昼食をとりました。しかし、タイの観光客が来ていて、予約時間まで入れたのに、食堂は何の準備もしておらず、結局、台湾の観光客が出て行ってから食事が始まりました(Rs326)

 

 

 ラージギルは上の地図のように、周囲が山に囲まれています。これは外輪山なのだそうです。周囲を山に囲まれた天然の要塞として、お釈迦様の時代にはマガダ国が栄えていました。

13:30 タンガー(馬車)に乗って、日本山妙法寺に行きました(写真下)

13:42 寺には有名な尼さんがいて、助言をもらうつもりで行ったのですが、あいにく出かけていていないようです。

 

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竹林精舎

日本山妙法寺に隣接する竹林精舎を参拝しました。マガダ国のビンビサーラ王がこの敷地をお釈迦様に寄進し、カランダ長者が精舎を建立したと言われています。

インドの仏跡の中でもたいへん良く整備され、公園化された遺跡です。中心部に大きなカランダ池があります。お釈迦様はこの池のそばでよく説法をされたそうです。池はインドのどこに行っても長方形で、日本庭園に慣れている日本人にはちょっと違和感があります。竹林精舎というくらいで、竹林もあります。これは日本人がネパールの竹をわざわざ移植したものです。

 

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ここが竹林精舎と指定されたのはわずか半世紀前の1950年代からです。つまり、他の遺跡同様、ここがほんとうに竹林精舎なのかどうかは実はよくわかりません。正確には、ここを含む、この近くのどこかにあったのでしょう。

 

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14:27 タンガーを雇い、霊鷲山に向かいました(写真下)。タンガーはここではタクシー代わりの馬車(ロバ?)です。のんびりと走るので軽快です。

 

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霊鷲山

14:49 霊鷲山の麓の入り口に到着して(写真下)、ここから徒歩で山に登ります。隣の妙法山日本寺に行くケーブルにはインド人がたくさん並んでいるが、霊鷲山のほうにはほとんど人がいません。

 

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 霊鷲山はお釈迦様がここに滞在して説法した場所だと言われています。

 ここが霊鷲山だと確認されたのはわずか百年ほど前で、浄土真宗本願寺派の門主だった大谷光瑞師らの業績です。

 頂上付近に岩山があり(写真下)、この岩の上で説法されたと言われています。

 

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 インド仏跡のガイド本の中に、この霊鷲山でお釈迦様が法華経、観無量寿経、般若経などの大乗経典を説いたと書いているのには驚かされます。これらの大乗経典は後世の人たちが創作した経典ですから、お釈迦様本人とはまったく関係ありません。法華経や観無量寿経がラージャガハ(ラージギル)を舞台とした話があるからといって、そこに登場するお釈迦様は実在したお釈迦様ではありません。たとえば、徳川家康から四百年も後に生きている小説家が家康の小説を書いたからといって、史実ではないのと同じです。

 経典の信仰するのは個人の自由だが、信仰と史実とは区別するべきです。

 道の途中にいくつか洞穴があります(写真下)。これらはアーナンダなどが瞑想した洞窟だと言われています。

 

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 霊鷲山の山頂は平らになっていて、参拝者はここで香を焚き、花輪を捧げ、お経を唱えるようです(写真下)。我々の他には、食堂で会ったタイの団体さんが来ています。

 

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 二十年前のパックツアーでは、早朝にここに登山して、ご来光を拝むという設定でした。様々な仏跡旅行記を読むと、どういう訳か、このパターンが多いようです。朝日を拝むというのが、いったい仏跡巡礼とどう関係しているのか、イマイチわかりません。仏教には少なくとも太陽を拝むという教法はありません。

 

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ちょっとかすんでいますが、霊鷲山から見る周囲の風景がきれいです(写真下)。二十年前に来た時には、このあたりにはトラが出没すると言われていました。タイからの観光客は先に降りました。頂上で警備している警察官らといっしょに下山することにしました(16:12)

山の上の仏跡を警察が警備しているのというのも奇妙ですが、このラージギルは強盗が出ることで有名なのです。それも盗賊の格好をしている強盗ではなく、一見ただの観光客が突然強盗に変身するというのです。隊長が日本山妙法寺の尼さんを訪ねたのもその関係の情報を手にいれるためでした。警察が下山するというのですから、もちろん我々も下山しました。

 

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霊鷲山の入り口近くで、レムというボンタンのような大きなミカンを買いました(Rs10)。グレープフルーツの味を薄くしたような感じですが、山登りが終わった後の水分補給にはちょうどよく、おいしくいただきました。

タンガーを雇い、帰る道の途中にある、ジーヴァカのマンゴー園跡(Jeevakamra)に寄りました(写真下)。ジーヴァカは熱心な在家信者で、大臣まで務めた医者であり、カーストを超えて民衆に治療を施したと言われています。ここは彼の病院跡とも言われ、治療器具も見つかっているそうです。しかし、今は何もないただの広場です。

 

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夕暮れになって、霊鷲山のほうから、薪を頭に乗せた人たちが帰っていきます。また、登山道の途中にいた目の不自由な物乞が子供に手を引かれて帰っていく様子は、なんとなくほのぼのとしています。

 

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16:40 次にビンビサーラ王の牢獄跡を見ました(写真下)。王位を奪おうとした息子から幽閉され、非業の死を遂げたと言われています。遺跡と言っても、写真のようにただ石垣が残っているだけで、絵にもなりません。芭蕉風に言えば、強者どもが夢のあと、というところでしょう。

 この悲劇の話が観無量寿経に載っていますが、前述のように、史実を元にして後世の人が書いた一種の小説です。

 

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16:55 温泉(Kund)の前にある店で夕飯をとりました。このあたりが繁華街のようです。

クマラさんという日本語を話せるインド人がいろいろと親切に教えてくれました。彼は自分のあだ名が「ジャパニ」だと紹介しました。ナーランダ大学を出て、日本語を習ったのだそうです。彼は信用を得ようと、旅行客の日本人からもらったお礼の手紙などを見せてくれました。

結果からいうと、確かに彼はとても親切で、嘘はありませんでした。しかし、いくら日本語ができて親切そうに見えるインド人でもとんでもないのがいます。彼には失礼とは思ったが、言葉だけでは全面的に信用はできないのです。後に彼を信用したのは、手配を頼んだ翌日のタクシーが時間どおりに来て、しかも、料金も彼が言ったとおりの価格であり、他に乗客が乗っているなどのインド式ではなかったからです。

18:07 すっかり暗くなった道をタンガーに乗ってバンガローに帰りました(Rs20)

 

 

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