トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9

 

 

 

 

クリンジ 12年に一度しか咲かないインドの花

7日目  2018914()

クリンジのお花畑

 

 

 5時頃目が覚め、6時頃起きると暑くも寒くもありません・・・おや、今日はヒンドゥー教寺院の音楽がない。

 

DSC_7213_0001b DSC_7214_0002b

 

 今日はいよいよ昨日のトップ・ステーションから見たクリンジを見られるかどうかです。後で聞くと、松森さんは必死に現地ガイドのモハンさんに交渉したようで、バサントさんは松森さんが頑張ったと誉めていました。ルートは昨日の午後とほぼ同じで、ムンナールから東に一時間ほどかかります。

 

Pampadum180914

 

 朝の散歩に出かけます。昨日はヒンドゥー教の寺院をたどり着き損ねましたから、今日こそ到達しなければなりません。昨日と同じようにエレベータで地下五階まで下りて、入口の守衛さんに挨拶して、外に出ます。

 

P9140682 P9140681

 

 下図の朱線が私の散歩コースです。まず昨日、道を間違えて行き損ねたヒンドゥー教の寺院に行ってみたい。

 

morning180914

 

 集落の外れの突き当りにヒンドゥー教の寺院がありました(写真下)。二つの建物からなる簡素な寺院です。しかし、誰もいません。

 

P9140692b P9140717b

 

 儀式が行われた形跡はあるが(写真下左)、本尊のある堂は鍵がかかっていて誰が祭られているのかわかりません(写真下右)

 

P9140713 P9140699

 

 彫像で祭られているのはどれも油をかけたように真っ黒で誰なのかさっぱりわからない。写真下左は手前にシヴァのリンガとヨニがありますから、たぶんシヴァでしょう。

 

P9140710 P9140697b

 

 明瞭にわかるのが本堂とは反対側に飾られたムルガン(Murgan)です(写真下左)。別名をスカンダ(Skanda)といい、日本では韋駄天として祭られています。その近くにもシヴァの三叉があります(写真下右)

 

P9140698b P9140694b

 

 サタラでもガネーシャの祭りがあり、昨日の大騒音もガネーシャの祭りなのだろうと思っていたら、ここにはガネーシャの形跡はありません。昨日がお祭りで、その時来ていればもっとおもしろい光景が見られただろうに、祭りの後で、後の祭りです。

 

P9140706 P9140708

 

 昨日と同じように、洗濯物通りをすぎて茶畑まで下りてみます。

 

P9140760 P9140761

 

 朝早いのにもう店は開いている。この集落にある二軒の店のうちの一つです。

 

P9140759 P9140801

 

 斜面に作られた集落なので、屋根の上を眺められます。石を乗せてあるのは風対策としても(写真下左)、自転車は何なのだろう(写真下右)。放置されたと見るのは日本人の狭い常識で、これで毎日通勤しているのも、インドは広いからありえる話です。ただし、昨日と同じ位置にありますから、少なくとも毎日は使ってはいません()

 

P9140766 P9140767

 

 道は茶畑の間を下りて行き、その先にも集落やリゾート施設らしい建物が見えます(写真下)

 

P9140749 P9140748

 

 きれいな風景で「お茶の谷(tea valley)」という看板まであるのに(写真下左)、ゴミが捨ててあるのはいただけません(写真下右)

 

P9140740 P9140742

 

 茶畑から引き返し、ホテルのちょうど西側の集落の中を上ります。両側には、豪華な家は少ないが、急斜面に建てられているので、眺望は抜群です(写真下)

 

P9140768 P9140770

P9140774 P9140772

 

 家の前にジープやオートリクシャが停めてあるのは、この家の人がこれで商売をしているのでしょう。写真右の家はなかなか立派で、しかも駐車場が広いから他にも車があるのだろうか。

 

P9140765 P9140736

P9140688 P9140781b

 

 家の前の道路に幾何学模様が描かれています(写真下)。インドでは時々見られ、ヒンドゥー教の儀式の一つなのでしょう。

 

P9140726 P9140727

 

 おじさんが何か洗い物をしている(写真下)。冬も凍る心配がないから、水道管らしい塩化ビニールのパイプが道にそのまま敷設されています。写真下右など水が出しっぱなしで、道の両側の壁にシダやコケが生えているのを見てもわかるように、ここは水系が豊かなのでしょう。

 

P9140769 P9140733

P9140779 P9140775

 

 ヒンドゥー教の祭りも見られず、ちょっと残念だったと思いながら、狭い通りを行こうとすると、小学生が追い越しながら私に挨拶をしたので、「学校の行くのか?」と質問すると、「違う。家に行く」といいます(写真下)。きれいにペイントされた壁に干された洗濯物通りを通過して、彼の後を付いていきました。

 

P9140783 P9140784

P9140794 P9140793

 

 少年の家は写真下のどこからしい。通路はしだいに狭くなり、人ひとりがやっと通れるくらいです。狭い場所にたくさんの人たちが住んでいて、ゴチャゴチャはしているが、掃除が行き届いていて、不潔な感じはありません。

 

P9140785b P9140792b

P9140786 P9140791b

 

 少年の弟だろうか(写真下左、中)。隣のドアが開いて、父と娘らしい親子が顔をのぞかせる(写真下右)。幸い、カメラを嫌がる人は一人もいません。

 

P9140789b P9140788b P9140790b

 

P9140797d

 

 ホテルに戻り、7時から二階のレストランで朝食です。パンが「生えている」(写真下)。この発想は毎晩出てくるケーキの作り方と似ているから、同じシェフが飾り付けたのではないだろうか。

 

P9140808 P9140809

P9140805 P9140806

 

 

道端のツリフネソウ

 予定どおりに8:30にいつものジープに乗り、ホテルを出発(写真下左)。まずはビソンバレー道(Bisonvally Road)の花の散策です(写真下右)。と言っても、二日間ホテルからダムまでジープで往復した山道で、ジープで通過するたびに花が目に付きました。

 

DSC_7217_0005 DSC_7220_0008

 

 斜面で目立った写真下は南インドやスリランカで見られる花です。花一つ一つの紫がきれいです。

 

DSC_7229_0017 DSC_7225_0013

写真上 Plectranthus malabaricus

P9140813 P9140815b P9140816

 

 写真下は昨日も散歩で見た花です。

 

P9140822 DSC_7233_0021 P9140819

 

 ツユクサは西ガーツ山脈でも広い範囲に見られます(写真下)

 

P9140838 P9140865

写真上 Commelina clavata

 

 写真下はツユクサとお仲間で、毎度印象深いオシベとメシベの花です(写真下)

 

DSC_7238_0026

写真上 Cyanotis arachnoidea

P9140824 P9140825

 

 ここでも目につくのがツリフネソウで、数も種類も多い。写真下のツリフネソウも西ガーツ山脈の固有種です。

 

P9140818

写真上 Impatiens dasysperma

DSC_7231_0019 DSC_7232_0020

 

 写真下は昨日もパンバダム・ショラ国立公園で見たツネフネソウで、西ガーツ山脈の固有種です。

 

P9140826

写真上 Impatiens campanulata

P9140867 P9140868

 

 ここまではツリフネソウと言われれば、そんなイメージです。

 

DSC_7263_0051 DSC_7273_0061

 

 ところが、写真上の岩場などに咲いているのが写真下で、いずれもが日本のツリフネソウのイメージとはかなり違います。岩場に咲いている様子などから、サクラソウかと思ったほどです。

 

DSC_7260_0048

写真上 Impatiens scapiflora

DSC_7246_0034 P9140837

 

 このあたり数種類のツリフネソウは、写真下左が典型で、花の根元が細長いため、花の下に細長い突起物が付いているように見えることです。ツネフネソウだから、当たり前なのはわかっていても、日本のツリフネソウと姿が違うので、つい目が行きます。

 

DSC_7275_0063 DSC_7277_0065

P9140827 P9140829

 

 写真下はここに生えていたツリフネソウの中でも一番小さい。他に人に教えてもらうまで気が付きませんでした。花の大きさは1cmほどです。写真上と同様に、水が流れる岩場に咲いています。

 

P9140859 P9140834

P9140830 P9140832 P9140858

 

 写真下は土手の茂みの中に一面に咲いているツリフネソウです。

 

DSC_7298_0086 DSC_7296_0084 DSC_7297_0085

写真上 Impatiens goughii

P9140839 P9140843

 

 これもツリフネソウですから、花の後ろが細いのでまるで突起物が付いたように見えます。写真下右はツボミです。

 

P9140841 P9140840

 

 少し歩くと、また別のツリフネソウがありました(写真下)。昨日も見たエレガンスという名前のツリフネソウです。

 

DSC_7315_0103 DSC_7319_0107

P9140851 P9140854

写真上 Impatiens elegans

 

 

ここにもクリンジ

 クリンジの仲間がありました(写真下)。クリンジは薄紫色が多いのに、これは白です。この花も咲く周期が八年以上で、西ガーツ山脈の中央から南にかけて生えています。図鑑では見つかる頻度は「稀」とありますから、こんな一般道のそばで見つかるとは驚きです。保護するべきなのに、たぶん地元の人は誰も気が付かない。

(Kurinji field guide Evrvikulam National Park”p.65)

 

P9140862

写真上 Strobilanthes urceolaris

 

 皆さんが崖に咲いているツリフネソウの写真を撮っている中、私は写真下のチョウセンアサガオを撮るために、道を少し引き返しました。昨日からこの道を往復するたびに目についていた理由は、ごらんのような花の色です。ネットでみると、それほど珍しい色ではないものの、花の先だけがオレンジの混ざったピンク色できれいです。南米原産で西ガーツ山脈では標高1700m以上の道端に普通にみられるとあります(Flora of the southern western Ghats and Plains,p.164)

 樹木の高さは軽く3mをこえて、しかも高い位置に花が咲いているので、花に近づけません。

 

DSC_7267_0055 DSC_7268_0056

DSC_7272_0060 DSC_7270_0058b

写真上 Brugmanisa suaveolens

 

 写真下は、インドでは一般的な植物で、中国にもあり、薬用に用いられています。ただ、インドと中国で同一の植物であるかどうかで議論になっているようです。

 

DSC_7280_0068

写真上 Pimpinella candollean

 

 写真下はヒマラヤから中国、日本やフィリピンにも分布し、ここでは大変良くみられる植物です。ただ、これも日本と本当に同じなのか、ちょっと疑問があります。

 

DSC_7283_0071b

写真上下 Persicaria chinensis

DSC_7242_0030 DSC_7243_0031

 

 写真下のきれいな花はインド原産ですが、中米、ハワイ、オーストラリアなど世界中の熱帯地方にはびこる困り者です。

 

DSC_7291_0079b

写真上 Thunbergia fragrans

 

 写真下はアカネの仲間で、花は小さいが、とても良く目立ちます。

 

P9140844

写真上 Mussaenda hirsutissima

 

 写真下のようなアサガオ型の花は種類も多く、判断が難しい。

 

DSC_7301_0089 DSC_7282_0070

写真上 Argyreia pilosa

 

 写真下のデージーの仲間は西ガーツ山脈の固有種です。

 

DSC_7307_0095 DSC_7308_0096b DSC_7312_0100

写真上 Acilepis ornata

 

 写真下は世界中に広がっている植物で、ケララ州では「十の聖なる植物(Ten Sacred Flowers of Kerala State)」の一つになっています。薬草として用いられているようです。

 

DSC_7325_0113

写真上 Emilia sonochifolia

 

 名前のわからない花もいくつかあります。写真下など特徴ある花なのにわからない。

 

DSC_7304_0092 DSC_7321_0109b

P9140848 P9140850

 

 写真下の上段はLinderniaの仲間、下段はNeanotisの仲間のように見えます。

 

P9140846 DSC_7290_0078b

DSC_7324_0112b P9140856b

 

 ヤブの中にコーヒーがあります(写真下)。たぶん植えられて放置されたのでしょう。意外なことに、インドのこの地域では茶よりもコーヒーが先に栽培されました。

 

DSC_7226_0014 DSC_7227_0015

 

 

クリンジを目指して

 道端の花の写真を撮り終えて、バスに乗り換えて、昨日と同じ国道18号を東に向かい、クリンジを探しに茶畑の中を走ります。

 

DSC_7393_0181 DSC_7394_0182

 

 ヒンドゥー教の寺院とキリスト教の教会が目立ちます。写真下右は、青く染められたガネーシャです。青い象なんて変な色ですが、インドでは黒い肌を青色で表すことがあります。

 

DSC_7386_0174b DSC_7387_0175b

DSC_8035_0823b DSC_8080_0868b

 

 道には観光客相手の店が軒を並べています。写真下左でチョコレートを売っているのは、ここがカカオの産地だからです。食べてみるまでもなく、甘いだろうなあ。

 

DSC_7370_0158b DSC_7415_0203b

 

 写真下左では「ホテルとお茶(Hotel & Tea stall)」とあります。お茶を飲ませてくれるのはいいとして、ホテルと言っても、ごらんのようなビニールで囲った掘っ立て小屋ですから、宿泊はいくらなんでも無理です。こういう所にインドの不思議が転がっている。

 

DSC_7412_0200b DSC_7411_0199b

 

 そろったユーカリの林もきれいな茶畑もクリンジなどの元からいる植物にとっては脅威だとわかると、ちょっと興ざめします。山の中腹まで茶畑が続いていて、その意味では自然破壊が進んでいるのがわかります(写真下)

 

DSC_7382_0170b DSC_7435_0223

 

 

茶畑村に到着

 茶畑の村に到着し、ここから歩きます。道路脇の植え込みにアマリリスのようなきれいな花が咲いています(写真下右)

 

DSC_7445_0233 DSC_7448_0236

 

 茶畑の中の道を進みます。道は平たんで起伏が少ない。

 

DSC_7518_0306 DSC_7472_0260

 

 茶樹の幹と根です。横から見ると、幹は盆栽のような風格があり、根が深くのびているのがわかります(写真下)

 

DSC_8020_0808 DSC_8025_0813

 

 道の両側にアサガオが紫の花を咲かせています(写真下)。朝は青く、夕方になる頃にはピンク色になるというアサガオです。

 

DSC_7565_0353

写真上下 Ipomoea indica

DSC_7462_0250 DSC_7543_0331

 

 ここもランタナが咲いています(写真下)。花はきれいでも、外来種で強烈な繁殖力を持っている。

 

P9140917 P9140918

写真上 Lantana camara

 

 茶畑の南側の谷に沿って集落が広がっています(写真下)。建物は大半が戸建てではなく、長屋タイプの集合住宅です。

 

DSC_7519_0307 DSC_7496_0284

 

 ここは茶農園で、彼らは労働者として雇われて、この住宅は社宅なのでしょう。

 

DSC_7484_0272 DSC_7520_0308

 

 写真下左はcanteenとありますから、社員食堂です。今日は休みなのか、開いていません。

 

DSC_7485_0273 

 

 村の中は時間がゆっくりと流れています(写真下)

 

DSC_7498_0286b DSC_7461_0249b

DSC_7402_0190b DSC_7444_0232b

 

 犬クンは朝寝中で見慣れない通行人を横目でチラッと見て、オンドリは縄張りの警戒を怠らない(写真下)

 

DSC_7495_0283 P9140949b

 

 茶畑で働いている人の姿はないのに、畑で働いている人たちがいます(写真下)。食堂用など、自分たちが食べる野菜を作っているのでしょう。

 

DSC_8010_0798 DSC_7527_0315

 

 写真下は村で見かけた看板です。たぶん、結婚の祝いでしょう。二日前、ムンナールに来る途中にもこれと似たような、結婚を祝う友人からの看板がありました。

 

DSC_7503_0291 DSC_7504_0292

 

 谷の奥のほうでは山を切り開いて、茶畑を拡大しようとしています(写真下)。人々の生活のためには必要なのかわかるが、これも自然破壊であり、クリンジを追い詰めているだけに、見ていて複雑な心境です。

 

DSC_7554_0342 DSC_7548_0336

 

 茶畑を通過して、やがて道は林の中に入って、上りがきつくなりました(写真下)。茶畑のあるあたりも元々はこういう森林だったのでしょう。

 

DSC_7551_0339 DSC_7556_0344

 

 山道なので、これまでも見たような草花が花を咲かせています。

 

DSC_7584_0372 DSC_7590_0378

写真上左 Impatiens elegans、写真上右 Impatiens campanulata

P9140896 P9140889

写真上左 Justicia latispica、右 Leucas ciliata

 

 写真下左は昨日、パンバダム・ショラ国立公園で見かけたクリンジの仲間です。

 

DSC_7563_0351b DSC_7587_0375b DSC_7585_0373b

写真上左 Strobilanthes gracilis、中 Plectranthus malabaricus、右 Emilia sonochifolia

 

 茶畑あたりが1800mで尾根が2000mくらいですから、標高差は200mほどで大した上りではないのだが、それでも尾根に近づくにつれて上りがきつくなります。

 

DSC_7557_0345 DSC_7560_0348

DSC_7588_0376b DSC_7577_0365b

 

 

クリンジの大群落

 尾根まで登り、反対側の斜面を見ると、あった!クリンジだ!!それも大群落です。登ってきた側の斜面には一本もなかったのに、こちら側はクリンジの海です。

 

P9140872

写真上下 Strobilanthes kunthianus

DSC_7684_0472 DSC_7683_0471

 

 昨日のクリンジとの違いは、場所によっては人の背の高さよりも高いことです。山道を歩いているのにクリンジの花をかきわけながら進まなければならないほど密集しています。

 

P9140871

 

DSC_7709_0497 DSC_7710_0498

 

 写真下に写っている人たちはクリンジの中に入り込んでいるのではなく、山道を歩いています。写真でもわかるように、密集して生えているので、中に足を踏み入れることは無理です。

 

DSC_7627_0415 P9140877

 

 背丈もかなり高いものがあり、写真上左の女性と比べてみればわかるように、人の背よりも高いのも珍しくありません。

 

DSC_7647_0435 DSC_7649_0437

DSC_7680_0468 DSC_7686_0474

 

 尾根に沿って、クリンジの大群落の間をかきわけながら進んでも進んでも群落が続きます。

 

DSC_7676_0464

 

P9140882 P9140883

 

 昨日と違い、枯れた花がありませんから、真っ盛りです。

 

DSC_7702_0490

 

P9140884 P9140885

 

 私たちのいる斜面だけでなく、斜め前の斜面にもクリンジの大群落が見えます(写真下)。でも、あの斜面は急すぎて、決死隊を結成しても行くのは難しそう()

 

DSC_7612_0400 DSC_7604_0392 DSC_7605_0393

DSC_7695_0483 DSC_7610_0398

 

 このあたりはこういう急斜面で茶畑に向かないのでクリンジが残ったのでしょう。先ほど通過してきた茶畑のあたりも、前はクリンジが生えていたのかもしれません。

 

DSC_7593_0381 DSC_7594_0382

DSC_7608_0396 DSC_7602_0390

 

 

クリンジの色

 写真下は“.keralatourism”というケララ州の観光局のホームページに掲載されているクリンジの写真です。そのまま切り取って来ており、色の加工はしていません。同じ花でも太陽光の当たり具合で色が違うことがあるものの、私の撮ったクリンジは薄紫のぼんやりした色なのに、写真下はピンクや紫など色鮮やかです。私たちが見ているクリンジと種類は同じなのに、どうしてこんなに色が違うのでしょう。

 そのインド・マジックをお目にかけましょう。

 

WS003503 WS003505

写真上 “.keralatourism”から転載

(https://www.keralatourism.org/neelakurinji/)

 

 写真下は私の撮った写真で、写真上と同じようなピンクや紫のクリンジのお花畑が出現しています。感動していただけたでしょうか。でも、同じ場所の同じ写真なのに、どうしてクリンジの色が違うの??

 

DSC_7610_0001 DSC_7610_0001_01

 

 写真下が写真上の元の写真です。私の目にも写真下のように見えました。ホワイト・バランスと呼ばれる色の基調を調整するとこんなふうに色を変えることができます。おそらく、ケララ州のホームページに掲載された写真は、色を強調したのでしょう。

 

DSC_7610_0398

 

 ケララ州のホームぺージの写真のように色を強調した写真がネットのあちらこちらで見かけます。現実のクリンジは藤色の淡い色なので、インド人が色を強調したい気持ちはわかりますが、誤解を与える写真です。あれでは山がピンクや紫に染まっているかのように見えて、ブルーマウンテンにはなりません。

 

DSC_7721_0509

 

DSC_7751_0539 DSC_7758_0546

 

 インド人のために弁護すると、街や服の色彩を見てもわかるように、彼らは強烈な色を好みます。この点で一昔前に成功したのがソニーで、色を強調したテレビをインドで販売したところ、値段が高いにもかかわらず、良く売れました。

 

DSC_7730_0518

 

DSC_7732_0520 DSC_7735_0523

 

 クリンジの咲いているニルギリ丘陵(Nilgiris Hills)のニルギリとは青い山という意味で、その青とはクリンジが咲くことで山全体が青紫に見えたからだというのです。しかし、ケララ州のホームページの写真では青ではなく、ピンクや紫になってしまう。

 

P9140881

 

P9140886 P9140888

 

 

クリンジと記念撮影

 尾根に沿って進むと、ようやくクリンジの大群落から抜けて、開けた場所に出ました(写真下)。周囲にクリンジも咲いているので、ここで皆さんで記念撮影です。

 

DSC_7722_0510 DSC_7779_0567

 

 イギリス人がここで茶畑を作った時、茶畑に適した山の斜面にはクリンジが生えていました。彼らは当然、邪魔者としてクリンジを刈り取り、青い山は茶畑の緑の山になってしまいした。しかし、クリンジを迫害したのはイギリス人だけでなく、独立後のインドでも茶畑でなく、燃料の木材を手にいれるためにユーカリ、マツ、アカシアなどを植樹したので、ますますクリンジが減っていきました。

 

DSC_7711_0499

 

DSC_7747_0535 DSC_7754_0542 DSC_7762_0550

 

 クリンジの保護が本格的に始まり、「クリンジ保護活動委員会( the Save Kurinji Campaign Council)」が設立されたのは1989年というから、意外に遅い。それ以降、花が咲いたのは1992年、2006年、今回で三回目ですから、12年に一度しか咲かないことも関心の低さと対応の遅れを招いているのでしょう。

(Kurinji : the flower of blue mountains ”,p.55)

 

DSC_7733_0521 P9140879 DSC_7741_0529

 

 花の見た目は昨日見たとの同じです。ただ、背の高さと密集度が違う。日本にいる時、私はクリンジをセイタカアワダチソウのような茎の硬い草なのだと思い込んでいたので、昨日、樹木だと知って驚きました()。現物を見ないとわからないことが多い。

 

P9140869 P9140870

P9140873 P9140874

 

 私たちのいる尾根から谷に向かって斜面にクリンジが群落しています。全景はドローンでも飛ばして撮るしかありません。尾根を境に片側には樹木が生えてクリンジは一本もなく、こちら側の斜面の樹木がない所にクリンジが生えています。まるで尾根が植物の国境になっているみたいです。

 

DSC_7692_0480 DSC_7697_0485

 

 写真下は尾根から谷を見下ろすように撮ったもので、写真の上が谷の下です。下から見上げるとわかりやすいのだろうが、斜面は急斜面で、しかもクリンジが密集しているので、下りていくのは無理です。

 

DSC_7788_0576 DSC_7789_0577

DSC_7790_0578 DSC_7791_0579

 

 シャクナゲが一本咲いています(写真下)。いくらなんでも狂い咲きでしょう。これもこの地方の固有種です。

 

DSC_7742_0530b

写真上 Rhododendron arboreum

 

 

昨日見た斜面に行く

 私の関心は昨日トップ・ステーションから見た決死隊を結成して登ろうと決心した斜面です。記念撮影した開けた場所のさらに先らしい。それが前方に見える写真下ではないか。同一の場所かどうかわからないが、薄紫色が見えますから、クリンジは咲いているようです。推定で500mほど先で、集合時間までまだ余裕がありますし、山道が続いていますから、行ってみましょう。

 

DSC_7820_0608

 

 山道を一人で進んでいくと、かなり大きな動物の足跡を見つけました(写真下)。ここはゾウもトラもいるインドで、現地ガイドからもレオパードがいるという警告がありました。レオパードって、太った野良猫ではなく、ヒョウみたいな猛獣だよな。一人でこの足跡を見つけるのはあまりうれしくはありません()。後日、クリンジを見るためにムンナールに来た日本人が、現地ガイドから、山の上でまだ新しいトラの足跡を示されたそうです。

 

DSC_7793_0581

 

 クリンジの仲間(Strobilanthes)はインドだけでも59種類あります(諸説ある)。その中でこのクリンジが特に有名なのは12年に一度咲くということと、何よりもこのように山一面に咲くからでしょう。クリンジの他の種類も花の咲く間隔が8年から16年などという気の長いものまであります。

 

DSC_7954_0001_01

 

DSC_7811_0599 DSC_7796_0584

 

 ここと同じ種類なのに、2014年に咲いたクリンジもあったという研究者による記述があります。私たちが何度か通過したマトゥペティ・ダムの近くの山で見事な写真が撮られています。それでいくと、その山で次回は2026年に咲くことになります。

(Kurinji : the flower of blue mountains ”,pp.9-10)

 

DSC_7799_0587

 

P9140893 P9140894

 

 尾根に沿って進むにつれて、山道は林の中入り、クリンジは減り、しかも上りになりました。その中で、見つけたのが写真下で、葉の形が違うから、別種のクリンジのようにも見えます。ただ、花が小さく背丈も低いのは環境が悪いからだけかもしれません。終わってしまった花もありますから、ピークをすぎています。

 

DSC_7830_0618b

 

DSC_7829_0617b DSC_7826_0614b DSC_7827_0615bc

 

 山の上まで登り切ると、急に視界が広がり、目的の斜面の真上に来ているのがわかりました(写真下左)

 

DSC_7834_0622 DSC_7831_0619

 

 ここから見る周囲の山の斜面にも、どこもここもクリンジだらけです(写真下)。背の高い樹木がない所はたいていクリンジが咲いている。ここまでの写真でも、背の高い樹木の生えている所と草地が混ざっています。これが昨日も申し上げたショラ(Sholq)というこの地方独特の風景です。

 

DSC_7843_0631 DSC_7866_0654

DSC_7840_0628 DSC_7886_0674

 

 ここは一番高い所で2000mほどで、クリンジは数百メートル下までの他の樹木で日陰にならないところに生えています。

 

DSC_7867_0655 DSC_7862_0650

DSC_7901_0689 DSC_7863_0651

 

 この斜面に生えているクリンジは先ほど見た尾根のクリンジに比べて背が高くありません。やはり環境に左右されるのでしょう。

 

DSC_7891_0679 DSC_7907_0695

DSC_7892_0680 DSC_7920_0708

 

 他のお客さんたちも到着しました。枯れた草の間にクリンジだけが咲いているのも、どこか奇妙な光景に見えます。

 

DSC_7855_0001_01b

 

DSC_7853_0641b DSC_7854_0642b

 

 クリンジにはたくさんのミツバチたちが集まっています(写真下)。クリンジだけの蜂蜜があるそうですが、残念ながら、今回は見かけませんでした。ミツバチの羽音だけでもすごい。

 

DSC_7924_0712b DSC_7923_0711b

P9140916 P9140892

 

 他のお客さんたちは戻ってしまい、私は一人で写真を撮っていました。

 

DSC_7898_0686

 

 先ほどよりも花の発色が良くないなあと周囲を見渡すと、写真下左の山に雲がかかっています。つい先ほどまでは陽が射していたのに、空は雲で覆われていて、天気は良くない。集合時間がありますから、そろそろ戻りましょう。

 

DSC_7917_0705 DSC_7908_0696

P9140909 P9140910

 

 花を咲かせたクリンジはこの後、枯れてしまい、種から再び成長を始め、12年後に花を咲かせるという。

 

DSC_7832_0620 DSC_7904_0692

P9140895

 

 枯れたクリンジと思われるのが写真下です。ただし、これは12年間、この姿を保てたとは思えないので、12年前に芽を出したが、花を咲かせる前の成長の途中で枯れてしまったのでしょう。写真下のような状態は一部の斜面でしか見られず、いずれも高い樹木との境界あたりです。つまり、ちょっと陽当たりが悪いと彼らは枯れてしまうらしい。これなら、背の高いユーカリが生えたらクリンジは全滅です。

 

DSC_7824_0612 DSC_7800_0588

DSC_7938_0726 DSC_7939_0727

 

 記念撮影をした尾根にバサントさんと現地ガイドのモハンさんが、約一名の遅い客のために待っていました(写真下)

 

DSC_7961_0749

 

DSC_7969_0757 DSC_7974_0762

 

 写真下左の山にはいよいよ雲がかかっているのに、反対側のはるか向こうの山には陽が射しているようにも見えます(写真下右)。いずれにしろ、明らかに天気は下り坂です。

 

DSC_7987_0775 DSC_7994_0782

 

 私は集合場所に6分遅刻して到着。ここに昼の弁当が届けられて食事を取るという話だったので、少し遅れても大丈夫だろうと思っていました。私は食事は帰りのバスの中で取ることにして、そのまま近くのクリンジの写真を撮るつもりでいたからです。

 

DSC_7971_0759 DSC_7976_0764

 

 ところが、皆さん下山してしまったらしく、集合場所には誰もいません。弁当は届かなかったらしい。インドでは良くあることです()。クリンジを見ながらの弁当も楽しいが、どうもそれを許してくれそうもない空模様ですから、急いで下山しましょう。

 クンリジに「12年後にまた会おう」と告げて、さようならです。

 

DSC_7983_0771 DSC_7991_0779

 

 下りなので下りるのは楽で、途中で他のお客さんたちに追いつきました(写真下)。茶畑の中を戻ろうとする途中、バスから数百メートルほど手前から雨が強く降り始め、この旅行で初めて雨カッパを着ました。今回の旅行でカッパを着たのはこの時の一度だけで、まだモンスーンが終わっていない南インドにしては天気に恵まれました。

 

DSC_8005_0793 DSC_8011_0799

 

 

地元の食堂

 道端にある小さな食堂で昼食です(写真下)。道から奥まった所に建物があるので、食堂とは気が付かないくらいで、地元の人くらいしか利用しないのでしょう。予定外なだけでなく、普通のこの種のツアーではまず利用しない食堂なので、私はちょっと楽しい。

 

P9140938 P9140940

 

 建物は横長で、真ん中が食堂で左に調理場、右が住まい()に分かれています。調理場の写真を撮らせてもらうと、ここでも調理師も配膳もすべて男性です(写真下)

 

P9140932 P9140933

 

 食堂は17人もの客が来ることを前提としていないので、椅子が足りない()

 

P9140922 P9140923

 

 写真下左を見てください。バナナの葉に乗せられた食事です。こういう庶民の食堂しか対面できない貴重な体験です。私は二十年ほど前にインドを旅行した時、菜食主義用の食堂があり、そこでバナナの葉の皿で食事をして感激しました。

 

P9140930 P9140929

 

 二十年ぶりのバナナの葉の皿なのだが、食事は辛いに決まっているから、私には無理で、店の人にバナナとリンゴを多めに頼んで、それで済ませました。クリンジで頭が浮かれているので、何を食べてもうまい()。椅子が足りない?椅子なんていらない。なんなら、踊りながら飯を食う・・・日本人のイメージが悪くなるので、やめておきましょう。

 

P9140937 P9140936

 

 店の壁にはヒンドゥー教の神々の写真が飾ってあります。写真下で、左からアイヤッパン、ムルガン、ラクシュミー、ハヌマーン、ミナクシ、ガネーシャです。ラクシュミー以外は主に南インドで人気のある神様たちです。

 

P9140927b P91409261b

 

 壁の目立つ所に単独で祭られているのはカレンダーについているムルガンで(写真下左)、天井近くの壁に飾ってある金ピカのレリーフはガネーシャですから(写真下右)、やはりこの二者は南インドではかなりの人気です。

 

P9140935b P9140924b

 

 浮かれ気分でリンゴとバナナをたくさん食べて、雨上がりの食堂の外に出ると、道端に写真下の黄色い花が目につきました。この植物は南米原産なのに、インド全体に、また西ガーツ高原にも広く広がっています。人の背丈よりも高くなり、黒いツボミがアクセントになり、良く目立つ。

 

P9140946

写真上下 Cassia alata

P9140944 P9140945

 

 

帰り道

 雨上がりの茶畑の中をムンナールに戻ります。

 

DSC_8039_0827 DSC_8041_0829

 

 ダムの湖畔を下ります。ダムというよりも、川に沿って走っている雰囲気です。

 

DSC_8046_0834b DSC_8048_0836b

 

 昨日と同じ所に同じゾウの一家がいました(写真下)

 

DSC_8049_0837b DSC_8051_0839b

 

 ダムの湖畔にある小さな村でトイレ休憩です(16:13)

 

DSC_8062_0850b DSC_8060_0848b

 

 ちょうど子供たちの下校時間らしく、黄色いスクールバスの子供たちが手を振る(写真下)。写真下右は、バスには公立学校(Public School)とあるのに、後ろの窓にはマリアの絵が描いてあります。もっともイギリスではPublic Schoolが私立学校だったりするらしいから、よくわかりません。

 

DSC_8056_0844b DSC_8057_0845b

 

 ダムの湖畔には店がいろいろあります。写真下左の右側に座っているおじさんは双眼鏡を三脚に立てて、一回20ルピー(34)で景色を見せてくれます。風船を板に張り付けてあるのは何なのだろう(写真下)。子供のためでもなさそうだし、ダーツのように的にして当てる?こんな所でダーツをするなら、インド人の不思議にまた会いました()

 

DSC_8064_0852b DSC_8065_0853b

 

 昨日も紹介したように、道端の店ではニンジンが積み重ねてある。写真下左などニンジンしか売っていません。どんな味なのか、まさかインドの赤いニンジンは辛くはないだろうな()

 

DSC_8076_0864b DSC_8073_0861b

 

 気の毒に、先月の洪水の崖崩れで家ごと破壊され、そのまま散乱しています(写真下)。ただ、こういう光景は数は少ない。

 

DSC_8132_0920b DSC_8130_0918b

 

 

ムンナールに戻る

 ムンナールの新市街に戻ってきました(16:40)。夕方のせいか、相変わらずの人混みです。

 

DSC_8103_0891b DSC_8115_0903b

DSC_8118_0906b DSC_8109_0897b

 

 下校時間でスクールバスや通学の生徒が目につきます(写真下)

 

DSC_8121_0909b DSC_8120_0908b

DSC_8114_0902b DSC_8116_0904b

 

 インド人は肌が浅黒く、目が大きく、ジッと見る習慣があるから、睨まれているように錯覚するが、たいてい、ただ見ているだけです。

 

DSC_8126_0914bc DSC_8129_0917b

DSC_8119_0907b DSC_8105_0893b

 

 写真下左の家の門を見てください。日本でこんな色に染めたら、近所から苦情が来そうです。インドではそれほど違和感がない。

 

DSC_8128_0916b DSC_8106_0894b

DSC_8107_0895b DSC_8108_0896b

 

 最近、このケララ州で若者の間で流行しているのが、ニルニル・チャレンジ(Nillu Nillu challenge)という遊びです。写真下はユーチューブに投稿された動画です。

 手に木の枝を持った若者がバスや車の前に突然飛び出して、ニルニルという音楽に合わせて踊り出すというもので、かなり楽しそうです。しかし、映像を見ていてもかなり危険で、日本なら警察からこってりと絞られるでしょう。残念か、幸いか、私たちは遭遇しませんでした。

 

WS003517b WS003519b

 

 

ムンナールの鉄道

 ムンナールの新市街を通過して、西にある紅茶博物館に行きます。

 

tea180914

 

 博物館と言っても公営ではなく、Kanan Devan Hills Plantations Companyという紅茶を古くから生産販売している会社の経営する博物館(KDHP Tea Museum)です。

 

DSC_8134_0922b  DSC_8135_0923

(https://www.kdhptea.com/)

 

 博物館には百年間の茶業の歴史が展示されています。古い時計がたくさん並べてあって、ここの時は止まっている(写真下)

 

DSC_8169_0957  DSC_8171_0959b

 

 写真下左が茶農園の建物(1910)、写真下右が最初に開かれた茶畑です(1880)。つまり、これがここの自然破壊の始まりです。

 

DSC_8148_0936b DSC_8146_0934b

 

 私の目を引いたのは写真下の蒸気機関車です。写真下左はThe Kundaly Valley light Railway(1911)、写真下右はHigh Range light railway (1924年以前)とあります。

 今のムンナールには鉄道などありません。いったいどこに鉄道があったのだろう?博物館の説明では、鉄道はKundaly Valley Light Railwayが正式名称で、ムンナールから私たちが昨日訪れたトップ・ステーションまでの間を1900年代の前半に走って、人間とお茶を運んだとあります。

 あんな山の上がどうしてトップ・ステーションなんて変な名前なのか不思議に思っていたが、本当に駅があったのだ!それにしても、この蒸気機関車をコーチからムンナールまでのあの山道を運んで来たのだろうか?今でも完成品ままなら運ぶのは簡単ではありません。

 

DSC_8143_0931b WS003478b

 

 写真下は牛車の隊列ではなくモノレールです。写真上の鉄道が引かれる前の19021908年はこのモノレールでお茶を運んでいました。

 

DSC_8147_0935b

 

 写真下のようにモノレールに人も乗せています。彼女は間違いなくイギリス人で、抱えているのはネコです。ここは気候が良いから、故郷のイギリスより全然暮らしやすかったはずです。

 

WS003479b

 

 ムンナールに蒸気機関車の鉄道があったのなら、今なら観光列車として重宝したはずです。同じように茶産業が盛んなインド北部のダージリンでは茶の運送に使われていた蒸気機関車がトイ・トレインとして観光客の大人気になっています。

 

WS003480 WS003481b

 

 ムンナールに鉄道が残らなかった理由が写真下で、1924年の大洪水で壊滅的な打撃を受けて、復旧をあきらめ、鉄道は19081924年という短命に終わりました。

 

DSC_8156_0944b WS003495

 

 ここに鉄道やモノレールを敷けるほど資金をイギリス人たちが持っていたのは、お茶の生産によって巨万の富を得ていたことを意味します。

 彼らの生活が豊かであった証拠が写真下です。自動車レースと(1930)、タバコをくわえ半ズボンでバイクに乗った男性です(1911)。今と違い、自動車やバイクはヨーロッパから運び込んだのだろうから、高額商品です。もちろんムンナール初のバイクで、彼は名前も載っていて、この博物館の農園の経営者だったようです。

 

DSC_8151_0939b WS003496b

 

 写真下左は新たに作られたコーチまでの道路で(1931)、写真上右のバイクに乗っていた人物の時代に会社が作ったことになっています。会社が道路を作れるほどの資金をもっていたことになります。

 

DSC_8152_0940b

 

 写真下左は「Kundaly Club(1900)」とあり、イギリス人の好きなクラブで、この地方にいた白人の集まりのようです。ボンネットをかぶった白人の女性がかなりいます。この地方に最初に白人女性が来たのは1889年だというから、わずか十年の間に、イギリスから女性を呼び寄せることができるほどにイギリス人たちがお金を儲けたことを意味します。

 写真下右の「Munnar troop of Special provincial mounted police(1933)」とは、騎馬警察隊という意味でしょうか。全員が白人です。これらの写真からわかるのは、イギリス人が茶業で得た富で上流社会を作り、治安という武力を握っていたことです。経済力と武力を持っていたのだから、彼らは支配者だった。

 

DSC_8165_0953b DSC_8162_0950b

 

 これに対して、写真下左は農園でのスタッフの写真で(1920年代)、少数の白人と多数のインド人です。写真下右は立っているのが白人で、座っているのが多数のインド人の茶摘み労働者です。つまり、支配階級のイギリス人と、労働者階級のインド人たちが百年前のインドだった。インドで得た利益をイギリス人が独占し、インド人に還元しなければ、独立運動が起きて当たり前です。

 

DSC_8155_0943b DSC_8164_0952b

 

 うれしくないのが写真下のトラとゾウの狩猟で、今なら犯罪です。この周囲には百年前は狩猟できるほどこれらの動物がいたことになります。ただ、スポーツで動物を殺すというのはどういう神経なのか私は良く理解できない。

 人間よりも知能が高くて残虐な生き物から、自分が狩りの対象になったら、どうなのだろう。宇宙人が人間狩りをする『プレデター(Predator)』(1987年、アメリカ)というSF映画があり、今でも続編が作られています。映画そのものは戦闘シーンを売り物にする貧弱な内容だが、着想はたいへん興味深い。

 

DSC_8160_0948b DSC_8161_0949b

 

 写真下はお祭りのポスターです。写真左は「The Munnar flower show(花の展示会?)とあり190141819日というのだから、クリンジというわけではなく、春の花の展示会のようです。写真下左は「The Munnar agricultural show(農業展示会?)で、190441415日と1901年と同じ時期で、どうやら春の祭りが毎年開かれていたらしい。

 

DSC_8166_0954b DSC_8167_0955b

 

 写真下左は私たちが昨日、今日と二往復したMadupattyダム(写真下右)1953年完成当時の様子です。このダムの完成で1924年のような大洪水の水害をかなり防ぐことができるようになりました。しかし、今回ほどのモンスーンの大雨だと、ダムから放水せざるを得なくなり、街は水浸しになりました。

 

DSC_8170_0958bc DSC_8066_0854b

 

 

インドのウーロン茶

 博物館に続いて、お茶の製造工場に案内されました(写真下)

 

DSC_8173_0961 DSC_8176_0964

 

 写真下左がボイラーらしい。さきほどの展示写真にも、標高1400mをこすムンナールまで大きなボイラーを運送する様子がありました(写真下右1901)。今は電気や石油を利用するのだろうが、当時は薪用にユーカリやアカシアを植えて、これまた自然破壊の手伝いをしました。

 

DSC_8175_0963 DSC_8145_0933b

 

 ここのお茶のブランドはRippleで、ムンナールの街中にもこの店の看板が目に付きます(写真下)

 

DSC_6137_0058bc DSC_6138_0059b

 

 工場の奥に店があります。種類が多そうに見えるが、普通に紅茶を買おうとすると意外に種類が少なく、あまり選択の余地がありません。ここは紅茶専門ではないからです。

 

DSC_8188_0976 DSC_8189_0977

 

 それを示すのがここのお茶の見本です(写真下)。左から白茶、緑茶、ウーロン茶、紅茶、CTC紅茶です。CTC紅茶とは、茶葉を細かく粉砕して丸めて胡麻粒のようにすることで、短時間にお茶ができるようにしたものです。インドのチャイ(ミルクティー)CTC紅茶を牛乳で煮だして砂糖を入れたものです。当然、日本ではほとんど手に入らないし、飲まれていません。何度か買って日本で試したが、当然、インドで飲んだチャイの味は出せず、あきらめました。

 興味深いのは左の三つで、白茶(White tea)やウーロン茶は中国の製法によるお茶です。白茶は日本ではあまり知られていないが、簡単に言えば、ほんの少し発酵させただけのお茶です。私の推測だが、ほんの少し発酵させたのではなく、茶葉を摘んでおいたら、温かい地方だから、自然に発酵したのでしょう。湿度と温度があるから発酵させないようにするのが難しいはずです。

 

DSC_8187_0975c

 

 普通の紅茶とオーガニック紅茶をお土産に買いました(写真下)。普段ならお土産などあまり買わない私ですが、ルピーが余っていました。12日に乗ったスパイスジェットで荷物の超過料金を取られるつもりで多めに換金していたためです。

 

WS003314 WS003320

 

 お茶のサンプルを見て自分のために買ってみようと思ったのが、写真下の白茶、ウーロン茶、緑茶です。紅茶の生産地で紅茶以外のお茶を出しているのが私の興味を引きました。

 白茶300ルピー(510円、25g)、ウーロン茶150ルピー(255円、100g)、緑茶600ルピー(1020円、100g)で、ネットでは値引きして売っているのに、店では値引き無しです。

 

White Tea Silver Tips 25 gm-370x370WS003312WS003311

 

 帰国後、飲んでみました(写真下)。白茶、ウーロン茶、緑茶は茶葉は明瞭に違うのに、お茶として出してしまうと見た目はほとんど差がありません。

 まず、写真下の白茶は上品な香りと味わいです。私の記憶で一番近いのは雲南省で飲んだ緑茶です。ただ、100gで換算すると2000円もする高いお茶ですから、次回も買うかと聞かれると、「ウーン」とうなって、たぶん買わない()

 

P1310320 P1310326

 

 写真下のウーロン茶は葉を見た時、私は買い間違えたのかと思ったくらいで、中国のウーロン茶とは葉の形状がまるで違い、葉を細かく砕いたらしい。ウーロン茶は葉の発酵を途中で止めたものだが、これで発酵させた状態なのだろうか?茶葉はかすかに樹木を連想させるような匂いがします。しかし、発酵した時の匂いとはちょっと違うような気がする。味はこの樹木を連想させるような味で、中国のウーロン茶と比べると、ウーロン茶とはわからないような味です。

 

P1310323 P1310331

 

 写真下の緑茶の茶葉は黒くて、日本茶も古くなって劣化するとこうなる()。葉の匂いはほとんどなく、他の茶に比べて、苦味や渋みがあります。

 

P1310334 P1310336

 

 三者には微妙な味の差があるものの、並べて飲み比べると違いがわかるだけで、飲んでいる最中にこっそり取り換えられても、たぶん気が付きません。白茶、ウーロン茶、緑茶の違いという分類よりも、この店の三種類のお茶と言ったほうがわかりやすい。共通しているのは、三者ともあっさりとした、さわやかな味わいで、インドの暑い気候には合っています。

 

 

インドの釘

 このお茶にはオチがありました。それは白茶の中に鉄釘が入っていたことです。写真下の黒いほうの釘で、銀色の釘は日本で売られていた釘です。飲み終えた茶葉を捨てようとして気が付いたので、私は自分が釘を落としたのだろうかと疑いました。日曜大工で私も長さ5cmの釘(写真下の銀色の釘)を使っているからです。しかし、私の持っている釘と比較すると、まず長さが違う。日本の釘はちょうど50mmなのに、この釘は54mmあります。こういう規格外の釘は、私が買った量販店では扱いません。また、頭頂部に突起が残っているなど(写真下右)、作りも粗雑です。つまり、ほぼ間違いなくインドの釘でしょう。

 

P1050216 P1050222d

 

 インドの釘は錆だけでなく、全体がススが付いたように黒いのは緑茶のタンニンと鉄分が反応したからです。確認のために、私の持っている日本の釘を白茶に一緒に入れたのが写真下です。左からインドの釘、白茶に入れた日本の釘、元の日本の釘で、白茶に入れた日本の釘は同じように黒く染まっています。

 

P1050245

 

 さらに日本茶と比較するために、同じように日本の釘を緑茶(静岡産)に入れてみました。写真下の左からインドの釘、白茶に入れた日本の釘、日本の緑茶に入れた日本の釘、右が元の日本の釘です。日本の釘は白茶で黒く染まっているに対して、日本の緑茶ではそれほど染まりません。このことから、この白茶は日本茶に比べて、かなりタンニンが多いのがわかります。

 

P1050248

 

 レジでお金を支払い(写真下左)、売場の外に出ると、別な店員が待っていて、もう一度、品物とレシートとをチェックします(写真下右)。インドの大きな店では良くあることで、万引きが多いのでしょう。客のチェックも必要だが、お茶そのもののもしっかりチェックしたほうが良い。釘など金属物の混入を見つけるのは今の技術では簡単です。

 

DSC_8191_0979 DSC_8193_0981bc

 

 

ラッシーで乾杯

 ホテルに戻り(18:09)、七時からホテルの二階のレストランで夕飯です。このレストランでの夕食も三回目なので、だいたいどれが辛いかわかるようになってきました。つまり、ほとんどすべてが辛い。クリンジのお花畑を見たので、ただの野菜サラダがとてもおいしい()

 

P9140961 P9140963

 

 写真下はシェフが形に凝った甘い甘いケーキだが、クリンジで浮かれているせいか、昨日と違い、うまい()

 

P9140964 P9140965

 

 朝、今日はどうなるのかと心配でしたが、松森さんの眼力(めぢから)と努力で見事にクリンジの大群落を見ることができました。天気もクリンジを見ている間は雨が降らなかったので味方してくれた。クリンジの花畑を見るという最大の目的がはたされ、ツアーは今日一日のおかげで大成功です。

 

P9140966

 

 私は他のお客さんにこのツアーに参加を勧めたこともあり、うまくいくだろうかと内心ヒヤヒヤしていました。お客さんの中には帰国後、花好きが集まるお茶会で発表する予定の人もいましたから、やはりお花畑がないと絵になりません。

 甘すぎるケーキを食べながら、甘すぎるラッシー(ヨーグルト・ドリンク)で乾杯です。

 

 

 

 

トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6 7 8 9