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3日目 2006年8月19日(土) 西寧→タール寺→青海湖→日月山→チャカ 6時30分モーニングコール。 タール寺の観光 曇り。8時すぎにバスでタール寺(クンブム)に向けて出発。道路は西寧から巡礼を理由に作られたほとんどが真っ直ぐな片側二車線の高速道路です。日本と違うのは道路の脇にはガソリンスタンドが多いことです。わずか40分ほどでタール寺に到着。ガタゴトといくつも山を越えて行くのかと勝手な想像していた私は驚きました。これでは東京から成田山新勝寺に行くのとかわりありません。 上:タール寺の配置図(『蔵族佛教藝術』劉励中、三聯書店、1987年) 山門に到着するとたくさんの観光客がいました。また驚かされたのは、中国人の観光客のカメラが最近発売されたコンパクトのデジタルカメラ(デジカメ)や、値段の高い一眼レフのデジカメだったことです。日本ならこれらのカメラは高級品ではないが、中国では安くないカメラを多くの観光客が普通に持っているのを見て、中国が激しい勢いで経済を発展させているのがあらためてわかりました。 先に結果から言うと、タール寺はワンパターンの観光コースなので、特におもしろい寺でもありません。すっかり観光化されているようです。 チベット仏教の五体投地する道具は見られるが、観光客が物真似でやっている程度(写真上右)。信仰の寺でも修行の寺でもなくなったのでしょう。信心深そうなチベット人たちはわずかで、大多数は日本人を含めた中国人の観光客です。 二十年前、ラサに行った後、次回のチベット旅行は青海省に行き、タール寺を訪問しようと思って資料などを集めたこともあります。現実に来てみると、いったい自分は二十年前、何を期待していたのだろうかと自分自身がおかしく思えてきます。 私がこのお寺に奇妙な期待をいだいていた理由の一つは、資料の中の百年ほど前の探検家たちが書いた本を読んでいたからです。その一つが次の本です。 『蒙古と青海』(コズロフ、白水社) ロシアの探検家コズロフが1907~1909年にロシアからゴビ砂漠を南下して蘭州や西寧、青海湖まで探検した記録です。20ページにわたり、タール寺について歴史から僧侶たちの様子まで詳細な記述があります。当時のタール寺を知る貴重な資料です。探検家たちが命がけでこれらの地域に到達したことから、私の頭の中では神秘的なタール寺ができあがっていたのです(笑)。 しかし、現実は、事の是非はともかく、ごらんのような誰もが簡単に来られる観光寺であり、だからこそ私も来れたのです。 写真上:境内の記念写真屋 寺巡りから帰ろうとする頃、雨が降り始めました。山門の前には門前町のように店が並んでいて、客引きが多く、まっすぐは進めません。こちらのほうは寺よりもはるかに活気があります。 買うつもりはないが、仏像をいくつか見て、値段を聞いてみました。手に持てる程度のかなり良いものでも、1~2万円だという。二十年前、ラサで聞いた仏像の値段からすると安く感じます。客引きが店の二階まで案内すると、そこは普通のお土産とはちょっと違い、アンティーク風のものが並んでいて、値段もギョッとするほど高い。私は驚いたのをさとられないようにして、財布を押さえながら、すぐに退散しました。 10:55 昼食のために同じ道を西寧まで引き返します。 11:35 西寧に戻り、食事をとりました。レストランの一階では結婚式が行われていました(写真上)。 結婚式が行われるようなレストランでも、トイレは汚く、紙すらありません。 12:33 チャカに向けて出発。 西寧から西に向かって走ります。道路はタール寺への高速道路ほどではないが、整備された二車線道路で、順調に飛ばします。周囲は農村で、麦を刈り入れています(写真上)。 やがて山の中に入り、谷沿いに進むと、山は遠ざかり、次第に高原地帯へ入っていき、放牧などが見られるようになります。(写真下右) 日月山の観光 午後2時頃、観光目的地である日月山に到着。 1975~1981年頃にここを通過した人によれば、峠には小さな石碑があっただけのようです(『中国辺境をゆく』西園寺一晃、日本交通社、1982年、45頁)。今ある建物ができたのは1985年頃で、建築中の前年もここを訪れた学者が目撃しています。(『青蔵紀行』松原正毅、中央公論社、1988年、21頁) 昔、チベット王国に嫁いだ文成公主が中国と別れを告げた場所と言われています。しかし、現場はそんな甘い感傷的な風景ではありません。チベット高原の風が強く吹いているだけでなく、とにかくゴミがすごい。観光地になっている二つの場所はちょっとした小高い丘になっていて、その上に建物が建っています。問題はその周囲で、とにかくものすごいゴミが散乱している。ゴミ集めをしている一団もいたが、とうてい追いつける量ではありません。中国人もチベット人もゴミに関してはマナーが悪い。チベット人は、ゴミは腐って自然に帰るものと今でも信じているのか、平気でそのへんにゴミを捨てます。 道路沿いに観光用のヤクがいます(写真上)。白いヤクは初めて見ました。珍しいと思ったら、後に、放牧されている白いヤクをたくさん見ました。 丘の上の建物はただのお堂にすぎないのだが、料金を取られます。入り口に沿って屋台の土産物屋が並んで、客寄せが激しいのはここの風のようです(写真上)。内容はどれもチンケなお土産だが、中には地元で採れた漢方薬などもあります。売りに来た人もいました(写真下右)。こういう人から買うのが一番安いのはわかるが、何の漢方なのか、どうやって服用するのかもわからないので、買いませんでした。旅行を通して、もっとも中国で今人気なのが冬虫夏草で、街の中でも看板が出ていました。 丘の上の建物はどうだというものでもなく、興味もひきません。しかし、建物の裏側の斜面を見ると、そこに高山植物が生えています。おもしろいことに、風が激しく吹き付けるこの斜面にしか高山植物は花を咲かせておらず、他の所にはほとんどありません。出発までの間、私は花の写真を撮っていました。 写真左:ロマトゴニウム・トムソニー 写真上:デルフゥニウム・カエルレウム ゴミだらけの日月山を後にして、チベット高原をひたすら走ると、やがて右側に青海湖が見えてきました(写真下右)。 道路のわきには写真上のアザミのような花が一面に咲いています。道路の脇に多くみられることから、元々、このあたりに生えていたのではなく、疾走する車が種を運び、拡大させているようです。 青海湖の蜂蜜屋 15:20 車を停めて、沿道にある蜂蜜小屋に寄りました(写真下)。夏の間、このあたりで蜂蜜を集めているようです。こういう小屋が道のあちこちに見かけます。小さな小屋の中で夫婦らしい若い男女と犬がいます。 値段はロイヤルゼリーが一瓶300元(4500円)、一番良質の蜂蜜が1kgで150元(2250円)だという。ロイヤルゼリーは安いが、蜂蜜は高い。後に、ラサのスーパーで蜂蜜の値段を見たが、せいぜい数十元で、150元などという蜂蜜はありません。買って食べてみても、良く言えば癖がない、悪く言えばコクのない味です。蜂蜜の値段を聞いた時、一瞬彼の答えが遅れたから、客を見て、高値をふっかけたのでしょう。ただ、中国でよくある混ぜ物の蜂蜜ではなさそうですから、その点だけは信用がおけるでしょう。 青海湖の観光 15:55 青海湖の観光地に到着。完全に観光化されていて、大きな駐車場を完備し、水辺までは電気自動車で移動します(写真下左)。店が建ち並んでおり、ここが中国人にとっても大きな観光地のようです。 『コンロン紀行』(スミグノフ、日光書院、昭和19年)という1920年代に西寧からこのあたりを旅行した人の旅行記を読むと、鉄砲で武装した強盗団が出没していたようです。著者のスミグノフは「憧れの青海湖」と題して、ようやく到着した感激を書いています。こういう本を読んで、私の頭の中で膨らんでいたチベットの奥地にある神秘の湖のイメージは一瞬で壊れました(笑)。 曇っていることもあって、風景もどんよりしており、肌寒く、ただ湖が広がっているだけなので、あまりおもしろい所ではありません。 湖に突き出た部分に行く途中でチベット服を着た親子がいて、記念写真を撮らせて金を稼いでいるようです。私は客引きに不熱心な親子に声をかけ、二人で20元(300円)というのを10元にねぎって写真を撮りました(写真上右)。 道の両側には土産物の屋台が所狭しと並んでいます(写真下左)。毛皮などがあるのはいかにもチベット高原らしい。こういう屋台の店をのぞくのは好きですが、ここは総じておもしろくありません。 時間がないので、突端までいかずに引き返します。水辺ではラクダやヤクが観光客用に待機しています(写真上右)。添乗員によれば、7月には、警告を無視して客がラクダに乗り、持ち主が煽ったので激しく動いて、高山病になって大変だったそうです・・・それだけで高山病になるとは思えないが。 電気自動車でバスの駐車場まで戻ります。バスの駐車場近くには土産物店があります。目立つのは様々な石です。水晶の中に赤い色が入っているのが鮮やかです。こんな水晶は初めて見たので、もっとゆっくりと見たいが、今日中にチャカに到着しなければならないので、時間はありません。出発17:04。 17:45、ヤクを撮りたいというのでバスを停めました。 写真を撮っていると、テントからチベット人の子供が、続いて親らしい人たちが集まり、記念撮影に応じてくれました。金を請求しないのがうれしい。 青海湖の湖畔を右にして走り続けます。どういう訳か、道路の湖側にのみヤクやヤギなどの放牧が行われ、左側にはほとんど放牧されていません。何か規則があるのでしょう。 18:35、橡皮山峠(3817m)でトイレ休憩。テントを張っていたチベット人の子供たちがまず寄ってきました(写真下)。 大人達も集まってきました。一人が馬に乗ってきたので、私が写真を撮ろうとすると、わざと馬を私のほうに直進させ、ぶつかる直前にさっと体をかわし、彼は大きな声で笑いました。私が驚きあわてるのを見るのと、自分の技を誇示したかったのでしょう。馬が迫ってきた時は危険を感じたが、地形的にも、私の運動能力では避けるのは無理だし、チベット人なら馬を操るだろうと判断し、彼の期待に反して、私はあわてふためいて逃げる暇もなく、そのままつっ立っていました。 すっかり暗くなった中、チベット高原をひたすらバスが走ります。 17:35 茶下の街に到着。街にあるイスラム教徒のレストラン・民和賓庁で食事を取りました。日本でいえば街の食堂程度の規模です。何でも、7月のツアーでもここを利用して好評だったという。野菜が少なくなると聞いていたが、添乗員が特別に注文してくれたのか、野菜が多く、それなりにおいしい。 21:10にレストランを出て21:29にホテル(塩湖賓館)に到着。ホテルと言っても、元々はチャカで塩を採取している人のために作られた招待所らしく、ホテルの手前の検問所でチェックを受けました。バスがとても通れそうもないような狭い門を見事にくぐり抜け、一同から拍手を浴びながら、ようやく到着。 ホテルは二階建だが、エレベーターが付いていないし、ポーターもいないので、各自が荷物を運ぶことになります。バスの長旅で疲れ切っているし、空気が薄いから(3100m)、重い荷物を二階まで運ぶのは容易ではありません。部屋はくじ引きになり、私が最後に引くと、うまい具合に一階の部屋に当たりました。添乗員に申し出て年配の方に譲りました。やっぱり20kgのスーツケースを二階まで運びあげるのは大変だった(笑)。 部屋は普通の清潔さがあり、悪くありません。ただ、予告編どおり、お湯がぬるいだけでなく、センがいかれているらしく、お湯が溜まりません。バスタブにつかるのはあきらめて、シャワーを軽く浴びて終わり。当然、インターネットなどありません。持参した酸素を吸うと、いくぶん気分が楽になりました。 トップページ 日程表 1 2 3
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