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6日目 2006年8月22日(火) ラサ 8時モーニングコール。9時30分集合。晴れないし薄曇り。 出かけるにあたり、ホテルで10000円を両替すると、671元で、旅行中最高の換金率でした。広州でガイドの祝さんから両替した時は640元でした。 10:45。ポタラ宮殿の見学は予約制になっていて、私たちの時間も決まっているため、まだ時間があります。早めの昼食をとるために天海飯店に行きました。食事はまあまあでした。 トイレに行くと、普通は入り口に近いほうに男子トイレ、遠いほうに女子トイレを配置するが、ここは逆です。ラサホテルもそうですが、ホテル内でありながら、公衆トイレに紙がありません。 私は海外旅行する時は、用がなくてもトイレに寄ります。食事と排泄は人間の基本ですから、それをどう取り扱っているのかを見れば、ある意味で、その国の今の文化レベルがわかるからです。 皆さんもご立派な建物に案内されたら、まずトイレに行ってみましょう。 ポタラ宮の観光 11:45 ポタラ宮の東側の入り口に到着。二十年前もポタラ宮は観光に来ました。正直申し上げて、建物と内部の威圧感が不愉快で、あまり良い印象は残っていいません。建物自体も巨大で威圧的であるだけでなく、内部は仏像やタンカ(仏画)だらけで、霊廟などもあり、薄暗く、どちらかというとお寺のイメージです。政治の中心でもあったから、いかにも権力闘争が行われた場所らしい雰囲気で、私の好みには合いません。今回もその印象は変わりませんでした。 入り口から登って行くと、ポタラ宮で働く人たちなのか、洗濯をしている人、また木の下でおばあさんが孫を子守しています(写真上)。私は建物よりもこういう光景のほうが好きです。 宮殿の入口まで階段を上っていきます。ラサは3650mの高地ですから、上るのも大変です(写真上)。 息を切らせながら登っていくと、そのあたりからラサ市街が一望できます。 一番驚いたのは、上から見ると、ポタラ宮から見て左前(写真上左の左側)にはゴチャゴチャした民家が建ち並んでいたはずなのに、それらはすべて撤去され、きれいな建物に整備されていることです。 四天王が描いてある門でいったん建物の中に入って、さらに階段を上ると(写真下左)、広場(デヤン・シャル)に出ます(写真下右)。ここは昔、劇場だった所です。 広場の両側は店があります。右(北)側の店は開いているが、左側はほとんど開いていません。一軒だけ開いているので、水を5元で買いました。遠くから歌声が聞こえます。次の入り口の左側のドアから覗くと、屋上で何か作業しているのが見えます。二十年前も、彼らは歌を歌いながら土木作業をしていました。 この広場を最後に建物の中の撮影は全面禁止。二十年前も一箇所を除いて禁止でした。写真集をお買い求めくださいということのようで、実際にポタラ宮の中で販売されています。美術的にはすごい価値のあるものがそろっているのはわかりますし、チベット美術は嫌いではないが、前述のように、ポタラ宮は建物も美術品も、あまりに威圧的な雰囲気で好きになれません。 12:43に広場から入り、13:49に建物の外に出ました。東から西にポタラ宮を通り抜けるのに一時間も中にいたことになります。もちろん、どこをどう通り抜けたのかさっぱりわかりません。 最後にポタラ宮で有名なトイレに立ち寄りました。床に隙間が空いているだけで、下を見ると、数メートル下の崖の雑木に落ちるようになっています。このトイレは有名で、『チベットの落日』(丹波基三、近藤出版社、1988年)の113頁に写真が載っています。この本の筆者は、ポタラ宮殿のトイレを撮ったのは自分一人だろうと書いています。本に載せるという偉業を為したのは彼が初めてでしょう。 西側の出口はラサの北側に面しています(写真上)。 14:20 坂道を下りて(写真下左)、ポタラ宮の西にある広場に出ると、そこは物売りたちが待っています。中国人らしい男性をチベット人の女性数人が取り囲んで何か買わせています(写真下右)。 広場の近くの建物の窓はペイントされ、花も飾られて、きれいです。チベット圏ではよく見られる光景で、とても良い習慣です(写真下)。ただ、二十年前はもっとたくさんあったように思うが、今回はあまり見かけません。 今回の観光の際は一方通行のトランシーバーが配られています。雑踏と騒音の中でガイドの説明を聞くのは容易ではないから、なかなか良い方法です。ただ、レシーバーを直接耳に入れる方式のため、ガイドの声が大きいと耳に入れておくことができず、私は耳にぶらさげていました。 14:30 ポタラ宮の南にある広場に移動して記念撮影をしました。広場は何かイベントこれから行われるらしく、舞台が組まれています。チベット服を着て記念撮影する写真屋がいて、客に踊りを踊るような変なポーズをつけさせているのがおかしい(写真上)。 側溝に落ちた! 広場の南側にはポタラ宮と相対するような塔が立っています。その写真を近くで撮ろうと、塔を見ながら近づいた時です。 側溝に右足が落ちた!! 自分でも一瞬何が起きたのかわかりませんでした。右足が側溝に落ち、近くにいたチベット人のおじさんがあわててこちらに来て、私を助け起こしてくれました。足が痛いが、かろうじて立ち上がる。 広場のど真ん中の下に側溝があり、鉄の金網がかけてあるのだが、その何本かが取れてしまい、ちょうど私の足の太股の幅くらいが開いていたのです。まさか、こんな整備された広場にそんな穴が開いているとは思いもよらず、塔のほうばかり見ていて、落っこちた。 右手にカメラを持っていたので、カメラを側溝の金網に叩きつけて破壊してしまい、バッテリーが側溝に落ちたが、かろうじてカードだけは残ったのは幸いでした。 太股の内と外を金網に挟まれたような形になったようです。歩くことはできたが、右足を曲げることができず、この後の旅行では階段や山の上り下りなどでは苦労しました。 問題はカメラです。素人の私が見てもオシャカです。この旅行のメインの青蔵鉄道は終わったとはいえ、まだラサ観光は後丸2日もあります。添乗員さんにカメラを買いたいと相談すると、ラサからガイドをしている隆さんが、休息の一時間を利用して、ラサ市内のカメラ屋に案内すると申し出てくれました。 5万円を換金して、隆さんと一緒にタクシーで店に出かけました。タクシーは市内なら10元。カメラ屋が何軒か並んでいるところを数軒まわりました。短時間の内に決めなければならないし、売っているカメラは種類が少ないだけでなく、明らかに型が最新版ではありません。 ようやく一台見つけたら、値段は4680元、つまり約7万円。一年前に出たカメラだから、日本でネットで買ったら、この半額もしません。しかし、他にないのだから、文句はさておき、足りない分を隆さんから貸してもらい、購入しました。 添乗員さんと隆さんの適切な対処に感謝です。 ジョカンとバルコルの観光 16:40 ラサの街の真ん中にあるジョカン(トゥルナン寺)に観光に出かけました。 二十年前はこのあたりは周囲に空き地があったのに、今では大都会のようなっています。 ジョカンの前ではチベット仏教で行われる五体投地が見られます。上から見ると、上右の写真のようになります。右端に道路に黄色いシャツを着た人が横になっているのは死体ではなく、五体投地をした瞬間です。 彼らの信仰心には感心するが、お釈迦さんの説いた仏教からはずいぶん離れてしまったものです。これは日本の仏教も同じです。 ジョカン内部を参拝。二十年前と決定的に違うのは撮影禁止。二十年前はストロボは禁止されていたが、撮影はかまいませんでした。もう一つ大きな違いは、二十年前は、奥にある本尊の周囲を一周させてくれたが、今は立ち入り禁止です。 前は、信仰を集めている庶民的な印象の寺でした。観光客が少数で、参拝者が多数でしたから、敬虔な祈りの雰囲気がありました。観光客も彼らを邪魔しないように気を遣っていたように思えます。だが、今は観光客が参拝者を上回ってしまい、ゴチャゴチャしているだけで、息が詰まりそうです。 喧騒を離れて、ジョカンの上に登ると、チベットの写真には必ずといっていいほど出てくる屋根の飾りがあります(写真上)。向こうに見えるポタラ宮と真っ青な空を背景にしてプロの写真家が写すと見事なチベットの絵になります。 17;45 ジョカンの周囲のバルコルを散策しました(写真上と下)。バルコルとはジョカンの周囲を取り囲む店と通りのことで、ジョカンの回りをちょうど一周できるようにできています。 ジョカンの周囲をチベット人たちは時計回りに回ります。これがチベット仏教的には正しい回り方です。ところが、我々は逆方向に回り始めました。添乗員さんに聞くと、写真を撮るにはこのほうがいいのだという。これには大いに納得しました。 人々で大にぎわいなのは昔と変わりません。バルコルはジョカンを一周しているので、これを巡礼の一つとして、五体投地で回る人もいます。二十年前はたくさんいたのに、今回は探すのに苦労しました(写真下左)。 バルコルは寺を一周しているだけでなく、そこから放射状に道が出ています。その放射状の道の一つからなにやら音が聞こえる。行ってみると、地面に僧侶が座り、読経しながら、布施を求めています(写真上左)。 すぐそばでは、おばあさん二人が何か歌いながら踊っています。僧侶の読響よりもこちらのほうが人気があるようで、誰かが写真だけ撮ると、おばあさんが金を要求します。彼らはこうやって路銀を稼ぐのでしょう。 赤い鉢巻をしたカンパ族が白い毛皮を売っています(写真上左)。カンパ族はチベット族の中でも勇猛果敢な種族として知られ、実際、体格の大きい人たちが多いように見えます。チベットの各種族がそれぞれの格好で歩いているのが興味深い。 バルコルにある店で夕食です。一階と二階がおみやげ物屋、三階がレストランになっています。品物の質はかなりいいが、値札がないから、いちいち聞かなければならないのが不便です。 食事では、チベットの歌と踊りが披露されました。しかし、彼らの歌や踊りは元々屋外でやるものだから、狭いレストランにはいまいち合いません。JCBカードの張り紙が柱の模様とうまくマッチさせて張ってあります(写真上)。 バルコルを半周して、バスに乗り、ホテルに戻ったのが8時頃。まだ薄明るいので、誘われてホテルの周囲の路上の店を見に行きました。 売っている物はガラクタが多い。青い模様の着いた小物入れを30元(450円)で買いました。最初の売値は、アンティークだから200元(3000円)だという・・アホぬかせ。買うつもりがないという態度を示すと、急に値段が下がりました。30元でも彼らはぼろ儲けしているはずです。これらの物は古く見せるためにわざとススのついたロウが塗ってあり、取るのに一苦労します。 帰ってから、ビジネスルームでメールを送ろうと思って行ったら、すでに閉まっていました。11時が閉店かと思っていたが、10時のようです。 ラサに漢字は似合わない 二十年ぶりにラサの街を見て、驚かされるのは、発展もさることながら、街角の看板の漢字が増えたことです。店の大半には漢字が表示されていて、日本人にはわかりやすいのだが、チベットらしさが失われたのは残念です。 政治的な話は抜きにして、ラサが「チベット文化圏」であることは誰しもが認めるところです。ラサにとって観光は重要な資源なのですから、そこが漢字で埋め尽くされた中国の他の地方都市となんら変わりないなら、魅力は半減します。 せめてラサ市内の看板くらいは、チベット文字を原則として、漢字表記はチベット文字よりも大きくしてはならないなどの規制をしないと、観光資源を自ら壊しているようなものです。 トップページ 日程表 1 2 3 4 5 6
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