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花と雪のペルシャ

6日目  2018418()

ゴルパイェガン → テヘラン

 

 

 六時前に起床。普通のホテルなら窓を開けて天気を見るのだが、ここは壁が1.5mほどあるので、腕が1.5mほどないと窓に届かない()。ドアを開けて中庭を見ると、晴れています(写真下)

 

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 今日はゴルパイェガンから首都のテヘランに戻り、いつものように途中、何ヵ所かで花を見ます(下地図)

 

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 下記の朱線の時計回りが朝の散歩コースです。街の中心部であるロータリーがホテルの南側にあるので、そちらに行ってみます。途中にショッピングセンターが二カ所あることになっているが、朝早いので開いていないでしょう。

 

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 ホテルの出入り口も半開きで、警備員はまだ眠っているようです(写真下左)。ホテルから東側の道を通り、大通りに出ます。

 

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 七時前ですから、まだ出勤時間でもなく、住宅街の道は人通りはほとんどありません(写真下)

 

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 ロータリーに通じる幹線道路に出ても、こちらも閑散としています(写真下)

 

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 写真下は募金箱です。イランでは日本の郵便ポストと同じくらいの頻度でどこでも見かけます。「ホメイニー師救済委員会」という組織が1979年から始めたものです。イスラム教は寄付を広く呼びかける習慣があり、困っている人たちに寄付するのは良い習慣であり、私も少額だが、寄付するように心掛けています。日本でも様々な寄付の呼びかけがあるが、問題は寄付する側よりも寄付したお金がどう使われているかです。それが理由で私はいくつかの団体への寄付を中止したことがあります。

 

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 昨日、昼食した街でも見かけたドゥーグというヨーグルドリンクのような飲み物です(写真下)。生乳のままでは常温での保存が難しいので、菌を加えて発酵させることで常温でも保存できる生活の知恵なのでしょう。

 

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 通りにモスクがあります(写真下)。入口に門番らしい人がいるので、写真を撮っていいかと聞くと、付いて来いといいます。

 

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 彼はモスクの中に案内してくれて、どうやら写真を撮ってもいいということらしい。イスラム教圏のたいていモスクの入口くらいまでは撮らせてくれるが、建物の中を撮ってもいいなんて、初めてです。

 

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 中に入ってみてまず驚いたのが、「ギンギラギン」です(写真下)。装飾用のタイル以外の壁は天井を含めて銀色で、それも燻し銀などの重みのある銀色ではなく、買ったばかりのアルミホイルを貼りつけたような雰囲気です。

 

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 建物は内側が二重構造になっており、内側に回廊があり、真ん中に部屋があります。

 

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 部屋の真ん中、つまり建物の中心部に金色と銀色で四角い巨大な箱があります(写真下)。四方のどこからでも入れるようになっており、しかも真ん中にあるのだから、何か重要な意味があるのだろうが、この時はまだわかりませんでした。実は巨大なお賽銭箱らしい。

 

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 礼拝のための建物なのに入口からギンギラギンです。彼らの感性ではこれが美しく素晴らしいらしい。感覚が違いすぎる()。もっとも、日本の寺院の陰気臭い暗い雰囲気とどちらが好きかと言われると、私はこちらを選びそうです。

 

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 仏教やキリスト教と違い、イスラム教のモスクには礼拝の対象はなく、この箱も礼拝の対象ではありません。彼らはマッカ(メッカ)の方向に向かって拝み、私が入った入口がマッカの方を向いています。

 写真下はマッカ方向の壁で、青いタイルの模様がきれいです。この建物の内部で私の好みに合ったのはこの壁です。クリーム色など落ち着いた壁にこのタイル模様が貼ってあったら映えるだろうに、銀色の壁に押され気味です。

 

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 ギンギラギンに圧倒されて、ようやく外に出ました。外に出てもまだ身体に銀色が貼りついているような気がする()

 

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 建物の外の広場は白い大理石の床で、写真下のような黒い石をはめ込んで人の顔と文字が刻んでありますから、墓です。人が歩く床に埋葬するのはキリスト教ではよく見られるが、イスラム教では初めて見ました。後でモハンマドさんに聞くと、最近の習慣だそうです。死者を足で踏んづけるのは日本人の感覚に合わないので、歩きにくい。

 

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 広場でハトに餌をやっていた門番にお礼を言って去ろうとすると、彼は「朝飯を食っていけ」という。どんな食事を出すのか見てみたいという好奇心もあり、こういう時に昔一緒に旅行した「あの人」がいたらなあ、といつも思います。彼は言葉などまったく通じなくてもすぐに相手と仲良しになれるすごい才能の持ち主で、集合時間に遅れた理由が初対面の家で朝飯を食って来たことでした。そりゃ、遅刻してでも食ってきたほうが良い()。こういう彼の才能をとてもうらやましく見ていました。

 

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 食事を辞退して出口まで来ると、ターバンを巻いた宗教家らしい人が戻って来たところでした(写真下)。とてもにこやかで、私に再度建物入るように誘ってくれましたが、時間がないのを理由には断りました。日本の坊さんの気取ったような態度と違い、フレンドリ―な雰囲気で私のイラン人への印象はここでまたまた良くなりました。

 

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 こういう予定外のことがあるから楽しいのだが、朝食の時間には遅れたくないので、早足です。街の中心部にあるロータリーの近くに二つ目のモスクがあります(写真下)。これが街で一番大きいモスクのようです。時間が時間ですから、門は閉まっています。塔(ミナレット)の一つが工事中らしく、足場が組んであります。

 

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 三カ所目のモスクです(写真下)。こちらは三つの中で一番小さい。ここも精緻な模様がきれいです。今回、こういう模様の絵皿時計を買うつもりでいたのですが、現物を見てやめました。きれいでも、自分の部屋には合わない。

 

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 モスクなんて予定していなかったのに、モスク巡りになってしまい、時間が取られました。急いでホテルまで戻ります。急いでといいながら、ホテルまでの直線道路の両側は空き地になっていて、いろいろな雑草が咲いているので、撮らないわけにはいきません()

 写真下左はワスレナグサ(Myosotis)の仲間のように見えます。

 

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写真上右 Cardaria draba

 

 珍しい花はなく、道端のいわゆる雑草です。

 

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写真上 Scorzonera cana

 

 写真下は地中海を取り囲む世界から西アジアまで広く分布するアザミで、英語ではItalian thistle(イタリアのアザミ)と呼ばれる雑草です。

 

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写真上 Carduus pycnocephalus

 

 写真下は南西や中央アジアが原産なので、英語名はIranian knapweed(イラン人のヤグルマギク)と、イランという名前が入っています。青いヤグルマギクは私の好みです。ネアンデルタール人の墓からたくさんのヤグルマギクが見つかっています。

 

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写真上 Centaurea depressa

 

 7:30から、ホテルのロビーの二階にあるレストランでビュッフェ形式の朝食です(写真下)

 

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 レストランや階段にある照明がなかなか素敵です(写真下)

 

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モスク訪問

 予定どおりの時間に出発(8:35)。私が散歩でモスクに行ったのを聞いて、モハンマドさんが近くのモスクに案内してくれることになりました。幹線道路の脇に立つ、最近作られたようなモスクです。管理人がいて、見学を申し出ると、快く迎えてくれました(写真下右)。もちろん、中の写真撮影もOKです。

 

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 この建物の構造も、先ほど私が見たモスクと同じで、建物は屋外の回廊があり、内部は真ん中の部屋を囲むようにまた回廊があります(写真下)。先ほどのモスクに比べて回廊には装飾がありません。ここも礼拝の時間には人でいっぱいになるのでしょう。絨毯に一人分の模様が付いていて、マッカ(メッカ)の方向を表しているようです。

 

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 真ん中の部屋に入ってみましょう。装飾はあるが、朝、散歩で私が見たモスクに比べるとギラギラの度合いが低いのが残念な気がする()

 

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 ここにも部屋の真ん中に装飾をほどこされた箱があります。先ほどのモスクでは四角だったが、これは六角形です。これは寄付箱、つまり賽銭箱ではないかとのことでした。実際、中にたくさんのお金が見えます(写真下右)。お客さんもドルを寄付しました(写真下左)

 

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 このモスクの近くに別なモスクらしい建物が二つも見えます(写真下)。モハンマドさんに、周囲は住宅も閑散としているのに、どうしてこんな近くに三つもモスクがあるのかと質問すると、宗派の違いと、もう一つは宗教的な有名人のお墓とのことでした。そう言われれば、写真下右のモスクは礼拝を告げる塔(ミナレット)がありません。

 

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オレンジの砂漠のケシ

 花など何にもなさそうな土の砂漠で花の観察です(写真下)。雨が降っていないせいか、昨日まで悩まされた泥はありません(9:10)

 

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 何もなさそうなところでまず目に付いたのが、前にも見かけた写真下の、冬には家畜の飼料にもなるという植物です。

 

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写真上 Gundelia tournefortii

 

 こんな環境ですから、花があってもどれもこれも小さく、数も少ない。

 

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写真上 Astragalus candoleanus

 

 写真下のエロデウムは欧州、アフリカ、西アジアなどに広く分布しています。

 

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写真上 Erodium cicutarium

 

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写真上 Nonea persica

 

 少し場所を変えると、道端にツノゲシがありました(写真下)。ツノゲシと言っても角が生えているはずはなく、種が角のように尖がっているからのようです。

 

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写真上 Glaucium grandiforum

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 私は自分の畑にケシを植えようとずいぶん努力しているのですが、ほぼ失敗です。もちろん、ケシ畑からアヘンを採ろうという壮大な計画ではなく、単にケシがきれいだからです。

 

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 ケシ畑を他の人も試みているのを見たことがあります。ところが、一時的にアイスランド・ポピーなどを畑に植えてケシのお花畑を作っても、翌年には縮小し、やがて消滅するのを何度か見ました。元々、ケシは寒い地方の花で、しかもアルカリ土壌を好むのが主な理由でしょう。

 

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 四枚の花弁には根元に黒い模様が付いていて、写真下右など花弁の内側がテラテラと日光を反射しています。

 

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 ケシには良くあることで、道路に沿って花が咲いて、道路から離れると案外少ない(写真下)。車の風圧が種を運んでくれるのでしょう。車はどれもものすごい速度です。

 

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 松森さん(仮名)が指さしたのは写真下のケシの茎で、リボン状に平坦になり「帯化(たいか)」しています。帯化は花や茎などが帯状に平らになってしまう現象で、ケイトウの花は帯化した状態で遺伝的に固定化したものです。突然変異の他に虫や細菌に傷つけられることで起きるとされています。私はヤマユリやコオニユリで何度か見ました。しかし、ケシが帯化している現物は初めて見ました。写真下左は茎だけでなく、花の状態もおかしい。

 

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 松森さんがわざわざ指摘してくれたのは、私が植物ガイドのノロージーさんの著作に載っていた帯化したケシの写真に驚いたからです。チェルゲルドで彼の本を購入して、めくっていて一番驚いたのが写真下で、これはシャボテンの花ではなく、茎が帯化したケシだというのです。

 

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写真上 帯化したケシ(A glance at the wild flowers of Iranian mountains”p.200より転載)

 

 写真下は花が似ているのでエキウム(Echium)の仲間かと思ったら、違うようです。

 

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写真上 Moltkia coerulea

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 コーカサス、シリア、イランなどに広く分布しています。

 

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 写真下のノコギリソウの仲間は、二日前の15日にも、シャフレ・コルド(Shahr-e Kord)で昼食を取った後で見たケシのそばに咲いていました。地域的にもそれほど離れてはいないから、不思議ではないが、ケシとこの花は似たような環境が好きらしい。

 

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 写真下はアブラナの仲間らしいが、名前がわからない。

 

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 写真下はトウダイグサの仲間です。世界のあちこちでこういう乾燥した地域に適合したトウダイグサの仲間を見かけます。私の周囲に生えているトウダイグサは必ずしも乾燥とは関係ありません。よくクリスマスの頃に売られている赤い葉をしたポインセチアもトウダイグサの仲間です。

 

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写真上下 Euphorbia macroclada

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 写真下は、繊維や種から油を取るのに古くから栽培されているアマ(亜麻)の仲間です。アマ自体が、コーカサスや中東が原産とされていますから、ここにあってもおかしくない植物です。

 

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写真上 Linum album

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 写真下は黄色いバラです。道端に沿って茂みを作っていて、乾いた砂漠には似合う。学名のRosa persicaはペルシャのバラくらいの意味でしょうか。イランやアフガニスタンなど良くみられ、中央アジアからシベリアの西まで分布しています。

 

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写真上下 Rosa persica

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 こんな所に生えるバラですから、非常に深い根を持っています。しかも、庭で育てるのは難しいそうです。

 

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 バスは砂漠のような風景の中を走っています。砂漠の中で目立つのはモスクと水タンクです(写真下)

 

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 乾ききった砂漠でバスを待っているのを見ると、見ただけで喉が渇いてくる()

 

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 乾燥していると、所々にある緑が鮮やかに見えます。

 

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黄色とオレンジの砂漠のケシ

 黄色が混ざったケシです。

 

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写真上下 Glaucium elegans

 

 このケシの標準的な大きさは写真上ではなく、もう少し大きい。ネットでは1030cmとありましたが、ここには50cmくらいのも珍しくありません。日本人としては小さくて可愛いとつい撮ってしまいます。写真下右はモハンマドさんで、彼も熱心に花の写真を撮り、また花の名前に詳しい。

 

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 葉が上下に分かれていて、下の葉は地面に横に広がり、白い毛が生えている。普段は下の葉のみが成長して光合成をして栄養を貯め、花を咲かせる時だけ、茎が立って花を付けるのでしょう。実際、葉だけのもあります。

 

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 このケシはアフガニスタン、イラン、パキスタンに分布します。

 

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 まとまって咲いているのではなく、ポツンポツンと離れています。しかも、生えているのは限られた範囲で、そこから離れると見当たりません。砂漠なので、見通しもよく、こんな色の花が咲いていたら、すぐに気が付きます。

 

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 こんな砂漠なのにミツバチが来ています。何キロも長距離を飛行するとは思えないから、この近くに巣があるのでしょう。

 

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 お客さんがケシの根元にイモムシを発見。身体から黄色い液体を出しているのは身を守ろうとしているのでしょう。臭いで追い払おうという作戦なのかと鼻を近づけても、臭いません。かぶれるかもしれないから、もちろん触りません。イモムシ君、脅かして、すまん。

 

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 再び、土砂漠の中を走り続けます。

 

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 集落の周囲に緑がちらほら見える程度で、少しだけ植物の生えた砂漠が続きます。

 

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 大理石を積んだトラックがいます(写真下)。乾燥した国では石材は重要な建築材料です。日本は火山性の硬い石が多く、加工しやすい石が少ないので、庶民に身近な石材が墓石というのは残念です。

 

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マハッラート市街

 昼食のためにマハッラート(Mahallat)に到着しました。建物や壁の壁画など、なかなかおもしろい(写真下)

 

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 写真下左は道路のロータリーの芝生でくつろぐ人々で、毎日のように見かけます。

 

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 マハッラートは人口5万人といいますから、小さな地方都市で、街は小奇麗で静かです。

 

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 道路のロータリーに飾られたモニュメントは勇ましそうなのが多い(写真下)

 

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 街全体は近代的で明るい雰囲気なのに、ここも葬式スタイルの女性ばかりです(写真下)。いくら乾燥しているとはいえ、こんな強い日差しの中で暑くないのだろうか。夏など熱中症になりそうです。

 

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 イラン・イラク戦争での戦死者の遺影がここにもあります(写真下)。三十年たっていますから、すっかり陽ざしで退色している。戦争の悲惨さを忘れないためではなく、国を守る英雄として称えるのが目的なのが、最近の日本でも同じような傾向があるので気になります。戦争の悲惨さや不当さをごまかすためのすり替えで、彼らは英雄になりたかったはずはなく、戦争という愚行の犠牲者にすぎません。

 

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食事前の岩山散策

 すぐに昼食かと思ったら、その前に軽く運動をするという(12:01)。眼下にマハッラート市街を一望できる岩山の散策です(写真下)。大した上りではないものの、道などないから、岩につかまりながら登ります。

 

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 朝、最初の砂漠で見たエロデウムがここにも咲いています。

 

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写真上 Erodium cicutarium

 

 こんな岩場に赤紫のかなり目立つ花がまとまって咲いています(写真下)。前に見たのより、花がまとまっています。

 

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写真上 Salvia hydrangea

 

 サルビアの仲間で、赤紫の部分はたぶんガクで、紫の花弁がその手前に付いています。

 

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 こんな乾ききった岩山ですから、花はどれも小さい。大半が他のお客さんに教えてもらってようやく気が付きました。岩の隙間にセネキオの仲間が根を下ろしています(写真下)

 

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写真上 Senicio glaucus

 

 写真下は上と似ていますが、花を見ると別種です。Chorispora ibericaではないかとのことでした。

 

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 黄色い花はいくらかあるが、写真下のような白は一本しか気が付きませんでした。Anthemis odontostephanaではないかとのことでした。

 

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 こんな乾いたところに見慣れたオオイヌノフグリ(ヴェロニカ)がある(写真下)。日本のそれよりも花弁の青がちょっと濃いような気もするが、外見や大きさ、生え方はほぼそのままです。今回初めて気が付いたのが、日本のオオイヌフグリの学名にはpersica、つまりペルシャの名前が入っていることです。欧州原産となっているが、図鑑を見ると、イランと周囲にはいろいろな種類のヴェロニカがあり、ここも原産地域かもしれません。春先にはなくてはならない日本の里山風景を作っているようなオオイヌノフグリですが、日本には明治以降に来ましたから、まだ150年ほどしかたっていません。

 

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写真上 Veronica persica

 

 最初、写真下の植物を見た時、白い部分が花かと思って写真を撮っていました。

 

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 だが、良く見ると白いのは花が終わった後で、黄色のオシベやメシベが付いているがありますから、これが花です(写真下)。小さいわりには複雑で、緑のが花弁だとすれば、白いのはガクか葉でしょうか。写真上右では黄色い花が咲いているのがわからないくらいで、ボールペンと比べても花はものすごく小さい。Paronychiaの仲間です。

 

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 写真下も花は小さく、オオイヌノフグリと同じくらいです。花は小さいが、かなり複雑です。これは一つの花ではなく、花の集合体のようで、Y字型のメシベらしいのが複数あります。これでもキク(Asteraceae)の仲間らしい。

 

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 写真下の花は真ん中から茎を地面に四方にのばして、その先に花を付けています。環境が厳しいから、茎は花を支えきれず寝てしまったのでしょう。Alyssumの仲間です。

 

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 写真下など色が地面に溶け込んでしまい、すぐそばを通りかかっても、指摘されるまで花が咲いていることにも気が付きませんでした。

 

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写真上 Dendrostellera lessertii

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 写真下は今日の最初の花の観察でも見たアザミのような花と同じかと思ったら、ノロージーさんによれば別種だそうです。区別がつかない()

 

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写真上 Gundelia tehranica

 

 

泉のある公園で昼食

 マハッラートの北部にあるSarcheshmeh公園のレストランで昼食です(12:42)

 

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 敷地内はきれいに公園化されていて、先生に引率されたらしい子供たちが大騒ぎしながら歩いています(写真下)。階段状の小川に水が流れていて、小川の先に池があります。写真上の衛星写真でも緑地が広がっているのはここにかなり大きな水脈があるからでしょう。周囲の山々はカラカラに乾燥しています。

 

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 ここの泉こそがマハッラートができた理由だとも言われています。たしかに、写真上左の流れを見てもわかるように、常時これだけの水量があれば困りません。また地図でも、この公園のある高台から、南東に向かって街が広がっています。ここから北西側には山脈がありますから、そこが水脈なのだろうが、この乾燥しきった山の地下にこれだけの水があることが驚きです。

 

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 公園内のバラが咲き始めてきれいです。

 

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 公園の木立の中に売店やレストランなどがあります。

 

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 写真下が私たちが昼食を取るレストランで、名前は読めません。

 

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 レストランの屋外では水タバコを吸っている人がいます(写真下左)。レストラン内で水タバコの装置を貸し出しているらしい(写真下右)。なぜか、タバコに火をつける所は撮影禁止だという・・・タバコが嫌いだから、どうでもいい。

 

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 室内は広く、建物を増築してレストランを広げたようで、その増築した部分で営業をしています。増築したせいか、レストランの規模のわりにはトイレが少ない。

 ここも椅子だけでなく、靴を脱いで座卓を囲むような席もあり、私たちはそちらに案内されました。日本人には違和感がないが、写真を撮るのに不便なので、私は靴を脱がなくてもすむ端に座ります。

 

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 いつものように生野菜から始まり、メインは魚料理で、淡泊でなかなかうまい(写真下)

 

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 モハンマドさんはここでも取り分けや配膳に大忙しです(写真下)

 

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 食後、レストランから駐車場のほうに歩いて行くと温室があります(写真下)

 

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 マハッラートはイラン最大の花と植物の栽培地です。砂漠の真ん中で花卉栽培?!露地栽培ではなく、写真上下のような温室で、温室栽培にはむしろ適した気候だという。冬は雪が降るはずなのに暖房設備が見当たりません。おそらくこのあたりは陽ざしが強いから、冬でも暖房が少なくて済み、また、今からの時期は、温室に赤い網がかけてありますから、直射日光を遮るくらいで植物にはちょうど良いのかもしれません。

 

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 写真下左の植物は先端に色をつけたか、キャップをかぶせたものらしく、意味不明。温室にいた人はこれを指さしながら「チニ」と言います。チニとは中国のことです。つまり、これらは中国から輸入したものと言いたいらしい。たぶん彼らは私を中国人だと思い、友好の意味で言っているようなので、あえて日本人だとは言いませんでした()

 

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イランの反対側車線

 マハッラートからテヘランまでまだ260kmもありますから、少し急がないといけません(14:12)

 

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 道の左側に珍しく大きな川が見えます(写真下)。川をせき止めたKhordadダムで、マハッラートと近郊の住民の水瓶なのでしょう。

 

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 写真下でだいぶん向こうに車が走っているのが見えます。あれは別な道路ではなく、私たちが走っている65号の反対側車線です。日本なら道路は上下線が接しているのに、ここでは土地が広いので、上下線が離れて、まるで別な道路みたいになっているのも珍しくありません。

 

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 下の衛星写真で南北に走る二本の道路は両方とも65号と書いてあります。右側が私たちの走っている上り、左側は下り車線です。両者の距離は最大で3kmくらい離れています。

 

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 反対側車線を走る車が砂漠のはるか向こうに見えるなんて、砂漠の国らしい雄大なスケールです。日本の道路みたいに反対車線の車と衝突したなんて心配はない反面、Uターンや反対側車線に面した建物に行くのに、ぐるっと迂回するしかありません。そのためなのか、両者をつないでいる道路があります。

 

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オレンジと黄色の砂漠のケシ

 本日、三度目のケシです。

 

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写真上下 Glaucium elegans

 

 外側が黄色、内側のオレンジで、午前中に見たケシと配色は同じです。しかし、黄色い部分が少なく、こちらはオレンジ色が強い。

 

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 葉の付き方が先ほどのケシと同じで、根元に大根のような葉が地面に広がり、真ん中から花を咲かせる茎が立ち上がってきます。葉は地面にあるほうがやや白っぽい。

 

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 花は中がオレンジで周囲が黄色が大半ですが、写真下左のように黄色が薄れ、全体がオレンジ色なのも稀にあります。

 

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 逆にオレンジが消えた黄色いケシが写真下です。良く見ると、花弁の周囲が黄色く、中は薄黄色で、二重になっているのは同じです。黄色いケシは二カ所しかありませんでした。

 

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 ケシの他にもいくつか花が咲いています。写真下はナデシコで、枯れているかと思った()

 

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写真上 Dianthus crinitus

 

 最初、写真上と下は同じかと思いました。花が小さいので老眼には区別が難しい()

 

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写真上 Acantholimon quinquelobum

 

 写真下は昼食前の岩山にもあった花です。岩山よりもこちらのほうがきれいに咲いています。

 

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写真上  Dendrostellera lessertii

 

 本日のケシ三昧もこれで終了です(15:53)。ここからテヘランまでまだ200kmほどあります。

 

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ヌイグルミ街道

 両側に時々、街並みが見えるようになってから、反対側車線に見たのが写真下です。道路の脇でヌイグルミを売っている!?それもクマのようなヌイグルミが多い。仕入れ先が同じなのか、写真下左右の赤と白のクマは同じヌイグルミに見えます。大きいのは五歳児くらいありそうです。

 

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 ヌイグルミの出店の数百メートル手前では男性がヌイグルミを抱えて歩いています(写真下)。ちょっとわかりにくいが、腰のあたりに白いクマのヌイグルミをぶら下げています。これは時速100kmで走っている車は急停車できないから、この先でヌイグルミを売っているよ、という前宣伝です。

 「ヌイグルミ街道」はこの数キロの間だけで、出店は少なくとも10軒はあったでしょう。いったい誰がヌイグルミを道端でわざわざ買うのだろう??イラン人の不思議を垣間見た気がしました()

 

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 バスはゴムという宗教都市を通過します(16:41)。ここは旅行二日目の414日にテヘランから通過した街で、あの時はエスファハーンを目指し、南東に向かいました。今日は南西から入って来て、テヘランに向かいます。

 

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駐車場でお茶会

 ゴムをすぎて間もなくにあるサービスエリアに寄ってトイレ休憩です(16:50)。その敷地で見た写真下右は雪ではなく塩です。ここを造成する工事をして水が貯まり、それが蒸発して塩分が残ったのでしょう。これでは植物を育てるのも容易ではない。

 

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 建物はドーナッツを四分の一にしたような形です(衛星写真上)。建物の入口にヴィンテージの車が展示されていて、なかなかおしゃれで(写真下左)、室内の池の底の模様がいかにもイスラムです(写真下右)

 

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 入口のヴィンテージな車と違い、中は近代的で広々としています。

 

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 建物の雰囲気からしてここは最近建てられたものでしょう。ところが、その建物のトイレが写真下のいわゆる和式です。もちろん男子トイレの個室で、ここでも小便器はありません。壁に取り付けてある金属のホースで洗うようになっているので、トイレットペーパーはありません。これがイランでは最新の設備であるという点が興味深い。

 

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 モハンマドさんが紹介したのが写真下のイランのソーハン(Sohan)という伝統的なお菓子で、14日にもモハンマドさんが買って、皆さんで食べました。見た目はカレー味のようですが、辛くはありません。簡単に言えばクッキーで、試食してみると、材料を吟味して作ったお菓子だとわかります。

 

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 売り場はかなりの広さなのに、ソーハンだけだというからすごい(写真下)。日本と同じように、きれいにパッケージされていて、お土産用という雰囲気です。

 

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 売り場の隣でこのお菓子を作っています(写真下)。皆さん、ソーハンをお土産に買っていました。

 

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 隣の店では様々なお土産が売られています(写真下)

 

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 ここで私が買ったのがバラの花を乾燥させた物です(写真下)。花弁だけでなく、花そのものなので香りはかなり強い。お茶、お風呂、ポプリなどに利用するもので、値段は日本の十分の一くらいでしょう。

 

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 買い物を終えて駐車場に戻ると、モハンマドさんが駐車場でお茶会を始めました(写真下左)。紅茶と先ほど店で売っていたハート型の箱に入ったソーハンです(写真下右)

 

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 日本では駐車場のコンクリートの上でお茶会を開くなど考えられないが、道路脇の芝生でリラックスしているイラン人を毎日見かけていたので、私はもうまったく違和感がありません()

 

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イラン人のミニスカート

 お茶とクッキーですっかりリラックスしている私たちの隣にやって来たのが黄色いバスです(写真下)。あの垂れ耳ウサギのようなバスは中国製でしょう。

 

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 降りて来たのは頭の先から足の先まで完全黒づくめの女性たちです。これまでの女性たちを見ても、黒は当たり前でも、実は微妙に差があり、この彼女たちは足まで隠れる長いガウン(チャドル)をまとっています。

 

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 モハンマドさんによれば、私たちが先ほど通過したゴムは宗教的な街で、有名な女性が祭られており、そのお墓参りの一団だろうとのことでした。彼女たちは服装どおり、厳格なイスラム教徒です。などと言うと怖そうだが、いたって愛想は良く、私たちと一緒に記念撮影に応じてくれました。

 

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 写真下の同じ駐車場にいた他の女性たちを見てください。黒いので区別が付きにくいが、一般の女性たちは上の女性たちのような長いガウンははおっていません。また、イスラム教徒の教典であるクルアーン(コーラン)にはこのようなガウンをまとわなければならない、という記述はありません。

 

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 イランでは昔から女性が葬式スタイルだったのではなさそうで、下記の半世紀ほど前、日本人が目撃したイランは今とはだいぶん様子が違います。

 

「チャードルを着た女は、もはや珍しい。そのかわり、プリント地や、明るい模様の布をふわりと頭の上にかけている。」(『太陽と砂漠の国々』徳岡孝夫、毎日新聞社、1965年、189ページ)

 

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 さらに驚く記述は下記のテヘランでの目撃です。

 

「彫りの深い顔をした近代的なイラン娘は、ひざ上10センチのスカートで、歩道を闊歩している。」

(『シルク・ロード探査記』長沢和俊、角川書店、1967年、107ページ)

 

 なんと五十年前のテヘランでは女性がミニスカートをはいていた。今、70才くらいの女性は若い頃はミニスカートをはいていたのだ!

 また、1974年、カスピ海に面したバルボーサーという観光地でも次のような目撃があります。

 

「テヘランからの金持ちの観光客が多く、女性も顔を隠さずミニスカートで通りを闊歩している。」

(『シルクロード爆走記』大宜見義夫、朝日新聞社、1976年、80ページ)

 

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 五十年前はこれだけ自由だったのに、今のイランは残念ながら、ミニスカートなどはいたら逮捕されます。1979年のイラン革命によってこれらの自由は奪われました。ただ、ミニスカートを許していたパフラヴィー皇帝が良かったなどというつもりはありません。

 

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 「そういう点、日本は自由だ」とおっしゃるかもしれない。そうでしょうか?未だに夫婦別姓の自由がないことは服装の自由がないのと同じです。何だって、個人の姓名にまで国が干渉するのでしょう。

 役所の書類の日付は元号を強制され、選択の自由がありません。元号が悪いと言っているではなく、経済などが世界同時に動いている時代に、明治、大正、昭和、平成を西暦によどみなく換算できる頭の良い人たちだけが使えばよいだけで、そうでない私に強制するのはやめてほしい。

 憲法で象徴とされる天皇が、男系男子などという時代錯誤の女性差別を堂々と規則にしています。世界経済フォーラムが発表した2017年の「ジェンダー・ギャップ指数」、つまり男女の平等ランクでは、世界144ヵ国中なんと日本は114位です。女性差別とは女性の自由度が男性よりもはるかに劣っていることを意味します。

 

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 自民党の二階幹事長が「この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考える人がいる」(2018629)と発言しました。こういう立場をわきまえない時代錯誤の発言をする為政者にもあきれるが、もっと問題は国民のこの発言に対する無関心です。

 日本の報道の自由度ランキングは、2018年で180国中67位です。前年よりも5位上がったとはいえ、ずいぶん低いことに驚きませんか。

 日本は、イランほどではないにしても、いろいろな意味での自由度が高い国ではなく、しかも最近ますます自由度が失われ、古い価値観を押し付けられるのが気になります。イランの女性の葬式スタイルを見ると、自由度が低いのがわかるように、日本も外から見ると自由度はそれほど高くありません。

 

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道端の風景

 往きの14日もそうだったように、バスがテヘランに近づくにつれて、道路脇におもしろい看板が増えてきました。夕方で、しかも逆光なので、撮影条件は良くありません。

 

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 写真下左のProwinは窓のメーカーです。四角い窓の上に半円の窓がついているのがうらやましい。日本の住宅はどうしてあの窓を取り入れないのだろう。

 

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(写真上左 http://www.prowinashiyaneh.ir/)

 

 写真下左の広告の建物はどこかで見たことがある。今日の朝に見たモスクの真ん中にあった賽銭箱です(写真下右)。どうやら基本形があるようです。おそらく寄付を呼び掛ける広告で、露骨でわかりやすい()

 

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 ヒゲモジャの男性が手に乗せているのは「Albura」というヘアダイです。

 

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 写真下はMerdas Chocolateの広告で、イランの企業のようです。おしゃれで、写真下左などちょっと見た目にはチョコレートの看板に見えません。溶かしたチョコレートで描いた絵というイメージなのでしょう。

 

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(http://merdasbnd.com/en/)

 

 写真下左の看板から何を連想しますか?花と金魚と鉢植えの草を見れば、何か自然を売り物にした会社かと思います。ところが、Nikfar groupは石材を取り扱う会社のようです。

 写真下右も食べ物の広告かと思ったら、Sbankという金融関係の企業のようです。どうやら、イランでもイメージで売ろうという戦略がさかんらしい。

 

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(写真上左 http://www.nikfargroup.com/)

 

 これまでも何度も見た路上のスイカ売りです(写真下)

 

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 スイカを積んだ車の数百メートル手前で、切ったスイカを示しながら、宣伝をしています。切り口を見ると、黄色いスイカらしい。

 

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 写真下右のように警察らしい車もいるのに、スイカ売りがたくさんいるところを見ると、取り締まりはしないらしい。モハンマドさんは路上でのスイカ売りは違反だと言っていました。

 ところで、写真にあるスイカ売りの三台の車を見て奇妙に思いませんか?三台とも車の種類が同じで、荷台についている青い枠まで同じです。たぶん、彼らは個人的に売っているのではなく、元締めがいて、彼らは店員なのでしょう。

 

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 道の脇を列車が走っていきます(写真下)。空港とテヘラン市内をつなぐ電車で、それほど長い車両ではありません。また、今回の旅行では唯一見た列車でした。

 

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 ガソリンスタンドによって給油です(18:46)。写真下右の表示の三行目にあるように1Lあたり300リアルです。412日付で、レートは392リアルが1円ですが、リアルの他にトマンという単位も使われていますから、それでも8円程度ということになります。この時期、私が日本で詰めたガソリンは1L140円ほどで、ほぼ二十倍です。

 価格比較を見ると、2007年は日本130円でイラン12円、2012年は日本154円でイラン52円とあります。だいぶん私の出した値とは違うので、自信はありませんが、いずれにしろ、日本よりもはるかに安い。さすがは石油産出国です。

(http://www.777money.com/torivia/gasolin.htm)

 

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テヘランに到着

 テヘラン市内に入る少し手前からアルボルズ山脈の雪山が見えてきました(写真下)。あの雪山から南に広がる扇状地にテヘランがあります。水の少ないこの国で首都になるほどの都市が発達したのも、この雪山のおかげでしょう。テヘラン自体が標高1200mにあります。

 

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 テヘラン市内に入ると、七時すぎなので帰宅ラッシュなのか、かなりの渋滞が起きています(写真下)

 

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 テヘランには7000人もの風紀を取り締まるための覆面警察官がいると言われています。最近、テヘランでその女性風紀警察官から、スカーフがずれて髪の毛を露出させたとして、「黙れ、けだもの」などと罵られ、暴行を受けた女性のニュースが伝わっています(「イラン警察、髪露出の女性に暴力」共同通信社、2018528)。女性風紀警察官はけだものは自分だということがわかっていないらしい。

 そのテヘランでも写真下のように色柄のスカーフをかぶっている人たちもいます。

 

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 写真下はたぶん親子で、若い女性はブランド品のような柄のスカーフをかぶっています。親子はおそろいの青いジーンズのようなパンツで、娘さんのほうは衣装に黒は一つもありません。

 

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 写真下左の女性は白いパンツで足を強調しています。こんなふうに少しではあるが、あの黒づくめの「葬式スタイル」は減りつつあります。三年前にもイランに来た松森さんによれば、彼女たちの服装は急激に変わって来ていると言います。

 

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 これは2013年から穏健派のロウハーニー氏が大統領になってからです。2015年には核合意もできて、経済制裁も緩和され、せっかく改革の方向に向かっていたのに、トランプ大統領がこれを破棄して、逆行させようとしている。今までの多くの人たちの努力を何だと思っているのだろう。

 

 

ホテルの名前と建物

 ホテルに到着(19:46)。名前はParsian Enghelab HotelHotel Parsian EnghelabTehran Enghelab HotelEnghelab Hotel Tehranと様々あります()

 

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 ホテルと予約サイトのホームページに掲載された下の二つの写真を見比べてください。同じホテルなのに玄関のアーケードに刻印された名前がParsian Enghelab HotelTehran Enghelab Hotelと別です。たぶん所有者が変わったのでしょう。ホテル側のホームページでもParsian Enghelab HotelHotel Parsian Enghelabと二つの表記があります。

 

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写真上左 http://enghelab.pih.ir/index.aspx?siteid=4&fkeyid=&siteid=4&pageid=5718

写真上右 http://www.iran-booking.com/en/hotels/parsian-enghelab-hotel-tehran

 

 写真上の二つを比較すると、右はホテルの建物の左右に別な建物があるのに、左では両側ともにありません。日本にいる時これを見て、どちらが本当なのかと現地で確認するつもりでいました(物好き!)

 写真下は私が撮った写真で、名前はParsian Enghelab Hotelで、左右に別な建物があり、どんな角度で撮っても写真上左のような写真は撮れません。写真上左は見た目を良くするために加工したのでしょう。

 

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 セルフ・サービスのウエルカム・ドリンクがあります(写真下右)。このホテルでは部屋の鍵を客一人一人をパスポートで確認しながら渡すという厳重さです(写真下左)

 

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 高層ビルなのでエレベーターのボタンの並びがおもしろい(写真下)13階はありません。本当にないはずはないから、何に使っているのでしょう。一階は0階で、9階を押せば建物の10階に着きます。つまり、12階の客は実際は13階に泊まっています()

 

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 ホテルのレストランで食事です(20:16、写真下)

 

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 ここも前菜の野菜と食後のデザートはビュッフェ形式で各人が取るようになっています。そのデザートが写真下です。一口ずつ全部食べてみたいようなゼリーで、お客さんが取る前に写真を撮りました。

 

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 今回の料理で一番私の興味を持ったのが、フィセンジャンというザクロとクルミで作った肉のソースです(写真下右)。イランではソースを工夫しているのがわかります。

 

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 写真下が私の部屋で、設備や広さは十分です。絵も部屋に合わせて緑を基調としています(写真下の下段)

 

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 ところが、いくつか問題がありました。その一つが騒音です。9(実際は10)なので市街地を走る車の騒音が遠くから伝わってきて、騒音に弱い私にはけっこうきつい。窓は開けていられません。

 

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 もう一つの問題は、部屋の中を蚊が飛んでいる。普通の蚊は九階までは飛んで来ないのに、イランの蚊は泥と同じで根性があるのだろうか。蚊取り線香もないので、毛布をかぶって防ぎました。可能性は二つあり、虫に好かれる私に付いて来たか、もう一つは、例えばベランダの排水溝に水溜りができていて培養されている可能性です。

 

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 四つ星ホテルで蚊がいるのは大問題で、オマケして個人的な評価は4.0とします。

 

 

 

 

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