花と雪のペルシャ 2日目 2018年4月14日(土) (成田) → ドバイ → テヘラン → エスファハーン ようやくドバイに到着 目を覚ましたのは五時頃です。最後に時計を見たのが一時をすぎていましたから、四時間ほど寝たことになります。何度も目を覚まし、いつものように非常に寝苦しい。座席のモニターで見ると、イラン上空にいて、間もなくペルシャ湾に入ろうとしていました(写真下)。このままイランに降りてくれるとありがたいのだが(笑)。 今日は、ドバイから飛行機を乗り換えてテヘランでイランに入国し、バスに乗って南部のエスファハーンに行き、途中で花を観察します。 六時頃には機内の灯りが明るくなりました。しばらくして朝食か配られ、私は果物と紅茶だけにしました(7:38)。その後で温かい手拭きが配れました。こういうタオルで顔を拭く人を見ると驚く(笑)。 やがて眼下にドバイの街の灯りが見えてきました(写真下)。 アラブ首長国連邦の隣にあるサウジアラビアがつい最近まで女性に車の運転を認めていなかったなど、男性優位の古色蒼然とした風習がイスラム系の国には多い中、ドバイは比較的開放的だと聞いています。 11時間以上の長い飛行を終えて、夜明け前のドバイに着陸です(ドバイ時間4:07、日本時間9:07)。日本とドバイとの時差は5時間で、ドバイはまだ朝の四時すぎです。夜明けでも27℃もあるというアナウンスが入りました。 巨大な飛行機にほぼ満席ですから、飛行機が停まってから、エコノミークラスの客が降り始めるまでに15分以上も待たされました。飛行機の二階にはファーストとビジネスの客がたくさんいますから、その人たちが降りるだけでもかなりの時間がかかります。 空港の中に入ると、いきなり、イスラム教の朝の祈りであるアザーンが流れて来ました。後で、空港内で座っていた私の椅子の隣のわずかな隙間でイスラム教徒の人たちが祈りをしていました。空港には祈りの部屋があるのに、混んでいるのでしょうか。 余談ですが、仏教のお釈迦様は教えを請う先生のような相手であって、祈る相手ではありません。そもそもお釈迦様の説いた仏教には祈りなどありません。日本人でもそのあたりを勘違いしている人たちが多い。 こんな早朝なのにトイレが混んでいる。理由を調べると、私たちの出発ゲートであるC6に一つあるだけで、トイレの掲示はC22までありません。しかも、C22にトイレがあることになっているのに、探してもない。どうやら工事中です。ゲートの番号からするなら、四カ所くらいあってもおかしくないのに、二カ所しかなく、しかも一カ所は工事中。大金持ちの国で、世界有数のハブ空港にしてはずいぶん設備が悪い。 テヘラン行に乗り換え 朝の4時に到着し、テヘラン行の飛行機が7:45の予定なので、ひたすら待つしかありません。 テヘラン行の飛行機はエミレーツ航空EK971便で、機体はBoeing 777-300ERです(写真下)。今回の成田とドバイの往復はエアバス、ドバイとテヘランの往復はボーイングです。 私の座席は48Aです。ボーイングは後ろの座席だけが二座席になっていて、トイレなどに立つが楽です。この二座席の予約は有料で、二日ほど前になると無料になり、45Aから移動しました。普通なら一番後ろの席を予約するのですが、飛行機によっては一番後ろの席に窓がないことがあるので、少し手前です。進行方向の左側を選んだのは、午前中の飛行で太陽が右側にあるからです。 テヘランまで2時間10分の飛行ですから、大した時間ではありません。機内は比較的空いており、期待どおりに隣の席には誰も来ませんでした。 飛行機はほぼ予定時間(7:45)の8:05にドバイを離陸。 ドバイは砂漠の国なのに、場所によって緑がずいぶん多い地域があります。 飛行機は離陸後まもなくペルシャ湾に出て(写真下左)、やがて対岸のイランに入りました(写真下右)。 食事が出ました(8:34)。飲み物にコカコーラを注文すると、ないというので、セブンアップにしました。飛行機の中でコーラがないというのは珍しい。何か理由があるのだろうか? 他の女性客が客室乗務員と記念撮影をしているので、もちろん、私がこんなチャンスを逃がすはずはない。ただし、彼女はペルシャ美人には見えません(写真下)。 テヘラン到着 イラン上空に入ると荒涼とした風景が広がっています(写真下)。モヤがかかっていて、写真が撮りにくい。 煙って地上が見えにくいのに、さらに雲まで出てきました(写真下)。 テヘランに近づくにつれて、もっと雲が増えてきました。 飛行機が下降を始めた頃、私はまだ食事中でした。後ろの席は配膳が最後なので、こういう悲劇が起きます(笑)。 ほぼ予定時刻(10:25)どおり、10:12にテヘランのエマーム・ホメイニー国際空港(Forūdgāh-e Beinol-melalī-ye Emām Khomeinī)に着陸(写真下)。 イランと日本との時差は4時間30分で、ドバイとは30分の差なので、ここで時計を30分進めます。機内では女性たちがいっせいにスカーフをかぶります(写真下)。 空港内は混んでもおらず、特別に厳重な警戒の様子もありません(写真下)。 空港には今回の旅行の植物ガイドをしてくれるノロージー(Jalil
Noroozii)さんと(写真下左の左端)、日本語ガイドのモハンマド・アブカール(Mohammad Abkar)さんが出迎えてくれました(写真下左の右端)。ノロージーさんはこの旅行のために勤務先のオーストリアからわざわざ帰国しました。 写真下が今回の旅行で使ったバスです。15人乗りのバスに運転手を除いて10人が乗りますから、狭くはありません。 バスの通路の床にはペルシャらしく絨毯が敷いてあります(写真下)。しかし、後日、これを私たちは泥だらけにすることになります(笑)。 テヘランから南へ 空港はテヘランの南西部にあり、これから南下して、テヘランから450kmほど南にあるエスファハーンに向かいます。途中、何ヵ所かで車を停めて花の観察をします。 周囲の風景は飛行機から見たままで、写真下のように赤茶けた砂漠です。砂ではなく土や粘土で覆われているので土砂漠というようですが、面倒なので砂漠とします。しかも、この砂漠は塩分を含んでいるので耕作には向かない。後日、その塩分の証拠を見ました。 道路の脇の大きな看板が目につきます。写真下は道路の脇の看板で、看板の多くはペルシャ文字しかないため、何の広告なのか、わかりにくい。 文字はわからないが、写真下左はファッション、右は重機の広告だとわかります。看板の周囲の風景は写真下の下段です。 見ただけでわかる食べ物の広告です(写真下)。総じて、広告は良くできています。 写真下はポップコーンらしい。看板の大きさを車と比較すればわかるように、かなり大きい。はみ出ていて、ポップコーンが今にも下の車に落ちそう(笑)。 写真下左では男性が何か黄色い物によじ登っている。看板にある“Paythkht”を調べてみると、テレビ番組の題名のようです。看板からはみ出すほどのこの黄色い物はそもそも何なのだろう? 道路でのこういう大きな看板は今回の旅行ではテヘランから次の街であるゴムの間で多く見られ、ゴムをすぎるとほとんど見かけなくなりました。 ゴム到着 ゴムという街に到着して、ここで高速道路は終わりです。ただ、道路はこの前後でもあまり変わりません。私たちはこれから南西部を一周して、18日にここに戻ってきます。 ゴムは宗教的な街のようです。写真下右は、真ん中の三人がイラン・イラク戦争の戦死者です。旅行中、あちらこちらでこの種の看板を観ました。 高速道路の料金所で(写真下左)、おじさんが、自分もかけている鼻の付いたオモチャのメガネを売っています(写真下右)。日本でも夜店で売っているようなオモチャで、こんな所で買う人がいるのだろうか?料金所に入ってくる車の間を動き回るのだから、かなり危ない。 ゴムの郊外に出ると、麦畑などがあり、緑色にホッとします(写真下)。しかし、こういう光景は少ない。 さらに南下すると緑はどんどん減って行きます。 トイレ休憩 道路脇のサービスエリアでトイレ休憩です(写真下)。 トイレは店舗の奥の別棟にあり、清潔です(写真下)。日本と違い、男子トイレの小便器はなく、すべて個室です。 店はお土産屋という雰囲気で、写真下左のレトロなラジオもお土産なのだろうか。 モハンマドさんが店にたくさん陳列されている黄色いお菓子を買いました(写真下左)。 モハンマドさんが買ったお菓子を皆さんに勧めます(写真下)。ソーハン(Sohan)というイランの伝統的なクッキーです。黄色いのはサフランで、ピスタチオやカルダモンが入っています。口に合うだけでなく、私の印象は、良い材料を使っている、というものでした。ここが日本なら買うのだが、旅行の最初から荷物が増えるのは困る。モハンマドさんは旅行の後半で別な店に案内してくれました。お菓子の入っている缶がいかにもイスラム的で、これだけでもお土産になりそうです。 再び荒涼とした砂漠の中をしばらく走ります。 下の地図はWikipediaに載っているイランの植生図を切り取ったものです。私たちが通過しているテヘランとエスファハーンとの間は砂漠ではなくステップ地帯になっています。 図上 イラン中部の植生図 ■森林、■半ステップ半森林、■ステップ、■砂漠 ステップとは草原の意味らしく、実際、写真下などを見てもわかるように、草や背の低い樹木が生えています。ただ、日本人にはどう見てもこれは砂漠だ(笑)。 カーシャーンで昼食 金色や銀色のモスクが見えてきた頃にカーシャーン(Kāshān)市に到着しました。テヘランから南に約200kmで、人口は約27万人ほどです。 街中でも目立つのはモスクです(写真上下)。日本のお寺や神社と同じだから、数としては驚くほどのことはないのだが、金や銀のドームはなにせ目立ちます。 写真下は道路のロータリーや公園のモニュメントです。写真下左は壺から水が出ているのを表し、水の少ないこの国では歓迎を表すようです。写真下右は帆掛け船のような外見で、帆の模様は、たぶんクルアーン(コーラン)の一節でしょう。 街全体はそれほど宗教色はありません。 市内のSiyakl Star レストランで昼食です(写真下, 14:03)。ビュッフェ形式なので、好きな物を自由に食べられます。 イランでの最初の食事は問題ありませんでした。見た目は辛く脂っこいように見えても、実際はそんなことはありません。薄味で、普通の日本人には物足りないでしょう。私にはありがたいことで、旅行中は食事で悩まされることはありませんでした。 飲み物の中にコーラを見つけて買いました(写真下)。300mLボトル2本で1ドルというのだから、高くはありません。今回のイラン旅行でコカコーラを見たのはこの時だけだったので、本当にコカコーラなのか、類似品なのか、自信がなくなりました(笑)。ボトルの格好がちょっと変。味は普通のコカコーラです。右にある白い飲み物は、ヨーグルトドリンクで、日本のそれとは味は違います。塩味と香料を加えたもので、甘味がないので日本人は受けないでしょう。 イランとトイレが日本と違うのを示すのが写真下のレストランのトイレです。ここも男性用の小便器がありません。男性用のトイレもすべて個室で、しかも、その多くが写真下の右側のようにいわゆる和式です。写真下の左のような便座が付いている公衆トイレはほとんど見かけず、両方ついているのはこのレストランが例外でした。 イラン人のピクニック 食事を終えて、国道7号に戻る途中で、人々でにぎわっているカーシャーン市内のAmir Kabir通りを通過しました(写真下)。 何か観光施設あるのか、店が並び、土曜日のせいか、たくさん人が通りにあふれて、車が渋滞するほどです。 写真下は、道端で食事を楽しむ人たちです。車道や歩道の一部で食べ物を広げで食べている。ピクニックです。 写真下ではガスボンベ、ヤカン、鍋がありますから、ここで調理をした。イランではこういうピクニック光景は珍しくなく、道路の脇ですっかりリラックスしている人たちを良く見かけました。 イスラム教の女性たちはスカーフ(ヒジャブ、ヒジャーブ)をかぶっているために、写真を撮る側にとっては全くありがたくない。子供はかぶらなくても良いらしい。 真っ黒な衣装は葬式ではなく、外出着です。一見、敬虔なあり方のように見えますが、クルアーン(コーラン)にはこういう習慣は記述されていません。イスラム教とは別な習俗を取り入れたようです。研究者の説明では、内側に何を着ていようが、ガウンさえ着れば良いから楽なのだそうです。 (「イスラムの女性をめぐる謎」岡真理、歴史読本ワールド23、新人物往来社、1994年、102頁) 私の推測を言うなら、昔、怠惰な女性の権力者がいて、髪の毛をとかしたり、外出着に着替えるのが面倒だから、ヒジャブとガウンをまとってごまかしていたのを、これが正しい伝統だと他の女性たちにも強要したのではあるまいか。「まさか」と笑うかもしれないが、伝統や慣習に、こういうつまらない事が元になっていることが意外に多い。日本のチョンマゲやお歯黒の奇習はこれだと私は推測しています。 地面にかかる虹 カーシャーン市内を出ると再び、土砂漠の荒涼した風景が広がります。 この頃から時々雪山が見えるようになりました(写真左右)。私たちの訪れるザグロス山脈の一部です。 土砂漠をすぎて山に入り始めた頃、奇妙な光景に出くわしました。写真下は、山の下が横に虹色になっているというか、虹に見えます。しかし、虹にしては位置があまりに低く、しかもアーチ状になっていない。地面の色を見間違えているのかもしれないので、車を停めてくれとも言えず、ともかく5枚ほど写真を撮りました。 位置は水平か目よりも下ですから、この位置関係から言うなら、まっすぐに虹の真ん中方向に歩いていけば、虹の近くまで行けることになります。虹の中には入れないが、虹に手を振って「おーい」と呼びかければ、聞こえるくらいの位置まで近づけるはずです(笑)。 これが間違いなく虹であることはこの直後にわかりました。別な虹が現れ、お客さんたちが騒いだので、車を停めました(写真下)。上の写真を撮った所から1kmと離れていません。ここでも低い位置に虹が出ています。虹とは見上げるものだと思っていたので、驚きました。 写真下では虹が二重に出ています。上のほうの虹は薄くて良く見えない。太陽が移動しているせいで、写真上と下では、後ろの山と比較すると虹の位置が違うのがわかります。 虹は目線と同じが低いくらいです。太陽との位置関係にすぎないから、特に不思議なことではないにしても、目線よりも低い虹など初めて見ました。私が先ほど見た「地面にかかる虹」も間違いなく虹です。 ちょっとだけ花 せっかくバスを停めたので、少し花を探しましょう(16:08)。この旅行では初の花の観察です。 写真上 Senecio
graucusglaucus 写真下は上と一見似ているかのようですが、花弁が5つしかなく、ヤブを形成するほど背丈も高いので、別種です。 写真上 Hertia
angustifolia 写真下はトウダイグサの仲間で旅行中あちらこちらで見かけました。 写真上 Euphorbia
macroclada 写真下は葉も花もマメ科の植物であることは明瞭なのですが、たいてい名前が特定できません。 被害者が絞首刑??! 写真下のように道路は整備されており、混雑はありません。この近くは山ですが、普通は砂漠の中を走っているので、道路を造るのは日本より楽でしょう。 速度制限はごらんのように時速120km/hです。 背景の樹木一本ない岩山とモスクのドームが何となく合います(写真下)。イランのイスラム教はモスクを見ている分にはきれいなのだが、様々な人権問題が取りざたされています。 イランで2004年に、レイプされた16歳の少女が死刑になりました。私は最初この記事を読んだ時、自分が何か読み間違いをしているのかと何度も読み直しました。加害者の犯人が死刑になったのではなく、被害者の女性がイスラム教の掟に従って死刑になったのです。16歳の少女がレイプされた上に裁判官によって絞首刑にされ、一方、加害者はむち打ちの刑で済んだという。私のこの記事を読んで、ムンクの『叫び』状態になりました。イランへの当時の率直な感想を申し上げるなら「野蛮人」でした。今もそう思います。 事件の前年2003年のノーベル平和賞はイラン人の人権活動家のシーリーン・エバーディー(Shirin Ebadi)さんでした。彼女は裁判官だったが、1979年のイラン革命で女性だという理由で失職し、その後は人権派弁護士として活動していました。だが、2009年にはノーベル平和賞のメダルを国家に押収されるなど、身に危険が及び、彼女はイギリスに亡命するしかなくなりました。 皮肉な見方をすれば、翌年2004年の少女の処刑は、前年のノーベル平和賞に対するイラン側の「返事」とも取れます。 読者の皆さんはレイプされて絞首刑になった少女の話に絶句されたでしょうが、もう一つ驚いていただきましょう。イランでは同性愛者は死刑であることが憲法で規定されています。あまりの時代錯誤と狂信に、目が点、開いた口がふさがらない。野蛮な判決を下し、こんなくだらない憲法を作った連中こそ死刑にするべきだ・・・いかん、頭に血が上ってしまった。 このようにイランは人権面はひどく遅れた野蛮な国であることは事実でしょう。でも、だからといってアメリカのように経済制裁を長期に行うことは良くない。むしろ、経済的に発展させて、無意味な宗教儀礼に頼らなくも良いように社会を安定させ、交流と対話を深めて、国際社会の一員として時代錯誤の人権侵害をやめるように忍耐強く説得することです。 日本はアメリカの顔色をうかがい、ビクビクしながらも、イランとは友好な関係を保とうと長年努力しています。イランの豊かな石油資源がほしいという下心があるにしても、動機が不純でもいいから、ぜひその姿勢を取り続けてほしい。 もう少し花 もう一つの虹に誘われて(写真下左)、もう一カ所で花の観察です(16:56)。 乾燥して草木も枯れていて、花などなさそうですが、地面を根気強く探すと意外に見つかる。 写真下は花も葉も独特の生え方をしています。葉は緑でさえもなく、地面を這うように生えており、花はその葉とは反対方向の地面に上に咲いています。 写真上 Astragalus
supervisus ここで一番目立ったのは写真下のネギの仲間です。数は少ないが、花はちょうど良い時期のようです。 写真上 Allium
minutiflorum この植物はアルメニアからトルコの東、そしてイランの北、北西部に分布します。 チューリップは残念ながら、もう花は終わっているようです(写真下)。周囲の石の感じといい、まるで金属で作ったオブジェみたいです。 陽が傾き、曇って、夕方の風景が広がっています(写真下)。 土の砂漠の向こうに、樹木一本生えていない山がずっと連なっていて、日本では見られない光景で、バスから眺めている分には、いかにも中東を旅しているという雰囲気です(写真下)。 エスファハーン到着 七時少し前、ようやくエスファハーン(Eṣfahān)市内に入りました(写真下)。夏時間なので、陽が暮れるのは七時半すぎてからです。 市内のLittle House レストランで夕飯です(18:59)。 リトル・ハウスというわりには店はそれなりの広さがあり、他のお客さんが少しだけいます。ただ、この店の料理は総じて甘く、ちょっと私の口には合いませんでした。 写真下はノンアルコールのビールで、1ドルです。旅行中、どこのレストランでも1ドルでした。価格は大差ないので、立て替えてくれているモハンマドさんが一定額にしたのでしょう。味は、まあ、そんなところでしょう(笑)。モハンマドさんに聞くと、レストランではアルコールは置いていないが、酒を売っている店はあるそうです。 観光その1.イマーム広場 食後、イマーム広場(Naqsh-e
Jahan Square, Meidan Emam)の観光をしました。エスファハーンの観光と言えば真っ先に訪れる広場です。政治、経済、信仰の中心地として1600年頃に作られ、南北512m、東西159m広場の周囲をモスクなど様々な建物が取り囲んでいます。 私たちは上の衛星写真の赤い矢印の門から入りました。建物がライトアップされた観光施設です。まず目につくのが右側(南側)にある二つの塔のついた建物です(写真下)。こういう建物のことをイスラム建築ではイーワーンといい、ペルシャ語ではイーヴァーンまたはエイヴァーンと言います。 このイーワーンはその奥にあるShah Mosque(Royal Mosque,
Imam Mosque)の入口になっています。写真下の右奥に見えているのがモスクで、衛星写真を見てもわかるようにモスクは広場に対して45度の角度をなしています。正しいマッカ(メッカ)の方角を向くためです。 イーワーンの中に入ってみましょう。建物は巨大で、イスラムらしい装飾が施され、きちんと保存されています。向こうに修復中で足場が組まれたShah Mosqueが見えます(写真下中)。 この立派な建物の隅に家族らしい一団が座って、食べ物を広げています(写真下左)。道端でピクニックの食事をしていたあの感覚です。少女は座り込んでスマホに夢中です(写真下右)。 祈りをしていた人たちが私たちに赤いバラの花をプレゼントしてくれるという(写真下)。事情が良くわからないが、せっかくですから、ありがたくいただきました。ただ、旅行中で枯らしてしまいますので、私は近くを通りかかった小学生くらいの女の子にプレゼントしました。 広場の東に見えるドームはシェイフ・ロトフォッラー・モスク(Sheikh Lotf
Allah Mosque)と呼ばれ、王族専用に作られたモスクです(写真下)。 写真上のモスクと相対するように西側に建てられているのが写真下のアーリー・ガープー(Ali Qapu)宮殿です。王族の夫人たちは宮殿から地下を通って写真上のモスクに行ったそうですが、地下道は公開されていません。 広場の中は多くの観光客でごった返して、観光用の馬車がひっきりなしに走ります。写真下はフラッシュを焚いているから明るそうだが、実際には暗がりをかなりの速度で馬車が走っているので危ない(写真下)。 バッテリーを積んで電飾した自転車で走るオジサンまでいます(写真下)。先ほどのモスクの入口でのんびりと座り込んでいる家族や、この電飾自転車のおじさんといい、皆さん好きなことを自由にやっている雰囲気が良い。 観光地ですので、広場と周囲にはたくさんの店があります。私たちは南側しか見ませんでしたが、北側の門から先には巨大なバザールがあります。私は自由時間があればそちらに行ってみようと地図を準備していたが、必要ありませんでした(笑)。 私たちが通りかかった通路では主に陶器が土産物として売られていました(写真下)。 写真下左の青い皿のショーウインドーには撮影禁止のマークが貼られています。通路に展示して撮影禁止もないものだ。禁止マークがあるから撮ったのではありません(笑)。ただ特に変わった陶器が展示されているようにも見えない。 観光その2.ハージュ橋 イマーム広場の南にあるハージュ橋(Khaju-Bridge)を見に行きました(21:04)。暗い中で見ると、まるで細長い建物のように見えますし、川と言っても水がないから、なおさら橋に見えません(写真下)。観光ガイド本の写真を見ると、なかなか優雅な橋です。 おもしろいのは橋そのものよりも、そこにたくさんの人が集まっていることです。それも私たちのような観光客よりも、おそらくは地元の人たちがたくさん集まっています。何かイベントや夜店があるわけではなく、勝手に集まって勝手に騒いでいるような雰囲気で、わいわいガヤガヤと楽しそうです。 写真下は橋の一階部分で、水がある時はここを流れるのでしょう。ここでも皆さん、すっかりリラックスして、水タバコを吸ったり、何か集まって騒いでいます。照明にナトリウム・ランプを使っているらしく、フラッシュを使わないと実際に写真下のような色です。 橋の二階部分を見上げると、若いカップルが座っています。デートです(写真下)。 時間は9時を過ぎているのに女性もたくさんいます。モハンマドさんによれば「イランでは夜でも女性が独り歩きしても安全です」とのことでした。イランを旅行した日本人女性が、女性の一人旅ができる国だとネットで書いていました。 すべてが安全だというわけではなく、橋を渡り終えたところで、人がたくさん歩いている歩道をすごい速度で走って来たバイクに私はぶつかりそうになりました。どこの国にもおかしな人はいるものです。 ホテル到着 観光を終えてホテルに到着(21:33)。アーリーガープー・ホテル(Ali Qapu
Hotel)は市の中心部にある四つ星の高級ホテルです(写真下)。 今回の旅行で宿泊したホテルで悩まされたのがホテルの名前です。たとえば、Ali Qapu
Hotel は『地球の歩き方』ではHotel Ali Qapuとあり、またParsian Hotelsの傘下にあることからParsian Ali Qapu
hotelとも呼ばれるらしい。他のホテルでも英語の表記や名称が複数あるなど、かなり煩雑で、明日からの道中、皆さんにも一緒に悩んでいただきましょう(笑)。 (http://www.parsianhotels.com/index.aspx?fkeyid=&siteid=31&pageid=3095) テーブルにはアルストロメリアが飾られ、ウエルカムドリンクが配られました(写真下左)。ロビーの灯りはガラスのシェードに模様が入っていてとてもきれいです(写真下中右)。使われているランプは炎を模して先の尖がったおもしろい形をしています。 写真下が私の部屋です。広さや使いやすさは特に問題はありません。ただし、窓の外は建物の内側で景色は悪い。また、火災の時、窓から逃げることは無理です。 ミネラルウオーターは無料です。紅茶はあるのにインスタント・コーヒーがありません(写真下左)。おそらくイランにとっては輸入品だからでしょう。湯沸かし器があるのがありがたい。部屋の隅の壁にコーランがあり、マッカ(メッカ)の方向の矢印がついています(写真下右)。 せっかくバスタブがあるのにゴム栓がありません。海外のホテルではたまにあるので、私はゴム板を持ち歩いており、問題ありません。 四つ星ホテルなのにゴム栓がないとはずいぶん間抜けた話だが、これ以外は問題がないので、個人的な評価は一通りのサービスがあるとして4.0とします。昨夜は飛行機の中だったので、今日はゆっくりと眠りたい。 普通なら非常口の確認をするために現場まで行くのに、疲れてしまい、ドアに貼ってある避難路の確認だけしました。ドアを開けたら左に走ると頭の中で避難訓練をして、翌朝、ドアから出て見ると、部屋の右側に非常階段がありました(笑)。 |