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16日目 1998122()

デリー → (成田)

 

7:30 起床。

8:00 ホテルのレストランでバイキング形式の食事。お茶と果物がおいしい。

9:23 オートリクシャを雇い(Rs230)、デリーの南にある観光地クトゥブ・ミーナールに行きました。

10:12 ここの名物は70mほどの石の塔とさびない鉄柱です(写真下)。錆びないというけど、少し錆びている()。鉄は純度が高いと錆びないのだそうです。四世紀にすでにこれだけの製鉄技術があったとはやはりすごい。

 

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お釈迦様の遺骨

10:40 オートリクシャで戻り、国立博物館(National Museum)に行きました。

11:10 カメラ代金Rs2を払うと写真を撮らせてくれるのはうれしい。

博物館に来た一番の理由は、コルカタでも見たピプラハワー出土の仏舎利です。

タイが寄付した金ピカの塔の中のアクリルのケースに十数個の仏舎利が飾ってあります。しもか、その金ぴかの塔をさらにアクリルのケースに入っているので、二重窓になってしまい、ものすごく見づらい。写真に撮ると、ストロボの光が反射して、どうにもなりません。

 

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 金ピカ塔の両側に仏舎利が入っていたと思われる舎利壺が置いてあります(写真下)

 

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 一番肝心な仏舎利ですが、金ぴか塔の四隅の柱が邪魔しているし、アクリルの二重ケースのおかげで、光が反射してしまい、とても見づらい。タイ人の信仰の篤さにはいつも脱帽だが、こういう過剰包装は迷惑です。博物館なのだから、拝むためにあるのではなく、見るためにあるのです。

 

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 コルカタの博物館にあったものに比べて、大きい骨が多いように見えます。また、骨の一部が黒くなっているから、もしかしたら、焼いた時のススが付着している可能性があります。ススが残っていれば、年代測定ができて、お釈迦様が生きていた正確な年代がわかります。実は、お釈迦様の没年や生年については何種類も説があり、百年以上も差があります。科学的な検証をすれば一気に解決する問題です。

 

12:10 レストラン「エンバシー」に行き、昼食をとりました。

14:00 隊長はガンジー博物館へ、残りの三人は政府直売所に行きました。ところが地図が不完全で、しかも教えるインド人がでたらめなので、直売所を探すのにかなりの時間がかかりました。二つの建物に数十の店があるが、あまり大した物はありません。

17:00 集合時間に二人が姿を現さないので、当初の約束どおり、私はホテルに一人で戻りました。

 

ここで隊長とはお別れです。我々三人は帰国し、隊長はこのままインドにもうしばらく滞在します。

空港に行く途中、タクシー(Rs250)を待たせて、チベッタン・マーケットで最後の買いをしました。私も加勢してインド人相手に値切りの交渉をしました。おもしろいことに、他人の品物を買うのだとうまく値切れます。自分が欲しいわけではないし、自分の財布でもないから、冷静に交渉できるのでしょう。

19:00 空港到着。空港で残ったルピーでペプシを飲もうとしたら、最初の店がRs10、次がRs20で、イミグレーションを通過したあとはRs30。最後までインドは不思議な国でした。

21:30に離陸の予定だが、エンジンにトラブルがみつかり、部品を取り寄せるために遅れるというアナウンスが入りました。飛んでから部品を取り寄せるよりもいい()

10時くらいに食事が出ました。飛行場内で機内食を食べるというのも、なんとも奇妙な感覚です。

11:40 約2時間遅れで離陸。飛行機内はあまり混んでいません。

 

 

17日目  123() デリー→成田

 

8:00(日本時間) そのまま約2時間遅れて成田に到着。覚悟はしていたが、寒いのに驚きました。旅行中使わなかった雨具が初めて役にたちました。

 風邪で体調を崩したり、バスの屋根の上に乗ったりとなかなか波乱に富んでいたが、優秀な隊長のおかげで難局も乗り切り、おもしろい旅行でした。

 

 

 

 

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