花と雪のペルシャ 3日目 2018年4月15日(日) エスファハーン → チェルゲルド 5:30のモーニングコールで目を覚ましました。朝の散歩で、ホテルの南にある昨夜見た橋とは別な橋を見に行くつもりでしたが、中止です。出発が七時と早いからです。イランは夏時間で、六時すぎないと明るくなりませんから(写真下)、早く起きても時間的に無理です。 本日は西に200km進み、いよいよザグロス山脈に入ります。途中で花を探しながら、クラング郡の中心にあるチェルゲルド(Chelgerd)に向かいます。 6:00から、ホテルの昨夜とは別なレストランで朝食です。朝早いのでお客さんはあまりいません。 予定どおりに出発(6:56)。出発が早いのは天気が下り坂だからです。日本で見た天気予報では、今日はなんとか持つが、明日以降、下り坂でした・・・心配。 まだ七時なので、市内は本格的な通勤は始まっていないようです。道脇の植え込みの中で朝食を取っている人たちがいます(写真下)。日本ではまず見かけないので、何度見ても奇妙な光景ですが、皆さん楽しそうです(笑)。 道路に植栽されたバラはたまに赤があるくらいで大半が白です。排気ガスにも耐えられる丈夫な種類なのでしょうか。 街のすぐそばに大きく険しい岩山がそびえている光景は日本ではまず見られません。岩山が樹木で覆われていれば気にならないのだろうが、禿山なので、つい目がいきます。 高台から見るとエスファハーンはかなり大きな街なのがわかります(写真下)。人口は約180万人です。16世紀には首都に定められ、かつては「世界の半分」と言われるほどの繁栄を極め、また「イランの真珠」と称えられる美しい街です。数日滞在して観光すればわかるのだろうが、私たちは目的が違うので、ほぼ通過します。 昨日と同じように、幹線道路は整備されており、渋滞はありません(写真下)。 エスファハーンの市街地を離れ、国道51号をひたすら西に向かいます。 街中はそれなりに緑があるのに、街並みが遠ざかると、周囲は昨日のように荒涼とした風景が広がるようになりました(写真下)。 昼食後、風景が少し変わります。少しお待ちください。 今回の旅行で良く目についたのが、写真下のような、宗教指導者のホメイニー師とハーメネイー師の看板です。たくさんではないが、一日に何度か目につきます。 もう一つ目につくのが写真下のような戦死者の顔写真です。イラン・イラク戦争で戦死した人たちで、電柱や街灯に普通に掲示されています。戦争が終わってから三十年もたっていますから、その多くは日に焼けて色がぼけています。 見かける女性たちは黒いチャードルをまとっています(写真下)。この国では女性は少なくともヒジャーブというスカーフを被ることを強制されますから、私たちのグループの女性たちもスカーフをかぶっています。長時間かぶるのはうっとうしいそうです。見ていても、暑い中、黒いヒジャーブはうっとうしい。 花の観察 バスが山を登り始めたところで一回目の花の観察です。 ここには人の背の高さよりも高い低木が生えて白い、梅のような白い花を咲かせています(写真下)。葉は出ていませんから、桜のように後で出るのでしょう。英語名がBitter almond treeで苦いアーモンドですから、実は苦くて食べられないようです。 写真上 Amygdalus
scoparia 花がたくさんついているので、ミツバチなど昆虫が来ています(写真下)。 写真下のアザミのようなトゲトゲの花は今回の旅行ではあちらこちらで見られました。 写真上下 Gundelia
tehranica ネットで見ると、これが冬場の家畜の飼料になるようです。見た目よりもうまいらしい。また、種は家畜だけでなく、人間も食べるとあります。 フウロソウはどちらかというと、道路に近い所に咲いています(写真下)。 写真上下 Geranium
tuberosum 写真下は上と同じ花かと思っていたら、花弁の形も葉も違いますから、別種です。見てのとおり、写真下は背が低い。 写真上 Erodium
cicutarium 写真下のような花弁が四つある黄色い花を咲かせる植物は、多すぎて、ほぼ名前がわからない。 トラゴポゴン(Tragopogon)という面白い名前の花は、周囲に葉がエリマキトカゲのように出ているという特徴ある植物です(写真下)。今回はあちらこちらで見かけました。 写真上 Tragopogon
coelesyriacus 写真下はトラゴポゴンに似ているが、別種です。 写真上 Scorzonera
phaeopappa 写真下は写真上と同じ仲間で、花が黄色なので、見た目はタンポポに似ています。 写真上 Scorzonera
cana 岩場のほうがいろいろな花が多い(写真下)。 岩場は低い樹木が少し生えている程度で緑は少ない。 岩場の斜面で良く目立ったのが写真下です。 写真上 Salvia
hydrangea サルビアの仲間と言われれば、たしかにそれっぽい。 写真下の植物は見てのとおりで、大きな岩の下の隙間に根を下ろしています。後日、別種で、こういう岩の隙間に生える植物を見かけましたから、イランでは環境に適応した姿なのでしょう。 写真上 Arabis
caucasica 写真下は日本のキアマナにそっくりです。今回の旅行では、数は少ないが、あちこちで見られました。 写真上 Gagea
reticulata 写真下は見るからにマツムシソウの仲間です。日本のマツムシソウは薄紫で、こちらは薄黄色で、個人的な好みからいくと薄紫がよい。 こういう乾いた所ですから、トウダイグサ(Euphorbia)の仲間は必ずあります。 写真上 Euphorbia
macroclada 写真下の花を見た時、白い部分が花弁なのかと勘違いしました。その奥にある薄紫のが花で、花そのものはイヌノフグリくらいの大きさです。 写真上 Hymenocrater
elegans 紫色のアヤメが一輪だけ咲いています(写真下)。残念ながら、終わりかけています。 写真上 Iris
lycotis subsp. iberica 写真下の二つは花が似ているだけでなく、旅行中も良く二つを同時に見かけました。しかし、別種です。写真下左の綿毛は花とは別にあるのに何の役にたつのだろうと、この時は疑問に思いました。この花が例外で、後日、毛の中に花が咲いているのを見つけました。 写真上左 Stachys
lavandulifolia 写真上右 Ajuga
chamaecistus 写真下はバスが停まっていたそばの道端に咲いていた花です。周囲に他の植物がないので良い被写体なのか、植物ガイドのノロージーさんが熱心に撮っていました。 写真上下 Mathiola
farinosa 花弁が四つに開いていて、大半の花が写真下の中や右のように花弁が丸まっています。 写真下もバスの近くの道端にあるのをお客さんが見つけました。日本語ではヒヨスと呼ばれるナスの仲間で、毒性があり、古くから利用されてきました。 写真上 Hyoscyamus
reticulatus 道端の斜面にたった一本、ポツンと咲いていたチューリップです。道端と言っても、もちろん人が植えたものではありません。 写真上 Tulipa
systola 虫が少ない中、お客さんが見つけたのが写真下で、たぶんフンコロガシです。模様のように見えるのは土が付いているだけです。 ヘンダワネを買う 最初の花の観察を終えて国道51号に戻り、西に向かいます。 写真下で運転手さんが向かっているのは検問所で、ここに届け出をしないと問題になるようです。これが何ヵ所もあり、けっこううるさい。そんなに他人を監視したかったら、バスにGPSでも付けて、検問所のどこからでも見られるようにすればいいのに、効率が悪い。どこの国でも監視したがる人たちは年寄りが多いせいか、やり方が古臭い。 シャフレ・コルド((Shahr-e Kord))という街の手前のガソリンスタンドでトイレ休憩です(11:16)。敷地の中には先ほど見かけたような花が雑草として咲いています。 写真上左 Erodium
cicutarium 写真上右 Scorzonera
cana 道端で果物を売っている露店で停車(写真下)。四月なのにリンゴやオレンジ、スイカやメロンと季節の違う果物が豊富で、しかもどれも新鮮です。イランでも南部のほうで採れるらしい。モハンマドさんがスイカとメロンを買い、後で食事でごちそうしてくれました。 ペルシャ語では、スイカを「ヘンダワネ」というそうです(笑)。 シャフレ・コルド((Shahr-e Kord))の市内に入ってきました(写真下)。ここは人口14万人ほどのチャハールマハール・バフティヤーリー州の州都で、標高は2000mあります。普通の街並みなのに、ここでもイラン・イラク戦争で戦死した人たちの遺影が大きく建物の壁に飾られているのが目立ちます(写真下右)。 街の中で奇妙な物を見ました(写真下)。なんだ、これ? 模様の描かれた卵のような物が道の真ん中にあります。高さは1m以上ありそうで、どれも形や大きさは同じだが、模様は違います。イースター・エッグ??でも、イースターはキリスト教の祭りです。たぶん、ただの芸術作品でしょう。 街のTakhte Jamshidというレストランで昼食です(11:30)。 カウンターにソースや漬物がボールに入って並べられています(写真上右、写真下)。しかし、写真下のソースは触らないようにとのことです。一つ一つ味見してみるわけにもいかず、味を知っているイラン人でないとわからないのでしょう。それにしても、ソースの多さに驚きです。 味のわかる野菜やヨーグルトだけを取ります。 ここもサラダなどは自分で取ってきて、その後は皿で配られます。 緑が増えてきた シャフレ・コルドから少し出たところで、お客さんが赤いケシを見つけて停車です(写真下)。 写真上下 Glaucium
grandiforum 花弁の根元はケシに良くある黒い印がついていて、虫たちにどこに蜜があるのかを示しているのでしょう。 ノコギリソウ(Achillea)のような花も咲いています(写真下)。ケシの派手さに押され気味です。 さらに西に進むにつれて、風景が少し変わってきました。 風景の中に少しずつ緑が増えてきました。特に、緑色の畑が増えてきました。 昨日はほとんど見かけなかった放牧も見られるようになりました(写真下)。 昨日も示した下のイランの植生図を見れば、エスファハーンからチェルゲルドまでは「半ステップ半森林」となっています。「半森林」と言っても、どこにも森林と呼ぶほどの樹木はありません。 図上 イラン中部の植生図 ■森林、■半ステップ半森林、■ステップ、■砂漠 街のロータリーには仰々しい抽象的なモニュメントが多い中、写真下左は一家でどこかにお出かけの様子です。ただ、男性二人は鉄砲を持っていますから、遊びに行くのとは違うようです。イスラム教は偶像崇拝を嫌うので、抽象的な物が多く、こういう人の姿をした具象的な図像は珍しいはずです。 写真下のような大きな街もたまに通過するが、それもだんだん少なくなっていきます。 ザグロス山脈に入る ザグロス山脈に近づいているのか、昨日までの乾ききった雰囲気と違い、山肌にも緑が感じられます。 山が近づき、その山に雪が積もっているので、いよいよザグロス山脈です。 雪山が見える所で記念撮影です。 ザグロス山脈はジュラ紀から白亜紀(2億1000万年前~6500万年前)までは海でした。中東から東南アジアに至るほどの大きなテチス海(Tethys Sea)という海で(下図)、この時期の生物の死骸が今日の石油や天然ガスの元となりました。 上図 2億年前の地球の大陸と海(Wikipediaから転載) その後、インド・プレートがユーラシア・プレートに衝突して海を押し上げたので、テチス海も干上がり、ヒマラヤからイランにかけての山脈を作り出し、石油や天然ガスが閉じ込められたおかげでイランの石油と天然ガスの埋蔵量は世界有数です。同時に、砂漠には塩が残ったというわけです。 雪におおわれた4000m級の山が、かつては海で、恐竜たちが棲んでいたというのだから、すごい話です。私たちは2億年前の海の底を見ているのだ! ザグロス山脈の西側はチグリス・ユーフラテス川の東端にあたり、そこで1万2000~9800年前の農耕の跡が発見されています。大麦や小麦を栽培し、すでに品種改良が行なわれていたといいます。(日本経済新聞、2013年7月5日) 進むにつれて目についたのが屋根の平らな家です(写真下)。雪が多いはずのこの地方で、屋根が平らでは雪下ろしはどうしているのだろうと、雪国出身の私は気になる。 写真下は、二台の衣類の行商の車に村の女性たちが集まっているようです。店が遠いのでしょう。イランの女性たちがあんな黒づくめの葬式みたいな服装に満足しているはずはない。 子供が生まれていた 今日の宿泊地のチェルゲルド(Chelgerd、Chelgard)に着きました。人口2700人ほどで、クラング(Kuhrang)郡の中心町なので、いくつかの店や銀行などがありますが、本当に小さな街です(写真下)。 チェルゲルドの街外れの川岸にあるKoohrang Hotelに到着(14:18)。このホテルの名前はクラング・ホテルで、クラングはKuhrang、Koohrang、Kurangと表記が複数あります。ホテルのホームページではKoohrangとありますから、これが一般にもちいられているのでしょう。この綴りからいくと、クラングではなく、正確にはクーラングでしょう。 http://www.koohranghotel.com/ このホテルで私は会いたい人たちがいました。フロントの両側に立っている人たちです(写真下)。 日本で調べていた時、トリップアドバイザー(Tripadvisor)で紹介されていたこのホテルのフロントの写真が下です。男女のマネキン人形が両側に立っている。マネキン人形が受付をしているフロントは初めて見たので、私は彼らと会うのを楽しみにしていました(笑)。 写真上 トリップアドバイザーに掲載されているフロント 二人に初対面とは思えない親近感を覚えながら良く見ると、トリップアドバイザーの写真とは違い、二人の背中に子供がおぶさっている。 トリップアドバイザーの写真を撮った後で、子供が二人も生まれたのだ! 驚きはこれだけではありませんでした。写真下は、ホテルにあったパンフレットの写真で、たぶん昔の写真です。男性がヒゲを生やしているだけでなく、女性が二人いて、別な女性が彼の隣にいます!三角関係か、あるいはイスラム教では四人まで奥さんを持つことができるから、第二夫人?そういう目で見ると、写真上の男性が奥さんのほうを心細そうに見ているのに、奥さんは憮然とした顔で宙をにらんでいる。結婚前はかなり複雑な男女のトラブルがあったようです(笑)。 モハンマドさんによれば、彼らが着ているのはチューガというこの地方の民族衣装だそうです。他にもこの地方の習俗を紹介した民具や写真がホールに飾ってあります(写真下)。 写真下は壁に飾られた写真で、民族衣装をつけた人たちだが、色あせてもカラー写真ですから、それほど古いものではないでしょう。ホテルにわざわざ飾ってあるくらいで、最近までこういう衣装が珍しくなかったらしい。今回の旅行では民族衣装の人は見かけませんでした。 ホテルの床には絨毯が敷いてあります(写真下)。本物のペルシャ絨毯です。モハンマドさんは絨毯織りもやったことがあるというくらいで、絨毯にはかなりの知識を持っています。絨毯織りは女性の仕事のように思っていたら、イランでは男性もするようです。 ホテルの手続きだけ取って、再びバスに乗りこみました(14:38)。 インペリアリスの大群落 バスは街の北側に向かって山を登って行きます(写真下)。目的はこのツアーの最大の目玉であるインペリアリスです。インペリアリスが何かは説明よりも観たほうが早い。 インペリアリスが山の斜面一面に咲いています。すごい!!と大歓声が上がる。 写真上下 Fritillaria
imperialis バスから見た範囲で言うなら、約2kmくらいにわたり山の斜面にインペリアリスが群生しています。まったくの自然です。 ここは保護されているらしく、花畑の少し前で監視員らしい人がキャンピングカーのような車両を停めていました。その近くにインペリアリスらしい花が捨ててある。たぶん、持ち帰ろうとした人から没収したのでしょう。 写真下の人と比較してもわかるように、インペリアリスはたいてい背丈は50cm以上あり、花もかなり大きく、一言で言えば迫力がある。 姿はずいぶん変わっていて、釣鐘のように下がったオレンジ色の花の上に葉が髪の毛のようについています。髪の毛がふさふさしているようで、なんとなくうらやましい(笑)。実の付いたヤシの木を連想させます。花は少なくとも数個で、また6個くらいついているのも珍しくありません。 花弁の一つが取れてしまった花があるので、花の内側が見えます(写真下)。花の付き方が変わっているだけで、花の構造そのものは普通です。 写真下のように葉に薄い緑と濃い緑がありますが、濃い緑は他の植物の葉で、後でご紹介します。 英語名はCrown imperial、皇帝の冠というのだから、花の咲き方から連想したのでしょう。同様に、学名のimperialisもimperialから持ってきたのでしょう。大柄で堂々とした花の付け方はこの名前にふさわしい。 和名はヨウラクユリ(瓔珞百合)で、瓔珞とは仏像などに付いている装身具です。しかし、インペリアリスの花がぶら下がっているイメージからするなら、寺院の仏壇や天蓋にぶら下げる飾りとしての瓔珞からの連想でしょう。 インペリアリスは、ユリの中でもクロユリなどのバイモ(貝母)の仲間なので、ユリというイメージとは違います。日本のバイモはどちらかというと地味な花が多いので、インペリアリスがバイモの仲間だと聞くと、ちょっと驚きます。 この花の分布はトルコ、イラン、イラク、アフガニスタン、パキスタンなどで、しかもオーストリア、イタリアのシチリア島、アメリカのワシントン州で野生化しているというからおもしろい。私たちがいるあたりで標高2400mくらいですから、冬はかなり寒いはずです。実際にインペリアリスは暑さに弱いので、園芸種があるにもかかわらず、日本ではあまり一般的ではありません。オーストリアとワシントン州はわかるが、イタリアでも南にあるシチリア島で野生化したということは、高山地帯に誰かがわざわざ植えたようです。 日本の平地でインペリアリスを育てようとしても、夏が暑いので土に埋めたままでは球根が腐ってしまうそうです。栽培している人の写真を見ると、普通のユリのような球根で、独特の匂いがあるという。 今回のツアーの募集に使われていた写真はこの山で撮ったインペリアリスです。私がイランの花に興味をひかれたのもこの写真を見て、一度、「皇帝の冠」にご挨拶にうかがいたいと思ったからです(笑)。 先ほど寄ったホテルのホールにもこの花の写真が飾られてあり、ホテルのホームページにもインペリアリスが使われています(写真下)。 (http://www.koohranghotel.com/about.html) ウィキペディアによれば、クラング郡が属するチャハールマハール・バフティヤーリ州(Chaharmahal and Bakhtiari Province)のホームページにも下図のような絵が使われていたようです。「州花」みたいなものでしょう。ただ、理由がわからないが、今はこのホームページは探せません。 (https://web.archive.org/web/20080916081623/http://www.ostan-cb.ir/) これらの扱いを見ても、インペリアリスがこの地方では象徴的な花なのがわかります。 松森さんが呼んでいるので行ってみると、黄色いインペリアリスです(写真下)。バスの中でモハンマドさんが、黄色いインペリアリスを見つけたら賞品をあげると言ったほど珍しい。この大群落で見つけたたった一本でした。 ただ園芸種のインペリアリスは黄色のほうが一般的のようで、Wikpediaにも黄色の花が載っています。 良く見ると、写真下のように、終わりかけなのか色がちょっと薄いオレンジもあります。 逆に写真下のように、茶色が混ざったような赤味の強いオシレンジ色もあります。いずれも、数は少ない。 私たち以外にも何組か観光客が来ていて、お花畑の真ん中にテントを張っている家族もいます(写真下)。テントが撮影に邪魔だ(笑)。幸い、私たちが撮影している最中にテントをたたんで去りました。 写真下左はグループで来た若者たちらしく、音楽がうるさい。「その曲、ここの雰囲気と全然合わないだろう」と日本から来た老人は自分の若い頃の傍若無人ぶりを忘れて舌打ちをする(笑)。お互いに国が違うだけでなく、異性と花で、目的が違う。 子供ははしゃいで、上から駆け下りる(写真下)。頼むから、踏みつぶさないでくれ、と言っている私が時々、踏んづけてしまうくらい数が多い。 家族で記念撮影していたので(写真下左)、私も撮らせてくれというと、水色のスカーフの女性が抜けてしまいました。男性一人に若い女性が三人、子供が四人で、どういう家族構成なのか、良くわかりません。 私たちが行った時間が午後も遅かったせいか、観光客は少なく、広大な花畑がほぼ私たちの独占状態です。 インペリアリスにばかり目が行くが他にも花はいくつも咲いています。写真下もインペリアリスと同じバイモの仲間です。ペルシカという名前までもらっているのに地味なので、可愛そうに、インペリアリスに押されて、肩身が狭そうです。 写真上 Fritillaria
persica ムスカリはインペリアリスの間に生えていて、日本で見かけるムスカリよりもやや大柄で、色も濃い(写真下)。 写真上下 Muscari
neglectum 写真下は他のお客さんが来る途中でバスの中から見かけて、帰りに探した花です。ここのは花弁は全部が紫ではなく、白く縁取りしたように見えるのが特徴的です。 写真上下 Ixiolirion
tataricum 写真下は後日も良く見かけた植物で、葉だけ見ると、チューリップかと期待してしまいます。 写真上下 Bellevallia
longistyla 土はかなり目が細かく、土というよりも泥が固まったような感じです。後日、これに悩まされることになります。 写真上 Geranium
tuberosum 斜面で数の上では負けていないのが写真下のスイバの仲間です。インペリアリスと混在している斜面もあり、両者は激しく競っているようです。これまでの写真の中に、インペリアリスの薄い緑の葉の間に濃い緑の葉があったのはこのスイバの葉です。 写真上 Rumex
hydrolapathum インペリアリスと花の数では負けてはいないし、開花しているのに、当然のことながら、私を含めたお客さんの反応はイマイチです。私は普段、畑仕事でスイバと戦っているので、彼らを見るとどうやって駆除しようかなどと考えてしまう。 インペリアルの大群落に感動して、バスはチェルゲルドの街に戻ります。 地元産の蜂蜜 ホテル近くの店に立ち寄りました(17:38)。一つの平屋の建物に同じような店が二軒入っています(写真下)。 店先には乾燥させた野菜や果物など乾物が多く並んでいます(写真下)。 店の前に広げた商品が多く、店そのものは6畳ほどで、別室はなく、狭い。奥にストーブが置いてあり、ここが寒いのがわかります。 一番奥のストーブの横に赤いカバーをかけたソファーベッドが置いてあります(写真下左)。棚の上には軍人のような人物の写真が飾ってあります(写真下右)。旅行中に立ち寄った店にはホメイニー師のような宗教指導者の写真は見かけましたが、このような写真はここだけでした。軍服の男性の写真は白黒ですから、古い時代の人でしょう。もしかしたら、店主の親族かもしれません。 店の前の棚に並べてあるのは蜂蜜らしい(写真下)。しかも、蜜の入った蜂の巣も売っています(写真下下段)。海外ではしばしば売っているので、一度丸かじりしてみたいのだが、胃腸が軟弱な私は我慢するしかない。 モハンマドさんが、地元産の蜂蜜が一つだけあると勧めてくれたのが、写真下左の金属の缶に入った蜂蜜で1kgで10ドルです。一番高い蜂蜜が10ドルですから、安い。モハンマドさんが後で、店員に目の前で現地産の蜂蜜を詰めさせて購入してくれました。帰国後、重さを測ってみると1kgありました。缶では蓋が不安なので、プラスチック容器に詰めてもらいました(写真下右)。普段私が食べている1kgで1000円程度の中国産の蜂蜜よりも粘度が高く、甘みも強い。 ホテルに戻り、ロビーで紅茶とGAZというお菓子をいただきました(写真下)。これらはホテル側が準備したのではなく、すべてモハンマドさんです。彼は本当に細かい気づかいをする。 明日の天気は ホテルのレストランで夕食です。レストランは窓を広く取り、南側の川と山並みが一望できるようになっています。こんなに客が来るのかな、というくらい広い(笑)。 広々としたレストランに客は私たちしかいません。ここでも1ドルのノンアルコールのビールを飲んでみました(写真下右)。種類が毎晩違いますから、日本と違い、様々なメーカーが作っているようで、味も違いがあります。 食事はここでも生野菜の前菜があるのが助かる。写真下左は、もちろん、これで四人分です。写真下右は見た目に辛そうでも、辛くありません。 インディカ米のご飯が出てきますが(写真下左)、私はもっぱらナンを食べていました(写真下右)。イランのナンはうまい。 食後のデザートは昨日、道端で買ったスイカです(写真下)。見本のスイカは真っ赤な切り口だったのに、買ったスイカは真っ赤ではない。だが、味は問題ありませんでした。これらの準備も配膳もモハンマドさんが一人で頑張っています。 食後、ホールでお茶を飲みながら、ノロージーさんを囲んで本日観た花の確認です(写真下)。皆さん熱心にメモを取っているのに、約一名だけはどこか上の空でお茶だけ楽しんでいる(笑)。 写真下が今夜の私の部屋です。今回の旅行では唯一ここで連泊です。 ベッドのカバーを取ると、ホテルの名前の入った深紅の毛布が現れました(写真下左)。夜、寒いだろうと暖房を付けたところ、逆に暑すぎて止めて寝ました。 この部屋は山のある北側だったので、写真下右のように眺めは良くありません。他のお客さんは南側の部屋だったので、夜、犬の吠え声に悩まされたそうです。ひとり私は犬の声には気が付かず眠っていました。 バスタブはないが、清潔でお湯も問題なく出ました(写真下)。1.5Lの水が無料で、これは他のホテルでも同様にミネラルウオーターが無料でした。不思議なことにイランでは私の好きな炭酸水に会いませんでした。また、モハンマドさんが出してくれた紅茶もうまかったから、イランの水は硬水ではないと思ったら、外務省のホームページにはテヘランの水道水は硬水だとあります。 設備の豪華さはないが、不自由もありません。今回の旅行では一番田舎のホテルなので期待していなかったわりには十分です。特にフロントのマネキン人形があまりに私の感覚とずれているので点数を加えて(笑)、個人的な評価は4.0で、合格です。 一番心配なのはザグロス山脈の明日の天気です。下の図は明日16日のチェルゲルドの3時間ごとの天気予報です。一番下の数字が気温で、最高気温がたった10℃ですから、関東地方なら真冬の気温です。日本で予報を見て、私は荷物にダウンジャケットと使い捨てカイロを増やしました。しかも、午後にはにわか雨があるという。私たちが明日行くのは標高2300mのチェルゲルドよりももっと高い山なので、ちょっと心配です。 連泊なので、荷物を片付けもせずに十時半過ぎには寝ました。 (https://www.windfinder.com) |