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6日目 19981122()

パトナ ヴァイシャーリー

 

 

6:40 起床。

8:00  泊まったホテルのレストランで朝食(Rs165)

体調が悪いことを差し引いても、ひどい味です。

 

 

ホテルの従業員が金を騙し取ろうとした!

隊長がホテル代金を払おうとすると、受け取った従業員が札を一枚を抜き取って、足りないという。インド旅行になれている隊長にそんなゴマカシは通用しません。

9:15 本日の目的地であるヴァイシャーリーに向けてタクシーでホテルを出発。途中、運転手がガソリンを入れたいとお金を要求しました。昨夜、隊長がホテルでタクシーを予約する時、ガソリン代も含めた料金を払いました。だが、運転手は受け取っていないという。つまり、ホテル側がごまかしていることがわかり、ホテルに引き返すことにしました。

10:15 運転手と隊長と私がホテルに乗り込みました。最初、ホテル側は「お金は受け取っていない」と拒否。隊長が昨日の受け取りを見せると、受け取りにサインした従業員は今日は休みだという。ホテル側が受け取りを書いた従業員に電話して、ようやく納得し、ホテル側が運転手にRs250を渡しました。もし、隊長が前日に受け取りを出すように強行に言わなかったら、こちらの泣き寝入りでした。最初からごまかすつもりだから、受け取りを渡すのを嫌がったのです。

 従業員はなかなかうまい手を思いついたもので、タクシー代金は運転手に渡し、ガソリン代だけをごまかそうとしたのです。まさか我々がホテルまで戻ってくるとは思わなかったのでしょう。

 

 日本のホテルなら、こんなトラブルなど最初からおきないし、もし従業員がこのようなゴマカシをしたら、即刻クビであり、ホテル側は客に平身低頭謝罪するでしょう。だが、それは日本の話であって、インドではそうではありません。インドでは、ごまかした方も悪いが、ごまかされたほうもバカだと、まるで同罪のようにみなされます。だから、このホテルでも我々には謝罪の一言もありませんでした。金をごまかそうとした従業員もクビにはならないでしょう。

 ガソリン代はRs250ですから、千円にもなりません。日本人の多くは交渉の煩雑さを考えて、「もうそれくらいいい。戻るなんて時間の無駄だ」とあきらめてしまいます。しかし、これがかえって彼らを増長させます。インドの観光地では、日本人とは簡単に騙せるバカばかりだと一部では思われているそうです。

 

 ホテル側への交渉に隊長とともに私も行きました。インド慣れしている隊長と違い、私などいてもいなくても、交渉にはあまり役に立ちません。わざわざ行ったのは、明らかなゴマカシをホテル側がどう対応するのか、見物するためです。重要なインド観光の一つです。

犯行内容は明らかです。ホテル側がグルでやっているのか、それともよくあるパターンで従業員の単独犯なのか、また、彼らは必ず自分には非はないと主張するだろうから、どんな屁理屈をつけるか、それを見物するために同行したのです。

 これこそがインドの観光名物なのです!(と、声高に叫ぶ)。暑いインドで涼しい顔をして嘘をつき通す姿はなかなか見物です。皆さんもインドに行く機会があれば、御自身で体験してみてください。猛烈に疲れ、ウンザリさせられますし、隊長のように慣れた人でないとインド人には勝てないが、これも観光の一つなのだと思うと、興味も湧いてきます。

 

インド人の名誉のために申しあげるなら、このようなゴマカシをする人たちもいる反面、正直で親切な人たちもいます。日本は「横並び」だが、インドは「縦並び」です。極端に美しい物と極端に醜い物、桁違いの大金持ちと路上生活者、聖者と詐欺師、正直者と大嘘つきとがすぐ隣同士にいるのがインドのようです。

 

10:45 重要な観光が終わり、一時間半遅れて、再出発です。ヴァイシャーリーはパトナから80kmほどあります。日本ではまずありえない川幅のガンジス河を渡り、対岸のハジプールをすぎて(11:31)、ひたすら田舎道を走りました。

 

 

12:30 ヴァイシャーリーの入り口にある門に到着(写真下左)

ヴァイシャーリーは宿泊設備が整っていません。私たちが泊まったユースホステルは(写真下右)、我々だけで満員になるような小さな設備です。部屋は悪くないが、後で、電気は一日中、つまり夜も停電のまま、蛇口からは水も出ないことがわかりました。電気はともかく、水がでないのは手も洗えず、最悪です。外に井戸があるが、どう見てもそぐそばにある池の汚い水がそのままで、トイレ用以外には使う気がしません。

 

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ユースホステルの前の池もきれいだし、向こう側に日本寺妙法寺の白いストゥーパが水面に映り、なかなかの風景です(写真下)

13:40 隣接する食堂でチャイ(Rs2)頼んで、簡単な昼食を取りました。

 

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 ユースホステルの前に子供たちが集まっています(写真下)。たぶん課外授業なのでしょう。

 

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14:06 遺跡に行くためにリクシャーを頼むが、どうやら田舎すぎてつかまらないようです。自転車を貸してくれるというので、これで出かけることにしました。

周囲は田畑が広がる農村で、のどかできれいな風景です(写真下)。私は風邪で体調が悪いので、地図をみながら、自転車を走らせ、写真を撮るのが精一杯で、あまり楽しむ余裕はありませんでした。

 

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アショーカ王の柱が遠くから見えるので(写真下左)、ここが遺跡だとわかるが、明らかに遺跡の一部に人が住んでいます。牛や山羊が放し飼いになっていて(写真下右)、よく言えば、農村風景にとけ込んでおり、正確に言うなら、整備されていません。

 

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巡礼者は我々の他には、途中から団体さんが来ただけで、誰もいません。ただ、ここでも子供たちが物乞によってきます。

 沐浴池(ラーマクンド)とアショーカ王の石柱とストゥーパが午後の陽射しの中、とてもきれいです。

 

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 ここは元々、精舎があった場所だと言われています。池は、サルがお釈迦様に供養するために掘ったという伝説があります。また、サルがお釈迦様に蜜を供養したという場所もこのあたりだと言われています。

 

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お釈迦様がヴァイシャーリーを振り返った所

自転車で(写真下)、お釈迦様が亡くなる直前、このヴァイシャーリーを去るときに振り返った所に建てられたという2つのストゥーパを訪ねました。仏跡のガイドブックには、「ビーマ・セーラ カー・パッラー」と書いてありますが、これがそれぞれのストゥーパの名前なのか、それとも地名なのかよくわかりません。

 

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 地図では大通りからストゥーパまでの道があるはずなのに、近くの住民に聞いてみてもなかなかわかりません(写真下左)。ようやく、ここらしいとわかったのが写真下右で、農家の庭先のような所で、これが道だと言われてもねえ・・。変な所に連れ込まれて、強盗に変身されると恐いが、どう見ても、彼らは普通の農民であり、純朴そうな顔をしていますから、ついて行くことにしました。

 

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村を通り過ぎたところに二つの「盛り上がったところ」があり、仏跡関係の本の写真から推測してこれにまちがいないでしょう(写真下)

 

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ごらんのように、両者が仏塔(ストゥーパ)だったと言われても、まったくわかりません。高さはせいぜい数メートルで、ただの土盛りです。

ストゥーパ自体の境界も、両者の境界も、畑との区別もはっきりせず、道が一つの堺になっている程度です(写真下)

 

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後で、南側から振り返って見たのが、写真下で、樹木が二箇所、高く生い茂っているように見えるのがそれです。

 

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 ただの土盛りのように見えるが、これがストゥーパの跡だろうと推測させるのが、穴を掘った跡があることです(写真下)。おそらく何か遺物がないかと盗掘したのでしょう。

 

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 ここから南側には田が広がり、先ほどのアショーカ王の石柱がみえます。お釈迦様がここからヴァイシャーリーを「象が眺めるように」振り返り、「これが最後の眺めとなるだろう」と付き人のアーナンダに告げています。その当時は、まだここから繁栄する街が見えたのでしょう。お釈迦様はヴァイシャーリーを「楽しい」とおっしゃっていますから、とても気に入っていたようです。

 

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 アショーカ王の石柱や四角いきれいな池のある立派な仏跡ももちろんいいのですが、個人的にはこういう遺跡のほうが好きです。なぜなら、今見ている光景はお釈迦様が見た光景とそれほど違わないかもしれないからです。彼が生きていた時には、当たり前だが、アショーカ王の石柱などの仏跡はなく、今のようなただの農村が広がっていただけです。ブッダ・ガヤーのムチャリンダ池と同様に、このほうが元々の姿に近いことだけは確かです。  

 ヴァイシャーリーは宿泊設備も悪く、観光客の多くは日帰りでここを訪れますから、アショーカ王の石柱のある遺跡や博物館の近くにあるストゥーパなど、整備された仏跡だけを見て帰ります。こういうマイナーな遺跡は価値がないので、ますます忘れ去られ、崩壊して、我々のような物好きしか訪れることはありません。

 

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 村人や子供たちをふりほどいて、田んぼのあぜ道を南下して、帰ろうとしました(写真上)。しかし、途中の川に橋がなく、結局、アショーカ王の石柱のある遺跡まで引き返し、迂回しました。

16:50 ユースホステルに戻り、休憩。

 

18:50 ユースホステルの隣の食堂で夕食をとりました(Rs183)。私は体調が悪く、辛くて油のきつい食べ物は受け付けません。近場にはここしか食堂がないのでしかたありません。

昼間いた小学生たちがユースホステルの前の道路で夕飯を取っています(写真下)。ユースホステルの設備を使って、夕飯を作ったようです。子供たちはものすごく元気で好奇心満面です。

 

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停電しているので周囲の村々も暗く、そのおかげで池の水辺に蛍がたくさんいるのが見えます。日本のホタルと違い、あまり飛びません。風もなく、星がきれいで、木星が水面に映っているほどです。池の土手に座っていると時間を忘れます。

ここは宿泊設備が悪いので、多くの観光客はパトナに宿泊して日帰りか、通過するのが普通です。そのおかげで、ここは平穏な農村の姿が保たれ、他の仏跡のような喧騒が比較的少ないのでしょう。

 

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風景はとてもきれいなのですが、私は風邪をこじらせ、体調は最悪でした。他の人から薬をさらにもらいました。熱があるらしく、暗い部屋で寝ていると、隣の部屋で話している二人の会話が、大学時代の友人二人が話しているような錯覚にとらわれます。

 

 

 

 

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